風でも吹いているのだろうか。窓ガラスを叩く音がひと際大きく響き、綱吉はゲームのコントローラーを握ったまま視線を浮かせた。
画面上では長ったらしいイベントシーンが一段落し、決定ボタンを押さなければ先に進まないようになっていた。黒背景に白文字の会話文を読み終えた彼は、疲れ目を休めようと首を振った。
テレビモニターから右手にある壁、その先の窓へ目をやる。昼の陽射しは強いので、カーテンを引いて外の景色は遮られていた。天井近くに設置された白色の空調が低い唸り声をあげて、室内の湿気を外に追い払っていた。
ドアも閉めて、部屋には彼ひとりきり。黒服の凄腕スナイパーであり、綱吉の家庭教師を公言する奇妙な赤ん坊ことリボーンは、階下でビアンキや他の子らと一緒に午睡を楽しんでいるはずだ。
ゴールデンウィークの真っ只中であるが、特に外出予定は無い。遊びに行きたいが、現実問題金が無いのでどうにもならない、というのが実情だ。
それもこれも、現在進行形でプレイ中のゲームソフトを買ってしまったが為なのだが。
前評判も良く、レビューを見ても面白そうだったので、見かけた時ついレジに持っていってしまった。お陰で月初めに貰った小遣いが一気に目減りして、今月の残り日数を考えるだけで憂鬱になった。
「ん?」
ただゲーム自体は、物語もまだ序盤だが、なかなか手が込んだ演出が盛り込まれており、面白い。これは寝る間も惜しんでやってしまいそうだと期待に胸膨らませた綱吉は、また鳴った窓に首を傾げた。
どうにも不自然な感じがして、コントローラーをテーブルに置いて立ち上がる。床を這うケーブルを避けてゴミが散乱する床を進み、窓辺へと。太陽が隠れてしまったのか、白いカーテンには灰色の影が落ちていた。
「あれ?」
その影の形もどこか妙だ。デジャヴを覚える状況に眉間の皺を深め、彼は息を止めて一気にカーテンを横に滑らせた。
ゴン、とタイミングを計ったかのように、ベランダに居た人物がまた窓を叩いた。
「…………」
やっぱりだ。ガラス越しに姿を見た瞬間、脱力感に襲われて綱吉は額に手をやった。
俯いて小さく溜息を零し、急かす雲雀に促されて窓の鍵を外す。スライドさせようとしたら、先に外から開けられてしまった。
ぬるい――少し暑いくらいの風が流れ込んで綱吉の頬を擽る。後退して場所を譲れば、靴を脱いだ雲雀が右足から窓枠を乗り越えて入って来た。
「少しは玄関ってものを活用してください」
「良いの? 君の家、粉々に吹っ飛ぶよ」
「……やっぱ窓からお願いします」
しれっと言い放った雲雀に、イーピンの特異体質を思い出して綱吉は肩を落とした。
外気よりも僅かに室温が低いと知り、上を向いた雲雀は即座に窓を閉めた。羽織っていた学生服を外して、勝手に其処にあった綱吉の椅子に引っ掛ける。
「ひとり?」
「リボーンなら、下で昼寝を――起きたのかな」
聞かれて、テレビのリモコンを拾い、電源を落とした綱吉が途中で言葉を切った。聞き耳を立てて足元の、更にその下に意識を傾ける。気のせいか、ドアの向こうが少し騒がしかった。
まさか誰かさんが訪ねて来たのを察知したわけではあるまい。声はリボーンではなく、ランボのものだ。何が起きたのかは分からないが、泣き叫んでいる。
「また、なにかやったな」
下にはビアンキも、奈々だっているので、ふたりにあやされてそのうち泣き止むだろう。心配だが綱吉が出向いてやる必要は無いと判断し、彼は立ったままの雲雀に座るよう促して、起動したままのゲーム機を奥へ押しやった。
続きが気になるものの、雲雀が居てはプレイに集中できない。格闘ゲームでなかったのが幸いだと心の中で嘆息し、布団も乱れっ放しのベッドに腰を下ろした青年に目を向ける。
彼の視線がテーブルのグラスに注がれていると気付き、綱吉は苦笑した。
「お茶でいいです?」
「いいよ、これで」
問えば彼は鈴の鳴る声で答え、麦茶が半分程残るグラスに手を伸ばした。
止める暇もなく持ち上げられ、口に運ばれる。生温い液体を喉の流し込んだ雲雀の、上下する喉仏に合わせて息を呑み、綱吉はサッと頬に朱を走らせた。
「なにも、そんな、俺の飲みかけじゃなくても」
「ご馳走様」
ぼそり呟くけれど、声は雲雀にまで届かない。彼は照れた様子もなく、至って平然と空になったグラスを戻し、濡れた唇を拭った。
恥かしく思っているのが自分だけなのがほんのり悔しくて、綱吉は雲雀の隣ではなく、カーペットの敷かれた床に直接腰を落とした。
並んで座るとばかり思っていた雲雀が、足元に沈んだ蜂蜜色の髪を見下ろして少しムッとする。顔は見ずとも気配は伝わって来て、意趣返しが達成出来た綱吉は満足そうに笑った。
