菊日和

 麗らかな陽射しに照らされて、軒下はいつになく明るかった。
 長閑な陽気に誘われてか、冬篭り前の小鳥が庭先で囀っている。その羽毛は夏場に比べてかなり分厚くなっており、丸々と太って愛らしかった。
 そのうち、自分たちもああなる。冬の寒さを堪え忍ぶべく、綿入りで着膨れしている己の姿を想像して、綱吉は日に暖められた縁側に足を踏み出した。
「あいたっ」
 瞬間、足の裏にちくりと痛みが走った。
 思わず悲鳴を上げ、その場でぴょん、と飛び跳ねる。右足一本で体勢を維持するのは大変で、左手は自然と軒を支える柱に伸びた。
「いったぁ……」
 呻き、奥歯を噛んだ彼は折った左膝へと右手を伸ばした。
 長着の間からするりと伸びる細い脚を引き寄せて足首を掴めば、捲れあがった裾の下から絹の肌が現れる。日焼けとは無縁の白い脛を曝け出し、目尻にうっすら涙を浮かべて腰を捻れば、細かい埃や塵が張り付く硬い皮膚が目に飛び込んできた。
 五本並んだ短い指のその付け根、僅かに膨らんで丸みを帯びている部分の中ほど。そこに細い、小さな木片が突き刺さっていた。
 棘だ。どうやら濡れ縁の一部が反り返っていたらしい。それを気づかず踏んでしまって、特に深く突き刺さった分が皮膚に残ってしまったのだろう。
 なんとか抜けないものか。けれど立ったままでは難しい。足首を握っていないと膝はすぐ伸びてしまい、綱吉の手から逃げていった。
 どうしたものか迷い、困惑と痛みに眉を潜める。思案気味に持ち上げた足の裏を親指でなぞる姿は、昼間でありながら妙な艶を帯びて人目を誘った。
「じゅ、十代目?」
 丁度裏手からは、庭掃除でもするつもりなのか、銀髪の若者が箒を片手に現れた。そして縁側に佇む綱吉を見つけ、動揺激しく甲高い声で叫んだ。
 雪に反射する光のような髪を肩の上で揺らして、なんとも卑猥な光景に顔を赤らめる。小ぶりの鼻から勢い良く息を吐いた青年に、綱吉は視線を上げて頬を緩めた。
 右手を広げ、同時に足首を手放す。未だ鈍い痛みを放つ片足を庇って立つ彼に、銀糸の髪の青年は少しだけ残念そうな顔をした。
「なんでもないよ、獄寺君」
「え? ですが」
「ほんと、なんでもないから。気にしないで」
「は、はぁ……」
 そんな彼の胸の内を知ってか知らずか、綱吉は控えめに微笑んだ。顔の前で手を振り、気にしないでくれるよう、何をしていたか問われる前に釘を刺す。
 予防線を張られてしまった獄寺は目に見えてがっかりした表情を浮かべ、当初の目的を果たすべく箒を握り直した。
 人と鬼の合いの子である彼は、沢田家次期当主である綱吉を十代目と呼ぶ。それは獄寺が、全ての退魔師の長である蛤蜊家を継ぐのは綱吉しかいない、と信じて疑わないからだ。
 だが彼の願いとは裏腹に、綱吉はこの並盛の里から出るつもりはなかった。
 病で伏せているという蛤蜊家九代目の意向により、突然十代目候補の筆頭に据えられてしまったが、そんな重責を背負わされるのは出来れば避けたかった。
 そもそも沢田家と蛤蜊家は、久しく交流が途絶えていた。
 両家は縁戚には当たるが、その事実を忘れそうになるくらいに直接関わり合う機会は少ない。正月に賀詞を交換するくらいで、綱吉が都の屋敷に呼ばれたのだって、十代目に指名されたと告げられた、あの一度きりだった。
 人の上に立つなど、願い下げだ。それに、あの憎悪渦巻く穢れた空間に居続けるなど、土下座されても御免だった。
 綱吉は、人の感情に敏感だった。悪意をもって接してくる者が居れば、すぐに体調を崩してしまう。だからあんな醜悪な感情に汚染された屋敷に閉じ込められようものなら、身体どころか心まで壊れてしまいかねない。
