剔抉

 耳を澄ませば遠く、騒ぐ人の声が聞こえた。
 複数人の男が揃ってダミ声で歌い、踊り耽っているのだろう。誰しも赤ら顔で、陽気に笑い転げているに違いなかった。
 様子を思い浮かべていたら、赤鼻のトナカイという歌を不意に思い出した。時期的にもあまりにタイミングが良くて、雲雀恭弥はひっそり口元を緩めた。
 そうとは分かり難い笑みを浮かべ、目を細める。優雅に組んでいた脚の左右を入れ替えて、彼はソファに凭れかかった。
 クッションは十分で、見る間に身体が沈んでいった。少し柔らかすぎる感触にも苦笑して、男は天井のシャンデリアから目を逸らした。
 眩しさに負けて目を瞑り、深呼吸を三度繰り返す。その間も賑やかな歌声は、天井や壁を通り越して響いて来た。
 酔っぱらって呂律が回っていないようで、何を言っているのかさっぱり分からなかった。メロディも滅茶苦茶で、原曲は完全に行方不明だった。
 けれど誰もそれを注意しないし、怒りもしない。むしろ囃し立て、もっと歌えと拍手喝采を送っていた。
 数分だけ居合わせた光景を蘇らせ、雲雀は小さく肩を竦めた。
「やれやれ」
 口を開けばため息しか出ない。思い出しただけで頭痛がしてくる景色を追い出して、彼は眉間の皺を指で伸ばした。
 揉み解すように動かして、最後に前髪を掻き上げる。黒髪は空気を受けて膨らんで、視界の上辺で踊って沈んで行った。
 再び額を覆ったそれを今度は脇へ払うが、すぐに中央に戻って来た。
 まるでここに居ないと落ち着かない、と主張されているようだ。目に掛かって鬱陶しいそれに舌打ちして、彼は居心地が良すぎて落ち着かないソファで身じろいだ。
「やっぱり切ろう」
 昔からずっとこの長さを維持して来たけれど、そろそろ変えても良いころだ。
 前々から思っていたものの、なかなか実行に移せずにいた。けれど今度こそ短く切り揃えてやろうと誓いを新たにして、雲雀は膝の上で両手を結びあわせた。
 爪先を蹴り上げて靴底を晒し、少しだけ静かになった空気に頬を緩める。そろそろ来るかと勘を働かせていたら、案の定、三十秒後に部屋がノックされた。
「どうぞ」
 遠慮がちな音に鷹揚に頷いて、横柄に応える。それに合わせて身を起こした彼の前で、重厚な木製のドアがゆっくり押し開かれた。
 内開きの戸の向こうから顔を出したのは、疲労度がマックスを越えた年若い青年だった。
 蜂蜜色の髪は四方八方に向けて跳ね、まるでハリネズミかなにかのようだ。琥珀色の瞳は疲れている所為かややくすんだ彩を放ち、上物のスーツには皺が目立った。
 目の下の隈が、彼の心理状態、並びに健康状態をこれでもか、というほどに主張していた。
「失礼します……」
 尻すぼみに小さくなる声で頭を下げられて、雲雀は思わずソファから腰を浮かせた。
 立ち上がって駆け寄るか逡巡し、一秒後に思い直して座り直す。身を落ち着かせた彼に微笑んで、青年は若干心許ない足取りで部屋を横断した。
 近付いてくる影を、雲雀は深く長い嘆息で出迎えた。
「随分と元気そうだね」
 皮肉を口ずさめば、青年は照れ臭そうに笑った。
「そう見えます?」
 やり返す気力も残っていないらしい。大袈裟な身振りで肩を竦め、彼はゆるゆる首を振って向かいのソファに倒れこんだ。
 膝から崩れるように座り込み、太い肘掛けに寄り掛かる。疲労が一気に噴出したらしく、その状態のまましばらく動かなかった。
 瞼も固く閉ざされて、一瞬で眠ったのかと不安になった。
「小動物?」
「その呼び方、いい加減やめませんか~……」
 試しに話しかけたら、くぐもった声ながら返事があった。重ねた腕の隙間から瞳だけを覗かせて、ハリネズミもどきの青年は不満げに頬を膨らませた。
 力のない口調だったが、拗ねているのは十分伝わった。雲雀は呵々と笑ってやり過ごし、右手を肩の高さで振った。
「僕より大きくなったら、改めるよ」
「縦にですか。横にですか」
