如月

 遠くから聞こえて来た母らしき声に、綱吉は顔を上げた。広げはしたものの一向に進まない問題集から嫌そうに目を逸らして、空耳だろうかと眉を顰めて視線を泳がせる。
「あ、そうだ」
 しかしたまたま視界に入った壁時計がもうじき七時になるところを指し示しているのに気付き、彼は慌てて椅子を引いて立ち上がった。
 今の声は聞き間違いなどではなく、確かに彼を呼んだものだ。
 ぼんやりしていた。気がつけばリボーンは部屋におらず、二階の自室に彼はひとりきりだった。
「ちぇ」
 あの鬼の家庭教師がいないのであれば、教科書と睨めっこし続ける必要などなかったのだ。体裁だけでも整えておかないと怒るので、嫌々ながら机に向かっていたというのに、損をした気分だ。
 悪態をついて口を尖らせ、靴下でフローリングを踏みしめる。ひんやりとした感触に、背筋がぞわぞわ震えた。
「うー、早く下りよっと」
 急いで空調のスイッチを切り、部屋の照明を消して廊下に出れば、なかなか姿を現さない息子に焦れたのだろう、奈々が階段下から顔を覗かせた。
「早くいらっしゃい」
「はーい」
 急かされて、急ぎ足で一階へ向かう。先に引っ込んだ母を追い掛けてダイニングに進もうとして、彼は途中で思い留まり、トイレのドアノブに手を伸ばした。
 が、開かない。鍵が掛かっているのか、ガチャガチャ言うばかりだった。
「あっれー」
「入ってるぞ」
「うわ、リボーンかよ」
 いったい誰が、と思って眉を顰めていたら、彼の心を読んだのか中からくぐもった声が聞こえた。特徴のある赤子の高いトーンに驚いて、綱吉は吃驚して仰け反り、ドアノブから手を離した。
 少し前まで綱吉の部屋に居座り、睨みを利かせていた黄色いおしゃぶりを持つ赤ん坊は、自称世界最強のヒットマンであり、凄腕の殺し屋だという話だ。
 確かに知識は豊富で、射撃の腕前も超一流だ。しかし彼は、赤ん坊だ。黒のボルサリーノを被り、真っ黒のスーツで身を固めてはいても、外見はあくまでも一歳児だ。
 時々ドキリとする事を言われて冷や汗をかく機会もあるけれど、彼の語る話は冗談やホラが多すぎる。真に受けるのは、あまりにも馬鹿らしい。
「早く出ろよ」
「だったら外でしてこい」
「んなことできっこないだろ。寒いのに」
 ドアを挟んで催促するが、快い返答は予想通り得られなかった。生意気な命令に反発して頬を膨らませて、彼は悔し紛れに扉を蹴り飛ばした。
 爪先が痛いが我慢して、渋々予定を変更する。洗面所で手を洗ってダイニングに顔を出すと、夕食の準備は既に整っていた。
 沢田家には家族が多い。血の繋がった親子関係にあるのは奈々と綱吉の二人だけだが、居候がひとり増え、ふたり増え、でいつの間にやら近所でも類を見ない大所帯になっていた。
 同居人が増えるに連れて椅子を買い足していったので、大きさもデザインもてんでバラバラだ。しかしひとつのテーブルを囲むと、途端に調和が取れた不思議な心地よさが場を包み込んだ。
 ランボ、イーピン、フゥ太は既に席に着いていた。ビアンキも準備万端だ。エプロンをした奈々だけが、流し台の前に立っていた。
「さあさ、早く座って」
「分かってるよ。……なに、これ」
 料理中に出たゴミを片付けている母に急かされて、綱吉は年季の入った椅子を引いた。リボーンが家庭教師としてやってくる前から固定だった席に腰を下ろそうとして、卓上に並ぶ見慣れぬ品に眉を顰める。
 揚げ出し豆腐に味噌汁、焼き魚までは分かるのだが、あとひとつが分からない。
 夕食として相応しいとは思えないその一品は照明を浴びて黒々しく輝き、異様な雰囲気を食卓に与えていた。
 寸胴で、三十センチ近い長さがある。どうやら巻き寿司らしいのだが、ならばテーブルに出る前に切り分けられて然るべきだ。
 それが人数分、ピラミッド状に積み上げられていた。なお、子供達用にと少し細くて短いものも用意されていた。
「あら、ツナ。知らないの? 遅れてるわね」
「な、なんだよ。悪かったな」
