菖蒲

 春の大型連休中は特別何処かへ遊びに行く予定も無くて、気ままに家で時間を過ごすことが多かった。
 子供たちを連れて近所の公園へ行ったり、奈々につきあってデパートで買い物をしたり、それくらい。山本は野球部の試合と練習で忙しく、ハルは家族で海外旅行と豪遊、京子は了平の矢張り試合があるとかでそれに付き合っている。
 獄寺は最初の頃こそ頻繁に遊びに来たが、ビアンキが都度応対に出るのでここ数日はめっきり顔を見せなくなっていた。昨日電話で確認したところ、ついに寝込んだという。なんと勿体無い。
 リボーンはふらふらと何処かへ出かけてしまって、ランボとイーピンはただ今お昼寝中。フゥ太がその面倒を見ていて、奈々は夕食の買出しで留守。
 窓の外は快晴の空が広がり、暖かな風が町並みを撫でて駆け抜けていく。緑は鮮やかで目に眩しく、庭先に干されたシーツの大群がいかにも心地よい光景を作り出していた。
 連休も間もなく終わりを迎える、今年も長いようであっという間だった。
「ん~……」
 作業の手を休め、背筋を伸ばした綱吉は、自然と唇から零れた声にあわせて目を閉じ、腕を真っ直ぐ上に持ち上げた。
 大量に出された宿題も、リボーンのシゴキによってなんとか休み前半で全部終わらせることが出来た。昨日はゲーム三昧で、夜遅くまで遊んでいたので実はまだ少し眠い。
 一緒に沸きあがった欠伸を噛み殺し、姿勢を前のめりに戻した彼は、膝の先で広げていた雑誌を畳んで右に選り分けた。
 午前十時という半端な時間に目を覚ました彼は、朝食か昼食か分からない食事を摂って以後部屋に引き篭もっていた。またゲームでもしようかとも迷ったが、床の上に山を成した大量のゴミを見て、これは気合を入れて片付けておかないと後で悲惨な目に遭うな、と思った次第。
 こういう時間がかかりそうな事は、余裕のある時にやっておくに限る。早速台所からゴミ袋を何枚か持ち込んで片づけを開始したわけだが、出るわ、出るわ、で始めたのは良いものの、一向に終わる気配が見えなかった。
 押入を漁れば、次から次に出てくる読み終えた雑誌に、古い切り抜き。小学校時代に使っていたノートや教科書に、短くなった鉛筆や黒い物体と化した消しゴム。壊れた怪獣の玩具に、二ヶ月ほど前に探してどうしても見つけられなかったゲームソフト等など。
 これでもか、と一見して不要物と分かる品々がわんさかと溢れ出して、収集がつかなくなりつつあった。部屋は片づけを開始する前よりももっと汚くなり、このままでは日が暮れても終わらない。
「これは、なんだっけ」
 本棚を漁ったら出てきたファイルを開くと、小学校低学年頃に描いた絵が出てきた。画力は正直、今と大差ない。
 自分で描いたものながら、見ているうちに恥かしさがこみあげてくる。こんなへたくそな絵を自信満々に描いて、教室の後ろに並べて貼り出されていたのかと思うと、顔から火が噴き出そうだ。
 整理をしてくれたのは奈々だろう、自分でやった覚えは全く無い。
「捨て……いや、うん。どうしよう」
 こういう思い出の品というものが兎も角扱いに困って、今捨ててしまっても後悔しないのだけれど、十年、二十年経った後で思い返すと後悔しそうで、迷わされる。
 結局数分間の葛藤の末に残しておくことにし、後ろの方で余っている何も入っていないビニルに、今度はランボたちの絵でも入れてやろうと決める。
 彼らも将来、恥かしい思いをすればいいのだ。
 我ながら妙案だと、ニヤリ口元を歪めて意地悪く笑った彼は、他と紛れてしまわぬように目に付く場所にファイルを置き、次に見つけた黒い紙箱に首を傾げた。
 これもまた、記憶にないものだった。
 書棚の奥に詰め込まれていたのだから、その場所に関わる何かだとは思われる。試しに蓋を開けずに耳元で振ってみるが、紙類が詰め込まれているのか、あまり音はしなかった。
「なんだろ」
 カサカサ言っている気はするが、目立つ音量でもない。怪訝に眉根を寄せて天井を仰ぎ見た彼は、肩を竦めて胸の前に箱を移動させ、膝に載せた。
 鍵などという高尚なものは無く、放置されてからの年月を感じさせる草臥れ感が表面に浮き上がっていた。
 色褪せ、少し赤く焼けてしまっている紙の表面を撫でると、薄ら埃が指紋の間に付着した。ズボンの裾で拭い、息を吹きかけて大雑把に汚れを飛ばした綱吉は、当然目に入った煙に噎せて涙を目尻に滲ませた。
「けほっ」
