野分 第六夜

 涙と鼻水で顔をどろどろに汚した少年が、綱吉同様見目幼くしている大きな瞳を限界まで見開いていた。
 綱吉よりもずっと色の濃い茶色の髪に、くりっとした眼。癖のある髪質なのか、毛先はくるん、と外向きに丸まっている。膝を抱えて座り込み、歯の根の合わない奥歯を鳴らしてガタガタ震えていた。
 両手で上半身を抱き締めて小さくなっている彼の名前は、入江正一。
 並盛の里で家族と共に暮らす少年だ。
「正一君」
 黒川と一緒に嵐の後の片付けをすべく神社にやってきて、爆風に巻き込まれて以後行方が一切知れていなかった人物が、まさかこんなにも近い場所に居たとは夢にも思わなかった。綱吉も獄寺も、一時はこの直ぐ傍に居たというのに、ふたりして気付かなかったことに愕然とさせられる。
 そんなふたりの驚きなど露知らず、正一は蹲ったまま瞬きもせず雲雀を凝視し、噛み締めた唇から言葉にならない呻き声をあげた。
 雲雀が真下に下ろした状態で留めていた拐を引き、腕を両脇に垂らす。深い緑の隙間から木漏れ日が差して、偶々そこにあった青銀の鱗を使った拐を照らし出した。
 鋭い光が反射して、どこか虚ろだった正一の瞳を焼く。彷徨っていた焦点が絞られ、彼は長く忘れていた瞬き、そして呼吸を思い出した。
「……っは!」
 肺の奥底に沈殿していた息を吐き、浮かせていた腰を落とした彼に注目が集まる。合計六つの目で見下ろされた彼は、一瞬自分が居る場所が分からなかったようで視線を泳がせ、綱吉、獄寺、雲雀の順に見上げた。
 何度も瞬きを繰り返し、己の震える両手を見詰め、握り締める。
「あ、ねえ、正一君?」
 挙動不審に落ち尽きなく動き回る様に疑問を抱き、いったいどうしたのかと綱吉が恐る恐る彼を呼んだ。
 瞬間だった。
「ぬおぉぉぉぉ!」
 どこからともなく了平の雄叫びが轟き、何事、と考える暇もなく社殿裏の薮が吹っ飛んだ。
 通常裏に回る経路とは逆の、人がひとり通るのもやっとの幅しかない西側から回り込んだ了平が、おさげ髪の少女と凄まじい攻防戦を繰り広げる。大人しく境内だけでやっていればいいものを、どうやら少女が逃げに入ったものだから、深追いしすぎた結果らしい。
 焦りを滲ませる少女が呆然と佇む雲雀に気付き、またも助けを求める顔をして唇を噛み締めた。
「師父!」
 聞きなれない発音で雲雀を呼ぶが、ぴんと来ない彼は眉目を顰めるのみだ。しかい放ってもおけず、彼は拐を袖の中にしまい、落ちてくる彼女を受け止めるべく両手を前に広げた。
 綱吉があ、と思うが今雲雀を引っ張れば、少女が地面に激突してしまう。雲雀に抱き締められていいのは自分だけだという欲深な心がちくりと痛んで、出し掛けた手を引っ込めた彼の前で雲雀が衝撃を受け流そうと膝を軽く折り曲げた。
「哇哇!」
 可愛らしい悲鳴をひとつあげ、結んだ毛先を跳ね上げた少女が仰向け状態で雲雀に受け止められる。そのまま地面に下ろそうとした彼だったのだが、目の前にいきなり色白の少女が現れた正一が、ありえないほどに驚きを顔に出し、その場でひっくり返った所為で出来なかった。
 なにかが妙だ。さっきからずっと引っかかっている疑問が膨らんで、雲雀は少女を抱えたまま正一に手を伸ばそうとした。
 それを彼は跳ね除け、ほうほうの体で薮から這い出た。
「知らない!」
 誰もなにも聞いていないのに喚き、怯え切った表情で唇を戦慄かせる。拳を収めた了平もまた不思議そうに彼を見て、首を捻った。
「知らない。僕は、……僕は何も見て無い!」
「え――」
「小さな子がいきなり大きくなったり、爆発したり、変な場所で……変な、ことになっ――……僕は、本当に、何も知らないんだからね!」
 急にひとりで激高し、力いっぱい叫んで走り出す。誰も止めることが出来ず、彼の脈絡の無い捨て台詞を理解出来る人もひとりとしていなかった。
 全員が惚けた顔で遠ざかっていく正一を見送り、疑問符を頭に浮かべる。ただ綱吉だけが、いまだ雲雀の腕に抱かれている少女と、彼女を放さずにいる雲雀を仰々しいまでの顔で睨みつけていた。
 頬が引き攣り、無理に笑おうとして失敗している様子が窺える。今、下手に彼に触れようものなら、一生口を利いてもらえなくなりそうで、獄寺はじりじりと綱吉から後退を図った。
 これまで綱吉に抱きつく輩は多くあれど、雲雀にそんな事をする存在は皆無だった。
