遊客

 世の中には、不思議がいっぱいだ。
 とある事にはとても精通しているのに、それに似通った別のことをやらせると、てんで不器用になってしまう人もいる。勉強は凄く出来るのに、時々とんでもない馬鹿な発言をして周囲を驚かせる人もいる。
 完璧な人間などいないと、そういう事なのかもしれないが、微妙に納得がいかない。
 可笑しな風に出来ているものだと、沢田綱吉は今日もまたしみじみと、隣を行く青年を盗み見て思った。
「どうかしましたか、十代目」
「ううん」
 視線に気付いた獄寺が、即座に口を開いて明るい声を出した。こういう時だけ鋭いのだから、と内心呆れつつ首を振り、綱吉は心持ち大きめに次の一歩を踏み出した。
 行く宛ては、特にない。部屋でぐだぐだしていたらリボーンに追い出されてしまい、仕方なく町をうろついていたら獄寺とばったり遭遇したのが大体五分前のこと。彼は買い物に行く途中だと言っていたが、進行方向にスーパーがないことに、気付いているのだろうか。
 休日に綱吉に会えたのを奇跡だと言い放ち、いたく感動していた。用があるならそちらを優先するように言ったのだが、彼は聞く耳を持とうとしなかった。
 慕ってくれるのは嬉しいけれど、こうも過剰なのはどうかと思う。けれど素っ気無く対応すればしょんぼりされるので、どうにも切り捨て難い。
 まるで犬だ。尻尾を振って足にじゃれ付いてくる大型犬を想像して、綱吉は苦笑した。
「苦手なんだけどな、犬」
 牙を剥き、大きな声で吼えかけられると足が竦む。情けないが、中学生になってもまだ、小型犬相手でも恐怖を抱かずにいられなかった。
「なにか?」
「なんでもないよ」
 独白を聞きそびれた獄寺が、興味津々に問いかけてきた。
 まさか君を犬扱いしていたとは言えず、綱吉は首を横に振り、愛想笑いで誤魔化した。
 追求されるかと思ったが、獄寺は意外にもあっさり身を引いた。こうしてふたり、並んで歩けるだけでも幸せなのか、頬はずっと緩みっぱなしだった。
 大好きな彼女とデート中ならまだしも、男相手にその表情はどうなのだろう。だが指摘したところで改められる気配もなし、綱吉は呆れ混じりに嘆息して前方に視線を戻した。
 商店街はそれなりに人通りが多く、賑わっていた。
 大きなスーパーが出来たし、駅前の再開発計画も立ち上がっている。だが昔ながらの店舗も多く残っており、雑多に混じり合って騒々しかった。
 京子やハルが贔屓にしているケーキ屋の前を抜けて、馴染みの文房具屋を通り過ぎる。特に買いたいものがあるわけでもなく、財布に余裕もないので、どこも素通りだ。
 このまま町を一周して家に帰れば、時間だけなら潰せる。そう考えてちらりと隣を窺えば、獄寺はハイキングにでも来たかのように、うきうきと足を動かしていた。
 彼を連れて帰れば、リボーンも無茶は言わないだろう。子供達も遊び相手が出来て喜ぶだろうし、奈々も歓迎してくれるはず。
 問題は彼の義姉だが、とあれこれ考えを巡らせていた綱吉の耳に、ひと際騒々しい音楽が流れ込んできた。
 瞬きをして右を見れば、道路に面する壁の一切を取り払った店があった。外見はかなり古びているが、商店街のどの店よりも若者で賑わっている。少女が三人ほど集まって、出入り口付近で輪を作っていた。
 傍には大型の、写真撮影マシンがある。一枚のシートに写真が複数枚、シールになって印刷されて出て来るもので、友達同士で交換しあったりして集めるものだ。
 クラスの女子も大好きで、教室でもよく交換会が開かれていた。京子とハルが写したシールを貰ったことならあるが、綱吉は残念ながら、自分で試したことはなかった。