 咳き込んで、箱を顔から引き剥がす。十五センチ四方はあるほぼ正方形をした黒い箱は、綱吉の握りが甘くなった指先を滑り、自重も手伝ってぐらりと斜めに傾いた。
 あ、と思った時にはもうそれは五十度以上の傾斜角度を持っており、綱吉が慌てて反対の手も使って受け止めようとしたのを嘲笑うかの如くゆっくり沈んでいく。指先で弾いて上に軌道を修正させるが、それも一時しのぎにしかならなかった。
 蓋の角から床に落ちて、衝撃に本体が大きく浮き上がった。ふたつに分離した箱の隙間から、中身が一斉に溢れ出す。
 綱吉は目を見張り、前に伸ばしたままの両腕で身体を支えた。
「うっ」
 柱となった腕の間に転がった箱から飛び出したのは、沢山の紙切れだった。
 いや、正確には少し違う。
「写真……?」
 怪訝に眉を顰めた綱吉が、うち一枚を拾って目の前に掲げる。それは、元々カラーだったものが退色し、セピア色に切り替わろうとしている大量の印画紙だった。
 横に長めの長方形、それがそれこそ山の如くに。箱いっぱいに詰め込まれていたものが床一面に散らばって、色々な表情を作り出していた。
 ベッドの下にもぐりこもうとしているものを見つけ、引き寄せて裏返す。写っているのが誰なのか一瞬考えた綱吉は、笑い方の特徴から、それが若かりし母の姿だと気づいてハッとした。
 ならばこの女性の腕に抱きかかえられているのは。
「俺?」
 白い――実際にはクリーム色に褪せてしまっているタオルに包まれた赤ん坊。眠っているのか目は閉じて、奈々の指に頬を小突かれている。
 髪の毛もまだ殆ど生えておらず、産毛程度に頭部を覆っているだけ。愛らしさとは無縁の、猿みたいな皺くちゃな顔をして、けれどしっかり五本ある指がぎゅっと握り締められていた。
 右隅に印刷されている日付は、自分の誕生日に近い。綱吉は目を見張り、驚きに顔を染めてぽかんと開いた口を手で隠した。
「うっそ。じゃあ、これ全部?」
 アルバムは別にあるが、整理しきれなかった分がまとめて詰め込まれていたと考えるなら、話は分かる。試しに他の写真を手に取ってみれば、オムツもまだ取れていない乳児が棚にしがみつくように立っている図だった。
 こちらは僅かに、今の綱吉の面影が感じ取れる。
「う……」
 昔から自分は、標準よりも小さかったらしい。幼稚園の写真を見つけたが、一緒に写っている仲間より明らかに見劣りしている。
 運動会、お遊戯会に、なんでもない日常のひとコマまで。そういえばこの頃は、奈々がよくカメラを構えて自分を追い掛け回していた気がする。成長するにつれて、面倒くさいし鬱陶しくなって、嫌がっているうちに無くなってしまったけれど。
 写っている自分は、大抵満面の笑みを浮かべていた。
「うわ、なんか懐かしい」
「なにが?」
「これ、こどもの日じゃないかな。そういやうち、五月人形あったのに何処行ったんだろ」
「ふぅん?」
「うっわ、なつかしー……い……」
 気のせいだろうか、相槌が聞こえた。
 綱吉は今日の午後は部屋でひとりきり、引き篭もったまま片付けに没頭。斜め前に見えるドアは閉まったままで、開いて誰かが入って来れば直ぐに気づける範囲。
 ならば、この声は。
「五月人形ね」
 いったい、どこから。
 否。考えるまでもない。
「……あの、ヒバリさん」
「なに」
「靴は脱いでくださいって、俺、何回言えば覚えてくれるんでしょう?」
 麗らかな陽気と、片付け中の為、窓は当然開けっ放し。ドアの真向かいにあるそちらには、綱吉の目も届かない。
 そして、なによりこの聞き慣れた声。玄関を介さず、ドアも通らず、綱吉の部屋を我が物顔で出入りする人物に、綱吉はひとりだけ心当たりがあった。
 拳を震わせて前屈みに怒りを堪えていると、背後に佇んでいた人物は今やっと気がついたという雰囲気で、履いていたローファーでフローリングを叩いた。
 カツン、と。
 靴の裏にこびり付いていた小石が跳ねた。
「そういえば、そうだったね」
「誰が掃除すると思ってんですか!」
 反省の色が一切窺えない。のんびりと口調を崩さずに言った雲雀を勢い任せに振り返り、怒鳴った綱吉は、思った以上に近い位置にいた彼に驚いて、浮かせた腰をその場に落とした。
 尻餅をつき、身体を支えるべく回した手が写真の山に突っ込んで表層雪崩を起こした。巻き込まれた右手がずるりと滑り、バランスを崩した綱吉はそのまま古い写真を下敷きにして仰向けに寝転がる。頭を打って、蛙が潰れるような悲鳴が飛び出した。
「なにやってるの」