 雲雀はいつだって綱吉のもので、雲雀に甘えて良いのは綱吉だけだという暗黙の了解、不文律が、並盛にあったのは確かだ。
 だがこのおさげ髪の少女はそれらを一切無視し、懸命な表情で雲雀に解読できぬ言語で語りかけ、首に腕を絡めてしがみついて離れようとしなかった。
 戦闘の余波激しい了平も、どこかしら面白くなさそうに事の有様を眺めている。肩で息を整えながら拳を叩き合わせ、まだやり足りないと言わんばかりの表情をして、汗を拭ってやっていた京子を呆れさせた。
「師父、想見了」
 細い目をより細め、嬉しげに、目尻に涙まで溜めている少女に寄りかかられ、雲雀もどうすればいいか分からずに困った顔で視線を泳がせた。
 綱吉の時のように、ついつい手が彼女の背中に回りそうになって、指が触れる寸前で別人だと認識した身体が停止する。空を掻いた手のやり場に迷い、目線を巡らせた先で膨れ面をしている綱吉その人に気付いて、背筋を震わせた。
 拗ねる、を通り越して、怒っている。
「綱吉、違う」
「へ~。ヒバリさんって、そういう人だったんだ」
「だから、綱吉。僕は」
 こんな子は知らないと声高に叫んだところで、説得力は皆無に等しい。しらけた空気を場に感じ取り、雲雀は珍しく気が動転した様子で頬を引き攣らせた。
 その間も少女は雲雀に頬擦りし、矢張り聞き取れない異国の言葉を早口に捲くし立てた。
 痺れを切らした雲雀は彼女の肩を掴むと一気に押し返し、引き剥がして奥歯を噛み締めた。眼力を強めて睨みつけるが、上腕を乱暴に握られても彼女は平然とした様子で、狼狽している雲雀を不思議そうに見詰めた。
 小首を傾げる様は愛らしく、邪気は感じない。だが人とも違っている。
 この娘は、精霊だ。しかし過去の記憶をどれだけ掘り返しても、彼女の顔に行き当たらなかった。
 全く知らない存在であるのは嘘ではない。だのに綱吉は信じようとせず、今度は彼の方から心に壁を作って鍵をかけ、雲雀を追い出してしまった。まさに聞く耳持たぬ状態で、途方に暮れた黒髪の青年は苦々しい表情で溜息を零した。
「誰だか知らないけど、僕は君の師父じゃない」
 その単語だけは聞き覚えがあったし、どうにか聞き取れた。胸に手を当てて告げた雲雀だったが、この国の言語では伝わらない。少女は目を真ん丸に広げて首を右に倒し、数秒考えてから両手をぽん、と叩き合わせた。
 理解してくれたかと安堵した矢先。
「師父!」
 正反対の意味に理解してくれた彼女に、またも抱きつかれて彼は尻餅をついた。
 どす黒い気配が綱吉から立ち上り、霊感の無い了平までもが背筋を見舞った寒気に鳥肌を立てた。何事かと挙動不審に周囲を見回すが、雲雀や獄寺には見えるものが彼に見えないのは、ある意味幸いだった。
 ゴロゴロと猫のように喉を鳴らして甘えてくる少女を持て余し、雲雀が弱りきった表情で天を仰いだ。
 綱吉の疑念を一秒でも早く晴らさなければ、今宵は修羅場確定だ。此処最近は落ち着いていた綱吉だけれど、時折爆発する彼の癇癪は凄まじくて、幼少期は殊更手を焼かされた。
 表向きは雲雀が綱吉に対して独占欲を顕示しているように見えるが、実際はその逆で、綱吉が雲雀と離れたがらないのだ。
「誰と間違えてるの、君は」
 もう一度肩を押し返すが、雲雀の衿をしかっと握った少女は嫌がって身を捩り、縋る目を彼に向けた。泣き出す寸前の潤む瞳は、綱吉が雲雀に構って欲しい時の常套手段だ。一瞬幻が見えて息を呑んだ彼は、無碍に扱うことも出来ずに浮かせた手で顔を覆った。
 こういう態度が綱吉を余計に煽り、不機嫌にさせているという自覚は、ある。あるのだが、状況を解決する有効な手立てがなにも思い浮かばない。
「師父?」
「それは僕じゃない」
 繰り返される呼び名は、師匠という意味だ。されど雲雀は、過去現在に至るまで、ひとりとして弟子を持った覚えは無い。
 勘違いされているのだと訴えても、綱吉はつーん、と顔を反らして唇を尖らせている。機嫌を取り戻すには相当根気が要りそうだと、諦めに近い心境で頭を抱え込んだ矢先。
「おまたっせー。捕まえたぜ」
 場の空気に恐ろしくそぐわない明るい口調が、彼らが佇む社殿の真上から響き渡った。
 覚えのある声に、反射的に雲雀が顔をあげた。助かった、とこの時ばかりはお気楽なディーノに感謝しながら、彼はふわりと緋色の打掛を膨らませて薄暗い日陰に着地した金色の髪の青年に胸を撫で下ろした。
