玄夜

 幼い頃、お星様が欲しくて仕方が無かった。
 昼は見えないのに、日が暮れて夜になった途端に、空一面に現れる星たち。外部から切り離された小島故に空はとても綺麗で、天の川が天空を横断して流れる様を、飽きもせずに眺めていた。
 どれかひとつで構わない、欲しくて手を伸ばした。空振りした指先が悲しくて、精一杯背伸びをしたけれども、それでも届かなくて。
 大きくなればいつか、と願って止まなかった。拳をぎゅっと握り締めて、胸に押し当てて、寂しさを紛らせて涙を堪えた。
 歳月が過ぎて、背が伸びて、それでもまだ星には手が届かない。いつだって指は空を掻くばかりだ。
 それに加えて、物心が付かなかった頃からの淡い願いは、所詮は叶うわけが無いものだったのだと、気付いてしまった。
 空を目指して伸ばした手は、いつしか地面にばかり向けられた。きっと叶うと信じた心は粉々に砕けて、虚しく大地に横たわった。
 望んでも、得られない。届かない。空虚な思いは、永遠に満たされない。この小さな島で、永遠の牢獄とも思えるこの場所で、誰にも知られることなく一生を終えるものだと、ずっと思っていた。
 地面が揺れた。
 下ばかり向いていた手が、そこに埋もれていたものを掴んだ。
「炎真君?」
「え?」
 名前を呼ばれて、炎真は顔を上げた。知らないうちに俯いて、歩みも止まっていたらしい。右斜め前方に立っていた少年が不思議そうに目を丸めて、ちょっとだけ身を屈めていた。
 膝を折った彼に下から覗き込まれて、炎真は仰け反るようにして後退した。靴をアスファルトに押し当てたまま、摺り足で十五センチばかり下がる。
 途端に琥珀色の瞳が悲しげに歪められて、違うのだと大急ぎで首を横に振る。
「ごめん」
 吃驚してしまっただけで、嫌だったわけではない。短い言葉に目一杯の思いを詰め込んで叫ぶと、琥珀の双眸は瞬時に大きく見開かれ、照れ臭そうにはにかんだ。
 春風が吹いた錯覚に陥り、炎真までもが気恥ずかしさを覚えた。
「ツナ君」
「ん。いこ」
 未だ呼び慣れない名前を辿々しく口ずさめば、彼は嬉しそうに顔を綻ばせ、手を伸ばして来た。
 あ、と思う暇もなく右手を取られて、炎真はつんのめった。
「こっちだよ」
 言われて、勝手に下向いた視線を前方に向き変える。
 早速歩き始めた少年の名前は、沢田綱吉。見た目はごく普通の、何処にでもいそうな、至って平凡な、中学生。
 だけれど彼は、この世でたったひとりだけの存在。世界各地に根付くマフィアの頂点に、もうじき立とうとしている人物。
 何故こんな、ドジでおっちょこちょいで、底抜けのお人よしの子が、と思う。話に聞いていたマフィアはどれも恐ろしく、血も涙もなく、残忍で、とても人とは思えないことを平気でやってのけていた。
 見た感じ、彼はそんな人種には感じられない。彼が本当にマフィアの後継者なのかどうかさえ、疑わしかった。
 だけれど、招待状には確かにそうあった。日本に住む初代ボンゴレことジョットの直系に当たる沢田綱吉なる人物が、ボンゴレ十代目を襲名する、と。
 それなのに彼は、事実確認を求めた炎真に対し、この事実を否定しようと躍起になった。マフィアなど御免だと言いきった。
 嘘か、真か。
 知り合ってまだ数日しか経っていない今、判断を下すのは難しい。
「何処に」
 引きずられるようにして進んでいた炎真は、思い立って自分から綱吉の手を引いた。後ろから進行を遮られて、彼は出し掛けた足を宙に泳がせ、転ぶ前に地面に突き刺した。
