蜜事

「ただいまー」
 玄関を開け、狭くも広くも無い一軒屋の奥に向かって大声を張り上げる。瞬間、彼の声を聞きつけた子供達が一斉に騒ぎ、足音五月蝿く廊下に駆け出して来た。
「ツナ兄、お帰りー」
「おかえりなんだもんねー」
 最年長のフゥ太を筆頭に、ランボとイーピンも後ろに続く。靴を脱いでいたら揃って飛びかかってこられて、流石に受け止め切れなかった綱吉は彼らを庇いつつ、コンクリートに尻餅をついた。
 ガンッ、と尾てい骨から脊髄を通って脳天まで来た衝撃に眩暈がして、目の前に星が散った。痛みは数秒遅れでやって来る。高笑いしているランボを押し退けて起き上がろうとした彼だったが、膝が笑って叶わなかった。
「ツナ兄、大丈夫?」
「いっつ、う……お前ら、もうちょっと加減しろよな」
 幾らなんでも三人がかり来られては、無理だ。苦々しい顔をして尻と腰を撫で、ズキズキ来るのを耐えて呻くと、心配そうに人の顔を覗き込んでいたフゥ太が、だって、と言いにくそうに下を向いた。
 ランボはあっかんべーをして、ちゃんとキャッチできない綱吉が悪いのだとまで言い放った。
「なんだと、こら!」
「あー、悪い。ツナ、多分それ、俺の所為だ」
 生意気な幼子に腹が立ち、拳を作って怒り顔で振り上げた綱吉の前方高い位置から、不意に声が降った。俯いてもじもじしていたフゥ太も、ぱっと表情を花開かせてそちらを振り返る。
 制服の汚れを払い落とした綱吉は、聞き覚えがあるものの、この家の住民ではない青年の声に目を丸くした。
 顎が外れんばかりに驚き、朗らかな笑顔と共に現れた背の高い、金髪の青年に途方に暮れる。
「俺が、そいつらと遊んでやってたから」
「ディーノさん!」
 挨拶で刺青の入った腕を持ち上げ、にこやかに微笑んで玄関まで歩み寄る。一段高い場所にいるとはいえ、上向かなければまともに顔が見えない彼は、久しぶりとの挨拶と共に手を下ろし、綱吉の癖だらけの髪の毛を掻き回した。
 わしゃわしゃと、容赦ない。元から跳ね放題だったものが余計に乱されて、綱吉は若干渋い顔をしながらディーノを上目遣いに見詰めた。
 リボーンの元教え子である彼は、現教え子である綱吉とはいわば兄弟弟子の関係にあった。とはいえそれはあくまで表向きの名目であり、実際は少しだけ毛色が違っているのだけれど。
 イタリアを拠点にしている彼が日本に来るのは、稀だ。しかし暇を見つけては、こうやって遠路遥々会いに来てくれる。忙しいだろうに、無理をして。
「いつ、こっちに?」
 彼が撫でた場所に利き手を遣り、綱吉は問うた。
「ん、今日の昼前にな」
 子供達の手痛い歓迎を叱る気は、もう残っていなかった。確かにディーノなら、本気の子供達を相手にしても微動だにしないだろう。身長もそうだが、体格も腕力も、なにもかも綱吉の遥か上を行く彼は凄いと改めて感心し、綱吉はやっとのことで靴を脱いで鞄を手に、台所へ向かった。
 手洗い、嗽を済ませて空の弁当箱を引き渡すと、交換で奈々からお菓子の詰め合わせを貰った。ジュースとケーキが三つずつ、茶色の丸盆に載せられていた。
「誰の分?」
「ディーノ君、上に行ったから。リボーンちゃんと大事な話があるんですって」
 リビングで子供達の騒ぐ声は続いていたから、てっきりそちらにディーノも混じっていると思っていた。
 奈々に教えられて頷いた綱吉は、弁当分だけ軽くなった鞄を右の脇に挟み、両手で盆を大事に持ってキッチンを出た。滑りやすいフローリングの床を慎重に進み、玄関前で散らかったままの沢山の靴に苦笑して、階段をゆっくり登っていく。
