Cyclamen

 甘い香りが、辺り一帯に広がっていた。
 噎せるほどの強い匂いに誘われて、まるで蝶の如く引き寄せられた。小振りの鼻をヒクヒクさせて、アリババは白い大理石の手すりから大きく身を乗り出した。
「なんだろ」
 階下に落ちないよう注意しつつ、前に出たまま首を傾げる。呟くが近くには誰もおらず、答えは得られなかった。
 眼下には、緑の芝に覆われた庭園が広がっていた。四方を建物に囲まれた長方形の空間は、片隅に腰を据える背凭れのないベンチが置かれ、日頃から人々の談笑の場として利用されていた。
 東から注がれる陽光を巧みに取り入れた中庭は、まだ朝早い時間帯でありながら、十二分に明るかった。
 そこに数人の文官、並びに武官の姿があった。数は合計で十五人ほど。しかし武官の手には、本来持つべき槍や剣といったものは握られていなかった。
 代わりに抱えられていたのは、白い大きな袋だった。ほかに、木組みの箱もあった。二人掛かりでやっと持ち上げられるようなサイズが複数、次々に庭の中央へと運び込まれていた。
「どうかしたのかい、アリババ君」
「ああ、アラジン。おはよう」
「おはようございます、アリババさん」
「モルジアナも。おはよ」
 高い位置から見ていると、まるで蟻が働いているようだ。手すりに凭れながら眺めていたら、後方から声がかかった。
 振り返れば、見知った顔が並んでいた。
 まだ少し眠そうな顔の少年に手を振って、アリババは気さくに挨拶を返した。
 アラジン、そして、モルジアナ。そこにアリババを加えた三人は、奇妙な縁で結ばれた間柄だった。
 生まれも、育ちもまるで違う。けれどどういう理屈か、彼らは出会い、一旦は別れ、そしてまた出会った。
 今は南海に浮かぶ島国、シンドリアで故あって生活している。国王であるシンドバッドの計らいによって食客として扱われ、緑射塔の一室を与えられていた。
「ひどいよ、アリババ君。先に行くなんて」
「あはは、ごめんって。よく寝てたからさ」
 部屋は広く、三人が並んで寝ても十分な広さの寝台が置かれていた。これまでの質素な生活からかけ離れた居住環境に、一番戸惑っていたのは紅一点のモルジアナだ。
 床で寝る、と言い張る彼女を寝台に引っ張り上げるのは大変だった。
 けれど努力の甲斐あって、今では彼女もアリババやアラジンと枕を並べて眠っている。昨晩も楽しい一日を過ごしたお陰で、アリババが目覚めた時、残るふたりはまだ夢の中だった。
 起こすのは忍びなくてこっそり出てきたのだが、追い付かれてしまった。拗ねられて、アリババは杖を片手に迫るアラジンに笑って謝罪した。
 両手を合わせてへこへこする彼に、アラジンも溜飲を下げた。元からさほど怒っていなかったのは明白で、あっさり終わった喧嘩に、モルジアナは顔を綻ばせた。
 そしてアリババが食堂にもいかず、風通しの良い通路で佇んでいた理由を察し、クン、と鼻を鳴らして右手に視線を向けた。
「とても甘い香りがします」
「やっぱり? だよなあ」
 淡々と結論だけを述べた彼女に同調し、アリババは頷いた。
 自分の鼻がおかしかったのではないと知って安堵し、再度腰ほどの高さの手すりから身を乗り出す。顔を下向けた彼に倣い、残るふたりも同じ方角に目を遣った。
 しかしこの位置からでは、中庭で何が行われているのかさっぱりだった。
 もし分かるとしたら、強靭な肉体と、人間離れした感覚を持ち合わせているファナリスくらい。赤髪の少女はじっと一点を見つめ、やがて不思議そうに首を傾げた。
「なにかを選別して、袋に詰めているみたいです」
「へえ……?」
 目に見えた光景をその通り言葉に表すが、いかんせん率直過ぎて逆によくわからない。緩慢に相槌を打ったアリババは、ここで論議していても始まらないと肩を竦めた。
「行ってみるか」
「そうだね。食堂も、ちょうどあっちだし」
「はい」
