榛摺

 バレーボール部の朝は早い。特に県内でも強豪として知られている学校ならば、尚更に。
 それを承知で進学先に選んだわけだが、時々、この選択は間違いだったのではないか、と悔やむことがある。二口堅治が特にそう感じるのは、大体において早朝の練習に向かう最中だった。
「ふぁ、あ~あぁ……」
 今日も間近に迫る大会の為、早い時間から集合がかかっていた。
 本当なら、あと一時間は布団の中でゴロゴロ出来た。男子バレーボール部に所属さえしていなければ、もっとのんびり、ゆったりと過ごせただろうに。
 同じクラスの顔ぶれを思い浮かべ、二口は大きく開いた口を閉じた。眠そうに瞬きを繰り返し、もう一度こみあげて来た欠伸を零してふるりと身震いする。
 暦は五月末。初夏に向かって着実に気温は上がっているが、陽が昇って間もないこの時間帯はまだ少し肌寒かった。
「あ~、やだやだ」
 遠くに見え始めた学校を眺め、小さく愚痴を零す。周囲に人の姿はなく、独り言は風に溶けて消えていった。
 練習熱心な先輩方は、既に体育館に集合しているに違いなかった。中でもむさ苦しくてならない鎌先などは、ストレッチとは関係ない腹筋に勤しんでいるはずだ。
 よく言えば熱血漢、悪く言えば単純馬鹿。排球部でも際立って声が大きい上級生にゆるゆる首を振って、二口は欠伸の代わりにため息をついた。
「ちぇ」
 正直言えば、朝練への参加はあまり気乗りしなかった。何を好き好んで、こんな時間から汗だくにならなければいけないのか、意味が分からない。
 だというのに、足は真っ直ぐ学校に向かっていた。規則正しく前に進む己にも嘆息を追加して、彼はガリガリと頭を掻き回した。
 伊達工業高校。それが彼の向かう先にある学校名だった。
 男子バレーボール部は、昔から強いと評判だった。特に守りを重視しており、鉄壁の二つ名が示す通り、敵チームのスパイクを阻むブロックがこの学校の持ち味だった。
 将来の家業を継ぐという目標と、人より少し恵まれた体格を生かす目的の為に、中学三年の時に工業高校に進むと決めた。だが入学してみれば、男子校でもないのに教室は野郎の巣窟で、女子など両手で余る数しかいなかった。
「癒しが欲しいぜ、まったく」
 可愛い彼女を作る、という第三の目論みは、見事当てが外れた格好だ。
 体育館を揺らすほどの野太い応援も有難いが、青葉城西高校の及川ほどでなくても良いから、一度くらい、黄色い声援を送られてみたい。しかしそれを口に出そうものなら、途端に鎌先から「たるんでいる」と怒鳴られること確実だった。
 心底、あの男とは好みが合わない。三度目のため息に肩を落とし、ジャージのポケットに両手を突っ込んで、二口は猫背に背中を丸めた。
 やや前のめりの体勢で、黙々と足を運ぶ。嫌だ、いやだと思いつつも正門までの距離は残り僅かとなり、そろそろ覚悟を決めるかと背筋を伸ばした矢先だ。
 前方に、非常に目立つ後ろ姿が見えた。
 不真面目な二口と違い、真っ直ぐ天を向いて立っていた。まるで地面に根を下ろす巨大な樹木のようであるが、正真正銘、人間である。
 特徴があり過ぎて遠目からでもすぐ分かるチームメイトに苦笑して、二口は調子を取り戻して正門を潜った。
「よっ、青根」
「っ!」
 これまでの鈍足が嘘のような駆け足で進み、距離を詰めて大きな背中をぽん、と叩く。同時に軽い調子で呼びかけたのだが、返ってきた反応は予想しなかったものだった。
 びくっと大袈裟に肩を震わせての、警戒するような、怯えるような仕草に二口は目を丸くした。
 青根高伸といえば、二口と同じ伊達工業男子排球部に所属するミドルブロッカーのことだ。
 身長は百九十センチを超え、厳めしい顔つきと相俟ってかなりの迫力がある。無口なところも災いして周囲から誤解を多々受けているが、性格は非常に繊細で、心根はとても優しい青年だった。
 二口とは入学直後、バレーボール部に見学に行った時からの付き合いだ。見た目の所為で友人が少ない青根も、なにかと悪乗りしやすい二口に飽きもせず付き合ってくれていた。
