野分 第二夜

 湿った空気が肌を撫で、水の匂いがいつになく鼻腔を擽った。
「うわっ」
 離れの戸を開けて外に出た瞬間、庇に溜まっていた雨水が塊になって一斉に落ちてきた。危うく頭から水浸しになるところで、すんでのところで身体を引っ込めた綱吉だったが、逃げ遅れた右足は見事に泥まみれだ。
 後ろにいた雲雀が、急に倒れてきた彼の肩を支えて前を覗き込む。ぽとり、落ちた雫を襟足に受け止め、彼は晴れ渡る空を仰ぎ、嗚呼、と頷いた。
「大丈夫?」
「平気、です」
 小さな水溜りから足を引き抜き、泥を跳ね飛ばした綱吉が小さな声で返す。幸いにも長着の裾が汚れることはなく、素足に草履だった爪先が濡れた程度で済んだ。
 足首を振って水滴を散らし、一寸ばかり陥没している軒下を飛び越えて、先に立って歩き出す。庇から出ればすぐさま、昨日は終日拝めなかった太陽が現れた。
 雲は多いが、どれも雨を呼ぶ色とは違っていた。風は乾いているので、昼を過ぎる頃には地面を覆う水分も蒸発して消えるだろう。
「あー、やっぱり」
 調子よく水溜りを避けて進んだ綱吉が、先日作り直したばかりの井戸囲いの前に出て悲鳴をあげた。雲雀の目にも、彼の嘆きの理由が映し出されており、やれやれと肩を竦めて嘆息した。
 昨夜の嵐の所為で、修繕したばかりの釣瓶が壊れてしまっていた。雲雀手製の桶は飛ばされてどこかへと姿を消し、滑車だけが寂しそうに揺れている。桶を繋いでいた縄さえ、見える範囲には無かった。
 囲い自体は無事だから、桶と縄を新調してやれば事足りる。しかし先だって大きな火災に見舞われたばかりの並盛は、いつにも増して物資が乏しかった。
 これから冬を迎えるというのに、不安材料ばかりで心が騒ぐ。胸元に握り拳を押し付けた綱吉は、今年の春口よりも水位が下がってしまった井戸を覗き込み、その暗さに首を振った。
 手を伸ばす程度では、とても届かない。これでは顔を洗うのも、汚れた足を洗うのも無理だ。
「湯屋に行く?」
「そうしようかなあ」
 彼がなにを考えているのか、雲雀には手に取るように分かった。綱吉の思考は壁を持たず、雲雀に漏れっ放しだ。ただそれは昔からなので、最早恥かしいと思うことさえなかった。
 提案に頷き、姿勢を戻した綱吉は青年の涼しげな瞳を見上げ、僅かに頬を赤らめた。
 湯屋は、綱吉達が寝起きする離れの裏にある。綱吉と雲雀と、後はたまに奈々が使うだけの、天然の温泉だ。
 沢田家の屋敷は並盛山の中腹にあり、並盛神社と敷地が繋がっている。九十九折の百段を軽く越える石段を登らねば辿り着けない場所であるが、長く山守の任を背負っている為、それもまた致し方ないことだった。
 並盛山は、霊山。その裾野より幾重にも強力な結界が張られ、妖や魔のみならず、中心部は獣さえも寄せ付けない聖域だった。
 人が立ち入れるのは、神社及び沢田家の邸宅がある中腹まで。それより先は限られた、選ばれた血筋の人間だけが、立ち入りを許されている。綱吉はその血筋の、九代目だった。
 現在の当主である家光は八代目、しかしもう五年以上屋敷に帰っていない。その間綱吉は母である奈々と、雲雀と、沢田家の守り主であるリボーンと寝食を共にして来た。
 静かな平凡な日々が終わりを迎えたのは、春が終わりを告げようとしていた頃。蛤蜊家本邸から派遣された獄寺が先ず居候として居つき、夏を前に幼馴染で修行の旅に出ていた山本が帰ってきた。彼は並盛出身で家もあるのだが、父親から勘当を言い渡されているお陰で実家の敷居を跨ぐことが出来ず、結局沢田邸に居座ってしまった。
 更にそこにディーノが加わって、今や毎日がてんやわんやの大騒ぎだ。
 艶を帯びた視線を下から浴びせられた雲雀が、肩を竦めて黒髪を梳きあげた。若干険のある視線を投げ返されて、綱吉が不機嫌に頬を膨らませる。