 学校が終わって、三十分ほどが経っていた。一緒に帰ろうと誘う仲間に断りを入れて、彼は炎真だけを連れて、町に繰り出した。
 一方的に誘われた炎真は、綱吉の申し出に断る暇さえ与えてもらえなかった。
 繋いだ手が熱いのは、きっと気のせいだ。
 足を止めた綱吉が、物言いたげな目をしている炎真に小首を傾げた。ブレザーの並盛中学校と違い、至門中学校は学生服だ。襟のカラーまできっちり留めている炎真を見て、綱吉は息が苦しくないのか気になった。
「んと、ね」
 そういえば行き先の説明がまだだったと思い出して、うっかりしすぎている自分に苦笑する。急に笑い出した彼を見て、炎真は怪訝に眉を寄せた。
 視線がゆっくりと外れていく。斜め下を向いてしった彼の内心などまるで知らない綱吉は、一旦言葉を切って瞳を浮かせ、白い雲が棚引く空を見上げた。
 青と白が、ほぼ半々。足元に伸びる影は薄く、心許ない。
「着いたら教えてあげる」
 結局綱吉はそう言って誤魔化した。ただ告げた際の表情が、大輪の向日葵を思わせる爽やかさだったため、炎真は文句を言うタイミングを完全に逃してしまった。
 伏しがちだった瞳をほんの少し見開いて、腕を引っ張る綱吉の手を見る。さほど大きくなくて、けれど小さくも無い。温かな感触に、息が詰まった。
「けど」
「もう少しだから」
 今日の君の護衛担当は、自分ではない。喉元まで来ていた言葉は、ついに出てこなかった。
 ね、と顔の前で右手を縦に構えた綱吉に頼み込まれて、炎真は何故か、心が軽くなった気がした。そうするつもりはなかったのに表情筋が緩んで、口角が自然と持ち上がる。
 笑ったという意識はなかった。だけれど後から考えれば、確かにこの時、炎真は笑っていた。
 ボンゴレ傘下のマフィア、ギーグファミリーが襲撃を受けてから、そう時間は経っていない。
 ボンゴレは未だ犯人の正体を突き止められずにいる。ロシアを恐怖で支配するあの一派を容赦なく叩き潰せる存在など、この世にはそう多くないに関わらず、だ。
 犯人の目的は、ほぼ間違いなく継承式の妨害。そして、十代目沢田綱吉の殺害。
 つまり彼は、命を狙われている。
 だのに綱吉本人には、恐ろしいほどにその自覚が無い。
 人との接触を拒み、閉じこもるかと思ったのに、そうならなかった。逆に護衛を振り切って単独行動をとるなど、愚の骨頂としか言い表しようがない。
 絶対に負けない自信があるのか。それとも。
「行こう」
 一瞬で笑顔を消した炎真を催促して、綱吉は前に向き直った。夕暮れを浴びて、彼の薄茶色の髪の毛が輝いている。重力を無視して風に靡く姿は、大地を埋める稲穂を思い出させた。
 悠然と広がる田園風景に紛れ込んでいても、彼ならきっと、違和感なく風景に溶け込んでしまえる。翻って自分はどうかと考えたところで、綱吉が立ち止まった。
 急だったので気付くのが遅れて、炎真は彼の細い肩にぶつかってしまった。赤信号の横断歩道を前にして、危うく車道に飛び出すところだった綱吉は、零れ落ちそうなくらいに目を丸くし、続けて苦笑した。
「ごめん」
「うぅん」
 先に言えばよかったと口にして、綱吉は目を細めた。
 機嫌良さそうに笑う彼は、生まれたての仔犬のように、コロコロとよく表情が変わった。
 炎真はいつだったか、誰かに、頬の筋肉が硬化してしまっているのではないか、と揶揄されたことがあった。それくらいに殴られても、蹴られても、彼の顔色は変わらなかった。
