雛鳥

 多分あそこではないか、と教えられた場所に、確かに彼女は居た。
「見つけた」
 遠巻きに座っている後姿を見て、綱吉は良かったと安堵の息を零した。与えられた情報を信用していなかった訳ではないが、なにせあちらが自分を信用してくれていないので、嘘を言われた可能性も否定できなかっただけに、無駄足を運ばずに済んだのは正直なところ、嬉しかった。
 手にした白いビニル袋を前後に揺らした彼は、随分な距離を歩かされた足を労って、もうひと分張りだと励まし、公園の敷地へ踏み込んだ。
 そこは黒曜町の一角にある小さな公園だった。
 中央に半円状のコンクリート製の、中が空洞で側面には幾つかの穴が開いた遊具が置かれ、端の方には錆び付いたブランコがもの寂しげに佇んでいる。敷地を囲む木々は枝が伸び放題で、手入れをされている気配はあまり感じられなかった。
 自然が溢れていると言えば上等に思えるが、地表に落ちる陽射しが少ない分公園内はかなり薄暗くて、不気味な印象が前面に押し出されてしまっていた。それを証明するかのように、遊ぶ子供の声は皆無であり、綱吉以外ではブランコの反対側にある動物を模ったベンチに座る彼女しか、目に映る範囲に人影はなかった。
 誰も居ないし、誰も来ないから、安心出来るのだろうか。それは少し寂しいかな、と不意に思い浮かんだ彼女が此処に居る理由に肩を竦め、綱吉はやや急ぎ足で距離を詰め、乾いた砂の地面に薄い足跡を残した。
「クローム」
 残り五メートルを切った辺りで、あちらを向いている彼女に声をかける。完全に意識を遠くへ飛ばしていたらしい彼女は、呼びかけにピクリと肩を揺らして硬直し、恐々といった風情でゆっくり振り返った。
 右目に髑髏の意匠を施した眼帯、短い黒髪にふっくら柔らかそうな唇。若干警戒の色を滲ませていた隻眼は、その場で立ち止まった相手が誰なのかを悟った瞬間に和らぎ、それから怪訝に細められた。
「ボス?」
 獄寺に十代目と呼ばれるのはいい加減慣れてしまったが、彼女にそう呼ばれるのは未だ照れ臭い。へへ、と曖昧に笑って赤い顔を誤魔化し、頬を引っ掻いた綱吉は、腕を下ろしてから近くに行っても良いかどうかの伺いを立てた。
 無論彼女が断るわけもなく、即座に頷いて返される。しかし首肯して後に綱吉を何処に座らせるべきかでクロームは迷い、膝の上にあった両手を半端な高さに持ち上げて視線と一緒に左右へ泳がせた。
 彼女が座る、元はパンダであったと思しきペンキの剥げた熊の像は、横にふたり並んでも問題ない大きさを持っている。しかしベンチはこれひとつではなくて、パンダを一番左端に置き、更にふたつ、似たような形状のものが地面に固定されていた。
 果たして隣と真向かいと、どちらに座ってもらうべきだろうか。彼女が真剣に悩んでいる間に、気付かない綱吉はビニル袋をガサガサ言わせながら歩を進め、腰を浮かせて左へ位置を僅かにずらした彼女の横を素通りした。
「あ……」
 広げた空間を指して綱吉に席を勧める前に、彼は勝手にクロームとの向かいに居場所を定めてしまった。よいしょ、と軽い掛け声を呟いて薄汚れた兎のベンチに座った綱吉を前に、クロームは指先を僅かに痙攣させた後、結局何も言わずに膝へ下ろした。
 浅く下唇を噛んで、向かい合わせなのに変に斜めにずれたお互いの位置に後悔を滲ませる。だが今更元の地点に戻るわけにもいかず、他の人よりもワンテンポ遅い自分の行動を彼女は心の中で叱った。
 とはいえ、何事に対しても二の足を踏んでしまうのは、元々人に遠慮がちにしか接せられない性格上、容易に修正できそうになかった。
「あの、……」
「うん?」
 だからせめて、自分に何の用事があったのか聞こうと努力してみたのだが、やはり次に続く言葉は簡単に出てきてくれず、開いた桜色の唇が無音を刻んで閉ざされていくばかり。綱吉が顔を上げ、なんだろうかと丸い目を見開いて彼女を見詰めれば、クロームはパッと顔ごと視線を逸らしてしまった。
 その露骨なまでの態度に、綱吉も苦笑を禁じえない。
