暦は十月中旬、季節は秋。
雲が多いけれど空は青く、高い。風はあまり強くなく、暑くもなければ寒くもない気温は過ごし易いとしか言いようがなかった。
夏が終わり、冬が始まる少し前。春とは違って浮き足立つことは少なく、どちらかと言えば穏やかで落ち着いた日々が続く――それが秋。しかし一部の人間は迫り来る祭に心をときめかせ、逸る気持ちを抑えきれなかったのか、兎にも角にも暴走しがちだった。
そんな、例によって先走った結果を目の当たりにさせられて、雲雀恭弥は沈痛な面持ちでため息を零した。
「……君、中学二年生だよね」
「そ、そうです、よ。これでもれっきとした十四歳ですよ!」
呆れ混じりに呟けば、二列並んだレールの先に立つ少年が顔を真っ赤にして声を張り上げた。両手を振り回して大粒の目を歪め、今にも泣きそうな雰囲気で鼻を愚図らせては下唇を噛み締める。
中性的な容姿で睨みつけられて、雲雀は一瞬くらっと来た頭を右手で抱え込んだ。
「まったく」
「うぐ、ぅ……」
人差し指をこめかみに押し当て、眇めた眼を瞼の裏に隠す。再び聞こえたため息に奥歯を噛み締めて、外見からはとても十四歳に思えない少年はその場で地団太を踏んだ。
拳を固くして、ズボンに押し当てる。間に挟まった光沢のあるビロードに無数の皺が生まれ、悔しがる彼を慰めるかのように白く細い指を包み込んだ。
裾に向かうにつれて幅広になっていく布は、首に結ばれたリボンで固定されていた。
解いて広げ直せば、三角錐を分解した時のような扇形が出来上がるはずだ。表は黒一色だが裏は赤い。いくら西洋文化に興味がない雲雀とはいえ、彼が身に付けているそれが何であるかくらいの知識は持ち合わせていた。
「恥ずかしいなら、着なければいいのに」
羞恥に耐えかねてか、マントの裏地に負けないくらいに頬を染めている少年に囁けば、彼は瞬時に顔を上げて不満そうに口を尖らせた。
もっとも、彼の視界は上半分が黒で埋まっているはずだ。ちゃんとこちらの顔が見えているのかも甚だ疑問で首を傾げていたら、少年は鍔広の帽子を両手で掴み、俯いていた所為でずり下がっていたそれを僅かに後ろへ傾けた。
視界が開けて、雲雀からも彼の顔が一層良く見えるようになった。
「うお、っと」
しかし悪戯な風が吹いた途端、見た目に反して軽い帽子が煽りを受けて右に倒れそうになった。折角表に出た額がまた隠れてしまって、落ちそうになった三角帽に悪戦苦闘している彼に、雲雀はやれやれと首を振った。
黒髪を掻きあげて自分の視界を広げ、改めて眼前に立つ少年に見入る。刺さるような視線を感じ取り、彼はちらりと雲雀を窺ってから帽子の鍔を引っ張った。
陽光を受けてつやつやと輝く黒いマントの下には、フリルがたっぷりの白いシャツ。ズボンは落ち着いた風合いの黒で、靴は雲雀が履いている物と似たようなデザインの黒いローファーだった。
マントの裾は脛辺りまであり、屈まない限りは地面に擦れることはない。フリルたっぷりの襟の前に結ばれているリボンは細身で、色は風紀委員の腕章と同じ臙脂だった。
シャツの裾はきっちりズボンの中にねじ込まれ、華奢な体躯をより細く仕上げていた。元から幼い顔立ちをしている彼だけれど、今のこの格好をして何歳かと訊かれたら、うっかり小学生と答えてしまいそうだった。
「ハロウィンはまだ暫く先だったと思うんだけど」
「そうですね。ええ、そうですとも」
何をやってもため息しか聞こえてこない雲雀にさすがに傷ついたか、問いかけに対する返答はかなり投げやりだった。
ぶすっと膨れ面のまま吐き捨てられた台詞に苦笑を禁じえず、雲雀は空の両手を腰に当てて肩の力を抜いた。
時間をかけて鼻から息を吐き、拗ねてしまった子供――もとい、沢田綱吉に目尻を下げる。
