盲目

 シュワシュワとヤカンの口から白い湯気が立ち上り、くすんだ金色の蓋部分が怒り顔で軽快なリズムを刻んでいる。
「んー……」
 背後に響く音を無視し、手元をじっと見据えたシャマルは、右手に握ったピンセットの尻でこめかみを掻いた。難しい表情で唇を尖らせ、三本の皺を眉間に深く刻み込む。
 こうだったか、と古い記憶を頼りに、机に置いた白い箱に細かく分類されたものをひとつ摘み取った。それを隣に置いた別の箱に移し、出来上がったスペースにさっきとはまた異なる小箱にあったものを、丁寧な手つきで移動させた。
 しかしどうにも気に入らなかったようで、眉間の皺を深くした彼は、トントンと左手で顎を軽く叩き、小さく呻いた。
「うーん」
 なにかが違っている気がする。小指の先もない大きさのカプセルを試しにひとつピンセットで挟み、微かに覚える違和感に彼は溜息をこぼした。
 白い無機質な、このままでは薬品と間違えて飲み込んでしまいそうな形状をしているその中身は、実際のところ、薬ではない。誤って飲んでしまった場合、急いで吐き出さないと命に関わるものでもある。
 そこに納められているのは、彼が武器として飼っている蚊だ。標的にそうと悟られぬように近づき、鋭い口で体内に病原体を注入する。発症すれば対になる病気で相殺する以外に治療法はなく、それ故に裏社会では彼を敵に回すことを恐れる人も多い。
 もっとも、最近は副業として任された校医の方が忙しい為、殺しの依頼のほとんどを断っていたが。
「あー、くっそう」
 しばらく沈黙して悩んだ彼だったが、もう訳が分からないと最終的に匙を投げ、ピンセットを汚い机に放り出した。自由になった両手で癖だらけの髪の毛を掻き毟り、椅子を軋ませて背もたれに身を預ける。
 後方に置いた円柱形のガスストーブが赤々と熱を発し、上に置いたヤカンからは、相変わらず白い湯気が絶え間なく吐き出されていた。
 よりによって彼は、この大事な商売道具の箱を床に落としてしまった。幸い破損したカプセルはなかったが、弾みで蓋が開いて中身が飛び出し、種類別に区分けしていたものが悲惨なことになってしまった。
 一応自分にだけ分かる違いを持たせてあるとはいえ、見た目はどこにでもある薬剤用のカプセルと大差ない。名前を書いているわけでもないので、ここまで徹底的に混ざってしまうと、見極めるのは至難の業だ。
 いざドクロ病を発病させてやろうとしても、取り出してみたらサクラクラ病でした、となっては格好がつかないではないか。故に懸命に、記憶を掘り返して整理しているのであるが、これがなかなか根気の要る作業で、もう既にやる気が半分以上減退してしまった。
 スペアの蚊はいるので、いっそ此処にあるものは破棄して詰め替え直してやろうか。そんな乱暴な事も考えるが、自分の武器の手入れを疎かにした所為でいざという時に対応できず、命を散らした武将や武人は多い。
 自分がその恥ずべき一員に名前を連ねるのかと思うだけで、ぞっとする。シャマルは面倒くさそうに姿勢を正し、気晴らしに煙草でも吸おうかと皺だらけの白衣を探った。
 ポケットから半分潰れた箱を取り出し、取り出し口の穴に指を差し入れる。同時に視線は机をさまよい、資料に埋もれた灰皿を見つけだした。
「よっと」
 作業中の白いプラスチックケースを脇に退け、開いた空間に灰皿を引き寄せて彼は椅子に座り直した。ぎしぎしと年代を感じさせる軋み音を立て、彼の動きに合わせて椅子の駒が前に、後ろに忙しく動き回った。
 ライターをスーツのポケットから出して、咥えた一本に火を灯す。慣れた手つきで煙を細く吐き出し、向かい側の窓越しに冬の景色をぼんやりと眺めた。