「勿論、縦に、だよ」
 涼やかに告げ、口角を歪める。不遜に言い切った男をひと睨みして、青年は深々とため息をついた。
 その条件だと、一生叶いそうにない。向こうもそれが分かって言っているのだから、始末に負えなかった。
 嫌味な男に肩を落とし、青年は倦怠感に包まれた身体をひっくり返した。
 正しい体勢でソファに座り直して、彼は額を覆う前髪を両手で梳き上げた。
 そのついでに両頬をぺちりと叩き、自分で自分に気合いを入れる。窄めた口から息を吐く様を見守って、雲雀は頬杖をついた。
 リラックスしている男を正面に置いて、若きボンゴレ十代目は仕切り直しだと笑った。
「急な呼び立てに応じてくださり、ありがとうございます」
 そうして堅苦しい口調で、畏まってお辞儀をする。深々と頭を下げた青年に目を眇め、雲雀は背筋を伸ばした。
 一応は礼節を弁えようとして、しかしすぐに面倒臭くなった。生真面目に応じてやる義理はないと思い直し、彼は左を上に脚を組むと、両手を膝で重ねあわせた。
 空を蹴った爪先に焦点を定め、沢田綱吉は相変わらずの男に苦笑した。
 もしこの場に獄寺が居たら、なんと失礼な奴だ、と騒ぎ出しそうだ。もっとも現実には、自称綱吉の右腕は不在で、彼を咎める声は聞こえてこなかった。
 誰よりも偉そうで、それでいてそれが良く似合う男だ。幼いころから人の上に立つのに慣れた青年に微笑み、綱吉は四肢の力を抜いた。
 今更雲雀に取り繕ったところで、何が変わるわけでもない。緊張するだけ無駄と悟り、ボンゴレ十代目を就任した若者はだらしなくソファにしな垂れかかった。
 まるで昔流行った、脱力系のキャラクターのようだ。愛らしいクマの顔を思い浮かべ、雲雀は自分の顎をとんとんと叩いた。
「ねえ。もしかして君、太った?」
 そして思案気味に小首を傾げ、静かに問うた。
 どこかの大広間では、依然どんちゃん騒ぎが続いていた。聞きたくなくても聞こえてくる野太い歌声に眉間の皺を深め、綱吉は嫌そうに顔を顰めた。
 眉間の皺が深くなり、不機嫌が一気に表に現れた。
 今の彼なら、子供を泣かせられそうだ。人畜無害を絵に描いたような青年の豹変ぶりに驚き、雲雀は切れ長の目を丸くした。
 珍しいものを見た。一年の終わりに、貴重なワンカットを手に入れた。
 素晴らしいクリスマスプレゼントだと内心笑っていたら、不愉快だとねめつけられた。
「これで太らない方が、どうかしてますよ!」
 怒鳴られて、雲雀は嗚呼、と緩慢に頷いた。
 力いっぱい振り下ろされた手は、ソファの肘掛けに呆気なく沈んだ。やわらかいクッションに衝撃を吸収されて、綱吉は遅れて顔を赤くした。
 音は全く響かなかった。怒りを露わにしたつもりが滑稽な結果にしかならず、恥じ入っている様子が窺えた。
 コロコロと表情が変わるのを楽しく見守って、雲雀は顎をしゃくった。
 無言で壁の向こうを示されて、綱吉も同じ方角に目を向けた。
 ただそこに、これといって特徴あるものはなかった。瀟洒なチェストが置かれ、年代物の食器がこれ見よがしに飾られているくらいだ。
 もっとも雲雀が言いたかったのは、そんなアンティークにまつわる薀蓄ではない。壁越しの騒動に耳を傾け、綱吉は明らかに苦しい腰回りを撫でた。
「こっちの人がなんであんなにふくよかなのか、良く分かりました」
「朝からずっと?」
「正確には、昨日の夜からです」
 一番使用頻度が高いベルトホールから、既に三つも緩めている。それでも窮屈さを覚えているところからして、どれだけ胃袋が膨らんでいるのかは想像が容易だ。
 もうそろそろ、はちきれてもおかしくない。下剤の世話になろうか真剣に悩んでいる青年に、雲雀は堪え切れず噴き出した。
「むぅ」
 目の前で腹を抱えられては、穏やかでいられない。露骨に口を尖らせて拗ねた綱吉に笑いながら謝罪して、雲雀は引き攣って痛い胸郭を上下に撫でた。
