頭上高くをそよぐ風が、両脇に広がる木立を揺らしている。
それは細波が押しては引く音にも似て、心を不安にさせることもあれば、優しく包み込んでくれる時もある。今の綱吉の耳には、後者に響いた。
「ちんたら歩いてないでよ、早く来なさいってば」
「ったく、うっせーんだよ」
最後尾の獄寺は気が進まないのか、歩みは非常に遅い。お陰で先頭の黒川との距離はどんどん開いていくのに、怒鳴られても彼は平然としていた。それどころか反発し、牙を剥いて大声を張り上げた。
喧嘩になりそうな雰囲気を察して、綱吉が割り込んで黒川を宥める。自分が一緒に行くからと背中を押し、振り上げていた腕も下ろさせると、彼女は渋々前に向き直った。
胸元までは墨色で、裾に向かうに連れて色を薄くしていく彼女の長着には、近くから見ないと解らないくらいに細かい意匠が施されていた。愛らしい明るい色を好む京子やハルとは正反対で、地味に見える中に華やかさを隠し持っている。気付く人だけが気付けば良いと、そう考えているのだろう。
綱吉の周囲は男ばかりで、着られればいい、と考えている面々が多い。綱吉も実はそうで、ついつい母親に一任してしまう。そうして何故か、少女趣味な可愛らしい色合いのものばかりが増えていった。
奈々は元々、女の子が欲しかったのだ。しかし家光との間に出来た綱吉は男で、その後故合って引き取る事になった雲雀も男。
そうして幼い当時から男らしかった雲雀と、ひ弱だった綱吉とを並べて見比べた結果、自分の愛息子を飾り立てる楽しみに目覚めてしまった、というわけだ。
お陰で遠目から見れば背も低くて華奢な綱吉は、格好の所為もあって、今でもごく稀に、性別を間違えられることがあった。
今日も山桃色の袷に、薄い白の縞模様。半襟を緑にしてみたのだが、色が濃すぎたのか少し浮いている気がした。
「黒川は、その人に会ったらどうするの」
「決まってるじゃない、うちに婿に来ていただくわ」
小走りになる彼女を追いかけ、ふと沸いた疑問を口にする。途端彼女はぐっと握り拳を作り、決意を込めて叫んだ。
気が早い。まだ一度しか会った事がなく、しかも相手が何処の誰だかも解らないというのに。それに、そもそも相手が彼女を気に入ってくれるかどうか。
「なによ。この私が惚れたのよ」
「凄い自信だね」
己の胸を叩いて宣言した彼女に苦笑し、綱吉は林の切れ目から神社境内へと飛び出した。ぬかるんだ泥の道から、玉砂利が敷き詰められた地面へ。感触の違いに戸惑いながら右手に聳える社殿を見ようとした綱吉は、左から猛烈な勢いで走ってくる人の姿に驚き、仰け反った。
「うぉぉぉぉぉぉー!」
雄叫びを上げ、袖を捲くりあげた法被に股引という出で立ちの青年が、綱吉たちに気付かずにそのまま駆け抜ける。一直線に社殿、否、その右側にある薄暗い空間に飛び込んで、直ぐに姿は見えなくなった。
黒川が見たという人ではなく、綱吉や獄寺も良く知っている人物だった。京子の兄で、名前は笹川了平。
「お兄さん……?」
なにをやっているのかと、立ち止まって彼が去っていった方角に目を向ける。そうしてものの十秒もしないうちに、左側からまたあの雄々しい雄叫びが聞こえて来た。
首を回し、青空に映える赤い鳥居の姿に目を留める。了平はその間から突然現れ、また一直線に境内を駆け抜けて行った。
「なんですか、あれ」
「さあ」
遅れていた獄寺がやっと合流を果たし、南から北に進んでは、何故かまた南から現れるという了平の姿に眉を寄せた。
結界の力が作用して、了平を弾いて道に迷わせているのだ。彼が何十回、何百回と神社裏に広がる結界に飛び込もうとも、必ず鳥居に戻されてしまう。それは幼少期から一切変わっていない法則で、彼も知らないわけではなかろうに。
里の子が面白がって遊びに使うのだが、綱吉には通用しないのでいつも仲間外れにされてしまった。少し切ない記憶も一緒になって蘇り、彼は唇を浅く噛んで長着を握り締めた。
