櫟実(中編)

 刺々しい断面から、力任せに叩き折られたのだと想像できた。
 こんな乱暴なこと、誰がやったのか。植物だって生きているのだから、もっと丁寧に扱ってやらないといけない。拗ねられて、二度と実をつけてくれなくなる可能性だってあるのだから。
 口を尖らせて不満をありありと表明した綱吉は、足元に目をやって、そう遠く無い場所に放置されていた小枝を見つけた。
 微かに残る波長から、あの木から折られたものだと思って良さそうだ。
「誰が、こんなこと」
 ぶつくさ文句を呟いて膝を屈め、拾って両手で持ち上げる。そうして彼は、表情をより険しくした。
「うそ」
 触れた瞬間に伝わって来た微かな霊気が、雲雀の物だったからだ。
 無自覚に独白して慌てて後ろを振り返るが、先ほど確認した通り、そこにはもう誰も居ない。ものけの空の畑に歯軋りして、彼は無碍に扱われてしまった小枝を握り締めた。
 一度幹から切り離されてしまった枝を元に戻すなど、綱吉には無理な芸当だ。しかしこのまま放っていくことも出来ず、彼は数歩戻って先ほどの木の根元にしゃがみ込み、道の真ん中に落ちていた小枝を横に添えた。
 いつか土に還り、元の木の養分となってひとつになればいい。そう願いながら立ち上がり、彼は膝についた砂埃を払い落とした。
「此処に来たのは、間違いないんだ」
 慣れ親しんだ霊気だ、間違えるわけがない。
 確信を持って呟き、綱吉は乾燥した唇を舐めた。
 しかし何故、雲雀はわざわざこんな場所に伸びている枝を折り、そして放置したのだろう。彼が意味もなくそんな行動を取るとはあまり思えなくて、彼は灰色に濁った空を仰ぎ、肩を竦めた。
 額に手をやって考えるのを止め、本人を探すのに意識を集中させる。畑の奥に行っても何も無いので、彼は仕方なく道場方面に足を向けた。
 幅が狭い小道を抜けて、広い空間に出たところで安堵の息を吐く。道場の入り口は硬く閉ざされており、試しに中を覗いてみたが、光が入らない空間は真っ暗で、何も見えなかった。
 歴々の門下生が流した汗が床板や壁に染み付いているようで、微かに饐えた臭いがする。人気が無い以上もうそこに用はなく、彼は乱暴に戸を閉めて軒下から出た。
 左手に見え始めた巨大な門もまた閉ざされ、重い閂が真ん中に鎮座していた。
 脇に通用口があるけれど、そちらもしっかりと閉まっていた。その手前に藁屑が散らばっていたので、山本が運んでいたあの束は、最初此処に積み上げられていたのだろう。
 気まぐれに吹いた弱い風に攫われて、軽い屑が空にふわりと舞い上がる。行方を目で追い、途中で諦めた綱吉は、髪の毛に紛れた砂粒を払い落として首を振り、小さく溜息をついた。
「十代目?」
 そんな最中に声が掛けられ、特有の呼び方に綱吉は苦笑いを浮かべた。
 綱吉の事をそう呼ぶのは、この世でひとりしかいない。もし蛤蜊家を継げば、その限りではなくなるのかもしれないけれど。
「獄寺君、ヒバリさん知らない?」
 脳裏を過ぎった未来の自分を打ち消して、綱吉は大きめの声で問うた。屋敷の玄関先に立ち、肩に輪にした縄を担いでいた彼は、雲雀の名前を耳にした瞬間だけ顔を顰め、眉間の皺を深くした。
 彼らの相性の悪さは筋金入りだ。獄寺は、綱吉が慕う人間全てに対して牙を剥く傾向にあり、特に雲雀相手には顕著だった。
