夜のオルフェ

 日が暮れようとしていた。
 水平線に迫る真っ赤な太陽は、昼間見上げるそれよりもずっと大きく、横に広がって感じられた。空は鮮やかな朱色に染まり、白い雲と混じり合って、不可思議な紋様を描き出していた。
 日中、港を喧しく飛び交っていた鴎たちも、一足先に塒に帰ったのだろうか、姿は見えなかった。
 僅かに湿った潮風を受け、タクトは舞い上がった髪の毛を右手で押さえ込んだ。
「もう夏も終わりだねー」
「そうだな」
 文化祭が終わった。演劇部に籍を置いてまだ半年足らずのタクトだけれど、任せられた大役は、どうにか演じきることが出来た。
 楽しかったけれど、同じくらいに力量不足を実感させられた。中学時代から舞台に慣れ親しんでいるワコや、スガタたちと比べると、どうしても自分の演技は見劣りする。
 まだまだ修行が足りない。祭りの後の打ち上げは、直ぐに反省会に切り替わった。
 あそこが良くて、あそこは良くなかった。遠慮のない部員たちのダメ出しに最初は落ち込んだタクトだけれど、それもこれもすべて期待の裏返しだと教えられてからは、俄然やる気を取り戻した。
 とはいっても、大きな舞台をひとつ終えたばかりだ。気が抜けるのは仕方が無い。
 それに、夜間飛行の次なるステージは、まだ何も決まっていなかった。
 冬に向けてどうするのかと部長に聞いてみたものの、サリナは曖昧に笑って答えを濁すばかりだった。
「ねえ、スガタ」
 足を前に踏み出すたびに、目の細かい砂がザクザクと音を立てる。靴底に絡みつくそれらを振り払いながら進む背中に向けて、タクトはのんびりと問いかけた。
 青い髪が風に煽られ、流れるに任せて揺らめいていた。
「なんだ?」
 彼は顔を上げた。だが振り返らない。スガタが見詰める先にあるのは、西の海に沈もうとしている太陽だった。
 突き刺さるような眩しさはもう感じられない。消え行く閃光はただ寂しく、物悲しかった。
 絡まない視線を幾らか切なく感じながら、タクトは右肩に担いだ鞄ごと身体を揺らした。
「この島って、冬って、どんな感じなの?」
「どんな、って?」
 わざとおどけるように、声を高くして言葉を重ねる。それでもまだスガタは振り返らず、歩みも緩めなかった。
 声が一寸だけ遠くなって、タクトは急いで右足を前に繰り出した。波打ち際の少し外側、濡れていないけれど乾いても無い砂に残る足跡は、なにかに迷うように左右に揺れ動いていた。
 下を見て、次に前を見て、彼は前を行く背中に上唇を噛んだ。
「やっぱり、……暖かいの?」
 言葉の間に一呼吸挟み、巧く表現出来ないもやもやしたものを遠くへ吹き飛ばす。
 あと数ヶ月もすれば、暦は冬を迎える。タクトにとって、島で経験する初めての冬だ。
 彼の問いかけに、スガタは夕焼けから目をそらした。意識だけを後方に投げて、視線は前に戻す。押しては引く波に足を取られそうになって、急いで反対側へと逃げる。
 一瞬ふらついた後ろ姿に駆け寄ろうとしたタクトは、その前に自力でバランスを取り戻した彼にホッと息を吐き、左手で胸元を掻き毟った。
 ピンク色のネクタイごとシャツを握り締めて、未だ止まらないスガタの足取りを見詰める。心此処に在らずとでも言おうか、その歩みはどこか遠くの場所を彷徨っているようにも見えた。
 タクトの知らないところへ向かおうとして、狭間を往来している。
 不吉な予感を抱いて、彼はハッと息を吐いた。
「スガタ。スガタってば」
 話しかけているのだから、無視しないで欲しい。声を大にして呼びかけると、彼は少しだけ首を前に倒した。どうやら笑ったらしい。
