照明は半分以上を消して、足元がなんとか見える状態にまで絞っておいた。
あまり明るすぎるのは、気が削がれてしまう。そもそも気持ちを静める為にまず目を閉じるのだから、最初から暗闇であっても全く問題なかった。
ずっと傍にいること、それがディーノの出した綱吉の修行。最初は戸惑ったけれど、彼が言いたかったのは出来る限り一緒にいて、言葉を介さずとも心を通じ合わせられるようになれと、そういう事なのだと今は理解している。
疲れたのか、匣に戻って大人しくしている相棒に目を遣り、綱吉は寝転がったまま薄暗い天井を仰いだ。
両手両足を投げ出して、大の字に。床は冷たく、固いので、決して寝心地は宜しくなかったが、緩慢な疲れが全身を包み込んでおり、起き上がるのは非常に億劫だった。
死ぬ気の炎を駆使して戦うよりも、よっぽど精神力がいる。心穏やかに、波を立てず、どんな状況下でも平常心を維持するのがこんなにも困難を極めるものなのかと、改めて思い知った次第だ。
「はー……」
肺の底に沈殿していた二酸化炭素を吐き出し、地下を巡回する空気を胸いっぱいに吸い込む。
この装置ひとつ壊れるだけで、アジトにいる綱吉たちの生命は脅かされてしまう。そうならぬよう、二重、三重にセキュリティが敷かれているはずなのだが、スクアーロにあっさりと侵入されてしまったあたり、十年後の綱吉の注意力は今とそう変わっていないのかもしれなかった。
実際、まるで気付かなかった。
「あいてっ」
頭をいきなり蹴られて、骨の継ぎ目から脳に直接響いた震動に悲鳴を上げる。首を亀のように引っ込めた綱吉は、閉じていた瞼に力を込めて視界をより深い闇でふさいだ。
投げ出した右手の先、床に転がった匣が彼の動揺を悟ってカタン、と音を立てる。全く気配を悟らせずに接近を果たした存在は、左手で頭を抱いて涙目を上向けた綱吉に、非常に不満そうな顔を向けていた。
真上から覗き込まれている。もう一発蹴られて、綱吉は今度こそ飛び起きた。
「う、わっ」
「寝てたの?」
「ヒバリさん!」
短い間隔で何度も瞬きを繰り返し、薄ぼんやりとしていた視界をクリアにして綱吉は裏返った声で彼の名を呼んだ。右手を腰に当てて佇む学生服の青年が、いつものように左肩に黄色い鳥を停まらせて、綱吉の真正面に佇んでいた。
またコトン、と綱吉の匣が揺らいだ。
いったいいつ、どうやって此処に入ったのか。そもそもの問題、彼は今の今まで何処に行っていたのだろう。ディーノが見つけた、とは言っていたが。
探しに行きたかったけれど、宣告された次の戦いまで時間はそう残されておらず、逼迫した状況下であるには変わり無い。ひとりで外に出る危険性は十二分に聞かされており、だから京子が出て行ったと知らされた時も、大いに焦ったのだ。
雲雀は強いから平気だろうけれど、彼はまだこの時代の戦い方をよく理解していない。自分の身に何が起こったのかさえ、きちんと説明を受けていないのだ。
放っておいて大丈夫だとは、流石に思わなかった。しかし綱吉自身、自由に身動きが取れない状況にあった。草壁を、そしてディーノを、この時代にいる大人に頼る以外、たった十四歳の子供である彼に出来ることはなかった。
じんじんする頭を撫で、綱吉は不満顔の雲雀を上から下に眺めていった。
入江正一が作り出したタイムマシン――あの丸い大きな装置の前で再会した時の姿、そのままだ。一瞬嫌な想像をしてしまったが、今のところ不快な臭いは彼から感じない。ディーノに捕獲されて、ちゃんとした生活を送っているというのは、嘘では無さそうだ。
ホッとしていたら怪訝な顔をされて、綱吉は苦笑の末に腕を下ろした。
置きっ放しにしていたオレンジ色の匣が、カタカタと落ち着きなく揺れてひっきりなしに音を響かせる。雲雀も流石に気付いており、不審気味にそちらに目を向けた後、綱吉の顔をじっと見詰めた。
「君の?」
「あ、はい」
顎で示され、綱吉は大急ぎで頷いて手を伸ばした。少しもじっとしていない匣を掌で挟み、ボンゴレの紋章が大きく刻まれた面を彼に見せてやる。
