朝、玄関の呼び鈴が鳴った時、綱吉は台所の自席に座り、朝ごはんを胃袋に押し流す作業の真っ最中だった。
「はいはーい」
こんな朝早くから誰だろう、と斜め上に視線を流し、壁の時計を見て綱吉は噛み砕いたご飯を飲み込む。奈々が対応に走って行ったので彼は一歩も其処を動かず、もぐもぐと心持ち急ぎ気味に朝食を片付けていった。
味噌汁を箸でかき混ぜ、お椀を傾けて飲み干し、半分残していた卵焼きを口の中へ。味噌汁の麩と一緒に噛み砕いていると、どれが何の味なのか分からなくなりそうだった。
彼の斜め前ではランボが、お子様用の茶碗の上を持ち、下をテーブルに押し当てることで支え、その間に握り持った箸を差し込んで前後に動かしている。箸で米粒を抓むのではなく、スプーン代わりに掻き込んでいるといった感じだ。
「あー、ああ。もう、いっぱい零して」
だから当然、ぼろぼろと箸の上から米飯は溢れてテーブルに小さな山を作っていた。ランボはそれを、手で掴んで口に放り込む。まったくもって、箸の使い方がなっていない。
綱吉も決して上手とは言い難いが、少なくともこれよりはマシだ。口の周りにも米を塗して汚しているランボの鼻に布巾を押し付け、綱吉は自分の食事を中断させてから彼の茶碗を真っ直ぐに置き直した。
涎と鼻水も混ざってぐちゃぐちゃになっている顔を拭ってやり、不思議そうにぽかんとしているランボの頭を撫でる。腰を浮かせていたのを椅子へ戻し、手間のかかる弟が出来たものだと、すっかり幼子の世話に慣れてしまっている自分を笑って、綱吉は置いた箸に手を伸ばした。
「ツっくん、獄寺君が迎えに来てくれたわよ」
「ふえ?」
改めて食事の続きに取り掛かろうとのんびり構えていたら、後ろから暖簾を押し上げ顔を出した奈々に言われ、綱吉は口にご飯を押し込んだまま変な声をあげてしまった。
咀嚼の回数もそこそこに、塊がまだ大きいまま無理をして飲み込む。口に物を入れたまま喋るなという教えを忠実に守った彼は、喉の半ばで詰まってしまったそれに咽せ、急ぎ胸を叩いて胃袋へと落とした。
お茶を啜って人心地つかせ、ほうっと息を吐く。食べ終えて空になった食器を手早く集めていた奈々の背中を見上げると、気付いた彼女は肩越しに振り返って柔らかな春の陽射しを思わせる笑顔を浮かべた。
「獄寺君、が、なに?」
「外で待っててくれてるわ。急ぎなさい」
「え、嘘……って、やばっ!」
今日は余裕があるから、とのほほんと和んで食事に時間を使いすぎていた。時計の針はとっくに八時を回っていて、このままでは珍しくすっきり目が醒めたのが全部台無しだ。
もう時間が無いと知って慌てて席を立ち、綱吉はご馳走様と早口に叫んでから最後に残っていたデザートの林檎を口に放り込んだ。兎の耳の形に切った皮ごと頬張り、足音を家中に響かせて二階へと駆け上がる。
パジャマ姿のままだった彼は急ぎ自室に飛び込んで上下脱ぎ捨て、トランクス一枚状態でクローゼットを開けて制服を取り出した。
一足先に食事を終えて戻っていたリボーンが迷惑そうに顔を顰めるが、気に留めている暇もない。慌しくシャツの袖を通し、ズボンを履いてベルトを締め、ボタンの掛け違いがないかを手早く確かめて、鞄を引っつかむ。ネクタイは道すがら結ぶことで妥協した。
再び階段を駆け下りて鞄は玄関先へ置き、トイレ、洗面所の順に飛び込む。歯を磨き、無駄と知りつつ髪の毛を濡らして櫛を通し、戻る途中で台所に顔を出すと、さすがは綱吉の母親だけあって、彼の行動を予想していた奈々がサッと弁当箱を差し出した。
「ありがと。行って来ます!」
「気をつけるのよ」
「分かってる。行って来ます」