 今上にディーノが来られたら、滑って落ちてくるだろうから危険だ。これまでに何度となく繰り返されてきた彼の失敗を思い出して顔を綻ばせ、最後の一段まで無事登り終えた綱吉は、そのまま真っ直ぐ自室を目指した。
 本来は綱吉だけの部屋だったのだが、彼をマフィアのボスにするという名目でやって来た家庭教師のリボーンが居座ってしまい、今ではすっかりふたり部屋状態だった。あの赤ん坊の見た目をした、実際は極悪非道な存在に用事があるのだとすれば、ディーノも綱吉の部屋にいるはずだ。
 連想を巡らせ、ドアを開けるのに邪魔になる鞄を床へ落とす。跳ね返ったものが爪先に当たって少し痛く、顔を顰めて彼はどうにかドアノブを回した。
 僅かな抵抗をねじ伏せ、扉を開く。出来上がった隙間から風が流れ込んできて、綱吉は目に入った前髪に怯えて首を引っ込めた。
「Con chi?」
 温い空気と一緒に綱吉の頬を撫でた異国の言葉が、嫌に大きく耳に響く。伏した瞼を開いて前を見た綱吉は、彼の登場を受けてぴたりと会話を止めてしまったディーノとリボーンに、顔を顰めた。
 どうしてだか、ムッと来た。わけもなく苛立ちを覚え、彼は部屋中央にあるテーブルを挟んで向き合っているふたりをひとまとめに見下ろし、ずかずかと室内へ足を踏み入れた。
「ノックくらいしろ」
「俺の部屋なのに、なんでノックしなきゃなんないのさ」
 リボーンが低い特徴ある声で叱るが、綱吉はつっけんどんに言い返し、テーブルに叩きつけるかのように持って来た盆を置いた。
 一旦戻り、廊下に落としたままだった鞄を拾って、ドアを閉める。乱暴に扱ったので、音も酷い。バンっ、と綱吉に向かって非難の声をあげた扉に首を竦め、何を怒っているのかとディーノが背筋を伸ばした。
 鞄と脱いだ上着をベッドに放り投げ、綱吉はクローゼットを左右に開いた。
「別に、なんでも」
 返事をする口調も、どこか素っ気無くて棘がある。なんでもないと言っておきながら、とてもそうは思えない態度にディーノとリボーンは互いの顔を見合わせ、揃って苦笑した。
 やれやれと肩を竦めて両手を広げ、運ばれてきたケーキと紅茶に目を遣る。部屋の主である綱吉は制服から室内着に着替えるのを優先させており、ふたりに背中を向けていた。
「ツナは、どれにする?」
「どれでも良いです」
 伸び上がって問うたディーノの質問にも、相変わらず彼は不機嫌なままだ。ぶっきらぼうに言い返し、薄紫のパーカーの袖に慌ただしく腕を通している。
 色落ちも激しいジーンズを穿いてファスナーを引き上げ、首の前に垂れる紐を指で弾き飛ばし、軽く頭を撫でて乱れきった髪を整える。振り返れば、選択権は放棄したはずなのに、ディーノもリボーンも、ケーキには手をつけずに待っていた。
 その無駄に優しい心配りが、またちくりと綱吉の胸を刺した。
「好きなの選んでくださいよ。俺、別に余り物でも」
「そうか。なら俺はこれを貰うぞ」
「良いのか、ツナ」
「うん」
 彼の言葉を受け、遠慮なしに手を伸ばしたリボーンとは違い、ディーノは残されたふたつのケーキを前に戸惑いを表情に出した。
 なにも欲しいものと逆を食べたところで、死にはしない。それに自由に日本を訪ね歩くのが難しいディーノと違い、この町に暮らす綱吉なら、その気になれば今日食べ損ねたケーキも、好きな時に買いにいける。
 譲られたディーノの右隣に腰を下ろし、綱吉は足を伸ばして笑った。
