廉潔

 風が吹いたわけでもないのに、近くの茂みがカサリと鳴いた。
「ガウ?」
 いち早く獣が気配に気付き、誰何の声をあげた。暗がりに潜む琥珀の眼を胡乱げにして、迫り来るものを把握しようと首を上向ける。
 一方で獣の主たる少年は俯いたまま足元ばかりを見詰め、少しも周囲に気を配ろうとしなかった。
 もしかしたら眠っているのか。そんな懸念を抱くが、遅れて十秒ばかりしてから、彼はやっと顔を上げ、目を瞬かせた。
「クピ」
「ガウっ」
 可愛らしく鳴いた夜行性の獣に反応し、黄金色の鬣を持つ獣が嬉しげに吼えた。すっかり日も暮れて、辺り一帯には闇が押し寄せ、空を押し潰さんとしているのに、なんとも呑気な光景だった。
 大粒の眼をパチパチさせて、少年は暗がりから現れた青年にぽかんと口を開いた。
「なにしてんの」
「え……と」
 問いかけに、明確な返答は得られない。彼は困惑を顔に出すと、目を伏して右の肘を握り締めた。
 リリリ、とどこかで虫が鳴いていた。動くものが乏しい中、風も吹かないので随分と静かだった。耳を澄ませば島を囲む海の、荒々しい波の音も聞こえるかもしれない。
 そんな事を心の片隅で考えながら、雲雀は辛抱強く、目の前の少年が喋りだすのを待った。
 ふたりの丁度真ん中では、百獣の王と称されるライオンの仔と、背中に無数の棘を持つ小さな肉食獣が鼻を小突きあい、無邪気に戯れていた。
 それぞれの主人に遠慮してか、声は立てないようにしている。互いに嬉しそうに目を細め、笑い合っている。
 小さいもの同時のじゃれ合いに目を向けて、雲雀は肩を竦めて苦笑した。
「小動物?」
「その言い方って……」
「不満?」
 呼びかけられて、綱吉は僅かに視線を持ち上げた。上目遣いに窺っている彼にしとやかな笑みを浮かべ、雲雀は小首を傾げた。
 綱吉はなにも答えず、代わりに足元で団子になっている生き物を見た。星月の明かりだけでは暗いかと思いきや、意外にそうでもないことを、彼はこの島に来て初めて知った。
 町中が明るすぎるのだ。自然界にはこんなにも、美しい輝きが溢れていた。
 そっと吐息を零し、彼はゆるゆる首を振った。その仕草が雲雀の呼び方についての返答なのか、違うのかは、本人にも分からなかった。
「ヒバリさん、こそ」
「なに?」
「こんなところで、こんな時間に、何を」
「ちょっとね」
 昼間の戦闘で炎を大量に消費した雲雀は、山本がデイモン・スペードを退ける前から眠ってしまった。それだけ疲弊していたのか、それとも観戦に飽きただけなのかは、綱吉には分からない。
 それはさておき、あんな早くから寝入ったのだから、夜中に目を覚ますのも当然の話だ。言葉を濁した彼だけれど、空腹か、それとも尿意を理由に起きてきたのだろう。
 肩を竦めた雲雀の学生服は、ボンゴレ・ギアの装備が解除されているのもあって、普段から身につけているサイズに戻っていた。
「クピ?」
「ガウ、ガウガウ!」
 ふたりの間に張り詰めていた空気が緩み、会話が再開されたのを受けて、匣兵器たちも声をあげた。種族が違うというのに、言葉は通じているようだった。
 なにやら額をつき合わせてヒソヒソ話をしているが、残念ながら人間には、獣の言葉は理解出来ない。
 月明かりの中で繰り広げられる暢気な光景に頬を緩め、綱吉は膝を折ってしゃがみ込んだ。
 手を伸ばしてナッツの鬣を後ろから撫でてやれば、猫とも思える容姿の獣は四本の足で大地を踏みしめ、喉を仰け反らせてゴロゴロ言った。
 甘えて擦り寄る仔ライオンに愁眉を開いた雲雀は、自分もと撫でて欲しそうにしているハリネズミに仕方なく手を伸ばした。
