梅重

 男子高校生の一日は、意外に忙しい。
 運動部に所属して、レギュラー争いをしているようなら尚更だ。熱心な指導者に恵まれて、練習に勤しめる環境が整っていれば、余計に。
 そんなわけで、今日も朝から晩までバレーボールづくめだ。それ以外では当然授業があって、黒板と睨めっこをする時間が続いた。
 唯一の息抜きと言えば、食事の時くらいか。後は風呂も候補に挙がるが、どちらかを選べと言われたら前者だろう。
 そんな数少ないのんびり出来る時間に微笑み、菅原は熱い湯気を吹き飛ばした。
「ふっフー」
 まるでマグマが煮え滾っているような水面に息を吹きかけ、白く立ち上る細い筋を彼方へと押し退ける。そうして表面を僅かに冷まして、彼は嬉しそうに口元を綻ばせた。
 後は割り箸を半分に割って、辛み成分たっぷりのスープや麺に舌つづみを打つだけ。考えるだけで顔がにやけ、鼻の下が伸びた。
 大好物の激辛カップラーメンを前にして、彼は最高に幸せだと目尻を下げた。
「いっただっきまーす」
 今日一番かもしれない元気な声を張り上げて、勢いよく割り箸を赤いスープへと衝き立てる。ぐるりと回すと先端が麺に絡み、雫が数滴、周囲に飛び散った。
 大半は容器の内側に沈んでいったが、一部は指先に落ちた。だがほんのり朱に染まった右手にも構わず、菅原は熱いスープを喉元へ流し込んだ。
「んぐ、ん……ぷはーっ」
 音を立てて啜り、紅色を強めた唇を舐める。満足だと言わんばかりの表情は、湯上りにビールを煽る成人男性を連想させた。
 烏養が例に出した言葉の意味は良く分からなかったが、恐らくは今の菅原のような気分なのだろう。そんなことをふと思って、真向いで見ていた日向はプラスチックの箸を舐めた。
「好きなんですね、ホントに」
「ん? あー、そうだな」
 ちろりと出した舌をすぐに引っ込め、感嘆混じりに呟く。声はきちんと相手に届き、菅原は鷹揚に頷いた。
 見た目のみならず、立ち上る香りさえ既に辛い。ひと口頬張れば火を噴く事請け合いながら、菅原だけは平然と、しかも美味しそうに食べるのが、日向には不思議だった。
 以前に一度、味見をさせてもらったことがある。あの時は熱さ以外の理由で唇を火傷して、放課後になってもひりひりと痛んだ。
 思いだしていたら、無意識に唇を撫でていた。箸を持ったまま指先を顔に持っていった彼を眺め、畳に胡坐を掻いていた青年が穏やかに微笑んだ。
「食べるか?」
「えっ、遠慮シマッス!」
「ははは」
「あっ……」
 細長い縮れ麺を引き上げながら言われ、思わず声が裏返った。やや詰まり気味に言葉を発したら笑われて、それで我に返った日向は恐縮して頭を垂れた。
 菅原はなんてことない顔をしていたが、好物を貶されたようなものだ。良い気はしないだろう。
 咄嗟だったとはいえ、失礼なことを口走った。反省して項垂れていたら、聡い男が小さく肩を竦めた。
「別にいーべ?」
「菅原さん」
「日向は、辛いの、苦手だもんな」
 のんびりと呟き、気にしなくて良いと目を眇める。そうして箸で掬った麺を啜って、ずるずる音を響かせた。
 辛いモノが好きな人間は案外多いが、菅原の場合はその度合いが桁外れだ。本人も自覚しており、他人になかなか理解してもらえないのも承知済みだった。
 店で売っている一番辛いラーメンを好み、昼休みにも良く食べている。その匂いは強烈で、ドアを閉めていても外から分かるくらいだった。
 お蔭で彼が居る時は、誰も部室に寄りつかない。昼休みだというのに静かな室内を見回して、日向は申し訳なさそうに頷いた。
「すみません」
「なんで謝るんだよ。好き嫌いは人それぞれだろ?」