 食客も含め、城内に住まう人々の為の食堂は、あの中庭を越えた先にあった。
 途中で傍を通るので、ついでに覗いていけばいい。アラジンの提案にモルジアナも同意して、三人は揃って歩き出した。
 人気の乏しい通路を進み、階段を駆け下りて一階へ。中庭との距離が狭まるにつれて、皆が感じていた甘い香りも徐々に強まっていった。
 朝食前の空腹の身には堪える匂いだ。思わず涎を垂らし、アリババは意地汚く口元を拭った。
 それは花の香りといったものとは種類が異なる匂いだった。
 簡単に言えば、嗅いでいると否応なしに食欲が刺激された。湯気立つ美味しい料理を団扇で煽り、その風を浴びていると言えば分りやすいだろうか。
 香りが強くなるにつれて気が急いて、足取りも速くなった。最終的に小走りになって、子供たちは一斉に中庭に飛び出した。
「うわあ!」
「すげえ。なんだ、これ」
 明るい陽射しの下に出て、彼らは歓声を上げた。やっとはっきり見えた光景に丸い頬は紅に染まり、見開かれた瞳は興奮と歓喜に彩られた。
 表情が乏しいモルジアナも、驚きのあまり目を丸くした。最も幼いアラジンなどは、手放しに喜んで飛び上がっていた。
「おや、三人とも。おはようございます」
「あ、ジャーファルおにいさんだ」
「おはようございます、ジャーファルさん」
 そんな彼らに、大人たちはすぐ気が付いた。動き回る集団を指揮していた青年が代表して振り返り、早朝から元気な子供たちに顔を綻ばせた。
 アラジンたちも、すぐに彼に反応した。緑色のクーフィーヤを被り、シンドリア王国の官服を身に纏った青年に明るく挨拶して、事情を聞こうと一目散に駆けつける。
 餌に群がる小鳥のようだ。まだ産毛でモコモコしている雛を想像し、ジャーファルは目尻を下げた。
 シンドリア王国は、近年この地に誕生した小国だった。
 国を率いるシンドバッドが豪傑というのもあり、国土は狭いながら、その発言力は非常に大きかった。戦争によって住む場所を追われた人々を多く受け入れており、国民の大半は元難民だ。
 放浪の果てに永住の地を得た人々の顔は明るく、笑顔に満ちていた。アリババも複雑な人生を送っていたが、この国の力強さには沢山の勇気と希望をもらった。
 そんなシンドバッド王の傍には、彼を支える八人の英傑がいた。
 そのうち半数が、王が冒険者だったころからの友人だ。深い絆で結ばれた彼らは、八人将と呼ばれて国民から慕われていた。
 そこにいるジャーファルも、八人将のひとりだった。
 暗殺術に長けていると聞いているが、見た感じはごく平凡な青年だ。年齢の割にやや幼く見えるのは、鼻の周囲に残るそばかすが原因だろう。
 クーフィーヤに隠れた髪は銀色で、まるで月光のような輝きを放った。しかし日中は官服着用の為、日の目を見る機会はあまりなかった。
 相好を崩した彼に駆け寄り、アラジンが興味津々に箱の中身を覗き込む。少し遅れてアリババが続き、モルジアナが最後尾についた。
 子供たちの存在は城内でも有名で、誰も彼らを咎めなかった。武官のひとりなどは好奇心旺盛なアラジンににこやかな笑みを浮かべ、ほら、と手にしたものを彼に示した。
 それは握ると簡単に砕けてしまいそうな、薄い焼き菓子だった。
「うわあ、おいしそう」
「内緒だよ」
「わーい。ありがとう、おじさん!」
 人差し指を唇に当てながら渡されて、アラジンは大はしゃぎだった。秘密だと言われているのに声を張り上げ、満面の笑みで甘い香りの菓子を一口に頬張った。
 サクッ、と軽やかな触感の後に、柔らかくて優しい味が広がっていく。初めての経験に少年は目を見張り、息を呑んだ。
「~~~! ~~~~っ!」
 これまで食べてきた菓子とはまるで別次元だった。長い後ろ髪を尻尾のようにぴょんぴょん揺らして、アラジンは言葉にし得ない感動を全身で表現した。
 口を開けば美味しさが逃げていってしまいそうで、喋れない。毬のように中庭を飛び跳ね回る彼に笑みを浮かべ、ジャーファルは手を休めている部下たちに目配せした。