「んー! むむ、んむー!」
「きゃっ」
 ディーノとは初対面に当たる京子が、突然空から現れた男に吃驚仰天し、兄妹揃って仰け反った。
 転びそうになった妹をしっかり抱き締めて庇った了平に一瞥だけを加え、いつの間にか増えている面子にディーノは頭を掻いた。もしかしなくても拙かったかと小声で雲雀に問い、彼が綱吉ではない女性を膝に抱いているのを見て、目を瞬かせる。
「あれ、恭弥。お前、ひょっとしてツナから鞍替え?」
「違う!」
「むむむー!」
 驚きつつも、何故か心持ち頬が赤く染まって嬉しそうに聞いたディーノに叫び、彼は今度こそ少女を自分から引き剥がした。
 抵抗されるかと思いきや、彼女も突然降って来たディーノに目を丸くして、反応が鈍い。瞬きもせずに彼を――否、ディーノが脇に抱え込んでさっきからじたばた暴れている男を凝視して、直後、ひっ、と頬を引き攣らせた。
 彼女の感情に反応してか、長いお下げ髪がぶわっ、と膨らんで毛先が跳ねた。
 強張った両手で顔を叩くように覆い、甲高い悲鳴を。
「藍波!」
「――え?」
「んぐ、むー!!」
 辛うじて聞き取れた発音、それは綱吉も良く知る名前に他ならない。しかしディーノが軽々と右脇に抱えている青年は、何処からどう見ても十代後半。あの悪戯好きの楠の精霊とは、似ても似つかない。
 いや。
 よくよく見れば、微かに面影が、言われてようやく気付く程度に感じられた。
「へ?」
 獄寺も目をぱちくりさせて、地面にひとり座り込む少女と、ディーノの腕から逃れようと躍起になっている黒髪の青年とを見比べた。
 長着の汚れを払った雲雀と、笹川兄妹だけが、不可思議そうに首を傾げている。
「ランボって、あの。あのランボ?」
「まさかあの牛小僧が、一晩で。いや、そんな馬鹿な」
 ありえないと綱吉と獄寺がひそひそ言葉を交わしあうが、牛柄の着衣といい、癖のある黒髪といい、目の下の傷といい、共通項は次から次に発見される。
 だけれど、そんな事が本当にあるのだろうか。
 一夜にして五歳児相当が、十歳分も成長するなんて。
「精霊だから、俺達とは成長速度が違う?」
「あのー……何の話?」
 今来たばかりのディーノが、変にこんがらがってしまっている現状に右手を振った。その右手を、お下げ髪の少女がいきなり下から掴んで引っ張った。
「藍波、放掉!」
「って、おわっ」
 前に引きずり倒されたディーノが、みっともない悲鳴をあげて上半身を前に傾がせた。
 すかさず足払いを仕掛けられ、呆気なく転倒する。抱えられていた男はその隙に逃げ出し、四つん這い状態で少女の後ろに回り込むと、そのまま小さくなって隠れてしまった。
 体格的には少女よりもずっと大きいというのに、表情は実に情けなく、気弱そうな印象を与えた。
「なんなのだ、この状況は」
「僕に聞かないで」
 雲雀を誰かと勘違いしたかと思えば、気丈に男を庇う少女の姿に了平は思考を放棄し、雲雀に答えを求めた。しかし雲雀には別の、非常に頭が痛い問題が目の前に積み上げられており、そちらに意識が向いて他の事は最早どうでも良くなっていた。
 疲れた声で肩を落とした彼から、依然頬を膨らませている綱吉に目をやり、了平は頑張れよ、と項垂れている青年の肩を慰めに叩いてやった。
「こんなところに居た。酷いですよ、ディーノさん。俺のこと置いてくなんて!」
 そこへ更に追加で、山本の声が加わった。砂埃を散らして神社に駆け込んだ山本が、息せき切らして金髪の青年を非難する。全身汗まみれで、耳鳴りがするのか右手は首の後ろから耳元を覆っていた。
 走るのに邪魔だからと長着の裾を捲りあげて帯に挿し、尻端折り状態なので逞しい太股と褌がちらちらと見えている。その場に京子がいると後から気付いた彼は、気まずげに身なりを整えてから汗で湿る短髪を掻き毟った。
 その後で、いやに大勢揃っている現場に眉目を顰めた。
「なに、これ」
「俺に聞くな」
 見知らぬ青年と少女に、至極不機嫌な綱吉と落ち込んでいる雲雀。手近なところに居た獄寺に問うた彼だったが、つっけんどんに返されてしまって、事態はさっぱりつかめなかった。
 見上げたディーノも獄寺と似たり寄ったりの表情をして、大袈裟に肩を竦めてくれた。
「う~~」
 ひとり唸っているのは綱吉で、蹲っている雲雀の背中に時々膝で蹴りを入れては、ぽかすか頭を殴っている。