 そのついでに口を開けば、聞き咎められた。
 万人が辛党でなければならない義理はないし、甘党であるべき理由もない。好きなものを、好きなように食べれば良いのだと胸を張って、菅原はもうひと口、温かな湯気を放つスープを飲んだ。
 器の内側までが毒々しい赤に染まり、血の池地獄を連想させた。それを満面の笑みで頬張る菅原をじっと見つめ、日向は白飯に梅干という自分の弁当箱を小突いた。
 勿論、副菜はちゃんと別にあった。二段重ねだった弁当の下段部分を左手に持って、彼はひと口分の米を掬い上げた。
 器用に箸を動かし、口へと運び入れる。もぐもぐと奥歯で噛んで磨り潰して、唾液と一緒に喉の奥へ押し流す。
「それだけで足りるんですか?」
 その仕草を三度ほど繰り返して、日向は水分を求めて手を泳がせた。
 畳に広げた弁当包みに器を置いて、部室へ来る途中で買った牛乳パックを掴み取る。布の上に箸が転がり落ちたが、彼は別段、気にしなかった。
 だが向かいに座る青年には、それが行儀悪く思えたようだ。
「こら。落ちたぞ」
 一部が赤くなった割り箸をラーメンの器に架けて、菅原が日向の箸を拾った。
 先端を弁当箱の縁に引っ掛けて置き、乗り出した身体を戻す。一瞬近くなった気配に日向は緊張して、すぐに去って行った影に複雑そうな顔をした。
 鼻腔を擽ったのは、唐辛子か、香辛料かも分からない匂いだけ。それを若干不満に思いつつ、彼は微妙に生温い箸を右手に持ち直した。
「ありがとうございます」
「俺はこれで満腹だよ」
「え? あ、ああ」
 短く礼を言い、食事を再開させるべく左手で弁当箱を抱く。そこに突然話しかけられて、一瞬分からなかった日向は数秒遅れて相槌を打った。
 ラーメン一杯で足りるのか、という話だった。
 自分から話題を振っておいて、忘れるとはいかがなものか。そこまで鳥頭だったかと軽い脳みそを左右に振って、華奢なミドルブロッカーはミートボールを抓み取った。
 それは母の得意料理のひとつだった。
 他にもハンバーグと、サラダに、定番の卵焼きの姿も見えた。彩り豊かに詰められており、隙間はほぼゼロだった。
 成長期だから沢山食べるだろうと、母は朝早くから頑張ってくれている。その心遣いに感謝して、彼は箸に残った甘いソースを白米に擦りつけた。
 続けてその白飯を山盛りに掬い取り、大きく開けた口へと放り込む。奥歯で噛み砕けば、淡泊だった米の味にちょっとした変化が生まれた。
 これはこれで、美味しい。試して正解だったと頬を緩め、日向は数回の咀嚼を経て咥内の塊を飲み込んだ。
 あまり目立たない喉仏を上下させて、満足げに息を吐く。ふぅ、と力の抜けた表情がおかしくて、菅原は肩を揺らして相好を崩した。
「ン?」
 もっとも当の日向は、何が面白いのか分からなかった。
 菅原が何故笑っているのか、理由を探すが見つからない。怪訝に首を傾げていたら、ツボに嵌ったのか、彼は声を高くして腹を抱え込んだ。
「ははは、あはっ」
「菅原さん?」
「あー、いや。悪い。ごめん。なんでもないんだけど」
 実際、そこまで笑い転げるようなものではなかった。
 自分でも、どうしてなのかは分からない。ただ妙に琴線に触れて、心が綻んだのは確かだ。
 まだたっぷり残っているスープが零れないよう気にしつつ、彼は畳の縁を避けて容器を置いた。まだ苦しい腹筋を撫でて落ち着かせて、何度か咳き込んでから咥内の唾を飲み下す。
 やたらと辛い唾液を胃袋へと押し流して、彼はやっと、人心地着いたと胸を撫で下ろした。
「うー?」
「ごめんって」
 それから正面で睨んでいる後輩に気付き、片手を掲げて頭を下げた。