 掌に乗るサイズしかない獣を片手で抱き上げ、ふと、何を思ったのしゃがんでいる少年の頭にぽすん、と置く。
「うぐ」
「落とさないでね」
 ずしっと重みが首に来て、綱吉は呻いた。
 俯いていたので見えなかったが、雲雀が何をしたのかについては楽に想像が出来た。ずりずりと天頂部を前に滑り落ちていく獣の爪に頭皮を引っかかれて、彼は奥歯を噛み締めた。
 跳ね放題の髪の毛は、生まれつきこの色だった。どれだけ櫛を入れても、ドライヤーを当てても、直ぐに元通りになってしまう頑固な髪型だけれど、触ってみると意外に柔らかく、さらさらしていた。
「キュー」
「ガウっ」
「あああ、どうしたんだよ、ナッツ」
 高い位置に置かれたロールが機嫌よさげにするのを見て、対抗意識でも燃やしたのか、ナッツが急に爪を出した。手の甲を引っかかれ、突然臍を曲げた匣アニマルに綱吉は悲鳴を上げた。
 拗ねている仔ライオンと、困っている少年とを一緒くたに眺め、雲雀はクッ、と喉を鳴らした。
「ヒバリさん」
「こんな夜中に、ひとりで。危ないよ?」
 笑っていないで、ロールを退かして欲しい。今にも落ちそうな雲ハリネズミを指差して声高に訴えた彼を無視し、丸めた手を口元にやった青年が意地悪く言った。
 今更そんな話かと、告げられた方は唖然と目を見開いた。直ぐに渋い顔をして上唇を噛み、高い位置にある黒い眼を渾身の思いで睨みつけてやる。
 だが雲雀は飄々とした態度を崩さず、向けられた怒気も軽く受け流してしまった。
 暖簾に腕押し、という言葉が綱吉の頭を過ぎった。まさしくその通りだと頷いて、諦めて肩を落とす。
「大丈夫、ですよ。ナッツもいるし」
 無人島に等しく、野生動物が溢れているとはいえ、綱吉には獣の王が一緒なのだ。それに、初代ボンゴレことジョットから引き継がれた超直感なるものが、この身には宿っている。
 危険を察知するのは造作ないと胸を張られて、雲雀は失笑した。
「ム」
「気付かなかったじゃない」
 なにを面白いことがあるのかと、琥珀の目で見詰められて、彼は右手を揺らした。掌を上にして、呆れ混じりに呟かれて、途端に綱吉の顔が赤くなった。
 彼が背後から接近する雲雀を気取ったのは、ナッツが反応してずっと後のことだった。
 つい数分前の出来事を揶揄されて、ぐうの音も出ない。必死に言い訳を考えて、綱吉は握った拳を上下に振った。
「あ、あれは。だって、ヒバリさんは、その」
「キュッ」
「ああ、ごめん」
 頭の上に一匹いた事を、すっかり忘れていた。
 前後に揺さぶられて、ハリネズミはなだらかな傾斜を滑り落ちていった。いきなり目の前が塞がって、前髪を引っ張られた綱吉は、痛みを堪えて手を伸ばし、落ちるロールを背中から受け止めた。
 針が手に触れる。ちくりとした。
「僕が敵だったら、今頃君は、生きてなかったかもね」
 囁くように紡がれた言葉が、ズキンと綱吉に刺さった。
 仰向けでじたばたしていたロールが、苦労の末に天地を正しくさせた。長い鼻をヒクヒクさせて、綱吉の肌に残る赤い点々を見て申し訳無さそうに丸くなる。
 毬栗になったハリネズミに相好を崩し、綱吉は傷つけないよう注意しながら地面に下ろしてやった。
「ガウ」
「キュゥゥゥ」
 即座にナッツの前脚が伸びて、ロールの頭に触れた。叩いたのか、撫でたのかについては、判断が分かれるところだ。
 首を竦めている匣兵器に嘆息し、雲雀は赤味を残す肌をなぞっている綱吉を見詰めた。
「聞こえてる?」
「ヒバリさんは、敵じゃ、ないから」
「敵だよ」
「違います!」