 真上から覗き込んだ雲雀の、呆れた声が耳に痛い。
「誰の、所為だと」
 ぶつけた後頭部に響く痛みに耐え、涙目でにらみ返して綱吉は呻いた。
 手を伸ばされたので掴み、引き起こされて肩に張り付いていた写真を引っぺがす。タンコブになっているのかと気にして伸び上がった雲雀の下で、蹲った綱吉は手に残された写真に目を眇め、涙を弾いた。
「ヒバリさん、靴」
「はいはい」
 黒の学生服に、ズボン。学校がある時とまるで変化の無い彼に肩を落とし、綱吉は姿勢を戻した彼の爪先を小突いた。次いでバラバラに飛び散った写真に渋面を作り、身体を裏返して膝立ちに少し進んで、本棚の整理の際に除けておいた大判の紙を探して視線を左右に走らせた。
 何処へやっただろうか、と考えて、昔の絵が入ったファイルと同じくベッドの上に載せておいたのだと思い出す。音を立てて手を叩いた彼が起き上がるのを受け、右足から先に靴を脱いでいた雲雀は、ひとり挙動不審にしている綱吉に首を傾げた。
「脱いだよ」
「ちょっと待ってくださいー……っと、あった」
 左足の分も脱いで、右手でひとまとめに持った雲雀を振り返り、綱吉は手は忙しく動かして目当てのものを見つけ出す。引き抜いて広げると少し皺が増えていて、そろそろ新しいものに交換した方が良さそうだと、彼は窓辺に移動しながら思った。
 床に置くと、ついてきた雲雀がそこに行儀良く靴を並べる。最初から自分でそうしてくれればいいのに、何を好んでこの人は、人の部屋に土足で上がりこむのだろうか。
「掃除中?」
「です」
「じゃあ、丁度良かったんじゃないの」
「はい?」
「掃除、してたんでしょ」
「……」
 先ほど怒鳴ったことを、まだ根に持っているらしい。雲雀の淡々とした台詞に綱吉は頬を膨らませ、上目遣いに睨んでからぷいっと逸らした。
 問題は其処ではないのに、論点をずらされてしまった。言い包められた。腕力も体力も、口でさえ敵わない相手に対抗するには徹底無視を貫くしかなく、綱吉は休日の午後、突然訪ねて来た相手を放置して片付けに戻るべく床に膝をついた。
 散乱している写真を掻き集め、一枚ずつ手に取って重ねていく。
 だが何分枚数が多く、年代別に分けるとしたら更に時間がかかりそうだった。
「アルバムでも作るの」
「違いますよ」
 紺色の靴下が視界に紛れて、直後に黒い学生服が降りてくる。袖が肩に当たって、雲雀が屈んだというのは即座に分かった。
 ベッドとテーブルに挟まれた狭い空間で、わざわざ肩がぶつかり合う場所に座らなくても良いだろうに。動きづらくなって身じろいだ綱吉に構わず、彼はしなやかな指で床の上の写真を一枚抓み、掲げた。
「ああ、もう!」
 見られて困るものではないが、どうせ雲雀のことだから笑うに決まっている。何が写っているかは分からないものの、恥かしくなって、綱吉は横からその写真を掻っ攫った。
 ぱしっ、と軽い乾いた音の後に、空っぽになってしまった手を広げ、握り、雲雀は拗ねた様子で唇を尖らせた。
「減るものじゃないのに」
「減ります。なんか、減る気がするから駄目」
 少しくらい良いではないか。そう主張する雲雀に道理の分からない理屈を捏ねた綱吉は、雑な動きで次々写真を広い、胸の中に押し込めて行った。
 だが要領が悪い彼のこと、折角集めた写真も、何枚か隙間から零れて雲雀の膝元に沈んだ。
 綱吉は目の前の事に夢中で、気付かない。そっと嘆息した雲雀は、彼の腕の邪魔にならぬように身体を僅かに後ろへ引き戻し、その最中に落ちた写真を拾って表向けた。
 若い笑顔の女性と、その手に支えられて大泣きしている子供。場所は座敷だろうか、足元はフローリングではなく畳だった。
「五月人形……」
 ならば先ほど綱吉が呟いていたのは、この写真の事か。記憶を遡って顎を撫でた雲雀の独白に、聞きつけた綱吉がハッとして振り返り、顔を赤く染めた。
「だっ、返して!」
「これは君?」
「誰だって良いじゃないですか。返してください」
 咄嗟に手を伸ばして雲雀から再度奪い取ろうとするが、今度は動きを読んでいた彼がひょいっと高く持ち上げてしまったので、空振りに終わる。動いた衝撃でまた写真が何枚か零れて、そうやって落ちたうちの一枚だと察した綱吉は、半泣きの状態で唇を噛み締めた。
 もう一度挑戦するが、結果は同じ。雲雀は器用に綱吉の手から写真を守り抜き、姿勢を低くしたままくるりと身体を反転させ、ついでに綱吉の爪先立ちの足を払った。