 軽い調子で謝られた。日向は膨らませていた頬を凹ませ、小判型のハンバーグを噛み千切った。
 真ん中で真っ二つにして、もぐもぐと大きく口を動かす。まるでどんぐりを溜め込むリスのようで、また笑い出しそうになった菅原は慌てて自制を働かせた。
 口元を拭う仕草で顔の下半分を隠し、深呼吸で心を落ち着かせる。そうしているうちに日向は残りのハンバーグも食べきって、パック牛乳で口を漱いだ。
 噛み潰されたストローを解放した彼の弁当は、残り半分を切っていた。
「野菜も食べろよ」
「別におれ、そこまで甘いモノ、大好きじゃないですけど」
「うん?」
 但しポテトサラダだけは、殆ど手を付けられていなかった。それを見た菅原が眉を顰めていたら、叱責を遮り、日向が口を尖らせた。
 不満げに低い声で言われ、巧く聞き取れなかった。もう一度言ってくれるよう訴えるが、願いは敢え無く却下された。
 不貞腐れた表情で見上げられても、日向の気持ちは分からない。超能力が欲しかったと悔やんでいたら、突然、目の前に何かを突き出された。
「おわっ」
 吃驚して、声が上擦った。なにかと思って目を瞬いていたら、歯軋りした日向が小鼻を膨らませた。
「どうぞ」
「ええ?」
 差し出されたのは、彼の弁当だった。
 二段重ねの上段の方、即ちおかずが詰め込まれている方を、だ。現状サラダが幅を利かせていたが、その隣のブロックにはミートボールが数個、残されていた。
 勢いよく動かした所為で、床を滑っていったらしい。茶色いソースが底面のあちこちにこびりついていた。
 これは一体、どういう事だろう。状況がすぐに把握出来ず、菅原は目をぱちくりさせた。
「日向?」
「だって、菅原さん。それだけだと、ぜってー足りないと思うし」
 きょとんとしていたら、説明が足りなかったと知った日向が間誤付きながら口を開いた。
 段々と覇気を失い小さくなっていく声に、彼の精一杯の気遣いが含まれていた。
 確かに菅原の昼飯はカップ麺ひとつで、握り飯やパンといったものは一切含まれていなかった。食べ盛りの男子高校生としては少ないほうで、これで放課後の、ハードな練習に耐えられるのか、心配になったらしい。
 一度は大丈夫と言われたが、ずっと心に引っかかっていたのだろう。真剣な表情で見つめられて、菅原はあまりのくすぐったさに破顔一笑した。
「ありがとな。でも、大丈夫だって」
「でも」
「それは、日向の分だろ。ちゃんと全部食べろよ?」
 実は午後の授業を終えてから食べようと、ビスケットタイプの栄養調整食品を用意済みだ。でなければ、とてもではないがあのハードな練習を乗り越えられない。
 だが日向は、その事実を知らない。本気で菅原を心配しているのが窺えて、悪いと思う反面、嬉しさに胸がほかほかした。
「むむむ」
「でないと、大きくなれないぞー」
「ふが!」
 それでも彼は諦めず、眼力を強めて睨むのを止めなかった。ならばと茶化して頭を撫でれば、流石にショックだったのか、日向は吼えて仰け反った。
 菅原も自慢できるほどの上背ではないが、日向よりは十センチ以上高い。見上げなければならない後輩ばかりの中、見下ろせる存在は貴重だった。
 空中に残された手を引っ込めて、彼はカップ麺を持ち上げた。冷めつつあるスープを飲んで、伸び気味の麺を啜っていたら、ようやく観念したか、日向も食事を再開させた。
 最初こそもそもそと、面白くなさそうに食べていた彼だけれど、箸を動かす手は順調だった。速度も徐々に上がっていって、美味しそうに頬張る姿は可愛かった。
「ごちそうさま」
 一足先に器を空にした菅原が、両手を合わせて目礼する。つられて日向も会釈して、あと少しとなった自分の弁当と、汁まで飲み干されたカップ麺を見比べた。