 子供たちをからかうのはいいが、仕事はちゃんとやって貰わなければ困る。期日までもう間がないとの無言の訴えに、和んでいた武官たちも大慌てで頷いた。
 畏まった彼らにホッと安堵の息を吐き、彼は駆け戻ってきたアラジンに肩を竦めた。
「なにこれ、ねえ、これ。ジャーファルおにいさん、これってなぁに?」
「お気に召しましたか?」
 シンプルな中に深い味わいが込められていて、美味しかった。素朴さが気に入ったと目を輝かせる幼子に、青年は嬉しそうにはにかんだ。
 飛んだり跳ねたりしていたアラジンに圧倒されたアリババも、はたと我に返って目を瞬いた。興味深そうに木箱の底を覗き込んで、まだたくさん残っている、大量の焼き菓子に眉を顰める。
 匂いの中心に居過ぎて、少し酔ってしまった。後ろに数歩ふらついた彼をモルジアナが急いで支え、やはり強烈な甘い香りに渋面を作った。
「すごいですね」
「いったいどうしたんですか、これ」
「ええ、まあ。ちょっとね」
 これだけの量を、いったいどこで消費するのか。ひとりでは到底食べきれないし、もちろん城中の人を集めても難しいだろう。
 火が入っているので日持ちはするだろうが、それでもせいぜい十日程度が限界だった。
 当然の疑問を口にしたアリババに、ジャーファルは言葉を濁し、作業中の部下たちを振り返った。
 彼らは木箱の中に入っていた、さらに小さな箱を丁寧に取り出し、順番に開けていった。中に入っていた菓子は、今度は文官たちの手によって、小さめの袋に数個ずつ詰め直していった。
 出来上がった小袋は、空になった木箱へ再び戻された。その際、中身が押し潰されて割れてしまわないよう、配慮も欠かさない。
 赤色が眩しい紙製の袋をひとつ手渡され、アリババは小首を傾げた。
 中に入っているのは、先ほどアラジンがこっそり分けてもらった菓子だ。ほかにも見た目が少しずつ違う菓子が何個か、一緒に詰め込まれていた。
「内緒ですよ」
「は、あ」
 あの武官のように人差し指を立てて言われ、アリババは緩慢に頷いた。
 反応が芳しくない彼に苦笑して、ジャーファルは腕を下ろした。改めて忙しく動き回る若者らを眺め、始業の鐘を気にして一度天を仰ぐ。
「業務外にすまなかったね」
「いいえ。弟たちが楽しみにしてますんで」
「これくらい、なんてことありませんよ」
「?」
 その後労いの言葉をかけた八人将に、武官も文官も揃って首を振った。
 彼らはこの菓子が何を目的に集められ、どう使われるのかを知っているらしい。けれどアリババたちには何がなんだか、さっぱり分からなかった。
 怪訝にしていたら、ジャーファルが言葉を選んで目を泳がせた。
「この国の王が、なんと言えばいいのか……とにかく、祭が好きなのは知っているね?」
「うん!」
 説明に苦慮しつつ問うた彼に、アラジンが代表して元気よく返事をした。
 南海生物が島を襲った後の一大イベントは、彼らも体験済みだった。
 人々は夜遅くまで食べ、踊り、歌い、酒を飲み、羽目を外して遊び、楽しんだ。島中に笑い声がこだまして、賑わいは陽が昇る直前まで続いた。
 毎日があんな風だったら疲れるが、たまにあるととても嬉しい。顎が痛くなるまで笑い転げたのも久しぶりで、時が経つのを忘れられた。
 思いだし、アリババも頷いた。音楽に合わせて舞い踊った記憶を蘇らせ、モルジアナも首肯した。
 期待通りの返事を得て、ジャーファルは目を細めた。
「その王、シンですけれども。シンドリアを興す前は冒険者として各地を巡っていたのも、もちろん」
「知ってるよ~」
 七つの海を渡り歩き、七つの迷宮を攻略した英雄、シンドバッド。その冒険は書にしたためられ、多くの人の目に触れることとなった。
 アリババの愛読書に話が及び、聞きかじっていたアラジンがまた出しゃばった。右腕を高く挙げた彼に顔を綻ばせ、ジャーファルは最後、困った顔でため息をついた。