 痙攣を起こしている横隔膜を宥め、ひっく、としゃっくりのように息を吸ってから姿勢を正す。だが綱吉は、目を合わせてくれなかった。
 元からご機嫌斜めだったところに、拍車をかけてしまった。自分の行動を顧みて反省し、雲雀は困った顔で頬を掻いた。
 今日はクリスマス。キリスト教圏では一番の祭りの時期だった。
 日本とは違い、イタリアではこの日、家族と共に時間を過ごす。そして綱吉は、多くのファミリーを抱えるマフィア、ボンゴレの新米後継者だった。
 ボスを継承したばかりの青年を祝福すべく、本拠地である古城には各地のファミリーが一斉に押し寄せていた。地元の名産品をわんさか持ち込んで、広間は瞬く間に大宴会場と化した。
 ボンゴレ抱きかかえのシェフたちはここぞとばかりに腕を揮い、豪勢な料理を大量に用意した。飲み干されたワインのボトルは、もう数えきれない。いっそ樽のまま持ち込もうかと、本気で考えたくなるハイペースぶりだった。
 歓迎されているのが分かって、それはそれで嬉しかった。クリスマスという大切な日に、一緒に過ごしたいと思われているのは光栄だった。
 けれどそれにも、限度というものがある。あちらは一通り騒いで気が済めば帰っていくが、綱吉はずっと、この城にいなければいけないのだ。
 つまり、やっと終わったと安堵する暇もなく、次のファミリーの接待をしなければならない、ということだ。
 前の一席で散々飲み食いしたと断ろうにも、ボスが自分たちの用意したものに手を付けてくれなかった、と泣かれたら抗いきれない。結果、満タンだった腹が更に膨らんで、そろそろシャツのボタンも吹き飛びそうだった。
「いいの? 主催が来客を放置して」
「クロームに、幻覚を作ってもらいましたから」
「ああ。ズルいね、あれ」
「でもそう長くは誤魔化せないって」
 ずっと立ちっ放しだったのもあり、体は限界に達していた。油断すると眠りそうになる。アルコールも入っているので、寝ようと思えば一瞬で叶うだろう。
 魂が半分抜けかけた状態で手を振られ、雲雀は他の守護者たちに思いを馳せた。
 嵐の守護者、獄寺隼人とは一瞬だけ覗いた広間で会った。もっとも、挨拶すらしなかったのだけれど。
 雨の守護者である山本武なら、少しだけ話をした。姿を見つけて向こうから近づいてきて、簡単に近況を報告し合った。
 晴れの守護者こと笹川了平は、婚約者との約束を優先させて、今回は欠席らしい。雷の守護者である牛小僧は、そこにいる大空の守護者以上に丸々と太り、広間の床に転がっていた。
 他にも大勢、見知った顔に、覚えのない顔が集まっていた。
 跳ね馬ことキャバッローネのボスも、綱吉並みに丸くなっていた。しばらくすればもとに戻るだろうが、年々その期間が長くなっていると愚痴っていた。
 いずれ馬でなく、肥えた豚になりそうだ。そう感想を述べ返したら、何故か霧の守護者である六道骸に後ろから蹴られてしまった。
 一触即発の事態に陥って、気分が悪いと言い訳してその場を離れた。そして通されたのが、この部屋だった。
 派手でなく、かといって地味でもない調度品に飾られた客間で待った時間は、そう長くなかった。
「六道骸にやらせればいいじゃない」
「誰かさんが怒らせた所為で、とっくに帰っちゃいましたよ」
「それは失礼」
 嘗て牢獄に幽閉されていた男は、その意志を行使するための代理人を用意した。
 その後男は自由を取り戻し、代理人はお役御免となったわけだが、どういう理屈か、彼女は未だ男に付き従い、行動を共にしていた。
 もっとも何から何まで一緒、というわけではないらしい。現に骸は姿をくらましてしまったが、クロームは城に留まり続けている。
 両者の力の差は歴然としているが、彼女もその辺の幻術使いより余程優秀だ。もう暫くは問題ないと判断し、雲雀は幻覚が食べた料理はどこへ行くかをぼんやり考えた。