 塩分がどうとかで、全部飲むのは身体によくない。そんな話をテレビで見たが、記憶が曖昧過ぎて注意出来ないのがもどかしかった。
「菅原さん、食べるの、速い」
 だからと代わりにそう言って、ぎゅうぎゅうに詰められていた米を箸で掬う。だが突然形を崩したからか、塊がバラけてしまった。
 大部分は弁当箱の中に転がったが、勢いよく弾けた分が縁を越えて外に飛び出した。もれなく彼の靴下に貼り付いて、日向は渋い顔でそれを拾った。
「あー、あ」
 なんと勿体ない事か。慌てなくても大丈夫なのにと笑い、菅原は腕に巻いた時計を盗み見た。
 開けっ放しの窓からは、色々な音が混じって聞こえてきた。
 笑い声、叫ぶ声、廃品回収のトラックもあれば、飛行機だろう轟音も微かに。
 けれど二人きりの室内は概ね静かで、快適だった。
 昼休みは、あと二十分近く残されていた。チャイムが鳴るまで何をしようか考えて、菅原は空の容器を差し出した。
「ほら」
「すみません」
「いーって」
 落ちてしまったものは、もう食べられない。どうせ捨てるものだから一緒に、と誘った彼に甘えて、日向は指に貼り付かせた米粒をこそぎ落とした。
 べたつく指先を捏ねて粘りを取り、弁当箱を膝に並べ直す。朝方持たされた時と比べると、容器は格段に軽くなっていた。
 副菜は残すところデザートの果物だけになり、白米もあと三口というところまで来た。ものの一分もしないうちに食べ終わる量で、菅原はそれを期待して彼を見つめた。
 しかし日向はなかなか箸を動かさず、手を出そうとしなかった。
「日向?」
「おれ、もうお腹、いっぱいかも」
 怪訝に問いかければ、返された台詞は予想を覆すものだった。
「え?」
 驚き、菅原は目を丸くした。誰よりも食い意地が張っており、幾度となく影山と肉まんを奪い合っていた彼の口から飛び出た台詞とは、到底思えない内容だった。
 呆気に取られて絶句して、瞬きばかりを繰り返す。それが気に入らなかったようで、日向は頬を丸く膨らませ、タコのように口を窄めた。
 不満を露わに睨まれて、それで菅原は我に返った。あと二回瞬きを追加して、彼は止まりかけた心臓を撫でた。
 変なところから汗が出た。じっとり湿った腋を気にして、菅原は制服の皺を押し潰した。
「……ホントに?」
 訝しげに尋ねれば、日向はさっと目を逸らし、顔を伏して俯いた。
 緩く握られた拳は、微かに震えていた。それが突然の腹痛によるものか、違う原因があるのかは分からない。顔色はさほど悪くなく、むしろ火照って赤いくらいだった。
 返事がないのを怪しんで、菅原は眉間に皺を寄せた。
「日向」
 ほんの少し、語気を強める。低めの声で凄まれて、それで観念したのだろうか。少年は小さくため息をつき、下唇を突き出した。
 上目遣いの眼差しに、菅原は愁眉を開いた。
「ダメだろ。ちゃんと食べなきゃ」
「だって、菅原さん。いつもおれより、先に食べ終わるし」
「そりゃあ、な」
 満腹なのは嘘だと見抜き、出来る限り優しく諭しかける。だが日向は首を振り、弁当箱を包み布に下ろした。
 その手前には、菅原が食べ終えたラーメンの容器があった。
 二段重ねの弁当箱と、カップ麺ひとつと。どちらの量が多いかは、比べるまでもなかった。
 当然、菅原の方が先に完食する。その後は日向がひとりで箸を動かすことになる。
 そんな五分にも満たない時間が嫌なのだと、彼は言った。
「おいおい」
 まさかの理由に、菅原は肩を落とした。
 一緒に食事を楽しむだけでなく、食べ終わる時間まで揃えて欲しいとは、いったいどんな我儘か。
 もっとも、そういう所が可愛いのだけれど。
