吐く息が白く濁る。前方に灰色の壁が現れた錯覚に陥って、雲雀は目を瞬いた。
そんなわけが無いとゼロコンマ二秒後に気付いて自嘲を浮かべ、ゆるゆると首を振る。疲れているのかと眉間に指をやって軽く揉みしだき、交差点を右に曲がったところで前に向き直れば、二十メートルばかり離れた場所をのろのろと歩く人の姿が見えた。
あまりにも見覚えがあり過ぎる特徴的な容姿に、切れ長の目が知れず見開かれた。
「沢田?」
思わず呟き、彼はハッと短く息を吐いた。
住宅地の中を走る道は一方通行の標識が掲示されて、速度は三十キロに制限されている。それでも偶に猛スピードで走り抜けるバイクやら、乗用車が後を絶たず、一旦停止のマークも無視されることもしばしばだった。
先日も自転車との接触事故があったが、運転手は転倒した被害者を放置して走って逃げてしまった。無能な警察は未だ犯人を見つけ出せずにおり、このままでは怪我をした女性が泣き寝入りをすることになる。
腹立たしい事件が超速で頭の中を駆け抜けて、被害者の顔が別の人物にすり替わった。
折しも雲雀の真横を、徐行しながらではあるが白い軽トラックが走り抜けていった。廃品を集めて回っているのか、荷台には古びたテレビやらなにやらが、落ちないようロープで固定されていた。
排気ガスの臭いが鼻腔を刺した。思わず手の甲で口を塞ぎ、顔を背けて息を止める。そうスピードが出ていないとはいえ、車は重く、頑丈だ。一寸掠めるだけでも、歩行者にとっては充分凶器だ。
鼓膜を震わせた震動とエンジン音を頭から追い払い、脳裏を過ぎった嫌な想像を打ち消して前に向き直る。と同時に安堵の息を吐いて、雲雀は休めていた足を前に繰り出した。
心持ち急ぎ足でアスファルトの道を行けば、のんびりした足取りの少年に追いつくのは簡単だった。
爪先が落ちていた砂利を踏んだ。蹴り飛ばされる小石が奏でた微かな音と気配に、声を掛けるより早く向こうが振り返った。
「わっ」
そして残り三メートルを切っていた雲雀の姿を見て、驚いて悲鳴をあげた。
右手にぶら下げていたビニール袋が上下に弾んで、角張った底が彼の太腿を直撃した。突き刺さった痛みにも戦いた少年は、蜂蜜色の髪の毛をぶわりと膨らませ、弾む心臓をコートの上から押さえこんだ。
「ム」
琥珀色の瞳をまん丸に見開いて驚愕を露わにした彼に、雲雀は無意識に口を尖らせた。鋭くなった目つきに頬をヒクリとさせて、沢田綱吉は酷くぎこちない笑みを浮かべて場を誤魔化そうとした。
「ひっ、ヒバリさん。ここ、こんにち……は」
若干呂律が回っておらず、口調はどこかたどたどしい。無理のある引きつり笑いをじっと見据えて、雲雀は不機嫌の度合いを強めてぷいっ、と顔を逸らした。
動きに合わせて黒い学生服の袖がゆらゆら揺れた。緋色の腕章を固定している安全ピンが、陽光を反射して一瞬眩しく輝いた。
強烈な光に網膜を攻撃されて、目が眩んだ綱吉が右手で額を覆った。首を振ってついでに前髪をくしゃりと握り潰し、乾いた唇を舐めてから四肢の強張りを解いてふっ、と息を吐く。
手が顔の前から胸元に沈んでいくまでの僅かな時間で、表情は一変した。
「ふへへ」
照れ臭そうに、それでいてどことなく嬉しそうに微笑む少年に、雲雀は意固地を通し抜くのを諦めた。
降参だと早々に白旗を振り、肩を竦めて両手は腰に当てる。通行人の邪魔にならぬよう道端に寄った彼は、綱吉が持っている荷物に目をやって眉目を顰めた。
視線を気取った少年が、紺色の袋をガサガサ言わせた。
紺地に描かれた白文字は、駅前商店街にある本屋の名前と同じだった。その下に小さく住所と電話番号も記されている。表面の皺は少なく、使い古された感もない。袋の中身が何であるのかは、容易に想像出来た。
「また漫画?」
「ぎく」