雲雀の腰にも、良く似たものがぶら下がっていた。綱吉の匣と同じ紋章が刻まれた紫色をした物と、雲の紋様が刻まれた見覚えのあるものが。
それは十年後の――この時代の雲雀恭弥が使っていた、雲ハリネズミの匣だ。先日の戦闘のどたばたで紛失したと聞かされていたが、入江がしっかり回収してくれていたらしい。
大人になった雲雀はこのハリネズミをとても大事にしていたから、見つかって良かったと綱吉はホッとした。この匣兵器には酷い目に遭わされもしたが、雲雀が綱吉に成長を促すために仕組んだのだと知っているので、恨む気は無い。
「ヒバリさんは、どうして」
「此処にいると聞いたから」
「リボーンにですか?」
「違う」
風紀委員の腕章を身にまとう目の前の彼は、十年後の雲雀が作り上げた風紀財団のアジトを拠点にしていると推測できた。敷地は隣り合わせであり、扉は繋がっている。だが綱吉は訪ねる時間もろくになかったし、行こうとしたら必ずリボーンに見つかって連れ戻された。
直ぐ近くにいるのに、顔を合わせる機会に恵まれなかった。全部終われば好きなだけ一緒に居られるのだからと、そう自分に言い聞かせて逸る気持ちを必死に我慢してきたのに。
よもや雲雀から訪ねてくるとは、想像していなかった。確かに以前から彼は神出鬼没で、綱吉の予想を裏切る行動に出る事がしばしばだったけれど。
首を振った彼を前に、綱吉は眉間に皺を寄せた。リボーンが許可したのでないとすれば、誰が彼に教えたのだろう。リボーンから聞きかじった話、ディーノも雲雀には、修行の妨げになるから綱吉に近付かないよう説得してあるらしいのに。
「うん、言われたね」
「じゃあ……」
「で、君に会いたければ、自分を倒してみせろと言われたから」
綱吉の問いかけに、雲雀は躊躇なく頷いた。ならば彼が此処に居ると知られては不味いのではと、綱吉の顔がサッと青褪める。その顔色がより悪くなったのは、続けられた台詞が彼の想像を軽く飛び越える内容だったためだ。
綱吉に並んで腰を下ろし、立てた膝に黄色い鳥を停まらせた雲雀が、事も無げに言い放った。
「跳ね馬を打ちのめして、白状させた」
両腕を伸ばして欠伸を噛み殺し、自然と浮いた目尻の涙を拭って彼は笑った。その時のことでも思い出しているのか、横顔はどことなく邪悪だ。
強い相手と戦うのが何より楽しみだという雲雀だから、十年後のディーノとのバトルは、とてつもなく面白かったに違いない。巻き込まれなくて良かったと、既に終わった後と知って胸を撫で下ろしながら、ボロボロにされたに違いない兄弟子に少なからず綱吉は同情した。
雲雀を本気にさせようとしたのだろうが、なにもそんな条件で取引をしなくても良いのに。きっと手加減無しで打ちのめされたに筈だ。
十年後の雲雀は鬼のように強かった。つまり今の中学生である雲雀は、あそこまで強くなる可能性を秘めているのだ。
驚き半分、呆れ半分、複雑な表情を作った綱吉を眺め、雲雀は足を崩した。黄色い鳥が慌てて羽根を広げて逃げるが、今は周囲が暗いからかあまり高くは昇らず、直ぐに下降に転じて綱吉の頭に着地した。
微かな重みを首に受け止め、綱吉は小さく舌を出した。
「でも凄いですね。ディーノさん、強かったんじゃ?」
「たいしたことなかったよ」
十年を経て、一段と男らしさを増していた青年を思い出す。部下が居ないとダメダメなのは、相変わらずだったが。
彼だって、何もせず無駄に時を過ごしていたわけではない。綱吉の知らない苦労が多々あっただろうし、その度に腕に磨きをかけて成長していったに違いないのだ。
それをあっさりと打ち破ってしまえるところが、雲雀の恐ろしさでもある。
同時に、とても誇らしい。
「えへへ」
会いに来てくれたのが嬉しくて、綱吉は頬を緩めた。目尻が下がり、自然だらしない顔になる。雲雀は苦笑し、寄りかかって来た綱吉を左肩で受け止めた。
固いものにぶつかる一瞬の衝撃を嫌い、鳥がまた安住の地を探して翼を広げた。風を叩く音が鼓膜を打ち、綱吉は肩から頬に触れる心地よい体温に目を細めた。
