精霊火 第二夜(第四幕)

「了平、無事だったか」
「ああ。お前達も……む、何か踏んだぞ」
 遠くで燃え盛る炎を背景にし、濃い影を負ぶった了平が出した右足を持ち上げた。
 雲雀に腹を殴られた上、了平に顔面を思い切り踏み潰された持田が、ぐえ、と呻いて気絶したままもう一度気を失う。前歯が何本か折れたかもしれない、鼻血が頬を伝って地面に染み込んで行った。
 数秒かかって転がっているのが誰かを悟った了平が、聞こえていないと承知の上ですまん、と三度繰り返した。背負っている荷物を落とさぬように頻りに体を揺らして、腰の曲がった老人のように不自然なほど前屈みになっている。
 よく見えなくて目を凝らした綱吉は、彼が担いでいるのが、矢張り気を失った人間だという事に気付いて息を呑んだ。
「京子ちゃん、ハル!」
 硬く目を閉じ、ぐったりしているが呼吸は安定していて、了平も駆け寄った綱吉に大事無いと微笑む。そう大柄ではない彼には、たとえ年下の少女とはいえふたり同時に背負うのは大変そうだった。
「なにがあったの」
「それが、俺にも良く分からん。いきなり皆が襲い掛かってきて、ふたりを引っ張りだすだけで精一杯でな」
 注意してみれば、了平の顔や身体のあちこちに引っ掻き傷や打撲の跡が見受けられた。
 着ていた法被は広場で脱ぎ捨てたのか上半身は裸で、腰に巻いたさらしにも焦げ跡がついている。左腕には歯型がくっきりと残って赤黒く鬱血しており、本人は平然としているものの、彼の見た目は非常に痛々しかった。
 綱吉が顔を顰め、自分の事のように苦悶を表情に出す。触れるのは逆に痛かろうと出した手を慌てて引っ込め、了平が語った状況に唇を噛んだ。
 後ろから近付いた雲雀がその肩を抱き寄せる。
「その子たちは」
「目が覚めたら謝らんといかんな。女に手をあげるのは本意ではなかったんだが」
 静かな雲雀の問いかけに、了平は言葉を濁して言い辛そうに肩を竦めた。
 どうやら彼は、暴れる京子とハルを大人しくさせる為に、ふたりを力技でねじ伏せたらしい。無論加減はしただろうが、自分の妹に手を挙げなければならなかったことを思うと、彼の心痛はいかばかりか。
 首が動く限りで後ろを向き、了平が苦笑する。目覚めた時に正常に戻っていればいい、出来れば広場で起きた惨状も覚えていないで欲しい。
 優しい目つきにそう感じ取り、雲雀は意気消沈する綱吉の肩を軽く叩いて頷いた。
 骸がどんな術を使ったかは分からないが、大抵の場合、術者が倒れれば効果は切れる。無論それ以外にも、祓えば除く事は可能だし、精神力が強い人間ならば、己の行動と理念との矛盾に気づき、自ら術を打ち破ることだって出来るだろう。
 当然、術者の生死に関わらず永続する呪いもある。だが即席に設けられた場で、あれだけの人間を相手に短時間で術を組み立てたのであれば、その可能性は低いとみていい。
 骸の狙いは、混乱だ。本当の自分の目的を隠すために、無関係の人々を大勢巻き込んで。
 姑息で、卑怯な、憎むべき。
 あの子の心の一角を、最後まで後悔で埋め続けた――
「雲雀」
 歯軋りして憎悪に心を焦がしかけていた雲雀を、そうと知らぬまま了平が呼び戻す。
「……ああ」
「俺は一旦屋敷へ戻る、ふたりを避難させんといかんしな。火事の延焼も気に掛かる」
 背後、南東方面の赤い大地を振り返って了平が焦りを滲ませ言った。