 右手を頬に添えて、シンドバッドの人となりをよく知る男は深く肩を落とした。
「ジャーファルさん?」
「皆さんもご存じの通り、シンドリアは歴史が浅い国です。無人島を開拓していますので、先住民は居ません。国民の多くは故郷を追われた難民で、生まれた場所は各々違います。習慣も、風習も、いわゆるこの国に根差したものはなにもないに等しいのです」
「……は、あ」
 どうしたのかと見守っていたら、彼は堰を切ったかのように喋り出した。
 日頃の鬱憤を晴らすかのように早口で、珍しく身振りを交えて熱弁をふるう。唾を飛ばして力説する彼に、ちょっとついていけなかった三人組は呆然と目を点にした。
 けれどジャーファルは構わず、握り拳を作って思い切り地面を蹴りつけた。
「つまりです。これがどういうことか分かりますか。あの男はですね、簡単に言ってのけましたよ。ないなら、作ればいい。故郷を懐かしむ人たちが大勢いるのなら、その国々で執り行われていた祭も取り入れていけばいい、と」
「は、はあ……」
 気が付けばジャーファルのこめかみに青筋が浮かんでいた。瞼はぴくぴく痙攣し、眉は吊り上って鬼のような形相だった。
 子供が見れば泣きそうな表情で捲し立てられて、アリババはぽかんとしたまま相槌を打った。
 ほかに何を言えばいいというのだろう。言葉はなにも浮かんでこなかった。
 王の身勝手に振り回される部下の辛苦を訴えられて、同情するのは簡単だ。けれどそれでジャーファルの気が済むのかといえば、そうとも限らない。
 よその国や地方の祭りを積極的に取り入れて、言いだしっぺのシンドバッドはさぞやご満悦だろう。けれど祭事を楽しむ人がいる一方で、準備や片づけに追われる人も、確実に存在した。
 政務官として国政を一手に担うジャーファルは、間違いなく後者だ。
「大変なんだねえ」
「本当ですよ」
 最後は愚痴になった。アラジンに慰められ、彼は力なく呟いて首を振った。
 クーフィーヤの上から髪を掻き回したジャーファルを見上げ、アリババは掌中の袋に目を落とした。
 かぐわしい匂いが漂い、朝食前の胃袋を容赦なく刺激した。思わず唾を飲んで、彼は最後の疑問を口にした。
「じゃあ、これも?」
「ええ。くりすます……とかいう、北方の国々に共通する祭らしいです。白髭の老人が、子供たちにプレゼントを配って回るとかいう」
「へええ」
 袋を揺らした彼に頷き、ジャーファルはこめかみに指を置いた。とんとん叩いて記憶を掘り返し、うろ覚えの知識を披露して遠い目をする。
 子供たちは感心しきりに頷いて、興味深そうに赤色の袋を見つめた。
 聞けば、祭が行われるのは五日後とのことだった。当日は城門前に子供を集め、菓子の入った袋を手分けして配るという。
 最初はなじみが薄かったので、希望者は少なかった。しかし回数を重ねるに従って、菓子を求める子供で大混雑するようになった。
 去年はこの国に居なかったので、アラジンたちが知らないのも当然だ。また食べられるかもしれないと考えるだけで涎が垂れて、食い意地の張った少年に皆が笑った。
 きゅるきゅる腹の虫を鳴かせている友人に嘆息し、アリババはジャーファルから譲られた紙袋を彼の前に垂らした。
「いいのかい?」
「ひとりで全部食うなよ」
「分かってるって。やったー。モルさん、向こうで一緒に食べよう」
「はい、ありがとうございます」
 途端に少年は生気を取り戻し、飛び上がって万歳した。受け取ったものを大事に胸に抱えて、赤髪の少女の手を引いて威勢よく駆け出す。
 騒々しい彼らに苦笑して、アリババは業務外でも忙しい男に相好を崩した。
「当日は、俺も手伝いますね」
「いいえ、君はもらう側ですよ」
「俺、そんな子供じゃないですけど」
 人が沢山詰めかけるのなら、配り手も多い方が良いに決まっている。こんなに早くから準備をしなければならないくらいなので、人手が足りていないのは自明だった。
