魂祭 第四夜(第三幕)

「つなよし!」
 強く。放り出していた手を握り取られ、綱吉は大仰に肩を震わせて彼方へ飛び去っていた意識を瞬時に舞い戻した。
 はっと息を吸い、倍の時間をかけて吐き出す。どくどくと脈打つ心臓が現実を彼に教え、手を取った雲雀の顔を見上げた彼は何度も瞬きを繰り返した。
「え、と……?」
「どうした、ツナ。疲れてんのか」
 身を迫り出した雲雀に顔を覗き込まれ、綱吉は眩暈に似た感覚に上半身を揺らした。同じく心配そうな山本の声に唾を飲んで、こめかみを右手で押さえて視線を巡らせれば、映るのは見知った友と住み慣れた自分の家ばかり。
 燃え盛る炎も、空を焦がす赤い翼も、断末魔の叫びも、生けるもの全てに向けられた呪詛も、嘲笑も、何処にもありはしない。
 すべては過去の遺物、綱吉の中にあるものではない。
 何が起きたのか良く分からぬまま、綱吉は自分の五体になんら異常が起きていないのを簡単に確かめ、緩慢に頷いた。指を握り、広げ、雲雀が額に手を置いて熱を測ろうとするのも首を振って断る。一瞬乱れた呼吸は直ぐに平常に戻って、あれほど苦しかった心臓も特別問題無さそうだった。
 けれど其処を貫かれた――抉り取られた感覚だけはまだ残っていて、綱吉を恐怖に竦ませた。
 どうして。
 雲雀に救われた幼い自分の記憶が蘇り、重なり合う。無意識に彼は両腕で体を抱き締め、震えて鳴る奥歯を噛み締めた。
「十代目、お気分が悪いようでしたら」
「ちが……」
 床に手を添えて屈んだ獄寺にも言われるが、綱吉は弱々しくも首を振り、その心配を跳ね返す。問題ないし、大丈夫なのだ。けれど正体不明の恐怖に取り付かれて、綱吉は動けない。
 身に覚えの無い怒りが彼の両肩に覆い被さっている。激しい憎悪が、怨嗟の炎が綱吉の魂に取り付き、内側から食い破ろうと蠢いている。
 心配いらないと言って欲しくて、綱吉は細切れに息を吐きながら雲雀を窺い見た。彼もまた漆黒の瞳を翳らせ、綱吉の変化に戸惑いながらもその想いを察し、握った手に力を込めた。
 伝わる体温に安堵して、やっと生きた心地に浸り綱吉は強張らせた肩を落とした。
「ごめん、なんでもない」
 一昨日から怒涛の勢いでいっぺんに色々なことが起きているから、落ち着かないだけなのだ、きっと。一度に大量の情報を与えられると頭が混乱して、爆発してしまう。自分の許容量の狭さに舌を出し、なんとか表向きは平常心を取り戻して山本と獄寺に心配させたことを詫び、彼は座布団に座り直した。
 けれど雲雀の手だけはどうしても放せなくて、ぎゅっと自分からも握り締めて、大量に吸い込んだ息を一斉に吐き出した。
 胸の動悸は幾分弱まったが、まだ完全には治まらない。楽になったとはいえ、呼吸も時折不意に乱れて瞳孔は開き、予告も無く眼前に現れる幻影に綱吉は怯えた。
 自分で制御出来ないのが何よりも恐ろしく、それが誰の記憶なのかが分からないから余計に混乱する。どうして自分の前に現れるのか、何を訴えたいのかもさっぱりつかめない。
 ディーノと遭ってから突然始まった現象は、言葉にしなくても雲雀にもしっかりと届いている。
 知らない誰かの記憶、その中に佇む黒髪の青年。優しく微笑みかける姿に、目の前の存在が紛れ込む。
 違うのに、違うはずなのに。
 泣きたい気持ちにさらされて、綱吉は唇を噛んでかぶりを振った。
 囲炉裏に吊るされた鉄瓶から立つ湯気の勢いは次第に衰え、白い煙は瞬時に消えていく。すっかり冷めてしまった白湯を飲み干す気にもなれず、綱吉は耳の奥に微かに届く祭囃子に気持ちを誤魔化した。
「山本、は……」
「うん?」
「見に行かないの? 里神楽」
「ああ」
 無理矢理に話題の矛先を変え、綱吉は言いながら自分を落ち着かせた。床を指の背で削って腰を一旦浮かせ、雲雀との距離をさりげなく詰める。
 彼と同じ音色に思いを馳せた山本は、それまでの心配げな表情を急転させて明るい声を出し、胡坐を崩すと立てた右膝に肘を置き、頬杖をついた。
「だってなあ。毎年同じだろ?」