 それが面白くないから、いじめっ子はまた炎真を殴るのだろう。そんな事を冷静に分析しているうちに信号は青に変わって、周囲の人波が動き出したことで気付いた綱吉が、肩を引いて炎真を導いた。
 白と黒の、縞模様。ゼブラは人や車に踏まれすぎて少し灰色がかり、薄汚れていた。
 炎真はわざと、その汚された白い部分だけを踏むように足を操り、綱吉の背中越しに、前方に広がる景色を見た。
 住宅地が続いていた。繁華街とは反対方向に進んでいるのだと、この辺の地理に疎い炎真もそれだけは分かった。辺りからは徐々に人の気配が薄れ、空き地や、農地が目立つようになっていった。
 秋の風が吹いて、ふたりを順番に擽った。
「ツナ君」
 これ以上先は人通りが絶える。ただでさえ綱吉は、狙われているのだ。此処でなにか起きられては後々困ると判断し、炎真は歩幅を狭めた。
 警戒する声を発した彼を振り返り、綱吉はきょとんとしてから、すぐに破顔した。
「大丈夫」
「……どうして?」
「ついててくれてる」
 足元に落ちる影の行方を追って視線を泳がせ、綱吉が囁く。もう少しで聞き逃すところだった炎真は、聞こえた台詞の意味を取りあぐね、眉を顰めた。
 頭上を駆けていった黄色い鳥の存在など知る由もなく、彼は自信たっぷりの綱吉に急かされ、立ち入り禁止の札が出ている空き地の前で身体を右に回した。
「近道」
 有刺鉄線が張られているが、形だけだ。足を高く掲げれば簡単に跨げてしまえそうな場所を探し出し、綱吉は鞄を肩に担ぎ直した。
 手を解かれて、指先から熱が逃げて行く。そこにあった目に見えない何かまで一緒に空気に溶けてしまって、炎真は奇妙な感慨に浸り、空っぽの己の掌を見詰めた。
 握って、広げて、また握る。胸に押し当てても、自分の鼓動しか響かない。
「炎真君?」
「今行く」
 覚束ない足取りでも、なんとか転ばずに鉄線を跨ぎ終えた綱吉が、向こう岸で手を振っていた。ハッと我に返った炎真は、先に進まずに待ってくれている綱吉の姿に、当てはめる言葉のない感情を噛み締めた。
 綱吉に倣って鞄を肩に担ぎ上げ、そろり、右足を持ち上げる。ズボンが尖っている部分に触れぬよう、細心の注意を払いつつ、爪先から着地する。
「あっ」
 他に比べて一段と低くなっている場所を選んだ。それなのに、錆びた棘が続けて持ち上げた左脚の、膝下を掠めた。
 間に布があるので、鋭角は素肌まで届かなかった。ズボンもそれなりに頑丈なので、破れはしない。ただ茶色っぽい、それでいて白っぽくもある筋が一本、斜めに走った。
「大丈夫?」
 サッと顔を青褪めた綱吉が駆け寄ってきて、片足立ちで飛び跳ねた炎真を支えた。躊躇なく伸ばされたその腕を咄嗟に払い除けようとして、彼は本能に抗って筋を強張らせた。
 大袈裟なくらいにビクッとしてしまったが、綱吉は気付いていないようだった。
「へい、き」
 合間に呼吸を挟み、炎真は言った。覚束無い口調になってしまったが、綱吉は安堵を浮かべ、にこりと微笑んだ。
 風に揺れる秋桜のようだ。淡いピンク色の花を思い浮かべ、炎真は唇を噛んだ。
「破れては、ないみたいだね。良かった」
 炎真がひとりで立てるとみるや、彼は離れた。膝を折ってしゃがみ、ズボンに走った筋を覗き込んで確かめる。流石に遠慮したのか、触れては来なかった。
 錆色が残ってしまったズボンを揺らして、炎真は足を引いた。爪先を立てて足首をぐるぐる回してやれば、問題なさそうだと判断した綱吉が身を起こし、ずり落ちてきていた鞄の位置を直した。
