観桜

 好きなものは、大体の場合、いつも最後に。
「あー……ンっ」
 公園のベンチに腰を下ろし、綱吉は幸せそうに大きく開けた口を閉じた。
 前歯の隙間から竹串を引き抜き、咥内に残った桜色の団子を満面の笑みで持って噛み潰す。柔らかな弾力の後に甘味がほんのり広がって、それだけで天にも登る気持ちになれた。
 落っこちてしまう前に、と左手で左頬を支え、右の頬をぷっくり膨らませてもごもごさせる。小粒の団子は瞬く間に、消えてなくなってしまった。
 右手の串にはまだ二個、団子が残っていた。白と、緑だ。
 膝に広げたお弁当箱、もとい透明のパックには、同じものがあと一本、そして柏餅がひとつ入っていた。風で飛ばされた砂埃が被らないようにと、蓋はセロテープで固定されていた。
 ただ、三色団子を一本取り出すのに一度はがしているので、粘着力は弱い。
「あっ」
 白色の団子に齧り付こうとした綱吉だったが、タイミングを見計らったかのようにぴんっ、とパックの蓋が弾き飛ばされた。
 仰け反るように綱吉の方へ倒れてきた蓋に目を落とし、彼は目の前まで来ていた串を下ろした。左手で蓋を押さえ、改めて串に唇を寄せる。
 横から齧れば、半分になった団子の隙間から竹串の表面がちょっとだけ顔を出した。
 これで残りを落としたら、悔しくて夜も眠れない。注意深く串を半回転させて丸みを帯びた面を上にして、彼はにんまり笑った。
 こんなところでひとり、三色団子を食すなど、幸せ以外のなにものでもない。家で食べるには、あれこれと危険が多過ぎる。
 二階の部屋は綱吉の居城であるはずなのに、リボーンが天井からハンモックを吊るして居座っているし、ランボはノックもなしにいきなり入ってくるから油断ならない。もしこっそりお菓子を食べているところを目撃されようものなら、泣くわ喚くわ、暴れるわ、の大騒ぎになること請け合いだ。
 たまにはひとりきりで、のんびりと過ごしたい。だのにあの家では、それが叶わない。
「いい天気だな~」
 四月に入り、小遣いもゲットしたばかり。財布にはまだ幾らか余裕があった。
 大事に使わなければいけないとは思うのだが、おいしそうなものを見つけて、どうしても我慢出来なかった。
 家からちょっと離れた公園の、ベンチ。敷地内には桜の木が何本も植えられて、丁度見頃の時期を迎えていた。
 満開の桜の下では老若男女が茣蓙を敷き、日頃の鬱憤を晴らそうとしてか、大いに騒いでいた。公園内は火気厳禁の為、バーベキューといった野外での料理を敢行する人はいない。
 花見のシーズン初期は、いた。しかし町内を巡回する風紀委員長によって悉く駆逐されて、その噂が広まったらしく、咬み殺されると分かって無謀な行動に出る人は居なくなった。
 お陰で公園は健やかな空気に溢れ、心地よい。肉の焼けるおいしそうな匂いに、腹の虫を騒がせずに済む。
「あー、ム」
 串に残っていた最後の団子を頬張って、綱吉はのんびりと足を伸ばした。
 揃えて前に蹴りだして、上機嫌に身を揺らす。燦々と降り注ぐ陽光は夏場に比べてずっと穏やかで、眩しさもさほどではなかった。
 ずっとこんな気候が続けばいいのに。穏やかに吹く風に身を委ね、綱吉は串にこびり付いていた餅の欠片を歯で削ぎ落とした。
 意地汚いと思いつつも、止められない。最後にぺろりと串の表面を舐めて、彼は左手を引いてパックの蓋を開けた。役目を終えた串を中に放り込んで、次にどちらを食べるかで一寸迷う。
 人差し指を宙に泳がせ、彼は嬉しそうに顔をほころばせた。
「どうしよっかなー」
 今度も三色団子に行って、最後に柏餅にするか。
 それとも柏餅で一旦口の中の味を変えて、再び三色団子に戻るか。
 並んで鎮座する甘い和菓子を食い入るように見詰めて、綱吉は背中を丸めた。