 好いてくれるのは嬉しいが、時に彼の好意を重く感じることもある。人の感情というものは一長一短だと心の中で嘆息して、綱吉は獄寺の方にゆっくり歩いていった。
 近くに寄れば、彼はだらしなく鼻の下を伸ばし、揉み手で道を譲った。が、綱吉は雲雀が見付からない限り、家に入るつもりはない。砂埃が舞い散る軒先で足を止め、先ほどの質問に対する答えを求めて獄寺に琥珀の目を向ける。
 見詰められた彼は挙動不審に身をくねらせると、視線を宙に浮かせて口篭もった。
「知らないなら、いいよ」
 焦らされて腹を立て、綱吉は頬を丸く膨らませた。語気を荒げて吐き捨てるように言い、砂に覆われた足元を蹴って体の向きを変える。彼は開け放たれたままの玄関ではなく、井戸を挟んで向かい側にある離れに向かって歩き出した。
 足早に遠ざかる背中に慌て、獄寺はずり落ちかけた荒縄を両手で握り締めた。
「い、いえ。雲雀の奴だったら、さっき」
「さっき?」
 知っているのなら先に言えと憤慨して振り返り、冷や汗を流している獄寺を思い切り睨みつける。その迫力に負けて誤魔化しに愛想笑いを浮かべた彼は、前を向いたまま二歩ばかり後退して、恐る恐る人差し指を立てた。
 向けられた方角に顔を向け、綱吉は露骨に顔を顰めた。
「裏庭?」
「はい」
 既に探した場所を示されて、綱吉は片方の眉を持ち上げた。
 しかし獄寺はきっぱりと頷いて返してくれて、山本同様、嘘を言っている様子は感じられなかった。
「むぅ」
 さっきからすれ違ってばかりだ。それほど広い範囲でないのに、なかなか本人に行き当たらない。
 膨れ面をした綱吉に肩の力を抜き、獄寺は緩慢に笑った。こんなにも綱吉に想われる雲雀を羨ましく、そして妬ましく思いながら、ごつごつしている縄の表面に指を這わせる。
「通ったのはついさっきなんで、まだ居ると思いますよ」
 雲雀は憎らしいが、綱吉は愛しい。恋しい人が不満げにしているのは見るに耐えず、獄寺は今一度、北を指差した。
 大根を干す作業がやっとひと段落して、残った道具の片づけをしているところを、雲雀が通り掛かったのだという。考え事に没頭しているようで、なにやらぶつぶつ言いながら去って行った。
「考え事?」
「適当なのが無い、だとか、なんだとか」
 しかも雲雀の手には、珍しく刃物が握られていた。
 柄のついた小刀で、木の皮を削る、というような細かい作業に使うものだ。薪を割るのであればもっと大きな斧を使用するので、獄寺も不思議に思ってよく覚えていた。
「ふぅん……」
 相槌をひとつ打ち、綱吉は半眼して光景を想像した。
 手先が器用な雲雀だから、きっと何かを作ろうとしているのだろう。材料を探してあちこち歩き回っていたのだとしたら、綱吉がなかなか彼にぶつからない理由も頷ける。
「ありがとう、獄寺君」
「いえいえ。十代目のお役に立てるのであれば、これしきの事」
 誇らしげに胸を叩いた獄寺に肩を竦めて苦笑し、綱吉はやっと掴んだ手かがりに浮かれ調子になって駆け出した。獄寺の言葉を信じるなら、雲雀は今も裏庭にいる。
 やっと彼に会える。空腹も絶頂に近付きつつある綱吉は、急く思いを押し留めながら角を曲がり、屋敷の北に横長に広がる庭に飛び出した。
「ヒバリさん!」
 感極まった声で叫び、返事を期待して耳を欹てる。が、待ち望んだ返答は何処からも響かなかった。
 しんと静まり返った空間は、薪で埋め尽くされてかなり薄暗かった。
「あ、れ?」