 このままでは収穫前の田が全滅してしまう。そうなると、冬を越えられない家が必ず出てくる。
 幸いにも水は村中を走る水路にたっぷりとあるし、そこである程度は炎も食い止められるはずだ。気がかりは乾燥した空気で、火の粉が散るだけで枯葉に燃え移って勢いを強めているだけに、一刻も早く消火活動を開始する必要があった。
 村人に事の次第を伝え、行動に出る。了平が言いたい内容を理解し、雲雀は綱吉を自分の側へ引き寄せた。
 後ろによろめき、肩から雲雀の胸にぶつかった綱吉が顔を上げた。
「すまんな」
「綱吉、行くよ」
「え、何処へ」
「家か、神社に。あそこにまで火は来ない」
 綱吉を安全な場所に隔離した後、直ぐに戻る。言葉を介さずに了平と意思を確認しあった雲雀は、綱吉を急かして背中を押し、早口にまくし立てた。
 了平が重そうにふたりを担ぎ、歩き出す。念の為持田が意識を取り戻さないかと軽く脇を蹴ってみたが反応はなく、転がしたままなのは気が引けたがもう運べないので彼らは後回しだ。
 炎は里の南側を回り、西へ広がろうとしていた。此処に到達するのは当分先と予測し、今しばらくは大丈夫と判断して彼らは別れた。
 綱吉の手を取り、雲雀は北に進路を取る。だが綱吉は両脚で踏ん張り、彼に抵抗した。
「待って、ヒバリさん。山本と獄寺君、あとフゥ太も!」
「後で探しに行く。今は君が先」
「けどっ」
 もしかしたら今も広場に残り、炎に巻かれているかもしれない。想像するのも恐ろしく、綱吉は総毛立った体を抱いて雲雀に食って掛かった。
 とはいえ、雲雀が許すわけがない。彼は綱吉の左肘を掴むと、引きずってでも連れて行く勢いで力を込めた。
「ヒバリさん、痛いっ」
「君を逃がす。彼らなら大丈夫だから」
 保証はないがそう口走って、雲雀は綱吉の些細な抵抗を封じ込めて足を踏み出した。
 暗がりの中、獣が吼える。
「――っ」
 ゾッとする寒気に見舞われ、直後雲雀は綱吉を草むらへ突き飛ばした。
「うぎゃ!」
 見事すっ転んだ綱吉がでんぐり返りの要領で足を頭に載せた状態で天を仰ぎ、雲雀は後方へ跳んで地面に突き刺さった鈍い輝きを放つ刃に臍を噛んだ。
 休む暇もなく、遠くから狙い澄ました刃が再度彼を襲う。柄を持たぬ鋭利な凶器を袖から引き抜いた拐で弾き返し、雲雀は闇の一点を睨みつけて同じ事を飽きもせず繰り返す相手を探し視線を走らせた。
 何かが高速で周囲を移動する気配も感じる。迫る殺気はひとつではない。
「くっ」
 悪態をつき、雲雀は右腕に構えた拐に意識を集約させた。形振り構っている余裕は無い、妖以外に使うのを禁じられてはいるが身を守る為には致し方なく、大目に見て貰えるのを期待して、彼はぐっと腹に力を込めた。
 ヴゥゥ……と目に見えぬ程の高速で震動を開始した拐の先端が、ほんのり淡い蒼の光を放つ。闇の中にあって目立つそれは凝縮された彼の霊気であり、弾けた瞬間に周囲を襲う衝撃は了平の繰り出す拳の比ではない。
 気を緩めればこの場で砕けかねない。慎重に標的を選び出し首筋に汗を流した雲雀は、故にその姿勢から即座に動くことが出来なかった。
「く――この!」
 拐を振り抜き、空を薙ぐ。寸前、横から飛び出して来た黒い巨大な影に体当たりを食らわされ、雲雀の上半身が大きく右に傾いだ。
「ヒバリさん!」