 古式を重んじ、脈々と受け継がれてきたものを蔑ろにするつもりは毛頭ない彼だが、流石に演目も増えないままでは面白みに欠ける。そもそも村人の娯楽の為という側面よりも、雲雀の説明にもあった通り、この一年で精力が衰えた神々を元気付けるのが目的なので、変に格式ばっているのも山本は苦手だった。
 去年までは自分も輪の中にあり、了平と一緒に太鼓を叩いて祭に参加していたので深く気にも留めなかったが、今年は外側から眺めているだけなのもあって、より強く感じさせられている。
 祭りが嫌いなのではない、それが持つ重要性は充分認識している。疎かにするつもりも無い。
 単に寂しいだけなのかもしれない、と彼は頭を掻いて豪快に笑った。
「寂しい?」
 その単語が出てくる意味が分からないと獄寺は変な顔をして、逆になんとなくだが理解出来た綱吉は深く頷いた。
「みんな、楽しそうなんだよね」
 沢田の役目は日頃並盛神社に居ます神を神輿という仮宿に移すまでで、そこから先は関与しないのが魂祭りでの決まりだった。だからいつもは仲の良い村人も、今日だけは綱吉を蚊帳の外に置く。無論混ざっても文句は言われないだろうが、昔からの慣わしで綱吉は御旅所に足を運んだことが無かった。
 里神楽も、村の人たちが一所懸命に練習しているところは眺めても、本番がどのように行われているのかは話に聞くだけ。
 輪に混じれない寂しさは、獄寺も知っている。綱吉の説明を受けてやっと理解した彼は、曖昧な相槌を一度だけ打って両腕を後ろへ投げ出した。
 足も広い空間に放り投げ、背中をぐっと後ろへ倒す。煤けた天井裏をぼんやりと見上げ、そういえば自分は祭なんて行事とはほとほと無縁だったなと、過去をなぞった。
 一度だけ、そういえば姉に手を引かれて人間の祭りを見に行った気がする。いや、そもそもあの時に自分の小さな手を引いていたのは、本当にあの、恐ろしく容赦のない姉だったのか。
 顔を思い出そうにも何分記憶は曖昧模糊、振り返るすべてが靄を被っておぼろげだ。
「姉貴だった気がするんだけどなあ」
 だって他に思い当たる存在が居ない。
 都の艶やかな祭だった筈だ、綺麗な笠に勇壮な鉾が大路をゆっくりと行き交う。迷子になるからとしっかり手を握って貰って、あれはなに、とはしゃぎ回る自分を優しい目で見守ってくれていた。
 来年も来たい、と波が引いて静かになっていく大通りを眺めて興奮頻りに強請って、とても困らせてしまったようにも思う。
「獄寺君?」
「はい? あ、いえ。なんでもないです」
 長いこと思い返しもしなかった幼少期の自分の、唯一楽しかった記憶。どうして今更、とぼうっとしていた彼は姿勢を正して薄い座布団に膝を埋めた。
 不思議そうに首を傾げている綱吉に手を振り、気にしないでくれと誤魔化しに咳払いをする。態とらしく襟を揃えていると、揺れた袖の中で潜ませた呪符が互いに擦れあった。
 今までは一度として、違和感をそこに抱くことは無かったのに、今はやけに左袖が重くてならない。理由は分かっていて、呪符の中に紛れ込ませた一枚がその他と反発しあっているからだ。
 ディーノによって作り変えられた、自分とは異なる属性の札。何度も棄てようとしたのだけれど、その度に指に吸い付く感覚に見舞われて叶わなかった。だから仕方なく混ぜて持ち歩いているのだが、他の札が嫌がるのか、ざわざわとして気持ちが悪い。
 妙なことを思い出すのも、これが原因なのか。ひとり胸の内で考え込み、獄寺は五秒と経たずに崩した膝に身を寄せてだらしなく背中を丸めた。
「もう始まった頃かな」
 北の裏庭に射す光の角度を見て、山本が呟く。何が、とは問うまでもない。里を縦横無尽に走り抜けた神幸は、この日のためだけに設けられた御旅所に到達し、東西南北の四方に守護獣の幡を立てたことだろう。
 騒々しく賑やかに太鼓は打ち鳴らされ、笛が、鉦が、人々の掛け声が疲れた神を慰める。想像することしか出来ない綱吉は、雲雀に寄りかかって目を閉じた。そっと左胸に手を添えて拍動を指で確かめ、自分はちゃんと此処に居ると強く意識する。
