小春なりき

 年が変わり、季節は少しだけ前に進んだ。
 短かった日中の時間が少しずつ、本当に少しずつではあるけれど、長く伸びようとしているのが分かる。吐く息はまだ真っ白に濁るものの、朝一番に水道の蛇口を捻った際、出て来る水の凍えるような冷たさも緩みつつあった。
 そうしていつしか、誰も気付かぬうちにこっそりと春はやってくる。
「良い天気、だ」
「まったくだ」
 吹く風は冷たいが、身を切るような厳しさもまた、薄れつつあった。大寒の頃を過ぎ、道端に残る雪の量も徐々に減ろうとしている。
 滋の話では、一昔前ならばまだまだ雪も深く、学校へ行き帰る道中も大変だったという。新聞片手に語る彼の目は優しく、過去を懐かしんでいる様子が窺えた。
 これも温暖化の影響だろうかと、塔子が打った合いの手に、夏目もしばし迷って頷いた。その上で箸と椀を揃えて置き、両手を合わせて軽く目を閉じる。
 ご馳走様の合図に、この話は自然と終わりを迎えた。
「近頃は、冬でも充分暖かいの」
「やっぱり、そうなのか」
 滋の話を聞いている時にも感じたが、確かにこのところの気温は、随分と高めだ。夏目が小学生の頃は、かなりあやふやな記憶ではあるものの、矢張りもう少し寒かった気がする。
 着せてもらえる衣服が粗末だったから、だとは思わない。裸で屋外に放置されたわけではなく、彼にはちゃんと眠る場所が用意されていた。それだけで、充分だった。
 長くても百年そこそこしか生きられない人間よりも、遥かに長寿の妖怪のひと言に、夏目は天を仰ぎ、ポケットの中で手を動かした。
 軽く広げて、直ぐに握る。風を通さないダウンジャケットは新品で、年の瀬に塔子がセールだったから、と言って買って来てくれたものだった。
 藤原夫妻の優しさを身に沁みて感じながら、彼はホカホカする胸元をゆっくりと撫でた。だから余計に、今年の冬は暖かいと思えるのかもしれなかった。
「百年前なんぞ、今頃のこの辺りは雪で一面真っ白だったぞ」
 今でも雪は降るし、年末から今日に至るまで、既に何度か積もっていた。が、斑が語るような屋根に届くほどの豪雪は見られなかったし、故に雪下ろしの必要も全くなかった。
 雪だるまを作り、西村たちと雪合戦に興じることはあっても、凍った池に穴を開けて釣竿を垂らす、というのはまだ出来ずにいた。なにせ肝心の池が凍らない。凍っても、上に人が立って割れないだけの厚さに育たない。
 彼らが小さい頃は、そうやって冬場、遊んだのだという。だが最近は出来ない年の方が多い。それが寂しいと、仲良くしてくれている友人らは肩を落として笑っていた。
「やってみたかったな」
 冬の寒さが険しいのは、外を出歩くのが億劫になるので出来るなら遠慮したい。しかし温かいことで、昔ながらの遊びや景色が見られなくなるのも、それはそれで勿体無い気がした。
 乾いた土を踏みしめて、夏目は斑に先を譲り、坂を登った。枯葉色の田圃の間を抜けて、畦道からアスファルトで舗装された道に合流を果たす。靴の裏を通して伝わってくる感触が変わり、その違いぶりに彼は知れず肩を竦めた。
 どちらも冷たいのに、土の方がまだほんのりと温かい気がした。けれど夏場になれば、土の方が冷たく感じる。それが不思議に思えて、当たり前のようにも感じられた。
「良い天気だ」
 もう一度呟いて、夏目はポケットから抜いた両手を高く掲げた。
 背筋を伸ばして腰を左右に捻り、骨を鳴らしてぐーっと反らす。
「なにを、年寄り臭いぞ」
「先生に言われたら、お終いだな」
 そうやって軽く身体を解していたら、下の方から呆れた声で言われてしまった。