「君さ、中学生にもなって、そんな絵ばっかりの本なんか読んでないで。少しは参考書の一冊や二冊、頭に入れてみたらどうなの?」
綱吉の部屋にある本棚のラインナップを思い浮かべながら口を開けば、出て来るのは説教ばかり。こんな事を言いたかったのではないのに、と自分を咎めるけれども修正は利かず、雲雀は誰に対してか分からないため息を零した。
思い掛けず小言を食らう羽目に陥った綱吉はといえば、買ったばかりの本を大事そうに胸に抱え、食いしん坊なリスに負けないくらいに頬をぷっくり膨らませた。
「俺のお小遣いで買った本です。ヒバリさんに文句言われる筋合い、ありませんよー、だ」
あっかんべーと舌を出し、嫌味に嫌味で対抗して目の下を引っ張る。今どきの小学生でもやらないような子供っぽさを披露されて、雲雀は愛らしい表情を瞼に焼き付けつつ、やれやれと肩を竦めた。
呆れていると分かる態度に拗ねて、綱吉の顔がむすっと歪んだ。下唇を咬んで一層可愛らしい顔をして、上目遣いに人を睨んでぷいっとそっぽを向く。
そのまますたすた歩き出した背中を追って、雲雀も長い足を自慢げに前に運んだ。
白にオレンジのラインが入ったスニーカーと、ぴかぴかに磨かれた黒一色のローファーとが横に並んだ。
「なんでついてくるんですか」
「僕もこっちに用があるんだよ」
「だったら離れて歩いてください」
「君に命令される筋合いはないね」
この道は誰の所有物でもない、公の場だ。それにいつ車が来るかも分からないのに、わざわざ真ん中を歩いてクラクションを鳴らされるのも馬鹿らしい。
理路整然と持論を主張されて、綱吉は相変わらずの心地よい低音に口をもごもごさせた。
「どうせ、車が来たって避けないくせに」
むしろプップーと煽られでもしたら、トンファーでボンネットを凹ませるくらいやりそうだ。楽に想像出来てしまう恐ろしい光景に背筋を震わせて、そんな場面に遭遇するくらいなら、と綱吉は渋々左側を彼に譲った。
お陰で家々の壁や塀と彼の間に挟まれる事になり、堅苦しくてならない。もうちょっと開放感溢れる帰り道を堪能したかったと、買ったばかりの漫画本を袋の中で揺らしていたら、後方から迫る音に反応して真横を行く青年の肩がピクリと跳ねた。
尖った気配を肌で感じ、顔を上げる。その視界いっぱいに、雲雀の学生服が映し出された。
「ぶっ」
鼻先を掠めた厚みのある布から、ほんのりと汗の匂いが漂った。呼吸のタイミングのせいでいっぱいに吸い込んでしまった綱吉は、目を閉じているうちに通り過ぎたグレーのワンボックスカーを見送って首を傾げた。
足が止まった雲雀の角度が、歩いていた時とほんの少しだが違っていた。まるで狭い道を行く車から綱吉を庇うかのように、日射しを遮って影を作っていた。
擦ったかもしれない鼻の頭を撫で、探るような目で斜め上を見る。が、彼は目を合わせてはくれなかった。
余所向いたまま、庇ったというのも勝手な思い込みによる錯覚だと言わんばかりに無言で歩き始める。広がる距離に慌てて地面を蹴り、綱吉はなんとも言えない空気に唾を飲んだ。
とくり、と胸が高鳴る。どきどきするのは、きっと彼の体温が近い所為だ。
「えと。あの」
「なに?」
「ああ、いえ。なんでもないです」
今、貴方は車から自分を庇ってくれましたか。その問い掛けが喉のところまで出かかって、するりと引っ込んでいった。
どうせ声に出して確かめたところで、答えてはくれないのだ。ならば本当のところは聞かずに、都合の良いように解釈してしまえ。
ちらりと向けられた視線に首を振り、彼はふふ、と含み笑いを零して目を細めた。急に噴き出した綱吉を怪訝に見下ろし、雲雀は首を左に捻って眼を空に流した。
少しずつ、少しずつではあるけれど、春の息吹が感じられるようになっていた。