 立ったまま戸惑っていたら、イタリア人であるビアンキに馬鹿にされてしまった。ため息をついて見上げられて、悔しさと恥ずかしさに綱吉の顔は真っ赤になった。
 そこへ小用を済ませたリボーンが入って来て、慣れた調子で彼女の足許に向かった。しなやかな両腕に抱き上げられて、指定席である膝の上に腰掛ける。
「どうしたんだ?」
「聞いてくれる、リボーン。ツナってば、恵方巻きを知らなかったのよ」
「そいつは、遅れてるな、ツナ」
「んもう、なんなんだよ二人して!」
 若干険悪な雰囲気を気にしてビアンキを仰いだ彼に、見目麗しい女性が婀娜っぽく微笑んだ。周りに聞こえる程度に声を潜めて囁く、なんともわざとらしい彼らのやり取りに、綱吉は地団駄踏んで怒鳴った。
 急な大声に、食事開始の合図を待っていた子供達がビクリと肩を震わせた。怯えて怖がる幼児にハッとして、綱吉は奈々に睨まれたのもあって急ぎ椅子に座った。
 居住まいを正して、皿に盛られた太巻きに見入る。中の具材は干瓢、卵焼きなどと、巻き寿司の定番が揃っていた。
 一本食べ切るのは、かなり辛そうだ。そもそも何故食べやすいように切り分けられていないのかと、彼は手を抜いたとしか思えない母を恨めしげに見た。
 息子の苛立った視線に気付き、奈々がクスリと笑った。
「今日は節分でしょう?」
「え?」
 壁のカレンダーを見ながら告げられて、綱吉は今気付いた顔をして目を瞬いた。
 そういえばコンビニエンスストアの前の幟にも、そんな文字が多数躍っていた。しかし自分には豆まき程度しか縁がないものと、さほど興味を抱いてこなかった。
 思わぬ指摘にきょとんとして、彼は自分の前に置かれた皿に顔を向けた。
 魚だ。腸は抜かれているけれど、頭から尻尾まで綺麗に揃っている。大根下ろしが添えられて、美味しそうな匂いがした。
「イワシ?」
「そう。あと、恵方巻きね。折角だから作ってみたの」
「あ、あのさ。さっきから言ってるその、なんとか巻きって、……なに?」
 節分と言えば、この魚だ。自然と頭に浮かんだ単語を口遊んだ彼に嬉しそうに頷いて、奈々は続けられた質問に不思議そうな顔をした。
 人差し指を顎に当てて視線を泳がせてから、答えを探してリボーンの方を見る。
「なんだったかしら?」
「ちょっと!」
 惚けているわけではなく本気で呟かれて、綱吉は思わずテーブルを殴りつけた。
 食器がガチャガチャ音を立てて、リボーンが不満げに顔を顰めた。落ち着くよう教え子を手で制して、その無知ぶりを鼻でふっ、と笑い飛ばす。
「むぐぐ」
「関東の方じゃ無い風習だったらしいからな。まあ、知らなくても仕方が無いのかもしれねー。けど、最近じゃ割と有名だぞ?」
「そうよ、ツナ。聞いた事無いかしら、節分の時に太巻きを、年ごとに変わるおめでたい方角に向かって食べる風習」
 悔しいが言い返せなくて唸っていたら、ビアンキもリボーンの説明を補う形で言葉を続けた。
 異国の風習でありながら、料理に関する知識だけは豊富だ。身を乗り出した彼女に、綱吉は改めてテーブルに並べられた料理を見つめた。
「ねえ、ママン。早く食べようよ。僕、お腹すいちゃった」
「あらあら、そうね。冷めちゃうし、いただきましょうか」
 痺れを切らしたフゥ太が奈々の袖を引いて、目を細める。声に出しはしないけれど、ランボとイーピンも同じ気持ちなのだろう、お預けを喰らった犬の顔をしてソワソワしていた。
 落ち着かない年少組に肩を竦め、綱吉が代表して両手を合わせた。
「いただきます」
 皆で声を揃えて瞑目して、一斉に箸に手を伸ばす。最初にどれを食べるかは、めいめいの好みもあっててんでバラバラだった。
 綱吉は先ず焼き魚の解体に取り掛かった。焦げた尻尾を左手で掴み、良い焼き加減の身を骨から引き剥がしていく。
 ランボはといえば、物珍しさも手伝ったのだろう、真っ先に恵方巻きに手を伸ばした。
「ぐひゃひゃひゃ。ランボさん、一番おっきいの、もーらいっ」
「ちょっと、ランボ。全部食べられるの?」
 恐らくは奈々が大人向けに作ったと思われる大きいサイズを鷲掴みにして、顎が外れる勢いで口を開いたランボが端にかぶりつく。止める暇もなかった。フゥ太が呆れ返るが、彼は構いもしない。