「そうだな。恐らく、お前が前居た場所よりは、ずっと暖かいだろうな」
「ホント? 冬でも海で泳げたりする?」
「それは、自分で試してみろ」
 冷たく、素っ気無く言い放ち、スガタは首から上だけで後ろを見た。久しぶりに彼の、琥珀にも似た輝きを目にして、タクトの顔がにわかに活気を取り戻した。
 嬉しそうに頬を緩めて、そうする、と元気良く頷いて返す。
 まるで、飼い主に構ってもらえて喜んでいる犬のようだ。
「じゃあ、雪は? 雪、分かるよね」
 冬場の名物といえば、なんと言っても雪だ。
 空から舞い落ちる白い結晶は、とても綺麗。ただそれも、量が過ぎれば厄介な代物だ。
 タクトが住んでいた町には、年に数回しか降らなかった。積もるのは稀で、幼少期を含めても雪達磨を作った記憶はひとつもない。
 あの町よりも南に位置している南十字島で、降雪に遭遇出来るとは、流石のタクトも思ってはいない。それでも念のために聞くと、スガタは呆れ混じりに言って、腰に手を当てた。
「お前は僕を、なんだと思っているんだ」
 雪くらい知っている、と偉そうに踏ん反り返った彼だけれど、無論本物を見た経験は無かった。
 南十字島に、雪は降らない。降るのは雨か、火山灰くらいだ。
「冷たいのか?」
「そりゃ、そうだよ。氷だもん」
 風に攫われてしまいそうな小声で訊ねたスガタに、タクトは鷹揚に頷いた。左手を広げて、六角形を空中に描き出す。
 それが雪の結晶を模していると、スガタはなかなか気付けなかった。腰を捻って振り返った彼の、きょとんとした顔が面白くて、タクトは首を竦めて笑った。
 本当に馴染みが無いのだと、楽に想像がついた。
 確かに南十字島は南国らしく長閑な時間が流れており、綺羅星十字団とのいざこざがなければ、毎日充実した生活を送れただろう。まさしく青春の謳歌、と両手を広げたところで、タクトは前方から飛んでくる冷たい視線に小さくなった。
 苦笑して手を振って、不意に真顔になる。
「楽しいよ、雪。降りすぎるところは大変みたいだけど」
「ニュースでやっているな」
「うん。そうだね」
 日本全国に電波を飛ばしているテレビ局のニュースでなら、偶にそういう情報にもぶつかる。だが南十字島にいる限り、それらはすべて外の世界のことだ。
 ましてや島を出るのが叶わない身の上であれば、尚更に。
 風景を思い出してか、左掌を上にしているタクトから視線を外し、スガタは暮れ始めた空を仰いだ。
 濃い藍に、朱が混じっている。間に走る雲がどっちつかずの色をして、境界線を形成していた。
 タウバーンは太陽、ザメクは闇。四人の巫女は両者を繋ぎ、そして切り裂く一本の鎖。
 スガタの脳裏にワコの笑顔が浮かんだ。明るく元気な少女の後には、いつも俯いて本ばかり読んでいるもうひとりの幼馴染の顔が現れて、消えた。
 眼鏡をかけて、高い位置で黒髪を結い上げた凛とした少女は、ひとつの決意を胸に決断の時を迎えようとしていた。
「……」
 無言で首を振り、スガタは目を閉じた。終わりの見えない海岸線の、その最果てを目指して突き進み続ける。
「スガタ?」
「降ればいいのにな、雪」
「え?」
「そして、この島全部を、真っ白に染めてしまえたらいいのに」
 なにもかも白く。
 純潔の色に。
 独り言は、彼の足元に落ちて砕けた。聞こえなかったタクトが背伸びをしたけれど、通り過ぎた音は二度と戻ってこなかった。
 吹いた風に飛ばされそうになって、彼は目に入る砂を避けて顔を背けた。スガタは構わずに前に突き進む。もう少しで砂浜の終わりに辿り着くというのに、まるでペースを緩めない。
 それどころか逆に、どんどん速まっていた。
