賀状

 寒空の下、綱吉は息を弾ませて五段ばかりある階段を一気に駆け上った。
 右足で着地した彼を探知し、自動ドアが勝手に右にスライドしていく。上機嫌のまま建物内部に潜り込んだ彼は、瞬間、頬を撫でた温かい風に頬を緩めた。
「さて、と」
 ATMは何処だったかと視線を巡らせ、首に巻きつけたマフラーを外す。続けて手袋を取った彼は、隅の方に置かれた機械に並ぶ人の列を見て、やっぱり、と肩を落とした。
 クリスマスが終わり、冬休みに突入。たった二週間に二度の大型イベントが連続しているこの季節は、出かける機会が非常に多く、当然のように出費がかさんだ。
 月初めに貰った小遣いの残額は雀の涙で、これではとても年が越せそうに無い。仲間内でやったクリスマスパーティーでのプレゼント交換会で、見栄を張って少々値が張るものを用意したのが、そもそも失敗だった。
 お陰でズボンの後ろポケットに押し込んだ財布は薄く、軽くて仕方が無い。先立つものがないというのは不安でならず、かといって奈々に頼んでも却下されるのがオチだ。その為仕方なく、彼は最後の手段に打って出た。
 綱吉が個人で管理している口座は、郵便局のもの、ひとつだけ。それも貯金なんてまともに出来た例がなく、通帳の最後に記されている数字は桁が四つしかない。
 とはいえ、背に腹はかえられない。たとえ千円でも、二千円でも、手持ちの金額が増えるのが最優先事項だ。
 ところが勇み足で郵便局へ来たところ、年末を迎え、彼と同じ事を考えている人は思いの外多かった。
 ざっと見た感じ、十人以上の列が出来上がっている。しかも人の減り具合は、非常に遅い。
 呆気に取られているうちに、後ろから来た人が列の最後尾に加わってしまい、綱吉は軽く落ち込みながら頭を掻きむしった。
「邪魔だよ」
「うわっ、すみません」
 ぼんやりドアの前にいつまでも立っているのは迷惑極まりなく、案の定怒られて綱吉は反射的に首を竦めた。
「え……?」
 そして右足を前に突き出して小さくなった姿勢で、聞き覚えのある声に驚き、振り返った。
 黒いセミロングコートに、濃紺のスラックス。黒光りする革靴で、首に巻いたマフラーは深緑。肌は絹のように白く滑らかで、吊り気味の細い目から覗く瞳は漆黒。長めの前髪が額の中央に寄っていて、不機嫌に結ばれた唇は仄かな紅色だ。
「ヒバリさん?」
「邪魔だよ、退いて」
 見慣れた制服とは違う出で立ちの彼に呆気に取られていたら、雲雀は低い声で繰り返して顎をしゃくった。
 言われて我に返り、急ぎ道を譲る。するとゴロゴロと何かが転がる音がして、見れば段ボール箱が台車で運ばれてくるところだった。
 押していたのは草壁で、彼も黒を基調とした私服姿。雲雀と違って、体格と顔つきの所為もあるのだろう、傍から見ればどこか組織の構成員のようだった。
 騒音を巻き起こす彼らに、局内に居た人々も一斉に注目する。巻き添えで無数の視線を一緒に浴びせられて、綱吉は首筋に冷たい汗を流した。
 気付いてカウンターの奥から飛び出して来た人が、何度もお辞儀をしながら草壁の台車に駆け寄った。交替で運ぶのを引き受けて、いそいそと中に戻っていく。
「あれ、……なんなんですか?」
「年賀状」
 封がされているので中身は見えなくて、綱吉は好奇心に負けてつい声に出して問うた。すると予想していなかった返事があって、目を丸くして傍らの青年を凝視してしまった。
 不躾な視線に、雲雀が不愉快だと言わんばかりに唇を尖らせる。
「なに」
「え、あ、いや……」
 群れるのを嫌う彼が賀状とは、意外な気がした。しかし思ったことを素直に告げたら、即座に隠し武器のトンファーで滅多打ちにされそうなので、やめておく。
 草壁が事務処理にカウンターにへばりつき、郵便局員は枚数確認に忙しい。年の瀬で窓口も混雑するこの時期に、なんと迷惑な客だろうか。
 だが誰も文句を言わないところが、並盛町に君臨する雲雀の強権さを物語っていた。
「ずいぶん、沢山出すんですね」
 大人の男性が身体全体を使って抱えなければならない大きさの箱が、ふたつ。しかも見た感じ、かなり重そうだ。
 ぎっしり中身が詰まっているのを想像し、呟く。ひょっとして雲雀は、群れたがらないだけで、実は友人、知人に恵まれているのだろうか。
「そうだね。借金返済の督促も兼ねてるし」
 聞かなければ良かった。
 想像の斜め上を突き抜ける雲雀の返答に、綱吉は表情を凍りつかせた。しかしそっちの方が余程雲雀らしいと感じる辺り、綱吉も十分彼に毒されている。