「駄目」
「ええー」
「働かざる者、食うべからず」
 それでなくとも、昨日から散々身体を酷使しているのだ。これ以上肌を重ね合わせれば、綱吉は今日一日起き上がれない。
 期待されるようなことはしないと公言し、胸を反り返した雲雀に不満顔で非難の声をあげた綱吉だったが、彼の意思は堅固だ。ぴしゃりと言い切られ、しかも額を軽く叩かれて、唇を尖らせて反抗を表明するが、こうなっては雲雀は梃子でも動かない。
「けーち」
 いー、と口を真横に引いて頭を前に突き出した綱吉が、雲雀が何か言う前に踵を返して母屋の方へ駆けて行った。次の年でもう十五になろうというのに、行動の端々が実に幼い。
 いや、少し前まではもうちょっとしっかりしていたのだ。最近、幼児返りが甚だしいだけで。
「僕の所為か」
 雲雀が居なくなっていた数日間、綱吉は孤独に耐えながら過ごさなければならなかった。またあの日に戻りたくないからと、彼は雲雀にべったり甘えてきている。
 好かれて、求められているのが痛いくらいに伝わってきて、悪い気はしないが、周囲の目もある。特に獄寺と山本の冷たい視線は、はっきり言ってかなり鬱陶しい。
 綱吉を独占するなと、特に獄寺は五月蝿くてかなわない。
「暫くは、好きにさせてやるしかないか」
 解決方法は、結局のところあの子が満足するまで傍に居て抱き締めてやるしか無いのだ。襟足を爪で掻いた雲雀は、気持ち良さそうに東の空から照っている太陽を見上げて目を細め、開けっ放しになっている母屋の勝手口に向かった。
「おはよう、恭弥君」
「おはよう御座います」
 土間に顔を出すと、奈々が竃の前に座っていた。重石にしていた丸石を退かせ、白い泡を噴いている釜の蓋を外す。途端、周囲に真っ白い湯気が立ち込めた。
 甘い米の匂いが広まって、待ちきれない成長期の少年らが囲炉裏端で騒いでいる。無論彼らもただ待っているだけではなく、灰に埋めておいた火種を掘り起こして新たな薪に火を灯す作業に勤しんでいた。
 火箸片手に膝立ちだった山本が、雲雀が沓脱ぎから上がりこむのを見て、左に場所を譲った。
 獄寺が持って来た座布団に座った綱吉は、近付く雲雀を暫くじっと見詰めた後、顔を反らしてつーん、と鼻を上向けた。まだ拗ねている彼に嘆息して、何故か喜んでいる獄寺をねめつける。
「はい、朝ごはんよー」
 一瞬険悪な雰囲気が漂うが、それを遮って個別の膳に朝食を並べた奈々が、順々に四人分の食事を揃えて運んで来た。
「有難う御座います」
 山本が立ち上がり、我先に膳を受け取った。五人分揃ったところでリボーンもちゃっかり姿を見せて、即座に綱吉の膝に居場所を定める。正座していた彼は食べ難かろうが、これも毎日の光景なのですっかり慣れてしまっていた。
 雲雀も綱吉も、リボーン同様、本来は食物を口に入れる必要が無い。雲雀は神気を糧にして生きているし、綱吉は彼からおこぼれを預かることで命を繋いでいる。だが奈々ひとりに食事をさせるのは心苦しいと、ふたりとも無駄とも思える食事を、毎日繰り返していた。
「頂きます」
 行儀良く手を合わせ、日々慎ましく食べていけることを感謝して箸を取る。リボーンは食べないので、見ているだけだ。時々興味本位に綱吉を小突き、乞うて甘いものを口に含む程度。
 先だっての騒動で、沢田家の畑も随分と被害を被った。冬を越すには心許なさが募る為、食事の量は夏に比べると、少し量が減っている。
 食べ盛りの居候が二名も居るので、これはかなり逼迫した問題だった。
 里芋の味噌汁を啜り、物足りない分量に山本が僅かに眉目を顰める。これから一日、力仕事に勤しまなければならないのに、これでは昼を前にして空腹で倒れてしまいそうだ。