 その点、この並盛は空気も清浄で、とても居心地がよかった。大好きな友人に囲まれて暮らす里の日々は、時としてとても厳しかったりするけれど、それを差し引いても楽しかった。
 贅沢をしたいとは思わない。ただ今のような生活を、この先もずっと続けられたら。
 それが、綱吉の一番の願いだった。
 竹箒で枯葉を掃き始めた獄寺に肩を竦め、綱吉は左の爪先で縁側を二度、三度と叩いた。
 軽い振動でも疼くような痛みは強まり、一向に薄まろうとしない。このまま放置していたら化膿しかねず、なんとか手立てを考えなければならなかった。
「なんとか抜かなきゃ」
 ぽつりと呟き、彼は足元に敷き詰められた床板に見入った。
 表面は丁寧に磨かれているが、一本くらい細い棘が飛び出していたとしてもなんら不思議ではない。奥深くまで潜り込まれているとしたら、引き抜くのは容易ではなかった。
「痛いのは、いやだな」
 まだ幼い頃、似たような経験をしたことがあった。
 刺抜きではどうにもならないくらいに深い場所に入った木片を取り出すのに、母は熱した針を使った。それで患部を抉り、薄皮の内側にあった棘を穿り出したのだが、それがなんとも恐ろしく、苦痛だったのを覚えている。
 ぎゃーぎゃー泣き喚いて、奈々を大層困らせた。男なのだから我慢しなさい、と叱られて、余計に愚図って泣きじゃくった記憶もある。
 あの頃からとにかく臆病で、泣き虫だった。一人では何も出来なくて、いつも年嵩の少年の後ろをついて回っていた。
「綱吉?」
「あ、ヒバリさん」
 背中に回された帯、もしくは長着の袖を摘んで歩いていた、その相手の顔が視界に紛れ込む。半透明だった幻ははっきりとした輪郭を持ち、過ぎた年数分の成長を遂げてひとつに重なった。
 ふくふくして丸かった頬は肉が薄くなり、元から鋭かった眼光は怜悧さを増した。長めの前髪が額の真ん中で踊り、隙間から覗く黒い双眸が綱吉の顔を映し出した。
 名を呼ばれ、彼は嬉しそうに顔を綻ばせた。
 そうして踏み出そうとした左足を床に強く押し当ててしまい、自分の状況を思い出す。ずきりと来た痛みに、彼は大粒の目を丸くして奥歯を噛み締めた。
「いった……!」
 囲炉裏のある居間から出て来た雲雀が、押し殺した悲鳴に眉を顰めた。同時に右手でこめかみの辺りを押さえ、渋面を作って小鼻を膨らませる。
 脳髄を貫いた強烈な絶叫は、他ならぬ綱吉が心の中で発したものだった。
「なにしたの」
「うぇえ、ひばりさぁん……」
 障子を全開にした座敷を経て、雲雀が縁側に爪先を置いた。自分で傷口を広げた綱吉は琥珀の瞳を涙で濡らし、えぐえぐとみっともなく鼻を愚図らせた。
 その情けない表情と、さっきから頭の中をこだましている「痛い」という言葉から、彼の身に何が起きているのかは、大体だが想像出来た。
「足?」
 少し前にも、甲高い声が脳内で轟いた。だから気になって様子を見に来たのだが、どうやらそれがよくなかったらしい。
 十年前からちっとも成長が感じられない綱吉に肩を竦め、雲雀はこくこく頷いている幼馴染であり、可愛い恋人でもある少年の頭を撫でた。
「……棘、刺さった」
 寝癖だけでは説明がつかない爆発した髪を掻き回されて、綱吉はぶすっと頬を膨らませて呟いた。口を尖らせてぼそぼそ言い、顔を伏して雲雀の胸へと寄りかかる。
 身を支える先を柱から乗り換えた彼に苦笑して、雲雀は預けられた体重を両手で受け止めた。
 肩を掴んで顔を上げさせ、それから少し乱れている長着の裾へと視線を転じる。ふと突き刺さるものを感じて左を向けば、箒を手にした若者が慌ててふたりに背を向けた。
 せっせと地面を掃いているが、舞い上がるのは砂埃ばかり。掃除をしているとはとても言い難い獄寺にも嘆息し、雲雀は依然左足を庇っている綱吉に座るよう促した。
「見せて」
