鼎談

 綿菓子の上に寝転がっている気分だった。
 ふわふわして、気持ちがよい。天地が逆になってもまるで気にならず、重力から解放されて四肢は羽のように軽やかだった。
 穏やかに風が吹き、綱吉の意識を優しく運んでくれる。眼下に花畑が見えて、彼は顔を綻ばせた。
 遠く澄みわたる青空には虹の橋が架かり、緑に覆われた大地が果てしなく続いていた。緩やかな丘陵線の彼方には海が広がり、日の光を浴びて宝石箱のようにきらきらと輝いていた。
 目を見張る絶景に胸が高鳴る。何故自分はカメラを持ってこなかったのかと、到底フィルムに焼き付けるなど不可能な光景に、彼は頬を紅潮させた。
 出来るものならこの素晴らしい世界を、多くの人に見てもらいたかった。
 こんなにも色鮮やかで華やかな場所があると知れば、人々は終わりのない虚しい戦いに終止符を打ち、安らかな気持ちになれるに違いない。
 誰かに殴られるのも、誰かを殴るのも嫌だった。手と手を取り合って、互いに協力し合って生きていければ一番良いのに。
 これまでに経験してきた戦いの数々を振り返って、彼はほう、と息を吐いた。寝床にしていた綿雲の上で寝返りを打ち、抱き締められそうなくらいに近い空に両手を伸ばす。
 みんなともっと分かり合いたい。啀み合うのではなく、面と向き合って思いの丈をぶつけ合いたかった。
 もっともそれはとても難しい事で、日常から心がけていても実行に移すのはなかなか困難を極めた。
 一番思いを分かち合いたい人とだって、頻繁に口論してしまう。思いが強すぎるからこそ我が強く出て、譲れない面が大きく出て来てしまうのだろう。
 十本並んだ指の隙間から空色を眺めて、綱吉は脳裏に描き出した青年の姿に目を細めた。
 この美しく素晴らしい景色を、あの人と一緒に眺められたなら。
 天にも昇る幸せを想像して頬を緩めて、彼はもう一回転、ごろりと寝返りを打った。
 瞬間だ。
「――――ッぎゃ!」
 それまで寝床にしていた雲が一気に霧散して、綱吉の身体は天高い場所から地上目掛けて一直線に沈んでいった。
 闇が迫り、恐怖に負けて強く瞼を閉ざす。直後、肩から腰、膝にかけての右半身に凄まじい衝撃が襲いかかった。
 息が詰まり、全身に痺れが走った。四肢を引き攣らせて硬直し、自分の身に何が起きたのかと目を白黒させる。慌ただしく瞬きを繰り返して眼前を凝視すれば、涙で霞んだ世界に奇妙な柱が浮かび上がった。
 いや、違う。これは柱などではない。
 テーブルの脚だ。
「いっ、つあ、ぁ……」
 激痛に呻き、下敷きになっている右腕を助け出そうと仰向けに寝転がる。今度は背中に軽い衝撃が来た。冷たく固い床の感触に、彼は荒い息を吐いて唾を飲み込んだ。
 自分が落下した崖が、さほど遠くない位置に見えた。黒一色の革張りソファを仰いで苦虫を噛み潰したような顔をして、鼻を愚図らせて唇を噛む。
「まだ寝てるの?」
「起きました!」
 蛍光灯が眩しい天井から目を逸らして首を右に倒せば、遠くから皮肉とも取れる質問が投げかけられた。
 反射的に怒鳴って返して、肋骨に響いた痛みに苦悶の表情を浮かべる。脇腹を抱えて仰け反り、そのついでにうつ伏せに姿勢を変えた彼を見下ろして、執務机の前に腰掛けた青年はやれやれと肩を竦めた。
「凄い音だったけど」
 チェックを終えた書類を処理済みと書かれた箱に入れて、雲雀がぼそりと呟く。汚くは無いが綺麗でもない床に突っ伏した綱吉は、ずきずきする腰を撫でながら奥歯を噛み締めた。
 そりゃあ、そうだろう。なにせ寝ぼけた人間がひとり、ソファから落ちたのだから。
 その瞬間まで夢の中に居たわけだから、当然受け身を取るどころの騒ぎではなかった。どこの骨にも異常が出ていないのは幸いだが、今しばらくは激痛に身悶えることになりそうだ。
 左手を顎の下に敷いて顔を少し浮かせて、綱吉は涙を堪えた。音立てて鼻を啜り、一寸動かすだけでズキン、と木っ端微塵に砕けてしまいそうな右半身を意識から切り離そうと試みる。