 下を見たままたどたどしく呟く綱吉に、追い討ちをかける。冷徹なひと言に彼は瞬時に反応して、声を荒げた。
 バッと勢い良く顔を上げた彼の、悲痛な形相に、雲雀は目を細めた。
「君も、僕の標的のひとりだよ」
 意地悪く言葉を重ね、紡いでいく。綱吉は大粒の瞳をもっと大きく見開いた後、短く息を吐き、苦虫を噛み潰したような顔をして横を向いた。
 垂れ下がっているだけだった両手で上着を握り締めて、何かを堪えながら乱れた呼吸を整えていく。
「だとしても。そうだとしても。……今のヒバリさんは、俺の敵じゃないです」
「どうしてそう思えるの」
「ナッツが」
 心配そうに小さく鼻を鳴らしている獣に顔をやって、綱吉は手を伸ばした。人差し指と中指をクンクン嗅いだ後、ぺろりと舐める。濡れた舌は、ざらざらしていた。
 こんなにも幼いのに、主を案じて自分に出来る事を懸命に探している。その健気さに心を震わせて、彼は改めて雲雀を見上げた。
 柔らかな鬣を持つ獣を抱きかかえて、ゆっくりと立ち上がる。
 差し出されて、雲雀は面食らった。
「なに」
「ナッツが、吼えなかったから」
 吃驚している青年に朗らかに笑いかけ、何でも無い事のように告げる。
 臆面なく言ってのけた少年に舌打ちして、雲雀は対応に苦慮して頭を掻いた。
「キュゥ」
 代わりにロールが鳴く。照れているのを誤魔化して、雲雀は盛大に溜息をついた。
「君は……」
「有難う御座います」
「どうしたの」
「俺のこと、探してくれてたんでしょう?」
 夜更けにひとり、寝床にしていた川辺から抜け出した。獄寺にも、山本にも、リボーンにも何も言わずに。
 ナッツだけ起きてしまったので、連れて来た。ひとりになりたくて、けれどなったところでどうにもならなくて、途方に暮れていた。
 雲雀が来たのは、丁度そんな時だった。
「気のせいだよ」
 綱吉の物言いが気に入らなかったようで、彼は盛大に頬を膨らませて吐き捨てた。その顔が面白くて、綱吉はつい、笑ってしまった。
 腕を戻し、ナッツを胸に抱き締めて、柔らかな毛足に頬を寄せる。くすぐったいのか、仔ライオンはきゃっきゃ言いながら足をじたばたさせて、猫のように丸くなった。
 尻尾に宿る穏やかなオレンジ色の炎が、まるで蝋燭のように揺らめいていた。
 今度はロールが羨ましがる番だった。雲雀の左のローファーにのっしり圧し掛かり、短い前足を伸ばしてスラックスの裾を引っ掻き回す。
 痛くないものの気に障って、雲雀は仕方なく片膝を折った。
 掌で掬い上げてやろうと、右手を下向ける。彼の視線が逸れたのを見計らい、綱吉は抱えていたナッツをそうっと前に出した。
「ぐ」
 ぼふん、と大きいものを頭に乗せられて、雲雀は低く唸ると同時に崩れそうになった体勢を維持すべく腹に力を込めた。右手をロールの真横に突き立てて支えにして、首が折れそうな重みを耐える。
 いきなり黒髪の上に置かれた子ライオンは、主人の運動神経のなさを反映させた動きでもって暴れ、瞬く間に落ちそうになって足をバタつかせた。
「あれ。って、ナッツ!」
 思っていたのと違う結果になって、綱吉は急ぎ両手を広げた。
 だがそれより早く、背筋を伸ばした雲雀が、今度は真後ろに滑っていくナッツの後ろ足を掴んだ。引っ張って前に移動させて、荒い息を吐く。
 艶やかな黒髪は無惨に乱れ、毛先が何本か天を向いていた。
「……えへ」
 闇を背負う青年に眼光鋭く睨まれて、綱吉は頬を引き攣らせた。笑って誤魔化そうとして失敗して、脇を締めて小さくなる。