とはいえ朝晩の冷え込みはまだまだ厳しく、吹く風はまるで透明な刃だ。突き刺さる鋭い冷風に白い息を吐き、彼はだらりとぶら下げた両腕をリズムに合わせて前後に振った。
「っと」
「あっ」
その指先が、何かにぶつかった。
一瞬だけ交差した感触に、熱が追い縋る。骨に響いた衝撃に瞠目して首をそちらに回せば、零れ落ちそうなくらいに見開かれた琥珀色の双眸が目に飛び込んで来た。
鏡を覗き込んでいる気分になって、雲雀は反射的に顔を背けた。頬が赤らむのを止められない。肩がぶつかりそうな近さで歩いていたのだから、揺れる手と手が擦れ合うのだって充分起こりえることだと分かっていた筈なのに。
「え、あ、……っ」
声も出ないでいる彼を呆然と見上げて、綱吉もまたじわじわ迫り上がって来た感覚に唇を戦慄かせた。
裏返った声に自分でも驚いて口を塞ぎ、俯いて爪先で地面に穴を掘る。踵をぐるぐる回している彼を横目で盗み見て、雲雀はちっとも進まない道程に内心舌打ちした。
このままでは町内の見回りも、時間内に半分済ませられるかどうか甚だ怪しい。何が何でもやり通すと決めて貫き通して来たことなのに、そんなことはどうでも良いと考えてしまっているもうひとりの自分を殴り飛ばして、彼は甘い痺れを訴えている手で黒髪を掻き上げた。
額を一瞬だけ晒して窄めた口から息を吐き、覚悟を決めて腕を下ろす。
「ヒバリさん?」
「家まで送る」
「え?」
急に気難しい顔をしたと思えば、遠くばかりを見つめて心此処に在らずの彼を呼んで、綱吉が怖々手を伸ばした。肩に羽織る制服の裾を抓もうとしたところで不意に言われて、短い爪が布を弾いた。
真っ直ぐ目を見ながら告げられたのに、耳が音を拾い切れなかった。目を点にして、口をぽかんと開いている彼に苦笑を浮かべ、雲雀は寝癖が残る蜂蜜色の頭を後ろから軽く叩いた。
「あでっ」
少ししか力を入れていなかったのに、小柄な身体は呆気なく前に傾いた。転倒を回避しようと振り回された両手の、自分に近い方をパッと捕まえて、雲雀は素早く指同士を絡めて握り締めた。
背筋を伸ばした綱吉の顔が、熟した林檎よりも赤く染まった。
「んな、なっ」
「騒ぐと目立つよ」
きゅっ、と擦れ合う肌が起こす摩擦に指が引き攣る。突然の出来事に狼狽して右往左往する少年を小声で諭し、雲雀は通り過ぎていった自転車から繋いだ手を隠した。
きっと見えなかったに違いない。いや、見えたかもしれないが意識はされなかっただろう。
現に運転手は速度を緩めることなく、視線をずらすこともなく、あっという間に遠ざかっていった。振り返りもしない背中に安堵の息を吐いて、綱吉はなにか言いたげな目で隣を窺った。
紅に色付いた頬はいかにも甘そうで、美味しそうだった。
「いいんですか」
「いいよ。ここは、僕の町だ」
こんな真っ昼間から、天下の公道を男同士、手を繋いで歩くなど。
少し前は考えられなかった暴挙に出た彼の返答にクスリと笑みを零して、綱吉は深呼吸を繰り返した。
五月蠅い胸の鼓動を鎮めて心を落ち着かせ、照れの中に喜びを滲ませて頬を緩める。蕩けそうな微笑みに目を細め、雲雀は握った手に力を込めた。
痛いかもしれないと思いつつも、緩められない。重ね合わせた肌から伝わって来る確かな思いを受け止めて、彼は目尻を下げた。
再び、ふたり並んで歩き出す。つかず離れず、同じリズムで。
「あー、もう。早く春が来ないかな」
時折ふたりの間を駆け抜けていく風は冷たく、ちょっと擽られるだけでも背筋が凍える。身震いして口を尖らせた綱吉に、雲雀は目を細めて首肯した。
「君は寒がりだからね」
「そうですよ。だって、寒いの嫌じゃないですか」
相槌を打って呟けば、急に勢いを増した綱吉が鼻息荒く力説した。