 どちらも、早く彼に食べて欲しそうにしていた。
「うーん」
 好みでいけば、柏餅の方が好きだ。餡子が入っている分、お得感がまるで違う。
 その分、値段もちょっとだけお高い。
「やっぱ、……こっちかな」
 一分近い逡巡の後、綱吉は細長い串の端を抓み上げた。みっつ連なる団子を、尻からゆっくり持ち上げる。
 好物は後で、の法則に従うことに決めた彼は、早速口に入れようと目を細めた。
「ツナ君?」
 そこへ不意に、声が響いた。
 手は止まったのに、口は止まらなかった。目標を見失った前歯が空気を咬み、ガチッと嫌な音を立てた。
 顎に衝撃がきて、綱吉は小さな痛みに顔を顰めた。人の楽しみを邪魔する不届きものに腹を立て、いったい誰だと勢い勇んで首を右に回す。
 目を吊り上げた彼の顔に、手を振ろうとしていた少年はそのポーズのまま停止した。
 中途半端な位置にある右手を、ややしてから下ろす。カーキ色のパーカーを着た少年に、綱吉は二秒してからハッと息を飲んだ。
 知っている顔だった。
「や、やあ……」
「こんにちは」
 なんともぎこちない笑みを作り、擦れ気味の声で挨拶をする。少年もまたどことなく他人行儀な挨拶を口ずさみ、行き場のない右手でパーカーの裾を抓んだ。
 意味もなく布を引っ張る彼に苦笑して、綱吉はベンチから腰を数ミリ浮かせた。
「散歩?」
 並んで座れるよう位置をずらし、三色団子もパックに戻す。最早粘着力などないに等しいセロテープを指で弄る彼に、炎真は遠慮がちに頷いた。
 なかなか座ろうとしない友人に焦れて、綱吉は開いた手で作ったばかりの空間を叩いた。
「ごめん」
「いいって」
 焦れて急かす綱吉に、炎真は小さく頭を下げた。その反応に、ちょっと強引過ぎたかとひっそり反省して、綱吉は甘い唇を舐めた。
 おずおずと綱吉の右隣に座った彼は、ふわりと吹いた風に誘われ、視線を浮かせた。
「うわあ……」
 茣蓙に腰を下ろす花見客からも、一斉に歓声が上がった。
 ざああ、と唸りを上げるようにして、桜の枝から数多の花びらが空に吸い込まれていった。
 降り注ぐ花弁のひとつを掌で受け止めて、炎真は目を見張り、少ししてはにかんだ。
「凄いね」
「そうだねー」
 飾らない感想に綱吉も頬を緩め、目尻を下げた。
 花びらは彼にも降りかかり、肩や、手に落ちた。食いしん坊な花びらが一枚、透明パックに滑り込んだ。
 行方を追いかけていた炎真の視線も、自然とそちらに向いた。綱吉が持っているものを今になってようやく認識したらしく、目をパチパチさせた後、小首を傾げた。
 よもや団子を知らないのか。いぶかしんだ綱吉に、彼は小さく吹き出した。
「おいしそうだね」
「あ、ああ。うん」
 彼が見ていたのが団子ではなく、団子が刺さっていた串の方だと気がついて、綱吉はサッと顔を赤らめた。竹串には歯で擦った跡がしっかりと残されている。食い意地が張っていると思われて、照れ臭い。
 後頭部を掻いてなんとか誤魔化し、綱吉はまたも吹いた風につられて顔を上げた。
 青空に、桜色が溶けて行く。
「すごいなー……」
 隣に座る炎真が感嘆の息を漏らし、綱吉は首を竦めた。
 自分が生まれ育った街が褒められたようで、嬉しい。この空を見た彼が今よりも並盛町を好きになってくれれば、もっと嬉しい。
 想像に胸を弾ませ、綱吉は左手で和菓子の入ったパックを撫でた。
「そうだ」
「ツナ君?」
「食べる?」
 唐突に声を高くして伸び上がった彼に、炎真はビクリとした。怪訝に視線を向けた少年に朗らかに微笑みかけて、綱吉は大事に膝に抱えていた和菓子を掲げた。
 いきなり目の前に突き出された方は益々目を丸くして、興奮気味に頬を赤らめている少年に眉を顰めた。
「え?」