 招き猫を依り代とする妖怪は、夏目の想像が及ばない年数を生き長らえている。明らかに彼の方が年寄りであるのに、そんな事を言われるのは心外極まりなかった。
 とはいえ、身体があちこち凝り固まっているのは、確かだ。
 運動など、滅多にしない。学校の体育の授業がせいぜいで、後は妖怪に追いかけられたり、追いかけたりする時くらい。それも走って、逃げて、跳んで、殴って、と世間一般に運動と呼はれるものからは、若干外れていた。
 もう少し筋力をつけた方が、いざという時に役に立つだろうか。骨と皮ばかりで、肉の少ない己の手を眺め、夏目はふと、そんな事を考えた。
 が、自分がムキムキのマッチョになった姿も想像出来ない。
「今のままが丁度良いかな」
 年月の経過を深く気に留めない妖怪達から、未だに祖母のレイコに間違えられてしまう事も多い。もう少し背が高くなり、男らしさが骨格に現れてくれたなら、それもなくなるだろうか。
 それも少し寂しいと感じている自分を意識して、彼はひとり笑った。
「なにをしておる。行くぞ」
 既に歩き出していた斑が、二メートルほど先から振り返って声をかけてきた。微笑んでいる青年の姿に、気色が悪いと言い足すのも、忘れない。
 確かにいきなりしまりのない顔をしたのだから、そう思われるのも仕方が無い。だがもうちょっと言いようがあろうに、斑は言葉を飾って適度にぼやかすというのを知らなさ過ぎる。
 だが、それもまた妖怪という種所以なのだろう。
 陽射しは穏やかで、風は冷たいがさほど強くない。気温は低めながら、日光が当たる場所を選んで通れば十分過ごし易かった。
 近所をぐるりと巡る散歩も、そろそろ終わりだった。
 遠く、家々の間から、目に馴染んだ屋根が見え隠れしていた。この地に引き取られたばかりの頃は不安を感じてばかりだったけれど、日が経つに連れてそんな思いも薄まっていった。
 初めて存在を望まれた。産まれてきてくれてありがとうと、そう言われた気がした。
 母の記憶は殆どない。父も、同じく。ただ心優しい人たちだったと、それだけは覚えている。
 この地にやってきて、暫くして。相変わらず奇妙なものを見ては、追い回される日が続いていた。が、それまでと明らかに違っていたのは、この地の妖怪が夏目を、祖母と間違えて襲って来たというところだ。
 ただ視得る人間だからとちょっかいを出して来た、これまでの妖怪達とは明確に異なる。彼らには目的があった。夏目を、既に亡い人と勘違いしてしまうほどに、切羽詰った望みがあった。
 名を返して欲しいという、切なる願いが。
 偶然が偶然を呼び、それが思わぬ方向に転がって、奇跡を呼んだ。あの森に逃げ込み、注連縄の結界を破ってしまったのも、望んで得られた結果ではない。
 たまたま、そこに斑が居た。たまたま、夏目がその地に赴いた。
 なにかに導かれて、と言ってしまうのは簡単だ。けれどそういう事にしてしまったら、目に見えない何かに踊らされている気分にもなる。
 自分の意思で選んだのだと、どうせならそう思いたいではないか。
「先生、待ってくれ」
「ふーんだ。先に帰って、お前の分のオヤツも食べてやろう」
 笑みを噛み殺し、夏目が歩き出す。先を行く斑の揺れる尻尾を眺めながら、ゆっくりと。距離は詰まらない。敢えて詰めない。振り返りもせず言い放つ斑も、それはきっと分かっている。
 今度はズボンの、尻のポケットに指先を押し込んだ夏目は、右手から注ぐ午後の陽射しに目を細めて肩を竦めた。
