疾馳

 即答だった。
「いかない」
 むすっとしたまま言われて、綱吉は笑顔を凍りつかせた。
「で、ですよね~?」
 他にことばが出てこない。乾いた笑いを浮かべて後頭部を引っ掻いていたら、機嫌を損ねたまま雲雀はくるりと背中を向けた。何も言わず、すたすたと歩き始める。
 肩に羽織った学生服がゆらゆらと当て所なく揺れて、臙脂の腕章が陽光を反射して時折眩しく光った。後を追いかけるようにして、翼を広げた黄色い鳥が上空を滑るように飛んでいった。
 ヒバードの小さな影を見送り、綱吉は小さく溜息をついた。肩を竦めて、玄関を出たところに集合している面々を左から右に眺める。
 門の表に出ているのは彼ひとりだった。他は全員、様子を見守る形で庭の中にいた。
「雲雀の奴、なんだって?」
「いかない、だって」
「けっ。折角十代目が誘ってくださったっていうのによ」
 黒髪が遠ざかり、沢田家の敷地の前からは見えなくなった。息を潜めていた山本が真っ先に駆け寄って、半端に開いていた門扉越しに問いかけてきた。
 その斜め後ろから獄寺も顔を出して、心底忌々しげに吐き捨てた。
 日曜日の午前、といってももう一時間少々で正午を迎える時間帯。
 防寒対策に厚手のコートに袖を通した綱吉は、白い暈を被った太陽をちらりと見上げ、もうひとつため息を零した。
 気温は明け方に比べれば上がっているので、吐く息が白く濁ることはなかった。雪が降る、という予報も出ていない。天気は良好で、寒いが寒すぎる、というほどではなかった。
 風もないので、日向に出ていればそれなりに暖かい。頬を擽る茶髪を掻き上げて、綱吉は困った顔で肩を竦めた。
「ツナ兄、もう行く?」
「ああ、ん……そうだな」
 山本を挟んで獄寺の反対側から顔を出したフゥ太が、ちょっと心細げにしながら問いかけてきた。円らな瞳に見上げられて、彼は首の後ろを爪で掻き、左手首に巻いた腕時計を一瞥した。
 みんなで遊びに行く計画を立てて、時間を決めて集まったところに現れたひとりの男。
 たまたま通り掛っただけだろう。いつもと同じ格好をした風紀委員長は、沢田家の庭先で群れる綱吉たちを見て露骨に嫌そうな顔をした。
 並盛中学校の秩序とも言うべき暴君は、不快感を隠しもせずにいったい何の群れかと綱吉に問うた。皆の代表として、これから遊びに行くのだと答えた彼は、全く知らない関係でもないからと念のために雲雀にも誘いをかけた。
 結果は、言わずもがな。
 まさしく瞬殺だった。もっとも、訊く前から答えは分かりきっていたのだけれど。
 ならば尋ねなければいいのにと言われそうだが、そういうわけにもいかない。雲雀に「お仕事頑張ってくださいね」などと告げようものなら、その瞬間に綱吉はトンファーの餌食になっていたに違いない。
 人と群れるのは嫌なくせに、誘ってもらえなくても拗ねる。
「十代目、雲雀の奴なんか放っておいて、行きましょう」
「獄寺君」
 フゥ太に言葉を濁した綱吉に、獄寺が握った拳を上下に振った。「な?」と傍に居るフゥ太にも目で合図して、ふたりして一緒になって早く行こうと催促する。
 隣で聞いていた山本が苦笑して、目を細めた。
「ツナ」
「……うん」
 少ない言葉で彼にも決断を促されて、綱吉は口を真一文字に結んだ。視線を脇にずらせば、ポーチ前で待つほかの面々も順次目に飛び込んできた。
 バスケットを抱えているのはビアンキだ、その足元にはリボーンもいる。ランボが退屈を持て余して物干し竿の周囲を駆け回り、イーピンがそれを呆れた顔で眺めていた。