彼は口元を綻ばせている青年を盗み見て瞬時に目を逸らし、明後日の方角を睨みながらすぐに傾こうとする帽子の鍔を両手で握りしめた。
その帽子もまた、日常生活からはおおよそ遠くかけ離れた一品だった。
そもそもマントなど、なにもこの国の住民に限らず、このご時世人は滅多に身に付けない。食事や書き物の際に邪魔でしかないびらびらした袖のフリルも、機能面から言えば無用の長物でしかなかった。
道を歩いていたら、否応なしに目立つ。家からここに至るまでの過程を思い出して唇を噛み締めて、彼は自分を小さく見せようと背中を丸めた。
マントの裾をなびかせて、中学校の正門前で縮こまる。帽子の天辺を突き出すように項垂れた彼に、雲雀は迫ってきた三角形の頂点を指で弾いた。
衝撃はきちんと綱吉にも伝わって、突然揺れた帽子に、彼は何事かと顔を上げた。
蜂蜜色の髪の大半は布製の帽子に隠され、元気いっぱいに爆発している髪型も今日ばかりは鳴りを潜めていた。物語に描かれる箒に乗った魔女が被るようなアイテムを装備した少年は不思議そうに顔を顰め、必死に笑いを堪えている男に眉を吊り上げた。
三角形の帽子もまた黒いのだが、これだけだと地味すぎるからか、あちこちに缶バッジが留められているので非常にカラフルだった。
先ほどからどうにもバランスが悪いのは、このバッジの影響と思って間違いなかろう。なかなか真っ直ぐ据わってくれないのを気にして、綱吉は繰り返し角度を調整しながら、簡単に踏み越えられそうな距離を気にして銀色のレールを蹴り飛ばした。
今日は休日、日曜日。
当然、学校も休みだった。
但し運動部や大会が近い吹奏楽部に所属する生徒などは、授業が無いにかかわらず登校していた。今も校舎の向こうから威勢の良い掛け声や、管楽器の音色が響いて来る。どちらか片方だけならばまだマシなのだが、両方重なられるとかなりの騒音だった。
だから小声でぼそぼそ言うだけだと、言葉は雑音に、簡単にかき消されてしまう。かといってあまり声を張り上げると通りすがりの人にまで聞かれてしまうので、恥ずかしさはもれなく倍に膨らんだ。
もっとも、この格好でいること自体が既に罰ゲームの領域だ。自転車で通り過ぎていった若い男性に思い切り噴き出されたのを背中で聞いて、益々顔を上げられなくなった綱吉は心の中でひたすら咽び泣いた。
何故こんなことになったのかと過去を振り返れば、頭に思い浮かぶ顔はたったひとつだけだ。
「くそぉ。リボーンの奴」
「赤ん坊?」
その憎たらしい限りの相手に悪態をつけば、小声だったのにあっさり音を拾い上げた雲雀が僅かに声を高くした。
まさか合いの手を挟まれるとは思っておらず、綱吉は吃驚して目を丸くした。反射的に顔を上げてしまい、視線が交錯して思わず息を呑む。
先ほどまでの呆れ顔から一変して興味津々な雲雀を目の当たりにして、彼は膨らみかけた感情を瞬く間に萎えさせた。
彼が最強のヒットマンこと綱吉の家庭教師であるリボーンに夢中なのは、なにも今に始まったことではない。だからショックを受ける必要などないはずなのに、心はちくちく痛み、しくしく涙を流していた。
「とりっく、おあ、とりーと」
「……? なに?」
女々しい反応しかしない胸の裡から顔を背け、自分自身にすら聞こえるかどうかという音量で囁く。当然雲雀には聞こえなくて、彼は怪訝に首を傾げて身を乗り出した。
黒塗りの靴が、中学校と公道を区切っている二本のレールを跨いだ。
普段は閉ざされている正門は、今は一メートル程度開かれていた。
本来は登校時間が過ぎれば放課後になるまで閉まりっ放しなのだが、今日は日曜日というのもあって、特例で人ひとりが通れるスペースが常時確保されていた。部活動の練習の開始と終了の時間が部ごとにばらばらなのが、その理由だ。