 ごっ、という音を響かせて綱吉が背中から床に落ちる。拾ったばかりの写真は、また部屋中に飛び散った。
「いっ……」
「ああ、ごめん」
「気持ちが篭もってなーい!」
 立て続けに二度も頭を強かに打ちつけて、綱吉は詰まった声を吐き出し苦痛に呻いた。形式ばかりの謝罪に罵声をあげ、花びらのようにひらひらと舞い落ちる写真に首を振る。
 雲雀が部屋に来てから、ちっとも作業が進んでいない。むしろ余計に散らばっている気がする。
 お願いだから帰ってくれないだろうか。捨てずに残しておくと決めた品々が並んでいるベッドを横目で見やり、綱吉はあまりのタイミングの悪さに臍を噛んだ。このままでは本当に、今日眠る場所がない。
 ぶつけた箇所を撫でさすって起き上がり、散々な状態に陥っている自室に力いっぱい肩を落とす。溜息を零して髪の毛を掻き毟っていると、顔の前で写真を揺らした雲雀が自分の座る場所を確保しようとして、綱吉が作った雑誌の塔を崩した。
「あああ!」
 盛大に音と埃を沸かせて土砂災害を巻き起こした紙の山に、綱吉は危うく魂を吐き出すところだった。
 何をしてくれるのか、と問い詰めれば、彼は平然と、こんなところにあるのが悪いと言い放つ。
 最早この人には何を言っても無駄だ。
「なにしに来たんですか、ヒバリさん……」
 彼を無視して事を進めようとした自分が、どうやら愚かだったらしい。素直に認め、綱吉は片づけを諦めて雲雀に向き直った。
 今夜は下の部屋で寝かせてもらおう。ランボの寝相の悪さは辛いが、背に腹はかえられない。
 そもそも、雲雀は何か理由があって此処を訪れたはずだ。今までで用事があった例がどれくらいあったかは考えないことにして、綱吉は膝を揃えて雑誌の山に腰を落とした。
「暇潰し」
「……さようで」
 真面目に考えようとした自分が馬鹿だった。
 さらりと言い切られ、綱吉は視線を横に流して冷や汗に首筋を濡らした。
「それより、これ、君だよね。どうして泣いてるの」
 ひらり、綱吉の前に雲雀が写真を垂らす。そこに写っている綱吉は、三歳か、四歳か。幼少時から小さかったので、もう少し歳が行っている可能性もある。
 奈々の髪の毛はまだ長かった。
「どうだっていいじゃないですか」
 再度取り返そうと腕を振るが、またしても避けられて綱吉は前のめりに姿勢を崩した。空気を握りつぶすだけに終わった手を広げ、膨れっ面で雲雀を睨んだ彼は、興味津々に黒目を輝かせている様に肩を竦め、言わなければ一生この場に居座られそうだと、力無く首を振った。
 小さかったので自分では記憶にないのだが、この季節になるとなにかにつけて奈々が話題に出して話すので、覚えてしまった出来事のひとつ。
 一人っ子だった綱吉に、家光の血縁者が贈ってくれた武者人形。けれどいきなり家に現れた鎧兜の厳しい人形に、綱吉は驚いて怖がり、ちっとも近付こうとしなかった。折角貰ったのだからお礼に一緒に写真だけでも、と奈々は頑張ったらしいが、結局綱吉は、こんな風に大泣きしてしまって。
 翌年も飾ったのだが、夜中にトイレに起きた綱吉がボンボリの灯りに浮き上がった人形を見て悲鳴を上げ、その場で失禁してしまったのもあって、以後押入れのどこかに追い遣られてそのままだ。
 確か幼稚園に上がるか、その少し前の事ではなかったか。具体的に自分の記憶にあるのではなく、聞きかじっただけの思い出なので、その辺りははっきりと分からない。
「ふぅん」
 肘を立てた膝に置いて頬杖をついた雲雀が、緩慢な相槌を打つ。
 照れ臭そうに笑って頬を掻いていた綱吉はその声にハッと我に返り、今自分がとんでもない幼児期の失態を彼に教えてしまった事実に唖然とした。
 見上げれば、案の定彼は楽しげに口角を歪め、綱吉を苛める材料がひとつ増えたと目を細めている。
「うぅ……」
 お漏らしをしたなど、余計な事までつい口にしてしまった。奈々がその辺を特に好き好んで話すものだから、綱吉まで彼女の筋立て通りに喋ってしまったのだ。
 恥かしさで顔を真っ赤にし、綱吉は膝の上で両手を握り締めて、怒るべきか、哀しむべきか迷って頭から湯気を立てた。
 だが雲雀は深く追求はせず、立てた人差し指で顎をなぞり、視線を浮かせると、右から左へと瞳を流して最後に伏した。
「まだ」
「もう怖くないですから!」
「そうじゃなくて」
 言いかけた言葉を先読みして遮り、声を荒げた綱吉に冷たい視線が突き刺さる。呆れたと肩を竦められ、綱吉はまたしても声を詰まらせて腕を振り上げた状態で停止した。