 干瓢を噛み千切るのに少々苦労したものの、無事にひとくち目を頬張り終えて、幼子は大粒の眼をきらきらと輝かせた。
「ママン、おいしい」
「あら、ありがとう。でもダメよ、ランボちゃん。恵方巻きを食べる時は、最後まで黙ってないと」
「ぐぴゃ?」
 素直な感想を率直に述べられて、奈々が嬉しそうに顔を綻ばせた。けれど直ぐに真顔に戻って人差し指を天に向け、とある方角を指し示して皆の視線を誘導した。
 どうやらその方角が、ビアンキの言っていたおめでたい方角になるらしい。
 巻き寿司を一本食べきるまで、目を開けてはいけないし、喋ってもいけない。なにやら食べ方にも色々と決まりがあるようで、最初に手を出さなくて良かったと、綱吉はイワシを口に運びながら肩を竦めた。
 ランボに続き、イーピンとフゥ太も奈々からルールを教わって太巻きを食べ始めた。
 皆が同じ方角を向き、黙々と頬張る。いったいなんの罰ゲームかと思える光景に、笑いがこみ上げて止まらなかった。
「ツナも食べるのよ」
「いいよ、俺は」
「なに言ってる。こういう季節のイベントは大事なんだぞ」
「こんなの、やった事ないんだけど……」
 伝統を守っていくのは大切だと説かれても、沢田家の食卓に恵方巻きが上ったのは今年が初めてだ。自分も参加するのは馬鹿らしくて嫌だと主張するが、生憎と彼に味方してくれる存在は、この家にひとりも居なかった。
 しかも米は寿司に全部使ってしまって、残っていないらしい。奈々に言い足されて、彼は落胆に天を仰いだ。
 仕方無く温かいものを先に平らげてから、最後に太巻きへ手を伸ばす。具がぎっしり詰まっているのか、重量感は半端無かった。
「早く食えよ。この後豆まきもするんだからな」
「えー。もしかして、また俺が鬼?」
 酷薄な宣告に抗議の声をあげるが、当然の如く無視された。横暴な君主として振る舞う赤子を横目で睨み付けて、綱吉は奈々が教えてくれた方角を思い出しながらずっしり来る太巻きを顔の高さに持ち上げた。
 食べきれる自信があまりないのだが、残して馬鹿にされるのも腹立たしい。明日腹痛で倒れないよう祈りながら、彼は恵方巻きにえい、と齧り付いた。
 

 
 玄関の端々に、踏み潰された大豆が転がっていた。
 避けようとしても量が多すぎて、どうしても蹴り飛ばしてしまう。爪先立ちでは限界があると諦めて、綱吉は被っていた鬼の面を外して肩を落とした。
 この二月の寒い時期でも、庭先を駆けずり回っていたらそれなりに暑い。但し屋内に戻ってため息をついた途端、熱気は遠ざかって悪寒が全身を走り抜けていった。
「ひぃぃ」
 身震いして鳥肌を立てて、彼は己を抱き締めて奥歯をカタカタ言わせた。満杯の胃袋が圧迫されて苦しくて、若干青ざめながら急ぎ靴を脱いで廊下に上がり込む。
 鬼退治で放り投げられた豆の残骸は、朝になったら奈々が片付けてくれるに違いない。明日も学校があるのを憂鬱に感じつつ、彼は紙で作られた貧相な面を片手に台所に向かった。
 一歳児から九歳児に一斉に豆を投げつけられたのだ、短時間ではあっても疲労感は半端ない。牛乳でも飲んで喉の渇きを癒そうと思い、暖簾を潜って中に入れば、思い掛けず先客がいた。
 ランボとイーピンは、奈々と一緒に入浴中だ。今夜の風呂は、綱吉が最後になりそうだった。
 その一番風呂を愉しんだと思しき赤ん坊が、タオルを肩にほかほかと白い湯気を立ててテーブルで寛いでいた。寒くないのか夏場と同じ甚平姿で、綱吉に負けないくらいのとげとげ頭は濡れているのに元気に跳ねている。
 水滴を滴らせる赤子にうんざりした顔を向けて、彼は大股に小さな体躯の脇をすり抜けた。
「ツナ」
「なんだよ」
「オメーも、ちゃあんと、食っとけよ」
「なにを?」
 冷えた牛乳を手にのんびり構えていた彼に言われて、冷蔵庫に向かっていた綱吉は足を止めた。振り返り、首を傾げながら赤子の手元を覗き込む。