 京子とハル、そして了平の三人は現地で合流する予定でいる。お弁当を作っていくから楽しみにしていてと、金曜日に言われたのを思い出す。
 早くしなければ、その三人を待たせてしまうことになる。だが足は地面に張り付いてなかなか動かず、首を縦に振る、ただそれだけの動作にも多大な勇気が必要だった。
 たったひと言が何故か言えない。動かない綱吉に焦れて、フゥ太がその場で飛び跳ねた。
「ツナ兄ってば」
 急かされて、綱吉は後ろに下がった。詰め寄る彼らから逃げて門扉から離れ、苦い唾を飲みこむ。視線を感じて軒下に目をやれば、獄寺が卒倒しないようにとゴーグルをかけた女性が不敵な笑みを浮かべていた。
 緩やかに波打つ長い髪のビアンキが、持っていたバスケットをイーピンに手渡した。奈々お手製の弁当が入った鞄は、それなりに大きくて重い。バランスを取って腕をめいっぱい伸ばした幼子に微笑んで、彼女は空になった両手で、今度はリボーンを抱え上げた。
 黄色いおしゃぶりの赤ん坊が抵抗しないのをいいことにぎゅっと抱き締めて、いとおしげに頬を寄せる。まんざらでもない顔をしたリボーンにも遠くから見詰められて、綱吉は弾丸で打ち抜かれたような衝撃を受けた。
「っ……!」
 胸がぎゅっと狭まって、息が苦しい。コートの裾を握り締めて、彼は怪訝にしている友人らを睨むように見て、すぐに顔を伏した。
「ツナ」
「ごめん。俺、やっぱり今日、パス」
「十代目?」
「俺のことはいいから、みんなで楽しんできて!」
 迷ってぐじぐじしていたら、痺れを切らした獄寺や子供達に押し切られて、流されてしまう。それは嫌だと歯を食いしばり、綱吉は言うが早いか身体を反転させた。
 いきなり背を向けた彼に驚き、山本と獄寺が順番に大声を張り上げた。
 引きとめようとする手を避けて距離を取り、駆け出す。先ほどまでぐずぐずしていたのが嘘のように、決心した途端の行動は素早かった。
 ダッフルコートのフードをはためかせ、スニーカーで冷えたアスファルトを蹴り飛ばして走る。後ろで仲間が騒ぐ声が多数聞こえたが、構いもしない。
「えーっと、どっち……だ?」
 雲雀が曲がった角を同じく曲がり、暫く進んで出会った分かれ道で足を止める。息切れはまだだが、準備運動もなしに全力疾走したので心拍数が一気に上昇し、少し苦しかった。
 吐く息が、今度は白く霞んだ。
 早鐘を衝くように動く心臓を撫で、温い唾を飲んで噴き出た汗を拭う。考えている時間の分だけ彼との距離が広がってしまうと思い直し、綱吉は直感を信じて四辻を左に曲がった。
 今日遊びに行く計画を、最初に言い出したのは綱吉だった。だから集まってくれたみんなには、とても悪い事をしてしまった。
 子供達には帰ったら、山本たちには明日の朝会った時に誠心誠意、謝ろう。どうしても気持ちが止められなかったのだ。もしあのまま皆と出かけていても、きっと綱吉は心から楽しめない。
「ええ、またあ?」
 住宅地の中を走る道路は網の目状になっていて、ゴールが無い。もう何度目か分からない交差点にぶつかって、つい文句が口に衝いて出た。
 目指す人影はどれだけ行っても見付からず、誰かに聞こうにも運悪く通行人は皆無だった。
 次第に呼吸が乱れ始め、綱吉は焦りを覚えて足踏みした。
「どっちだよ、もう」
 数十分前までは楽しみにしていた動物園を放棄してまで、追いかけて来たのに。これで見付からなかったら、悔しくて夜も眠れない。