「十代目」
「ん、なんでもない」
哀しげに琥珀を歪めた彼を見下ろし、獄寺が心配そうに名前を呼ぶ。それで我に返った彼は、首を振り、汗水流して必死に走っている了平に手を振った。
「お兄さん」
「おぉぉぉぉー……お、おー、沢田ではないか。どうした」
全力疾走していた了平は、それから二週したところでやっと綱吉たちに気付き、速度を緩めた。それでも行き過ぎてしまい、両足で玉砂利を蹴飛ばして摩擦抵抗から減速し、よろめいて転んだ。深く刻まれた筋は、沢田の庭に残る黒川が作ったものとは段違いだった。
通り過ぎた分を戻って来た了平が、日焼けした肌に汗を滴らせて白い歯を見せた。肩を上下させて呼吸を整えている、いったい彼は何回結界に飛び込んだのだろうか。
汗臭い彼を頭のてっぺんから足の先まで眺め、黒川が呆れたように口を尖らせた。
「どうしたもこうしたも、あんたこそ何やってるのよ」
年上だろうと誰であろうと、強気の口調を崩さない彼女の質問に、了平は腰帯に引っ掛けていた手拭いを取った。顔を拭いながらじっと彼女の顔を見下ろし、そして上向いてなにやら考え始めた。
まさか覚えていないのかと、鳥頭として有名な彼に三人全員が不安を抱く。
たっぷり時間を掛けた後、彼は唐突に「あ!」と叫んだ。
「沢田、沢田! 御主、知っておるか。あの娘を知っておるか!」
そうしていきなり綱吉の肩を掴み、首がもげ落ちそうなくらいにぶんぶん前後に振り回し始めた。
「う、うえ……ええ、うぷ」
了平は雲雀にも負けない腕力の持ち主で、加減を忘れられると、とてもではないが綱吉では太刀打ち出来ない。頭どころか全身を激しく揺さぶられ、上に下に、右に左にと脳みそをかき回された彼は、そうでなくとも先ほどから酷い目に遭ってばかりなのだ。
吐き気が戻って来て、目を渦巻きに回した綱吉が泣きながら両手で口を塞ぐ。
だが一歩、遅かった。
「じゅ、十代目!」
「ちょっと、汚い!」
既に縁側で一度嘔吐しているので、胃の中は空っぽに近かった。それでも残っていた水分が全部排出されて、ぐったりした綱吉は了平から獄寺の腕に居場所を移した。
狼藉働いた了平を睨みつけ、獄寺が懸命に綱吉の背中を撫でる。嫌そうに顔を顰めた黒川も、随分前に自分が放り出した桶を見つけると、それに水を汲み、持って来てくれた。
冷たい水で口を濯いで、人心地ついた綱吉は散々だ、と濡れてしまった袖に肩を落とした。
雲雀に頼まれたから様子を見に来たのに、目的も未だ果たせていない。折角分けてもらった神気まで、全部吐いてしまった。
踏んだり蹴ったりだと心の中で悪態をつき、元凶となった人物を睨みつける。だが了平も、悪い事をしたというのは分かっているようで、申し訳なさそうにしながら頭を垂れた。
「けほっ、は……もう」
寂しそうな顔をされると、自分が悪いような気になってしまう。了平は元気に、明るく笑っているのが一番で、しょんぼりした姿は似合わない。肩を竦め、綱吉は首を振った。
獄寺の手を小突いて放すよう言い、よろけながらも自力で立ち上がる。膝に両手を置いて深呼吸を繰り返せば、鼻腔を擽った霊気が苦痛を幾らか和らげてくれた。
雲雀の封印を解除して、再度結んで、一番変わったのがそこだ。綱吉も、意識すれば自分で命を補うのに必要な霊気を集められる。
だがまだ不慣れで、雲雀に大部分を依存していた。ずっとそうしてきたのだから、これからも続けていきたいという甘えも、当然あった。
「大丈夫ですか」
「うん。それで、お兄さんも、人を探してるんですか?」
「なんだ、沢田もか」
「俺じゃなくて……」
振り回されている最中に聞いた了平の叫びに、綱吉は赤くなっている肩を撫でて黒川を窺った。なかなか調査が進展しないのに苛立ち、彼女の表情はいつになく険しかった。
むすっと唇をへの字に曲げている彼女に苦笑して、綱吉はあるか無いのかも分からないような小さな喉仏を撫でた。二度咳き込み、案ずる獄寺に平気だと手を振って、社殿の裏に通じる木立の影に目をやる。