 このままでは、棘がどうなっているのか調べられない。だから、と上から力を加えられて、肩を押された少年は渋々頷き、爪先立ちから膝を折った。
 縁側の下には一尺ちょっとの空間があり、地面までの高低差を埋めるべく、沓脱ぎ石が置かれていた。雲雀はその横に長い四角い石を使い、素足のまま庭へと降り立った。
 縁側に腰を下ろした綱吉が、広がった距離に抗議するかのように右足を蹴り上げる。もれなく無垢な脚が宙を舞い、明るい黄檗色の襦袢がちらりと姿を現した。
「そっちじゃないよ」
「分かってますよー、だ」
 棘が刺さっているのは、反対側の足だ。攻撃を加えられた自覚がないのか、避けた雲雀に言われた綱吉はべー、と舌を出した。
 裾の乱れを直しもせず、素早く足を入れ替える。急に不機嫌になった彼を怪訝に見上げ、雲雀は膝を折って跪いた。
 まるで傅かれているような状況だと、後から気づいて綱吉はかーっと顔を赤くした。
「ああ、結構深く入ってるね。長いな」
「取れそうですか?」
 しかし雲雀は意に介する様子もなく、淡々と言葉を紡いで眉間に皺を寄せた。綱吉の左踵を両手で支え、傷口周辺に親指を這わせて付着している埃や芥を払い落とす。
 軽く膝を曲げた状態で片足だけを浮かせるこの体勢は、長着の肌蹴具合次第では非常に危ういものだった。
 襦袢の影からちらちらと見え隠れする白い腿の弾力を、彼が知らぬわけがない。その滑らかな肌に太くしなやかな指が重なり、やわやわと揉みしだかれる感覚を不意に思い出してしまって、綱吉は咄嗟に足を奪い返そうとした。
 びくりと痙攣を起こした左足に、雲雀は姿勢を変えることなく瞳だけを上向かせた。
「綱吉」
 黒髪の隙間から、黒く冴え冴えとした双眸が現れる。射抜かれて、彼は反射的に脇を締めて己を抱きしめた。
「いや、えっと。……早く、お願いします」
 今自分が何を考えたか、想像したか。全部見通されてしまっている情況に煙を吐き、綱吉は顔を伏して背中を丸めた。
 ふたりの魂は、とある一件によって一部が混ざり合った状態だった。
 当時は、そうする以外に雲雀を救う術がなかった。以来ふたりの間に思考の垣根はなくなり、どちらかが心に思い描いた内容が、相手側にそっくりそのまま伝わるようになってしまった。
 勿論、隠し通すことも出来る。心に壁を作り、向こう側から見えないよう細工すれば良いのだが、これがなかなか難しく、綱吉は苦手だった。
 怪我の手当てをして貰っているだけなのに、この状況に欲情した。ぞくりと背筋を走った興奮まで余すところなく知られてしまって、出来るものなら今すぐここから走って逃げたかった。
「この足で走るのは無理だよ。これは、刺抜きがないと難しいかな」
「あいっ、た」
「にしても、いくら奥を硬いので擦られるのが好きだからって、節度ってものがあると思うんだけどね」
「んな……っ、変なこと言わないでください!」
 汚れを落とし終えた雲雀が、薄皮の中に潜り込んでいる棘を観察しながらふと呟く。その独特の言い回しに卑猥な匂いを嗅ぎ取って、綱吉は熟した野苺のように顔を赤くした。
 嫌味満載の意趣返しに湯気を噴き、首を竦めて丸くなる。羞恥に喘いで今にも泣きそうになっている彼を呵々と笑い飛ばし、雲雀は簡単に取り除けそうにない鋭い木片に半眼した。
 血管に触れてはいないようで、周囲が赤黒く腫れているようなこともない。ただ本人は痛がっているし、なにより透き通るような艶の肌に異物が紛れ込んでいることが許し難かった。
「君に挿入っていいのは、僕だけなのに」
「……ヒバリさん?」
 綺麗な足を傷つける小さな木屑にさえ、嫉妬している。思わず口をついて出た言葉は、残念ながら綱吉にまで届かなかった。