 小鼻を膨らませて歯軋りして、顎が痛くなったところで力を抜く。ついでに肩も落として深呼吸を三度ばかり繰り返した彼は、道が違うのかと思い直して来た道を戻り始めた。
 雲雀が角を曲がった後も、ゆったりとしたペースを維持して歩き続けているのなら、そろそろ追いついていい頃だ。ひとつ前の分かれ道まで戻って左右を見回して、綱吉は最後、空を仰いだ。
 リボーンのように塀に登って立てば、きっと遠くまで見渡せよう。だが根っからの運動神経ゼロの綱吉がやっても、バランスを崩して転げ落ちるのが関の山だ。
 木登りも苦手だから、電信柱によじ登るのだって無理だ。第一、中学生にもなってそんな真似をしたら、不審者と間違えられて通報されてしまう。
 なにか目印になるようなものでも残っていないかと地面にも目を向ける。誰かが放置したのだろう空き缶が電柱の影に隠れており、その上をすうっと、小さな影が駆け抜けて行った。
 心惹かれるものがあって、琥珀色の瞳が上を向いた。曲げていた膝を伸ばし、背を反らす。青と白が産み出すコントラストの片隅を、黄色いものが流れていった。
「あっ」
 瞬きを繰り返し、綱吉は短く叫んだ。
 首を上向かせたまま横に足を動かし、知らない家の垣根の向こうに吸い込まれていく黄色い鳥を確認する。雀ではなかろう。覚えのあるずんぐりむっくりした体型に息を飲み、慌てて駆け出す。
 脚がもつれて転びそうになったのをどうにか回避して、鳥が見えなくなった方角へ進路を取る。冷えた空気を鼻から吸い込めば、粘膜を刺激されてツーンと痛んだ。
 犬を真似て舌を出し、口を大きく開けて走る。空中でクロールでもしているみたいに両手をばたつかせて数分後、見覚えがありすぎる背中がようやく現れた。
「ヒバリさん!」
 黒い学生服、安全ピンで固定された腕章に、襟にかかるくらいの黒髪。
 両手は緩く握られて前後に、前後にリズミカルに揺れていた。足取りに迷いはない。真っ直ぐ、背筋を伸ばして堂々と。
 行進のお手本のように歩く背中に、我慢出来ずに綱吉は叫んだ。が、反応はない。聞こえなかったのかともう一度、先ほどよりもずっと発音にも気を配って名前を呼んでみても、雲雀の歩みは止まらなかった。
 次に人違いを疑ったが、この町で他にあんな格好をする若者はいないはずだ。
 風紀委員は大勢いるが、雲雀以外は全員長ランで、リーゼントだ。袖を通さずに肩に羽織るだけなのも、委員長ただひとり。
「ヒバリさん……?」
 だのに振り返ってもくれない。無視されている可能性に思い至り、綱吉は足を止めて頬を膨らませた。
 ハリセンボンにも負けない顔をして、奥歯をギリリと噛んでアスファルトを蹴り飛ばす。
「ヒバリさん!」
 三度目、声を張り上げるが今度も振り向いてもらえなかった。
 急に悲しくなって、熱いものがこみ上げてきた。鼻を啜って腹に力を込めて、綱吉はかぶりを振った。
 切なさに続いて怒りが徐々に膨らんで、背筋が震えた。荒い息を吐き、目を吊り上げる。
「ヒバリさんってば!」
 衝動のままに怒鳴り、固い大地を蹴る。身体を前に傾けて空気抵抗を減らして、彼は猛然と飛び出した。
 持てる全ての力を出し切って、淡々と道を行く背中にタックルを仕掛ける。学生服の上から腰にしがみ付いてやろうと腕を伸ばし、広げて、踊りかかる。
 ふたりの頭上を黄色い鳥が悠然と滑っていった。
 ずべしゃ、と手酷い音がした。
 砂埃が舞い上がり、灰色の煙が一瞬だけ場に充満した。瞬く間に風に流されて消えた煙幕の中から現れたのは、見事大の字になってうつ伏せに横たわる、蜂蜜色の髪をした少年の姿だった。