 後退して距離を取った彼に嘆息して、雲雀はロールとナッツを一緒に胸に抱え上げた。そうしてそのまま、綱吉に背中を向けた。
「ガウ?」
「キュゥ!」
 状況の把握が巧く出来ていないナッツが首を傾げ、ロールは主の肩によじ登った。黄色い小鳥の特等席を占領して、後ろで惚けて突っ立っている少年にバイバイと手を振る。
 ハッと我に返り、綱吉は薮を掻き分けて広い背中を追いかけた。
「ヒバリさん!」
 ナッツは未だ彼の手の中だ。主人の目の前で誘拐された仔ライオンは、しかしなんとも呑気なもので、ロールと反対側の肩からひょっこり顔を出し、焦っている綱吉に笑いかけた。
 状況が分かっていない。匣アニマルは所有者の映し鏡だといわれるけれども、自分があんな能天気だとは、綱吉は死んでも思いたくなかった。
「ヒバリさんってば」
 やっとのことで追いついて、意外にがっしりして太い上腕を掴む。引っ張られた青年は不機嫌に振り返り、息を乱している少年に眉目を顰めた。
「なに?」
「なに、じゃないです。ナッツ、返してください」
「くれたんじゃなかったの?」
「あげません!」
 首を右に傾けて不思議そうにされて、綱吉は怒鳴った。
 黒い学生服に跨って楽しげにしている二匹を交互に見て、奥歯を噛み締める。今すぐ返すよう掌を上にして差し出すが、雲雀は動いてくれず、ナッツも降りようとしなかった。
 乾燥してカサカサしている小さな手を不思議そうに見詰めて、仔ライオンはきょとんと目を丸くした。
「ガウゥ?」
 どうしたの、とでも言いたげな視線を向けられて、綱吉は地団太を踏んだ。
「要らないんじゃなかったの」
 小さい生き物を両肩にはべらせて、雲雀はひとりご満悦だ。不遜に言い放った彼に吃驚して、綱吉は背筋を粟立たせた。
「いつ、俺が、そんな事言いました」
「くれたじゃない」
「だから、あげてませんってば」
 その理屈でいけば、綱吉はロールを譲り渡されたことになる。が、一時期頭上に在ったハリネズミは、今は雲雀の肩の上だ。
 堂々巡りの押し問答は、終わる様子が無い。ぶすっと膨れ面をした彼を笑って、雲雀はナッツの喉を擽った。
 柔らかな毛並みと、温かな体温を同時に楽しんで、機嫌よくゴロゴロ言っているナッツの笑顔に顔を綻ばせる。
 人間相手では滅多に見せてくれない笑顔を惜しげもなく振り撒く彼に、綱吉は益々不機嫌に顔を顰めた。
「君だって、ロールと一緒がいいよね」
「ガウ!」
「キュゥゥ」
 問いかけにナッツは元気良く返事をして、聞いていたロールが恥ずかしそうに身を捩った。
 いつの間に、そんなに仲良くなったのだろう。接点はさほどなかったはずなのに。
 そもそも十五歳の雲雀が炎を使うところも、匣兵器を駆使して戦闘するところも、綱吉は昨日初めて見たのだ。あんな風にも出来るのかと、ボンゴレ・ギアと匣アニマルの秘められた可能性を改めて思い知らされた。
 十年後の雲雀は強かったが、今の雲雀も十二分に強い。
 最強の守護者とも形容される、雲の守護者。その名に恥じない活躍を見せた彼だけれど、それ以上に綱吉は、彼の言葉が胸に響いた。
「ナッツ」
「ガッ、ガウガウ」
「君もこっちにくればいい、だってさ」
「…………」
 手を出すと、仔ライオンは牙を剥いて吼えた。雲雀が勝手な翻訳をして、余裕綽々と笑う。綱吉は苦々しい顔をして、どんな時でも我が道を行く人を恨めしげに睨んだ。
 迫力のない琥珀の眼差しを平然と受け止めて、彼は頬擦りしてきたナッツの頭を撫でた。
 大きな掌は、小さな獣をすっぽり包んでしまえる。ナッツもそれが分かっているようで、彼に全幅の信頼を寄せていた。