「邪魔だったかな?」
 再び頬を爪で掻いた彼に、ハッとしたクロームが慌てて姿勢を戻して首を振った。その、どこかへ飛んで行ってしまえそうな勢いに綱吉はまた笑って、良かった、と呟く。細められた目には限りなく優しい色を宿していて、彼の機嫌を損ねてしまわなかったことに、クロームはホッとした。
 膝に載せていただけの手を丸め、重ね合わせる。何か話した方が良いだろうか、けれど何を言えばいいのか分からない。こういう時、人はどんな風に考えて行動するものなのか、まるで想像が出来なくて、クロームはまたしても唇を噛んだ。
 綱吉がそんな彼女の前で、手にしていた袋の口を左右に広げた。
 ビニルの表面が潰れて音を立て、自ずと彼女の視線も持ち上がる。綱吉の左側、クロームから見れば右側の、兎の耳の間に置かれた袋を弄っていた彼は、中身が無事であるのを確かめた後、其処に意識を向けていた彼女に気付いてまた笑った。
「あのさ。有難う、ね」
「……ボス?」
「獄寺君たちから聞いたよ」
 急に礼を言われてしまい、思い当たる節が全く無かったクロームは面食らう。片方しか無い目を瞬かせ、心底不思議そうに首を傾げる彼女に、綱吉は言葉が足りなかったことを素直に認め、少し早口に今日の用件を告げた。
「鍋パーティーの」
「……」
 彼が言っているのは、獄寺が主宰(獄寺本人にその意思は無かったが)した鍋パーティーの事だ。
 並盛中学の片隅でお手製の竈を作り、巨大鍋で具を煮込んで綱吉に食べてもらう、というのが彼の目的だったのだが、何処で情報が漏れたのか、あれよあれよという間に他の守護者も勢ぞろいで、結局一度鍋はひっくり返り、中身は台無しに。
 獄寺の計画を各方面にばら撒いたのは他でもないリボーンだが、鍋がひっくり返る原因となったのは獄寺本人。何のことだかさっぱり分からぬまま彼にひたすら謝られた綱吉は、最初から順を追って話せとその場に居合わせた面々から情報を集め、漸く今回の珍事を知ったのだった。
 ビアンキに掴まって気を失っているうちに、いつの間にか学校に移動して鍋の準備も出来ていて、準備の最中にあったドタバタには一切関わらず。綱吉を中心にした予定の筈が、最後まで本人を蚊帳の外に置いたまま終わってしまった。
 それがちょっとだけ悔しかったと彼は肩を竦め、じっと瞬きもせずに聞いていたクロームに気付いて小さく舌を出した。
「ボス?」
「今のは、内緒にしておいて」
 獄寺が聞けば、また物凄い勢いで土下座して許しを乞うてくるだろう。クロームが容易く他人に話すとは思っていないが、一応念を押した彼に彼女はコクン、と一度だけ首を縦に振った。
 眼差しは真剣で、鋭く綱吉を射抜いている。本人がそう意識してやっているわけではなかろうが、彼女は人の話をする時にじっと相手の顔を見詰めるところがあるから、綱吉は照れ臭さを隠し、横道に逸れた話を元に戻そうと試みた。
「それで、さ」
「でも、私、お礼言われること、なにも」
 クロームも綱吉の意向を気取り、先に回り込む形で言葉を紡いだ。途切れがちのたどたどしい口調で、困惑を節々から滲ませた台詞に、綱吉はゆっくり首を振った。横へ。
 そんな事は無い、と聞きかじっただけでしかないその日の出来事を、彼は脳裏に描き出す。
 実際この目で見るのは叶わなかったが、日々似たような騒動に巻き込まれているから、簡単に想像は着いた。ひとり獄寺が空回りして、山本は気楽に笑って見ているだけ。了平は変な方向へ物事を解釈して突っ走り、ランボは人の迷惑顧みず。ハルは獄寺に対抗して火花を散らし、京子は山本同様に離れた場所から見て笑っている。
 そこにあの雲雀やリボーンが加われば、どうなるか。個性が強すぎる面々に囲まれて、現場に居合わせずに済んでよかったとも思っている自分に綱吉が苦笑する。ひとり含み笑いをしている彼を怪訝に見て、クロームもまたあの日の出来事を簡単に振り返った。
 リボーンから、鍋をするから何か具を持って並盛中学に集合、という報せを受け、何を持っていくべきかひたすら悩んだ。