 ともすれば幻に奪われてしまいそうな心を奮い立たせ、唇を痛いくらいに噛む。
「綱吉」
 握り締めた手が唯一の鎖だった。
 自らの意思でこれを解く日が来ない事を、ただ祈ることしか出来ない。
「大丈夫」
 そっと囁かれて綱吉は顔を上げ、雲雀を見る。
 優しい顔をした彼は、幻に見た青年そのままの暖かな眼差しで綱吉を見下ろしていた。

 喧騒が場を包み、派手な衣装を身に纏った男が即席の舞台で巨大な扇を手に舞い踊っている。
 丹色に塗った面を被っているので、素顔は分からない。しかし仮面の呪力で日常とは違う存在に成り代わった男は、大仰過ぎるまでの身振りで扇を振り回し、榊を結んだ棒を投げやっては受け止めて人々から拍手喝采を受けていた。
 見物する村人は皆、一様に楽しげだ。誰も彼もが声を立てて笑い、天狗顔の面の男が失敗する度に両手を叩いて腹を抱える。
 陽射しは強く、雲は少ない。風は穏やかであり、これが秋だと思わなければ非常に過ごし易い陽気といえるだろう。むしろ暑いくらいで、村人の額には汗が無数に浮かんでいた。
 演じ手もそれは同様で、きっと面を取った後は水分を求めて彷徨うことになるだろう。
 右袖から新たに舞台に上がったおかめの面を被った男を見て、人々はまたその滑稽さにどっと笑い転げた。むしろその、抱腹絶倒する村人の方が面白くて、ディーノは金色に塗られた神輿に胡坐をかいて皮肉げに口元を歪めた。
 彼の姿は今、人々の目には触れない。意気消沈したまま並盛神社の社殿で引き篭もっていたら、うっかり一緒に運ばれてしまったのだ。
 綱吉に見付からないように気配を絞っていたら、どうやら小さくまとまりすぎていたらしい。自分の迂闊さが何より馬鹿らしくて、がらにもなく落ち込んでいる自分を笑われている気分にもなる。
「いいよなー、人間て。気楽で」
 自分を棚に上げて呟き、彼は頬杖を崩して黄金色の髪を後ろへ梳き流した。
 御旅所の中心に据えられた神輿の四方には、東西南北を正確に測った位置に幡が建てられていた。青白赤黒の四色に色分けされた幟は、それぞれの方角を守護する獣を象徴するものだ。
 煌々と大地を照らす太陽は夏の盛りを思わせ、見物客も手拭いで頻りに滴る汗を拭っている。榊を掲げた御神旗は風がないので靡きもせず、神輿の前で沈黙したままだ。だが時々、どっと沸き起こった笑いの渦に巻き込まれ、場に集った祖霊たちが高揚するのか、場を包む空気は次第にひとつのうねりとなってまとまろうとしていた。
 祭りを取り仕切る鉢巻姿の頭屋が忙しなく動き回る様を、ディーノはぼんやりと眺める。あの災禍の後、一度は途切れたこの地の祭は、村衆の尽力により形と意味を大幅に変えはしたが、今も継続している。その繋がりは強固で、もう二度と容易く途切れたりはしないだろう。
 残る問題は今夜の宵宮を越えた後の、明日。魂送りとしての締めを飾る鎮めの儀が、果たして巧くいくかどうか。
 瞼を閉じて外界からの音も遮断すれば、浮かぶのはもう綱吉の顔ばかりだ。笑っている姿、照れている姿、怒って、拗ねている姿。たった数日を共に過ごしただけなのに、もうディーノの記憶は彼との時間で埋め尽くされている。
 最後に泣かせてしまった、沢山傷つけてしまった。
 そんなつもりは微塵もなかったのに、求めすぎて箍が外れて制御できなかった。
「まだまだ俺も未熟だ」
 片膝を立て、顎を置いて背中を丸める。そこには愛用の緋色の打掛はなく、着ているものも山本から借りたものとはまた別だった。
 山本の長衣は、きちんと折り畳んで彼の部屋に置いてきた。流石に借りたまま立ち去るのも忍びなくて、実はこっそり雲雀のものを拝借してきたのだが、お陰で若干裾が短い。
 知れたらまた怒られるだろうが、ディーノ自身はもう彼らの前に姿を現す気はすっかり失せていた。
 本当は謝って許しを請いたいところだが、叶わないだろう。綱吉だってきっと、もう二度と会いたくないと思っているに違いない。ディーノはそれくらいでしか、罪を贖う道を思いつかなかった。