 仲は悪くないと信じていた。だがその前提が覆されて、驚きが隠せなかった。
「おい?」
 あまりの事に、顔が強張った。何の冗談だと咎める声を上げた直後だ。
 青根がハッとした顔をして、いきなり走り出した。
 それも、走り方自体が妙だった。いつもは腕を前後に大きく振るくせに、今日に限って腕組みとでもいうのか、胸を抱くような形で駆けていく。
 担いだ鞄が背中でドスン、バタンと弾んでいた。取り残された形の二口は呆然と佇み、行き場のない手を震わせた。
 一体全体、どういうことか。何が何だかさっぱり分からない。
 ただ、友人であり、チームメイトである男に露骨に避けられ、逃げられた。それだけは確かだった。
「って、こら。待てっつの!」
 いきなり逃亡されて、それで納得出来るわけがない。思い当たる節も全くなくて、我に返った二口は叫ぶと同時に地面を蹴った。
 沸々と怒りが込み上げてきて、それを動力源に猛然とダッシュし、前を行く青根を必死に追いかける。向こうもそれが分かっているのか、ちらりと振り返って速度を上げた。
 振り切ろうとしていると知り、二口は男の意地を噛み締めた。
「てンめ……青根、この野郎! 待ちやがれ!」
 口汚く罵り、大声で怒鳴って砂埃を巻き上げる。朝早くから轟いた怒号を無視して、青根は器用な走り方で体育館脇を駆け抜けた。
 そして扉前を行き過ぎたところで、突如急ブレーキを踏んだ。
「んがっ」
 ズザザザザ、と地面に浅い溝を掘って急停車した青根特急に対し、二口は勢いを殺しきれなかった。思いがけない展開に目を白黒させてつんのめり、チームメイトを追い越しておっとっと、とたたらを踏む。
 あと少しで前転しながら倒れるところだった彼はぜいぜいと息を乱し、噴き出た汗もそのままに膝を折った。
 準備運動なしで全力疾走した所為で、心臓は爆発寸前だった。バクバク言う鼓動と耳鳴りに耐えて唾を呑み、彼は振り返って直立不動の青根を思い切り睨みつけた。
「ふざけンな!」
 からかわれ、振り回された。いくら朝練に遅刻するところだったとはいえ、こういうレベルの低い冗談に巻き込まれるのは我慢ならなかった。
 うっかり乗っかってしまった自分にも恥じ入って、八つ当たり気味に声を荒らげる。
 握り拳を震わせた二口を見て、けれど青根はふるふる首を振った。
 相変わらずの無口ぶりに、余計腹が立って仕方がなかった。
 ちゃんと口があるのだから、喋ればいいのだ。だのに巨漢のチームメイトは悲しそうに眉を寄せ、上唇を噛み締めた。
 なにかを訴える眼差しを向けられても、心の裡を読み解くのは不可能だ。苛立ちを強め、二口は荒々しく地面を踏みしめた。
「ンだよ。なんとか言えよ!」
 いきなり逃げ出した理由の説明が為されない限り、この怒りは収まらない。インターハイ予選を目前に控えての仲間割れは致命的と分かっていても、気持ちの切り替えは難しかった。
 短気を働かせた二口の声は、体育館の中にも当然届いていた。
 騒ぎを聞きつけ、登校済みだった部員が数人、開けっ放しの扉から顔を出した。
 その中には、三年生の鎌先の顔があった。部長である茂庭の姿もあった。
「どうしたんだ?」
「なに。ケンカ?」
 口ぐちに言って、彼らは顔を見合わせた。
 なんだかよく分からないが、二年生ふたりが向き合って睨み合っていた。このままでは殴り合いにも発展しかねず、一触即発の状況を重く受け止めて、苦労性の茂庭が止めるべく靴を履き替えた。
 不器用な手つきでスニーカーの紐を結ぶ彼に、呆れた鎌先もシューズを脱いだ。大所帯を示す大量の靴から自分のものを見つけ出して、外に出るべく爪先を押し込む。
 そうこうしているうちに、二口の堪忍袋の緒が切れた。
「文句があるなら言えつってんだろ。その口は飾りかよ」
 怒り心頭で怒鳴り、青根に掴みかかる。右手を下から振り上げた彼に慌て、真っ青になった青根は尚も首を振って後ろに下がった。