 無防備に尻を向けている少年を上から下まで眺めて、雲雀は利き手に持ったボールペンをくるりと回転させた。
 落ちた時、そして体勢を入れ替えた時の弾みで、ズボンに押し込んでいたシャツの裾がはみ出ていた。仰向けでなかったのが残念だが、引き締まった腰のくびれにも充分満足して、彼はふっ、と目を細めた。
「落ちそうだな、とは思ってたんだけどね」
 狭いソファで昼寝などするから、こんな目に遭うのだ。
 いつか絶対落ちると密やかに思っていたら、本当に落ちた。これまで際どいところまで行きつつも、寸前でどうにか回避して来ていたのに、今日に限ってあの驚異的なバランス感覚は発揮されなかった。
 高速で一回転したペンを握り締めて、雲雀が不遜に笑う。どこか楽しげな声から彼の表情を想像して頬を膨らませて、綱吉は意を決して身体を起こしに掛かった。
 左腕に力を込めて、上半身を持ち上げる。広げた掌を床に押し当て、右手も補助に使って膝を立てる。
 一気に立ち上がるのは無理と諦め、まずは床に腰を下ろす。たったそれだけでも息が切れて、ようやく鎮まりかけていた右肩の痛みまでもが蘇った。
 見れば制服も、少しだが汚れていた。細かい筋になっている埃を払い落として襟を撫で、彼は口元を手で覆い隠している男を睨み付けた。
 案の定だ。声は押し殺しつつも、震える肩で雲雀がどんな顔をしているのかは楽に予想がついた。
「思ってたんなら、助けてくれてもいいのに」
 夢の中にいた綱吉が、雲の上で寝返りを打ったのにあわせて、どうやら現実の世界でも彼はごろりと身体を反転させていたらしい。
 ソファは人ひとりなら楽に寝転がれる程のスペースがあるけれども、ベッドとは違ってさほど幅は広くなかった。同じ方向に二度も寝返りを打てば、誰だって床目掛けて真っ逆さまだ。
 危ないと思っていたのであれば、先んじて対応策を講じてくれればよかったのだ。それを放置して、落ちるに任せていたなど、酷すぎる。
 ぷっくり頬を膨らませて口を尖らせた彼に苦笑して、雲雀は手を下ろした。肘を立てて両の指を絡め合わせ、その上に顎を置く。不敵な表情にどきりとして、綱吉は慌てて顔を背けた。
 急に湧き起こった気恥ずかしさに耳の先まで赤くして、急ぎ身なりを整えて立ち上がろうとする。先ほどまで横になっていたソファに、今度はきちんと座ろうとして。
「いづっ!」
「クピィィィ!」
 腰を沈めた瞬間、臀部に突き刺さった鋭い棘にふたり分の悲鳴が重なり合った。
 もっとも、正確にはひとりと一匹分、だ。
 潰されそうになったハリネズミが、慌てた様子でソファから滑り落ちた。丸くなってごろりと床に転がり、先ほどの綱吉同様衝撃に目を回す。
「うわあ、ごめん。ロール、忘れてた」
「酷いね、君」
 自分の痛みも忘れて膝を折り、綱吉は哀しげに鼻をヒクつかせた小動物に手を伸ばした。そうっと抱き上げて撫でてやっていたら、執務机から一向に動こうとしない雲雀がため息混じりに呟いた。
 反射的に振り返って、綱吉は目を吊り上げた。不満をありありと顔に出して、痛そうにしているハリネズミには優しく手を差し伸べる。
「俺だって、悪かったと思ってますよ」
 ロールはつい先程まで、綱吉の腹の上で一緒に昼寝をしていた。しかし彼が寝返りを打つ際に脇へ追い遣られ、そのままソファの上に取り残されていた。
 落ちた時の衝撃で、彼の事をすっかり忘れてしまっていた。踏んでしまったのを丁寧に詫びて、性格の悪いご主人様にはあっかんべーと舌を出す。生意気な態度に、雲雀はムッと眉間に皺を寄せた。
 無言の睨み合いが続いて、最後に綱吉はふんっ、と鼻息荒くしてそっぽを向いた。可愛らしい生き物を膝に抱いたまま、改めてソファに座り直して背凭れに身を委ねる。
「酷いのはどっちだよ」