そちらは先ほどから了平が繰り返し走り込んでは、結界に阻まれて押し戻されてしまっている場所でもあった。
彼が見た方向に全員が揃って顔を向け、黒川が先頭を切って歩きだした。
「お、おい」
迷いもなく玉砂利の境内を突き進む彼女に戸惑い、獄寺が右手を伸ばした。しかし黒髪も美しい彼女には届かず、指は空を切って下に落ちた。
綱吉が慌てて追いかけて、了平ひとりが釈然としない顔で首を捻る。
「沢田」
獄寺まで綱吉についていってしまって、取り残された彼は口を尖らせた。
このまま立ち去る気にもなれず、そもそも黒川が向かっている方角には自分も用がある。もしかしたら自分が知りたい情報の欠片でも手には入るかもしれないと、彼は咳払いして気持ちを切り替えると、それまでの無駄に走っていた時の十分の一の速度で、三人の後ろについた。
なぜ来るのかと獄寺に邪険にされたが構わず、彼を追い越し、この中で最も自分に好意的である綱吉の横に並ぶ。
「誰を捜しておるのだ」
「俺も、よく分かんないんですけど……」
黒川に遠慮して言いにくそうにしながら、声を落とした綱吉が少しだけ彼に身を寄せた。
雲雀に甘えるのとはまた種類が違う接し方に、見ていた獄寺の眉が片方持ち上がる。無条件で了平を信頼して、彼を受け入れている姿からは、幼なじみとして共に過ごした時間の長さが感じられた。
後から里にやってきた、いわば余所者である獄寺は、まだまだ里の掟でも知らないことが多く、頻繁に阻害感を抱かされた。
「ちぇ」
面白くないとそっぽを向き、神社の景観に何気なく視線を走らせる。そして彼はふと、奇妙な感覚に陥った。
鼻先を撫でるかすかな匂い。しかしそれは嗅覚ではなく、魂とも呼べる部分を刺激した。
「……なんだ」
「あれ、え?」
探知能力だけは群を抜いている綱吉も当然気づき、足を止めた。霊力を持ち合わせない黒川はずんずん突き進み、止める暇もなく、倒れた大楠が今も横たわる広場に入っていった。
顔に手をやり、薬指で唇を小突いた綱吉が、困ったように獄寺を振り返った。
「どうした、沢田」
黒川同様にそのまま進もうとしていた了平が、急に歩みを止めた二人に首を捻った。
不安げに周囲を見回している彼らに眉目を顰め、了平もまた頭上に目をやった。左手には荘厳とまではいかないものの、素朴の中に優雅さを秘めたお社が佇んでいる。右手には背の高い木々が鬱蒼と茂り、風を受けて木漏れ日が濡れた地面で踊っていた。
玉砂利の区画は終わり、彼らの足下では焦げ茶色の大地に大小様々水溜まりが点在していた。
鼻を膨らませた了平が、分からないといった顔で姿勢を戻す。両手を腰に据えた彼を正面に見て、綱吉は説明に苦慮して頬を引っかいた。
「ええと」
「霊気がやけにこもってますね」
口を開いた矢先、獄寺が綱吉だけに向かって言葉を吐いた。退魔師というものがあるのは知っていても、それが具体的にどういったものなのかは分かっていない了平が、無視された不快感を露骨に表明し、眉間に皺を寄せた。
どちらを優先させるかで迷い、綱吉が困った様子で視線を泳がせる。雲雀がいてくれたらよかったのに、と屋敷に残った青年を思い浮かべた彼は、最終的に疲れた顔で溜息を吐いた。
獄寺の指摘通り、社殿の裏に近づくにつれて、妙に霊気の密度が上がっていた。禁足地である神域の中枢部にも似た濃さで、感覚が鋭い綱吉には、いっそ気持ちが悪いくらいだ。
霊気は世界中のあらゆるものに宿り、多少の違いはあれど大気中に満ちている。中でも神聖なものの周囲に集い易いという性質があった。
だから並盛山の周囲は霊気の密度が濃い。濃く、より純度が高く澄んだ霊気が、神気だ。
神気が結界から漏れ出す事は稀だ。目を凝らせば、雲雀が補強を済ませた山全体を覆う結界が、日差しを反射してきらきらと虹色に輝いているのが見えた。
とすれば、この神気とも紛うばかりの霊気は、どこからやってきたのだろう。