 珍しく要望を口に出した彼に、菅原は困った顔で眉を顰めた。
 次からは、おにぎりの一つでも買って来ようか。月島ほどでないにせよ小食で、胃袋がさほど大きくない身には辛い選択だが、日向が望むのなら叶えてやるのが男だろう。
 そんな風に真顔で考え込んだ彼を見つめ、日向はぐっと息を飲み、白米の塊に箸を立てた。
「それに、菅原さん。食べ終わったら、いっつもおれのこと、じっと見てるから。なんか、すごく……」
「えっ」
 持ち上げる段階で崩れる前にと、先にブロックを壊して呟く。危うく聞き逃すところだった菅原は驚き、目を丸くして声を高くした。
 顎にやっていた手を外して背筋を伸ばし、呆気に取られてぽかんとなる。そんな間抜け顔を笑いもせず、日向は黙って米を口にした。
 顎を動かし咀嚼する彼を眺め、菅原は唖然としたまま額を叩いた。
「そ、そう……か?」
「そうです」
 知らなかった。
 絶句して、彼はきっぱり断言した後輩に冷や汗を流した。
 だが、確かにそうかもしれなかった。意識していなかっただけで、美味しそうに食べている日向を、気付けば目で追っていた。
 無自覚だった行動を、相手に気取られていたのが恥ずかしい。堪らずカーッと赤くなって、菅原は怒り心頭に弁当を片付ける日向に肩を竦めた。
 果物まできちんと食べ終えて、空にした容器を積み重ねていく。慣れた手つきに相好を崩し、菅原は照れ臭そうに頭を掻いた。
「俺に見られんの、イヤ?」
「別に、そういうんじゃないですけど」
 もしこんなことで嫌われたら、一生後悔する。念のため確認すれば、日向は口籠り、言い辛そうに目を泳がせた。
 瞳は左右を彷徨い、視線は絡まない。そこで照れる理由が分からないでいたら、会話が途絶えるのを嫌がった日向が小鼻を膨らませた。
「なんか、ずーっと見て来るし。お腹すいてるのかなって思ったけど、菅原さん、違うって言うし」
 物欲しげな眼差しを向けられるのは、落ち着かない。自分だけ沢山食べているのに罪悪感を覚えて、箸を動かし難い。
 だというのに菅原はラーメン一杯で足りると主張して譲らず、訳が分からない。
 理路整然とまではいかないものの、不満点を箇条書きにして並べていく。それで菅原も頭を整理して、やがてストンと落ちてきた答えに目を丸くした。
「ああ」
 思わずぽん、と手を叩いていた。ひとりで勝手に納得している彼をねめつけ、日向は口を尖らせた。
「菅原さん?」
「あー、なんだ。そゆことか」
「はい?」
「日向がいつも、すんげー美味そうに食べるから、さ。それだけで俺、満腹になれるんだわ」
 違う。
 偽善者の仮面を被り、早口に嘘を告げる。綺麗な衣服で飾り立てて、汚い内側を隠し、可愛い後輩には立派な先輩であろうと虚勢を張る。
 笑顔で言って、気付いてしまった気持ちを誤魔化す。九割の嘘に本音を一割だけ混ぜて真実味を持たせ、その奥に潜む淫らな欲望には蓋をする。
 日向の弁当を羨ましく思うし、愛情たっぷりの母の手料理を頬張る彼は可愛い。元気いっぱい、モリモリ食べる姿は愛おしい。
 だから、言わない。言いたくない。言えるわけがない。
 明るく活発で、無邪気で無垢な彼を、どうやって穢せるだろうか。
 美味しそうだと思っていたのは、もっと別のもの。
 食べたいと思ったのは、彼自身。
「やばいなあ、俺」
 こんなに可愛い後輩に好かれているというのに、それだけで満足できなくなっている。思った以上に重症だと頭を抱え、菅原は色の薄い髪を掻き毟った。
 果たして独り言が聞こえたのか、否か。
「食べてもいいのに」
 弁当包みを結んだ日向の言葉に、彼は勢いよく顔を上げた。
 

2014/9/5 脱稿