 確かにロールの上に座ろうとしたのは綱吉の落ち度だけれど、きちんと反省して、ちゃんと心を込めて謝った。ところが雲雀は、どうだ。ソファから落ちそうになっているのを知りながら放置して、痛がる綱吉を見て笑っていたではないか。
 神様が審判を下さずとも、誰が一番の悪人かははっきりしている。拗ねてぼそぼそ呟いて、綱吉はキュィ、と可愛らしく鳴いたロールに目尻を下げた。
「お前はホント、ご主人様に似ないで可愛いよなー」
「それ、どういう意味」
「いいえ、べっつにぃ?」
 細長い鼻の先を小突いてやれば、ハリネズミが小さくくしゃみをした。愛らしい仕草に顔を綻ばせて嫌味を口に出せば、聞き捨てならないと即座に反発が返って来た。
 それを茶化して首を振り、語尾を伸ばし気味に呵々と笑う。小癪な態度に腹を立てて、雲雀の顔は見る間に不機嫌に染まった。
 夢の中で感じた、彼と一緒に素晴らしい彩りの世界を眺めたい、という気持ちはすっかりどこかに消え失せてしまっていた。売り言葉に買い言葉でいつものように喧嘩調子になって、後から嫌という程後悔するのに同じ失敗を繰り返してしまう。
 本当は綱吉だって、ちゃんと分かっていた。
 寝返りを打ってソファから落ちるまでに、そう時間はかからなかったはずだ。風紀委員会の仕事に励み、手元に集中していた雲雀が気付いた時にはもう、駆けつけたところで間に合わない状態になっていたのだろう。
 けれど、ならば素直にそう言ってくれればいいのだ。変に余計なひと言を付け足したりするから、綱吉も突っかからずにいられなくなる。
「ふんだ」
 出来るものならもっと気持ちに正直になりたいのだけれど、ちゃちなプライドが邪魔をしてなかなか上手くいかない。拗ねて頬を盛大に膨らませ、どっかりソファに座り直した綱吉は、掌に乗る小動物に密やかに微笑んだ。
 ふたりの不仲を心配して、心優しい獣が不安げにおろおろしていた。この子は雲雀の匣アニマルであり、いわば彼の分身に近い存在であるから、もしかしたらあの男の心中もこんな状態なのかと思うと少しおかしい。
 可愛らしい仕草に心を解きほぐして、綱吉はそうっと、執務机に陣取る風紀委員長を窺った。
 彼は相変わらず仏頂面をして、頬杖ついて明後日の方角を見ていた。
 なにも無い壁にも視線を投げやって、綱吉は落胆に肩を落とした。諦めにも似た哀しみと同時に、胸がむかむかして治まらない。少しくらい譲歩の姿勢を見せてくれれば許してやらなくもなかったのに、その片鱗すら感じ取れなかった。
「なんだよ、ヒバリさんってば」
「聞こえてるよ」
「うわ、ひゃっ」
 ロールの棘を指で突っつきつつ、小声で不満を口にする。しかし室内は、静かだ。音量を絞ったつもりでいても、想像以上に声は響いた。
 不意を衝く台詞に戦き、弾みで綱吉の指が滑った。目測を見誤り、先端も鋭い針に人差し指が突き刺さった。
 ちくりと、熱い痛みが指先に襲いかかった。
 尻を刺された時のように布の上からではなく、直接皮膚を抉られた為に痛みはより鮮明だ。彼は咄嗟に肩を跳ね上げ、発作的に左手に抱いていたロールまで握り締めようとした。
「クピィ!」
 身の危険を感じたハリネズミが慌てて身体を丸くして、綱吉の手から飛び降りた。床ではなくソファに着地して、這々の体で肘掛けの方へと逃げて行く。
 だがぎりぎり間に合わず、左手の中指と親指にも痛みを覚えた。焼けるような衝撃に見舞われて、激痛に耐える最中で綱吉は其処にあったテーブルを蹴り飛ばした。幸いにも上には何も置かれていなかったけれど、四本足のそれはガタガタ喧しい音を立てて反対側に身を乗り出した。
 右の手首を強く握り、裂けた皮膚から滲み出る赤に涙を堪え奥歯を噛み締める。表面張力でぷっくりドーム型に膨らんでいくそれに鼻を愚図らせていたら、横から、突然伸びて来たものに腕を攫われた。
「なにやってるの、君は」
「いたっ」
 今日はもう、散々な一日だった。
 ソファからは落ちるし、尻に棘は刺さる。挙げ句、指にも刺さった。