 配布し終わったのか、少女らは満足げな顔をして店を去っていった。他にも数人の若者が、クレーンゲームの前に群がっていた。
 店の中には据え置き型の、ゲームマシンが置かれていた。綱吉が好きな音楽ゲームも、何種類か揃えられている。
 その音楽と混じり合って、店内は人の話し声もろくすっぽ聞こえない状態だ。
 喧しすぎて、自分のプレイに集中できないから、綱吉はゲームセンターが苦手だった。もっともそれは建前で、単純に、自分の下手な手捌きを人前に晒すのが嫌なだけだ。
 ひとりでプレイする勇気はない。山本が一緒なら、惜しかっただのもうちょっとだったな、だの、慰めの言葉をかけてくれるので、まだ気が楽だ。
 だが獄寺となると、と足を止めて振り返れば、何を思ったのか、彼は急に腕まくりを始めた。
「獄寺君?」
「お任せください、十代目。男獄寺、十代目の為に見事手に入れてみせます」
「は?」
 どうやら綱吉の視線の意味を勘違いしたらしい。音楽ゲームで遊びたいな、と思って見ていただけなのに、獄寺は店頭に並んでいるクレーンゲームの景品が欲しい、と勝手に解釈したようだ。
 誰も頼んでいないのにずんずん進んで行く銀髪に唖然として、綱吉は否定するのをすっかり忘れてしまった。
「獄寺君」
「ええと、なになに? 此処に、硬貨を入れる、と」
 慌てて駆け寄れば、彼は既に上部が透明なケースで囲まれた四角い匣体にかじりついていた。やった事がないのか、表示されている利用方法をふんふん言いながら読んで、ポケットから財布を引き抜いた。
 ちらりと見た札入れには、目玉が飛び出そうなくらいの金額が押し込められていた。
 綱吉の一年分の小遣いよりも多いかもしれない。マフィアの息子とはこうもお金に頓着しない生活が出来るのか。一寸だけ心が揺らぎそうになって、綱吉は慌てて頭を振った。
 挙動不審な彼を知らず、獄寺は小銭入れの蓋を開け、中から銀色の硬貨を二枚取り出した。
 一回二百円、三回挑戦で五百円の価格が提示されていた。彼は一発で取るつもりなのか、百円玉を二枚、細い隙間に滑らせた。
「さあ、十代目。どれが欲しいんですか?」
 意気揚々に問いかけられて、綱吉は答えに詰まった。
 思い込みの激しさは天下一品だ。ひと言もクレーンゲームの景品が欲しいと言っていないのに、確認もせずに突っ走れるのはさすがとしか言いようが無い。
「いや、俺は別に」
「遠慮なさらずに。さあ」
 両手を振って必要ないと言おうとしたら、先回りした彼に逃げ道を塞がれた。満面の笑みでどうぞ、とクレーンゲームを示されて、綱吉は頬を引き攣らせた。
 ここで否定して、本当は音楽ゲームをやりたいのだと正直に吐露したとする。となれば獄寺は、どう動くだろう。
 綱吉が集中できないだろう、と店内の騒々しさに腹を立て、暴れるかもしれない。ダイナマイトをちらつかせないにしても、苦情を言うくらいはやってのけるに違いない。
 たかがゲーム程度で何を熱くなっているのかと、人は彼を笑うだろう。綱吉も恥ずかしいし、なにより彼が馬鹿にされるのは悔しい。
 このままクレーンゲームで茶を濁すか、音楽ゲームに移動するか。二者択一を迫られて、綱吉は肩を竦めた。
「じゃあ、あれ」
 一番取り易そうな、その為かあまり可愛いとは思えないぬいぐるみを指差す。もこもこした毛並みは緑色で、胴長の所為で角度が変われば毛虫にも見える造詣だった。
 ランボやイーピンが好きな子供向け番組のキャラクターだったように思う。取れたら、ふたりにあげよう。
 別段欲しいわけではないが、利用価値はある。獄寺だって、綱吉が望むものをひとつ手に入れられたら満足するに違いない。