 はっと息を吐き、綱吉は爪先で地面に穴を掘った。
「ヒバリさん、小さいの、好きですね」
「そうだね。嫌いじゃないよ」
 嫌味のつもりで言ったのに、通じなかった。あっさり首肯されて、綱吉はあんぐりと顎が外れそうなくらいに口を開けた。
 間抜けな顔をしている彼に肩を竦め、雲雀は呵々と笑った。
 いつになく機嫌がいい。並盛中学校で見かける彼は、いつだって仏頂面をして、世の中に面白いことなどひとつもないと言わんばかりなのに。
 昼間に鈴木アーデルハイドと思う存分戦って、日頃の鬱憤が晴れたのだろうか。それにしては妙な気がして、綱吉は訝しげに彼の目をじっと見詰めた。
 気付いた雲雀が笑みを薄め、小首を傾げながら見詰め返してきた。
「小動物?」
「っ!」
 そういえばヘリコプターから降りて来た直後にも、そう呼ばれたのだった。
 あの時はツッコミを入れる余裕が無いくらいに落ち込んでいて、もうなんだっていいと半ば投げやりになっていたから気にならなかったが、その呼称はかなり、恥ずかしい。
 今になって認識して、頬にカッと朱が走った。右手で顔を半分覆い隠した彼に不思議そうにして、雲雀は黒目を中央に寄せた。
 半歩後退して、綱吉は奥歯をカチリと鳴らした。
「お、俺は、ち、小さく、なんか」
「小さいよ」
「小さくないです!」
 十四歳になっても、身長は百六十センチに届かない。未来で過ごした時間の分、実際よりも数か月分長く生きているというのに、彼の背丈は未だ発展途上にあった。
 体重も軽いので、簡単に吹っ飛んでしまう。沢山食べているのに、ちっとも血肉とならない。
 順調に成長を遂げた獄寺や山本の十年先を見てしまっている分、綱吉の体型コンプレックスは否応無しに刺激された。
 ムキになって反論する彼に首を傾げ、雲雀は両手を腰に当てた。
「小さいって」
「これから……これから大きくなるもん」
「小さかったよ?」
「見たんですか!」
 さらりと言い切られて、綱吉はショックに竦みあがった。
 彼は未来の自分を知らない。ボンゴレ十代目として並盛の地下に巨大なアジトを作り、雲雀が作った風紀財団のアジトと繋がる入り口を作ったこと、くらいしか。
 未来の情報を与えてはいけない、とリボーンがお触れを出したお陰で、写真を見ることすら叶わなかった。十年後の自分が所持していた免許証は、ご丁寧に十四歳の写真に貼りかえられていた。
 そういえばバイクを趣味にしている、という話だけは聞いた。
 あんな物騒な二輪車を、自分が乗り回している光景は想像がつかない。いったい誰の影響なのかと考えて、綱吉は目の前にいる青年に青くなった。
「跳ね馬が、写真をね」
 自慢しようと見せようとして、見せてはいけないと聞いていたのを思い出し、矢張り見せないと言い張ったものだから、殴って奪い取った。
 至極あっさりとした説明に、タンコブを作っている三十台のディーノの図が楽に思い浮かんで、綱吉は何処へ行ってもペースを崩さない雲雀に嘆息した。
「でも。大きく、なるもん」
「小さくていいよ。どうしてそんなに嫌なの」
「だって。……だって」
 口を尖らせて繰り返す彼に呆れ顔を向け、雲雀が理由を問う。綱吉は言葉を詰まらせ、俯いた。
 雲雀は小さい生き物が好き、それは本人が呆気なく認めた。そして彼は、綱吉を指して小さいと主張する。
 愛らしい小動物と同列に扱われているだけなのか、違うのか。不謹慎な想像をしてしまって、妄想が止まらない。
 赤くなり、頭の天辺から湯気を吐き、綱吉はもぞもぞしながら小さくなった。
「ガウ?」
「キュウ?」