同じ台詞を二度繰り返し、気忙しく玄関へ戻って履き潰して草臥れ感が滲んでいる靴に爪先を突っ込み、踵に指を差し込んで立ち上げる。鞄を開けて中に弁当箱を、斜めにならないよう此処だけは細心の注意を払って押し込んだ綱吉は、そこで現在時刻を気にして膝立ちでリビングの中を覗きこんだ。
八時二十分を少々過ぎた時間。これならば急ぎ足で道を行けば、遅刻だけはぎりぎり回避できそうだ。
安堵した綱吉は靴で廊下をこすらないよう注意しつつ後退し、玄関で立ち上がって鞄を右手に掴む。奈々が暖簾の向こうで手を振って見送るのを受け、彼は三度目の「行って来ます」を叫んで扉を押し開けた。
眩しい太陽が雲の隙間から顔を覗かせ、地上に陽射しを齎している。この時間から既に日光は鋭く肌を刺し、気温は上昇一途を辿って昼間には三十度を軽く越えそうだ。まだ本格的な夏には遠いというのに、気が早いものだと早速汗ばんだ肌に張り付くシャツを引っ張り、彼は奈々が言っていた人物を探して視線を巡らせた。
玄関の直ぐ近く、庭にもいなくて、首を傾げつつ門を軋ませて開く。
「あ」
そうして右を向いて、途端、綱吉は短い声をあげた。
沢田家は南向きの家なので、目の前の道路は直射日光の餌食に。アスファルト自体も熱を吸収、放出するので、朝の早い時間帯でありながら此処の気温は庭に比べると多少高くなっていた。
それなのに獄寺は、律儀なのか馬鹿なのか、日陰にも入らず外で綱吉を待っていた。
「お早う御座います、十代目」
「おはよう、獄寺君」
目が合って腰を九十度に曲げるお辞儀をされ、綱吉は苦笑を浮かべつつ挨拶を返す。顔を上げた獄寺の額には薄らと汗が滲み、銀色の前髪が肌に張り付いていた。
綱吉も大概髪の毛の量は多いが、その大多数が外に向かって元気良く跳ねているので、水気を吸い込ませない限り首筋に掛かることはない。けれど獄寺はサラサラのストレートで、しかも若干長めなのもあり、首の周辺に浮かぶ汗にも髪の毛が吸い寄せられていた。
暑そうだな、と心の中で呟き、綱吉は颯爽と両手を前に差し出した獄寺から自分の鞄を庇った。どうせたいしたものは入っていないのだし、そう重くもないのだから、鞄ひとつくらい自分で持つ。出会った直後から幾度と繰り返してきた、最近では毎朝のお約束となりつつあるやり取りを展開させ、綱吉は残念そうに顔を歪めた獄寺に苦笑した。
マフィアになんてならない、と突っぱねる綱吉を、それでも彼は「十代目」と呼んで慕い、色々と世話を焼いてくれる。その大多数が綱吉には甚だ迷惑な結果に終わるパターンなのだが、彼の好意を思うと無碍に突っぱねることも出来ず、綱吉はずるずると引きずられるままに今日まで来た。
きっと、大人になってもこんな関係が続くのだろう。頭の片隅に浮かんだ自分たちの未来に笑い、綱吉は急ごう、とまだ拗ねている獄寺の背中を押した。
「早く行かないと遅刻になっちゃう」
ぐぐぐ、と力を込めて獄寺を前に進ませようとした綱吉だが、獄寺は抵抗を見せて両足を踏ん張らせて地面に体を固定させる。死ぬ気ではない綱吉では力勝負にさえならなくて、直ぐに汗だくになって息も切れ、悔しげに下唇を噛んで睨んだ彼に獄寺はふっと鼻で笑い、したり顔を作った。
余裕の表情を浮かべられ、綱吉が地団太を踏む。頭をどっかん、と噴火させて目尻を吊り上げてやれば、彼は声を立てて笑って綱吉を置いて駆け出した。
「あ、こらー!」
「遅刻しますよ、十代目!」
見事においていかれた綱吉が拳を振り上げるが、獄寺は足を止めずに叫ぶだけ叫んで、速度をあげた。
獄寺の背中がどんどん小さくなっていく。綱吉は今一度腹立たしさからアスファルトを蹴り飛ばし、彼に続いて道を急いだ。
しかしなかなか追いつけず、距離は徐々に開いていく。少しくらい手加減してくれてもいいのに、と珍しく意地悪い獄寺を恨めしげに見やり、綱吉は目の前を横切ったトラックを避けておっとっと、と後ろへ数歩下がった。