 このままでは雑木林に突っ込んで、切り立った崖さえ登っていきかねない。昔遊んだテレビゲームで、キャラクターが壁にぶつかって永遠にじたばたし続ける光景が目に浮かんだ。
 嫌な想像を打ち消して、タクトは砂浜を蹴った。が、ぬかるんだ泥を思わせる足場はなかなかに進み辛く、底が平らなローファーは簡単に滑ってくれた。
 思うように進めずに苛立つ彼を他所に、スガタは慣れた足取りでどんどん前に、前に。
「スガタ。速いよ」
 これでは追いつけない。追いついたと思っても、直ぐに距離が開いてしまう。
 非難の声をあげるが、届いていないのか、無視されているのか、反応は無かった。
 スガタが遠くなる。見えなくなる。
 目尻を濡らす涙が、砂を浴びた影響なのかどうなのかも分からぬまま、タクトは奥歯を噛み締めた。
 ずっと感じていた。
 あの日、『神話前夜』を演じ終えた日からずっと、スガタの心が果てしなく遠い。
「速いよ、スガタ」
 待ってくれるよう声を荒げるのに、ちっとも止まってくれない。
「スガタ」
 声に僅かな怯えが混じる。タウバ-ンに乗り、命のやり取りをしている時ですら感じなかった不安が、目の前に忽然と形を持って現れた。
 海に沈む太陽が、決して夜の闇に合間見えるのが叶わないように。伸ばした手は永久に、どれだけ望もうとも届かないのではないかと。
「スガタ」
 押し潰されそうな恐怖を吐き捨て、タクトは担いでいた鞄を砂浜に投げ捨てた。返す手で邪魔な靴を払い落とし、靴下が汚れるのも構わずに湿った砂を蹴散らす。
 真後ろから迫る気配にはっとした時にはもう、スガタは柔らかな地面に頭から突っ込んでいた。
「こ、……のっ」
「へへ。捕まえた」
 猛スピードでタックルを食らったのだ、踏ん張りきれるわけがない。タクトの体重も丸ごと受け止めて、スガタは砂を噛みながら呻いた。
 首に腕を回したタクトが、わざと明るい声を出してケラケラと笑う。
 元はといえば人の呼びかけを無視し、ずんずん突き進んでいくほうが悪いのだ。これくらいの罰は、受けてもらわないと釣り合いが取れない。
 口を尖らせて言った彼を背負い、スガタは腕立て伏せの要領で上半身を持ち上げた。が、流石に漬物石よりも重いものを負ぶっているだけあって、身体を反転させるのが限界だった。
 息を切らして仰向けになって、鼻や額や、唇にまで張り付いている砂を雑に払い除ける。襟の中に潜り込んだ分が、シャツの内側でざりざり音を立てた。
「スガタ?」
「まったく、お前と言う奴は」
 手で軽く払うだけでは落としきれない。それに、かなり痛かった。
 いくら下が砂とはいえ、元々は鉱石だったのだ。踏み固められて、波に均された白い大地には、くっきりとスガタの型が浮かび上がっていた。
「はは。凄い、雪の上に転がったときみたいだ」
 鼻を赤くしている青年を覗き込み、窪んでいる砂浜に目を輝かせ、タクトが笑う。言われた方は苦々しい顔をして、口の中に入ったものを唾と一緒に吐き出した。
 上半身を起こそうとして、肩を押された。
「タクト」
「言えよ?」
「――え?」
「言えよ。思ってること、考えてること。悩んでることも、全部。全部ちゃんと言って、吐き出して、それで僕に、ワコでもいい。誰でもいい。相談しろよ。言ってるだろ、ひとりで決めようとすんな。なんでもかんでも自分だけで片付けようとするな。聞くから。笑わずに聞くから。真面目に、僕も考えるから。だから、……だから」
 一気に捲くし立てて、最後は息が続かなくなった。深呼吸すると喉に引っかかって、詰まってしまって、今度は巧く言葉が出てこない。
