魂祭 第三夜(第一幕)

 望むことはなにもなかった
 ただ無為に流れ行く時間を見送るだけだった
 毎日が退屈で、単調で、ただただつまらなくて
 生きているのか、死んでいるのか
 それさえも分からない日々に
 唯一
 生まれて初めて、何があってもどんな手段を講じてでも
 手に入れたいと強く願うものに巡り会った
 それなのに、嗚呼、それなのに
 君はもう、別の誰かの
 腕の中――

 触れる指がそっと顎をなぞり、右から左へと流れて行く。目で追うこともせずに真っ直ぐディーノを見詰める瞳は、戸惑いに揺れていた。
 否、それは恐怖だったのかもしれない。
「……ディーノ、さん……?」
 微かに織り紡がれる声までもが震えていて、鮮やかな紅色の唇にそっと人差し指の腹を押し当てた彼は、目映い金髪の隙間から覗く目を優しく眇めた。
 柔らかく形の良い小ぶりな唇の感触をごく短時間だけ楽しみ、腕を引く。瞬きさえ忘れている綱吉の頭を撫でて、彼は床の上に色打掛の裾を流した。
 互いに緊張して、空気が張り詰めている。息苦しさを感じた綱吉が音を立てて唾を飲むのが分かり、ディーノは空色の眼をそっと闇に閉ざした。
「……」
 ふっと短く息を吐き、胸の奥底から沸き起こった黒い感情を影に隠す。
 この子は勘が鋭い。天性の素質があるからだろう、人の心に宿る魔さえも見抜くという力はあながち間違いではない。
「なーんて、な」
「え」
 構えていた綱吉がきょとんとしてしまうくらい、ディーノは一瞬にして表情を変えて、笑った。
 にやりと悪巧みが成功した時の顔を作って白い歯を見せ、虚を衝かれてぽかんと口を広げた綱吉の頭をもう一度、今度はさっきよりも荒っぽく叩く。
「いや、さ。恭弥の奴、俺のこと、なんでか知らねーけど、すっげー嫌ってるだろ。だからお前も、俺のこと嫌いだったらいやだな~って、思ってさ」
 実に言い訳じみた説明ではあったが、務めて明るく振舞うディーノを前にやがて綱吉は安堵の表情を浮かべ、次いで微妙にぎこちない笑みを返した。
 床に押し当てられていた手はいつしか解放され、遠ざかった体温に僅かな名残惜しさを抱きつつ綱吉は胸の前で掌を重ね合わせる。引き攣らせた頬を本来の状態に戻して唇を舐めた彼は、視線を斜め上に浮かせてディーノから目を逸らした。
 これは確実に、雲雀から何かを言われている。ひとりの時に近付くな、とか油断するな、とか、恐らくはそういった類のことを。
 だが泳ぐ視線は時折黙って待っているディーノを窺い見ており、邪気の無い笑顔を向けてやれば彼はほっとしたように固い表情を解して、浮かせていた両手を床に置いた。
「なんか、なんでだろ。なんでヒバリさん、あんな風に」
 もぞもぞと床に円を描きながら綱吉が懸命に頭を働かせ、言葉を繋ごうとする。けれど巧く言えないようで、それがじれったいのか頻りに唇を舐めては軽く歯も立て、膝を寄せて両腕に抱き込んだ。
 小さく身体を丸めて、横並びにした両足の指を動かして床を叩く。素足の白さは床板の濃さもあって際立っており、小さな足がちょこちょこと動き回る様は小動物めいていた。
 思わず表情を緩めたディーノに、綱吉が身を乗り出す。
「でも、いつものヒバリさんはあんなんじゃないんですよ!」
 やけに必死に言って聞かせる彼に苦笑で返し、知っている、と嘯く。途端綱吉は表情に花を咲かせ、嬉しそうに目尻を下げた。
 彼の笑顔に重なるもうひとつの笑顔に、ディーノは逆に、そうとは悟らせずに眉間の皺を深くした。
 瓜二つ、ではない。知る者があれば重ね合わせることこそ愚かだと笑うだろう。しかし、ディーノの眼にはそうは映らなくて、複雑な胸中を奥底に仕舞いこんだまま彼は綱吉の懸命な弁明に耳を傾けた。
 胡坐を崩し、右膝に肘を立てて背中を丸める。綱吉はぺたんと座り込んだままで、忙しく両手を動かしながら雲雀がいかに優しいかを説明し始めた。だが例え話を続けるうちに、段々と本当に雲雀が優しいのかどうか、喋っている綱吉ですら首を傾げたくなる事例に行き当たる率が高くなって、彼の声は少しずつ弱くなっていった。
 曰く、綱吉から見た雲雀は、優しいが意地悪で、我侭で、独占欲が強くて、傲慢で偉そうで、人の話は聞かないし迷惑も顧みない傲岸不遜な性格をしている、らしい。
 それは褒めていないのではないかとディーノが相槌を返すと、唇を尖らせて綱吉は上目遣いに彼を睨む。
「でも、見てないところで色々と大変な事、やってくれたりするんです」
 庭木の剪定であったり、雨戸の修理だったり。綱吉が気づかなくて、奈々では手に負えないことを自ら買って出て、それを他者に自慢したりしない。道場の屋根の修理だって、綱吉はやらなければいけないと思いつつもどうすればよいのか分からなくて放置していたものを、雲雀が手際よく事を進めてくれたお陰で、雨の時期を無事に乗り越えられたのだ。
 夏場の庭を飾った釣忍も雲雀のお手製、軒から吊るされている簾だって。