 表面上は謝罪しつつも、まるで悪いと思っていない口調だった。態度に不満を抱いて小鼻を膨らませ、綱吉は盛大に嘆息して両足を投げ出した。
 座りを浅くして、背凭れに上半身を深く埋めて横になる。本格的に眠るつもりでいる彼に眉を顰め、雲雀は組んでいた足を解いた。
「牛になるよ」
「あいにくと、牛はすでにうちにいます」
「なにそれ」
「だって、もお~。俺、お接待疲れました」
 最初はよかった。勧められるまま平らげて、その美味に大いに満足した。
 けれど休む間もなくやってくるファミリーに愛想を振りまくのは、負担も大きかった。
 人をもてなすのがこんなにも疲れるものだとは、知っていたが、改めて痛感した。陽気なイタリア男はスキンシップも過多で、度々背後から抱きつかれるのも正直迷惑だった。
 体格も良い成人男性に突進されて、食べたものを何度も吐きそうになった。
 酔っぱらうと人は理性の箍が緩み、力加減が利かなくなる。思い切り背中を叩かれて悶絶した回数も、片手では足りない。
 酒は苦手なのにワインを何十回と勧められ、気づかれないようバケツに捨てるのも心苦しかった。
 人に良い顔ばかり見せて、そのうち笑顔の仮面を被っている気分になった。雲雀を言い訳にして抜け出してきて、ホッとして力が抜けたのは否めない。
 重すぎる荷物を背負わされて、体も心も悲鳴を上げていた。
「そういう仕事だろう」
「でも、今回は……きつい」
 心底げんなりした声で返事をして、綱吉は天を仰いだ。
 腹も、精神も、引き裂けそうだった。やっと落ち着いてきた腹部を撫でてゲップをして、彼は眩しい照明から目を逸らした。
 雲雀はゆっくり立ち上がり、形よく結んだネクタイを緩めた。
「なら、気分転換に運動でもする?」
「――え?」
 結び目に指を入れ、左右に揺らしてから一気に解く。シュッ、と衣擦れの音と共に遠くへ飛び去った布を目で追って、綱吉は首を擡げた。
 ただでさえ大きな眼を真ん丸にして、続けてシャツの第一ボタンを外した男に騒然となる。襟元を広げ、雲雀は黒い上着を脱ぎ捨てた。
 風を受けたジャケットが、ゆっくり後ろのソファに沈んでいった。紫のシャツに合わせたベスト姿の男が不遜に微笑み、綱吉に迫った。
 一気に身軽になった雲雀が、距離を詰めてくる。不穏なものを感じ取り、ドン・ボンゴレはソファの上で縮こまった。
「え、ちょ。待って、俺、まだ心の準備が」
 こんなみっともなく出た飛び出した腹を晒すのも、弛んだ脇腹を擽られるのも遠慮したかった。
 酒宴の場を出たばかりなので、全体的に酒臭く、煙草の脂臭さも服に染みついている。せめてシャワーを浴びてから、とぐるぐる目を回していたら、雲雀が不敵に笑った。
 綱吉のベルトより先に、風が切れた。
「なに言ってるの?」
「――……っ」
 間近から不思議そうに聞かれて、小動物と称される青年は冷や汗を流した。
 鋭利な突起を露出させたトンファーが、首筋に押し当てられていた。
 いつ取り出したのか、全く見えなかった。
 益々動きに磨きがかかっている。心の中で最大級の賞賛を送り、綱吉は薄皮一枚切り裂いた棘に生唾を呑んだ。
 タイミングがちょっとでも狂っていたら、頸椎を抉られていた。動脈を断ち切られ、鮮血が噴出する様を想像し、彼は青くなった。
 雲雀が言った運動とは、つまり。
「あの、……」
「ちょっとは成長したか、確かめさせてよ」
「いや、それも、ちょっと」
 勝手に勘違いして恥ずかしいのもあり、口籠っていたら尚も詰め寄られた。冷たい金属で首筋を撫でられて、ぞぞぞ、と蟻が這うような悪寒が背筋を駆け抜けていった。
 しどろもどろに弁解を図るが、恐怖で筋肉が強張り、呂律が回らない。おまけに頭も働かなくて、綱吉はだらだら汗を流して頬を引き攣らせた。
 不格好な笑みを向けられて、雲雀は妖しげに目を細めた。
 大きく振りかぶり、
「ほら、いくよ」
「うぎゃあああぁあぁあああ!」