 起き上がった綱吉が頭を低くしたまま叫ぶ。雲雀にぶつかって行った物体が彼の鼻先で着地し、もうひとつ跳んで距離を置いた。
 雲雀の前方、綱吉にとっての後方では閃光が炸裂し、橡が巻き込まれて太い枝が砕け散った。爆風が立ち上り、綱吉の髪の毛を煽って揺らす。勢いに乗って飛んできた小石が幾つも体に当たって、綱吉は頭を抱えて再度草むらにしゃがみ込んだ。
 狙いが反れた上に寸前で逃げられたのが分かり、雲雀が悔しげに四足の獣を睨み下ろした。いや、それは獣などではない。獣に似た風貌ではあるが、紛れも無く人のかたちをしていた。
 城島犬という名を雲雀たちは知る由も無いが、煌々と目を輝かせて鋭い牙に唾液を滴らせている相手は、明らかな敵意を放って雲雀を牽制していた。
 姿だけは、覚えがあった。綱吉も驚きを隠さず、間抜けな顔をして犬を凝視する。
「旅芸人の」
 一座の舞台で面白おかしく動物の物真似をしていた、あの青年が、何故。
 状況が飲み込めずに唖然とする綱吉を無視し、犬は呵々と高らかに笑って滴る涎を丸めた手の甲で拭った。
「見つけたびょん、俺の手柄だ!」
「まだ倒してないよ」
 興奮しているのか、その場で勢い良く飛び跳ねた犬に、冷え冷えとした声で千種が突っ込みを入れる。暗がりから現れた眼鏡の青年に雲雀は隙なく構え、さりげなさを装って綱吉の傍へにじり寄った。
 千種の指の間には合計三本、地面に突き刺さったのと同じ刃が握られていた。
 舞台の上から、遠く離れた小さな的を正確に射抜き、落としてみせた彼の技が脳裏に蘇る。嫌な方向に空気が流れており、雲雀は生温い唾を飲んで綱吉を庇い、前に立った。
 立ち上がるように足で蹴る仕草をして促し、注意深く現れたふたり組みを観察する。けれどにやにやといやらしい笑みを浮かべている犬と、まるで表情を変えない千種は、揃って雲雀を無視し、その背後に控える綱吉を値踏みするように見詰めていた。
 千切れた葉っぱを頭に載せ、綱吉が苦心しつつどうにか起き上がるのを待つ。ぴったり寄り添って雲雀の背中に隠れた彼を笑い、犬は人としては長めの部類に入る舌を垂らした。
 嘲るように笑い、目を白黒させる。
「ちっせー奴だな。骨と皮ばっかりで不味そう」
「ひっ」
 ぎらりと輝く目に射竦められ、綱吉は上擦った声を零して全身を強張らせた。
 人でありながら野生の獣の空気を漂わせる犬に萎縮し、綱吉が益々縮こまって雲雀の背中にしがみつく。だがどうにも気になるらしく、怯えながらもちらちらと顔を覗かせては、目の前に立ちふさがるふたりを交互に観察していた。
 そわそわ落ち着かない綱吉を後ろに置いて、雲雀もまた隙を見せぬよう警戒しつつ、犬と千種を剣呑な目つきで見据えた。
「邪魔だよ、君たち」
 骸と共に在り、舞台でのひと悶着の際にはあの男を守る形で雲雀の行動を邪魔した男達だ。追いかけてくるのは予想の範疇で、雲雀は棘のある言葉を吐き、闇の中でもはっきりと存在を主張する青銀の拐を顔の前で横に構えた。
 左腕は引き気味に、先端を後ろ向けて。腰を若干低めに落とし、その所為で綱吉の頭が彼からはみ出た。目の前が急に開けた綱吉は、慌てて膝を折って屈んだ。
「綱吉、走れる?」
「え? あ、はい。平気」
 転んで擦りむいて、他にも草に引っかかれた傷があちこちに出来てはいるが、動くのに特に支障を来たしはしないだろう。草履の鼻緒ずれが一番痛くて、親指の付け根は皮膚が剥けて赤くなっていた。