 空気を受けて膨らんだフードがぱたりと背中に落ちて、両手両足はヒクヒク痙攣を起こしてなんとも痛々しい。不審極まりない姿を斜め上から見下ろして、黒髪の青年は深々とため息をついた。
 口元にうっすら笑みを浮かべてはいるものの、目つきは剣呑で隙が無い。不機嫌な眼差しを受けて綱吉はよろよろと起き上がり、四つん這いで首を振った。
 今年買ったばかりのコートがすっかり汚れてしまった。滑った際に擦った両手と、鼻の頭が痛くてならない。
 ジーンズにも筋状の汚れが走っていた。ぶつけた場所がひりひりして、動く度にどこかしら激痛が走った。
「いっ、でえ……」
 奥歯を噛み締めながら呻き、垂れた鼻水を力一杯啜り上げる。情けなさがこみ上げてきて、目尻にじんわり涙が滲んだ。
 どうしてこんな羽目に陥ったかといえば答えは簡単で、標的にしていた雲雀が振り向きもせずにさっと右に避けたのが原因だ。まるで背中にも目があるような素早い動きを披露されて、お陰で目標を見失った綱吉の手は空振りし、挙句バランスを崩してつんのめった。
 堪えたが耐え切れず、転んだ。持ち前の運動神経のなさを、ここぞとばかりに発揮してしまった。
 公道であるのもお構いなしに、彼は路上に座り込んで鼻を愚図らせた。幸いなことに鼻血は出てこなかった。厚着していたのが不幸中の幸いで、ぶつけて痛いものの出血は回避できたようだ。
 ただ、内出血は酷そうだ。至る場所に青あざが出来ているのを想像して、彼は唇を噛み締めた。
 こんな事ならみんなと一緒に出かければよかった。十分ほど前の自分の決断を早速悔いて、涙を呑む。
「うぅぅ」
 恨めしげな声で唸る彼に肩を竦め、雲雀が前髪を掻き上げた。
 安全を確認して、黄色い鳥が黒髪の上に降りて来た。羽根を畳んで減速し、ふわりと着地を決める。
「ピヨ」
「行かないって言わなかった?」
 平たく横に長い嘴を開いて鳴いた小鳥は無視して、雲雀がぶっきらぼうに呟く。鼻の頭を手で押さえていた綱吉は、降って来た台詞に目を丸くして、可愛らしく小首を傾がせた。
 なんの話かと数秒黙って考え込んで、十八秒ほど過ぎた辺りで「あっ」と短く叫んだ。
 ベルを鳴らしながら自転車が通り過ぎて行った。道の半分を塞いでいる事実を思い出し、立ち上がろうとした綱吉がその瞬間によろめいた。
 足に力が入らない。腰砕けにしゃがみ込んだ彼にもう一度嘆息して、雲雀は右手を二度ばかり握っては広げた。掌をスラックスに擦り付けてから差し出して、綱吉が躊躇するのを見て有無を言わさず手首を取る。
 無理矢理引っ張り上げられて、釣り上げられる魚の気分になった。どうにか二本の足でバランスを取って、寄りかかっていた雲雀から離れる。手も一緒に放された。鼻先に雲雀の匂いが紛れ込んだ。
「…………」
 礼を言うべきか、否か。転んだのは雲雀が逃げたからで、綱吉が突っ込んできたのだって彼が無視したからだ。感謝するより糾弾すべきかと迷っていたら、擦り傷の痕がある右手が伸びて来た。
 空を掻く指先にどきりとしていたら、手は一瞬だけコートに触れてすぐに離れて行った。
「あ、……りがとう。ございます」
 見れば白い指先が、コートと似た色のゴミを抓んでいた。転んだ時に付着したのだろう、用無しとなった屑を足元に落とした雲雀に、綱吉はぎこちなく礼を述べた。
 仄かに朱を帯びた頬を見詰めて、雲雀は相好を崩した。目を細め、赤く腫れている鼻の頭や額を見て口をヘの字に曲げる。
「僕は、群れるのは御免だよ」