 右手を突き出して落ち着くようジェスチャーするが、逆効果にしかならない。二口はこめかみを引き攣らせ、喉元を広げた青根のジャージを捩じり上げた。
 瞬間だ。
「あ」
 体育館から地上に続く階段を駆け下りていた茂庭、並びに鎌先も、目の前で起こった出来事に騒然となった。
 呆気にとられて硬直した三年生の前で、小さな猫が、弱々しく鳴いた。ふみゃあ、というか細い声に鼻先を叩かれて、二口も目を点にした。
 絶句して、掴んだジャージもそのままに、一切の動きを止める。一方の青根は気恥ずかしそうに赤くなり、明後日の方向を見た。
「え、……なんだ。これ」
 どこまでも予想外過ぎて、ほかに言葉が思いつかない。呆気にとられ、二口は余所向く青根に瞬きを繰り返した。
 ジャージから顔を出した猫は、生後一ヶ月も経っていないくらいの小ささだった。か細く震え、鳴き声は小さい。目やにが溜まっており、汚れが目立った。
「お前、ちょ、……ええ?」
「…………」
 動揺激しく捲し立て、二口は頭を抱え込んだ。右手を広げて二歩後退し、よろめく身体を支えて膝を震わせる。茂庭と鎌先も彼に合流して、三人は揃って青根を見つめた。
 視線を浴びた青年は恥ずかしそうに俯いて、胸元に陣取る子猫の頭を恐る恐る、撫でた。
 太くて長い指に擽られ、猫がまた鳴いた。甘えるような音色に一瞬心奪われて、ハッと我に返った二口は心持ち嬉しそうなチームメイトに鳥肌を立てた。
 先ほどの追いかけっこで、青根が変な格好で走っていたのを思い出した。
 あれは、もしや子猫を抱えて落とさない為だったのか。
 では、突然逃げ出したのは、何故か。
「どうしたんだ、青根。その仔」
 奇妙な沈黙が続く中、伊達工業排球部の心の支え、茂庭部長が代表して尋ねた。もっとも口数が極端に少ない青根だから、当然言葉で説明するはずがなかった。
 彼は黙って、ジャージから手のひらサイズの子猫を引き抜いた。差し出された方は唖然として、ガリガリに痩せた体躯に眉を顰めた。
 親猫とはぐれたのか、それとも心無い飼い主に捨てられたのか。出自は分からないが、ともあれ放っておけばあと数日で命が尽きてしまいそうな雰囲気だった。
 悲痛な眼差しを向けられて、茂庭は口をヘの字に曲げた。
「かわいそうだから、拾って来ちゃったのか」
「!」
 首輪はなかった。身元を証明するものも、何も身に着けていない。今朝の青根に降りかかった出来事を想像しての言葉に、本人は大袈裟に頷いた。
 風が唸るレベルで首を縦に振られ、鎌先が苦笑した。
「まあ、お前らしいっちゃ、らしいけどよ」
 道端をよろよろ歩いていたのか、それとも段ボール箱の中で震えていたのか。どちらにせよ、見かねて連れて来てしまったところが、青根の性格を如実に表していた。
 強面ながら優しい彼を褒めた上級生をこっそり睨み、二口は面倒事を持ち込んだチームメイトに踏ん反り返った。
「てゆーか、どうするんですか、これ」
 自分の怒りは、まだ完全に消滅していない。青根が変な体勢で走っていた理由は説明がついたが、顔を見るなり逃げられた件については、まだ解決していないのだ。
 強面のミドルブロッカーが動物にも優しいのは良く分かった。いや、そんなことは前から知っている。改めて教えられたところで、どうとも思わなかった。
 それよりも、その猫だ。
 泥に汚れ、おそらく蚤もいるだろう生後間もない子猫を学校に連れて来て、彼はいったいどうするつもりだったのか。
 大男四人に囲まれて心細げにしている子猫を指さし、二口は憤然と吐き捨てた。いつになく険しい口ぶりに鎌先は眉を顰め、茂庭も困った顔で頬を掻いた。
「うーん、そうだよねえ。確かに、放っておくわけにはいかないけど」
「青根が責任持って飼うんだろうな?」
 見捨てられずに学校に連れて来た青根の選択は間違いではないが、正解だとも一概には言えない。目を逸らして呟いた部長の言葉を武器にして、二口は嫌味たっぷりにチームメイトを仰ぎ見た。