「シャマル、いるー?」
 特になにを考えるでもなく、木枯らしが吹く様を見送った彼の耳に聞こえた声は、のんびりと間延びして、緊張感皆無の少年特有の口調だった。
「んあー?」
「いたいた」
 右手でまだ吸い始めたばかりの煙草を掴んで、やる気のない声を出す。左肘を背もたれに置き、胸を仰け反らせた彼は、逆さまになった視界に予想通りの姿を見つけ、小さく肩を竦めた。
 目が合った相手は何故か少し嬉しそうな顔をしており、姿勢を戻すシャマルが次に何か言う前にさっさと保健室に入って、後ろ手でドアを閉めた。紛れ込んだ冷風が途切れ、しゅわしゅわ言うヤカンの音が妙に際だって耳に響いた。
「あったかー」
 暖房が入り、快適な室温が保たれている保健室と、彼が先ほどまでいた教室、並びに廊下の温度差は激しい。日々厳しさを増していく日本の冬の気候は、南国といっても過言ではない地中海育ちのシャマルにとって、未だ慣れないものだった。
 ベージュ色の制服の上から胸を抱き、両腕をさすった綱吉が思わず口に出した感想に、シャマルは吸い指しの煙草を灰皿に預けて椅子ごと振り返った。
「温もりに来たんなら、帰れ」
 ここは生徒が、用もなく訪ね来て場所ではない。今は先客がいないものの、本来は気分の悪くなった生徒や、怪我をしてしまった生徒が休む為の場所だ。
 仮病の常習犯を前にして、彼が疑わしい目を向けるのは必然だった。もっとも綱吉にとっては、それはあまり有り難くない先入観で、理由ならばある、と盛大に頬を膨らませた。
「ほら、これ」
 ちゃんと怪我をしてきたのだと、それはそれで人としてどうなのかと聞き返したくなる台詞を吐き、綱吉はスラックスの右裾をめくりあげた。
 よく見えなくて、シャマルはわずかに身を乗り出した。綱吉がそれを受け、片側に体重がかからないようびっこを引きながら歩み寄る。
 確かに彼は右足に怪我をしていた。スラックスにも、何かで擦った跡と思しき白い筋状の汚れが見受けられた。
「どーした」
 臑よりも少し高い位置の皮膚が磨耗し、うっすら血が滲んでいる。堅いものにぶつけたと分かる打痕が膝に出来ており、青黒く変色した表皮は見るだけで痛々しい。
 綱吉の細い足は、贅肉どころか必要な筋肉も足りていない枯れ枝に等しい。きちんと食べているのに、栄養として体に巡っていないのではないか。そんな印象さえ抱かせる脆弱で華奢な彼に渋い視線を投げ、シャマルはおずおずと自分を窺っている綱吉から顔を逸らした。
「階段から、その」
「わざとじゃねーな?」
「当たり前だろ!」
 訝しむ彼の言葉に、綱吉は心外だと声を荒らげた。
 怪我をすれば、当然痛い。そんな辛い思いをしてまで、保健室に来るわけがないではないか。
 自惚れるな、と怒鳴られ、シャマルは灰皿から持ち上げた煙草の灰が落ちる様を声もなく見送った。
 頭から湯気を吐いた綱吉が、唖然としているシャマルに気づきもせず、空いている丸椅子に座った。腹立たしさを隠そうともせず、乱暴に足で床を蹴りとばす。
「あ、ああ……そうだな」
 綱吉の指摘に吃驚してしまって、シャマルは若干ぎこちない声で返事をした。手に取った煙草を吸う事もできず、その状態で凍り付いて忙しく目を瞬かせる。
 背中半分を向けて動かない彼に、綱吉もようやく怪訝な顔を向けた。
「シャマル?」
 どうかしたのかと、初めてシャマルを気遣う声を出した綱吉に、彼はあわてて取り繕う形で首を振り、まだ長い煙草を灰皿に押しつけた。先端を潰してくすぶっている赤い炎を消し、中程でくたっと折れ曲がったそれを横向きに倒す。