 ただ彼が何か呟いたのだけは伝わって、怪訝そうに名前を呼ぶ。雲雀はそれに応えず、渋面を作って十秒ばかり黙り込んだ。
 心の中を覗き込もうにも、透明な壁が立ちはだかって先に進めなかった。
 彼は綱吉とは違い、心を隠すのが巧かった。だからいつも、綱吉ばかりが一方的に想いを盗み見られてしまう。もっとも彼に隠し立てするようなことはなにもないので、恥ずかしいという理由以外で嫌だとは思ったことはなかった。
 じっと爪先を見つめられて、そのうち穴が開きそうだった。もしくは骨から溶けてどろどろになってしまうか、とあまり楽しくない想像を巡らせていた矢先、雲雀の薄い唇がゆっくりと開かれた。
「やっぱり、癪だな」
 掠れるほどの小声に、綱吉の眉が寄った。聞こえなくて身を乗り出し、足元で蹲る男を覗き込もうとした瞬間。
「うわ、あ……ひゃ、ちょ、っあ!」
 ぐっと左足を高く掲げられ、直後に見舞った温い感触にぞわっと悪寒が走った。
 安定していた体勢を崩され、背中から床に倒れそうになった。それを咄嗟に出した肘で支え、綱吉はにゅるっ、と足裏に走った衝撃に背筋を粟立てた。
 柔い微熱が一歩遅れて押し寄せてきて、爪先から脳天目掛けて雷が駆け抜ける。内腿に流れた電流に反応して筋肉が引き攣り、勝手に内股になった足元で雲雀が笑ったのが見えた。
 口角を歪めての不遜な表情に、彼の底意地の悪さがそっくり現れていた。
「ぬあっ……!」
 掃除中だった獄寺が手にした箒をひょうたん型の池に落としたが、その水音さえ綱吉の耳には響かない。再び身を沈めた雲雀に棘の上をべろりと舐められて、ぞくぞく来る痺れに腰が勝手に揺れ動いた。
 たっぷりの唾液を患部に塗し、硬い皮膚を湿らせていく。粘膜の上で跳ねた水滴が唇から飛び出して、口端を濡らした男はしっとり妖しく微笑んだ。
 首を伸ばし、緋色の舌をくねらせて咥内へと戻す。その見せ付けるような仕草に頬を引き攣らせ、綱吉は左手で胸を掻き毟った。
 右手は自然と下肢へ伸び、雲雀の悪戯ですっかり乱れてしまった長着の裾を握り締める。膝の上で左右に分かれようとする布を押さえつけた少年を嗤い、妖艶な男は湿った唇をちろりと舐めた。
「あー……ん」
「ひぅっ」
 そうしてわざとらしく口を大きく開き、鼻から息を吐く。目を閉じた雲雀に踝を甘噛みされて、びりっと走った衝撃に綱吉は喉をひくつかせた。
 咄嗟に呼吸を止めて顎に力を込め、声を零すまいと懸命に足掻く。その反抗的な態度に些か気分を害し、雲雀は先ほど湿らせた場所に向かって舌を這わせた。
 つい、と蛇行する線を描きながら乾燥している肌をなぞり、他よりも幾分赤みが強い一帯の手前で立ち止まる。くるりと円を書くように擽られて、これから起きるだろう出来事を想像した彼は大げさに肩を跳ね上げた。
 緊張を露わにした彼を上目遣いに見やり、雲雀はふっ、と鼻で笑った。
「動かないで」
 これはあくまで、怪我の手当ての一環だ。棘を抜き易くするために、硬質化している皮膚を湿らせ、解しているだけ。
 そう頭の中に直接語りかけられては、嘘だ、と否定するのも難しい。彼の一言で心も身体も雁字搦めに縛り付けられて、綱吉は抗う気力を奪われて凍りついた。
「……良い子」
 その姿にうっとり目を細め、雲雀は囁くと同時に首を前に倒した。
「あぁっ」
 口を開き、踝にしたようにまずは牙を伸ばす。平らな場所を抉るように齧り付かれ、前歯に削られる感覚に彼は総毛立った。
 堪らずかぶりを振った綱吉が逃れようと足掻くが、獰猛な肉食獣がそれを許すわけがない。細い足首を左手で絡め取られ、彼は肉の薄い部位への締め付けに唇を噛み締めた。
 駄々を捏ねる子供と化して目尻に涙を浮かべるが、哀願の表情も雲雀には通用しない。彼は憐れみを抱くどころか却って嗜虐心を高ぶらせ、丹念に舐っていた足の裏に唇を押し当てた。