 途端に眉無しの巨漢はびくつき、助けを求める目を三年生に向けた。
「二口、テメー、性格悪りぃな」
「なーんでですか。こういうのは、拾ったやつの責任でしょう」
 鉄壁の一角を担うミドルブロッカーが狼狽えたのは、彼の住まいが動物禁止のマンョンだからだ。それを知った上での発言に鎌先が茶々を入れたが、二口は何処吹く風とやり過ごした。
 不遜に言って肩を竦め、落ち込んでしょんぼりしている青根をちらりと盗み見る。子猫は彼の手の中で、自分の処遇が相談されているとも知らず、呑気にニーニー鳴いていた。
 雄か雌かは、まだ不明だ。白い毛に黒い模様が入り、尻尾は短かった。
 どこかで見た気がする風貌だが、よくある柄なので深く考えない。それよりもまずは、この子猫をどうするか、だ。
 早くしないと、監督が来てしまう。追分に見つかったら、保健所行きはほぼ確定だった。
「いいじゃないですか、もうそれで」
「……っ」
 面倒にはなるべく首を突っ込まない性分の二口が、話を切り上げようと捲し立てた。それに青根が首を振って、縋るように茂庭の後ろに回った。
 もっとも、隠れるどころの話ではない。丸見え状態の二年生を呵々と笑って、鎌先は腕組みを解いた。
「ンなカリカリすんなや。たかが猫くらいで」
 いかにも単細胞な、頭の中まで筋肉らしい男の台詞だ。何か策があるわけでもない発言に茂庭は深いため息をつき、話にならないと二口は舌打ちした。
「いいっすね、鎌先サンは馬鹿で、気楽で」
「ああ? なんだテメー、喧嘩売ってんのか」
「こらこら、やめなさい」
 八つ当たりの対象を移した二口に、瞬時に鎌先が反発した。飛び散った火花は茂庭が払い落として、騒動の発端となった青根はしょんぼり小さくなった。
 いつもなら茂庭が青根に命じて止めさせるのだが、今、彼の手には子猫が握られている。簡単に潰れてしまいそうな小さな命を慈しむ後輩に、部長は改めて渋い顔をした。
 なんとか打開策を絞り出そうとしている上級生を横に見て、未だ怒り収まらぬ二口は忌々しげに唾を吐いた。
「つーか、青根。てめえ、なんで俺の顔見て逃げたんだよ」
「それは、アレだろ。お前にバレたら捨てられちまうとでも思ったんだろ」
 原点に戻り、正門でのあの酷い対応について青根に問う。しかし返答は、全く違う場所から為された。
 振り返った先には、笹谷が眠そうな顔で立っていた。
「はい? ちょっと、ひどくないですか。いくらなんでも、そんな」
「けどさっき、お前、保健所行き勧めてたじゃねーか」
 青根が抱く子猫を顎でしゃくった三人目の三年生に、二口は慌てて反論を試みた。けれどいつから聞いていたのか、笹谷は淡々と告げると、同意を求めて周囲を見回した。
 茂庭と鎌先が揃って頷き、最後に視線を浴びた青根も、観念したのか小さく頷いた。コクン、と縦に振られた首に騒然となって、二口は孤立無援の状況に背筋を粟立てた。
「しっかしちっせーな。これ、マジで生きてんの?」
「あんまり乱暴にしちゃダメだって。けど、参ったな。どうしようか」
「…………」
「部で飼うのは?」
「難しいんじゃないかなー。病院にも連れていかないとだし、餌代もかかるし。そういうのって、部費から出すわけにもいかないだろ。大体、夜の間は誰も面倒見てやれないじゃないか」
 一方的に悪者扱いされて納得がいかない二口を余所に、笹谷が子猫を小突いた。その遠慮のない仕草に茂庭が見かねて声を荒らげ、次々降ってくる難題に頭を悩ませた。
 鎌先が提示した、部室でこっそり飼う案は、早々に廃棄された。一番良いのは引き取り手を探す事だが、それだって色々と段取りが必要だ。
 大の男たちが輪を作り、子猫を囲んでうんうん唸る。傍から見れば不気味な光景の真ん中で、つぶらな眼の猫は愛嬌たっぷりに尻尾を振った。
「青根、そいつちょっと貸せよ」
「鎌先、危ないって」
「ヘーキだっての。うお、軽っ」
 男ばかりの汗臭い空間に、突然現れた痛烈な癒し。皆がほんわか心を温める中、興味本位で手を出した鎌先が青根から子猫を奪い取って、不慣れな手つきで胸に抱きかかえた。