信号の無い交差点で立ち往生させられ、こうしている間にも時間が、と腕時計を見る真似だけをして綱吉は天を睨んだ。直射日光がまぶしすぎて、目を開けているのさえ辛い。綱吉はくらりと来た頭を左手で支え、日陰を求めて道の両脇を埋めるブロック塀へ寄りかかった。
車の列が途切れるのを待ち、道路を渡って向かい側へ移動する。日が差している場所は急ぎ足で、陰っている場所は少しゆっくりと。獄寺の姿を探して視線を巡らせるが見付からなくて、これは本格的においていかれたようだと綱吉は乾いた唇を舐め、その塩辛さに眉を顰めた。
暑い。言葉に出すと余計に暑く感じられ、手を扇にして風を作った綱吉は、首筋にまとわりつく不快感を振り払おうと足を前に、交互に繰り出した。
ゴゴゴ、という低い唸り声が微かに耳に届く。大型のトラックでも通り過ぎるのかと思って俯かせていた顔を持ち上げた彼は、通りの真ん中で棒立ちになっている背中を見つけ、そのあまりの不自然さに首を傾げた。
「おーい」
とっくに学校へ向かったと思っていた人物に呼びかけ、綱吉は亀の歩みを兎のそれに変えた。声を聞いて振り返った獄寺が、駆け寄る綱吉に嬉しげで、それでいて僅かに困惑した複雑な表情を向けた。
シャツの裾を抓んで前後に揺らし、内側に空気を呼び込んで涼を取っている彼の横に並んだ綱吉は、どうしたのかと問いかける。けれど答を聞く前に、地鳴りが続いている方角を見て、彼の戸惑いの理由に気付いてしまった。
日頃学校へ行くのに通る道が、見事に工事中だった。
電気工事らしく、細い路地に黄色の大型車が潜り込み、折り畳み式のアームを延ばしている。車体の前には警備員がひとり立って、危険だから近付かないようにと無言の圧力を仕向けていた。
とてもではないが通らせてもらえる雰囲気になく、しかし此処が通れないと、学校まで随分大回りさせられる。
「どうしようか」
今日が工事だなんて話は聞いておらず、綱吉は困り果てた顔で獄寺の袖を引いた。
とはいえ、無理矢理通してくださいとお願いするのも、あちらには迷惑は話。ここは大人しく引き下がり、遅刻した理由を正直に話して許しを請うほかあるまい。トンファーを構えて不遜に笑む風紀委員長を思い浮かべ、綱吉は襲い来た寒気を堪えて自分を抱き締めた。
あの人の事だから容易に見逃してくれそうにない。想像するだけでも恐ろしく、鳥肌を立てた綱吉を横目に見た獄寺は、ポケットから出した携帯電話で現在時刻を確かめ、学校がある方角を探し視線を泳がせた。
最短経路が潰されたとしても、なにもこの道だけが学校に通じているわけではない。他に方法はある筈で、彼は素早く脳内で計算式を組み立て、綱吉の手を取った。
「獄寺君?」
「行きましょう、十代目。他の道を探せばまだ間に合います」
ぼんやりしているだけ、時間の無駄。幸いにも予鈴が鳴るまであと十分近く残っているから、走れば充分間に合う圏内だ――但し迷わなければ、の話。
不安を増幅させることまでは口に出さず、今度は彼が綱吉の背中を押し、歩き出した。
「あ、うん。待って」
まだ他の道を探すのに踏ん切りがつかない綱吉は、改めて道路を塞ぐ工事現場に目を向け、じろりと睨みつけられてやっとその場を離れた。
すたすた歩く獄寺を追いかけ、追いつき、並んで歩調を合わせる。
「こっちから行けませんかね」
獄寺が指差したのは、さっきの通りからひとつ奥に進んだ細い路地だった。
車は絶対に通り抜けられない幅しか無く、自転車も厳しそうだ。人がふたりすれ違うのがやっとの道は、両側が一戸建てのブロック塀に阻まれて日が差し込まず、かなり薄暗かった。
ここに道があるのは知っていたが、一度も通ったことが無い。聞かれた綱吉は言葉に窮し、どうだっただろうかと首を傾げた。