「ん」
 口を窄め、隙間から覗かせた舌で棘を真上から嬲る。たっぷりの唾液で幾分柔らかくなった肌の内側で、彼を苦しめていた小さな欠片が左右に泳いだ。
 不安定に細胞の間で揺れ動くそれを取り出すためには、下から押し上げるか、それとも。
「や、あ……んぁ、や、やだ。だめぇ!」
 彼がこれから何をしようとしているか。
 ちかちかと明滅を繰り返す頭の中、一瞬だけ見えた光景に騒然となり、綱吉は甲高い声を上げた。
 それを無視し、雲雀は人知れず不遜に微笑んだ。
 牙を剥き、棘を挟む形で上下から挟み込んで患部を圧迫する。熱い舌を繰り、大量の唾液を塗布して唇で表皮をくすぐり続ける。
 鼻から息を吐き、止め、そして。
「いっ、……あぁ、んやあ!」
 じゅるるる、と生々しくも艶かしい音を響かせた彼に涙を流し、綱吉は咄嗟に両手で下腹部を押さえ込んだ。
 気を抜けば左右に開いてしまう膝を無理して閉ざし、布を掻き集めて中心を庇う。背中も丸めてひくつく身体を懸命に隠そうとする恋人に肩を震わせ、雲雀は温い唾と一緒に何かを地面に吐き出した。
 散った飛沫を一瞥し、綱吉は棘による痛みなどもうどこにも残っていない左足を振り回した。
「取れたよ」
 蹴られる前に退き、雲雀は事も無げに言って顎を拭った。黒光りする双眸を細めて意地悪く笑み、立ち上がって縁側で縮こまっている少年を睥睨する。
 高い位置から見下ろされ、綱吉は膝を寄せて胸に抱え込んだ。
「そりゃどう、も」
 ありがとう、の言葉はなかなか口から出て来なかった。
 足裏に刺さった棘はもう抜けてなくなったはずなのに、未だに傷口は熱を持ってじんじん疼いていた。しかも痺れているのはそこだけに限らず、時間が経つにつれて足元からじわじわ範囲を広げて胸に迫った。
 冷たい汗が首筋を伝い、背中を流れ落ちていく。次第に温くなっていくその不快感に鳥肌を立てて、彼は喉を鳴らし、咥内の唾を一気に飲み干した。
 力を抜いて唇を解けば、細い隙間から熱っぽい吐息が零れ落ちた。
「まだ痛む?」
 その淡く色付いた呼気を手繰り寄せ、雲雀が密やかに問いかける。軽く屈んで顔を寄せてきた彼に瞬きを繰り返し、綱吉は縁側で仰け反って目を泳がせた。
 彼の質問がどういう意図によるものかは、考えるまでもない。
 急に壁を開放して胸の裡を曝け出した男に赤面を禁じえず、綱吉は琥珀の瞳を瞼に隠し、ふるふると首を振った。
 両手で長着を握り締め、否応なしに熱を持たされた場所を隠して唇を引き結ぶ。
「ここ、じゃ……いや、です」
 庭にはまだ、獄寺がいるのだ。
 雲雀が彼の存在に気づいていない筈がない。だというのに敢えて無視し、居ないものとして扱うのは、綱吉の羞恥を誘うために他ならない。
 どこまでも意地悪で、けれど嫌いになれない恋人に呻くように囁いて、綱吉は思い切って彼の胸倉に手を伸ばした。
 開き気味の衿を掴み、力任せに引き寄せる。
 あと四寸。そんな近さから睨みつけてやれば、足りない迫力を鼻で笑った雲雀が楽しそうに顔を綻ばせた。
「いいよ。君が痛いところ、全部舐めてあげる」
 軽やかに告げ、彼は腕を広げた。片方は縁台に腰を下ろす少年の背に回し、もう片方は膝の内側に滑り込ませて素早く華奢な体躯を抱き上げる。
 慣れを感じさせる動きで綱吉を浚い、彼は続けて身体を上下に揺らした。万が一運ぶ途中で落とさないよう、最初の一歩を踏み出す前に姿勢を安定させる。
 綱吉も勝手知ったるなんとやらで、言われる前に雲雀の首に腕を回してぎゅっとしがみついた。
 赤らんだ左足で宙を蹴り、横抱きに自分を抱える男を艶っぽく見つめる。その潤んだ瞳に微笑み返し、雲雀は待ちきれないと甘色の髪にくちづけた。

2013/04/28 脱稿