 背後に立たれても、彼は格別反応しなかった。平素ならば即座に銃口を向けて来るか、レオンを変形させた杖なりなんなりをぶつけてくるのに、だ。
 風呂上がりで武器を手にしていなかったからだろうと解釈して、綱吉は一寸だけ警戒していた攻撃がないのに安堵した。胸を撫で下ろして、すっかり片付けられているテーブルの上を眺める。
 夕飯時、あれだけ大量に並べられていた皿は綺麗に洗われ、乾燥機の中に放り込まれていた。入りきらなかった分は水切り棚に並べられている。卓上には先ほどの豆まきに使った大豆の袋がひとつ、プラスチック製の留め具に口を挟まれて置かれていた。
 それ以外には、リボーンが飲んでいる途中の牛乳が入ったグラスしかない。夕食からたかだか一時間少々しか経っていないというのに、見事な変わりようだった。
 思い返していたらゲップが出て来た。胃の中でもだもだしている太巻きの残骸を想像して口を塞いで、綱吉は家庭教師を公言している赤子の言葉を反芻した。
 食べろ、と言われた。
 そしてテーブルの上に食べられるものといえば、ひとつしかない。
「えー……って、あ。そうか」
 何故炒り豆など、と思って文句を言いかけて、節分という行事を思い出した彼は緩慢に頷いた。
 痛い上に寒い思いをさせられたばかりなので正直豆一粒でも見たくなかったのだが、今日という日を締め括る為にも仕方が無い。彼は持ったままだった鬼の面を置くと、入れ替わりに中身の減った袋を引き寄せた。
 動物を模したクリップを外して折り畳まれた口を広げて、掌に豆を転がそうとしてふと考える。
「幾つだっけ」
 節分では、数え年にひとつ足した数の豆を食べれば風邪も引かず、健康で丈夫な身体になると言われている。いわゆる、無病息災を祈る習わしだ。
 だがこの数え年というのがなかなかにくせ者で、実際の年齢とは数え方が異なる。今は産声を上げた日が誕生日であるが、昔はそんなものはなく、正月になったら年寄りから赤子まで、皆が一斉に歳を取った。更に母の胎内から外に出た時から赤子は一歳という扱いなので、数え年でいくと綱吉はもう十五歳になる。
 そこから更に豆をひとつ足すので、合計で十六個。
 乏しい知識を頼りに指を折って計算して、彼は自分に向かって頷いた。それでも若干心配で、恐る恐るリボーンを窺い見る。牛乳を飲み干した赤子は、教え子に見向きもしないままふっ、と不遜に笑った。
「十六でよかったっけ、俺」
「ダメツナにしちゃあ、上出来だな」
「悪かったなあ」
 ムッとしつつ確認を求めると、嫌味しか返ってこなかった。相変わらずの生意気ぶりに苛々を募らせて、綱吉は手に広げた豆を手早く数えると、十六個揃えたところで一気に口の中に放り込んだ。
 ひとつひとつは小さいが、流石にこれだけの数が揃うと頬張るのも一苦労だ。ガリガリと奥歯で砕いて磨り潰してやれば、硬い表面の皮が咥内の粘膜に突き刺さった。
「ぐっ、む……ン」
 正直言えば、あまり美味しくない。ランボ辺りは喜んで、必要以上に食べていそうだけれども、綱吉はこの豆が昔からあまり好きでは無かった。
 鬼役を引き受けてくれる父がいなくなったのも、節分が好きでない理由のひとつだ。母が鬼の面を被った時は、当てるのが嫌で投げすらしなかった。
 苦い思い出が蘇って来て、彼は口の中の痛みを堪えて豆を飲み込んだ。一緒に怒りも奥底に沈めて、人心地ついたところで唇を拭う。咥内はまだチクチクしたが、切れるところまではいかなかったようだ。
 血の味がしないのにホッとして、渇いてしまった喉を労おうとコップに手を伸ばす。ガサゴソという音が聞こえて振り返れば、リボーンが豆の入った袋を漁っていた。
 人が封を開けるのを待っていたのだ。それくらい自分でやればよいものを、とずぼらな家庭教師に呆れて肩を竦めつつ、興味を覚えて小さな手元を観察する。
 リボーンはまだ一歳か、そこらだ。ならば数え年プラス一個で、合計三個。少なくて済むのが羨ましいと、冷蔵庫から冷えた牛乳を取り出してぐるりと首を回したところで、彼は見えた景色に愕然とした。
「これくらいだな」