 騒動が回避できるなら、それが一番良いに決まっている。自分の判断は間違っていないと頷いて、綱吉は大きめのボタンを前に意気込む獄寺を見守った。
 三本の爪を持つアームを前後左右に動かして、目当ての景品をつまみ上げ、ゴール地点に運ぶ。ゲームの仕組みは至極単純だが、一度動かしたアームは元には戻せないので、タイミングが重要だ。
 綱吉はこの手のゲームがあまり得意ではなかった。いつもボタンを手放すのが遅れて、アームが行き過ぎて空振りばかり。
 お金の無駄だと、最近はちっとも遊んでいない。たまにとても上手な人を見かけるが、是非ともコツを聞かせて欲しいところだ。
「よっし。任せてください」
 鼻息荒く言って、獄寺は身を屈めた。前のめりになり、ケースに額を擦り付けてボタンに手を置く。
 ところが幾ら待っても、ピンク色に塗られたアームはピクリともしなかった。
「なんだ、この野郎。壊れてんじゃねーのか」
「獄寺君、違う。違う」
 しーんと静まり返った空気に真っ赤になって、獄寺が罵声を上げた。今にもゲーム機に殴りかからんとする彼を止めて、綱吉は動かない原因を指差した。
 ふたつあるボタンの、押す順番が逆なのだ。これでは反応しないのも当たり前で、指摘を受けた獄寺は右手を高く掲げて下を向き、かなり大きく描かれた数字に目を見開いた。
 怒りが消え、代わりに羞恥で顔が赤く染まった。音もなく口を開閉させた彼は、誤魔化し笑いを浮かべて背中を丸め、照れ臭そうに目を細めた。
「や、やだな、十代目。それくらい分かってますよ。ちょっとしたジョークです、ジョーク」
 本気で間違っていたと思われたくないようで、言い訳がましく早口に捲くし立てるが、声は上擦っていて嘘なのはバレバレだ。
 自分の弱点になるようなことや、失敗は、出来るだけ隠しておきたいのだろう。綱吉も同じ男だから、気持ちはよく分かる。あえて突っ込まないことにして、彼は後ろに出来始めた人垣にちらりと目をやった。
 獄寺の銀髪は遠目にも目立つ。それになにかと問題行動が多いものだから、彼は町の、ちょっとした有名人だった。
 女子の人気も高い。彼が誰なのかを知らなくても、格好いい子がいると気付いて立ち止まる少女もいた。
 注目を浴びているに関わらず、当の獄寺は至ってマイペースだった。咳払いで気を取り直し、今度は間違えないように慎重にボタンに手を翳す。
 誰もが、彼が見事、あの緑色のぬいぐるみを捕まえるものと思っていた。
 だが。
「ぐあー!」
 甲高い雄叫びを上げ、彼は空振りしたアームを前に天を仰いだ。
 初心者でも取れそうな場所に置かれていたぬいぐるみに、掠りもしなかった。一つ目のボタンを押しすぎて、どう足掻いても届かない場所までいってしまったので、狙いを変えて違うぬいぐるみを狙ったのだが、それも掴む云々以前の問題だった。
 元の位置に自動的に戻るアームを見送って、綱吉は空笑いを浮かべた。
「獄寺君、大丈夫?」
 酷い落ち込みようの青年に声を掛けるが、返事はなかった。
 膝を折って屈み、右手だけがボタンの並んだ台に残されていた。俯いて、目を合わそうともしない。
 情けない彼の姿に、獄寺の外見目的で立ち止まっていた少女がまず場を離れた。当初の目的を思い出し、急ぎ足で駅へ向かう。
 泣いているのかと心配になった綱吉が肩を軽く叩いて、彼はようやく顔を上げた。悔しさに鼻を愚図らせて、一度はしまった財布をまた取り出した。
「肩慣らしは終わりです」
 強がりを言って、硬貨を投入口に放り込む。ボタンにランプが点り、無言の機械が勇敢なる彼の挑戦を褒め称えた。
 だが。
「ぐおぉぉぉぉ」