 理解が追いついていない様子の彼に、綱吉はひとり突っ走ってしまったのを反省し、亀のように首を引っ込めた。
「もしかして、……嫌い?」
 こんなにも美味しい三色団子に柏餅だが、世の中には様々な嗜好の人がいる。宇宙中を探せば、ビアンキのポイズン・クッキングが美味しいと言い出す人もいるかもしれない。
 やや極端な例を頭に浮かべ、綱吉は餅の入ったケースの向こうから、恐る恐る炎真を窺った。
 彼は仔犬めいた目を真ん丸にして、視線に気付いて大慌てで首を振った。
「ううん!」
 パタパタと犬の尻尾が揺れている幻が見えた。嘗てないほどに頬を紅潮させた彼に相好を崩し、綱吉は蓋が開いたパックをベンチの上に置いた。
 スズメの涙に等しい毎月の小遣いで買った大事なおやつだ、本当だったら誰にもあげたくなかった。ランボ相手だったら尚更その気持ちは強いが、此処にいるのが炎真となれば、話はまた違ってくる。
 色鮮やかな三色団子と、桜の葉に包まれた柏餅。
 おいしそうな餅を交互に見詰める炎真の顔は、とても楽しそうだった。
 色々あったけれど、彼は大事な友人だ。その大切な友達と一緒に、桜を愛でながら食べる。これ程幸せなことはない。
 ただでさえ美味しい団子が、もっと美味しく感じられるに違いない。自然と笑みが零れ、はにかんでいる綱吉を盗み見て、炎真は気恥ずかしそうに首の後ろを掻いた。
「いいの?」
「いいよ」
 念の為に確認した彼に、綱吉は迷う事無く首を縦に振った。
 首肯されて、炎真の表情が不意に引き締まった。真剣な眼差しをして、手元へと向けられる。
「じゃあ」
 ここで断るのは綱吉に対して失礼と弁え、恐る恐る手を伸ばす。だが彼の指は虚空を掻いて、中空で停止してしまった。
 どうしたのかといぶかしむ綱吉を前に、彼は唇を戦慄かせた。
「これ……」
 酷く弱々しい、泣きが入った声で呟かれて、綱吉は目を丸くした。きょとんとしたまま彼が何を躊躇しているか考えて、ふたつ並んだ餅に視線を落とす。
 三色団子と、柏餅。
 彼の指はその真ん中で、どっちつかずの状態で彷徨っていた。
 嗚呼と頷き、綱吉は肩を竦めて苦笑した。
「好きな方で良いよ」
 ふたつあるから、迷うのだ。綱吉だって、同じ状況に置かれたら、きっと悩む。
 気兼ねしないで良いと言われ、炎真はホッとした顔をした。頬の強張りを緩め、転んだのか、鼻の頭に出来た傷を軽く引っ掻いて照れ臭そうに微笑む。
「えっと、じゃあ」
 躊躇を捨てて、彼は白い餅を包む槲の葉に手を伸ばそうとした。
 瞬間、前方から僅かに尖った気配を感じた。
「っ!」
 思わずビクリとしてしまい、炎真は手を止めて警戒を露わにした。まさかこんな平和そうな場所に敵が紛れているのかと、過剰に反応して息を潜める。
 だが柏餅から指を遠ざけた途端、正体不明の敵意は何処かへと消え失せた。
 綱吉を見るが、彼は首を傾げるだけだった。
「どうしたの?」
 琥珀色の目をまん丸にして、問い掛けられた。どうやら今の、殺意めいたものには気付いていないらしい。ボンゴレの血筋には超直感と言う、人並み外れた鋭い感覚が宿っているというのに。
 怪訝に首を傾げられて、炎真は言おうかどうかで迷った。だが、もう自分たちに注視する気配は掻き消えてしまったし、身に迫る危険も感じ取れない。
 余計な心配をかけるよりも、万が一の時は自分が先頭に立ち、綱吉を守れば良いのだ。そう自分に言い聞かせて気持ちを落ち着かせ、炎真は首を横に振った。
「ううん、なんでもない」
「そっか」
 挙動不審になったのにも気にせず、綱吉は嬉しそうに頷いてくれた。
 朗らかなその表情に安堵して、炎真は改めて菓子が並んだ透明パックに手を向けた。人差し指を先行させて、緑の葉に包まれた白い餅を掴み取ろうとする。