 もう抓むものが無い箸が宙を泳ぐのを見て、奈々が申し訳なさそうに両手を合わせた。
「ごめんなさいね」
「え? あ、いえ」
「山本、手前、内儀様になんて顔させんだ」
 家光が帰らなくなってから、沢田家の台所事情は年々苦しい。そこに只飯食らいがふたりも増えたのだから、負担は増えるばかりだ。
 自分を棚にあげた獄寺の台詞に、綱吉は苦笑した。
「食べる?」
 この中で最も食が細く、尚且つ食べるのが遅い綱吉の膳には、まだ白米が椀に半分程残されていた。それを取り、囲炉裏を挟んで向かいに座る山本に差し出す。当然獄寺が、こんな失礼な奴に綱吉が恵んでやる必要は無い、と噛み付いた。
 朝から元気だと、騒がしい食事風景に雲雀は肩を落とした。
「ああ、いいって。それはツナのだから」
「でも、俺、こんなに沢山入らないから」
「駄目ですよ、十代目。そうでなくとも十代目は、ちょっと、はい、細すぎるくらいなんですから」
 苦笑いで辞退を表明した山本に尚も突きつけるが、横から獄寺の茶々が入った途端、彼はむっとした。
 細いと言われるのも、小さいと言われるのも、綱吉はあまり好きではなかった。だけれどこの背丈だと、雲雀の腕にすっぽり包まれることが出来る。彼に軽々持ち上げてもらえる。だから雲雀が大きくなれば、その差分を埋めるだけ自分も大きくなれば良いと、漠然と考えていた。
 雲雀に適応した体格が悪いように思われるのが癪で憤慨するが、肝心の雲雀は無関心で、それが余計に綱吉の神経に障った。
「小さくて悪かったね」
「あ、いえ。そういうつもりは」
 黙々と食事を片付ける雲雀をちらりと盗み見て、綱吉は箸を膳に叩き付けた。
 慌てた獄寺が、機嫌を損ねた綱吉に必死に取り繕うとするが、全て後の祭り。良かれと思ってやったことが裏目に出た彼を笑って、山本は一足先にご馳走様、と手を叩き合わせた。
 小気味の良い乾いた音が場に響き、それで綱吉の糾弾も中断した。
「ツナも、早く食べちゃいなさい」
 すかさず奈々が横槍を入れて、母親に言われては逆らえない綱吉は仕方なく置いた箸を持ち上げた。
 続けて雲雀、獄寺が食事を終わらせ、最後は矢張り綱吉だった。
「ちぇ」
 咥内に入れた膾を奥歯で擂り潰し、飲み込む。膝の上にいたリボーンは、退屈だったのか、今は山本の膝に移動していた。
「そういや、昨日の雷、凄かったな」
「ああ。屋根が吹き飛ぶかと思ったぜ」
 食後の白湯を飲み干した山本の言葉に、獄寺がうんうん頷いて同意する。
「そんな柔な造りじゃないよ」
 沢田家の本邸は、実際頑丈に出来ている。あの骸の襲撃でもびくともしなかったのが良い証拠だ。
 雲雀の冷たいひと言に、ものの譬えだと獄寺は唾を飛ばして反論した。ふたりのやり取りを山本が笑って、今度は笑うな、と獄寺が怒りの矛先を替えて叫び、雲雀は嘆息ひとつの末に湯飲みを置いた。
 綱吉は残り少なくなった白米を口に入れ、聞くともなしに彼らの話を聞いていた。
 奈々が片付けに土間へ降り、井戸の修理を頼むべく戸口から雲雀を呼ぶ。
「ああ、俺がやる」
 朝から不機嫌な綱吉を気にして、立ち上がろうとした雲雀を制して山本が彼の肩を叩いた。白い歯を見せて意味ありげに目を細め、素足のまま勝手口から外に出て行ってしまう。
 置き去りにされたリボーンは、綱吉に対してどこまでも過保護な彼らに辟易してか、呆れ顔のまま煙となって消え去った。
 両者の態度に釈然としなくて、雲雀は相変わらずぶすっとしたままの綱吉に目を向け、頬を掻いた。
「綱吉」
 妙な気遣いをされると、変に意識させられるから困る。獄寺は依然、親の仇のように雲雀を睨みつけており、綱吉もそっぽを向いたままだ。呼びかけにも返事せず、咀嚼と嚥下を繰り返している。
 そうしてようやく椀が空になり、人心地ついたと彼が食器を膳に揃えて並べたときだ。