 綱吉が追いかけて来た事実に躍る心を封印して、素っ気無く吐き捨てる。他に汚れが付着していないか手探りで確かめていた綱吉は、追加されたひと言に嗚呼、と軽く頷いた。
 苦笑して、頬を掻いて擦り傷を爪で擦ってしまった。
 折角引きかけていた痛みを再発させて、自業自得に身悶える少年に眉を顰め、雲雀はゆるゆる首を振った。
 頭の天辺に陣取った小鳥が、局地的な揺れもなんのその、堂々と胸を張る。そのうち歌いだすのではないかという鷹揚さに奥歯を噛み、綱吉は広げた手で顔の真ん中を覆った。
 雲雀は勘違いしている。自分は彼を遊びに連れて行こうとして、追いかけて来たのではないのに。
 だが話の流れから、彼がそう思うのは仕方の無い事だ。まずはこの誤解を解くことから始めようと、綱吉は痛みを堪えて肩の力を抜いた。
 頬を緩め、笑う。人好きのする、実年齢よりも幼い微笑みをいぶかしみ、雲雀が眉間の皺を深くした。
「小動物?」
「遊びにいくのは、やめちゃいました」
「え?」
 彼だけが、綱吉をそう呼ぶ。
 確かに同年代の平均よりも背は低いし、軽いしで、小さいのは自覚しているが、小動物とひと括りにされるのはどうかと、毎回思う。
 常識的に考えて、「小動物」とは掌に乗るか、せいぜい軽々と抱えられる程度の大きさまでだ。中学生男子を捕まえてその表現は、果たしていかがなものか。
 もっとも文句を言ったところで改めてくれるような、素直な性格をしている男でもない。言わせておけばいいと考えないことに決めて、綱吉は目をぱちぱちさせている雲雀に小さく舌を出した。
 両手は背中に回して結び、背伸びしつつ首は竦めて、少し右に倒して。
 狙っているわけではなかろうが可愛らしくポーズを決めた少年にはっとして、雲雀は顔から表情を消した。
「やめたって?」
「逃げてきちゃいました」
 行楽自体を延期したのではないと、言葉足らずを反省して補う。出発直前の心変わりに思い当たる節はなく、だからこそ理由はひとつしかないと気取って、雲雀は眉を顰めた。
 気難しい顔をした彼を上目遣いに窺い、綱吉はアスファルトを爪先で叩いた。
「馬鹿じゃない?」
 あのタイミングで雲雀が沢田家の前を通り掛らなければ、綱吉は皆と一緒に遊びに行っていた。彼を並盛町に引き止めたのは、間違いなく雲雀だ。
 行くなと言われたわけでもない。だのに彼は友人や弟分らではなく、雲雀を選んだ。
 嬉しい。だが、それを素直に顔に出せない。
 無表情で呟いた彼に僅かにむっとして、綱吉は頬を膨らませた。
「どーせ、俺は馬鹿ですよー、だ」
 あっかんべーと目の下を引っ張り、思い切り舌を出して睨まれた。怒っているのだろうが、仕草がいちいち可愛らしい。本当に中学生かと疑いたくなる行動に苦笑して、雲雀は彼の、林檎色に染まった頬を擽った。
 指の背でなぞられて、くすぐったい。照れ臭そうに俯いて、綱吉は身体ごと揺らして逃げた。
「いいの?」
「いいんです。それに俺、動物園、ちょっと苦手だし」
 当日にドタキャンするような人間と友達を続けたくないと、山本や獄寺達に思われやしないか。そうなっても別段構わないし、むしろ大歓迎なのだがと心の隅で思いつつ問えば、綱吉はふいっと顔を背けて吐き捨てた。
 意外な答えに雲雀が目を丸くする。肩越しに振り返った少年が、きょとんとしている雲雀に噴き出した。
 もう随分昔の出来事に思えるが、京子とのデートだと思って張り切って出かけた先で、見知った仲間らと次々遭遇して酷い目に遭ったことがあった。全てリボーンの画策で、京子が誘ってくれたのだってあの赤子が用意した罠のひとつだった。