そんな学校の入り口で、綱吉はまだ二週間ほど早いハロウィンの衣装を着て立っていた。
服装は一応ドラキュラなのに、被っている魔女の帽子の所為で全部が台無しになっている。元々被るつもりはなかったのだが、なにか物足りないとビアンキに難癖を付けられて、こんな結果に落ち着いた。
フゥ太たちは似合うと褒めてくれたが、それがお世辞な事くらい、鈍い綱吉でも分かる。
そもそも仮装するつもりなど、最初からなかった。それがいつの間にか巻き込まれて、挙句家から外に放り出されてしまった。
綱吉のために用意されたとしか思えないサイズぴったりの衣装は、母である奈々のお手製だ。
子供たちだけで騒ぐつもりなのだとばかり思っていた。運命の神様というものは非常に気まぐれで、どこからトラブルの種を落としてくるかさっぱり予想がつかない。
「まあ、……いいんじゃない。赤ん坊の趣味も悪くないね」
「そうですね」
綱吉のたった一言から勝手な推測を展開させて、雲雀が不意に呟いた。腕を伸ばしてマントの縁を摘み、滑らかな布地を親指でなぞっては掌から零す。
さらりと指先を流れていった布の波に目を奪われて、綱吉は中学校から外に出た彼に顔を伏した。
「でもその格好で学校に入ったら、風紀を乱した罪で咬み殺すからね」
続けて聞こえてきた台詞はいかにも彼らしくて、こればかりは笑うしかなかった。
「分かってますよぅ、それくらい」
雲雀は、並盛中学校の風紀委員長だ。学内の風紀の乱れを発見し次第、トンファーを両手に構えて違反者を咬み殺すのが仕事だった。
たとえ今日が日曜日だろうとも、学校に入るのに制服未着用は許されない。ましてや綱吉のように、ドラキュラマントに魔女帽子という、ふざけているとしか思えない出で立ちならばなおさらだ。
言われなくとも、敷地に立ち入るつもりはない。痛い目を見ると分かっていて実行に移すほど、綱吉は愚かではなかった。
生意気な返答に愁眉を開き、雲雀は形良く結ばれている胸のリボンに指を向けた。
喉元に突き刺さる手前で動きを止めて、一瞬緊張で顔が強張った綱吉を窺い見る。彼の頬が引き攣ったのは、二秒にも満たない時間でしかなかった。
危害を加えられる心配がないと判断するのが早すぎる。雲雀はだらしなく端を垂らしているリボンを爪で弾いて揺らすと、マントの具合を気にしている少年にひっそり嘆息した。
どうやら自分は、過剰なまでに彼に信用されているらしい。それが誇らしいことなのかどうかも分からないまま、雲雀は十四歳にもなって仮装を楽しんでいる少年に見入った。
「で?」
「え?」
「わざわざそれを僕に見せる為だけに、此処まで来たわけじゃないよね」
まだ揺れているリボンに向かって訊ねれば、きょとんと目を丸くしていた少年は途端に茹蛸よりも真っ赤になった。
ぼんっ、と帽子が浮き上がるくらいに頭を爆発させて、急にどうしたのか激しく狼狽して瞳を左右に泳がせ始める。琥珀色の双眸を落ち着きなく彷徨わせ、缶バッチで賑やかな三角帽子を引っ掴んで顔を隠す。
この反応の意味がさっぱり読み解けなくて、雲雀は呆然とその場に立ち尽くした。
奇妙な格好をした子供がいると思って近づいてみれば、帽子の下には知った顔。遠くから目が合って嬉しそうにされて、つい引き寄せられて近づいてはみたけれど。
無邪気な幼顔が見えなくなって、雲雀はかちんと来た理由も分からぬまま小鼻を膨らませた。
「ちょっと」
「と……とりっくおあとりーちょっ!」
「……――――なに?」
「ぎゃんっ」
訊いているのだから黙らないでなんとか言って欲しい。無視するなと声を荒らげて手を伸ばせば、それを弾き飛ばす形で帽子が振り下ろされた。
黒い影から現れた十四歳が、なけなしの勇気を振り絞って大声で捲くし立てる。だが最後の最後で噛んでしまい、舌足らずの発音に雲雀は唖然となった。