 鼻を愚図らせた彼に目を見張り、スガタはやがて気の抜けた笑みを浮かべた。
 胸倉を掴んでいた手が緩んだ。ゆっくり砂浜に下ろされて、入れ替わりにスガタが手を伸ばした。
 だらりと下を向いて垂れ下がるネクタイを辿り、結び目の隙間に中指を捻じ込む。
「ぐ――ンぅ!」
 刹那、力任せに引っ張った。
 もれなく前倒しになったタクトの視界が、白と黄金で埋まった。
 ぶつかる恐怖に負けて、慌てて目を閉じる。だが予想していた衝撃は来ず、頭突きは回避されたようだ。
 その代わりに微かに潮の香りと、ざらついた感触が唇を掠めた。
 舐められたのだと気付くのにたっぷり五秒近く掛かって、続けて合わせ目を擽られた瞬間、タクトは顔を引き攣らせて悲鳴を上げた。
「ぎゃっ」
 目の前にあったものを思い切り突き飛ばして、顔を背けて口の中に入ったものを吐き出す。
 砂だ。
「いった、た……」
「な、なに。なに? なに!」
 気が動転して青くなって、タクトは手の甲で何度も唇を拭った。摩擦でヒリヒリ痛むまで止めない彼に苦笑して、スガタは再び腕を伸ばした。
 タクトの腕を掴んで支えにして、今度こそ身を起こす。ずい、と顔を寄せられて、彼の膝に跨って座っていた少年は急ぎ後ずさった。
「す、スガ、た?」
「なんだ。初めてじゃないだろう?」
 これまでにだって何度か、戯れの最中でくちづけを交わしたことはあった。
「それは、そう、だけど」
 今更照れる関係でもないと言われて、タクトは口篭もった。もう一度キスしようとする青年を力技で押し退けて、赤くなっている唇をまた引っ掻いて皮膚を抉る。
 唾を飲むと、奥歯にザリ、とした感触を覚えた。
「砂、……入った」
「お前が突き飛ばすからだろう」
「スガタが無視するからだろ!」
 元々のきっかけがなんであったか、罵声を上げて唸り、タクトは砂混じりの唾を何度も砂浜目掛けて吐き出した。
 濡れた口元を袖で拭い、苦々しい顔をする。前を向けばスガタが、肩を竦めて笑っていた。
 彼の額にはまだ砂の粒が残っていた。下敷きになっている彼の身体にも大量に付着しており、折角の美形が台無しだった。
「酷い目に遭った」
 襟やボタンや、ポケットに残る細かい粒子を順に払い落とし、スガタが小さな声で言った。
 確かに、無視された程度で後ろから飛びかかるのは、ちょっとやりすぎたかもしれない。下唇を突き出して不満と後悔を同時に顔に出しているタクトに目を細め、彼はいたずらっ子の額を人差し指で小突いた。
「面白い顔になっているな」
「スガタ」
「言おうか? 今、僕が何を思っていたか」
 今度は額に額をぶつけ合わせて、密やかに呟く。
 瞑目した彼を上目遣いに窺い、タクトは二秒の逡巡の後に頷いた。
 正直者に微笑み、スガタは投げ出されていた彼の手を取った。緩い力で握れば、タクトはすぐさま手首を捻り、掌を重ねて来た。
 指を互い違いに絡め、しっかりと相手を捕まえる。逃げていかないように、勝手に遠くへ行ってしまわないように。
 珍しく積極的な――言い換えれば不安げにしているタクトに微笑み、スガタは夕焼け以外の理由で赤くなっている右の耳にスッと顔を寄せた。
「キスしたい」
「っ!」
 甘く香る吐息と共に囁けば、熱風を浴びせられた少年は即座に後ろに仰け反り、大粒の目を白黒させた。
「す、スガ……っ」
「良いか?」
「した。さっき、した!」
 開いていた距離を詰めて、スガタが前に出る。流し目で続きを強請られて、タクトは慌てて手を振り解いて顔の前に掲げた。
 壁を作られてしまい、スガタは諦めたのか大人しく退いた。
