長い石段を登った末に漸く辿り着いた神社の境内は、一週間前の賑わいを忘れてすっかり閑散としていた。
参道にひしめき合っていた屋台も取り払われ、詣でる人の数は極端に少ない。三が日では真っ直ぐ歩くのさえ困難を極めたというのに、年明けから十日ばかり過ぎただけで、この有様だ。
「空いてますねー」
白い息を吐いて率直な感想を述べた綱吉に苦笑し、雲雀は最後の石段を蹴って緋色の鳥居を仰ぎ見た。
「これくらいが、丁度良いよ」
なにも初詣だからと言って、年明け早々に出向いてやる必要なんて何処にも無い。素っ気無く言い切った雲雀は長いコートの裾を揺らし、玉砂利が敷き詰められた境内に向かって早足で歩き出した。
追い抜かれた綱吉が慌てて駆け出し、騒々しさとは無縁の、本来の姿に戻った並盛神社の鳥居を潜った。
大勢が群れる人ごみを嫌う雲雀は、混雑激しい時分での外出を嫌がった。それに、正月はお年玉等で懐の暖かくなった学生を狙っての恐喝も増える時期。風紀委員は連日出勤を強いられ、綱吉とふたりでのんびり過ごすなど、どだい無理な話だった。
だから冬休みも終わって正月の慌しさも一段落した今日に、少し遅めの初詣に出向く事になった。
「君はもう、詣でたんだっけ」
二人並べばいっぱいの石畳を渡る雲雀が、ふと足を止めて振り返る。息せき切らせて追いついた綱吉は、置いていかれたことを責めて彼の袖を握った。
「だって、ヒバリさん、時間ないから駄目って言うんだもん」
頬を膨らませ、赤い顔で反論した綱吉は、若干恨めしげに彼を睨んで直ぐに逸らした。
ただ聞いただけであり、咎めたつもりはないのだが、綱吉にはそんな風に受け取られたらしい。質問の仕方が悪かったかと雲雀は内心反省し、長めの袖から伸びる手を丸めた。
爪の先が綱吉の手首に当たり、冷たい衝撃に彼がビクリと肩を震わせる。反射的に握りが緩くなった彼の手を素早く絡め取り、雲雀は掌全体に他者の体温を受け止めて小さく笑った。
「……もう」
結び合った手に視線を向け、綱吉が不貞腐れた声を出す。もっとも頬の赤みは増しているので、唇を尖らせる彼の態度は、怒っているのではなくてただの照れ隠しだ。
拗ねた顔をしながらも、指先に力を込めてぎゅっと握り返してくる。絶対に放すものかという意思の強さを感じ取り、雲雀は笑うと同時に肩を竦め、綱吉から視線を前に戻した。
人影は他に見当たらない。だからこそ、堂々とこうやって手を握り合えるのだから、初詣の時期をずらしたのは案外正解だったかもしれない。
触れ合う肌の温もりに心にも火を灯し、綱吉は歩き出した彼に半歩遅れる形で石畳を渡った。
短い段差を登り、大きな賽銭箱を前にして手を解く。遠ざかる体温が寂しくて、飛んで行ってしまわぬように両手を顔の前で重ねていたら、隣から百円玉が差し出された。
「はい」
「あ、自分で」
「ふたり分だよ」
賽銭に使え、という意味だろう。咄嗟に綱吉は自分のダッフルコートのポケットを叩いたが、敢え無く言い包められてしまった。
一緒に握って、腕を伸ばして木組みの箱に向かって突き出す。同時に指を広げて掌を下に向ければ、硬貨は格子の中に吸い込まれて消えた。
木にぶつかって跳ね返る硬い音が数回響く。じっと行く末を見守っていた綱吉の頭上で鈴が鳴り、慌てて顔を上げれば、雲雀が太い縄を片手に揺らしていた。
ハッとして、急ぎ両手を叩き合わせて黙礼する。雲雀も倣い、浅く頭を垂れた。
たっぷり十秒以上使い、頭の中で願い事を繰り返して強く願う。綱吉が息を吐いて背筋を伸ばした頃には、傍らの雲雀は待ち草臥れた顔で笑っていた。
「なに、お願いしたの」
「う、……と。内緒」
随分熱心に祈っていたと揶揄され、綱吉は赤ら顔でボソボソ言い返した。
「どうして?」
だのに雲雀は諦めてくれず、しつこく問い質そうとする。いつもは綱吉が唖然とするくらいに素っ気無いのに、今日に限って嫌に絡んでくる。
頬を小突かれ、嫌がって腕で払い除けるが止めてくれない。踵を返して歩き出した綱吉を追い、雲雀も長い脚を存分に使って階段をひと息に飛び降りた。
「綱吉」
「だって、はっ、恥かしいじゃないですか!」
「どうして?」
「ヒバリさんとこれからもずっと一緒に居られますようにとか、そんなの、言えるわけな……ぁ」