「綱吉、違うから。君が考えてるようなことは、何も無いから」
「嘘だ。絶対に嘘だ!」
「綱吉、僕が好きなのは君ひとりだから」
「嘘だ、信じない。だって最近、ヒバリさん冷たかったもん!」
「あれは、……ほっとくか」
 最早ただの痴話喧嘩でしかない彼らのやり取りを遠巻きに、生温い目で見詰め、ディーノの言葉に山本も獄寺も頷いた。聞かされる方が恥かしくなるような台詞がぽんぽん飛び出しており、出来るなら誰も居ない場所でやってくれないかと、祈らずにはいられない。
 三人揃って長い溜息を吐き、緩く首を振って気持ちを切り替える。
「それで、なんなんだよ、こいつらは」
「黒川が言ってた男、と……」
 京子が言っていたように、里の人に片っ端から自分が見えるかどうかを問うていた青年を、山本が見つけてディーノが掻っ攫ったのだ。なお悪いことに、丁度その現場を、神社から走って来た黒川が目撃したものだから、その人を放せ、返せ、と五月蝿い事この上なかった。
 説明が面倒臭くなったディーノが、後の事など考えずに瞬地で男を連れて神社に向かってしまったので、消えたように見えた黒川は置いていかれた山本に突っかかった。どういう事なのかと聞かれても、山本だって良く分かっていない。必死に適当な言い訳を並べるが彼女は一切耳を傾けようとせず、段々面倒臭くなったので、自分の脚力に物言わせて彼女から逃げてきた。
 全力疾走を繰り返していた黒川はもう走れなくて、引き離すのは簡単だった。
「悪いことしたかな」
「いいんじゃねーの。俺、関係ねーし」
 後日、黒川に捕まって問い詰められるのは、山本だ。だからどうでもいい、と獄寺は反省した様子の山本に興味も示さず、事の発端となった青年を睥睨した。
 胴衣の汚れを爪で削ぎ落とし、胸の前で偉そうに腕を組む。
 少女の影から周囲を窺うというのは、男として非常に情けない。女に守られてどうする、と叫びたい気持ちを押し殺した彼は、一瞬だけ口論を続けている綱吉たちに目を向けて、地面に唾を吐いた。
「ちぇ」 
 最初は激しかった綱吉の口撃も、雲雀に宥められ、甘やかされて徐々に緩やかになっていた。堪えきれずに泣き出して、馬鹿、のひと言を何十回と繰り返している。そこを雲雀が優しく抱き締めるものだから、反抗心は一気に消え失せて、綱吉は彼に抱きついた。
 結局は元の鞘に収まるのだ。立ち入る隙が一分となくて、落ち込みたいのはこちらだと銀髪を掻き毟る。
 山本も同じ光景を眺めて肩を竦めており、自分より幾らか余裕がある彼の態度に、獄寺はけっ、と唇を尖らせた。
「しっかしなあ。……やっぱ、似てるな」
 その一方でディーノは膝を折り、少女の背中に庇われている男を同じ視線の高さから眺め、苦笑した。
 ぽつり呟かれた言葉に、山本がいち早く反応を返した。
「知ってるんですか」
「ん? ああ。いや、こいつじゃなくて。俺が知ってるのは、こいつの先代だ」
「?」
 まどろっこしい説明に、京子が変な顔をした。分かるかと自分を背中から抱き締めている兄を見上げ、彼も似たり寄ったりな表情をしているのに少なからず安堵する。
 警戒心を露にした少女の頭も優しく撫でて、ディーノは立ち上がると打掛を翻した。大輪の牡丹が木漏れ日の下に輝き、眩しい。
 彼はぬかるんだ地面の数寸上を、まるで滑るように渡り、広場の片隅に祀られている倒れた楠の巨木に歩み寄った。大人三人が腕を伸ばして、やっと一周できるほどの胴回りを持った木が、朽ちるに任せて寝かされている。傍には幹よりも太い株が、地面に無数の根を走らせてどっしり構えて座していた。
 株の西端に、新しい芽が伸びようとしていた。まだ若く、ちょっとの嵐でも折れて飛んで行ってしまいそうだけれど、実際はしっかり張り付いて頑丈だ。
 ディーノは若緑色の瑞々しい葉に目を細め、急に振り返って見守っていた全員を驚かせた。
「……」
 だけれど特に何も言わず、沈黙を保ち、残された根元から倒れた幹の隣へと移動した。右手を伸ばし、苔生して他の植物の苗床になろうとしている表面をそっと撫でる。
 白い指先は汚れを知らず、上を向いてぽっかり開いている大きな洞に辿り着いた。
「まだちょっと、残ってんな」
 小さな子供なら潜り込むのも可能な空洞に指を入れると、静電気でも発生しているのか、青白い炎が周囲に飛び散る。皮膚を裂くびりびりとした衝撃に眉根を寄せて、ディーノは誰にも聞かれない音量で呟いた。