「……?」
 なにか、ビリビリと来るものがあって、雲雀は視線を上向けた。
「うん?」
 綱吉も何かを気取って、小首を傾げて琥珀の瞳を細めた。首を左右に巡らせ、きょとんとしている獄寺を不思議そうに見やる。変な顔をされて、銀髪の青年は唇をへの字に曲げた。
「なんでしょう、十代目」
「いや、うん。なんか、今――う!」
 変な感じがするのだと言おうとして、口を開いた矢先。
「っ!」
 流石に獄寺も、外にいた山本も気付いて、彼らは慌てて両手で耳を塞いだ。音はしない、しかし鼓膜を突き破る勢いで強烈な何か、目に見えない音波めいたものが、近隣一帯に突如吹き荒れた。
 全身の毛が逆立ち、静電気を起こして青白い火花を無数に散らす。咄嗟に霊力の防壁を張り巡らせて身を屈めた雲雀以外、全員対処に遅れてその場で悶絶した。
「いっ、て、え……」
「なに、今、の」
「あら、どうしたの?」
 男三人が急に床に倒れ伏したというのに、土間の甕の前にいた奈々は平然と立っていた。物音に驚いて振り返り、奥歯を噛み締めている息子達に首を傾げる。
 彼女は感じ取れていないのだ。
「雲雀」
「赤ん坊」
 この場に居る中で、奈々ひとりだけが干渉されていない。その意味に雲雀は身を起こし、ぽん、という小さな炸裂音と共に再度姿を現したリボーンに頷いた。
 綱吉と獄寺は聴覚が麻痺しているのか、自分の手を見下ろして後、頭を何度か叩いた。
「暫くすれば治る」
 言葉に出したが聞こえていないのだから意味はなくて、雲雀は伝心に切り替えて綱吉だけに伝えると、安心して良いと言い足し、リボーンを肩に乗せて土間に飛び降りた。勝手口から出ると、井戸の手前で山本がまだ蹲っていた。
 屋敷の壁が多少なりとも防御壁の役目を担っていたのだが、山本は外に居た為に直撃を食らったのだ。身を守る術を持たなかった彼を襲った激痛を思い、大丈夫かと駆け寄って肩をゆすると、彼は青褪めた顔で苦しそうに笑った。
 見れば耳朶が不自然に赤く染まっている。血だ。
「鼓膜が破れたのか」
 なにが起きたのか、さっぱり分からなくて雲雀は慄然とし、左肩に座るリボーンに瞳を向けた。
 少なくとも雲雀より、彼の方が探知能力に優れている。雷の直撃を食らったかのような衝撃の発生原因、最初はディーノかと疑ったが、どうにも違うらしい。
「恭弥君? きゃっ、武君、どうしたの」
 呼んでも全く反応しない実の息子に痺れを切らしたのか、事情を探ろうとして勝手口から顔を出した奈々が、耳から血を流している山本に気付いて悲鳴をあげた。
「赤ん坊」
「神社、だな」
 髪を振り乱して走って来た彼女に山本を任せ、雲雀はリボーンの言葉に顔を顰めた。ならば矢張りあの男が原因か、と脳裏を過ぎった金髪の青年に舌打ちするが、違うぞ、と首を振られて怪訝に右の眉を持ち上げる。
 彼は母屋と離れの間から抜けて、南に面する庭に出た。大小の水溜りが点々と散らばり、そのどれにも太陽が映し出されて、とても眩しかった。
 右腕を掲げて庇代わりにして直射日光を避け、雲雀はリボーンの真意を問うて彼を肩から下ろした。
「どういう事」
「まだ分からねえ。だが、今のは確かに、雷だ」
 それも高密度に凝縮された雷の力が、突然開放されたのだという。
 意味が理解出来ず、雲雀は晴れ渡る空を仰いだ。何処を探しても、リボーンの言うような雷雲は見当たらない。風は穏やかで、湿気を帯びた空気が庭に緑の匂いを充満させている。
 リボーンの弁を疑っているわけではないが、信じることも出来ず、雲雀は困惑に唇を噛み締めた。
「ひばり、さん」
「綱吉、大丈夫なのか」
 動揺は伝心で、綱吉の心にも直接届いてしまう。壁を立てるのをすっかり失念していた彼は、庭に面する座敷に這って現れた綱吉に慌てた。