 昨日から足ばかり怪我をしている。素足で石段を駆け下りたときの事を思い出し、綱吉は同時に浮かんだ金髪の青年の姿を、首を振って追い出した。
 息を潜め、雲雀は意識を研ぎ澄ます。沢田の家に戻る道は幾つかあるが、今目の前にいる犬たちが立ちはだかっている北東の道が最短経路だった。
 周囲に障害物は無いお陰で見晴らしは良く、何処かで水車が回る重い音が断続的に続いている。雲雀によって枝の半分が吹き飛んだ橡が、若干恨めしげに影を伸ばしており、南から迫る炎のうねりもまた遠く、微かに、熱を伴って二人を追い立てた。
 村の中央からは距離があるので、人々の騒ぐ声は聞こえない。赤く地表を舐める炎の異様さばかりが際立って、この常軌を逸した出来事が実は全部夢の中の出来事に思えてならなかった。
 祭りは何事もなく終わっていて、今の自分は布団に包まれている。朝が来て目が覚めたら、なんの変哲も無い日常に戻っている、と。
 そんな馬鹿なことを考えてしまう。
 けれど足を刺す痛みは本物で、綱吉を見舞った惨劇もまた偽らざる事実。鬼気迫る表情で男達を睨み、雲雀は綱吉を庇ったままじわり、後退した。
 押される形で綱吉も下がり、彼の背中に手を添える。隆起している背骨の形を指先でなぞり、言い知れぬ緊張を彼から感じ取って綱吉は下唇を噛んだ。
 何故、こんなことに。
「殺して良いの、どっちだったびょん?」
 目まぐるしく駆け回る疑問に答を出せず、堂々巡りを展開していた綱吉の思考を引き裂く声が響き、彼は自分で吐いた息を呑みこんだ。
 見開かれた琥珀が犬を映し出す。彼は雲雀ごと綱吉を指差して、隣に並ぶ千種に顔を向けていた。
「大きい方。小さいのは、連れて行く」
 鼻に架けた眼鏡を押し上げ、千種が鋭く尖った視線を綱吉に投げた。目が合って震え上がり、再び屈んで雲雀の背中に自身を隠す。ぎゅっと彼の長着を握り締めて引っ張った彼の動揺ぶりに、雲雀は拐を握る手に力を込めた。
 あのふたりを駆逐して、綱吉を並盛山の結界の中へ連れて行く。そこが間違いなく、この里で、綱吉にとって最も安全な場所の筈だ。
 リボーンも恐らく其処にいる。彼に頼るのは癪だが、背に腹はかえられない。
 素早く策を組み立て、様々に予想を立てて行く雲雀だが、どうしても守るべき綱吉の存在が足枷になってしまう。ひとり相手ならばまだなんとかなるだろうが、ふたりを同時に相手にして、尚且つ綱吉を奪われぬよう守り抜くのは至難の業と言えた。了平を行かせたのは失敗だったか、けれど彼にだって他を差し置いてでも守らなければならない存在がいる。
 了平に背負われた少女ふたりを思い出し、雲雀は奥歯をぎりりと鳴らした。
「おっきい方……あっちは潰し甲斐ありそうだびょん」
 楽しみだと嘯き、犬が千種から雲雀へ顔を向け直す。瞬間、彼から放たれた殺気に空気がうねり、咄嗟に肘を引いた雲雀の前から金髪の青年の姿が消えた。
 ジャッ、と土を巻き上げて、切っ先鋭い牙を剥いた獅子頭が雲雀の足元から伸び上がる。
 綱吉の目には全く映らなかった犬の高速移動を、けれど雲雀は正確に把握し、左の拐を突上げて真下へ一気に振り落とした。
「この――っ」
 宙に放った時と同じく、ただ少しばかり弱めに霊気を纏わせて強化した拐で、犬の右こめかみを殴打する。しかし彼は構う事無く左腕を繰り出し、鋭利に研いだ爪を武器として雲雀の眼を狙った。