 温い風が抜いて、空き地に伸びる雑草が一斉に東を向いた。綱吉もつられたのかそちらを見て、最後に炎真がその方向に顔をやった。
 どうやら市街地よりも、標高が僅かながら高いらしい。障壁のない空き地の向こうには、何の変哲も無い平凡な町並みが広がっていた。
「ここ?」
 だが平凡であるが故に、どこか懐かしい。帰ってきたのだと、不意に思わせるなにかを感じ取って、炎真は綱吉を振り返った。彼は笑って首を振って、北を指差した。
 そのまま歩き出す。真っ直ぐ前だけを向いて歩いていく彼に、置いて行かれる幻が見えた。
「もうちょっとだから」
 だのにその幻影は易々と打ち砕かれて、綱吉は迷いもせず、そして断りも入れず、むき出しだった炎真の手に触れた。
 握って、引っ張られる。緩くなく、かといって強くもない絶妙な力加減で。
 前のめりになった体勢を出した足で支え、炎真は先を逝く綱吉の後れ毛をじっと見た。彼が動く度に、右に、左にひょこひょこ揺れている。まるで生まれたてのひよこのようだ。
 綱吉をひと言で現すとしたら、なにが適当かを考える。名詞であれば、小動物。形容詞なら。
「かわいい」
「え?」
 無意識に呟いていて、前後の脈絡が全くないひと言に、綱吉は反射的に振り返った。
 炎真はそれで、自分が声に出していたのだと気付き、サッと頬に朱を走らせた。
「……なにかいた?」
「ううん」
 曲りなりにも男である綱吉は、自分が可愛いと思われていたなど、これぽっちも考えない。草原に猫でもいたかと遠くに目を凝らした彼に首を振り、炎真は空いていた左手で額を覆い隠した。
 ひとり照れている彼に首を傾げつつも、気を取り直した綱吉は進行方向に向き直った。もう直ぐだと、さっきも聞いたような台詞を繰り返して、進路をやや東よりに変更する。
 ついていくだけの炎真は、視界の下端に潜り込む鼻の絆創膏を気にしながら、綱吉の白い項を脳裏に焼き付けた。
 ザァッ、と風が走った。前髪を掬われて、彼らは揃って首を竦めた。
「着いたよ」
 目まで閉じていた炎真が、綱吉の明るい声に恐々瞼を持ち上げた。風は絶えず彼の頬を撫で、擽り、甘く囁いていた。
「え」
 それまで歩いていた場所とはまるで違う景色が現れて、彼は目を見開き呆然と立ち尽くした。
 隣に佇む綱吉が、自慢げな顔をして鼻を高くしていた。胸を張って、眼下に広がる光景に目を細める。
「危ないから、前に出過ぎないでね」
「あ、……うん」
 言われて、炎真は足元があと一メートル足らずしかないことに気がついた。吸い込まれるように前に出ようとしていた身体を引きとめられて、炎真はまだぼんやりしたまま傍らの少年に見入った。
 悪戯が成功した子供の顔をして、綱吉は肩をちょっと竦めた。
 崖の上、だった。落差は十メートルほどだろうか、下を覗きこむと遙か先に道路が見えた。
 車の数は少ない。山を削って作って、その上は開発途中で放置されたらしい。綱吉の、微妙に曖昧で頼りない説明に頷いて、炎真は下草が唐突に切れている境界線をじっと見詰めた。
 そこを抜ければ天国にいけるだろうか。ふと湧き起こった妄想が伝わったのか、繋いだ手がきゅう、と痛んだ。
「ツナ君」
 思いはしても、実行に移すつもりはない。心配性の彼に苦笑して、炎真は右手を揺らした。
 綱吉はきょとんとしていた。あまりにも気の抜けた表情が可笑しくて、炎真はまた、笑ってしまった。
「手」
「てえ?」
「手」