 そもそも、此処は何処だ。屋敷の、人払いを済ませたスガタの私室ではない。屋外の、島民の散歩コースにも入っている砂浜だ。
 いつ、誰が通るかも知れないような場所で、大っぴらにして良いことと、悪いことがある。もっとも、スガタの投げ出された足に跨って座り、顔を寄せ合っているこの状況からして、既に人に見られては困る光景なのだが。
 トマトのように真っ赤になっている彼を笑い、スガタが肩を震わせる。顰め面を作ったタクトは渾身の思いを込めて目の前の青年を睨み付け、頬を膨らませた。
「タクト」
「大体それって、……今、思ってることじゃん」
「そうだが?」
「だから、僕が言いたいのは」
 スガタもそのつもりで言ったのだ。だがタクトの不満は解消されない。
 基準にする「今」という時間が違うのだと声を高くして、彼は分かっているのだろう、とすまし顔を止めない青年の胸を衝いた。上半身を揺さぶられて、スガタは呵々と笑った。
 間もなく秋が来る。その次の冬を、果たして自分たちはこの島で迎えられるだろうか。
 胸を過ぎった疑問に対する回答は保留にして、スガタは真摯な眼差しを投げてくる馬鹿正直な少年に目を細めた。
「雪が降っているところを想像していた」
「ゆき?」
「そう」
 手を伸ばす。厳かに持ち上げられた二本の腕が、容易く折れてしまいそうな首に触れた。
 一瞬だけピクリとしたタクトは、自分に触れる存在がシンドウ・スガタで間違いないのを確かめて、緊張に恐がった頬を緩めた。少しだけ照れ臭そうにして、甘える猫のように首を倒して寄りかかる。
 頬に触れた赤い髪がくすぐったくて、スガタはしがみついて来た体躯を思い切り抱き締め返した。
 再び、下敷きにされて砂浜に倒れこむ。見上げた空は藍と紅が混ざり合い、永遠を思わせる鮮やかな色彩を奏でていた。
「雪が見てみたい、お前の生まれた町で。お前の生まれた家も見てみたい。お前が育った場所を、歩いてみたいと思っていた」
 遠く海を隔て、永久に足を踏み込むのが叶わない場所。島を離れられぬスガタにとって、それは見果てぬ夢に等しい。
 それでも、望まずにいられない。
「うん。いこう。連れてってやる。僕の卒業した小学校も、中学校も。ガキん時遊んだ神社とか、登って落ちた木とか」
「落ちたのか?」
「えへへ」
 興奮気味に告げられた台詞に目を丸くして、スガタは悪戯っぽく笑う少年の目を覗き込んだ。
 昔から元気が有り余った子供だったのだ。無茶な事を平気でして、周囲はさぞかしやきもきした事だろう。
 今と何も違わない。
 タクトはきっと、この先何があっても、思いを捻じ曲げたりしない。
 やると決めたことは最後までやり抜く。信念を貫く。歪められたりしない。流されることも、惑わされることも、怖気づいて逃げ出すことも。
「行きたい場所が沢山ありすぎて困る」
「心配しなくても、時間ならたっぷりあるよ」
「……そうだな」
 綺羅星十字団が所有するサイバディをすべて破壊し、その首魁として君臨する男の心を挫けば、きっとすべてが終わる。
 タクトの考えは至極単純だ。シンプルで、だからこそとても難しい。
 彼を、これ以上闘わせたくない。
「僕は欲張りだからな」
「知ってる」
 覆い被さってくるタクトの背中を、髪を撫で、スガタは目を閉じた。独白に失礼な相槌を打って、タクトが笑った。
 いつか、そう遠く無い未来に、この島には雪にも似た火山灰が大量に降るだろう。
 その時も彼は、こうして笑っていてくれるだろうか。
 笑いかけてくれるだろうか。
 見えない答えを探して、スガタは一番星に手を伸ばした。

2011/03/29 脱稿