 自分の部屋なのに居心地が至極悪くて、逃げ出したい気持ちに駆られながら綱吉は手を下ろす。盗み見た彼はまだ思案気味に視線を余所向けていて、凛々しい顔立ちが窓から射す光の中で淡い輪郭を描き出していた。
 雲雀ならば、武者鎧も良く似合いそうだ。颯爽と馬を操って戦場を駆け抜けていく様は、想像するだけでも惚れ惚れしてしまう。
 きっと彼は、一番に手柄を得ようと敵に突撃していくタイプ。もしくは、源義経のような若武者が似つかわしいか。
 自分なら足軽か、槍持ちくらいが適当といったところ。何十キロと重量がある鎧を着込んで縦横無尽に戦場を駆け回るなど、とても出来そうにない。
 想像の範疇ながら、嘆かわしくなるこの落差に軽く涙が出た。
 雲雀の家にも、五月人形は飾られているのだろうか。彼の事だから、さぞや立派なものに違いない。武者姿を思い浮かべていた連鎖で、日本家屋に佇む雲雀が脳裏に現れる。広い庭に颯爽と泳ぐ鯉幟は、今はなかなか見ることも叶わない光景だ。
「なに笑ってるの」
「ふは……ひえっ!」
 無意識ににやにやしていたらしい。急に雲雀の冷めた声が聞こえて、綱吉は大仰に驚いて飛び上がった。
 目を瞬けば、息が触れるほどの近さに雲雀の顔があった。僅かに不機嫌そうに吊りあがった眉の下で、細く鋭い瞳が綱吉を見詰めている。
 冴えた夜明けを匂わせる澄んだ色合いに綱吉は胸をドギマギと高鳴らせ、内面の動揺を悟られぬよう咄嗟に視線を逸らした。
「わ、らって、まし、た?」
 けれど聞き返す声は不自然に途切れていて、誤魔化し切れているとはとても言い難かった。
「うん」
 しかし雲雀は突っ込んだ質問は投げかけてこず、ひとつ頷いて身を引く。離れていく他者の気配にホッとしたと同時に、何故か惜しい気分になった綱吉は胸の上に手を置き、激しさを増している心臓を宥めた。
 変な気分だと唇を舐め、乾いている表面に潤いを与える。ちらりと窺い見た雲雀は、床の上の写真を何枚か手に取り、トランプのように扇状に広げていた。
 更にもう一枚、ぺらっと捲って列に加えようとしているのを見て、綱吉は憤然と腕を横に薙ぎ、彼の左手から合計四枚の写真を奪い取った。
 親指の根元に近かった一枚だけは、掴みきれずに雲雀の手元に残される。叩かれた衝撃で前に傾いだ印画紙は中央で折れ曲がり、薄らと皺が残された。
「乱暴」
「ど、うせ。俺のだし」
 静かに指摘され、図星に綱吉は喘いで最初の一言だけやけに大きく息を吐いてしまった。勢い余って握り締めた手の中では、取り返した写真が雲雀の手の中のもの以上に皺くちゃになってしまって、気付いて広げた時にはもう手遅れだった。
 七五三の時だろうか、おめかしして家の前に立っている写真が二枚。家光の腕に抱かれて眠っている写真が一枚。あとは、輪郭がピンボケになってしまっている誰かの写真。背格好からして綱吉ではなく、家光とも違う男性のようだった。
 一枚ずつ床に置き、裏面に指を添えて皺を丁寧に引き伸ばしていく。だが一度癖になってしまったものはもう消すことも出来ず、強がっては見たものの些かショックを受け、綱吉は頭を垂れた。
 特に目立つ筋をなぞり、表返す。ピンボケ写真の人は髪の色が薄く、白髪に近い。
「誰、だろ」
「お爺さんじゃないの」
「いませんから」
 指を伸ばし、綱吉の手の中から写真を抜き取った雲雀が、僅かな特徴を画像の中に見出して呟く。言われるだろうな、と予測していた綱吉はその通りになったのが嬉しいのか、小さく笑んで肩を竦めた。
 綱吉に祖父は居ない。奈々の両親は早くに亡くなっているし、家光側も、綱吉が産まれる前にこの世を去っている。だから思い当たる人物は、皆無だった。
 顔を上げた雲雀は、そんな綱吉に複雑な表情を作って唇を尖らせる。
「ヒバリさんは、なんか、大家族っぽい」
「そうでもないよ」
 手を差し出されたので、今しがた取った分だけを返却し、素っ気無く言う。尚も綱吉は広げた掌を上向け続けたが、あの五月人形を前に泣いている写真だけは、いつまで経っても返して貰えなかった。
 次第に諦めの境地に近付き、綱吉は溜息と共に腕を下ろした。
「それで笑ってたの?」
「はい?」
「さっき」
 ちょっと前に、綱吉がひとりにやにやしていた時の事を掘り返して、雲雀が聞く。一瞬分からなかった綱吉は目を丸くし、視線を浮かせて考え込んで、数秒の後に雲雀の問いかけを理解した。