 白と黒が混じりあう毛玉は急な環境の変化に驚き、怯えてか丸くなった。その微かな、けれど確かな体温を太く逞しい腕で受け止めて、筋肉馬鹿は仰々しく目を丸くした。
 こんなに小さくて軽いのに、ちゃんと生きているのだと実感した。途端に愛おしさが強まって、感動に胸が震えた。
「茂庭、これさ……」
「だから、ダメだって」
 父性を疼かせたチームメイトに、しかし部長は冷静だった。最後まで言わせず遮って、彼は二対四つに増えた縋る眼差しに肩を落とした。
 これでは練習が始められない。体育館で待っている他の部員たちも、そろそろ奇異に思って表に出てくる頃だった。
 浮足立っているチームメイトと、憤懣やるかたなしの二口とを交互に見比べて、茂庭は最後に笹谷を見た。
 彼は鎌先が恐る恐る抱きしめている子猫をじっと見つめた後、眉目を顰めて小首を傾げた。
「なーんか、なんかに似てるんだけどな」
「ん?」
「ああ、それ、俺もさっき思いました」
 どこかで見覚えがあると嘯いた彼に、茂庭が怪訝に眉を寄せた。二口も同じものを感じていたのですかさず同意して、彼らは揃って首を捻った。
 鎌先も子猫を抱えあげ、額から目の横に向けて、流れるように分かれた黒い毛並みに見入った。
 それは俗に言う、ハチワレという柄だった。
 頭の天辺は黒く、鼻の周囲は白い。瞳の周囲も黒い猫が多い中で、青根が連れてきた子猫は眉毛の辺りまでしか黒色が来ていなかった。
 まるで前髪を、真ん中で分けているようだ。最初は近所に飼い主がいるのを疑った茂庭も、二人の指摘が全く異なる部類と気づいて思案顔を作った。
 ごく身近な場所に、こんな風に前髪を分けた人物がいた気がする。
 詰まるところそういう事だと判断して、彼もまた目を細めて子猫を見つめた。
「誰だっけか。居たよな、絶対」
「芸能人?」
「いや、そんなんじゃなくて。うちの学校で、えーっと」
「……?」
 唸る笹谷に応じ、茂庭が声を高くした。それを鎌先が否定して、青根も興味津々に目を輝かせた。
 この場にいる全員が見覚えあると言うのに、該当する人物が一向に出てこなかった。
 額を突き合わせ、ああでもない、こうでもないと皆が意見を出し合う。その最中、たかが猫の模様くらいで、と一番早く冷めた二口の視界に、小柄な影が紛れ込んだ。
 正門から体育館へ通じる、つい先ほど通ったばかりの道を、息せき切らしながら走っている。
 艶々した黒髪を額の中央で左右に分けて、伊達工業のジャージを着て駆けてくる、その青年は。
「あっ」
 背伸びをした二口は、直後に目を丸くして子猫を覗き込んだ。続けてまた伸びあがり、近付いてくる人物に瞬きを繰り返した。
 彼の声に反応し、鎌先と笹谷もそちらを見た。遅れて青根、茂庭と続いて、肩を上下させながら息を整える後輩に息を呑んだ。
「あ――」
「あ~……」
「す、すみません。おくれ、ちゃい、ました」
 伊達の鉄壁は、連なる巨体のブロッカーを指しての言葉。しかし強靭なミドルブロッカーだけでなく、守備専門のリベロもまた、その名に恥じぬ活躍を見せていた。
 大柄な選手揃いの部の中で、最も小柄な一年生。
 汗だくになった作並は湿った前髪を撫でつけると、体育館の前で勢揃いのレギュラーに不思議そうな顔をした。
「あの、……僕の顔に、なにか」
「いや、なんつーか」
「そうだな。そりゃ見た事あるわな」
「クリソツってほどじゃねえけど、似てなくわない、か」
「はい?」
 高い位置からまじまじと見下ろされ、気味が悪い。遅刻して怒られるとびくびくしていた彼は、何かと比べられている事実に気づいて眉目を顰めた。
 鎌先の手の中でうとうとし始めた子猫。
 鉄壁の一角を担う成長途上の一年生。
 その両方を視界に収め、何故拾わずにいられなかったかを理解した青根は満足そうに頷いた。

 追記。
 子猫は後日、無事、貰われていきました。

2014/1/9 脱稿