 腹痛を起こしたのかと錯覚したくなる呻き声をあげて、彼は再び沈痛な面持ちで膝を折った。
 人垣がまた一段階減った。自信満々だったのにてんで駄目な獄寺を嘲笑い、茶髪の高校生らしき男子がふたり、ゲームセンターの中に入っていった。
「あの、ね? 獄寺君?」
 本気で心配になって、綱吉は冷や汗を流した。いつ彼が爆発するか気が気でなくて、高校生の後姿をチラチラ確認しながら両手を振り回す。
 たかが二度の失敗がなんだ。綱吉など五回以上失敗して、結局なにも手に入らなかったことだってあるのだ。
 そもそも、クレーンゲームの景品に未練などない。取れなかったからといって獄寺を責めるつもりもないのだと、あれこれ慰めの言葉を考えるものの、呂律は回らず、まるで声にならなかった。
 と、しゃがみ込んでいた彼がまたズボンのポケットに手を入れた。眩暈しそうな札束の山を無視して、小銭をじゃらじゃら言わせて百円玉を探し回る。
 が、一枚しか残っていなかった。これではゲームに再チャレンジ出来ない。それよりも高額の五百円玉も入っていないと見るや、彼は唐突に立ち上がり、首を左右に振り回した。
「獄寺君?」
「しばしお待ちを!」
 何かを探している雰囲気に眉を顰めれば、目当てのものを発見したらしい彼は矢のように叫び、駆け出した。
 薄暗い店内に飛び込んで、五分としないうちに戻って来る。札で膨らんでいた財布がもっと膨らんでいた。どうやら両替を済ませてきたらしい。
 増えた百円玉を素早くクレーンゲームに投入して、彼はぐるぐる右腕を回した。
「さーって、練習は此処までです」
 強がりなのか本気なのか、判断がつかない台詞を述べて、上唇をぺろりと舐める。意気込んでいるのに水を差すのも悪いと思い、綱吉は両手を背中で結んで頷いた。
 雲行きが怪しくなって来たものの、元々取り易い場所に置かれているのだから、あと三回もやればきっと取り出し口に向かって転がっていくに違いない。掴むのではなく、ちょっと押すだけで済みそうなぬいぐるみに目をやって、彼は爪先で地面を叩いた。
 だというのに、どういうことだろう。
「うぐおぉぉぉぉぉ」
 三度雄叫びをあげて、獄寺は台座をガンッ、と乱暴に叩いた。
 十人近くいた見物人もゼロになった。他人の視線を浴びずに済むのはどちらかと言えば嬉しくて、綱吉は内心安堵しつつ、打ちひしがれている獄寺を持て余して溜息をついた。
 もしかしなくても、彼は綱吉よりクレーンゲームが下手なのではなかろうか。小型ダイナマイトの命中率は八十パーセントを越えるのに、どうしてこんな単純なゲームでは目標に掠りもしないのだろう。
 真剣みが足りないのかと一瞬考えたが、それは有り得ない。彼は最初から全力で、本気で取り組んでいる。
 なにかに熱中できるのは素晴らしいが、相手はゲームだ。逐一落ち込んだり、嘆いたりしていては、疲れるだろうに。
「ごーくでーらくーん」
 五度目のチャレンジも失敗に終わって、ボタン台に突っ伏している銀髪の青年を呆れ混じりに呼ぶ。のろのろと顔を上げた彼は、そこにいるのが綱吉だと瞬時に思い出し、背筋を伸ばした。
 無理のある笑顔を浮かべて、ゲームをゴンゴン叩く。
「ははは。まあ、なんといいましょうか。一発で取ってしまったら、ここのゲーム屋が潰れちまいますからね」
 情けをかけてやっただけだと言って胸を張るが、それが虚栄心から来る嘘だというくらい、綱吉にでも分かった。
 彼は綱吉を十代目と呼び、崇め、その右腕に納まるのは自分だと常々言い張っている。だから情けないところは少しでも見せたくないのだろう。頼りになる男だと、思われたいのだ。