 その上雲雀にまで怒鳴られて、厄日としか言いようがなかった。
 傷口を心臓よりもずっと高い位置に引っ張り上げられて、不格好な万歳のポーズを作った綱吉はぐじぐじ言いながら右目を吊り上げた。もとはといえば彼の所為だと不満を爆発させて、敵を見る目で睨み付ける。
 その生意気な態度に落胆の息を吐いて、雲雀は隅でぶるぶる震えている小動物に手を伸ばした。
 腕を解放されて、綱吉は右手を顔の前に移動させた。不幸中の幸いで、傷はそう深くない。血もすぐに止まった。ただまだ少し、痛い。
「ふー」
「なにしてるの」
「ヒバリさんには関係ありません」
 熱を持った表面を冷まそうと息を吹きかければ、怪訝に眉を顰めた雲雀に話しかけられた。猛省して落ち込んでいるハリネズミを優しく抱いた青年は、ここまで来ても素直にならない少年に呆れて肩を竦めた。
「痛い?」
「クピィィィィ」
 突っ慳貪に言い返されたのにも懲りず、重ねて問い掛けて来た彼の声にロールの哀しげな声が被さった。言葉は分からないけれど、刺してしまってごめんなさいと、そう言っているように聞こえた。
 見るからにしょんぼりしている姿は、可愛らしいけれども一寸可哀想だ。ナッツも叱られた直後などは、こんな顔をする。大丈夫だと教えてやりたくて、綱吉は少し無理をして笑顔を作った。
「平気だよ、ロール。大丈夫。痛くないよ」
「クピッ」
「だってさ。良かったね、ロール」
 怒ってもないと目を細めれば、雲雀の手の上でハリネズミは嬉しそうに鳴いた。頭を撫でられて首を竦め、小さな手指を上機嫌に広げる。
 ピンク色がかった肌色が踊る様に頬を緩め、綱吉は血が固まった跡を指の腹で擦った。触れた瞬間はまだ痛みが出たが、暫く待てば薄れて消える。放っておいても、特に問題はなさそうだった。
 だのに雲雀は、
「見せて」
 綱吉の隣に座ったかと思うと、匣アニマルを膝に下ろし、再度細い手首を掴んだ。引っ張られて、綱吉は反射的に取り返そうと脇を締めた。
「ヒバリさん」
 無言で睨み付けられて、対応に困る。戸惑っていたら、黒い瞳がふっと和らいだ。
「消毒」
「ひゃあっ」
 緩んだ表情にどきりとして、うっかり抵抗を弱めてしまった。その隙を見逃す雲雀ではなくて、彼は不遜に笑うと同時に囁き、油断していた綱吉の右人差し指をぱくりと口に含んだ。
 熱くて軟らかな物に指先を包まれて、あらぬ場所から声が飛び出した。
 ソファの上で座ったまま飛び跳ねて、零れ落ちんばかりに目を見開く。奥歯がカチリと変な音を立てた。爪先から頭の天辺に向かって電流が走り抜けて、寒くもないのに鳥肌が立った。
 全身の汗腺が開いて温い汗がドッと噴き出し、息のひとつも出来ない。今度は固いものが擦りつけられて、前歯で皮膚を削られたのだと分かった。
「ひ、ひば……ひっ」
 呂律が回らず、名前すらまともに声に出せない。動揺激しい彼を上目遣いに盗み見て、雲雀は愉しげに喉を鳴らした。
「ン」
「っ」
 怪我とは無縁の第二関節まで咥内に吸い込まれて、たっぷりの唾液と共に舐られた。そんなものをしゃぶったって美味しくないだろうに、丹念に舌を押し当てて、繊維の一本さえ取り零さぬよう細かく動かしていく。
 全く関係がない足先が痺れて、腓返りが起きそうだった。
「ヒバリさん、ちょっ……」
 痛みなど、すっかりどこかに飛び去ってしまった。
 嫌がって身を捩れば、汲み取った彼はゆっくり頭を後退させた。薄く開いた唇から赤く濡れた舌を伸ばし、千切れた唾液の糸を回収して目を眇める。
 なんとも艶っぽい眼差しに、言葉が出ない。呆然としていたら、間抜け顔を笑われた。
「どうかした?」
 意味深な微笑と共に問い掛けられて、耳元に熱い息を吹きかけられる。ぞわっと来て、綱吉は慌てて彼の胸を押し返した。