 違う、と首を振りそうになって、寸前で思いとどまる。雲雀家の家族構成を気にしたわけではなかったが、似たようなものだ。
「いや、まあ。なんと言うか」
 胸の前で指を寄り合わせて捏ね、綱吉は斜め上の天井に視線を泳がせた。一緒に腰も揺れ動き、脚を組み直した雲雀が怪訝な顔をしているのも気付かない。
「ヒバリさんちには鯉幟とかも、ありそうだなーって」
「あったよ」
「え」
「昔はね」
「ああ……」
 一瞬、今も鯉幟を立てているのかと思ったが、幼い頃の話だと短く説明を追加されて、綱吉は緩慢に頷いて声のボリュームを下げた。
 悠然と風に靡く鯉幟、さぞ立派なものだったのだろう。同時に、彼の家がそういうものを設置できる程の広い敷地を所有しているのだとも、言わずして教えられた。
 あながち自分の想像は現実とさほど乖離していないようで、綱吉は手を解いて膝に落とし、其処にあった写真を拾い上げた。
 ひとつにまとめて束にして、縦に持ち替えて端を揃える。上下と表裏の区別は、順繰りに捲って確かめていくしかあるまい。
「今はもう出してないんですか?」
「流石に、この歳ではね」
 見てみたかったと綱吉が言えば、倉から自分で引っ張りだすのなら構わないと言い返された。
「五月人形も?」
「そろそろ虫干しをしてやらないと駄目かもね」
「うちも探さないとな……」
 ランボたちのために、出してやればよかった。今更に後悔が胸の中に滲み出て、綱吉は下唇を爪で弄りながら半眼した。
 何処へ片付けたのだろうか、家光は。恐らく納戸だろうが、あそこも色々なものが乱雑に押し込められているので、奥の方に収納されていたら手の施しようが無い。もう十年近く前の話なので、綱吉が知らないうちに捨ててしまった可能性もある。
 あとで奈々に確認してみよう。そう決めて、綱吉は雲雀の手に残されたままの写真を思い出した。
「それ」
 返してください、と指を揃えて掌を天井に向けて差し出す。
 だが雲雀は、顔の横で綱吉には裏面しか見えないように紙を揺らすばかりで、一向に応じる気配は無かった。
「ヒバリさん」
「鯉幟も五月人形も、もう飾りはしないけど。毎年、今日は寿司なんだよね」
「……なんの話ですか」
「これ、貰っていくよって話」
 ひらひらと二本の指で挟んだ写真で空気を攪拌した雲雀の台詞に、綱吉は「は?」という顔をして頭に五個ばかりクエスチョンマークを浮かべた。
 話の脈絡がまったくつかめない。雲雀の言っている内容は支離滅裂であり、どういう理屈でその結論に至るのか、さっぱり理解出来なかった。
「いや、あの。何のことだか」
 兎も角、たとえ自分が覚えていない幼少期時分とはいえ、あんなにも顔を皺くちゃにして泣きじゃくっている姿の写真を他人に持ち帰られるのは、いい気がしない。恥かしい。
 返してくれと食い下がる綱吉から逃げて、雲雀は座ったまま器用に後ろへ下がった。
 綱吉も負けじと、右手を高く掲げると左手と膝を床につきたて、四つん這いに近い姿勢を作って雲雀へにじり寄る。彼の膝の三十センチばかり上に半身を運んで倒し、肩がぶつかる距離まで詰めて斜め後ろへ逸らした彼の右手を懸命に追いかけた。
 それでも、雲雀の手に届かないのが悔しい。
 立てば良いだけの話だが、この時はそういう発想がまるで出来なかった。
「うあ、もう!」
「危ないよ」
「誰のせい……っつぁ!」
 元から狭苦しい部屋、その上片付けの真っ最中。あちこちに色々なものが積み上げられて、自由に動きまわれる範囲も限られているのを忘れ、綱吉は雲雀の忠言にも耳を貸さずに大きく伸び上がった。
 そして雲雀の懸念した通り、前に出した左手が、先ほど雲雀の崩した雑誌の山に乗り上げて滑る。ずるっ、と上半身を支えていた腕が後ろへと流れ、当然バランスを崩した彼の身体は前のめりに崩れていった。
 ドスン、と階下にまで響く地鳴りを起こし、綱吉が雲雀の膝に沈没する。顎に鳩尾を直撃された雲雀は、衝撃に声を殺して堪え、掌に雑誌の表紙を貼り付けて悶えている綱吉に肩を竦めた。
「だから、言ったのに」
「わぁーるかったですねー!」
 人の話を聞かないから、と自分を棚に上げた雲雀の呆れ声に、綱吉は痛みを堪えて赤い顔をあげた。
 こうなったそもそもの原因が、何を言うか。涙目を拭って噛んでしまった舌を慰めた綱吉に薄く笑み、雲雀は無事だった写真をどさくさに紛れて上着の胸ポケットへと押し込んだ。
 即座に綱吉が、彼の手が離れていった瞬間を見計らって、頭だけ出ていたそれを引き抜く。