 ナッツとロールが揃って身を乗り出し、どうしたのかと声を上げた。雲雀は彼らの頭を押さえ、落ちないように支えてやった。
 ひとり百面相をしている綱吉を呵々と笑って、ついでとばかりにしな垂れている髪の毛に触れる。見た目鋭い棘の頭髪は、意外な柔らかさでもって雲雀を迎えた。
 絡み付いてくるのは、静電気の所為か。離れていかないでと訴えるように、指にまとわりついてくる。
「小さかろうと、強い生き物は強いよ」
 だからこそ世界は、今の形となった。
 昼間に見せつけられた、雲ハリネズミを用いての戦い。雲雀のロールは単に見目愛らしいだけではないのだと、圧倒的な強さで証明してみせた。
 外見の立派さなど関係ないと言われたような気がした。必要なのは生き延びる術であり、戦況を冷静に判断する眼であり、敵の弱点を瞬時に貫く技量だ。
 雲雀の言葉に、綱吉は頷いた。コクン、と首を縦に振って、あやすように撫でてくる手を甘んじて受け止める。
 大きい手は温かく、優しかった。
「俺は、……忘れてたんです。この島に、何の為に来たのか。炎真の哀しみは、俺には分からない。何が正しくて、なにが間違ってるのか、俺はずっと、答えを出せずにいました」
 憎悪の炎を燃やし、激しい怒りをぶつけてきた炎真。彼の涙は胸につまされて、綱吉は自分の信じるものがよく分からなくなってしまった。
 父は本当に、彼の妹や両親を手にかけたのか。違うと思いたいのに、嘘だと断じるにはあまりにも炎真の言葉が真に迫っていて、その場で否定できなかった。
 彼の気迫に圧倒されて、呑まれてしまった。
「それで?」
 雲雀が先を促す。綱吉は、遠慮がちに笑った。
「京子ちゃんのお兄さんが言ってました。俺には、誇りが既にあると。でも俺にはそれが、なんだか分からなかった。でも。ヒバリさんの言葉を聞いて、ヒバリさんが闘ってるところを見て、ちょっと、分かった気がします」
 そもそも自分たちは、何をする為にこの島を訪れたのか。わざわざ子供達だけで、人数を絞って。
 継承式での一件で、九代目の大切な部下も犠牲になった。
 炎真の言葉に従えば、九代目だって復讐したいに違いない。だけれどあの人は、綱吉の我が儘を許してくれた。
 山本は、自分を死の縁まで追い遣った男を赦した。彼を大切な友人だと、事も無げに笑って言ってのけた。
 自分は、ではどうなのだろう。
「俺はまだ、炎真を友達だと思っている。友達に戻れるって、そう信じてる。俺は、炎真を倒しに来たんじゃない。アイツを助けに来たんだ。だから、俺は」
「ガウ!」
 ゆっくりと、想いを確かめるように呟いた綱吉に呼応し、雲雀の肩でナッツが吼えた。尻尾をぴんと張って、綱吉の胸へと飛び移る。
 突然降ってこられて、大空を背負う少年は目を丸くした。
 久方ぶりに戻って来た温もりに、彼は相好を崩した。ナッツも嬉しそうに笑って、黄金色の鬣を頬に擦りつけた。
 じゃれあうひとりと一匹の光景に目を細め、雲雀はちょっと寂しそうにしているロールの頭を撫でた。
「それが君の誇り?」
「そんな、そんな風に言える程大層なものじゃないんです。ただ俺は、これだけは絶対に譲れないし、譲りたくない」
 雲雀が風紀を乱す者を許さないというように、綱吉は大切な仲間を傷つける者を許さない。たとえその相手が、初代ボンゴレことジョットの守護者のひとりであろうとも。
 固い決意を胸に、はっきりと告げた綱吉の瞳が強く輝く。
 ざああ、と風が鳴く。闇の切れ目から、月光が燦然と輝く。
「そう」
 雲雀が緩慢に頷いた。
 その彩は嫌いでは無いと、笑いながら。

2011/04/11 脱稿