 きょとんとして目を見開き、注意深く辺りを観察するが、矢張り人の気配は感じ取れない。
 動くものの無い空間にぽつんとひとり、綱吉だけが立っている。小鳥の囀りさえ聞こえず、冷たい風が渦を巻いて駆け抜けて行った。
 舞い上がった埃を叩き落し、綱吉はじわじわとこみ上げてくる怒りに地団太を踏み、両の拳を高く振り上げた。
 本当は手近にあった薪を殴りたかったのだが、下手に触って雪崩を起こされたら困る。木に埋もれる自分の姿を脳裏に思い浮かべて慌てて肩を引いた彼は、両手を空振りさせて後ろ向きにたたらを踏んだ。
 草履が地面に引っかかり、鼻緒から指が外れてすっぽ抜ける。片足立ちを強いられて、素足の左足を高く掲げた彼は、右に左に両手をばたつかせたが堪えきれず、前後によろめいた末に尻餅をついた。
「いてっ」
 目の前に星を散らして甲高い悲鳴を発し、綱吉は臀部を直撃した衝撃に身悶えて蹲った。
「いって、え……」
 雲雀を探しているだけなのに、散々だ。目尻に涙を浮かべて鼻を鳴らした彼は、奥歯を噛み締めて顔を顰め、悔し紛れに自分の膝を思い切り殴った。
 結果は痛みが倍増しただけで、己の愚劣さに消えてしまいたくなった。
 背中を丸めて小さくなり、ひたすら激痛を堪えている間も、太陽は西に傾き続ける。地平線に半ば以上が沈んで陽射しは弱まり、空気が冷え込んでいく。そうでなくとも裏庭は、昼間でも日が差し込まない。
「さむ」
 口を衝いて出た言葉で改めて実感し、身震いをした綱吉は両手で己を抱き締めた。
 背筋を伸ばして仰け反り、灰の中に紫と藍が交じり合った不可思議な色合いの空を見上げる。もう少しすれば藍が強まり、薄墨を塗りつけたような闇がやって来るに違いない。
 今夜は寒くなりそうだ。次第に強まりつつある風に今一度身震いして、彼はのそのそと立ち上がった。
 砂埃を払い落として身なりを整え、半纏の衿を上下に揺らして袖を撫でさする。脱げた草履を探して後ろを向いた彼は、其処に佇む不気味な影に気付いて大仰に顔を強張らせた。
 ビクッとして胸を高鳴らせ、暗がりに潜む存在に目を丸くする。見慣れた輪郭だと思い出すのに二秒ばかりかかってしまい、リボーンは動揺を顔に出した彼を呵々と笑った。
 横に広い頭部に、赤子と同格の体格。被っている黄色い頭巾は、日暮れ時でもよく目立った。
 緊張に竦んだ心臓を宥めてほっと息を吐いた綱吉は、いつから居たのか分からない赤子に苦々しい顔を向け、首の後ろを掻いた。
 滲み出ていた汗を爪の先に吸わせ、反対の手は彼の方に向ける。
「なに、リボーン」
「いいや。面白いことしてんな、と思って見てただけだぞ」
 格別用事があったわけではないと正直に告げられて、綱吉の表情は余計に渋いものになった。こちらは面白くもなんともないのに、と腹立たしさは否めず、憤慨して煙を吐き、彼はその場で地団太を踏んだ。
 リボーンの事だから、恐らく最初から全部見ていたに違いない。独り相撲を演じる綱吉が、滑稽に転げる様も、しっかりと。
 力いっぱい睨みつけるが全く相手にしてもらえず、赤子は余裕綽々と喉を鳴らした。
 心から愉しそうにしている彼に臍を噛み、綱吉は盛大な溜息に怒りを混ぜて吐き出した。リボーンを相手にして、口で勝てるわけが無い。無論、力でも到底及ばないのだけれど。
 疲れた様子で前髪を掻き上げ、肩を落とした綱吉が視線だけを持ち上げる。依然そこに立つ頭巾の赤ん坊を見詰め、綱吉は緩く首を振って口を開いた。