階下からは、依然ランボの泣き声が響いている。イーピンの騒ぐ声と、なにやら不穏な発砲音も。
「あいつら、何やってるんだろ」
どたばたと駆け回っているのか、床に手を当てると微かに震えていた。
「君の家は、いつも騒がしいね」
上半身を後ろに傾け、右を上にして脚を組んだ雲雀が不意に呟く。
静かな環境を好む彼にとって、沢田家は決して安住の地ではない。だというのに頻繁に足を向けてくれるのは――特に学校に行く機会が無い長期休暇中の訪問は、嬉しいし、面映ゆかった。
率直過ぎる彼の感想に苦笑し、振り返った綱吉は相好を崩して伸び上がった。
「そうですね。今じゃおやつの時間とか、戦争ですから」
少し前までは考えられなかったことだ。
綱吉は一人っ子だから、兄弟喧嘩も、おかず争奪戦にも無縁で、やりたくても出来ない環境にあった。それが今や、沢田家は十歳未満の子供を複数抱える大所帯に発展し、日々大量の洗濯物に埋もれていた。
菓子ひとつでも大騒動で、果ては殴りあい、蹴りあいの乱闘にまで発展する。ランボは直ぐ癇癪を爆発させるし、リボーンは凶器を振りかざし、イーピンは得意の体術を遺憾なく発揮する。巻き込まれたら、無傷ではいられない。
賑やかで、時々とても物騒だ。静かなのは夜、子供達が寝ている時くらいではないだろうか。
呟き、綱吉は背中をパイプベッドに押し当てた。仰け反って上を向けば、俯いた雲雀と目が合った。
「ヒバリさんは、五月蝿いのは嫌かもしれないですけど」
奈々とふたりだけの生活が長かったので、綱吉は今の喧騒さが楽しかった。たまに鬱陶しく思ったりもするけれど、家にひとりでいる静けさと孤独を思えば、苦痛だと感じる事は稀だった。
はにかんだ彼をじっと見詰め、雲雀は四方八方に跳ねている癖だらけの髪を撫でた。指を入れて掻き回し、一頻り感触を楽しんでから肘を引っ込める。
腕の行方を追った綱吉の琥珀色の大きな瞳が、穏やかな笑みを浮かべた黒髪の青年を見出した。
「ヒバリさん」
「そうでもないよ」
無意識に名を呼んで、綱吉は膝を立てて身体の向きを変えた。柔らかな布団に肘を突き立てて背伸びをすれば、雲雀から溢れた太陽の匂いがふわり、彼の鼻腔を擽った。
軽やかな香りに目を細め、今度は後れ毛を梳いた雲雀の手に頬を押し当てる。雲雀は笑い、小粒の鼻を小突いた。
「いつだって君が、一番騒がしいしね」
「むぅ」
だから騒々しいのも割と平気だと彼は言う。不満を露にした綱吉が唇を尖らせても、発言を撤回しない。
「俺、五月蝿いですか」
「うん」
「む……」
気を遣ってテレビを消してゲームも中断し、口数を減らして大人しくしているつもりだったのだが、雲雀には気付いてもらえていなかったらしい。綱吉は益々頬を膨らませ、面白くなさそうに彼の膝を叩いた。
右の爪先を跳ね上げた雲雀が組んでいた足を解き、黙り込んだ綱吉の髪を撫で回した。皮膚を引っ張られる感触が嫌で首を振っても、離れていかない。
相手を慈しむ仕草に綱吉は段々と視線を伏し、恥かしそうに頭を垂れた。
悔しいが、彼に触れられると胸がドキドキする。動悸が起こり、頭の中が真っ白になって、落ち着かない。
「そんなに、俺、五月蝿いですか」
「うん」
「今も?」
「凄くね」
小声で手短に問うても、雲雀の返事は変わらない。それどころか大袈裟な形容表現まで付加されて、綱吉は殴られたような衝撃を受けた。
静かにしているつもりなのに、これで五月蝿いと言われたら、綱吉は蝋人形にでもならなければいけない。考え込んで苦虫を噛み潰した顔をした彼を笑い、雲雀は腰を滑らせてベッドから降りた。綱吉の肩に肩をぶつけ、意識を呼び寄せて顔を覗き込む。
至近距離から見詰められ、綱吉の鼓動がまたひとつ、跳ね上がった。
「ヒ……」
「ほら、また」
宙を泳いだ彼の手が、探るように綱吉の身体を這った。シャツの上から左胸を撫でられ、綱吉はサッと頬に朱を走らせた。
どくん、と脈打った心臓に戸惑い、意地悪く笑っている青年を見詰め返してばつが悪そうに下を向く。
「五月蝿い、ですか……?」
「そうだね。ほら、また騒がしくなった」
体のラインをなぞる雲雀の手を目で追って、綱吉がしどろもどろに問う。彼はしれっとした顔で言い、襟を抓んで軽く引っ張った。
露になった白い肌に唇を寄せて牙を突きたて、息を殺した綱吉から響く鼓動に耳を欹てる。
緊張から強張る綱吉の頬を撫で、彼は笑った。
「でも、この五月蝿さは気持ち良くて、好きだよ」
2009/04/21 脱稿