 どうやら機嫌は直ったらしい。明るい表情を作った彼にディーノは肩の力を抜き、ならば、と暫く迷った末にブルーベリーソースの掛かったレアチーズケーキを手に取った。もう片手で、残った方――チョコレートムースのケーキを綱吉の前に置く。
「いただきます」
 両手を合わせて瞑目し、小さくお辞儀をしてから綱吉は銀フォークを利き手に構えた。コトン、と音がして視点をずらせば、穏やかな笑みを浮かべたディーノが、紅茶のカップを彼に押し出しているところだった。
 何から何まで、綱吉を優先させて自分は二の次だ。本来は彼が客であり、綱吉が接待をしなければならないのに、立場が逆になっている。
「いいですよ、自分でやります。それに」
「ん?」
「ディーノさんにやって貰うと、なんか落ち着かないし」
 いつ手を滑らせて落とすか心配で、冷や冷やする。
 見たところ、ディーノは部下を連れて来ていない。どこかから隠れてみている可能性も否定しないが、掬おうとしたケーキを早速皿に落としているところからして、確率は低そうだ。
 四苦八苦している彼を見て忍び笑いを零し、綱吉も甘いムースを口に運んだ。噛み砕くまでもなく、舌で押すと簡単に潰れて、溶けていった。
「ん、美味しい」
「E allora?」
 どこの店で買ったのか、後で聞いておこう。心に留め、二口目を頬張っていた綱吉の耳に、不意に理解出来ない言葉が飛び込んできた。
「Come?」
 顔を上げたのはディーノだ。リボーンの言葉に反応し、恐らくは同国語で返事をする。英語以外の、綱吉が知らない言語で、意味は当然分からない。
「え?」
 突然始まったふたりの会話に、綱吉はついていけずに戸惑った。右と左を交互に見て、飛び交う言葉から知っている単語を懸命に拾おうとするが、難しい。早口だし、そもそも何語で喋っているのかが解らないのだから、当然といえば当然だ。
 三口目を掬い取らず、フォークを突き刺したまま綱吉は渋い顔をした。皿をテーブルに置いて紅茶を啜ると、既に温い。
 独特の苦味を舌に感じ取って眉間に皺を寄せた彼の前方では、会話が盛り上がっているのか、楽しげなディーノの笑い声が高らかに響いた。
 銀食器を引き抜き、隙間に残っていたチョコレートムースを舐め取るが、あまり甘く感じない。最初のひとくちはとても美味しくて、幾らでも食べてしまえると思ったに関わらず、だ。
「……」
 自分の部屋なのにとても居心地が悪くて、肩身が狭い。ヒートアップするディーノが両手を振り回して、それがテーブルの角に当たった。
「うあっ」
 勢い余り、上にあったものが数ミリ浮き上がった。食器が甲高い悲鳴を上げて、ひっくり返りそうになったカップを綱吉が慌てて両手で押さえ込む。
「Cribbio! Chiedo scusa」
 驚いたのは他の二人も同じで、特にディーノなどは心底申し訳なさそうな表情をして綱吉の側へ身を乗り出した。しかし目が合う直前でふいっと顔を背けられてしまい、小首を傾げ、姿勢を戻した。
 綱吉は自分のカップを両手に持つと音を立てて液体を啜り、わざとだと誰が聞いても分かる溜息を零して緩く首を振った。
「あー……ツナ?」
「俺、下行って来る。邪魔みたいだし」
 またしても機嫌を悪化させた彼にディーノが戸惑い、手を伸ばした。それをぴしゃりと言葉で叩き落し、綱吉は嫌味なまでににこやかな笑顔を彼に向けた。
 鼻を鳴らし、リボーンが笑う。だが彼に下手な喧嘩を売ると、こちらが言い包められてしまうのは目に見えているので、しない。