 背に腹はかえられない。今はひとつでも多く情報が欲しかった。
「リボーン、あのさ」
「雲雀か?」
「……そう」
 どうして、誰も彼もがそこに結び付けたがるのだろう。本当のことなので否定しないが、簡単に質問を悟られてしまって、少し悔しい。
 口を尖らせて拗ねた綱吉に目を細め、リボーンは赤焼けた雲が微かに残る西の空を仰ぎ見た。
 つられてそちらに顔を向けるが、見えるのは積み上げられた薪と、山本が運んでくれた稲藁の山だけだ。後は暗がりに眠る裏庭と、冬を前にしても緑濃い薮と木々。
 鳥の子も塒に帰ったらしく、囀りのひとつも聞こえない。上空に渦巻く雲の間で、風だけが鳴いていた。
「あいつならさっき、あっちの方に行ったぞ」
 母屋の裏を抜け、西に通じる細い通路を指示したリボーンが、なんでもないことのように言う。いつのことかと問えば、本当についさっき、綱吉が来る直前だったと教えてくれた。
「嘘」
 茫然自失と呟き、綱吉は大きな目を真ん丸に見開いた。
 という事は、山本に言われて畑に向かわずに、あのまま小川を飛び越えていれば良かったのだ。人の話に惑わされて雲雀の足跡を辿ろうとせず、己の直感を信じて本人を探していれば、こんなに苦労はしなかった。
 与えられた情報に振り回されてしまった自分に恥じ入り、綱吉は額に手をやって力なく肩を落とした。
「うそだろう……」
 時間を無駄にしてしまった。ぼそりと小声で愚痴を零した彼を見上げ、リボーンは背中に回した小さな手を結び合わせた。
「何を信じて、どれを優先させるか、だな」
 人はその時々で、選択を迫られる。他者の助言は勿論重要であり、進むべき道を定めるのに大きな力となろう。だが人の意見を重視するあまり、自分の本意を見失っていては、元も子もない。
 周囲に惑わされず、自分というものをしっかりと持つ。その為にも取捨選択は重要だと説くリボーンに苦虫を噛み潰したような顔をして、綱吉は引き千切った前髪を風に流した。
「あっちだね」
「ああ」
 随分と壮大な事を言われてしまったが、今は考えるよりも空腹を解消させるのが先だ。焦れて踵で地面を蹴った綱吉は、落ちていた草履を拾って履くと、リボーンに再度確認した。
 迷わず頷いた彼に礼を述べ、西に向かって歩き出す。直ぐに建物の端に出て、辛うじて残る空の明るさに照らされた空間を前に、綱吉は逡巡した。
 小川を渡るべきか、否か。
 真っ直ぐ進めば神社に通じる小道に出て、左に曲がればひょうたん型の池がある庭に出る。目に入る範囲に雲雀の姿は無く、気配は冷たい風に流されて追えそうになかった。
 振り返るとリボーンも何処にも居なくて、綱吉ひとりが暮れなずむ空の下に残されていた。
 薄い自分の影を下に見て、東から迫る闇に唇を舐める。夕餉までもう時間が無い。
「いいんだけどさ、別に」
 人前で雲雀に食事を強請る事は、今までにもあった。綱吉にとって彼から口移しで霊気を貰うのは、生きる為に必要な行為だったし、それが当たり前だったので、恥ずかしがる必要は全くといっていいほど無かった。
 ただいきなりやると皆が驚くからと、人目があるところでは避けるようには言われている。そんなわけで、夕餉が始まって皆が集まる前に、雲雀の身柄を確保しておきたかった。