 スラックスのポケットから皺だらけのハンカチを取り出して指を拭い、未だ笑っている男を恨めしげに睨み付ける。けれど先ほどの余波で瞳は熱を持って潤み、迫力は皆無に等しかった。
 分かっていてわざとやっているのだろう。底意地の悪い男に腹は立っても嫌いにはなれなくて、綱吉は彼の体温が残る手をハンカチごと、そうっと握り締めた。
 赤い顔を隠して俯いた彼から正面に視線を戻して、雲雀はソファにどっかり腰掛けた。背凭れに身を預け、右を上にして脚を組む。
 どんなポーズを取っても様になるのが、正直少し腹立たしい。長い足を羨ましげに眺めて、綱吉は歌うように首を振っているロールにこっそり手を伸ばした。
 雲雀の膝から引き取って、両手に抱く。顔を寄せると、細い鼻で鼻を小突かれた。
「クピッ」
「あはは。ありがとう」
「……君はこっち」
「あっ、狡い」
 すっかり元気を取り戻したロールが、先ほどの侘びも兼ねてキスしてくれた。なんともいじらしい彼に相好を崩していたら、横目で盗み見ていた雲雀が突如、ロールを抓んで釣り上げてしまった。
 問答無用で反対側に攫って行かれて、綱吉は空になった両手を宙に伸ばした。なんとか救出しようとしたが間に合わない。敢え無くハリネズミと引き離されて、彼は膨れ面で口を尖らせた。
 思わず口を突いて出たひと言に眉を顰めて、雲雀は深い、深い溜息をついた。
「狡いのはどっちだよ」
「はい?」
「人が仕事に明け暮れてるっていうのに、君と来たらソファでぐうぐう昼寝ばっかりで。挙げ句に膝に乗る、撫でられて、キスまでして。少しは我慢してる僕の気持ちも考えてみるといいよ」
「あ、あの……?」
 腕組みをして滔々と語り出した彼の、話の内容がイマイチ見えて来ない。
 てっきり自分に怒っているとばかり思っていたのだが、聞いているとどうやら違うらしい。いったい雲雀は誰に対して憤慨しているのかと、応接室にいる他の存在を探し回った結果。
 彼の向こう側で恐縮しているハリネズミに気づき、綱吉は目を瞬いた。
「ヒバリさん?」
「なに」
「あ、いえ。なんでも」
 もしやと思って呼び掛ければ、眼光鋭く睨まれた。不機嫌のとばっちりを食らわぬよう急ぎ首を振って退いて、綱吉もまたソファの上で居住まいを正した。
 両手を膝に揃え、若干どぎまぎしながら恐る恐る、肩が擦れ合う近さの隣を窺う。
 もしやこの人は、ロールにヤキモチを妬いたのか。
「ぷっ」
 そう考えるのが妥当で、けれど考えれば考えるほど可笑しくて仕方が無い。堪え切れずに噴き出したら、横から棘のある視線が飛んで来た。
 口元にやった手をビクリとさせて、綱吉は頬を緩めたまま硬直した。まだ不機嫌が直っていなかったと気付いて焦りを滲ませて、ひとり右往左往して瞳を泳がせる。
 慌てふためいていると丸分かりの表情にまたもや嘆息して、雲雀は腕組みを静かに解いた。
 小さくなっているロールを撫で、意地悪を言ったのを心の中で謝罪する。その上で彼は座る位置を少しだけ左にずらし、何の断りも入れずに身体を横に倒した。
 いきなり降って来た頭部に膝を占領されて、綱吉が突然の事に震え上がった。大粒の眼をまん丸に見開き、声すら出ないのか口を無闇にぱくぱくさせる。
 一旦閉じた目をうっすら開き、雲雀はあまり寝心地が良いとは言えない枕の上で身じろいだ。
「ヒバリさん」
「この膝は僕のだから、ロールにだって貸してあげない」
「へ?」
「おやすみ。一時間したら起こして」
「え、あの。あの、あ……え?」
 少しでも楽な姿勢を探して首の角度を微調整して、独り言の末に瞼を下ろす。人の都合など一切考慮しない横暴な振る舞いながら、直前に放たれたひと言のせいで綱吉はまるで抗うことなど出来なかった。
 他に誰も居ない応接室を忙しく見回して、下を見て、最後にソファの上で寛いでいるハリネズミを見る。
「クピ」
 耳の先まで赤くなっている少年に笑いかけたロールは、「良かったね」とでも言っているようだった。

2013/08/08 脱稿