 溜息にも似た息を吐き、ずり落ちかけた打掛を左手で支え、半身を傾ける。ぐるりと空洞内部をかき回すように腕を動かし、引き抜いた彼の掌で、薄ら緑色を帯びた炎が揺らいでいた。
 光の下にあってもはっきりと分かる、澄んだ輝きだ。ゆらゆらと踊るそれは陽炎にも似て、触れれば消えてしまいそうな雰囲気が滲み出ていた。
 以前雲雀が纏っていた、桔梗色の炎にどこか似ている。精霊会の夜、六道骸が引き起こした騒動の最中に見た光景を思い出し、山本は奇妙な感覚に陥った。
 霊気は基本無色透明だから、神気もそうなのだとばかり思っていた。降って沸いた疑問に唇を尖らせていると、掌中の炎を見据えていたディーノが山本の目線に気付いて振り向き様に肩を竦めた。
「雷の属性を帯びているからな」
「えっ」
「面白いだろ。ちなみに俺がこうすると――」
 心を読み取られたことにどきりとした山本の前で、ディーノは白い歯を見せて笑った。左手を掲げ、右手の中にある緑色の炎にゆっくりと近付ける。
 そのまま蓋をするように両手で炎を隠し、数秒置いて左手を退かす。さっきまでは確かに新緑を思わせる輝きだったものが、どんな仕掛けなのか、鮮やかな日の出の色に変わっていた。
 いつぞやに見た、綱吉の額に宿り、拳から放たれた神々しい輝きに似ていた。
「な、ん――」
 獄寺も言葉を失い、京子だけが綺麗な炎を使っての手品に目を輝かせる。凄い、と手を叩き合わせる彼女にまんざらでもない顔をして、ディーノは最終的に、その炎を口元に運んだ。
 熱くないのか、ぱくん、と飲み込んでしまった。
「ん、美味い」
「……」
 舌を伸ばして唇を舐め、湿り気を指で拭ったディーノの感想に全員が言葉を失う。彼は神々の一員であるから、神気を取り込むのは力を補う面で必要なことと分かっていても、目の前でやられると、神を崇める気持ちが萎えてしまいそうだった。
 げんなりした顔の獄寺達を他所に、ディーノは満面の笑みを浮かべて腹を撫でている。高笑いする彼に深々と溜息を吐いた山本は、短く刈り揃えた黒髪に右手を埋め、気を取り直すように咳払いを二度繰り返した。
 音に我に返った了平が、さっきから訳が分からないことばかりだと嘯いた。
「先代とは、何のことだ」
 楠が雷で倒れたのは、ずっと昔のことだ。ご神木が代替わりしたと同時に、宿っていた精霊が生まれ変わっていたとしても、それは了平の与り知る事ではない。
 それに、誰もいない筈の神社で笑い声が聞こえたり、物が勝手に浮き上がって動いたりするのはしょっちゅうで、それが神社に住む精霊の仕業だと知っていても、姿が目に見えぬ以上、彼らの中で精霊という存在の認識は非常に甘いと言わざるを得ない。
 不可思議な現象を神が起こした戯れだと認めても、実際にそこに神がいると言われれば首を捻ってしまうが如く。
「この楠の精霊が、さ」
 綱吉も雲雀も知らない、神社の守護者。この場で代替わりする前の姿を知っているのは、数百年の時を漂うディーノだけだ。
 空っぽになった手を緩く握り、人差し指だけを立てて彼は相変わらず少女の腕に縋っている男を指差した。視線が集中して、黒髪の青年がびくっ、と大袈裟に肩を震わせる。怯え切った表情は、ふてぶてしいランボの面影は殆ど見られない。
 俄かには信じ難く、獄寺は口を尖らせて冗談だろう、とディーノの言葉を一蹴した。
 だけれど、あの少女は彼をランボと呼んだ。
 共通点が多すぎて、却って同一人物だと断言するのも憚られるのだが、他の可能性が何一つ浮かんでこない。なにより、あの小さな精霊がいまだ姿を現さないところが、確証を抱かせるに足る大きな要素に挙げられた。
 ただ、難点がひとつ。
「ランボだったら、ヒバリさんは見えないんじゃ」
 雲雀どころか了平にも、京子にも、村人にも精霊は見えない。雲雀の腕の中で話を聞いていた綱吉が遠くから疑問を追加して、自分を抱き締めている男を窺った。
 眉目を顰めた雲雀は何かを言いかけ、唇を開いたところでふいっ、と顔を逸らした。
 何気ない仕草だったが、裏になにかある気がして、綱吉は眉を寄せ、ディーノはやりきれない表情を作って苦笑した。
「だから、こいつも驚いたんだな」
 わざとらしく声を大きくして、大股に道を戻って青年の前に立つ。果敢に彼に立ち向かおうとする少女ごと見詰め、彼は自分の顔を指差して微笑んだ。