 彼はどちらに向かったのだろう。綱吉が探しているのに気付いているのなら、雲雀の方から出てきてくれても良い筈だ。しかしそれがないという事は、彼は綱吉の行動を把握していない、という事だ。
「まだ怒ってるのかな」
 言いつけを破って勝手をしたのは綱吉だけれど、こうも意固地になられると腹が立つ。彼の事が一番好きだというのは、言葉でも、心でも、身体でも繰り返し伝えてきた。
 信じてもらえていないようで、悔しいし、寂しい。
「そりゃ、俺だって、ヒバリさんが他の誰かと居るの、……嫌だけど」
 立場を置き換えて、想像して、胸の中がもやもやした。不快な塊が蠢いている感覚に背筋を震わせ、綱吉は握った拳を左胸に置いて唇を噛んだ。
 思い切って上を向いて、首を振る。
「でも、でもヒバリさんは、しないもん。俺だって、しないもん」
 互い以外の誰かに心を奪われたり、惑わされたりするなどありえない。自分たちは魂の奥深い部分で繋がりあっているのだと声に出して再確認して、彼は腹の虫の鳴き声に顔を赤くした。
 実際に音にはならなかったけれど、膝から力が抜けていく空腹感に歯軋りして、周囲を見回す。
 間もなく暗闇が落ちてくる。灯りなしで出歩くのは、いくら雲雀とはいえ危険だ。
 だからきっと、神社には行かない。ディーノに仕返しをしに行っている可能性は、否定しないけれど。
 直感を信じて頷いた彼は、ならば、と目の前を横切る小川の進む先に顔を向けた。砂利が敷き詰められた空間の先には、雲雀が手入れを欠かさない松の木の庭園があり、山から下る水は瓢箪の形をした池に流れ込む。丹塗りの太鼓橋が掛けられているそこは、月見に絶好の場所だった。
 今年は色々あった所為で、十五夜をじっくり眺めることが出来なかった。来年こそは雲雀と一緒に、夜空に輝く満月を見上げたい。
 幼少期から一緒に過ごした時間を振り返り、懐かしい記憶に幾許か心を和ませる。自然と笑顔が浮かんで目尻が下がり、しまりの無い顔になったところで、綱吉は目的を思い出して自分の頬を軽く叩いた。
「っと、そうだった」
 こんなところで時間を潰している暇は無いと、奈々達の寝所である奥座敷を回りこんで庭に足を伸ばす。もう家の中に入ってしまった後かもしれない、そんな事を考えながら砂を蹴り、彼は建物の影から出た。
 繰り出した足を踵から下ろして体を前に運び、背筋を伸ばして風に身を晒す。さあぁっ、と音を立てて晩秋の空っ風が西から東へ吹き抜けるのにあわせ、煽られた髪の毛を押さえ込んだ綱吉は、半纏の袖に視界を半分邪魔されながら首を巡らせ、左を見た。
 南に面する三間続きの座敷の手前、東西に伸びる縁側の片隅に、二本の足があった。
 沓脱ぎ石に両足を揃え、柱に肩を寄りかからせるようにして座っている人影がある。辛うじて空に残る光を頼りに、手元に意識を集中しているのだろう、綱吉に気付きもしない。
 長く捜し求めていた人の姿に慄然として、綱吉の背中にぞぞぞ、と悪寒が走った。身震いと共に胸がぎゅっと狭まり、息苦しさに喘いで彼は唇を開閉させた。
 瞬きを忘れた琥珀で眼前の光景に見入り、短く息を吐いた直後、彼は勢い良く地面を蹴り飛ばした。
 全速力で駆け、物音に気付いた雲雀が顔を上げるのも待たずに飛びかかる。
「見つけたーーーーっ!」
 待ち焦がれていた対面に逸る気持ちを抑えきれず、ぎょっとした雲雀が肩を強張らせて顔を引き攣らせるのもお構いなしに、綱吉は両手を広げた。縁側の寸前で高く跳び、一直線に突っ込む。