なおも聞いてくる雲雀に怒鳴り返し、勢い任せに口走った綱吉は、してやったりと笑う雲雀の底意地悪い表情を見て、初めて自分の失態に気がついた。瞬時に顔を赤く染め、頭の火山を噴火させる。
全身から湯気を立てて羞恥に喘ぐ彼を眺め、雲雀は心底楽しげに目尻を下げた。
「へえ。なるほどね」
「うあっ、もう、もう! 馬鹿! ヒバリさんなんか知らない!」
口車に乗せられてしまい、うっかり者の自分を恥じながら綱吉は叫んでそっぽを向いた。大股で進み、雲雀から距離を取る。
癇癪を爆発させた彼を後ろから眺め、雲雀は頬を緩めた。そうやって過剰なまでに反応するから、面白くてつい意地悪をしてしまう。あまり褒められた趣味ではないが、どうやら今年も改められそうにない。
玉砂利を蹴り飛ばし、鳩を追いかけて綱吉が境内を走る。子供のようにはしゃぐ姿に苦笑して、雲雀は社務所に目を向けた。窓は閉ざされ、カーテンで遮られて中は見えない。
軒先の窓辺には、金属製の六角形の筒が置かれていた。無人の御籤販売のようで、横には引き出しが無数に並ぶ棚がある。
「綱吉」
背を向けている綱吉を呼び、人差し指で白壁の建物を指し示す。しゃがみ込んでいた彼は立ち上がって汚れを払い、雲雀に駆け寄った。
「君は?」
「俺は、この前に」
百円硬貨を財布から出し、雲雀が穴の開いた箱に押し込んだ。返す手で六角形の筒を取った彼は、顔の横でそれを音立てて振った。ひっくり返し、小さな穴からはみ出た棒の先端を裏返す。
出て来た数字を記憶して、同じ番号が刻まれた棚の引き出しを引っ張りだした。
中に収められていたのは、非常に薄い、向こうが透けて見えそうな白い紙。そこに流暢な字で書かれた、今年の彼の運勢は。
「だい……きょう?」
「…………」
横から覗き込んだ綱吉が、思いも寄らぬ結果に絶句した。
太めの筆で書かれた、大凶の文字。裏返しても、上下逆にしても、無論火に炙っても変わらない。
あると聞いていたが、生まれて初めて見る。不運続きの綱吉でさえ、一度も引き当てたことが無いのに。よりによって、あの雲雀恭弥が。
恐る恐る窺い見ると、彼もまた驚きの結果に目を見開いて唇を震わせていた。そして、やおら。
「ああ! 駄目です、駄目ですってば!」
握り潰して引き千切ろうとした彼を制止し、綱吉は甲高い悲鳴を上げた。
お手軽な御神籤とはいえ、曲りなりにも神託。そんな扱いをしてはばちが当たる。
腕にしがみつく綱吉の言葉に雲雀はぐっと堪え、皺くちゃになった御籤を広げた。途端、視界に入った不運続くという警句に苛立ちを隠さず、露骨に顔を顰めて拳を固くする。
見た目は実年齢を通り越して大人びているくせに、彼は時々綱吉以上に子供っぽい。悔しさを噛み締めている彼に苦笑し、綱吉はコートのポケットを弄った。
取り出した財布を広げ、幾つか並んでいるポケットのひとつに指を押し込む。折り畳んで隠していたものを引っ張り出した綱吉は、用事が終わった財布を戻して親指大の紙切れを掌に転がした。
雲雀が怪訝に見守る前で、丁寧に広げていく。
「大吉」
「えへへ。前に来た時に、引いた奴です」
正月早々縁起が良かったので、お守り代わりに持ち歩いていたものだ。遠慮がちに笑って言った綱吉は、雲雀が持つ大凶の御籤を抜き取って二枚を重ね合わせた。
表面の皺を揃って伸ばし、首を傾げている雲雀に微笑みかける。
「俺の大吉と、ヒバリさんの大凶と。折半すれば、吉くらいにはなるかなー、って」
言うが早いか、彼はくるりとその場で反転して小走りに駆け出した。
近くに設置された、御籤を結ぶ紐に向かって背伸びをして、手早く二枚一緒に結び合わせる。雲雀が追いつく頃にはもう作業はひと段落しており、彼は胸を反り返して満足そうに頷いていた。
「ね?」
「でも、それじゃ君の」
「いーんです」
申し訳なさそうに呟いた雲雀に首を振り、綱吉は屈託なく笑って肩の力を抜いた。
「だって、俺ひとりじゃ、幸せになんかなれませんから」
一緒でなければ嫌だ。微笑んだ綱吉の言葉に雲雀は目を丸くし、直ぐに相好を崩した。嬉しそうにはにかむ彼に胸が温かくなり、それでいてくすぐったくて仕方が無い。
冷たい風が吹く。いつまでも外に居ては風邪を引いてしまう。そろそろ帰ろうと促し、雲雀は左手を差し出した。
「はい」
頷き、綱吉が右手を伸ばす。
しっかりと結び合わされた手は、今年もきっと、離れることは無い。