 冷徹な宣告に、綱吉は断末魔の叫び声をあげた。
 両腕で頭を庇い、背中を丸めて小さくなる。ソファの上で縮こまり、最もダメージが少なくて済みそうな構えを作って息を止める。
 ほんの一瞬の間に過去の出来事が脳裏を駆け抜け、これが有名な走馬灯かと意識を遠く手放そうとした瞬間だ。
 振り抜かれたトンファーが。
 ポンッ、と。
 軽い音と共に、弾けた。
「――え?」
 刹那、綱吉の目の前にカラフルな花が咲いた。
 旋風のような爆風を浴びて、琥珀色の瞳が点になった。巻き上げられた前髪がもとに戻るその前に、紙吹雪がひらひらと視界で舞い踊った。
 バネでも仕込んであるのか、鮮やかな赤い花はひょんひょんと跳ねていた。それがどこから出ているかと言えば、他ならぬ雲雀の持つトンファーからで。
 綱吉を殴る直前で手前に軌道を変えた武器は、まるで隠し芸の秘密道具かのような状況になっていた。
「な、……っ」
 雲雀自身も何が起きているのか分かっていない様子で、青い顔でわなわな震えていた。
 色白の肌が見る間に真っ赤に染めかえられて、額に掛かる黒髪がぶわっ、と不自然に膨らんだ。いつもなら細くも頑丈なチェーンが飛び出してくるトンファーは、今日に限って全く違うものを仕込まれていた。
 目をぱちぱちさせて、惚けていた綱吉はちょん、と指で花を小突いた。
 生花に見える精巧さだが、造花だ。花弁を何重にも配して、緑の茎も見事に再現していた。
 ちゃんと棘まであった。見事なバラの花に唖然として、綱吉は降ってきた紙片に首を振った。
「え、……えっと?」
 これはいったい、どういうことだろう。
 雲雀に殴られそうになったのは、分かる。それを回避すべく綱吉はソファで丸くなり、打撃に耐えようとした。
 けれど覚悟した痛みは訪れず、代わりに紙吹雪が部屋を彩った。
 直前で軌道を変えた雲雀のトンファーから飛び出したのは、凶器でなく、美しい薔薇の造花だった。
 指を伸ばし、揺れている花をちょんちょん、と続けて突っつく。これを作った人はかなりの凝り性らしく、鼻を寄せれば噎せるほどに濃い芳香が鼻腔を撫でた。
 香水を染み込ませてあるらしかった。手が込んでいると苦笑して、綱吉は上目遣いに前を窺った。
 雲雀は仁王立ちのまま、顎が砕けそうなくらいに奥歯を噛み締めていた。
「草壁……殺す!」
「うわあ」
 その一言だけで、誰の仕業か分かってしまった。
 雲雀の側近中の側近は、彼の愛器の管理も一手に任されていた。主人に忠実でありながら悪戯心のある男は、もしかしたらこうなることを見越し、あらかじめ準備していたのかもしれなかった。
 本当に、草壁には敵わない。悔しいが彼は、誰よりも雲雀を理解していた。
 リーゼントの男を思い浮かべ、綱吉は改めて花が飛び出したトンファーを見た。
 雲雀がそれを握っていた。
 非常に苦々しい顔をして、いつになく恥ずかしそうな顔だった。
「……ぶふっ」
 それらを同時に目にした瞬間、堪えられなくなった。
 両手で顔を覆うのも間に合わなかった。盛大に噴き出して、綱吉はソファの上でじたばた暴れ出した。
「ぶは、くはっ……うひゃ、ふはははは、ブヒャー!」
「ちょっと。笑わないでよ。やめなよ。この……だから、笑うな!」
「だ、だって、これ……やだ、もー。ヒバリさんってば、ダメだ、おっかし……隠し芸大会はまだ早いですってば。ひー」
 腹を抱え、脚を前後に揺らしてドスドスソファを蹴り飛ばす。笑い過ぎて腹筋が痛い。息を吐くより吸う回数の方が多くて、飽和状態に陥った肺が痙攣して胸まで苦しかった。
 頼んでいないのに涙が出て、上手く喋れない。何度もしゃっくりを繰り返し、綱吉は最後、ソファの肘掛けに顔を埋めた。
「小動物!」
「うひゃあははは、すっげえ。スゲー。草壁さんってばサイコー」
 そこにいるのが雲雀だというのも忘れ、長く忘れていた感動に胸を満たす。昨晩から延々続く晩餐会の疲れも、一瞬でどこかへ吹き飛んでしまった。