こうやって並んで時を過ごすのも、随分と久しぶりだ。一年以上離れて過ごしたような錯覚さえ抱かされる。それくらい、最近の日々はジェットコースターのように駆け足だった。
一日で状況が一変してしまう。気の休まる暇が無い。こんな風にまったりと、二人きりの時を過ごすのは、果たして何ヶ月ぶりだろうか。
人によっては時間の無駄だと言いそうだけれど、綱吉にとってこれ程に幸せな過ごし方は他にない。雲雀もそう感じていてくれれば良いと願いながら、彼は右人差し指に鳥を休ませた青年を窺い見た。
視線を感じ取り、雲雀が即座に綱吉を振り向く。
「なに?」
小首を傾げられるが、咄嗟に何も言葉が思い浮かばなくて、綱吉は頬を赤らめて目線を落とした。
腰に回された彼のベルトに、匣が二つ並んでぶら下がっている。ひとつは十年後の雲雀恭弥が遺し、ひとつは十年後の沢田綱吉が遺したものだ。
手の中でそわそわしている自分の匣を握り締め、彼は下から覗きこむ形で雲雀の顔を見詰めた。
「そういえばヒバリさんの匣って、何が入ってたんですか?」
ディーノをこてんぱに打ちのめしてきた彼だから、きっと開匣に成功しているはずだ。にわかに好奇心が沸き起こり、興味津々に問うた彼だったのだけれど、雲雀は僅かに身を引き、即答を拒んだ。
綱吉の顔と、腰にぶら下げた匣とを交互に見て、黄色い鳥を肩に移し変える。並盛中学の校歌を楽しげに口ずさんでいるが、その主たる青年の表情はまたも不機嫌に歪んでしまった。
そんなに気に障ることだったのだろうか。急に冷たく尖った空気に綱吉は驚き、触れようとしていた手を慌てて引っ込めた。
「や、あの……言いたくないなら、別に」
「教えない」
「どうしてですか」
「言ったら、次は見せろって言うだろ」
「あ、あー」
それは否定できない。
匣から出して、暴れないとも限らない。それに雲雀も、本当は綱吉と本気で戦ってみたいと思っている。
沢田綱吉の活躍は、十年間の出来事も節々に含め、ディーノから嫌になるくらい聞かされた。いかに強く、麗しく成長したかを、うっとりと夢見心地に語られて心が穏やかでいられるわけがない。
歯止めが利かなくなりそうだから、自重している。言外に伝えた雲雀の不貞腐れた姿を数秒間見詰め、綱吉は俯くと同時にプッと噴き出した。
格好つけてはいるけれど、要点を掻い摘めば、単にふたりだけの時間を邪魔されたくないだけではないのか。それこそ雲雀なら絶対、口が裂けても言わないことで、想像を巡らせた綱吉は可笑しくてならず、肩を小刻みに震わせて腹を抱えこんだ。
脇の雲雀が、唐突に声もなく笑い出した綱吉に怪訝な目を向けて、理由が分からないまま苛立ちを募らせた。ムスッと唇を尖らせ、緩く握った拳で小突いて黙らせる。
「あはは、だって」
「そういう君こそ、どうなの」
「なにがです?」
「匣の中身」
叩かれても笑い止まない綱吉に溜息を零し、気持ちを切り替えた雲雀が若干早口に問うた。傾いた姿勢を戻して座りなおした綱吉が、首を捻って雲雀を見る。欠けていた主語を後から付け足され、彼は鷹揚に頷いた。
「内緒」
期待の眼差しを向ける雲雀に舌を出し、茶目っ気たっぷりに言い返して綱吉はまた殴られた。
ごんっ、と今度は良い音が響いて、瘤にはならなかったが相応に痛かった。両手で癖だらけの頭を抱え込み、涙目で睨みつけるが雲雀は鼻を鳴らすだけで終わらせた。
「なんでですか!」
雲雀の真似をしただけなのに、どうして怒るのか。不条理だと叫べば、胸を反り返した雲雀に小粒の鼻を抓まれた。思い切り引っ張られて、顔面が引き攣って千切れてしまう恐怖心に駆られた。
「君が言うと、生意気」
「ひどい!」
横暴だ、理不尽だ。声を荒立てて叫ぶが雲雀は撤回しようとせず、逆に綱吉の鼻を捩じる指先に力をこめた。
本気でもげてしまいそうだと感じ、首を振って彼は懸命に雲雀の手を振り解いた。肘を掴んで押し返し、必死に抗ってなんとか顔を取り戻す。
勢い余って後ろに身体が流れて、後頭部から床に激突したのは少々余計だったが。