 けれど申し出はあっさり却下されて、アリババは拗ねて頬を膨らませた。
 こういう表情をするところが、まだ子供な証だ。目尻を下げて微笑んで、ジャーファルは朝日を受けて輝く金髪に手を伸ばした。
 跳ねて天を向いている、まるで角のようなひと房に触れて軽く梳き、ぽんぽん、と撫でてやる。けれど彼の機嫌はなかなか直らず、振り払う形でそっぽを向かれてしまった。
 臍を曲げてしまった子供に苦笑して、ジャーファルは困ったものだと首を掻いた。
「て、いうか」
「うん?」
「その祭り、なんか……不公平です」
「なにが?」
 そこへ低い声が紛れ込んだ。口を尖らせたアリババは、トーンを落として声を絞り出した。
 最初はとても良い祭りだと思った。しかし聞いた話を頭の中で反芻するうちに、あまり嬉しくないと感じた。
 プレゼントをもらうのは、子供だけだ。大人は配るばかりで、見返りはない。これでは笑顔になれるのも、子供だけではないだろうか。
 慢性的な財政不安を抱えているシンドリア王国の、国費を削ってやることではない。ちょっと考えればアリババですら分かるというのに、シンドバッドの思いつきを止めもせず、甘んじて受け入れているジャーファルも信じ難かった。
 不貞腐れた表情の少年を見下ろし、シンドリアの政務官は成る程、と嘆息した。
 彼の意見は理解できる。発言には一理ある。
 けれど利益を求めるばかりが、国の為すべきことではない。
 それに、そもそもアリババは大前提からして間違えている。
「ちゃんともらってますよ、私たちも」
「冗談を――」
「子供たちの笑顔は、なによりの宝物ですから」
 朗らかに告げられて、反論しようとしたら口を塞がれた。にっこり笑顔で人差し指を押し付けられて、唇を開くわけにいかなくなったアリババは騒然となった。
 訥々と紡がれた言葉に、後ろで聞いていた文官たちも一斉に頷いた。
 先ほどの彼らの会話を思い出して、アリババは苦虫を噛み潰したような顔で押し黙った。
 将来、この国を背負って立つのは子供たちだ。だから大人は、彼らを守ろうとする。慈しみ、労わり、育んでいく。
 そうやって、世界は回っていた。
 アリババも遠い昔、母に無償の愛を注がれて育った。立場を置き換えれば理解は簡単で、先ほど突っかかった自分がどうしようもなく恥ずかしかった。
 論破された少年は俯こうとして、耳の先まで赤くなった。
 ジャーファルの指が退いてくれなかった。
 わざとなのか、彼はアリババの唇をなぞって動かなかった。これでは下を向くのも難しく、ましてや口を開くなどもっての外だった。
 乾いた皮膚を擽られ、ふに、と緩く捏ねられた。盛り上がった柔らかな肉を上下から挟んで持って、薄い隙間に親指の爪を擦りつけもする。
 動き回る部下たちからは見えないように、秘めやかに愛撫を繰り返す。勿論押し退けるのは簡単だったが、アリババは逃げようとしなかった。
 これしきで真っ赤になる初心な少年に破顔一笑し、ジャーファルは意地悪く目を眇めた。
「でも君がどうしても、というのなら、大人だけの祭、教えてあげても良いですよ?」
「……え?」
 菓子をもらって喜ぶうちは、まだ子供だ。だから言わなかったのだと食堂のある方角に目を遣って、男は密やかにほほ笑んだ。
 アリババが目を見張り、真意を問うて首を傾げた。無垢な反応に気をよくして、ジャーファルは左手で口元を覆い隠した。
 長い袖を揺らめかせ、政務官としてではない、野生の獣の眼をその陰から覗かせて。
「わが国で子供が生まれるのは、十月が一番多いんですよ」
 意味ありげに囁き、笑う。
 一瞬意味が分からなかったアリババはきょとんとなった後、じっくり考えこんでそのまま地面に蹲った。
 全身茹蛸でしゃがみ込んだ少年を呵々と笑い、ジャーファルは菓子より甘い夜を想像して目を細めた。

2013/11/15 脱稿