 息ひとつするのもままならない状態で四肢を戦慄かせ、綱吉は全力で笑い転げた。
 一方我慢ならなかった雲雀はといえば。
「笑うな!」
 憤り、電光石火の早業でもう一本のトンファーを引き抜いた。
 慣れた手つきで伸縮式のそれを引き伸ばし、そのまま一気に振り下ろす。目指すは綱吉の脳天。顔面を叩き割る勢いで、容赦なかった。
 だが綱吉も、今度は黙ってはいない。
「せいっ!」
 超直感を働かせ、一撃がヒットする直前を狙って柏手を打つ。真剣白羽取りの要領で左右からトンファーを掴んだ、その一瞬後。
 ポポポンッ、と先ほどと同じ炸裂音が部屋を埋め尽くした。
 ぶわっ、と再び茶色の髪が捲れ上がった。閃光が突き抜け、紙吹雪が高く舞い上がった。
 そして一緒に、なにかが宙を走った。
 いったいどうやって収納していたのか、超小型の黄色い鳥が翼を広げて空を駆けた。それが羽ばたくのに合わせて紙吹雪がひらひら踊って、まるで雪でも降っているかのようだった。
 雲雀がいつも連れている小鳥の、半分ほどのサイズだろうか。羽根の動きが若干ぎこちないのは、人の手で組み立てられた機械だからだ。
 それは天井近くをゆっくり旋回した後、重力に引っ張られて徐々に高度を下げた。
 そして。
『メリークリスマス、メリークリスマス』
 仕込まれていた電子音声を、軽やかに響かせた。
『アッカイオッハナノー、トナカイサンハー』
 やや調子外れの音程で歌い、パタパタと懸命に翼を動かす。草壁はこんなことも出来るのかと吃驚したが、そういえばあの男は、ジャンニーニと仲が良かった。
 隠れてこそこそ打ち合わせる男二人の図が浮かんで、滑稽で仕方がなかった。
「すげー……」
 頭に大量の紙切れを付着させ、綱吉は感嘆の息を漏らした。両手を広げて待っていたら、小型の鳥型マシンはきちんとそこに着地した。
 一曲披露して、得意げに胸を張って。
 呆気にとられた雲雀が見守る前で。
『……え、あー……うん。メリークリスマス、綱吉。……いや、違うな。メリー・クリスマス。駄目だ、僕らしくない』
 ガガガ、と不愉快なノイズを鳴らしたかと思えば、突然そこにいる男の声が流れ始めた。
 綱吉も突然の変容に驚き、明らかに盗聴と分かる独り言に絶句した。
 慌てて前を見れば、雲雀は綱吉以上に青い顔をしていた。瞬きも忘れて凍り付き、凶器でもなんでもない武器を取り零して背を戦慄かせる。
「く……さかべええぇ!」
「うひゃあ」
 そして憤怒の形相で怒鳴り、綱吉の手から小鳥を奪い取ろうとした。
 握り潰さん勢いで迫られて、綱吉は咄嗟に彼から逃げた。ソファの上で仰け反って、追いすがる手を避けてひょい、ひょい、と巧みに躱していく。
 生意気な反応に激昂し、雲雀は頭から煙を噴いた。
「綱吉!」
「ヤです。あげません」
 引き渡すように求められて、綱吉は突っぱねた。大事に小鳥を抱きしめて、べー、と舌を出した。
 これはきっと、草壁からの贈り物だ。クリスマスプレゼントだ。
 だから自分のものだと主張して、綱吉は精緻な機械に頬を緩めた。
 満面の笑みを浮かべて言い切られ、雲雀はぐっと押し黙った。いったいいつ録音されたのか、全く気が付かなかったと自分を恥じて、彼は生涯で一、二を争う醜態に耐えかねて蹲った。
 頭を抱え込み、煙をぷすぷす吐く。落ち込んでしまった男に肩を竦め、綱吉は小鳥の頭を撫でた。
 本物とは違う触り心地に少しだけ切なさを覚え、振り切ってソファから降りる。立てた膝に両手を並べてしゃがみ込んで、綱吉は可愛らしく首を傾げた。
「本物のヒバリさんは、言ってくれないんですか?」
 慣れないことをやろうとして、練習したのだろう。まだ聞いていないと呟けば、彼は嫌そうに顔を歪めた。
 そして笑う綱吉の頬を抓り、自分の方へ引き寄せた。

2013/12/21 脱稿