 やっと戻って来た写真は、上下が逆になって、綱吉の頭の先に折れ目が入っていた。
「返して」
「ヒバリさんのじゃありませんから」
 三角に立てた膝の上に肘を置き、腕を伸ばした雲雀が不機嫌に言って指を曲げる。奪われてなるものか、と腰を捻って体で庇った綱吉は、ちょうど奈々の顔に被っている線を撫で、心の中でごめんなさい、と謝罪した。
「綱吉」
「嫌です。大体、なんで俺の写真なんか欲しがるんですか」
 それもみっともなく、泣いている子供時代の写真など。
 元々雲雀は、何を考えているのか分からない人だったが、今日は輪にかけて酷い。人を振り回して遊んで、なにが楽しいのか。こちらとしてはいい迷惑で、ちっとも片付かない部屋を見回して綱吉は深く溜息を零した。
 長期連休はもう残り少ないというのに、このままでは明日も部屋の掃除だけで終わってしまう。さっきから無駄に時間ばかりが過ぎていくのを感じ取り、綱吉は疲れた顔で壁の時計を見上げた。
 その視界に、雲雀が割って入る。
「仕方が無いだろう。君が、何の準備もしてないから」
「なんで俺が悪いみたいな言い方するんですか」
 しつこく綱吉から写真を奪おうと手を伸ばす雲雀から逃げ、距離を作って上目遣いに睨みつける。
 そもそも、準備とはなんの事なのか、その大前提すら分からない。雲雀の言葉は全部が謎かけで、パズルのピースみたいに細切れで、ぐちゃぐちゃで、ばらばらだった。
「君が忘れているのが悪いんだろう」
「俺が? なにを」
「ほら、忘れてる」
 写真を掴むのは諦め、人差し指だけを残して折り畳んだ雲雀が、綱吉の小鼻を弾く。尖った爪が当たって痛み、左手で顔の下半分を覆った綱吉は、戻っていく彼の手を追いかけて瞳を動かし、首を傾げた。
 忘れているというのなら、思い出すべく教えてくれればいいのに。もったいぶった顔をして口を閉ざした彼をねめつけて、綱吉は眉間に皺の皺を深くした。
 暇潰しだという突然の来訪、鯉幟に五月人形。今日の雲雀家の夕食だという寿司は、彼の好物。
 綱吉の写真を欲しがる。
 駄目だと言うと拗ねる。
 忘れていると言って怒る。
「……あれ」
 箇条書きにして並べ立ててみると、なにか、確かに忘れている気がしてきたから不思議だ。
 掌を浮かせ、斜めになっていた姿勢を戻す。自然と指の力が緩んで、その隙にまたあの写真は雲雀の手の中へ。だが今度は、綱吉は追いかけなかった。
「思い出した?」
「……ました」
 改めて問われ、項垂れる。
 これは全面的に、雲雀の言う通り、綱吉が悪い。
 忘れていたし、ここまで言われるまで思い出しもしなかった。
「じゃあ、これ、貰うし」
「いやいやいやいや! だって、やっぱりそれは」
「どうして?」
「だって、泣いてる、し……かっこ悪い、し」
「可愛いと思うけど」
「かっ……! かわいくないです!」
 よもや写真立てに入れて飾ったりはしないだろうが、幼い頃の弱みを握られたみたいで、その点でも若干悔しい。
 率直な感想に顔を赤くし、全身を火照らせて恥かしさに喚いた綱吉を雲雀が笑う。但し口元は、例の写真で隠された。
 握り拳をぶんぶん振り回して風を作り、膝立ちの綱吉がポカスカと雲雀の膝を殴る。一回分はさして痛くも無いが、こうも連続して何度もやられると流石に彼も顔を顰め、どうやって止めさせようか逡巡した後、写真を持ったままの右手人差し指を伸ばし、前に出ていた彼の顎をツ……と撫でた。
 案の定大仰に反応した綱吉は瞬時に動きを止め、戸惑った琥珀色の目で雲雀を見詰め返す。
 唾液を受けて湿った唇が、鮮やかに色付いていた。
「どうしても駄目?」
「う、いや、その……」
 甘えるような声で強請り、雲雀は彼の喉仏を擽って瞳を細めた。
 綱吉が咥内の唾を飲み込む動きが、指の腹を伝ってつぶさに伝わってくる。その緊張具合も、興奮具合も、なにを期待しているのかも手に取るように分かって、雲雀は喜悦の混じった表情で口角を持ち上げた。
 上に行った指を逆向きに走らせて戻し、もう一度、ほんの少し他より盛り上がった箇所をなぞる。
「だ、め……です」
「どうして?」
 それなのに主張を変えない綱吉に更に問いかけて、指先を今度は左へ。丸い襟首のシャツの端に引っ掛けて伏せていた指の腹を上向かせると、布地が一緒に巻き込まれて露出する肌の範囲を広げた。
 触れずとも伝わる息を呑む気配にクスリと笑い、腰を浮かせて距離を詰める。首元を掠めた雲雀の呼気に背筋を強張らせ、綱吉は咄嗟に彼を押し返そうと肘を引いて手を上向けた。