雰囲気が怪しげで、いかにも何か出そうな空気が漂っている。奈々が使わない道なので、必然的に綱吉も、心理的な問題も手伝って、意識せぬまま通学路の選択肢から外していた。第一、此処の手前に大きな道があるのだから、そちらを使うのが自然な事。正直に知らないと告げると、獄寺は格別落胆した様子もみせず、じゃあ、と前置きして足をそちらに向けた。
「他に通れそうな道はありませんし、行きましょう」
「え、でも」
この道が本当に学校まで繋がっているかどうか、分からない。
綱吉に聞いたくらいだから、獄寺だって知らないはずだ。もしかしたら行き止まりの袋小路にぶち当たる可能性だってあるし、さっきの通りに途中で合流しなければ、結局大回りさせられることになる。躊躇を表立たせた綱吉に、しかし獄寺はお構いなしでもう一歩進み、早く、と急かした。
中身が全く入っていなさそうな鞄を右肩に担ぎ、行きましょうと綱吉を誘う。彼の言う通りここでうだうだやっていても、あの工事が終わらない限り先の道は通れそうになく、彼らにそんな悠長な時間が残されていないのも本当だ。
だから他に選びようがない。
綱吉は顔を上げ、目に留まった灰色のブロック塀から伸びる樹木に息を呑んだ。
光を求めて枝を広げ、豊かに緑を茂らせている。これが余計に日光を遮り、地表を薄暗くして不気味さを増長しているわけで、敷地外にはみ出ているのだから枝を切ればいいのに、と綱吉は木の所有者に対してか、平然と不気味極まりない道を行こうとする獄寺に対してか、もしくはその両方にか、憤慨しつつ靴の裏でアスファルトを蹴った。
渋々従い、歩き出す。
鳥の声、換気扇の回る音、軒下に繋がれた犬、陽だまりの下で欠伸をする猫。コンクリートブロックの壁は最初だけで、五メートルもしないうちに左手に平屋建ての家が現れた。
ひとつの壁を隣り合う二軒の家が共有する、長屋だ。間口はとても狭く、通りから手が届く場所に洗濯物が干されている。生活感が漂う空間が形成され、見慣れぬ光景に綱吉は目を瞬いた。
「狭い場所ですね」
獄寺が小声で感想を告げ、綱吉が同調して頷く。
時間が止まっているみたいだ。映画やドラマの中でしか見た事が無い昭和の光景が広がっていて、興味深げに視線を左右へ揺らし、綱吉たちは別の通りと交差するT字路でまた足を止めた。
振り向けば真っ直ぐだと思っていた道は右に曲がっていて、路地の入り口は建物の影に隠れて見えない。合流した道の先も同じで、密集する家々に視界の大半が遮られて現在地が巧く把握できなかった。
方向感覚にずれが生じている。
路地の前までは、学校は確かに進行方向左手にあった。しかしT字路を左に進んで行っても、記憶にある道や景色になかなか辿り着けなかった。
十四年、この町に住んでいる。しかし目新しい景色の連続に綱吉は目を見張り、偶然行き当たった小さな神社に手を叩いた。
「ここ、こんなところにあったんだ」
「十代目?」
「前、着けなかったんだよなー」
急に甲高い声をあげた綱吉を怪訝に見る獄寺を放って、綱吉は古めかしい鳥居を潜り境内に入った。とはいえ、歩いて三歩と行かず御社に行き当たる。それは獄寺の背丈ほどの小さな、社と呼ぶには分不相応な祠だった。
くすんだ色の注連縄が巻かれ、賽銭箱がちょこん、と前の台に載せられている。盗まれぬよう鎖で結ばれているが、盗むほど金額が入っているようには見えなかった。
小学生の頃、学校でこの神社の由来について社会科の時間に話題が出て、綱吉だけが場所を知らなかった。それが悔しくてひとり探しに行ったのだが、幼い彼はあの細い路地が通り抜けられて、他の道順を探したものの、結局日暮れ前に到達できなかった。
あの頃の心細さが蘇り、今になって願いが叶ったと綱吉は表情を綻ばせる。