「いや……なんでもない。しっかし、怪我すんの好きだな、おまえ」
「悪かったな」
 無理矢理自分を取り繕い、本来のペースを作りだそうとわざとらしい大声を出す。途端に綱吉は拗ねた声を出して、椅子の上でそっぽを向いた。
 三重に折り曲げていたスラックスが、布の耐久性に負けて皺を伸ばして下に延び下がる。傷口を覆い隠す布に綱吉は慌てて両手を伸ばし、背中を丸めた。
 生地が擦れると痛いのだろう。苦々しい表情を作る幼い顔立ちを眺め、シャマルは壁に掲げた時計を見上げた。昼休みが終わるのには、まだ十分以上残されていた。
「俺は、男は診ないぞ」
「……知ってるよ」
 その名を天に轟かす女性好きで、男嫌い。女性徒には限りなく優しい言葉をかけるくせに、男子生徒には北極のブリザードよりも冷たい言葉しかかけてくれない男。女尊男卑だと主張しても、それが世の常だとなんだか分からない理屈をこねて全く聞き耳を持ってくれない奴。
 ならば自分が可愛らしく着飾り、お化粧をして、媚びを売る仕草をとれば、振り向いてくれるのだろうか。
 そんなわけがない事くらい、知っている。男として産まれてしまった自分は今更性別変換ができるわけがなくて、綱吉は上目遣いにシャマルを睨み、小さなため息をこぼした。
「いいよ。自分でやる」
 彼が治療してくれないのは、予想の範疇だ。今までもそうだったから、これからもずっとそうなのだろう。
 重苦しく吐き捨てた言葉を床に転がし、綱吉はそれをつま先で蹴り飛ばした。前にコロコロと転がるのを反対の足で踏みつぶし、座った丸椅子の上から身を乗り出して傍らに置かれた収納棚つきのワゴンを引き寄せた。
 四つある駒を動かし、綱吉の斜め前で停止したそれには、消毒薬や脱脂綿、使用済みのそれらを入れるゴミ箱などと、簡単な治療器具が並べられていた。下部の観音開きの扉を開ければ、包帯や三角布、その他細々した品が顔を覗かせる。つまりは、綱吉の足の怪我程度ならばこのワゴンがあれば事足りる。
 以前から頻繁に保健室に通っている綱吉は、どこになにが収納されているか、自分の部屋と同じくらいに熟知していた。たぶんクラスの保険委員などより、よっぽど詳しい。
 だがそうなるくらいに通いつめても、保険委員ですらない綱吉は居場所を与えてもらえない。
 シャマルが新しい煙草に手を伸ばす中で、綱吉はひとり黙々と自分の怪我を治療しようと、ピンセットで引き抜いた脱脂綿に消毒薬をしみこませた。
 首が細いピンセットを右手で高くに掲げたまま、左手でスラックスの弛みを引っ張りあげる。途中でずり下がってこないように、膝の高さまでしっかりと持ち上げて、しつこいくらいに折り畳んで厚みを持たせて骨に引っかかるよう押し込んで。
 改めて露わになった傷口は、さっきよりも赤みを帯びて熱を放っていた。表面上の出血量はひどくないが、反面内出血がひどいようで、周辺に及ぶ青あざの範囲が広がっていた。
 横目でみたシャマルが顔をしかめるが、怪我に意識が集中している綱吉は気づかない。身を屈めて椅子の上で小さくなり、熱いのか、膝を高くして患部に息を吹きかけている。
 今にも泣きそうな表情は見るからに哀れで、彼がわざと転んだのではないかという疑いを、一瞬でも抱いた自分をシャマルは恥じた。
 綱吉は茶色に近い濃い赤になった脱脂綿をおっかなびっくり傷口に近づけ、沁みると分かっているからか恐々触れさせては、一秒と経たずに引き剥がして涙を目尻に滲ませている。吹きかける息の回数は次第に増えていき、そんなことでは何時になっても消毒さえ終わらないと、眺めている側は苛々させられた。