「いっ、ちー……」
「なにやってるの」
「誰のせい、だと」
呆れた声で言われて、本気で溢れた涙を拭って彼は赤くなった鼻を撫でさすった。
肩で息をして乱れた呼吸を整えた綱吉を不遜に見下ろし、雲雀は転がり落ちた匣を拾って突き出した。大人しく受け取り、綱吉が唇を尖らせる。
「鼻がなくなったら、どうしてくれるんですか」
「心配しなくても、今以上に不細工になることはないよ」
「うが」
酷い言われようである。そんな風に思っていたのかと、雲雀の秘めたる感情を垣間見て綱吉は絶句した。
あからさまにショックを受けた顔をした彼を笑い飛ばし、雲雀がまだ赤い鼻を小突く。熱を持って頬よりも若干温かいそれを指先で慰め、立てた膝に頬杖をついた彼は前から綱吉を覗きこみ、緩慢に笑った。
痛みが弱まっても、雲雀はしつこく綱吉の鼻を弄り回した。時に押して、爪の型を表皮に残しさえする。
「押しても、何も出ませんよ」
スイッチではあるまいに、口からお茶が出たら吃驚仰天だ。
不貞腐れた声で告げれば、面白かったのか雲雀は肩を揺らした。
「なら、他を押したら出る?」
「む」
いきなりなにを言い出すのか。ワケが分からずに喉の奥で息を押し潰した綱吉の前に、ふっと黒い影が落ちた。
瞬きの時間で迫り、遠ざかっていく。唇に残された微かなぬくもりと衝撃に、琥珀の瞳が大きく見開かれる。呼応して見る間に赤く染まっていく頬がまるで熟した林檎のようで、変化をつぶさに見守った雲雀は愉快だと膝を叩いた。
いいようにからかわれた綱吉が、羞恥もあって頭から湯気を噴いて彼に殴りかかる。しかし子供のじゃれあいの延長線上にある拳など少しも痛くなくて、難なく受け止めて雲雀は呵々と喉を鳴らした。
最後は細い手首をしっかりと左右ともに握り締め、バランスを崩した綱吉を胸に閉じ込める。
黄色い鳥が飛び立ち、羽織っていた学生服を下敷きに寝転がった雲雀が暗がりの中でも明るい蜂蜜色の髪に目を細めた。
梳く手が優しい。
懐かしい。
こうやって他愛もないことで喧嘩をして、直ぐに仲直りをして、怒って、拗ねて、笑って。
毎日繰り返していたことを久しぶりだと感じる日が来るなど、思ってもいなかった。
「見つけた。捕まえた」
「ヒバリさん?」
背中に腕を回し、綱吉を抱き締めた雲雀が目を閉じて囁く。巧く聞き取れなかった綱吉は身を起こそうとしたが、許してもらえなかった。
上から覗き込もうにも、背丈が足りない。膝で床を叩いてずり上がろうとしても、腰を封じ込められているので簡単には動けなかった。
見える範囲だけでは、雲雀の表情が分からない。握り締めた手の中では、四角い匣がカタカタと震え続けていた。
「ヒバリさん」
「君は、十年後の僕に会ったんだっけ?」
黙り込んだ彼に不安になり、綱吉が匣を持った手で彼の肩を叩いた。それが合図になったのか、否か、短い吐息の後に言葉を連ねた雲雀に、綱吉は目を丸くした。
十年後の雲雀と入れ替わる形で、この時代にやってきた中学生の雲雀。両者が顔を合わせる事はなかったが、綱吉は違う。立派に成人し、強さと気高さに磨きがかかった雲雀恭弥に、綱吉は出会った。
黙って頷けば、肌に伝わる動きで理解したらしい。雲雀は手を解き、綱吉の肩を押した。
一緒に起き上がり、座る。広げられた雲雀の足の間で小さくなった綱吉は、何故だかとても悪い事をした気分になって俯いた。
「どんなだった? 十年後の僕は」
「えっ」
彼のつむじを見詰め、雲雀が続けて問う。弾かれたように顔を上げた綱吉は、若干不機嫌な雰囲気を滲ませている顔を間近に見て、吐き出そうとした息を慌てて吸い込んだ。
視線を泳がせ、瞼を半分下ろす。脳裏に浮かび上がった姿は雲雀には当然見えるわけがないのだが、瞬間、彼は露骨にムッとした。
無意識に唇を引っ掻こうとした綱吉の手を奪い取り、引き寄せる。額がぶつかり合って、衝撃に星を散らした綱吉は思い切り睨んでいる雲雀に驚き、怯えた。
「ヒバリさん」
「それは僕じゃないよ」
「は……い?」
「その男は、僕じゃない」