 あろう事かリボーンは、綱吉が想像していたその数倍の豆をテーブルに広げ、最初のひとつを抓み取ろうとしていた。
「ぶっ」
 思わず噴き出してしまって、彼は慌てて口を塞いだ。傾いていた牛乳パックを起こしてテーブルに置き、積み重ねた座布団に鎮座する赤子の隣に回り込む。
 豆の入った袋を取り上げられて、リボーンが剣呑な顔をした。
「なにしやがる、ダメツナ」
「なに、じゃないだろ。お前こそ、なんのつもりだよ」
 節分で食べる豆の数は決まっている。綱吉は先ほど、伝統は大事にしろと彼に言われた。ならば昔からの取り決めを大きく上回る数を手に取ろうとしている赤子に、それは間違っていると教えてやるのはこの国の人間の勤めだ。
 彼は異国出身だから知らないのかもしれないが、とつい数分前に自分が誰に数を確認したのかも忘れて捲し立てた教え子に、リボーンは一瞬きょとんとしてからふっ、と鼻で笑った。
「だったら問題ねえぞ。俺は、……本当ならこれくらい、食わねーといけねーんだからな」
「リボーン」
 さも当然の如く言い返されて、綱吉が戸惑いに眉を顰める。止める暇もなくぽいぽいと口に豆を放り込む赤子に困っていたら、台所にビアンキが顔を出した。
 向き合っている彼らを眺めて、獄寺の異母姉に当たる女性が不思議そうに首を傾げた。
「あら、どうしたの?」
「ビアンキ、聞いてよ。リボーンが」
「ごちそうさま、だぞ」
 二十個以上の豆を一気に食べ終えて、リボーンが軽い身のこなしで椅子から飛び降りた。事情を説明し終える前に動き出されて、綱吉は半端なところで言葉を切り、無表情で歩いて行く赤子の背中を目で追った。
 ビアンキが言われる前に彼の前で傅き、腕を伸ばした。当たり前のようにその胸に収まる赤ん坊に何故か知らずムッとして、綱吉は頬を膨らませた。
 拗ねた顔をしている少年に視線を投げて、ビアンキが艶めかしく微笑む。その色っぽい眼差しに僅かに照れて、彼は慌ててふたりから顔を背けた。
 初心な年頃の反応を笑い、リボーンは乾いた咥内に残る豆の欠片を磨り潰した。
「ツナ」
「なんだよ、もう。俺の事からかって楽しい?」
「もし俺が、豆の数と同じ年のいい男だったとしたら、どうする?」
 呼び掛ければ、馬鹿にされたと思い込んだ少年が声を荒らげる。吐き捨てられた台詞を無視して、漆黒の眼を細めた赤子は構わずに問い掛けた。
 なんとも意味ありげな――けれど今の綱吉には冗談にしか聞こえない質問に、彼は琥珀の眼を見開き、やがて苦々しい顔をして唇を噛んだ。
「そんなの、どうもしないよ。リボーンは、リボーンじゃん」
 いつだって偉そうで、生意気で、身勝手で、気まぐれで我が儘で。
 こんな最悪な性格をした赤ん坊がこの世に複数人居るなど、考えたくもない。ましてや分別あるべき大人が、拳銃を振り回して子供を脅すなど。
 そんな真似が出来る人間は、長い人類の歴史の中でも、この男ただひとりだけであって欲しい。そんな希望を胸に抱いた綱吉の返答に、赤ん坊は予想外だったのか一寸の間停止して、やがて人を小馬鹿にする笑みを浮かべて口角を歪めた。
「さすがはダメツナらしい答えだな」
 ほんの少しだけ眩しそうに目を細めて、いつものように嫌味を口にしてビアンキの腕を軽く叩く。合図を送られて、やり取りを聞いていた彼女は何が面白いのか肩を震わせた。
「ダメよ、リボーン。浮気しちゃ」
「そんなんじゃねーぞ」
「あら、本当かしら?」
 なにやらふたりだけで通じ合って言葉を繰り、憤っている綱吉を残してキッチンを出て行く。取り残された少年は意味が分からないと地団駄を踏み、置き去りにされた豆の袋とコップを眺め、腹立たしさに唇を噛んだ。
 他にどんな答えがあったというのだろう。考えて、押し黙る。
 黒髪に、黒い瞳、黒いスーツの、ヒットマン。
 幼い頃に映画かなにかで見た殺し屋の影に赤子を重ねて、はっとして彼は顔を上げた。
「ああ。ちょっと……カッコイイ、かも?」
 そうして些か自信なさげに呟いて、もう誰もいない出入り口に向かって肩を竦めた。

2012/02/03 脱稿