 本人は真剣なのだろうが、手際がなっていない。痛いところに更なる痛みを受けるのを怖がっているようでは、傷は治せない。
「あー、くそう。貸せ」
 自分でやると言っておいて、ちっとも出来ていない。ついに我慢出来なくなったシャマルは、前髪を掻きむしってぶっきらぼうに言い放った。
 反射的に顔を上げた綱吉の表情は、どことなく嬉しげであり、また悔しげだった。
「い、いいよ」
「変な事して悪化して、化膿したらどうする。破傷風はこえーんだぞ」
 脱脂綿を奪おうとするシャマルから肩を引いて逃げるが、耳に馴染みのない単語を告げられて綱吉は一瞬怯んだ。その隙に彼の手が乱暴に綱吉の腕を掴み、自分の方へ来るようにと引っ張る。
 丸椅子には駒などついていなくて、綱吉は上半身だけを斜めに崩し、シャマルの膝に危うく額をぶつけるところだった。
 急激に変化した視界に面食らい、痛い、と現実とは違う悲鳴を口走ってしまう。
「あ。……悪い」
 それを真に受けて、シャマルが慌てて綱吉を解放した。
 呆気にとられたのはむしろ綱吉で、彼から解き放たれた腕をそのままにぽかんとしてから、一瞬の間を挟んで気まずげに下を向いた。腕をおろし、両手で少しだけ場所を変えた丸椅子の座面を握りしめる。
「……」
 お互いに奇妙な遠慮が働いて、普段通りに振る舞えない。綱吉は掴んでいたものが無くなったピンセットを当て所無く揺らし、ふたりの足の間に落ちた赤黒い脱脂綿を見下ろした。
 そこへ滑り込むシャマルの手。抵抗する暇もなく彼に金属製のピンセットが奪われて、新しい脱脂綿が程なくして綱吉の足に落とされた。
「いつっ」
「これくらい我慢しろ。男だろ」
 遠慮なしに消毒薬を塗され、綱吉は両肘を強ばらせて脇を引き締めた。本当は足も引っ込めたかったのだが、あきれ半分に呟かれた彼の言葉が悔しくて、ぐっと堪えて踏みとどまった。
 男で悪かったな、とそんな悪態を心の中で吐き出して、憎々しげに彼を睨む。だがそんな反応はへっちゃらだと言うのか、涼しい顔をしたシャマルはしつこいくらいに綱吉の傷口を脱脂綿で撫で続けた。
 消毒を終えた後は、傷口に合わせたサイズに切ったガーゼに軟膏を塗って押し当て、外れないようにテープで固定する。井の字に張られたテープに皮膚が引っ張られる感覚が不満か、綱吉は終わったぞと言われても小首を傾げ続けた。
 折り曲げていたスラックスを延ばし、身繕いを整えた綱吉が、簡単に礼を言って時計を気にして視線を持ち上げる。
 昼休みが終わるまで、あと五分わずか。用事も片づき、もうここに居座り続ける理由は失われた。
 けれど去り難い思いを抱いている彼の視線に、気づいていながら知らないふりをして、シャマルは火のつかない煙草を手の中で遊ばせた。気まぐれに目を向けた先には、作業途中で放り出したままのケースが。
「ありがと」
 不意に綱吉が、とってつけたようにいい忘れていた礼を告げた。沈黙が破られ、ヤカンが立てる細い湯気の音が耳障りに場に轟いた。
「いや。……仕事だからな」
 校医として雇われている以上、生徒に治療校医を施すのもまた、必然。改まった礼を言われるようなものではないと、形式的な文句を告げたシャマルは、真ん中で折ってしまった煙草を灰皿に捨てた。
 綱吉は一秒ばかり横向いた彼の顔を見上げ、緩慢に頷いて俯いた。
「うん」
 分かっている、そんなことは。
 今綱吉が考えている内容はその態度からバレバレで、シャマルは言葉の選択肢に失敗したと後悔するが、それとて今更だった。
 ひっくり返してしまったものは、戻らない。元通りにしようとしても、どこかで記憶違いが生じて、綺麗に収まらない。こんな風に。