 天気は良い、気温も冬場にしては高めで心地よい。時刻はまだ三時に至らない。斑の言うオヤツ時までは、もう少しある。急がなくてもいい。
「今日はなんだろうな」
「たい焼き、たい焼き」
 呟いて話を向けると、前を行く斑の丸くて大きな体が二度跳ねた。
 彼はしょっちゅう夏目の部屋を抜け出して、食べ物を強請りに塔子のいる台所に顔を出している。ひょっとすれば今日も、夏目の知らないところで彼女を観察していたのかもしれない。
 最初の頃は綺麗に焼けなかったたい焼きも、この頃はすっかり器具の扱いに慣れたらしい。皮はパリパリの、中身はしっとりと、外で買うよりも美味しいものが沢山、塔子の手から生み出されている。
 思い返して唾が湧いて、夏目は口を閉じると一気に飲み込んだ。唇を引っ掻き、甘い餡子と香ばしい匂いを頭の中に蘇らせる。
 それも良い、というよりはそれがいい。夏目もすっかりオヤツはたい焼きの気分になって、ほんの少しだけ速度を上げて斑を追いかけた。
 帰り着いた藤原の家の庭からは、出かける前にいっぱい干されていた洗濯物が、綺麗さっぱり消え失せていた。
「布団も」
 午前中から気候は穏やかだった。休日であるに関わらず朝早くに目を覚ました夏目は、折角だからと敷布団のシーツを剥がし、階下に持って降りて干してもらっていた。
 それが見渡す限り、どこにも見当たらない。
「今夜はふかふかだの」
「そうだな」
 外に干した布団は、太陽の光を存分に浴びてふっくら柔らかくなる。その布団に包まれて眠ると、体験した事などないのに、干草のベッドで眠っているような気分になれた。
 満面の笑みを浮かべた斑に先導されて、夏目は玄関の敷居を跨いだ。靴を脱いで上がり框に足を置き、奥を窺う。
「ただいま、帰りました」
 中は静まり返っていて、テレビの音も聞こえなかった。
 表の鍵は開いていたので、中に誰か居るはずだ。外を出歩いた足のまま上がりこもうとした斑を寸前で抱きかかえた夏目は、雑巾を探して視線を泳がせ、ひとまず洗面所に向かった。
 手洗い、嗽を済ませて斑の足も拭いてやり、続いて台所に顔を出す。テーブルには本当にたい焼きをするつもりでいたのだろう、道具一式が取り揃えられていた。
 だのに、肝心の塔子がいない。
「何処行ったんだろう」
 書斎のドアは閉まっていて、中に滋がいるのは気配で分かった。が、仕事中かもしれず、この程度のことで彼の集中を削ぐのも申し訳なく思い、彼は黙ってその場を離れた。
 二階に行こうかで迷い、その前に、と表の庭に面している座敷を覗いてみることにする。
「あら、貴志君。お帰りなさい」
 塔子は、そこにいた。
 日当たりも良い縁側の、障子の影に隠れるようにして、彼女はいつものように割烹着姿で座っていた。
 優しい笑顔で名前を呼ばれ、それだけで照れ臭くも、嬉しくなる。夏目は脱いだダウンジャケットを両手に抱え、はにかんだ。
「あ、布団……」
「寒くなる前に取り込んでおいたわ」
 彼女の傍らには、三つ折にされた夏目の敷布団がどっかり構えていた。上には真っ白に洗濯されたシーツが、座布団くらいの大きさに折り畳まれて載せられていた。
 自分でやるつもりだったのに、先を越されてしまった。感謝の心と同じくらい、申し訳なさが募って、夏目は小さく頭を下げると、引き取ろうと襖を押し開けて座敷にあがりこんだ。
 畳の縁を踏まぬよう進み、ふと視界を横切った黒っぽいものに気付いてぎょっとする。
「貴志君?」
「あ、いえ。なんでも」
 歩いている最中に、いきなり顔を引き攣らせて仰け反ったのだから、塔子も不思議に思うのは仕方が無い。慌てて取り繕うように言って首を振り、夏目は渋い顔をして斑を見下ろした。