 山本ほど重傷ではないが、顔色が優れない。彼は土と水の匂いを間近にした途端、気分を悪くして折角食べたばかりのものを軒下に全部吐き出した。酸っぱい臭いに雲雀もたたらを踏んで、汚泥を避けて縁側に上がりこむ。
「つなよし」
 必死の声で名前を呼んで背中を撫でてやると、苦しげに呻いた綱吉が前のめりに咳込んだ。
 ゲホゲホと何度も噎せ、その度に胃液に混じった食物を体の外へと押し流す。痛いのと苦しいのと気持ちが悪いのとで、彼の顔はぐしゃぐしゃだった。
「げは、う……ひ、はっ」
 呂律が回っていない彼を撫でて宥め、雲雀はひとり頑丈な自分を怨みたくなった。
「赤ん坊!」
 庭に立ったまま神社のある方向を見据えている、黄色い頭巾のリボーンに怒鳴りつけ、行き場の無い怒りを発散させる。雲雀に縋る綱吉は、巧く力加減が出来ないようで、握り締められた雲雀の手首は痣になっていた。
 右耳を押さえた獄寺が、綱吉ほどでないにしろ辛そうに、左右にふらつきながら座敷に現れる。強い視線は、なにが起きたのかの説明を求めていたが、雲雀とてまだ確たるものを手にしていない。分からないと首を振ると、彼は苛立たしげに近くの柱を殴った。
 焦燥感が胸を過ぎる。分からないことばかりで、雲雀は臍を噛んだ。
 一頻り吐いた綱吉が、弱々しい動きで汚れた口元を拭った。自分が吐いたものを見下ろして力なく笑い、隣で膝を折っている雲雀に体重を預けて寄りかかる。
「綱吉」
 平気かどうかなど、問うまでもない。憔悴しきっている彼の肩を抱いた雲雀は、先ほどと立ち位置を変えていないリボーンが、首だけを左に、即ち神社のある方向から里の方へ向けているのに気付いて眉を寄せた。
 雲雀の脳裏にも、言い表しようの無い不可思議なものが浮かんで、ふっ、と消えた。
 それはまるで、風に揺らされた蝋燭の炎が潰える様に似ていた。形を掴む前に手の中からするりと逃げられてしまい、雲雀は柳眉を顰めて改めてリボーンに目をやろうとした。
「赤ん坊……」
 ところが、肝心のリボーンの姿までもが、失われていた。雲雀が他所に気をやった一瞬の隙に、またもや雲隠れされてしまった。
 こうなってはもう彼の気配を追いかけるのも叶わない。振り向けば獄寺が座敷を越えて縁側まで来て力尽き、苦々しい顔をして膝を折ってしゃがみ込んだ。肩を上下させて荒い呼吸を繰り返して、額に浮かぶ汗に銀髪を湿らせている。
「いったい、なにが」
 訳が分からないと戸惑いを隠せない雲雀の袖を引き、蹲っていた綱吉が苦心の末に顔をあげた。血の気の引いた肌色を撫でてやると、くすぐったかったようで彼は久しぶりに、余裕が無いままだったが、笑った。
「じ、……じゃ?」
「ああ。神社で何かあったらしいが」
 己の聴覚ではなく、雲雀の伝心から情報を汲み取った綱吉が、掠れる声で呟いた。
 口の中の不快感は消えておらず、言い終えてから唾と一緒に残っていた米粒を吐いた彼の頭を撫で、雲雀がひとつ頷く。
 行ってみるしかあるまい、原因が分からない限り解決方法も見付からない。
 霊力を持ち合わせていない奈々が無傷で、衝撃波にも気付いていなかったことから、これは霊的な現象と見てまず間違いない。退魔師のような、特殊な力を身につけていない限りは、里の人々に被害が及ばないとしても。
 こんなことが今後頻発するようなことになれば、綱吉たちが壊れてしまう。
 想像して嫌な気分になり、雲雀は綱吉の薄茶の髪を梳き、軒下に降りた。吐瀉物を避けて素足のままぬかるんだ地面に降り立ち、ふたりには此処にいるよう手で合図して西に向き直る。
「うん?」
 だが行こうとした方角から砂埃を巻き上げ、神社と屋敷の敷地を繋ぐ細い道を猛然と駆けて来る存在に気付き、彼は出し掛けた足を引っ込めた。