小走りに前に回り込んで拳を作った彼には、苦笑するしかない。若干頬を引き攣らせた雲雀をジト目で見上げて、綱吉はむぅ、と低い声で唸った。
愛らしい瞳を半眼させて睨まれて、雲雀は小首を傾げた。
「なに」
「ヒバリさん、寒くないんですか」
前々から不思議に思っていた事だが、彼は真冬でも結構な薄着で毎日を過ごしていた。
ベストやセーターを着込んでいるところは見かけても、綱吉のように厚手のコートを羽織って手袋、マフラーで武装、というのは見たことが無い。今日だって白のワイシャツに紺色のベストを着て、その上に学生服を羽織っているだけだ。
もし綱吉が真似しようものなら、ものの一日も経たないうちに風邪を引いて熱を出すに違いない。彼が頑丈で健康な証拠だが、見ている方まで寒くなってしまうので、出来ればもう一枚くらい重ね着して欲しかった。
暖かくなりつつあるとはいえ、気候は冬そのもの。白い息を吐いた彼の問い掛けに、雲雀は依然繋がったままの手を揺らした。
左手を引っ張られた綱吉が、何事かと怪訝に眉を顰めた。
察しが悪い彼に相好を崩し、黒髪の青年が口角を歪めた。
「平気だよ。だって」
「だって?」
「君の手、温かいね」
「……ばっ!」
充分カイロ代わりになると耳元で囁いてやれば、浴びせられた微風にゾクリと来た綱吉が赤い顔をして悲鳴をあげた。
金魚のように口をパクパクさせて目をまん丸に見開いたかと思えば、勢い良く俯いて顔を隠し、いきなり膝で蹴って来た。
「こら」
「ヒバリさんが変な事言うからでしょ!」
「変じゃないよ。本当の事じゃない」
今だって、こうやって繋ぎ合わせた場所から熱が伝わって来て、ぽかぽかと温かい。
茶化しているつもりはないと真顔で呟き、互い違いに絡ませた指で白い肌を甘く擽ってやる。揺るぎない瞳をちらりと窺って、綱吉は面映ゆげに目を逸らした。
手袋を忘れて来たのを、家を出た直後は激しく後悔したものの、今はそれで良かったと心底思えてならなかった。
本当は、漫画を買いに行くのだって明日、明後日でも全く問題なかったのだ。ただ今日は偶々時間があって、たまたま出かけてみようかな、と気持ちが傾いただけで。
運命など信じてはいないが、会った事もない神様に心の中でひたすら感謝の心を並べ立てる。家に帰り着いても左手は洗わずにいよう、などと考えながら、歩みを再開させて並盛をゆったりと行く。
そうして、永遠とも思える時間は唐突に終わりを告げた。
「着いちゃっ、た」
遠くに見え始めたオレンジ色の屋根が徐々に近付き、ぼんやりしていた家の外観もはっきりと目に映るようになった。角地で日当たりも良好な敷地では物干し竿に洗濯物が揺れて、屋内で騒ぐ子供の声が外まで響いていた。
閉ざされた門扉は安物のちゃちな代物だが、綱吉の目には断頭台で待ち構えるギロチンの刃にすら感じられた。
この門が、強く結ばれたふたりの手と手を分かつのだ。
「手洗い、うがい、忘れないようにね」
どうしてもっと遠回りの道を選ばなかったのか。後悔が胸に渦巻く中、名残惜しげに雲雀が告げた。
温もりが解けた。遠くなる彼の体温を追い掛けて、綱吉は前に出かかった左手を右手で押さえ込んだ。
一緒に握り締めた本屋のビニール袋が、ガサリと嫌な音を立てた。
耳障りな不協和音に一瞬苛立ちを募らせ、言葉にならない想いに鼻を愚図らせる。下唇を浅く噛んだ彼を見つめ、雲雀は僅かに残る温もりを閉じ込めんと、右手をズボンのポケットに忍ばせた。
今日会えたのは、偶然だ。雲雀はこの後も町内の見回りが残っており、それが済めば学校に戻って書類仕事が待っている。
忙しい身の彼を長時間拘束するなど、あってはならないことだ。綱吉と雲雀とでは、立場が違う。名ばかりのマフィア十代目と、様々な権限を与えられた風紀委員長では、果たすべき責務も段違いだ。