 安心していい、と瞳で語りかけるディーノを暫くじっと見返した少女は、数秒の末に瞬きを繰り返し、照れ臭そうに頬を染めた。
 事の始まりは、昨晩の嵐。雷が楠に落ち、その力が倒れた幹の洞に蓄積された。翌朝、何らかの原因――恐らくはランボが、格好の遊び場である洞に何の疑いもなく飛び込んだのだろう――で高密度の神気が爆発し、その衝撃波が沢田家を襲った。強大な力の中心部に居たランボの中でも何らかの変化が起こり、急速に外見が成長を果たした。
 霊的な存在が衆人の前に姿を晒すには、それなりの力が必要とされる。リボーンやディーノくらいになれば自在に制御できるが、いきなり成長したランボには、出来ない。力は漏れっ放しで、それが人々の視覚を刺激して、彼の姿を人前に露にさせていた。
 少女も同様だと言われて、結界をものともしない人の姿を借りた精霊に目をやり、分かったような、分からなかったような顔をして、綱吉は頬を膨らませた。
 百歩譲ってこの青年がランボだとして、ではこの少女は、誰か。
「いや、いるだろ?」
「……まさか、イーピン?」
 軽い調子で聞き返されて、綱吉は疑問符をつけたままその名を呼んだ。
 ぴくり、と少女が反応して彼を見上げる。はっきり言って面影らしいものといえばその服装くらいなものだが、顔の輪郭は確かに、言われてみればその通りかもしれない、と思わせた。
 武術に親しみ、了平と争っても負けないだけの力量を持ち合わせている女性など、世の中にそう沢山いるとは思いたくない。
「おいおい、本当かよ」
 あの卵頭がこんなに可愛らしく育つのかと、獄寺が信じられないと目を丸くして彼女に近付く。
「お前、本当にあのイーピンと、ランボなのか」
 ランボは綱吉によく懐き、いつもじゃれ付いて来て、悪戯が過ぎては獄寺と喧嘩になっていた。幼い精霊が見えない雲雀には、彼が独り相撲しているとしか思えない光景で、笑ってみている山本に説明を求めることもしばしばだった。
 疑いの眼差しを向けられたふたりは、獄寺が自分たちに危害を加えるつもりがないと確かめると、顔を見合わせた末に小さく頷いた。どうやらイーピンも、自分の名前くらいは理解出来るようだ。
 彼らがこうなった道理も、理屈も一応は判明した。だが。
「で、……どうすれば戻るんすか?」
「え?」
 深い意味もなく、ただ思ったから口に出しただけの山本の質問に、まるで考えてもいなかった顔をしてディーノは固まった。
「え?」
 その反応は予想外だった山本までもが、右人差し指を宙に浮かせたまま凍りついた。
「え?」
 それを見ていた獄寺が更に綱吉の方を向いて、ふるふると首を振られてぽかんと口を開いた。
 連鎖反応を起こした彼らを眺め、雲雀が疲れた様子で肩を落とした。
「神気が尽きれば、じき元に戻ると思うよ」
「ああ、そういえばさっき」
 了平と戦い始めたイーピンを見て、雲雀が言っていたのを思い出す。柏手を打った綱吉だったが、ではそれがいつになるのかと改めて問えば、雲雀は即座に視線を逸らした。
 それに、そもそも。
「で。師父って誰ですか」
 この少女が本当にイーピンなら、雲雀を知っているはずだ。それなのに彼を違う誰かと勘違いした。
 自分以外が雲雀に抱きついていた映像を思い出して、またも腸が煮え繰り返り、綱吉は地団太を踏んで牙を剥いた。
 やはりディーノの憶測は誤っている、もっとしっかりとした根拠を示して欲しい。
 思い切り睨みつけられて、臆したディーノがちらりと雲雀を見た。盛大な溜息を吐いて、艶やかな金髪を掻き上げて額を晒す。
「それは、なー。俺も良くは知らないけど、多分、恭弥がフォ――……」
「とうっ」
 ずべしゃ。
 途中まで言葉を吐いたディーノが、次の瞬間には顔面を地面にめり込ませ、尻を突き出した格好で倒れていた。
 軽やかな掛け声に下向いた視線を持ち上げた綱吉の前で、惚けるイーピン、及びランボと思しき二人にリボーンが緑色の撥を振り翳す。
 木漏れ日が燦々と照り、小鳥の囀りが響く長閑な時間がゆっくりと流れる中、ぺしっ、ぺしっ、と乾いた音が更にふたつ、連続して場を引き裂いた。
「ぐっ」
「哇哇!」
 低い男と、可愛らしい女性の悲鳴が同時に沸き起こり、ぽわん、とリボーンが姿を消す時に似た白い煙が撥の先から溢れ出た。