 自分の手持ちの金額はスズメの涙で、財布を広げて残高を計算したら本当に泣きそうになった。これで綱吉を喜ばせられるものが果たして買えるだろうか、急き立てられた彼女はスーパーへ出向き、セールに沸く主婦の勢いに戸惑いながら鍋の具を探し回った。
 真っ先に浮かんだ肉は、どれを買えば良いのか分からない上に値段も高くて駄目。野菜も、もう誰かが用意してしまっているかもしれないと思うと手が出なかった。お菓子なんて鍋とは無関係のものだし、他に何があるのか分からず店内を徘徊するのも三週目に差しかかろうとしていた時、目に飛び込んできた冷蔵の陳列棚。
 豆腐なら手頃な値段で、量も買えると気付き、これならば大丈夫だろうと決心して、思い切って購入してみたのだが。
 結果としては、鍋に入れる直前に獄寺に腕を取られて揺すぶられ、地面に落ちて潰れてしまった。
 思い返すとまた哀しくなって、クロームはぎゅっと両手を握り締めた。
 矢張り自分は、綱吉にお礼を言われるようなことなど何一つ出来ていない。なけなしのお金を使って購入した豆腐も役立たずで、しかも自分はあの時何も言わずにあの場所から逃げ出してしまった。獄寺にだって、失礼極まりない女だと思われたに違いない。
「クローム?」
「私、やっぱり」
 霧の守護者など、骸の代わりなど、到底出来やしないのだ。
 此処でこうやって、彼の前にいる資格など、何処にもありは。
「クロームが居てくれてよかったよ」
 胸の中で渦を巻く暗い感情をどう吐き出せば良いか迷い、スカートの裾を握り締めたクロームだったが、不意に綱吉が告げた明るい声に目を見開き、俯かせていた顔を慌てて持ち上げた。
 何故そんな事を言うのか。理由が分からなくて呼吸を止めた彼女に、綱吉はしみじみと自分の発言に頷いて右を上にして脚を組んだ。
 そう長くも無い脚が揺れ、踵の外れた靴が爪先にぶら下がる。腕組みまでして眉間に皺を寄せている彼に、クロームは僅かに身を乗り出した。
「ボス?」
「だって、お兄さん……あ、晴れの守護者の人なんだけど、ガム入れようとしたんだよね、お鍋に。クロームが止めてくれてよかったよ、本当。あのままガム入りの鍋を食べさせられてたかと思うと、ゾッとするし」
 味を想像して鳥肌を立てた綱吉が両腕をさすり、摩擦熱で身体を温める。クロームは言われた内容を二度頭の中で繰り返し、そういえばそんな事を言った気がすると、白い短髪の、こめかみ付近に傷がある男性を思い浮かべて小首を傾げた。
 立てた人差し指を頬に添え、視線を浮かせて考え込む。
 ガムは犬が好きでよく噛んでいるのだが、たまに塊のまま飲み込んでは喉に詰まらせ、苦しさに呻いていることがあった。だから綱吉まであんな風に苦しんで欲しくなくて、了平を止めた。
 彼は気を悪くしなかっただろうか。そんな素振りは感じなかったけれど、自分の行動で誰かに嫌な思いをさせたくはない。
 窺う視線で綱吉を見詰めると、彼は左手を横に滑らせ、袋の中身を小突いた。
 白い防壁に覆われた内容物は、クロームの位置からでは見えない。指を三本ばかり使って中にあるものを動かしているらしく、ガサガサと擦れ合う袋の音だけが聞こえてくる。
「だからさ、有難う」
「そんな、こと」
 正面切って人から礼を言われたことなど、殆どなかった。親に愛された経験は無くて、いつも邪魔者扱いされていたから、他人の視線に怯えて、誰かの迷惑にならないようにひっそり日陰に咲く花のように散れたら良いと、そんな風にばかり考えていた。
 だからこんな時、どういう顔をして、なんと返せばいいのかが分からない。嬉しいのに、素直に感情を表に出す術を持たない彼女は、だからじっと、それこそ見られている綱吉の方が顔を赤くするくらいに、彼を見詰める事しか出来なかった。
 風に煽られ、木々がさざめく。緑濃き場所にあって恐ろしいばかりの静けさに、遠く微かな鳥の声が重なった。