 こうやって張りぼてのプライドでガチガチに固めて行く方が、よっぽどみっともないのに。
 頭に血が登っている青年に肩を竦め、ふと斜め後ろが気になって振り返れば、順番待ちだろうか、小学生の男の子が三人、一塊になって立っていた。
 長くクレーンゲームを占領している年上のふたりを、若干恨めしげに睨みつけている。
「ああ、ごめんね」
「よし、もう一回だ!」
 今すぐに退くから、と言いかけた綱吉の背中を、獄寺の罵声が叩いた。思わずよろめき、彼は苦虫を噛み潰したような顔をした。
 気合いを入れて五百円玉が放り込まれて、小学生の少年らからも、抗議めいた声があがった。
 これであと三回分、獄寺は台を占有する。きちんと代金を支払っているのだし、先にゲームで遊び始めたのは獄寺だ。後から来た人間に譲ってやる義理などないと、中には言う人がいるかもしれないが、綱吉には台を独占し続けるのはマナー違反という認識があった。
 ゲームセンターは、遊び場だ。
 老若男女、気持ちよく時間を過ごせるならそれに越した事はない。
「獄寺君」
 一寸はコツがつかめたのか、あと少しのところでアームを空振りさせた彼を、幾らか強めに呼ぶ。だが獄寺は目の前に集中しており、聞こえていないようだった。
 舌なめずりをして、もう少しだと自分を鼓舞して七度目に挑む。後ろで見ている小学生のひとりが、面白く無さそうに舌打ちしたのが聞こえた。
「もう行こうぜー」
「つまんなーい」
 口々に言い合って、最後に綱吉を見る。棘のある視線を浴びせられて、彼は居心地悪げに身をよじった。
 こんな事になるのなら、あの時に第三の道を選んでおくべきだった。ゲームをするのではなく、大人しくこの場を去る。当初の予定通り、町をぶらぶらした末に家に帰ってのんびり過ごせばよかった。
 突き刺さる黒い眼から目を逸らせば、獄寺が真剣な表情でボタンを操作していた。
「よーしよーし、もうちょっとだな」
 独り言を口にして、身を乗り出してアームの位置を確認している。掴むのではなく、押し倒せば、取り出し口に落とせるとようやく気付いたようだ。
 緑色のぬいぐるみが、耳に当たる部分を擦られてぐらぐらと揺れた。もう少しバランスを崩せば、透明な筒の中に真っ逆さま。
 ようやく終わる。安堵の息を吐こうとした綱吉の前で、しかしぬいぐるみは、あろう事か持ち堪えてしまった。
「うあー」
 これまでにない落胆ぶりの獄寺に、綱吉は首を振った。
「もういいよ、獄寺君」
「ですが、十代目」
「別にさ、そこまで無理に欲しいわけでもないし」
 目を泳がせ、さりげなく子供達のほうへ視線を誘導しながら呟く。反論を試みた獄寺は直ぐに第三者の存在に気付いて、ムッと顔を顰めた。
 見るからに不愉快だという顔をして、年下にも関わらず大人げ無く睨む。邪魔をするなと、そういわんばかりの態度に、相手側もムキになって睨み合いが始まった。
「ちょっと、獄寺君」
 喧嘩になりそうな雰囲気に焦り、綱吉が間に割って入った。それで溜飲を下げた青年は、忌々しげに唾を吐き、まだ一回分残っているクレーンゲームに向き直った。
 譲る気はサラサラないらしい。
「あと少しです、十代目。時間が掛かって申し訳ありません」
 その上で仰々しく謝罪されて、そういう問題ではないのにと、綱吉は気を揉んだ。
「なんだよ、へったくその癖に」
 頭の後ろで手を組んだ小学生が、相手によって態度を変える青年を嘲って笑った。オブラートに包むこともせず、綱吉が空気を読んで言えずにいた言葉をあっさり口にしてしまう。
 ボタンを押そうとしていた獄寺の肩がピクリと跳ねた。
「ンだと、コラ」
「へったくそ。やーい、へったくそ」