 だが結局その指は弱々しく握られ、雲雀の上着を掴んだだけに終わる。
「っ……」
 咬まれた耳朶から電流が走って、綱吉は懸命に声を殺した。
 調子に乗って舐められて、産毛を擽られる。下に行った腕が腰を抱いて引き寄せようとするので、丹田に力を込めて踏ん張り、綱吉はぎりぎり崩れて行きそうなラインで自分を押し留めた。
 両腕を突っぱねて雲雀の胸の間でつっかえ棒にし、不満げにする彼に負けそうな自分を叱り付ける。
「えっと、あの。やっぱり、ですね。その、……は、恥かしいっていうか、その、だから……うぅ」
 無言の圧力。上から落ちてくる雲雀の非難に直ぐに屈してしまいそうになって、綱吉はシャツの裾を探し出そうと蠢く彼の手首を押し潰し、俯いた。
 首の裏側まで赤く染めて、どう言おうか直前まで迷う。力勝負に持ち込まれると圧倒的不利な立場に置かれるのは間違いなく、しかも雲雀はあまり我慢強い方ではない。
「僕は別に構わないけど」
「俺が恥かしいつってんですよ! ああ、もう。そ、それに、ですね。やっぱり、俺としては、その」
 人の意見などお構いなしに事を一方的に進めたがる彼に怒鳴り、綱吉は左手で乱暴に頭を掻き回した。
 真剣に心の中にある何かを伝えようとしている様子を察し、雲雀が手を止める。巧く言えない自分に苛立った綱吉は、右手の爪を思い切り噛み締めた。
「だから、……どうせあげるなら泣いてる奴じゃなくて、笑ってる方がいいかな、ってそういう!」
 こんなこと、言いたくなかったのに。
 何度もぐるぐると同じ場所を巡った思いは、ゴールを見つけられずにスタート地点まで戻って来てしまった。
 気取ってくれても良いのに、こういう時に限って雲雀は至極鈍感だ。綱吉の怒号に虚を衝かれた彼は目を丸くして瞬き、たっぷり十秒ほど時間をかけた後、ああ、と納得した様子で頷いた。
 苦虫を噛み潰したような顔を作り、綱吉がそんな彼の腿を拳で叩く。
「だから、それは返してください」
「嫌だ」
「ヒバリさん!」
 ちゃんと理由を説明したのに、まだ言うのかこの男は。
 腹立たしさもいい加減限界に来ていて、声を荒立てて膝で床を殴った綱吉に、雲雀は伸ばした人差し指を差し向けてまだ喋ろうとする口を塞いでしまった。
 しー、と横に長い唇に対して直角になるよう押し当て、言葉を奪い取る。
「なら、何をくれるの?」
 問いかけながらゆっくり腕を引いて、綱吉を解放する。困惑に視線を泳がせた綱吉は、壁に掛かる時計、部屋の一角を占領しているベッド、長閑にカーテンを揺らす窓と順繰りに見やって、最後に雲雀に焦点を定めた。
 ぐっと言葉を喉に詰まらせ、腰を引き気味に、臆した表情を浮かべて彼を窺う。
 言わなければ許してもらえそうになくて、綱吉は脳裏にこれまで雲雀と交わした会話を走馬灯のように振り返った。
「え、っと……ヒバリさんち、今日、お寿司、です……よね?」
「うん」
「鯉幟、まだ倉にあるんですよね?」
「だと思うよ」
「五月人形、虫干ししなきゃだめですよね」
「そうだね」
 緩慢な相槌の後、だから何、という視線を向けられる。突き刺さるその棘に綱吉は益々萎縮して、彼の学生服を握り締めた。
 ちらりと盗み見たベッド、もっと酷い状態になっている床。
「お……れ、今日! ヒバリさんの所為で部屋の片付け、全然、終わってないんですよね」
 整理したつもりが、雲雀の来訪で取り返しがつかないほどぐちゃぐちゃに。そして彼が居座る限り、このゴミ溜めのような部屋はちっとも綺麗にならない。
 綱吉が指差した方角に目を向け、雲雀は襟首を引っ張る綱吉の手を外そうとした。しかし肌が触れたところで、彼が微細に震えていると知って眉根を寄せた。 
「つ――」
「俺、き……今夜! 誰かさんの所為で寝る場所ないんですよね!」
 何故皆まで言わねば分からないのか、この男は。
 恥かしさで憤死しそうになりながら、綱吉は外にまで響く声で怒鳴って彼の襟を強引に引っ張った。
 ゴチッ、と歯の当たる痛い音、プラス衝撃。
 ひりひりする上唇を噛んだ綱吉に目を見張り、雲雀はややして、嗚呼、とまたしても緩慢に頷く。その頬を思い切り平手打ちしてやりたい気分でいたら、急に視界が暗転した。
「う――んぅっ」
 それが吃驚して無意識に目を閉じてしまった所為だと気付いたのは、まだ痛い唇に焼き鏝のような熱が押し当てられてからだった。

2008/05/03 脱稿