だからここで寂しいだとか、行かないでだとか、口が裂けても言うわけにはいかなかった。
「じゃあ、また明日。寒いからって寝坊して、遅刻するなんて許さないよ」
「あっ……」
雲雀だってそれは分かっている筈だ。懸命に言葉を押し殺し、感情を堰き止めている綱吉を少し哀しげに見つめて、やがて踏ん切りがついたのか別れの言葉を口にした。
寒さに凍えて白くなった左手を振って、静かに沢田家の門前を離れようとする。
その背中に、綱吉は無意識に声をかけていた。
じゃり、とアスファルトを踏んだ雲雀が何事かと振り返った。中途半端なところで停まっている小さな手に気付いてふっと微笑んで、楽しげに頬を緩めてもう一歩を踏み出す。
歩みは止まらない。しかし笑顔で離れ行く彼を見ていたら、胸の中で吹き荒れていた嵐もいつしか何処かへと消え失せてしまった。
彼が好きだという気持ちと、彼が好いてくれているという想いが真ん中でぶつかり合って、砕けるのではなく混ざりあい、溶け合っていく。
ほうっと短く息を吐いた綱吉に肩を竦め、雲雀は背筋を伸ばした。進行方向に向き直り、当初の予定に戻ろうと長い足で大地を踏みしめる。
せめて見えなくなるまでは、と家の中に入らずにその場に佇む道を選んだ綱吉は、ひゅっ、と駆け抜けて行った棘のある冬の風に首を竦ませ、大きく揺れた学生服に息を呑んだ。
「ヒバリさん!」
胸の前で弾んだマフラーを握り、真下へと引っ張る。もれなく絞まった首を慌てて解放して、彼はきびきびした足取りを崩さない男を追い掛け駆け出した。
手荷物は門扉の前に放置して、家を出る直前から巻いていたお陰ですっかり温い毛糸の首巻きを解きほぐす。真っ直ぐ伸ばせば一メートル以上あるそれを横に広げて頭上に掲げた彼は、二度目の呼び止めに首を傾げた青年に向けて、手にしたものを勢いつけて叩き付けた。
「なに」
端で肩を叩かれた雲雀が、スピードを失った布を胸の前で受け止めた。短時間で息を弾ませた綱吉が、興奮に頬を紅潮させて彼に詰め寄った。
マフラーを取り返して、改めてピンと伸ばして爪先立ちになる。背伸びをした彼の腕が肩の上を行き過ぎて、抱き締められるのを警戒して仰け反った雲雀は、直後襟足に触れた柔らかな温もりに瞬きを繰り返した。
ふわりと緩く結ばれたマフラーが、むき出していかにも寒そうだった彼の首を包み込んだ。
「これ……」
「えへへ」
対する綱吉は、ずっと隠れていた白い肌の露出が増えて寒そうだ。驚く雲雀にしたり顔を向けて、少年は悪戯っぽく舌を出した。
急いで解こうとする男の手を制して、ゆるゆる首を振る。
「あたたかいでしょ、それ。俺のお気に入りなんです」
「だったら」
「だから、貸してあげます」
雲雀の胸を軽く衝き、反動を利用して綱吉が顔を上げた。茶目っ気たっぷりに告げて、言われる前に気付け、と目で訴える。
確かにマフラーは冷たい風を遮り、冬の気配を遠ざけてくれた。綱吉の体温も、色濃く残っている。なにより持ち主の匂いが染みついているので、彼に抱き締められている錯覚すら抱かされた。
意識した途端気恥ずかしさが増した。カーッと赤くなった彼につられて頬を朱に染めて、綱吉は誤魔化しに鼻の頭を掻いた。
目を泳がせて、けれど結局最後には雲雀を見つめて。
「大事に使ってくださいね。それじゃっ」
そうっと囁き、駆け出す。
置き去りにした荷物を回収して門を開け、小さな背中は瞬く間に雲雀の視界から消えた。待っていても戻って来ない。だが彼の優しさも、心も、雲雀のすぐ傍にしっかりと残された。
不器用に結ばれたマフラーを愛おしげに撫でて、彼はクスクス声を殺して笑った。
「ああ、本当に。あたたかい」
これがあればどんな極寒の地でもやり過ごせる。そんな大袈裟な事も真面目に考えて、彼は幸せそうに目を細めた。
2012/01/12 脱稿