 不意に視線を持ち上げた綱吉が空を仰ぎ、つられてクロームもそちらに細めた隻眼を向けた。緑の隙間から覗く青空に、白い飛行機雲が一本、高い場所を東西に横切っていた。
「そうそう、それでさ」
 気を取り直す格好で、上向かせた顔を戻した綱吉が両手の平を叩き合わせて音を立てた。ぱしん、という乾いた音にクロームは目を瞬き、再びガサガサ言わせた彼の手元に意識を流した。
 ビニル袋は、コンビニエンスストアのものだ。彼はさっきから頻りに気にしていたその中身を抓み、取り出して、途中で持ち替えて左の掌に載せた。
 首を右に倒したクロームが、不思議なものを見る目で手の上のものから綱吉の顔に目線を動かす。彼は笑っていて、どうぞ、と言わんばかりに彼女に向けて真っ直ぐ、左肘を伸ばした。
「……」
 クロームの表情は困惑に彩られ、綱吉を見返すばかり。
「お礼、にはならないかもしれないけど」
「ボス」
「豆腐の代わり、っていうか、まあ、そんな感じ」
 なかなか動こうとしないクロームに焦れもせず、綱吉はむしろ彼女を困らせている自分を自嘲気味に笑って、右手で頭を掻いた。
 彼が持って来たのは紙パックに入ったアイスクリームだった。さっきから袋の中で動かされていたものは、ならば保冷材か。気候は穏やかで暑くはないが、長い間屋外にそれだけを置いておけば、さしものアイスだって溶けてしまう。
 バニラ味を示す絵柄の蓋の上には、赤と白の模様が入ったスプーンが。薄く削った木のヘラのそれもセットで渡そうとする彼に、クロームはどうして、と口の中で呟き、次第に疲れて低くなっていく綱吉の手をぼんやり見下ろした。
「アイス、嫌いだった?」
 やがて、綱吉は諦めて肘を戻し、入れ替わりに言葉を紡いで彼女に問うた。
 気を悪くさせた。クロームは驚き、僅かに心臓を竦ませて慌てて首を横に振る。無意識に持ち上げた手を胸の前で結び合わせ、さながら神様に祈るようなポーズを作り出す。
 怯えた色を含んだ表情ではあったが、必死に否定する気持ちは伝わって、綱吉は安堵した様子で腕を下ろした。
 膝にアイスごと手を載せ、落ちる木漏れ日に目を細める。
「だって、お豆腐」
 綱吉は嫌いではないけれど受け取ろうとしない理由を考え、クロームは綱吉がアイスをわざわざ持って来た理由を懸命に考えていた。
「落ち……ちゃった、から」
「みたいだね」
 あれは獄寺の不手際だったと、思い出した綱吉がはにかむ。彼はその事も終始気にしていて、彼女が駆け足で逃げてしまったのは自分の所為だと落ち込んでいた。
 実はこのアイスの代金だって、獄寺の財布から出たものだ。綱吉が彼女の居場所を探していると何処かから聞きつけて、一緒に謝ってきて欲しいと頼まれて。
「そんな」
 ざっと事情の説明を受け、それは違うとクロームが首を振る。
 あれは自分だって悪い。もっとちゃんと相手の意思を汲んで動いていれば、あんなことにはならなかった。豆腐なんていう崩れ易いものを用意しなければ、鍋だって巧くいったかもしれないのに。
「そんな事ないよ」
 どうやっても後ろ向きにしか思考が行かない彼女に肩を竦め、綱吉がきっぱりと透き通る声で否定する。
 タイミングが悪かっただけで、誰かが絶対的に悪いわけではない。それに綱吉は嬉しかったのだ、日頃接触する機会にも乏しく、他者との交流を拒絶する傾向にあるクロームが、綱吉の為にわざわざ出向いてくれたことが。あまつさえ、自分たちの生活費だけでも苦しかろうに、少ない所持金から何かを用意しようとしてくれた、その気持ちが、なによりも。
 自分の言葉に照れながらも最後まで言い切った綱吉は、虚を衝かれた顔をしているクロームにもう一度汗を掻いているアイスを差し出し、同時に兎のベンチから腰を浮かせた。
 一メートル足らずの距離を半分詰め、うつ伏せに握られていた彼女の右手を取る。抵抗はなくすんなりと表返ったその掌に冷たい箱を置き、そっと握らせて離れた。
「お豆腐は残念だったけど、気持ちは凄く、嬉しかったから。そのお礼。受け取ってくれないと、凄く困るんだ」