 相も変わらず神出鬼没な黄色い頭巾の赤ん坊が、ふたりを叩いた反動を利用して空中で一回転し、その最中に撥を露と掻き消す。身の丈の倍以上ある落差をものともせず、つま先をそろえた彼が着地した先は、撃沈したディーノの後頭部だった。
 金髪を踏みしめて止めを刺し、感情の読み取りづらい表情でにんまり笑う。
「リボーン!」
 今の今まで姿を見せなかった、この世の中で最も正体不明の存在に、綱吉は叫んだ。
 残る面々も一様に目を丸くし、事の顛末に呆然となる。白い煙が晴れた先にはもう、あの青年と少女の姿がなかったからだ。
「消え……ちゃった」
 奇想天外な出来事の連続に、京子もそろそろ頭がついていかない。掠れた声で呟くと、兄の顔を凝視して、やおら自分の頬を抓った。ちゃんと痛みがあるのを確かめて爪痕残る肌をさすり、目をぱちくりさせてから急に腰を抜かして地面にしゃがみ込んだ。
 へなへなと崩れ落ちた彼女の動揺もさることながら、獄寺や山本にとっても、唐突のリボーンの介入は意外だった。
「う、そだろ」
「うはは……」
 他に言葉が思いつかないふたりの前で、いつもの牛柄模様の着衣で首から下を覆ったランボと、緋色の胴衣に白い下穿きと辮髪のイーピンが、居合わせる人の数に驚きつつ、きょとんとして座っていた。
 五歳児程度の、小さい彼らだった。
「リボーン、ディーノさん死んじゃうって」
「馬鹿言え。これくれーで死ぬわけねーだろ」
 腰に手をやって偉そうに踏ん反り返った彼に、中途半端なところで話を断ち切られた綱吉は怒鳴った。だが大きな黒目ばかりの瞳で睨み、凄まれて、聞きたかった話は諦めざるを得ない状況に追い込まれた。
 救いを求めて雲雀を振り返るが、彼は何度も繰り返し瞬きして、眉間の皺を指で解きほぐすのに必死だった。
「あ……」
 そうだった、と綱吉は当たり前のように見えているランボとイーピンに目を向けて、臍を噛んだ。
「ヒバリさん、見えない?」
「うん」
 其処にいるのに、彼の瞳には精霊の子供達が映らない。竜神としての力を取り戻したに関わらず、雲雀の目だけは、人のそれと何一つ変わらなかった。
 それは退魔師としてやっていくには、致命的な欠陥だった。
 緩慢に頷いた彼に悟られぬよう嘆息しながらも、綱吉は少しだけほっとして、左胸を撫でた。
 雲雀が視得るようになったら、視るしか能が無い綱吉は不要になる。雲雀はひとりで、対魔師としてやっていけるようになるからだ。だからこれまでと同じように、綱吉が視て、雲雀が退治する、という法則は守られた。
 こんな風に考えてはいけないと分かっていても、嬉しい。手を重ね合わせ、変わらないでいる喜びに浸っている彼を横目に見て、リボーンはようやくディーノの上から退いた。ぼこっ、と浅い穴を残し、ディーノが鼻血のような泥水を拭って起き上がる。
 直後、間近にいたランボと目が合って、幼子はぱっちりと目を見開いた後、盛大に噴き出して腹を抱えて笑い出した。
「ぎゃははははは!」
 それはそれは見事な、綱吉も頻繁に耳にする、彼特有の下品な笑い声だった。
 となれば矢張りあの青年がランボなのかと、確か子供が大嫌いだったはずの黒川を思い出して、綱吉はほんの少し憐れみの気持ちを抱いた。
 恋した男が実は精霊で、しかも一時的に外見だけが成長していたとなれば、彼女の落胆はいかばかりか。自分の立場に置き換えてみた綱吉は、イーピン相手に焼餅を焼いた自分が急に恥かしくなった。
「あー、くっそ。リボーン!」
「黙れ」
 人の頭を木魚かなにかかと勘違いしている赤ん坊にディーノは怒鳴ったが、瘤になっていた場所にもう一発貰って、彼はしくしくと涙を零した。
 子供のように泣きじゃくる彼に嘆息し、黄色い頭巾を目深に被り直したリボーンが肩を竦める。
「禁忌に触れるな」
「だって、よ」
「これ以上力を奪われたくなけりゃな」
 他に聞こえぬ小声で諭し、釘を刺して彼は身を引いた。滑らかな布を撫で、すっかり神気も消え失せた場を見回して眉を潜める。
 奇妙な違和感を抱くが、果たしてそれがなにに起因しているものなのか、彼にすら分からない。だがあまり宜しくない気配を敏感に受け止めた彼は、了平が腰を抜かした京子を抱えあげるのを見て、お開きだ、と手を叩いた。
「いってて……」
「大丈夫ですか、ディーノさん」
 里を騒がせていた男の正体は判明した、山本の鼓膜を破った犯人も分かった。