 雲雀が聞けば勝手極まりないと怒鳴るだろうが、正直なところ、自信が無いという面も大きい。もう同じ過ちを繰り返さないでいられるか、己を戒め続けられるか、ディーノですら分からないのだ。
 それ程に綱吉の存在は、知らぬ間に彼の中で大きく育っていた。
 姿を見れば手を伸ばしたくなる、笑顔を向けられたら抱き締めたくなる。その桜色の唇を塞いで、琥珀色の瞳を、心の芯までもなにもかも、自分の色に塗り替えてしまいたくなる。
 どれも一方的で身勝手な欲望だ。こんなにも醜い部分がまだ自分にあったのかと思い知らされ、自己嫌悪に陥ったままディーノは、眼前で繰り広げられる狂言を、なにをするでもなくただ眺めた。
 日々の鬱憤を晴らすかの如く、村人は声を張り上げて笑い、また互いに悪口を言い合って相手を罵り、最後には肩を叩いて全てを笑い飛ばす。場に漂う祖霊たちもまた、彼らの精力に感化されて打ち震えていた。
 本来ならディーノもまた、大勢の目に見えぬものたちと同様に彼らの笑いに引きずられ、心を奮い立たせて減退していた霊力を補い、増強させるのだが、今年ばかりはそうもいきそうにない。これではいけないと弁えているのだが、どうしても祭りを楽しむ気分にはなれなかった。
 目を開けても、閉じても、綱吉の事ばかりだ。
「くっそ~~」
 地団太を踏んでも、自分の昨日の行動が消えるわけではない。いくら悔やんでも悔やみきれなくて、そして時の巡り合わせという不条理に臍を噛んだ。
 どうして自分が先に出会えなかったのか、そればかりを考えてしまう。
 起こしてしまった行動を取り消せないように、時間もまた逆戻りし得ない。もしもなどという前提は決してありえないのに、諦めきれないのは、これが二度目だからだろう。
 彼を同じだとは思わない、あの子は既にディーノの過去の記憶の中にしか存在しない。けれど、もし、時の綻びによって再び生れ落ちたのだとしたら。同じ魂を持つ存在として世に戻って来たのだとしたら。
「いや、違う。確かにそりゃ、似通ってるけど、同じじゃない」
 横倒しに膝を広げ、足の裏をくっつけ合わせて足首に手を置く。俯いて首を振り、ディーノは日の光を遮って懸命に自分が今考えた可能性を否定した。
 どうして自分では駄目だったのだろう、どうして自分は選ばれなかったのだろう。
 次があるのだとしたら今度こそ自分が、と過去何度思ったことか。けれどまた同じ轍を踏んでしまった。遅すぎたのだ、自分は。いつだって、後から気付いて後悔ばかりしている。
「好きなだけ……なのにな」
 山本の言葉が蘇る。一番でなくても良いから傍にいたいという彼の想いが、今は痛いくらい胸に響いた。
 しかし自分は、山本と同じには出来なかった。綱吉の傍に居る資格さえ、自分で破り捨ててしまった。許されはしないだろう、なにより雲雀がディーノを認めはすまい。
 我慢出来る保証もない。
 結局のところ、会わないのが一番良い方法なのだ。
 顔を上げ、広げた手の平を握り締める。きつく、指が痛むほどに力を込めて奥歯を噛んだディーノの耳には、鳴り止まぬ鉦と太鼓の賑やかさばかりが届けられた。
 虚しさが募る。どれだけ力を持とうと、強かろうと、結局欲しいものはまたこの手の中から滑り落ちて行ってしまった。
「本当、俺って馬鹿」
 声を殺して笑うあの子の姿が、そっくりそのまま今は綱吉に置き換わっている。細められた瞳、琥珀色の輝きに甘い色をした髪は柔らかくて、いつだって癖だらけ。それを気にして懸命に櫛を通すのだけれど、思い通りの髪型に出来た試しは一度もなかったはずだ。
 それが可愛いと言ったら何故か怒られて、拗ねられた。甘やかされるのは嫌いなくせに、実は甘えん坊で人の体温をすぐに恋しがった。
 背負われるより、抱き締められる方が好き。膝の上に座るのも好きで、だからあの子を取り合って、あいつとはよく喧嘩をした。