「なっ!」
 本当に、今の今まで気配を気取っていなかった雲雀が間抜けな声をひとつ発し、直後、もう直ぐ其処に来ていた綱吉に驚いて黒水晶の目を瞬かせた。
 咄嗟に腕を引いて逃げの体勢に入るが、間に合わない。右腕が無意識に綱吉に向かおうとして、そこに鈍く輝くものを思い出した彼は、慌てて肩を跳ね上げた。
「ヒバリさん、いた!」
「うわっ」
 肩から首に腕を回すのに成功した綱吉が、己の体重を全部使って雲雀に圧し掛かる。受け止め切れなかった彼は綱吉ごと縁側に倒れこみ、後頭部を強打して良い音を響かせた。
 震動は上に被さった綱吉にも、当然ながら届いた。
「見つけた。やーっと見つけた!」
 しかしいつものように彼を気遣う余裕もなく、綱吉は悶絶している雲雀に頬擦りすると、自分は痛くなかったのをいいことに両腕をつっかえ棒にして身を起こし、彼の顔を真上から覗き込んだ。
「つ……?」
「お腹空いたの」
 未だ痛打の衝撃が抜けずにいた雲雀も、綱吉の様子が変なのに気付いて眉根を寄せた。
 右手から滑り落ちた小刀が縁側に転がって、刃先を彼らの方に向けて凄んでいる。もう少し腕を持ち上げるのが遅ければ、それはもしかしたら綱吉に突き刺さっていたかもしれなかった。
 周囲に散らばる木屑に目もくれず、綱吉が頬を膨らませて呟く。元から薄暗い周囲がもっと暗さを増して、刹那、雲雀の視界から一切の光が消えた。
「んんっ?」
「ぁむ」
 何が起きたか咄嗟に理解出来ず、目を白黒させた雲雀の上で綱吉が気持ちよさげに鼻を鳴らした。
 閉ざされた肌色の瞼が目の前にあって、長い睫が時々痙攣を起こしたかのように揺れ動く。唇に触れる温もりは柔らかで、閉ざされた歯列を割ろうとしてか、両者の間で生温い舌が生き物のように蠢いていた。
「んう」
「ふぁ、んんっ」
 押し退けようと左手を浮かせるが、肩を掴むとくちづけたまま嫌々と首を振られた。鼻から漏れる息に音を乗せ、薄く瞼を持ち上げた綱吉が甘く濡れた琥珀で雲雀を射た。
 微かに情欲を含んだ眼差しにどきりとして、指先の力が緩む。見逃さなかった綱吉は、雲雀の厚い胸板に一層と身を寄せて、膝を割って距離を詰めた。
 咥内に潜入を果たした舌先が、獲物を求める動きで内部を余すところなく舐めまわす。追い詰められた雲雀が仕方なく応じてやると、彼は歓喜を身体で表現し、齧り付いて来た。
 牙を立てられた刺激に誘発された唾液を絡めて表面を擦り合わせ、艶めかしい音を互いの間で響かせる。
「んっ、はふ、う」
「……っ」
 触れては離れ、押し寄せる虚無感を嫌ってすぐにまたくちづける。角度を変えながら深く、深く交じり合い、濡れた音を淫靡に響かせる。
 最初は雲雀の肩にあった綱吉の手は、やがて彼の衿を掴み、心の臓の真上に添えられた。力強い鼓動を指先で感じ取り、次第に荒くなっていく彼の呼気に心を震わせる。
 刃物を遠くへ弾き飛ばした雲雀の手は綱吉の背に、反対の手はそれよりも下を弄って布の上から柔らかな尻を撫でた。
「や、んっ」
 双つ並んだ丘陵の片方を揉みしだかれて、ひくりと喉を鳴らした綱吉が切なげな声をひとつ奏でた。飲み込みきれなかった唾液に顎まで濡らし、舌から垂れた雫を散らして恥ずかしそうに頬を染める。
 身を浮かせた彼を笑い、雲雀は滴り落ちそうだった水滴を吸い取って、彼を抱えたままゆっくりと起き上がった。