 声に出すが、伝わらない。語尾を上げて聞き返されて、炎真は言いながら、繋いだままの手を振った。
 肩ごと揺らされて、それでやっと、彼は長時間互いに手を取り合ったままだという事実を思い出したようだ。
「あっ、ごめん。痛かった?」
 パッと力を緩め、放す。遠ざかる体温を捕まえたくて、発作的に腕を伸ばした炎真だったけれど、彼の指は何も掴む事無く地に落ちた。
 空虚な掌を握り潰して腿に押し当て、胸の中で膨らんだ言いあらわしようのない感情を必死に堰き止める。喉を衝いて飛び出そうとするそれを強引に地底深くに押し込んで、誰にも見えない場所に隠してしまう。
 幼い頃は星が欲しかった。あんなにも沢山、空に浮かんでいるのだから、ひとつくらい分けてくれたって良いだろうにと、ずっと思っていた。
 神様は不公平だ。
「ううん。でもちょっと、びっくりした」
 綱吉の体温がまだ残る手を撫でて、肌を強く擦る。内側に押し込んで、閉じ込めてしまおうとしても、結局自分の体温に誤魔化されてしまって、跡形も残らなかった。
 並盛町の景色が一望できる場所は、町の中心部から随分と外れていた。歩いているうちにかなり時間が過ぎてしまって、きっと宿に戻る頃には周囲は真っ暗だ。
 日が暮れた後は視界が悪くなる。身の危険は一層増す。だのに綱吉は、そんな事も気にせずに炎真を此処に連れて来た。
「凄いでしょ」
 誇らしげに言った彼は、肘を伸ばして腕を広げた。風を抱き締めて、その場でくるっと回る。
 何が可笑しいのかクスクス笑みを零している。箸が転がっても笑うのではないのかと考えて、有り得そうだと炎真は心の中で頷いた。
 そうして、自分がそんなどうでもいい、下らないことをさっきからずっと考えている事実に気付いて、愕然とした。
「ツナ君」
 呼べば、彼はぴたりと動き止んだ。背中に手を回して結び、戸惑っている炎真を窺って口を尖らせる。
「ごめんね。なんていうか、俺んち、ちびが多いからさ」
 はぐれないようにするのに、手を繋ぐ習慣が出来てしまっている。訊いてもいない事を言い訳のように声に出して、彼は紅色の頬を緩めた。
 照れ臭そうにしている彼から自分の掌に視線を移し変えて、炎真はそれをぎゅっと握った。
「僕、小さくないよ」
 綱吉と背丈もそう変わらない。平均以下なのは認めざるを得ないが、手を繋いでいないと迷子になる程、幼くはない。
 小声で呟いた炎真に目をぱちくりさせて、綱吉は二秒置いて噴き出した。
「ツナ君」
「そうだよね、ごめん。でも炎真君って、なんだか放って置けなくてさ」
 言い訳を重ね、綱吉は前に回した腕を伸ばした。ぐーっと背筋を伸ばし、足元まで百八十度開けた景色に見入る。
 彼は今此処で、背中を押される恐怖を感じていない。考えてもない。考える必要が無いと、そう考えている。
 信用されているのだと、炎真は広げた手越しに綱吉を見た。
 指と指の間に、琥珀色の瞳が紛れ込む。ぎょっとして手を下ろすと、とても近い場所に彼の顔があった。
 いたずらっ子の顔をして白い歯を見せて笑って、呆気に取られて何も言えないでいる炎真の、今度は両手を捕まえる。
 握り締められて、全身に熱が迸った。
「ツナ君」
「巧く言えないんだけど。炎真君って、放っておいたら、……うん。どっか行っちゃいそうで」
「え?」
「折角友達になれたんだもん。ずっと一緒にいたいじゃない?」