「そうだよー、だ。それくらい、俺らだったら一発で取れるっての」
「生意気言いやがって。テメーら、果たすぞ!」
 小学生に馬鹿にされて、はやし立てられるのに我慢ならなかった獄寺が牙を剥いた。両手をバックルから吊るした革ケースに突っ込んで、中から小型ダイナマイトを数本引き抜く。
 脅迫じみた言葉だったが、彼の持つものがダイナマイトだと知らない子供たちはまるで怯まなかった。
「へーんだ。ホントのこと言われて怒ってやんの」
「かっこわりー」
「だっせー」
 口々に言い放ち、最後に三人声を揃える。
 元々獄寺は、子供が嫌いだ。ランボの所為とも言えるのだが、今の状況はそのランボが複数に分裂したような感じだ。
 小学生に馬鹿にされて、そろそろ我慢の限界か。こめかみをひくつかせ、頬を引き攣らせた青年は憤怒の形相で両手を高く掲げた。
 子供を相手に本気で怒って、ダイナマイトを着火しようとしている。
 放っておくわけにはいかない。このままでは不味いと、獄寺が吼えようとした瞬間、綱吉は彼を横から突き飛ばした。
「ぎゃっ」
 予想していなかった方向からの攻撃に敢え無く転倒した青年は、信じられないと目を見開き、瞬きを繰り返した。小学生らもしばし呆然として、苦笑いの綱吉を不思議そうに見詰めた。
「ごめんな。このお兄ちゃん、クレーンゲームやったことなくてさ」
 確かめたわけではないが、ボタンの押し順を間違ったり、アームを空振りさせてばかりだったりで、技量的に初心者マークを背負っていても可笑しくない。起き上がろうとする獄寺をぐいぐい押しながら、綱吉は早口に捲くし立てた。
 冷や汗が止まらない。今の自分はとても冷静とは言えない状態なのに、妙に言葉が次々繰り出してくるのが可笑しくてならなかった。
「だからさ、君たち。ちょっとこのお兄さんに、お手本見せてやってくれるかな。後一回分、残ってるし」
 顎を引き、目で台を示す。ぽかんとしていた小学生のうち、リーダー格らしき少年が真っ先に我に返ってコクリと頷いた。
「ちょっ、十代目!」
 いきなり割り込んできた綱吉にも怒鳴り、獄寺が地面で足掻いた。跳ね飛ばされそうになるのを懸命に堪えて、綱吉は聞き分けのない青年を強気で睨んだ。
 琥珀の瞳に浮かぶ怒りの焔にゾクリとして、獄寺は息を呑んだ。圧倒されて大人しくなった彼を解放して、綱吉は額の汗を拭った。
「こうやるんだよ」
 ふたりが立ち上がるのを待って、男の子が言った。ボタンを押す前に横に移動して、ぬいぐるみの位置を正しく把握した後、背伸びをしながらボタンを押して行く。
 素通りするかと思われたアームは、けれど狙い違わず、ぬいぐるみの後頭部を直撃した。
「ぬあっ」
 獄寺があれほど苦労しても取れなかったものが、小学生の手にかかった途端、あっさり取り出し口へ落ちていった。ゴトンと軽い音をひとつ立てて沈黙したクレーンゲームを、彼は顎が外れそうな顔で見詰めていた。
 少し可哀想になるが、放っておいても獄寺はこれを取れなかっただろう。小学生の手が掴み取ったぬいぐるみを差し出されて、綱吉は苦笑しながら首を振った。
「いいよ、あげる」
「でもお金、そっちのお兄ちゃんのだから」
 一旦は受け取りを拒んだのだが、押し切られてしまった。そういうところは妙に義理堅い小学生に目を細め、綱吉はありがたく貰っておくことにした。
 握れば、細長い胴体部分が柔らかくて気持ちがいい。自然と頬が緩んで笑顔になって、見ていた小学生は何故かほんのり頬を染めた。
「じゃあ、なっ」
「へったくそー。もっと頑張れよー」
 綱吉が手を振る中、憎まれ口を叩いて去って行く。獄寺は憤慨して拳を高く振り上げたが、綱吉に睨まれてしゅん、と小さくなった。