「あ。ああ、そうだ。雷だ」
「十代目?」
「そうか。此処に落ちたんだ」
ぽん、と手を打った綱吉に怪訝な顔をして、獄寺は晴れ渡る空に視線を投げた。
昨晩、雲雀の腕に抱かれて眠る間際、綱吉はとても近い場所で落雷の気配を感じた。
並盛神社の御神体であった楠は、随分昔に雷に打たれて倒れてしまった。見事にぽっきり折れてはいるものの、根自体は無事で、今現在は新たな命が芽吹き、すくすく成長している。
そういえばランボはどこへ行ったのかと、綱吉が神社に出向けば即座に飛びかかってくる幼い精霊を探した。
此処に居たと分かる気配は残っているものの、姿は見えない。その代わりに、さっきは感じ取れなかった違和感に気づいて、彼は眉を寄せた。
「……なんか、変」
「だめね、いないわ」
胸焼けのようなものを感じて帯の上から腹部をなぞり、つぶやいた綱吉の向こうから、髪を掻き上げて黒川が戻って来た。
視線は常に左右に動き、注意深くあたりを窺っている。凄まじい執念をそこから感じ取り、獄寺が悪態をついて足下に唾を飛ばした。
元々黒川を助けたという男性は、里の方へ走っていったわけだから、そちらを先に探すべきだったかもしれない。無駄足だったかと思索を巡らせた綱吉は、段々むかむかして来た胃袋を宥め、了平を振り返った。
「お兄さん。神社に来る前に、男の人とすれ違いませんでした?」
「男?」
「ああ、そうね。私が来た時に笹川兄はいなかったもの」
黒川が神社に掃除に来た時、了平はまだ山の麓にいたはずだ。どこかですれ違っているかもしれないとの綱吉の推測に、黒川も両手を叩き合わせた。
しかし肝心の了平は怪訝に顔をしかめ、はて、と首を右に倒した。
「俺が神社に来た時には、娘がひとりいただけだったぞ」
「娘?」
「うむ」
そういえば彼は、最初にそんなことを言っていた。
繰り返していた奇行も同時に思い起こされて、まだ理由を聞いていなかったと綱吉が彼を見上げた。すると了平は、なぜか耳まで赤く染めて、恥じらうように鼻の頭を掻きむしった。
「お兄さん。その娘さんって、里の子?」
「いや。しかし、極限に可憐であった!」
綱吉の質問に急に声を大きくし、握り拳を作って勢い勇んで叫ぶ。唐突な彼の変貌に、居合わせた全員が目を丸くした。
一瞬沈黙が落ち、はたと我に返った了平が気まずげに咳払いでごまかそうとする。
綱吉と獄寺は、まるで示し合わせたかのように、了平と似たような事を――多少条件は違うが――言っている人物を振り返った。
黒川は、彼と一緒にされるのは不本意だと言わんばかりの顔をして立っていた。
「でも、じゃあなんでお兄さんは、結界をうろうろしてたの?」
「決まっておろう」
「それが分かんねーから、聞いてんだろうが」
ただ見知らぬ少女を見かけただけなら、あんな真似はしない。いかに了平の頭が悪いといえども、幼い頃から慣れ親しんだ場所にどんな仕掛けが施されているかくらいは、身体が覚えているだろうに。
獄寺の粗雑な問いかけに些か機嫌を損ねながらも、了平は黒川の睨みも受けて、一度は閉じた口を開いた。
社殿裏の結界がある方角を指さし、
「あっちに向かって走って行ったので、追いかけていただけだ」
「……」
了平はやはり了平だったと、前言撤回して、綱吉は右手で額を押さえた。
追いつけるわけがない、結界に阻まれて彼は此処より奥へは入れないのに。
「あ、れ?」
そしてふと、綱吉は疑問を抱いた。
持ち上げていた腕を下ろし、唇を爪で掻いて大真面目な顔をしている了平を見つめる。
「お兄さん」
「なんだ」
「その女の子って、本当にあっちに?」
「ああ。間違いない」
「……天に誓って?」
「誓ってだ」
訝しげな声で重ねて聞いた綱吉に、彼は鷹揚に頷いた。絶対だ、と自信たっぷりに言い放って、眉を顰めている綱吉に小首を傾げる。残るふたりも、似たり寄ったりの反応をしていた。