「十代目?」
「うん、ごめん。なんでもないよ」
ただ当時の事を知らない獄寺には何をして綱吉が笑ったのかが分からず、疑問符を浮かべて首を傾げるばかり。呼びかけて手を伸ばすと、瞬間綱吉はくるりと軽やかにターンして振り向き、危うく獄寺の爪が彼の頬を引っ掻くところだった。
お互いに驚き、獄寺が手を引っ込める。琥珀の瞳を一瞬だけ震わせた綱吉は、それが故意ではないと直ぐに悟り、申し訳なさそうにしている獄寺に首を振って、平気だと目尻を下げた。
「行こう。遅刻……ひょっとしてもう間に合わないかな」
思った以上に道は複雑で、このまま進んで学校に近づけるのかどうか判断は難しいところ。しかも綱吉が喋っている最中に、遠く微か、チャイムらしき鐘の音が聞こえて来た。
リズムが並盛中学のものとは違う気がするが、遠いから途切れ途切れにしか耳に届かず、こちらも判別がつかない。獄寺がポケットに手をしのばせ、携帯電話を開いて現在時刻を確かめる。そして首を振り、肩を落とした。
「すみません」
よもやご近所で道に迷うとは思わず、獄寺は自分の判断ミスだとがっくり項垂れた。
あまりの落胆ぶりを思わず笑ってしまって、口元を手で隠した綱吉が急ぎ表情を引き締める。元はといえば綱吉が、学校へ行く準備に手間取ってもたもたしたのが悪いのだ。
だから獄寺が責任を感じる必要は無い。笑って言って、綱吉は彼の肩を思い切り叩いた。
「ですが」
「いいよ。君のお陰で此処に来られた」
近くて遠かった場所が、綱吉の目の前に。ひとりきりだったなら、一生此の場所に辿り着けなかったろう。
獄寺と突発の電気工事に感謝しなければ。古めかしく、そして小さいながら厳かな雰囲気に包まれた住宅地の中の社に向き直り、綱吉は賽銭は勘弁してくれと呟いてから柏手を打った。深く頭を下げ、騒いで悪かったと此処に眠るものに謝罪する。
社の中に収められた小さな石像が、柔らかく微笑んだ気がした。
鞄を掴んだ手を腰に回し、背筋を伸ばして横を向く。スッと冴えた視線を投げかけられ、獄寺はこれ以上自分が悪いと主張し続けても綱吉は喜ばないと悟り、肩を竦めた。
力を抜いて笑い返し、自分の鞄を握り締める。
「どうしよっか」
「そうですね」
それにしても、既に二人揃って遅刻確定。
正門を突破する為には風紀委員が作るバリケードを突破するほかなく、しかも最後に待ち受ける難関はこの町で最強最悪の名を欲しいままにする人物だ。
雲雀は怒らせると怖い。出来れば彼らが引き揚げた後、こっそり裏口から学校にもぐりこみたいところではある。
「もう少し探検していきますか?」
ただそれには、もう少々時間を潰さなければ。どうせ今から行っても一時間目に間に合わないのは間違いなくて、だったら、と獄寺は落ちていた枯れ草を踏みしめて聞いた。
調子が良すぎる誘いかと思ったが、綱吉は数秒考え、表情を綻ばせた。
住み慣れた町の、今まで知らなかった別の顔。探せば他にも沢山見付かるかもしれない。そう思うと綱吉はわくわくが止められなかった。
「風紀委員に見付かったら、代わりに怒られてね」
「全員、俺のダイナマイトで吹き飛ばしてやりますよ」
「うーん……じゃ、御願い。あんまり期待してないけど」
「十代目!」
学内だけでなく、地区全体の見回りも欠かさない並盛中学風紀委員の目だけが、唯一のネック。綱吉は鞄を振り回してくるりと反転し、鳥居の下を抜けて薄暗い路地へ舞い戻った。
任せろと力瘤を作った獄寺が、笑いながら言われた台詞を吟味して声を荒立てた。
「置いていっちゃうぞー」
「待ってください、十代目。十代目!」
濃い緑が茂る町中を、綱吉の笑い声がこだまする。
間もなく並盛に夏が訪れようとしていた。
2008/06/30 脱稿