 真横にいた彼は、そ知らぬ素振りを決め込んでそっぽを向いていた。
 干されてふかふかの布団の上で、何かが横になっている。首から上は鼠の顔で、胴体は人間に似ている。大きさは、大体十五センチほどだろうか。
 塔子は気付いていない。彼女には見えないのだ。
 狩衣にも似た衣装を身にまとい、悠々自適とばかりに寛いでいるその小さな妖怪に、夏目はそっと嘆息し、追い払うべきか否かで迷った。
「あら、嫌だわ」
「塔子さん?」
「いやね、また崩れちゃった」
 彼女は布団の横で、取り込んだ洗濯物を畳んでいる最中だった。見れば四つに折り畳んだタオルが、彼女の足元に複数枚散らばっていた。
 その隣には矢張りタオルが、二十センチほどの高さまで積み上げられていた。布なので崩れてもダメージは少ないが、また畳み直さなければならないのは面倒臭いというほかない。
 塔子の呟きに気になる点を見つけ、夏目は右の眉を僅かに持ち上げた。
「また、……」
「可笑しいわね。柔軟剤を入れすぎたかしら」
 そういう問題ではないのだと、正直に言えたらどんなにか良かっただろう。夏目は左手で額を覆い、倒れたタオルの下から這い出て来た鼠頭の妖怪に嘆息した。
 どうやら、一匹だけではなかったらしい。
 布団を見れば、先ほどの鼠頭がのうのうと昼寝を楽しんでいる。両手を頭の下に入れて枕代わりにしているところなど、人間そっくりだ。
「こんなに妖怪に入り込まれて、何の為の用心棒なんだよ」
「喧しい。外に出ておったのだから、仕方がなかろう」
 左足で斑の脇腹を蹴ると、すかさず弁慶の泣き所を殴られた。塔子に聞かれないように声を潜めてやり返し、夏目は、無事だったタオルの山をよじ登り始めた鼠頭に肩を落とした。
「塔子さん。俺、それ洗面所に持って行きます」
 さりげなさを装って前に出て、彼女の横で膝を折って屈む。折角塔子が綺麗に畳んだタオルを、またも突き崩そうとしていた粗忽者の行く手を手で塞いで、彼はピンクや緑、白と色とりどりのタオルを胸に抱え込んだ。
 分厚いダウンジャケットと一緒にして、持ち上げる。立ち上がった彼の足元では、折角の寝床を奪われた狩衣の鼠頭が憤慨した様子で両腕を突き上げていた。
 が、相手はしてやらない。この場には塔子がいるのだから、不用意な真似はなにひとつ許されない。
「あら、ごめんなさいね。助かるわ」
「ぶみゃお」
 夏目の唐突の提案も、彼女は特に怪しむ様子なく受け入れた。柔和な笑みを浮かべて口元に皺を作り、広げてから畳み直したタオルを脇に置く。
 そこをすかさず、鼠頭が突進していこうとして、間に割り込んだ斑の脇腹に弾き返されていた。
「フー」
 すっかり家猫の顔になった斑が、キーキー言っている鼠頭を睨み付ける。斑の本性は狐と狼が混ざったような獣だが、今は招き猫を依り代としているからだろうか、鼠相手にはどうにも強気だ。
 鼻息荒く凄んでくれるのは有り難いが、この場に居合わせる塔子には妖怪が見えないのを、彼は忘れていやしないだろうか。
 何もない空間に向かって全身の毛を逆立てている斑を不審がり、塔子は右手を頬に添えて彼の方へ僅かに身を乗り出した。
「ニャンキチちゃん、どうしたのかしら」
「さ、さあ。虫でもいたんじゃないですか?」
 タオルが崩れないようにバランスを取っていた夏目が、若干どもりながら言って視線を逸らす。彼女も、猫にしか分からない事があるのだろうと深く考えるのは止めて、洗濯物を畳む作業に戻っていった。