ひとり綱吉だけが、あまり聡くない頭を懸命に行使して、積みあがる違和感の整理に躍起になっていた。
「待って。じゃあ、なんだろう……誰、それって」
瞳を右に、左に泳がせて、綱吉は無意識に帯に隠れる腹を掻いた。
頭を働かせる一方で、身体の中には熱が蓄積されていく。内臓を圧迫する不快感が思考を邪魔して、彼の額に汗が滲んだ。
「十代目」
「ちょっと待ってよ、おかしい。だってお兄さんは神社で、ひとりだった」
青白い顔の綱吉を心配して獄寺が呼びかけるが、聞こえていないのか彼はしつこく唇と、腹とを掻いた。顔にあった右手は次第に下にずり落ち、喉を押さえ込む。
様子の異様さは、さすがに黒川たちにも伝わった。
「ちょっと、沢田。大丈夫なの?」
「そうだぞ。顔色が悪い」
ふたりほぼ同時に発言するものだから、返答に苦慮して綱吉は落ち着かない様子で小さく笑った。しかしどうにもぎこちない表情に、具合の悪さが如実に現れていた。
「あんたがさっき、派手に揺すったからじゃないの」
「む、う……」
はっきりと答えを出さない綱吉に嘆息し、黒川が矛先を変えて了平を槍玉にあげた。薄々思っていた彼は返す言葉なく押し黙る。獄寺の表情も険しく、ふたりから責められた了平は、彼らしくない態度で小さくなった。
だが綱吉は弱々しく首を振り、獄寺の袖を引いて了平の責任ではないと彼を庇った。
実際、この変調は揺さぶられて酔ったのが原因ではない。
「獄寺君。ヒバリさん呼んで、来て」
「十代目?」
「君も、ここに長く居ちゃ、駄目」
この場所には異常なまでの濃度で神気が溢れている。それは退魔師や異形の者には目に見える形で、霊力を操る術を持たない人には見えぬ形で、じわじわと肉体に、魂にさえ侵食を果たす。
どうにか右手を掲げ、跳ね放題の前髪を指さした彼の言葉に、獄寺は最初意味が分からずに綱吉の額を凝視した。だがそこになにも無いのは明白で、はたと思い直して、彼は己の頭に手をやった。
綱吉が青白い顔で、ふっ、と微笑んだ。
瞬間、奇妙な突起を指に感じた獄寺は悲鳴をあげた。
「んなっ!」
「……ね?」
黒川や了平は、獄寺が人と鬼の合いの子とは知らない。だからこの場で言葉にするのを憚った綱吉の真意を悟り、獄寺は目を白黒させた。
人としての血が濃く出ている獄寺の額に、姉であるビアンキと同じような角が伸び始めていた。
「なんだ、どうした?」
両手で頭を抱え込んで絶句している彼に首を傾げ、了平が身を乗り出す。獄寺はとっさに後ろに跳んで逃げ、そのまま水たまりさえ突っ切って距離を作った。
野袴の裾を泥だらけにした彼に苦笑し、綱吉はついに吐き気を堪えきれなくなって左手で口元を覆った。
「う……」
本格的にこれはまずいと思うのに、自分ではどうにも出来ない。社殿から離れれば済むと分かっていても、朝から何度も嘔吐しているのと、連夜の雲雀との情事の余波で、身体は言うことを聞かなかった。
雲雀の忠告に従っておけばよかったと後悔しても、時既に遅い。
「や、ば」
大量の神気を抱え込んだ身体が、心臓に予想外の負荷をかけている。まるでディーノが初めて並盛神社にやってきた、あの時のように。
神気の流入を止められない――
遅れてもう片手で口を覆い、黒川の前で綱吉が膝を折る。もう駄目だ、と目尻から湧き出た涙が視界を歪ませる。
刹那。
「綱吉!」
鼓膜を切り裂いて脳に直接響いた怒号に、直後、疾風が駆け抜けた。
「きゃっ」
「む!?」
長着の裾を捲られた黒川が甲高い悲鳴をひとつあげ、巻き上げられた埃に視界を塞がれた了平が鋭い声を発する。一歩離れた場所にいた獄寺の目にだけ、事の有様がつぶさに見て取れた。
突然現れた雲雀が綱吉を浚い、この場に沈殿していた大量の神気を弾きとばしたのだ。
ズザザ、と砂利を蹴り飛ばして溝を掘った雲雀が、両足を肩幅以上に広げて深く腰を落とし、両腕に抱えた少年を支え直した。咳き込んだ綱吉が苦しげに眉を寄せ、長着の上から己の胸を掻きむしる。
「ヒ……」