 口を尖らせる彼に肩を竦め、ぬいぐるみの頭を弾く。
 心なしか嬉しそうに見える綱吉にも不満げな表情をして、獄寺はもう誰も遊んでいないクレーンゲームに向き直った。
「獄寺君?」
「十代目のご期待に添えられるよう、修行して参ります!」
 小学生に負けたのが、余程悔しいらしい。裏返った声で吼えた彼に深々と溜息をついて、綱吉はぬいぐるみで銀色の頭を叩いた。
 力を入れていないので、痛くはなかろう。彼は右手を額にやって、歯軋りしながら振り返った。
「無駄遣い、よくないよ」
 あれだけの札束があれば、生活にも苦労しないだろう。だが少しは節約を心がけるべきだと、未来の右腕に言い聞かせて歩き出す。
 おいていかれそうになって、獄寺は慌ててゲームセンターを離れた。走って追いかけて、追いついて、横に並ぶ。
「十代目」
「俺、思うんだけど」
 どうしてあんな真似をしたのか。理由を問おうとした獄寺を制して、綱吉は悪戯っぽく舌を出した。
 あまり可愛くはないけれど、愛嬌だけならたっぷりあるぬいぐるみを両手で抱いて、親指で左右にくねらせる。滑稽な踊りを披露するそれを一瞥して、獄寺は気難しい表情をした。
 納得が行っていない様子の彼に視線を投げて、綱吉は赤信号で足を止めた。
 細い道だ。車は来ない。今なら無視して渡っても危険はないし、誰も文句を言わないだろう。
 それでも律儀に交通ルールを守って、彼はぬいぐるみに笑いかけた。
「なんでもかんでも出来ちゃう人って、凄くつまんないよね」
「……?」
 明るく言われて、意味が分からないのか獄寺は眉を顰めた。綱吉は肩を竦め、緑色の物体でもう一度、険しい表情の青年の額を叩いた。
「十代目!」
「だってさー、なんでもひとりで出来ちゃう人がいたら、他に誰も必要ないってことでしょ?」
 いい加減にして欲しくて怒鳴れば、丁度青信号に切り替わったのもあって、綱吉は走って逃げた。白と黒のゼブラの真ん中に立って、くるりと振り返った少年が茶目っ気たっぷりに言い放つ。
 目を点にして、獄寺は立ち竦んだ。
 綱吉が車道を渡り終えて、反対側に立った。相変わらず誰も来ない交差点で、信号だけが忙しく働いていた。
 何事も完璧にこなしてしまえる人間がいたら、ほかに誰も必要とされない。協力者も、仲間も、家族も、要らない。
 それは寂しい。人は不完全だからこそ、互いに足りない部分を補い合おうとして共同体を作る。
 出来ないことがあるのは当たり前だ。だから、協力し合えばいい。
 獄寺は勉強が得意だ。クレーンゲームが苦手でも、それでいいではないか。
「俺は、苦手なことのが多いんだけどね」
「いえ!」
 嘆息交じりに呟いて、綱吉は空を見上げた。瞬時に獄寺が否定の語句を吐いて、眦を釣り上げた。
「十代目は充分ご立派です。十代目の考え方は、誰にも真似出来ないものです」
 雄々しく叫んで、大股で歩み寄ってくる。見る間に前をふさがれて、綱吉はつい仰け反った。
 陽光に銀髪を輝かせて、獄寺は興奮に頬を赤く染めた。
「俺は、十代目の為にこれからも全力を尽します」
「あー……」
 そちらに解釈されてしまったかと心で嘆き、綱吉は頬を掻いた。適度に力を抜いてくれていいと言いたかったのに、逆の意味に取られてしまって、つくづく自分は語彙が足りないと嘆息する。
 だけれど彼が、それだけ自分を大切に思ってくれているのだとも分かって、悪い気はしなかった。
「程ほどにね」
「はい」
 敢えて訂正はせず、綱吉は苦笑交じりに呟いた。彼は瞬時に頷いて、見えない尻尾をパタパタ振った。

2012/01/03 脱稿