 春の陽気を思わせる笑みを湛え、綱吉は盆に自分が使った分の食器と、食べかけのケーキの皿を移した。それを持って立ち上がろうとして、下から手を伸ばしたディーノが今度こそ彼を止めた。
「ツナ、待てって」
「だって、大事な話なんでしょ?」
 奈々はそう言っていた。わざわざ綱吉の部屋にまで移動して、綱吉の理解出来ない言語を操って、ふたりだけでコソコソ喋っている。
 日本に居るのだから日本語を使え、というのは流石に横暴なので言わないが、似たような気持ちにはなった。聞かれて困る内容だから、綱吉の知らない言葉を用いるというのも、分かる。
 しかしなにも、綱吉の前でやらなくても良いではないか。三人居るのに、ひとりだけ蚊帳の外に捨て置かれるのは、あまり良い気分ではない。それどころか邪魔者扱いされているようで、面白くない。
「だから、どうぞごゆっくり」
「おい、ツナ。どうしたんだよ、急に」
 袖を掴み、引っ張ったディーノが早口で、綱吉がきちんと聞き取れる言葉を使って言った。
 部下を慕い、慕われて、行動力もあり、懐の深い彼であるけれど、肝心のところがいつも、いつも抜けていて、決めきれない。遥か高みにいるようで、実は綱吉とそう変わらない人間臭さに満ち溢れている彼が、綱吉は好きだ。
 だけれどたまに、こういう気付いて欲しいところになかなか気付いてくれない性格が、嫌いだった。
「別に、どうもしませんけど」
「けど、怒ってるだろ」
「別に怒ってませんよ、ディーノさんの考えすぎです」
「そんなわけないだろ。言ってくれねぇと、こっちだって分かんねぇって」
「だったら、もうディーノさんとは口利かない!」
 どうせ言ったところで分かってなどくれないのだ。非常に腹立たしくて、苛々して、綱吉は真剣な眼差しを向ける彼に泣きそうに顔を歪めて怒鳴った。
 肩を掴んでいたディーノの手が、ぴくりと震えた。拘束が緩み、すかさず綱吉は膝を立てて腰を捻った。追い縋る手を振り払い、何も持たずに部屋を出て行く。
 ドアを開けて閉める音で我に返り、ディーノは目を真ん丸にしてリボーンを見た。赤ん坊の癖に人生経験豊富な彼は、ニッと意味深に笑うとすかさず情けない顔の弟子に蹴りを入れ、さっさと追いかけるよう出入り口を指差した。
「ツナ!」
 それで弾かれたように立ち上がり、彼もまた廊下に飛び出した。
 大声で呼ばれ、階段を降りようとしていた綱吉が吃驚した顔で身を仰け反らせる。行かせるわけには行かないと駆け、ディーノは懸命に手を伸ばした。
 あまりの勢いに気圧されて動けずにいる彼まで、あと三歩。これで巧く捕まえられたなら万々歳だったのだが、流石は部下が居ないところのディーノ、といったところか。
「うあっ」
 バナナの皮を踏んだわけでもなし、彼はフローリングの床でいきなり躓いた。
 伸びきった右足が宙を蹴り、後ろへ滑っていく。反して上半身は斜めに傾ぎ、両手は鳥を真似てばたばたと空を掻き乱した。
「げ」
 彼の倒れ行く先にいた綱吉は、あまりにも唐突なことに足が竦み、咄嗟に避けられない。さっきもこんなことがあったぞ、とたかだか十五分ほど前の出来事を走馬灯の如く振り返りながら、迫り来る影に表情を強張らせた。
 頬がヒクリと震え、視界一杯に鮮やかな金髪が光を放つ。
「――いでっ!」
 その一秒後に後頭部を壁に激突させ、綱吉は裏返った悲鳴を上げて眼前に星を散らした。