「浅い」
 手応えは薄く、雲雀は身を捩って避けて反動を利用し右腕を横へ薙いだ。地を蹴った犬が大仰に上半身を仰け反らせて空中で一回転する。巻き込まれた土が飛び散って、目潰し代わりに雲雀を襲った。
 左の視力を封じられ、雲雀の身体が僅かに右へ傾いだ。憎々しげに舌打ちし、咄嗟に手で拭おうと動く。
「ヒバリさんっ」
 綱吉が後ろで悲鳴をあげて、振り向けば行方を見失っていた千種が接近していた。綱吉の腕を捉えようとして手を伸ばし、なるものかと綱吉も必死にもがいて抵抗するが、取っ組み合いの喧嘩などまるでした事が無い彼では太刀打ち出来るわけもなく。
「伏せていろ!」
 怒号を上げて雲雀は跳び、声を聞くや否や転がるようにしゃがみ込んだ綱吉の真上で利き腕の拐を振り抜いた。その場に沈殿していた空気を切り裂き、千種の髪の毛を数本巻き添えにして雲雀は立て続けに左足を蹴り上げた。
 拐の一撃は両腕で顔を庇い、後方へ自ら跳んで躱した千種だが、蹴りまでは対応できなくて横っ面を抉られて左肩から地面に沈んだ。畦に溝を作って停止し、雲雀たちを挟んで反対側に立つ犬がそれを笑う。
「柿ピー、だっらしねーでやんの」
 仲間であるはずなのに相手を嘲る物言いに雲雀は眉間の皺を深め、取り戻した綱吉の肩を抱き寄せて彼を落ち着かせた。呼吸を乱した綱吉は震える手で雲雀の腰帯を握り、声も無く恐怖に耐えている。
 戦えない彼は、どう考えても足手まといだった。
 だが、だからといってどうする。易々と奪われるのを待つなんて、認められるわけがない。
 せめて綱吉が、自分の身だけでも自力で守れたなら。
「…………」
 肩で息をして、雲雀は浮かびかけた思考を途中で無理矢理に水底へ沈めた。
 その選択肢も、ありえない。少なくとも今は、まだ、選び取れる結末ではない。
 雲雀の腕に額を押し当てている綱吉のつむじを見下ろし、彼は緩く首を振った。
 目の前に在る敵を打破し、綱吉を連れて行く。簡単だ、たったそれだけの事に何を自分は手間取っているのだろう。
「綱吉、少し……ごめん」
「え」
 口で説明している暇を惜しんで、雲雀は簡単な謝罪だけを告げて、驚く綱吉をいきなり脇に抱え込んだ。
 華奢で軽量とはいえ、綱吉とてひとりの男。軽々とはいかず、左に重心が傾いた雲雀はそちらにふらつき、落とされかかった綱吉は急に変化した視界にみっともない悲鳴をあげた。
「柿ピー、そいつ逃げるぞ」
「五月蝿い」
 正面から戦うのが難しいのなら、一旦退いて形勢を立て直す。我を張って目の前の戦いに固執して、手痛い失敗をした過去を振り返り、雲雀は自嘲気味に口元を歪めた。
 優先させるべきは、自分の勝利ではない。綱吉の安全だ。
 だから、これは恥ずべきことではない。そう言い聞かせ、雲雀は右腕に意識を集約させた。
「ひ、ヒバリさん」
「舌を噛む。黙って」
「逃がすかってーの!」
 起き上がった千種が眼鏡のずれを正し、新しい刃を手首に巻いた黒い皮帯から引き抜く。犬が喚き、身体を倒して四足状態から駆け出した。
 千種が錘状の凶器を放った、立て続けに三つ。いずれもが雲雀を正確に狙い、彼の動きを追っていた。
「ぶぎゃ!」
 そこへ突如、圧縮した空気が炸裂し、凄まじい土埃が竜巻のように舞い上がった。