 ほんの少しの不安を覗かせた綱吉に、炎真は目を瞬かせた。裏返った声を出してしまって、しまった、と思う暇もなく言葉を重ねられて、彼は耳が拾った音を信じられなくて言葉を失った。
 ぽかんと間抜けに開いた口を、時間をかけてゆっくり閉ざす。タイミングをあわせたかのように綱吉の手も離れて行って、爪の隙間に残った他者の体温が心持ち不快だった。
 疑い事を知らない綱吉の心は、真っ白い新雪のようだった。
「ともだち……」
「炎真君にもっと並盛のこと知って欲しくてさ。ここ、前に教えて貰って。俺のお気に入りなんだ」
 声高に叫び、綱吉は楽しげに言い放った。声を弾ませる彼に対し、友人と慕われることへの喜びと、相反する別の感情とが入り混じって、頭の中は今や滅茶苦茶だった。
 語る言葉を持たない炎真は、ひとりはしゃいでいる彼をぼんやりと見詰め、ギッ、と唇に牙を立てた。
 無防備な綱吉へ、手を伸ばす。
「あ、そうそ――ぶはっ」
 そこへ不意に背後から何かが飛んできて、一直線に綱吉の顔面に突っ込んでいった。
 激突されてたたらを踏んだ彼の体が斜めに傾いで、柵のない崖の方にふらついた。そのまま行けば道路に真っ逆さまで、呆気に取られた炎真は、中途半端なところに留まっていた腕を思い切り伸ばした。
 空を掻く手を掴み、握って。
 引っ張る。
「うっ」
 肩が抜けそうになった綱吉が呻いて、五秒後、ふたりの身体は折り重なるように地面に倒れた。
 下敷きにされた炎真が先に我に返って、圧し掛かっている綱吉を退かすべくもがく。けれど重なり合った胸からトクン、と音が聞こえて、途端に動けなくなった。
 自分のものとは違う、柔らかな鼓動。痙攣を起こした指が掴むものを探して宙を彷徨い、ぽふっ、と丸いものにぶつかった。
「ジカンダヨ、ジカンダヨ」
 ふかふかしていて、なんだか可笑しい。しかも綱吉と異なる声まで聞こえて、炎真は頭の上にクエスチョンマークを生やした。
 呻いた綱吉が蠢き、首を振った。
「ごめっ」
 そして現在の状況を目の当たりにして、真っ赤になって飛びずさった。
 あまり行き過ぎると危ない。掴んだ手を放さずに引っ張り、炎真は身を起こした。
 綱吉の背中から落ちた丸いものが、地面の上に転がって跳ねた。黄色い。テニスボールかと思ったが、あれは自動で動かない。
「ヒバード! うわ、……怒ってるな、これは」
 ひっきりなしに同じ言葉を繰り返すそれは、レコードのようでもあった。綱吉はパタパタと羽根を動かしている、どうやら鳥らしき生き物を両手に掬い上げると、座ったまま背筋を伸ばし、左右を見回した。
 何の話をしているのか、炎真にはさっぱり分からない。綱吉と、此処に居ない誰かとの秘め事を見せ付けられた気がして、気分が悪い。
 胡坐を作ってぶすっとしていたら、小鳥の頭を撫でた綱吉が先に立ち上がった。
「遅くなっちゃうし。帰ろっか」
 言いながら臆面もなく手を伸ばして、炎真を誘う。無邪気な微笑みに頷き、炎真は彼の手を取った。
 お星様が欲しいと、神様に祈った。けれど願いは果たされなかった。
 神様は不公平だ。
「ツナ君」
「なに?」
「……なんでもない」
 呼べば彼は直ぐに反応して、振り返った。長く伸びる影を追いかけて、ふたりは道を急ぐ。
 東の空に、一番星が瞬く。
 並盛は、あまり星が見えない。それを少し残念に思いながら、炎真は綱吉のふわふわの笑顔を噛み締めた。
 星は空に、あんなにも沢山、輝いている。
 だからひとつくらいなくなったって、きっと、誰も。
 気付かない。

2010/08/30 脱稿