 しかし正月早々届く賀状で、借金を返せと言われる方は堪ったものではなかろう。可哀想に、と送りつけられる人に同情を抱くと共に、どうしてこの人は中学生でありながら金融業にまで手を出しているのかと、世の中の仕組みに疑問を抱かされた。
 雲雀の登場の際は静まり返った郵便局内にも騒然さが戻り、綱吉はハッとしてATMの行列を振り返った。こんなところで油を売っている場合ではないと、先ほどよりも確実に伸びている列に地団太を踏む。
「君は?」
「はい?」
「こんなところに、何の用事?」
 雲雀のように年賀状を出しに来たわけではないと、様子から察したのだろう。よもや彼に訊かれると思っていなかった綱吉は、またも出しかけた足を前に運ぶことが出来ずに首を傾げた。
 彼の方から話し掛けてくるなんて、珍しい。熱でもあるのかと内心疑いつつ、返事をしないわけにもいかなくて、綱吉は混雑している現金預け払い機を指差した。
「ちょっと、お金を下ろしに」
 苦笑を交えて告げ、もう行っていいだろうかと視線で問いかける。
 こうしている間にも、列に人は増えていく。最初は十人程度だったのに、今ではその倍近くが大人しく順番を待っていた。窓口の方も、草壁が職員を三人も占領している所為で、元々混雑していたというのに、状況は悪化の一途を辿っていた。
 面倒な処理は全て風紀委員副委員長任せで、雲雀はこの場を一歩も動くつもりがなさそうだ。待っている間は退屈なので、綱吉を暇潰しの相手にしようとしているのだろう。
「お金?」
「です。お正月までになくなっちゃいそうだったから」
「ああ、そういえば君は、貧乏だったね」
 ちょっとでも財布を重くしておきたいのだと頬を掻いて言えば、雲雀はさらりと、人がグサっと来ることばを返してくれた。
 確かに綱吉は貧乏だ。手元に金銭を置いておくと、後先考えずに使ってしまう。貯金をしようと過去何度も試みたが、悉く失敗に終わっていた。
 怒りと悲しみが折半した顔で握り拳を震わせた彼に、雲雀は返事がないのを肯定と捉えて悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「じゃあ、これ。あげる」
「ほえ?」
 言って、彼がコートのポケットから取り出したのは、一枚の葉書だった。
 差し出され、受け取って、綱吉は丸い目を細めて首を傾げた。
「なんですか、これ」
「書き損じ」
 裏一面が真っ白の葉書から顔を上げ、雲雀に問うた。すると彼はしれっとした顔で告げ、ようやく処理が終わった草壁が戻って来るのを出迎えた。
 空っぽになった台車を押して、リーゼントヘアの男が綱吉に深々と頭を下げる。つられて綱吉も頭を下げ、通り易いように半歩後退した。
「五円払えば、新しいものに替えてもらえるから。それで、懸賞にでも応募するんだね」
 くれる、と言ったくせに手数料はこちら持ちか。
 踵を返した雲雀の物言いにカチンと来て、綱吉は苦虫を噛み潰した顔で葉書を裏返した。いったいどんな失敗をしたのかと、憤然としながら几帳面に並ぶ流麗な文字を眺める。
 直後、目を見開いて息を呑んだ彼は、自動ドアを潜り抜けて建物を去ろうとする雲雀を大声で呼び止めた。
「ヒバリさん!」
 足を止めた彼に、見た限り何処も書き損じてなどいない表書きを指し示す。
「これ……これ、裏が白くないのって」
「さあ、ね」
 元日の朝、書き損じではない年賀状は届きますか。
 興奮で先を続けられなくなった綱吉に不遜な笑みを返し、雲雀は意味深な言葉を残して郵便局を出て行った。
 綱吉は雲雀の自宅住所を知らない。知らないから、今年の年賀状は出せなかった。
 その彼の手の中には、来年用の、裏が白紙の年賀状が一枚。
 表の宛名は中央に大きく、差出人は少し小さめの字で左下に。「さ」で始まって「し」で終わる名前の人に宛てた、「ひ」から始まり「や」で終わる人からの年賀状が。
 今年も残すところ、今日を含めてあと三日。だけれど夕方までに出せば、同じ町内だ、きっと元日の配達に間に合う。
 ぶるり、と寒気に襲われて綱吉は全身に鳥肌を立てた。じっとなんかしていられなくて、その場で足踏みを繰り返し、ガッツポーズを作る。直後、駆け出した。
 ドアを抜け、郵便局へ来た本来の目的も忘れて、一足飛びに階段を飛び降りる。
 北風吹き荒ぶ冬の空に、ひと際楽しげな笑い声がこだまし、消えて行った。