 塔子に背中を向けたところでホッと胸を撫で下ろし、彼はまだ布団の上で居眠りしている鼠頭と、斑と鬼ごっこを開始したもう一匹を交互に見て、肩を竦めた。
 ひとまず、今のところ塔子に危害を加える様子はない。友人帳を狙って忍び込んできたわけでもなさそうだ。
 斑が居るので平気だろうと、彼は座敷を出た。自分で言い出した手前、洗面所にタオルを運ぶくらいはしておかなければならない。そのついでに、ではないが二階に上がってジャケットをハンガーに吊るして戻って来ると、走り回って疲れたのだろう、斑が腹を上にして倒れていた。
「うわ、先生」
 危うく蹴り飛ばしてしまうところで、咄嗟に左足を引いて後ろに逃げる。たたらを踏んだ彼を見て塔子は笑い、滋のシャツや下着をひとまとめに抱えて立ち上がった。
 斑が追い回していた鼠頭は、というと。
「あんなところに……」
 疲れ果てて息が上がっている巨大な猫の向こう側で、二匹仲良く寄り添い寝転がっていた。
 夏目の、敷布団の上で。
「今日は良い天気ね」
「そうですね」
 渋い顔をして、唇を舐める。だらしない格好で転がっている斑を跨いで乗り越えた夏目に、すれ違い様塔子が言った。
 朗らかな彼女の声に、ささくれ立っていた心が一瞬で和らいだ。腹立たしい事があっても、彼女の前に立つと綺麗さっぱり消え去ってしまう。まるで魔法をかけられたみたいで、不思議だった。
「ふふ」
 硬かった表情を崩した夏目に目を細め、塔子が声に出して笑う。なにか可笑しなことを、気付かぬうちにしてしまっただろうか。前触れものなかった彼女の微笑みに、彼は僅かに戸惑い、小首を傾げた。
 斑がのっそり起き上がって、腹這いに戻る。欠伸をかみ殺した彼は、鼠頭を追い回すのは止めて、もそもそと縁側の方に歩いていった。
 畳から板張りの場所に出て、そこにどっかり座り込む。障子戸の隙間から差し込む光は、縁側を越えて夏目の布団にも届いていた。
「そこ、温かいわよ。まるであそこだけ、春が来たみたい」
 怪訝にする夏目に告げて、彼女は斑の居る方に顔を向けた。つられて彼もそちらに目をやって、燦々と注ぐ陽光の眩しさに頬を緩めた。
「ああ……」
 塔子が笑ったのは、可笑しかったからではないのだ。ようやく理解できて、彼は緩慢に頷いた。
 斑がまたひとつ、大きな欠伸を零す。狩衣の鼠頭は熟睡中で、当分起きて来そうにない。
「布団、まだあそこに置いておいても平気ですか」
「大丈夫よ。広げてお昼寝でもする?」
「それは、……どうしようかな」
 魅力的な提案だが、実行に移したら今度は夜に眠れなくなりそうだ。ふたつを天秤にかけて揺らし、夏目はトレーナーの上から腹を撫でた。
 それを見た塔子が、含み笑いを手で覆い隠した。
「おやつ、出来たら呼ぶわね」
「はい」
 本当に眠らなくとも、日向でゴロゴロしていればいい。そう言われたような気がした。
 小さく頷いて、出て行く塔子を見送る。人間はひとりだけになった座敷を改めて振り返って、夏目は頬を掻いた。
「呑気な妖怪も、いたもんだな」
 悪さをする為ではなく、なにかしら目的があったわけでもない。
 彼らが藤原の家を訪ねた理由は、他でもない。此処が温かく、気持ち良さそうだったからだ。
 夏目が居るとも知らずに潜り込んだのであろう鼠頭の妖怪に苦笑して、彼は斑の横に進み出た。腰を下ろし、足を伸ばし、全身に日の光を浴びて瞼を下ろす。
 冬でありながら、確かに春のような陽気が彼を優しく包み込んだ。
 それはまるで、塔子の笑顔のようで。

「ああ、良い天気だ」

2010/01/21 脱稿