痛いのと怖いのとで、思考が直ぐにまとまらない。語気を荒げて吐き捨てた彼を琥珀の瞳で見詰め返し、綱吉は何度か瞬きをして口を噤んだ。
眉間に皺を寄せて考え込み、苦々しい顔をしている雲雀を窺う。
彼自身も、苛立ちを巧く説明出来ないでいる。長い前髪を掻き上げ、舌打ちを繰り返して最後に肩を落とした。
「跳ね馬が、事ある毎に比較してくるから、腹が立つ」
額を手で覆い隠し、忌々しげに吐き捨てられた彼の言葉に、綱吉はきょとんとした。
ディーノと彼の修行がどのようなものなのかは、何も聞かされていないので分からない。ただミルフィオーレの基地に現れた雲雀は、死ぬ気の炎を出す際にムカつきを起因にしたと聞いているので、そちらを強化する方向に持っていったのかもしれなかった。
想像して少し遣る瀬無さを覚え、冷や汗を流し、綱吉は雲雀の次の言葉を待った。
「……あの男、十年後の君の事を、得意げに話すんだよ。僕が知らない事を喋るのが、よっぽど嬉しかったんじゃないの」
曰く、この時代の綱吉は強かった。立派だった。お前ごときの力では到底足元にも及ばない。身勝手極まりないお前では、綱吉の相手に相応しくない、云々。
聞いていると恥かしくなる台詞を淡々と列挙されて、綱吉は脂汗の量を増やして畏まった。遠くを見据えた雲雀は、思い出して悔しいのか親指の爪を噛んでいる。
「けど、あの人の言ってる君は、君じゃない」
「……?」
「跳ね馬が知っていて、僕が知らない沢田綱吉は、君じゃない」
振り向いて言われ、唾を飛ばされた綱吉は顔の前に手を翳し、指の隙間から怒っているのか、泣いているのか判別がつかない雲雀に首を傾げた。
前にも誰かにそう言われた気がして、記憶の糸を手繰り寄せる。近付いて綱吉の腕を取り、視界を邪魔するものを無理矢理落とさせた雲雀の姿に、精悍な青年の顔が重なった。
「ああ」
ストンと何かが落ちてきて、納得したと綱吉は頷いた。
「……ヒバリさんも、そう言ってた」
「僕?」
「こっちのヒバリさんが。俺は、――違うって」
告げられた時は、存在を否定された気がして哀しかった。けれどそうではないのだと、同じだけれど違う人物に同じ事を言われて、やっと分かった。
綱吉にとっての雲雀は、十年の時を隔てて現れた雲雀恭弥ではなく、同じ速度で歩いてゆける、今目の前にいる人に他ならないから。
ディーノに、同じように言われていたら、綱吉だって苛立ったに違いない。比べるなと。自分はそんな人、知らないのだと。
綱吉にとっての雲雀はひとりきり。雲雀にとっての綱吉も、ひとりだけ。
代わりは居ない。誰も身代わりに出来ない。
だから十年後の雲雀は、十年前から現れた綱吉を拒んだ。彼にとっての綱吉は、同じ時間を歩んで来たたったひとりだけだから。
「そっか」
想われていたのだ。自分の事のように嬉しくなって、綱吉は目を伏してはにかんだ。
ひとり勝手に納得している彼を見下ろし、最初は面白く無さそうにしていた雲雀も、綱吉が浮かべる笑顔につられて表情を緩めた。前に身を乗り出し、痛くないように額を小突き合わせて前髪ごと肌をこすりつけてくる。
押されて、押し返されて、綱吉は声を立てて笑った。
自分も想われている、きっと感じている以上に。
「ヒバリさんは、……俺を探してくれましたか?」
京子を探して日本中を走り回ったという了平を思い出し、何気なく聞いてみる。雲雀は一瞬動きを止め、首を振った。
どうして、と驚きに綱吉が表情を強張らせる。そこへまたコツン、と額に額をぶつけられた。
目を閉じた彼が、静かに告げる。
「探さないよ。そんな事をしなくても、君は絶対に、僕のところに帰って来る。違う?」
正面から目を覗き込んだ彼の言葉に、綱吉は絶句した。瞬きを二度繰り返して、面映い気持ちを堪えて唇を開く。
「……ちがわないです」
寄り掛かった先の温もりは心地よくて、頭を撫でる手は優しくて。
たったそれだけの事で心は満たされる。
泣きたいくらいの幸せを感じて、綱吉は目を閉じた。
2009/07/10 脱稿