切れ長の目を限界まで見開いた彼に呆然と見つめられて、何をやってもダメダメのダメツナは子犬のような悲鳴を上げて再び丸くなった。
右手に帽子を掴んだまま、両腕で頭を庇って首を竦める。亀を真似て甲羅ならぬマントに閉じこもった彼に瞬きを繰り返し、雲雀はつい最近どこかで聞いた言い回しに首を傾げた。
ついでにハロウィンがもうじきという情報もどこで仕入れたのかと記憶を探れば、出てきたのは黒スーツに身を包んだ不可思議な赤子だった。
真っ黒いボルサリーノを被り、奇妙なカメレオンをペットとして飼っている。銃の腕前も、格闘術も超一流であり、稀代の殺し屋と言っても過言ではない存在。
そんな物騒な男が家庭教師を勤めている相手が、そこで真っ赤になっている少年だった。
よもや数日前のあれは、今日のための布石だったのだろうか。
用意周到な男とのやり取りを思い出しながら、雲雀は肩の力を抜いてため息を零した。
緩く首を振り、目に入りそうだった前髪を掻きあげて脇へ退かせる。その最中に別の話も脳裏に蘇って、彼は確証が持てない情報に半眼した。
「ねえ、今日って十四日だっけ」
「……そうですけど、それがなにか」
暑い盛りをとうに過ぎた十月の半ば。冬の足音が着々と近づいて来ているものの、昼間はそれなりに温かくて過ごしやすく、行楽に出るにはもってこいの秋。
そんな良い季節の、十四日。日曜日。
ふて腐れた声で返事をした綱吉に鷹揚に頷いて、雲雀は確信を強めて唇を舐めた。
赤い舌が細い隙間を潜り抜け、一瞬だけ表に顔を出してすぐに引っ込んだ。その早業を余すところなく目に焼き付けて、綱吉はハッと息を呑んで魔女帽子を深く被り直した。
正面を向くべき模様を後ろにして、そわそわしながら膝をぶつけ合わせる。
こういう祭に一切興味がないと思われていた男が、ハロウィンを知っていた。一般常識だと言われそうだけれども少なからず期待してしまって、逸る心を抑えつつちらり、上目遣いに様子を窺う。
雲雀は顎に手をやって瞑目し、羊雲が泳ぐ空を仰いでふっ、と笑った。
「おあいにく様。僕がそんなモノ、持ち歩いてるとでも思った?」
「で……すよ、ねえ……?」
トリックオアトリート。お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ。
ハロウィンのお祭りで、呪文かなにかかと思われそうな言葉をひっさげ子供たちは大騒ぎ。だからといって、家の中でのみ通じる魔法が外でも同じ効力を発揮するわけがなかった。
一寸でも期待した自分がバカだったと悔やみつつ、綱吉は冷や汗を流して顔を引き攣らせた。空笑いを浮かべ、なるべく落胆が表に出ないように配慮しながら黒いマントを掻き毟る。
リボーンに脅されたとはいえ、ここまでこられたのはハロウィンの衣装のお陰だ。日曜日に彼に会えて、言葉を交わせただけでも十分だと懸命に言い聞かせて自分を納得させて、綱吉は深呼吸の末ににっこり微笑もうとした。
雲雀恭弥は並盛中学校風紀委員会、委員長。黒い学生服を肩に羽織り、臙脂色の腕章をぶら下げて、トンファーを手に大立ち回りを演じる荒くれ者。
彼を恐れはしても、慕う人間は少ない。その少数派に身を置いて、綱吉はちくちく痛む胸を服の上から握り締めた。
「も、持ってないんじゃ、仕方ないですよね。それじゃ、俺……あの、お仕事、邪魔してすみませんでした」
「待ちなよ」
出来うる限り取り繕って、声を高くして明るく捲くし立てる。早口に一気に告げて軽く頭を下げ、慌しく立ち去ろうとしたところで腕を囚われた。
細い手首をフリルごと攫われて、後ろを向こうとしていた彼はビクッと大仰に震え上がった。