 さりげなくクロームの逃げ道を封じ込め、踵を後ろに滑らせた綱吉は膝の裏でベンチの位置を確かめて、しゃがんだ。無事に座り心地の硬い椅子に着地して、必要なくなったビニル袋を押して潰す。
 クロームは渡されたものと綱吉の顔を交互に見詰め、最後に両手で箱を大事に包み込み、微かではあったが嬉しげに、目元を綻ばせた。
「あり、が……とう」
「どういたしまして。俺からも、ありがとうね」
 ぎこちなく礼の言葉を口ずさんだ彼女に、それ以上の笑顔を浮かべた綱吉が目尻を下げて言う。頭上では飛行機雲が細かった軌跡を広げ、空の色に馴染もうとしていた。
 用事はこれで終わりだと綱吉はゴミと化した袋を握り、脱げかけていた靴を履いて地面を踏みしめる。
「ボス」
 肩を回し、骨を鳴らしたその彼のシャツの裾を、クロームが引きとめるように掴んで引っ張った。
「ん?」
 ちょっと待って、と彼女は蓋に載せたままだったスプーンを手の中に移動させ、覚束ない指使いでアイスの蓋を外した。次いで裏返して横の空間にそれを置き、握り締めていたスプーンを紙のケースから抜き取る。
 保冷材を入れていたとはいえ、かなり柔らかくなってしまっている乳白色のアイスの表面に、一本、彼女は何を思ってか線を描いた。
「クローム?」
「はい」
 真ん中を過ぎた辺りで歪んでしまい、持ち上げて途中から修正して筋を作る。円形の表面を縦に割る不恰好なラインに、綱吉は首を傾げ、彼女は満足げにスプーンをアイスから引き抜いた。
 持ち手よりも太くなった先端に、抉り取ったアイスの小さな塊を載せて、綱吉に差し出す。
「や、あの」
「お豆腐は、駄目だったから」 
 それは彼女にあげたものであって、自分が食べる為に買って来たものではない。当然ながら遠慮を表明して断るべく首を横に振った綱吉に、彼女はそれでも諦めずに腕を伸ばした。
 綱吉の顔のすぐ前までアイスを持って行き、尚も伸び上がって距離を詰めようと試みる。必死具合が伝わってきて、綱吉は指を揃えて縦に構えていた両手を下ろした。
「クローム」
「食べられなかったのに、全部、貰えない」
 綱吉がクロームから受け取ったのは、気持ちだけ。
 クロームが綱吉から貰ったのは、気持ちと、このアイス。
 貰う方が重いのは、少し苦しい。
 だから、半分。
 懸命に訴えかける彼女の眼差しを浴び、綱吉はやがて肩の力を抜いて相好を崩した。
「いいの?」
「うん」
 確かめて、彼女がしっかりとした返事をするのを受けて、兎のベンチに座り直す。改めて差し向けられたスプーンから、表面が溶けて雫を滴らせているアイスを受け取った。
 唇でヘラを挟み、甘い冷菓を引き受けて首を引っ込める。綱吉からスプーンを取り戻した彼女は、返す手で窪んでいる場所のすぐ隣に穴を開け、今度は自分の口にミルク味のそれを運び入れた。
「あ」
 冷たさに肩を竦めていた綱吉が、クロームがなんの躊躇も無くスプーンを使ったのを見て小さく声を零す。
 その声に、綱吉がもっと欲しがっていると勘違いした彼女が、急いでアイスの穴を大きくしてさっきよりも多めに、綱吉へ差し出した。
 子供のような彼女の反応に、綱吉は暫く黙り込み、やがて自分が気にし過ぎなのかと肩を竦めた。
「ボス?」
「ううん、なんでもない」
 ここで間接キスを指摘したら、彼女はどんな反応をするだろう。
 それはそれで面白そうだけれど、あまり苛めると骸たちが良い顔をしない。
 肩幅に脚を広げ、間にある兎の腕部分に両手を置き、綱吉は身を乗り出してクロームからアイスを引き取った。控えめに、なるべくヘラに触れないように注意深く受け止めて、咥内に広がった冷たさに全身の筋肉を強張らせる。
 数秒遅れでクロームも、同じようにアイスの冷たさと甘さに身を縮こませた。
 目が合って、どちらからともなく声を立てて笑う。
「美味しい?」
「うん」
 アイスを片手に満面の笑みを浮かべた彼女の幸せそうな姿に、もうひとくち強請りながら、綱吉はまた買ってこようと心に決めた。

2008/05/10 脱稿