 遅れて背中、腰に来た衝撃に息が出来ず、続けて両腕で締めあげられて声さえ出ない。肺にまで酸素が行かず、顔を赤くした彼は白く濁った世界で自分を見詰める鳶色の瞳に慄き、背筋を粟立てた。
「ディッ」
「ツナ、悪い。大丈夫か」
 柔らかく温かな、されど小さな存在をクッションにしたお陰で、ディーノに怪我はなかった。ただあと少し左にずれていたら、二人揃って階段を真っ逆さまに転がり落ちていたところだが。
 左手は段差に引っかかり、手首から先がぶらぶらと空中で揺れている。最悪の結果を想像してゾッとして、綱吉は全身に鳥肌を立てて苦虫を噛み潰した顔をした。
 覗きこんでくる青年を押し退けようと右肩を上げる。ディーノも、いつまでも圧し掛かっているわけにはいかず、両腕をつっかえ棒にして身を起こそうとした。
 それを。
「がはっ」
 リボーンが上から踏んだ。
「うぎゃ!」
 巻き込まれてまた床に後頭部を打ち付けた綱吉を、よりによってディーノの頭の上から見下ろし、黄色いおしゃぶりをぶら下げた赤ん坊は不敵な笑みを浮かべた。
 小さな足で、物理的に顔を上げられずにいる青年を蹴る。その度に綱吉の胸元に鼻先を埋めているディーノが身じろぐので、服の上から肌を擦られる綱吉は堪ったものではなかった。
「おい、こら。リボーン、止めろって」
「こいつはな、俺とお前がイタリア語で喋ってるのが気に食わないだけだ」
「ぬあ!」
「話に入って来れねーのが悔しくて、拗ねてんだ」
「リボーン!」
 足蹴にされるあまりにもディーノが不憫で、無体を働く赤ん坊を退かそうとした綱吉だけれど、リボーンが唐突に語りだした内容を耳にして瞬時に顔を真っ赤にさせた。
 薄い胸板に突っ伏していたディーノの手が、ピクリと動く。こんな状態でも声はきちんと聞こえているのだ。
 図星を言い当てられて、綱吉はうろたえた。落ち着きを欠いて視線を左右に泳がせ、どうにか起き上がろうと腕に力をこめる。しかしふたり分の体重を預けられているのだから、そう簡単にはいかなかった。
 歯を食いしばって頑張るが、体力を無駄に消費しただけに終わる。いっぺんに汗が噴出し、ぜいぜいと荒い呼吸を繰り返しているうちに、ちょっとだけ軽くなったと思えば、なんてことはない、リボーンがディーノから飛び降りたのだった。
 それで彼もやっと顔を上げて、綱吉を襲っていた圧迫感は消え失せた。しかしお互い、どうにも気まずくてならず、顔を色々な理由で赤く染めて、揃って下を向いた。
「ツナ」
「あ、いや、これはその……」
「で、こいつの大事な話ってのは、最近のオメーの様子を教えろって五月蝿くてだな」
「リボーン!」
 今度はディーノが声を裏返し、叫ぶ番だった。
 階段の中ほどまで下った赤ん坊が、激高する元教え子を見てにんまりと笑った。なんとかディーノの下から這い出るのに成功した綱吉は、初耳の情報に目を丸くし、したり顔のリボーンから傍らの青年に視線を移し変えた。
 気付いたディーノが、ばつが悪い顔をして目を逸らす。
「いやさ、なんてか、……だって本人前にして、聞けるわけないだろ」
 単に母国語だから喋り易いという理由も、当然ある。しかしなにより綱吉がいるその場で、昨今の彼にまつわるエピソードを聞き、可愛いだの、愛らしいだの、そういう感想を当人に分かるように言うのは憚られた。
 綱吉だって褒められ慣れていないし、恥かしかろう。
 現に今、リボーンに煽られてボソボソ言い訳がましく説明しただけで、彼は耳の先まで真っ赤になって頭から湯気を吐いている。
 ただ表情は、部屋を出て行った時の険しさが薄れ、穏やかになっていた。