握って来る力が強い。骨に食い込むしなやかな指先の感触にもどきりとして、零れ落ちんばかりに目を見開いて雲雀を見る。
男は不遜に笑い、あっさり捕まえたものを解放した。
「悪戯は、していかないの?」
「――はい?」
バランスを崩され、後ろに倒れそうになった綱吉は目を丸くした。素っ頓狂な声を上げて何度も瞬きを繰り返し、意外な一言を放った男を呆然と見上げる。
食い入るような琥珀色の眼に相好を崩し、雲雀は門扉に寄りかかるように背筋を伸ばした。
胸の前で両腕を組み、左足を僅かに引いてポーズを取る。モデルかなにかかと言いたくなる立ち姿を披露されて、うっかり見惚れた綱吉は三秒後我に返って首を振った。
「え、……と?」
聞き間違いかと真っ先に自分の耳を疑って、幾ばくか高い声と共に小首を傾げる。また落ちそうになった帽子を慌てて抱えた彼に目尻を下げて、雲雀は晴れ渡る秋の空を仰いだ。
「そういう祭じゃなかったっけ?」
なにせハロウィンに関する情報など、数日前に聞きかじった程度しか持ち合わせていない。
綱吉の放った呪文の意味も、リボーンから教わって一応は知っている。お菓子をくれなきゃ、悪戯するぞ。そして雲雀は、吸血鬼に仮装した少年に渡すべき物を持ち合わせていなかった。
ならば自分は悪戯されるべきではなかろうか。そんな理屈を滔々と並べ立てた彼にぎょっとして、綱吉は紅色の頬をサッと青くした。
血の気の引いた顔をして、吹き飛んで行きそうな勢いで首を横に振る。
「そ、そんな。無茶言わないでくださいよ」
「言ってないよ?」
「俺がヒバリさんにいたずらとか、そんなの、出来っこないじゃないですか」
当たり前のことを言っただけであり、暴論を振りかざしたつもりはない。だのに綱吉は無理だ、出来ないの一点張りで提案に頷こうとしなかった。
「どうして?」
何故彼がこうまで拒否の姿勢を貫くのかが分からない。面白くなくて呟き問えば、声は意外に低くなってしまった。
凄みを利かせた低音にビクッとなって、綱吉はマントの下で身を竦ませた。
露骨に顔をこわばらせた彼に眉間の皺を深め、雲雀は数秒の逡巡の末に長いため息をついた。
額の中央に集まる前髪を掻きあげて払い除け、抜けてしまった一本を風に流して前に出る。
ずい、と詰め寄ってこられて、綱吉は反射的に後退した。
嫌な予感を覚えて冷や汗を流し、頬を引き攣らせて不自然な笑みを浮かべる。つられたのか雲雀もにっこり優しげに微笑んで、なにか企んでいると分かる表情で口角を持ち上げた。
彼の笑顔がこんなにも恐ろしいものとは思っておらず、慌ててここから立ち去ろうとした瞬間。
「Trick or Treat?」
綱吉よりも明らかに流暢な英語で告げられて、彼はきょとんと目を丸くした。
発音が滑らか過ぎて、却って何を言われたか分からなかった。右の耳から左の耳にするっとすり抜けていった音に小首をかしげ、不思議そうに目の前の男を見つめ返す。
明らかに理解できていない顔に何度目か知れないため息を零し、雲雀は形良く結ばれている紅色のリボンを小突いた。
トン、と押された綱吉が数回瞬きを繰り返した。クエスチョンマークを無数に生やし、ぐるりと頭を一周させた後にハッと気付いて息を呑む。
ようやく理解した彼に、呆れ顔だった雲雀が笑った。
「どっち?」
綱吉が悪戯をしないと言うのなら、自分がすればいいだけのこと。
発想の転換ににんまりしている男に瞬きを繰り返し、綱吉は大慌てで空っぽのポケットを叩いた。
しかし生憎と、何も持ち合わせていない。
何故飴玉のひとつでも握ってこなかったのかと、手ごたえが一切得られないのに顔色を悪くするが時既に遅く。
「お菓子がないなら、いたずらするよ?」
甘やかな囁きに首を竦ませ、彼は反射的に頷いた。
2012/10/13 脱稿