 過去ばかりが思い出される。そのひとつひとつが、いつしか綱吉に置き換わる。
 上書きされ、塗り替えられていく。けれど止めようとは思わない、そうなるべくしてなっているのだと心は受け入れ、凪いでいた。
 忘れるわけではない、あの子との思い出も大切な心の一部だ。でもきっと、この先あの子自身を思い返す時間は減っていくだろう。
「ツナ……」
 今この時間に生きる彼に思いを馳せ、ディーノは最高潮に達しようとしている祭の風景を光の中に見つめた。
 相変わらず風はない。が、空気が揺れて、頬杖ついていた彼は視線を前方に固定したまま広げた小指で顔の輪郭を掻いた。
 少しでも霊力を持つ者がこの場に在ったなら、ひょっとすれば気付いていたかもしれない。だが祭に熱中する人々は誰一人として四方を囲ったこの日限りの聖域の変化を知らず、気取る者もなかった。
 いや、少なからず在りはしたが、そのいずれもがこの村の者たちではなかった。
「若」
「ロマーリオか」
 神輿の後方、赤色の幟が建てられたその柱の傍に傅く男の名を、ディーノは振り返りもせずに言い当てた。
 鼻の下に髭を蓄え、黒髪を地肌に撫で付けた男が片膝を立てた姿勢で地表より僅かに浮かび上がり、下げた顔を持ち上げた。眼鏡越しの瞳は知的な色と共に、厄介事を様々に抱え込みたがる主を思いやる彩を宿して、背中を向け続ける金髪の青年を見詰めた。
「なにか分かったか」
 胡坐を作り直し、高い位置から祭りをじっと見やるディーノが低い声で問う。
「はい」
 ロマーリオは軽く握った拳を地に押し当て、苦渋に表情を作り変え首を振った。
 彼はディーノの眷属の筆頭で、いわば側近中の側近だった。そんな、常日頃から傍に控える彼さえも地上に放ち、情報収集に努めさせたその理由。
「見付かったか」
「いえ……」
 もしこのまま放置すれば、取り返しのつかない状況を招きかねない。本来はこんなところでのんびり祭見物をしている場合でもないのだが、方向性が見えないために動きようがなかったのもまた事実。
 若干の期待が入り混じった声で重ねて問えば、返って来たのは掠れた否定の言葉だった。
 言うと同時に首を横へ振ったロマーリオに、目に見えて落胆の様相を呈したディーノが乱暴に髪を掻き毟る。気持ちを回復させてくれる朗報は届かず、自分の失態は挽回できていない。このまま何もしないでいれば、元から悪い自分の立場がどんどん不味い方向へ向かうばかりで、焦りがじわりと滲み出て彼はつい爪を噛んだ。
 綱吉の事で心かまけている場合ではなかった。いや、こういう状況だからこそ他に心を向けていたかったのかもしれない。
 どちらにせよ、自分が事をなおざりにしていたのが原因だ。何も起こるわけがないと気を緩め、地上を放浪という名目での監視から手を抜いていたのが災いした。
「ですが」
「なんだ」
 引き続き調査を続行するように命じようとして、先にロマーリオが一度閉じた口を開いた。
 右に薙ごうとしていた腕を止め、報告事項があるならまとめてさっさとすませろ、ともったいぶるやり方の部下を叱責する。自分の苛立ちを他者にぶつけるなど最低だと分かっているが、声が荒くなるのはどうにもとめられなかった。
 眉を吊り上げて怒鳴ったディーノの膨らんだ気に、神輿の前方に据えられた、供物を載せた三方が音を立てた。危うくひっくり返してしまうところで、微かな物音に我に返ったディーノは立ち上がろうとしていた膝を慌てて元に戻し、神輿に座り直した。
 普段と大きく様子が異なる彼に眉を潜め、ロマーリオは注意深く気配を読んだ。が、不貞腐れた態度を取る彼からは機嫌が悪い、という事しかつかめず、流石に長年ディーノに付き従っているとはいえ、この数日間で彼に何が起きたのかまでは知りようがなかった。
 傾げた首を戻し、こほんと咳払いをひとつ。気を取り直した彼は、配下からもたらされた情報を頭の中で並べ立て、最重要事項を音に刻んだ。
「二ヶ月前の、火の奥宮襲撃事件の犯人なのですが」
「ああ」
「どうやら人間の異能集団ではないかと」