 あらゆる攻撃を弾き返し、視界を奪い取って大地が抉り取られる。すり鉢状に凹んだ畦道を眼下に見て、綱吉は足元に平らな地面が無い状況に目を見開いた。
 ひゅぅぅ、と風が鳴く。雲雀は千種の刃、犬の爪が襲い掛かる直前、拐に込めた霊気を思い切り地面に叩き付けたのだ。
 反動で上空に飛ばされ、今は自然落下の状態にある。髪の毛が煽られてすべての毛先が天を指し、顔面を打つ空気の冷たさに身震いして、綱吉は自分を抱える雲雀にぎゅっとしがみついた。
 ただこのまま行けば、最初と同じ、千種と犬の間に着地することになる。風圧で乾く眼と口を閉じた綱吉の不安を汲み取ったか、雲雀は闇一色の地面に眇めた目を向け、自由の利く右腕で素早く宙に紋を描き出した。
 獄寺が持ち歩いている札に描かれたものに似て、異なるもの。
 地面が迫る。
「天地玄妙神變加持善星皆来悪星退散」
 雲雀の鋭い声が飛んだ。
「――っ」
 下から突上げられる感覚、内臓が全部裏返って口から吐き出しそうな衝撃を浴びて、綱吉はぐっと腹に力を込めて舌を丸めた。肩を窄めて雲雀の腕に爪を立て、急激に加わった負荷を堪えて耳の奥に響いた不協和音に眩暈を起こす。貧血で頭がくらりと来るが、目を閉じたままなので、当然ながら自分の周囲で何が起きたのか、綱吉はまるで分からなかった。
 ぐわん、ぐわんと頭の中で古寺の鐘が鳴り響いている。
「ぎゃはぁっ」
 自分とも、雲雀とも違う悲鳴が聞こえた。
「綱吉、走って」
 気がつけば彼の足は地面の上にあって、力が入らずに膝が折れて左側が沈んだ。ざらざらした土を肌に直接感じたので、草履はいつの間にか脱げてどこかへ落としたらしい。しかし探している場合でもなくて、綱吉は荒く息を吐き、雲雀の声に急ぎ凝り固まった瞼を持ち上げた。
 凹んでいたはずの大地が、今度は隆起していた。
 こんもりと小高い丘が形成されて、東側が用水路にめり込んでいる。堰き止められた水が溢れている様子に気が向いて、綱吉は先に走り出そうとした雲雀に引きずられて前のめりに倒れた。
「うっ」
「逃がさない」
「邪魔だよ」
 膝から崩れ落ちた綱吉に雲雀が足を止め、そこへ千種が駆け込んで牙を剥く。両手に番えられた黒い刃を遠く燃え盛る炎の赤に照らし、雲雀へ撃ち放った。
 避けることは造作ない。直線の軌道を読み取った雲雀が薄ら笑いを浮かべて難なく躱してみせ、綱吉を抱き起こして突発的天変地異により生み出された小山を飛び降りようとした。
「行かせるかっつーんだよ!」
「退けと言っている!」
 素早く前に回り込んだ犬が跳躍し、雲雀に掴みかかる。右に握った拐を横に構えた雲雀は、怒号とともに彼のこめかみを正確に狙い撃ち、柔らかな地面に叩き落した。
 弾みもしないで犬の体が半分、盛り上がった地面に埋まる。雲雀は未だ空中から落下した衝撃から回復せず、目を回している綱吉を脇に抱え、今度は何も言わずに脚部に霊気を凝縮させた。
 自分ひとりならば一瞬で山裾までいけるが、人の身体である綱吉は耐えられない。さっきから上下左右と移動を繰り返しすぎている所為で彼の三半規管も限界寸前であり、これ以上無理をさせれば心臓がもたないだろう。
 天秤にかけ、雲雀はぎり、と奥歯を噛んだ。
 泥を被った犬が怒り心頭で雲雀に襲い掛かる。千種もまた犬の攻撃を回避直後の雲雀を狙い、刃を構える。
 不意に。
「ああ、そうか。君たちは知らないんだ」
 雲雀は理解した。