 消毒薬臭い手で隙間の多いケースを小突き、彼は窓の外に目を向けた。
 夏場は青々と茂っていた緑が、今は茶色に染まり、灰色に変わろうとしている。吹く風は冷たく、昼間であってもコートの襟を立てなければならないほどに寒い。
 慣れない冬がやってくる。人肌が恋しくなる季節の到来だ。
 保健室は暖かい。湯気立つヤカンは、さっきからずっとうるさい。
「喉、乾いたな」
「え」
「湯なら、あるんだが」
 空っぽの手を広げ、握ったシャマルが呟き、トライデントモスキートの整理ケースの蓋を閉じた。どうせ今はまともに頭が働かないし、ほかに優先させることが出来てしまった。
 ぱっと顔を輝かせた綱吉が、椅子にしがみついたまま身を乗り出す。そのまま倒れてくるのではないかと思えて、あまりの露骨な反応ぶりにシャマルはつい、笑ってしまった。
「ぬ、う……」
「コーヒー。めいっぱい濃いのな」
「胃、悪くするからダメ」
「んだとー」
 からかわれたのかと、ふてくされた顔をする綱吉に向かって、新しい煙草を抜いてリクエストを送り出す。まだ拗ねているようで、彼はつれないことを言ってそっぽを向いてしまった。
 低い声で唸り、脅しをかけるが通じない。代わりに今度は彼に笑われてしまって、ころころと入れ替わる彼の機嫌に肩を落とした。
 気まぐれで、わがまま放題で、枠に収まろうとしない。こちらが引っかき回していると思いきや、振り回されているのは気がつけばいつだって、自分の方だ。
 その事実を、綱吉は気づいているのだろうか。
「俺のコーヒーは高いよ~?」
 仕方がないな、と嘯いて綱吉が椅子から立ち上がった。まだ痛むのか、片足を庇う歩き方に変化は無かった。
 転ぶかと冷や冷や見守る中、綱吉は案外平然と、コップを取りに保健室片隅の簡易キッチンへ歩いていく。小さな棚の中には、いつの間にか増えた彼専用のマグカップが洗われて、乾かすべく逆さまに置かれてそのままにされていた。
「高いか。そりゃ、味が楽しみだ」
「……インスタントだけどね」
 揚げ足を取って椅子の上で盛大にふんぞり返ったシャマルに、お揃いのカップを左右の手でとった綱吉は舌を出して首を窄めた。
 そんなことは知っていると、保健室の主が偉そうに胸をふんぞり返す。姿勢を戻した綱吉はふて腐れた顔をして、銀のスプーンを右手に構え、左手にコーヒー粉の入った瓶を持った。
 その手さばきには、慣れが滲んでいた。
「アメリカンねー」
「ちょっと待て。ひでーぞ、それ」
「煙草ふた箱に、コーヒーは一日十杯以上だろ。アルコールも飲んでるんだから、そのうち身体壊すよ」
 ひょい、と小さじ一杯の粉をカップに移し変えた綱吉が、後ろからの非難も意に介さずに瓶の蓋を閉めた。
 自分のカップにはココアをたっぷり、大さじ三杯。
 振り向けば大人気ない顔をして、シャマルが頬杖をついている。
「シャマル」
 熱湯を注いで軽くかき混ぜて戻り、カップを差し出す。ちょうど頭上のスピーカーからは午後の始業を知らせるチャイムが鳴り響いた。
 綱吉は顔を持ち上げると、そろり彼を窺って両手でマグカップを抱いた。湯気をゆらゆら漂わせるココアに息を吹きかけて、まだ熱いそれをわずかに口に含む。
「お前さ」
「ん?」
 本鈴が鳴る前に教室に戻れ。そう言われるかと身構えた綱吉だったが、舌の火傷を誤魔化して瞳を持ち上げた先のシャマルは、予想外に優しい顔をしていた。
「自惚れていいぞ」
「はい?」
 相当重傷な自分を揶揄したシャマルに、綱吉は意味が分からないと首を傾げた。

2009/01/12 脱稿