 お陰で動物園に対して、あまり良い印象がない。子供達が行きたがらなかったら、絶対に足を向けなかっただろう。
「ふぅん」
「だから、ヒバリさんが気にする事ないですよ」
「確かにね。小動物が檻の外から動物を見るなんて、ありえないしね」
「ぐ」
 曖昧に相槌を打った彼ににこやかに語りかければ、途端にいつもの調子を取り戻した雲雀が嫌味を口にした。
 思わずずっこけそうになって、片足立ちで飛び跳ねた綱吉は両手を握って振り回した。
「俺は、そんなに小さくないです!」
 話がどんどんずれていく。悔し涙で琥珀色の瞳を濡らした少年に破顔一笑して、雲雀は生意気に尖っている唇を戯れに小突いた。
 ちょん、と指で軽く押された。
 乾いた表面をなぞられて、鳥肌が立った。
「ちょ、ヒバリさん」
「誰も来ないよ」
 それはいつの間にか暗黙の了解と化した、ふたりの間でしか通じないルールのひとつだった。
 前にいきなりキスをされた綱吉が驚き、飛び跳ねて転んで頭を打ったことがあったので、以来雲雀はワンクッション挟むようになった。
 して良いかとの無言の問いかけに、綱吉がうろたえて左右を見回した。
 彼の言う通り近付いて来る人影はないが、自転車と徒歩とでは速度が明らかに違う。今はなくても、その瞬間にすれ違う人があるかもしれない。
 住宅地のど真ん中で何をしようとしているのか。想像したら鳥肌が立った。
「嫌ですよ、ヒバリさん」
「どうしても?」
「どーしてもっ」
 珍しく甘えた声で強請られて、危うく心がほだされるところだった。どどど、と早鐘を衝く心臓に息を乱し、綱吉は己を強く律して怒鳴った。
 迫りくる雲雀の胸を押し返して塀の前まで逃げて、肩を上下させる。目を吊り上げても、瞳自体が大きすぎるので余り迫力が無い。怒っているのにあまりそうは見えない表情に肩を竦め、雲雀は無防備だった赤い鼻を軽く弾いた。
「あでっ」
「まあ、いいか」
 先ほど痛い目に遭った場所を攻撃されて、綱吉が小さくなって叫んだ。大粒の涙を目尻に浮かべた少年に不遜な笑みを浮かべて、雲雀は黒髪を掻きあげると走りすぎていったバイクの排気ガスを手で払い除けた。
 尾を引くエンジン音に背筋を粟立て、綱吉は自分を抱き締めた。もし応じていたらあのドライバーに目撃されていた可能性は非常に高い。自分の選択は間違っていなかったと、少し残念がっているもうひとりの自分を叱りつける。
 唇を噛み締めていたら、雲雀が左足を引いて下がった。距離を取り、嫣然と微笑む。
「ヒバリさん」
「いくよ、小動物」
 右に進路を取って歩き出した彼の背中に唖然として、立ち竦む。踏みしめた砂利が靴底と擦れ合い、じゃり、という感触が足の裏全体に広がった。
「……どこにですか?」
「そうだね。強いて言うなら、小動物用の檻、かな」
「は?」
 雲雀が向かおうとしているのは、沢田家とは正反対の方向だ。目的地が読めなくて小首を傾げた彼を振り返り、雲雀が笑った。
 呆気に取られ、返す言葉が見付からない。ぽかんと間抜けに口を開いた綱吉に手を振って、早く来いと彼が急かす。五歩ばかり置いていかれてから我に返って、綱吉はカーッと赤くなって地団太を踏んだ。
「俺は、だから。ヒバリさんのペットじゃないですよ!」
 怒鳴るが、目ぼしい反応は得られない。それを腹立たしく思いつつ、また今日はずっと一緒に居られるのを嬉しく思いながら、蜂蜜色の毛並みの犬は尻尾を振って駆け出した。

2011/11/19 脱稿