「――っ」
 瞬間、彼はまたも正体不明の気配を受け、大袈裟に背筋を強張らせた。
「炎真君?」
「え、あ……」
 さっきからどうしたのかと、綱吉は眉を顰めた。答えに詰まり、炎真は公園内をぐるりと見回した後、琥珀色の瞳を僅かに曇らせている少年をじっと見詰めた。
 とある可能性に思い至るが、証拠が無い。確証を求め、彼は綱吉から目を逸らさず、手探りで柏餅の葉に触れた。
 綱吉の瞳が自ずと下を向いた。炎真の指先に注目して、逸れない。
 尖った空気に首筋がビリッと来て、炎真は息を飲んだ。
「やっぱり、こっちで」
「あ」
 超直感の持ち主が、あの不自然な気配に気付かなかった理由が分かった。炎真はそうっと溜息をついて、最初に食べたいと思った柏餅ではなく、串に刺さった三色団子を摘み取った。
 パックから引き剥がされた餅の行方を追い、綱吉が決まりの悪い顔をした。
 見透かされたと、ようやく気付いたのだ。パックの底には串の残骸が残されている。綱吉が既に三色団子を一本食した後だというのは、誰の目にも明らかだった。
 同じものを続けて食べるよりは、違うものを口に入れたい気持ちは、炎真にだって分かる。
 下唇を噛んでいる綱吉に相好を崩し、炎真は咲き乱れる桜と同じ色をした団子に齧り付いた。
「……ごめん」
 柔らかな触感が楽しくて、顎を大きく上下させて咀嚼している彼を盗み見て、綱吉は膝をもじもじさせながら呟いた。
「なにが?」
 炎真がそんな彼に視線を流し、控えめに問いかけた。
 綱吉は緩く握った拳を膝に揃え、肩を強張らせて小刻みに震えていた。
「だって、炎真君は」
「僕はホントに、こっちが食べたかったんだ。有難う、ツナ君」
 見え透いた嘘を告げて、ふたつ目の団子の頭を齧る。喉の奥まで串を押し込むのは、尖った先端が刺さりそうで、恐くて出来なかった。
 にっこりと満面の笑みを向けられて、綱吉は瞠目し、同時に頬を赤く染めた。誤魔化しに首の後ろを引っ掻いて、炎真以上におっかなびっくり柏餅に手を伸ばした。
 大振りの葉をぺらりと捲って、柔らかな餅の表面をむき出しにする。
「葉は食べないの?」
「食べられるのは、桜餅だよ。こっちは、固いから無理なんだ」
 早速かじりつこうとしている綱吉に、横から炎真の質問が飛んだ。綱吉は一度開けた口を閉じ、餅の欠片がちょっとだけ張り付いている濃緑色の葉を抓んで引っ張った。
 あまり食べたことはないのだろうか。興味深そうにしている彼に、綱吉は上唇を舐めた。
「あのさ。あの、やっぱり」
 三色団子は齧られた後だけれど、綱吉はそんな事もう気にしない。
 炎真は最初、柏餅に手を伸ばしていた。それを、綱吉の浅ましい感情を気取って、選択を変更してくれた。
 矢張り彼にはこちらを食べてもらおう。そう決めて、声をあげる。
「じゃあ、来年はそれがいいな」
「え?」
 だが皆まで言わせず、炎真が笑った。
 意味が理解出来ず、綱吉は目を丸くした。白い歯を零している友人をマジマジと見詰め、続けて槲の葉に包まれた餡子入りの餅に意識を向ける。
 そうしてもう一度炎真を見ると、彼は残り一個になった団子の串を揺らし、天を仰いだ。
「来年も此処で、一緒にお花見しようよ。その時は、僕がお団子、買って来るから」
 それでお相子だと肩を揺らし、落ちてきた花びらが緑色の団子に張り付くのに破顔する。
 綱吉は暫く惚けた顔をして、たっぷり五秒過ぎてからハッと息を吐いた。零れ落ちんばかりに目を見開いて、興奮気味に頬を紅潮させて、今までで一番の笑顔を浮かべる。
「うん!」
 力強く頷いて、続けて柏餅に大口開けて齧り付く。
 おいしそうに頬張る彼に顔を綻ばせ、炎真は来年の約束の日に思いを馳せた。

2011/04/16 脱稿