「……なんだ。そっか」
 綱吉が怒る必要は何処にも無かったのだ。ディーノは彼なりに気を回してくれていたのだ。
 もっともその気の遣い方が、余計なお世話とも言うべきものであり、誤解を招く元凶となったわけだが。
「ツナ」
「うん。そか。でも、やっぱりな~」
「あのさ、ツナ。さっきの」
 色々と邪推して落ち込んで、腹も立ったが、全部綺麗に吹き飛んでしまった。但し納得しかねる部分は残っており、このまま水に流して許してしまうのも、少々悔しい。
 あれこれ考えていると、返事をしないのを気にしたディーノが床すれすれまで頭を下げて、綱吉の顔を覗き込んできた。
 愁いを帯びた瞳にどきりとして、心臓が高鳴る。
「ディーノさん?」
「さっきの……本気なのか?」
「さっきの?」
 頭をぶつけた衝撃で、怒り以外のものも吹き飛んでしまった。数分前の記憶さえ即座に思い出せず、首を捻った彼を、ディーノは真剣な眼差しで見詰めた。
 息を殺し身構える様は、処刑台に上がる直前の囚人にも似ていた。いったい何をそんなに緊張しているのかと、家に帰ってから今に至るまでの出来事を駆け足で振り返った綱吉は、危うく行き過ぎかけたひと言の元へ駆け足で舞い戻った。
 ちらりとディーノを窺えば、誰に教わったのか廊下に正座して畏まっている。琥珀の視線を受けてビクッと大袈裟なくらいに凝り固まる様は、大柄な彼にとてつもなく似合わなかった。
「口、利いてますよ?」
「え?」
「今日は、許してあげます」
 ほら、と自分を指差した綱吉に、分かっていない彼はきょとんと首を右に傾けた。
 子供じみた仕草を笑って、綱吉が朗々と宣言する。瞬間、ぱあっと表情を花開かせてディーノは膝で床を叩いた。
 抱き締めようと両手を翼のように広げ、距離を詰める。
「ただし」
 大きな掌が肩に触れる――その直前。
 ぴしゃりと鋭い声を発し、綱吉は琥珀色の瞳を意地悪く眇めた。
「明日から口利かない」
「へ?」
 許してあげる、という部分にばかり気を向けていたのだろう、ディーノは変な顔をして一オクターブ高い声を出した。
 右目を閉じ、ウィンクをした綱吉がそんな彼を高らかに笑い飛ばした。
「え。え? ツナ?」
「全部許したわけじゃないですよー、だ」
 あっかんべーをして呵々と喉を鳴らし、動転しているディーノの行く宛てがなくなった手を押し退けて彼は立ち上がった。汚れていないズボンを叩いて埃を払う真似をして、中腰で停止している金髪の青年を追い越す。
 部屋に戻る道順を行き、彼は開けっ放しのドアノブを握った。
「ツナ、待てって。そんなのって」
「許して欲しいですか?」
「当たり前だろ!」
 立ち上がったディーノが、握り拳を胸に押し当てて力強く叫んだ。その潔いまでの主張に綱吉ははにかみ、なら、と半分開けたドアの前で彼を手招いた。
「だったら、全部教えてください」
 さっきリボーンと喋っていた内容、全てを。
「けど」
「聞きたい。聞かせてくれませんか?」
 ケーキだって、まだ半分も食べ終えていない。
 甘みを感じなくなってしまったチョコレートムースも、きっと今なら半端無いくらいに甘く感じられるだろう。
 屈託なく笑った綱吉に、ディーノは数秒間を置き、目尻を下げて苦笑した。
「分かった。けど、覚悟しろよな?」
 リボーンを真似てか、拳銃を構える仕草を取る。
 撃たれた綱吉は心臓に手を当て、小さく舌を出した。

2009/04/27 脱稿
2009/10/10 一部修正