 巻き込まれた黒川や正一には気の毒だが、結果としては本格的な冬がやってくる前の、ちょっとした怪談話だ。野の草を掻き分けて道端の石を飛ばすほどに強いのに、過ぎ去ってしまえばなんて事は無い、まるで野分のような一瞬の嵐だった。
 まだ笑い転げているランボを前に、何度も打たれて腫れあがっている頭を抱えたディーノが呻く。駆け寄った綱吉は軽く膝を折り、彼の背中を撫でてやりながら、喧しい幼子をねめつけて叱った。
 人の不幸を笑うと、今度は自分に降りかかってくるぞ。脅して怖がらせ、二度としないと約束させて、綱吉は畏まって頷いたふたりに目を細めた。
 元の大きさに戻ってくれてよかった。大きいランボもそれなりに格好良かったが、自分的には膝に抱えられるこの寸法が一番愛おしい。手招いてやれば、しゅんとしていた彼らはぱっと表情を花開かせ、諸手を挙げて綱吉の狭い膝に飛び込んできた。
 勢いは凄まじく、受け止めきれずに尻餅をついた綱吉がケタケタと楽しげな声で笑う。それにつられて獄寺や山本も、険しかった表情を緩めた。
「なんだか良く分からんが……まあ、良いか」
 了平も釈然としないながらも、ずっと不機嫌にしていた綱吉が笑っているのに安堵して、背中に負ぶった京子に頷いた。大人イーピンと手合わせできただけでも満足の彼は、騒動は終息したと村人に伝えるべく、神社の長い石段を降りて帰って行った。
 熱を持って痛む瘤を撫で、ディーノがランボを相手にしている綱吉に目を細める。そのまま後ろを振り返り、気難しい顔をしている青年を見出して、肩を竦めた。
 リボーンがランボを苛めて、綱吉がそれを咎め、自分まで殴られたことに腹を立てて握り拳を振り翳す。喧々囂々の大賑わいだが、雲雀にはその光景が半分しか見えない。
 彼は黒く冴えた瞳に手を重ね、視界を覆った。光を遮り、舞い降りた深い闇に首を振る。
 目を閉じても、開いても、幼き精霊の姿は現れない。リボーンが撥を用いて殴り、蓄積されていた神気を追い払ったことで、彼らは本来の姿を取り戻した。
 そして人の――力を持たない雲雀の瞳の前から消え失せた。
「見えないか」
「……」
 雲雀の視点が綱吉の膝元に集中しているのは、傍から見ていても分かる。だけれどどう足掻いても、彼の眼は僅かに歪んだ空間を捉えるだけで、ランボという存在の形を編み上げる事はなかった。
 特に困ったことは、無い。綱吉が傍にいればこれまでは充分事足りた。
 けれど、これから先もそうだとは言い切れない。
「なにかあったとき、どうするんだ」
 ディーノも同じ危惧を抱き、小声で問いかける。言われずとも分かっている雲雀は、若干の苛立ちを滲ませ、彼を睨んだ。
 金髪を揺らし、ディーノが半歩後退する。
「貴方が肩代わりしてくれるなら、いつでも取り返すよ」
「そりゃまた、……きついな」
「出来ないことを気易く言わない方が良い」
 何も知らずに笑っている綱吉をちらりと見て、雲雀は吐き捨てるように言った。
「そうだよ。起きるとは限らない。起きていないことをあれこれ案ずるなんて、僕のやることじゃない」
 綱吉の身に降りかかる災厄は、全て自分が取り除いてみせる。彼の心に傷が残るようなことは、この先永遠にあってはならない。
 たとえ本来の力が失われていようとも、覚醒が不完全なままであろうとも。
 綱吉と共に在れるのであれば、敢えてこのままで居続ける道を選ぶ。
 雲雀は唇を噛み、己の胸に拳を押し当てた。
「…………」
 最早何を言っても無駄と、ディーノは諦めの心境で前髪を掻き毟った。引き千切れた金髪を風に流し、綱吉を後ろから抱き締めた嘗ての親友で、今は義理の息子にあたる存在を複雑な心境で見詰める。
 急に甘えてきた雲雀に綱吉は歓声を上げ、獄寺はべったり張り付く彼を引き剥がそうと躍起になっている。それを山本が少し離れた場所で見守り、楽しげに笑っている。
 いつか見た光景にも通じる、長閑で平和な、一緒にいられることが幸せだった時代が脳裏に蘇る。
 切なさに胸が引き裂かれそうで、思い出したくなくてディーノは目を閉じた。背中を向けた彼を一瞥した雲雀もまた、綱吉の細い肩に額を埋め、目を閉じた。
 視界を塞ぎ、闇に身を委ねる。
 彼が見詰める先に輝くは、目映き七色の光。
 神々しいまでの煌めきを遥か彼方に眺め、彼は。
 己の手が掴み取る体温を見失わぬよう、痛がる綱吉の言葉を無視し、力一杯抱き締めた。

2009/10/18 脱稿