 祭事でも綱吉ひとりでは到底取り仕切れるものではなく、雲雀の助力が無ければ立ち行かなかったことも数え切れないほどだ。家光が長く不在の今、家長と呼ぶにはあまりに頼りない綱吉ではなく、雲雀に直接相談事を持ちかける村の人もいるくらいで。
 だから雲雀はこの村にはなくてはならない存在だし、綱吉にとってもそれは同じだ。
 大切な彼を、悪い印象を持ったままでいて欲しくない。綱吉の言わんとしているところを察し、ディーノはゆっくりと深い息を吐いて背筋を伸ばした。
 手を伸ばして広げ、綱吉の跳ね返った髪を潰しながら頭を撫でてやる。
「ツナは、恭弥の事が、だいすきなんだな」
「――――」
 面と向かって指摘され、言い返せずに綱吉は顔を真っ赤にして黙り込んだ。
 見開いた目に、閉じた口。そんな事は分かりきっているからか、今まで誰からも言われた事が無かった。
 だが、改めて言われるとその通りだと強く実感させられて、恥かしさが募る。
 ディーノには自分たちの関係を告げていなかったのに、たかだか一日少々行動を共にしただけで悟られてしまうほど表に出ていたのだろうか。だとしたら普段からどれだけ自分は雲雀に甘えているか、近くに居ながら何も言わないでいてくれる奈々や獄寺や、山本らの気遣いにまで思い至って、綱吉は穴があったら入りたい気分だった。
「そ、れは、その……」
「あー、いや。困らせるつもりはなかったんだ。気にしないでくれ」
 急にしどろもどろになって横倒しにした膝に頭が擦れそうなくらい身を丸くした綱吉に、ディーノは乾いた笑いを浮かべて手を振った。
 仲が良い、の範疇を越える関係にある事は、昨日の一件で既にディーノも思い知っている。好きあっていなければ出来ることではない、雲雀がどれだけ綱吉を愛おしく大切に感じているのかも、痛いくらいに。
 その気持ちが彼の一方的な想いではなく、綱吉もまた同じなのだという結論もまた、今の綱吉の態度を見れば明白だ。入り込む余地は残されていないと、改めて思い知らされるだけで。
 山本の気持ちが少しだけ分かった気がした。彼はもう十年近く、こんなふたりの傍に居続けたのだ。一番を目指そうなんていう考えを捨てなければ、きっと耐えられるものではない。
 狂おしいばかりのこの感情は、闇に葬るしかないのか。臍を噛み、ディーノは握った拳に爪を立てる。
「ヒバリさん、も……ディーノさんのこと、嫌い、とかじゃないと、思うんです」
「なんで?」
 急に話が変わって、身を起こした綱吉の呟きにディーノは傷ついた拳を隠して首を傾げ、興味深げに問い返した。
 綱吉は相変わらず視線を合わさぬまま、道場の入り口付近を見ている。其処に彼が求める姿はないが、彼の脳裏には村の畦道を行く黒髪の背中が映っているのかもしれなかった。
 目の前にいる自分よりも、離れた場所にいる男を追い求めて。
 打掛の陰に落とした拳を床に押し当てているディーノの胸の内など知らず、綱吉は結び合わせた手を腿に置いて肩の力を抜いた。むき出しの踵で床を一度打ち、閉じている扇を拾って手の中で遊ばせる。
「その、巧くは言えないんですけど」
 あらかじめ断りを入れ、綱吉は自分の右頬を軽く扇の先で引っ掻いた。
「ヒバリさんは、なんていうか。嫌いな人は全然相手にもしなくて、歯牙にもかけない……はちょっと違うけど、視界に入っていてもそこに居ないみたいな扱いしかしないから」
 眼に見えていても、心には映していない。相手にもしない、語る言葉を持ち合わせてもいなければ、聞く耳さえ持たずに徹底的に無視を貫く。元々彼は育った環境の影響もあって他者どころか自分自身にさえ無関心で、綱吉が言っているのは恐らく、興味がない、もしくは相手をするのも時間の無駄だと思っている存在に対しての、雲雀の態度だ。
 つまり雲雀は、これまで明確に敵意をむき出しにしなければならないくらいの、強い嫌悪感と敵愾心を抱かねばならないような相手に巡りあう事がなかった、という事だ。
 それは幸運でもあり、また不幸。
 そして記念すべき最初の相手にディーノが選ばれたのは、如何なる因果か。
「……そっかー? なんか俺、物凄いあいつに睨まれてるんだけど」
「ヒバリさんはいつもあんな顔ですよ」
 それはどう見ても綱吉の贔屓目ではないのか、と言いたい気持ちをぐっと堪え、笑っている彼に笑い返し、そうかー、と軽い調子で相槌を打つ。
 漸く綱吉の顔から完全に緊張が取り払われ、明るい笑顔を浮かべる彼にディーノは目を細めると、話題を変えようと綱吉の握る扇に指を向けた。
「神楽?」
「はい」
 明日――否、日付的には明後日に当たる、精霊会の最後で舞うのだと、彼は明朗に響く声で頷く。
 舞台は並盛山の頂にあった、あの岩の上だ。雲雀が笛で合わせ、綱吉が魂鎮めの舞いを舞う。それにより地上に戻って来ていた魂や、この時期に強まる山の霊力に惹かれて集まってきた魑魅魍魎たちを、あるべき世界へと還す。
 失敗の許されない一年に一度きりの神事で、綱吉に課せられた責務は重い。
 神妙に姿勢を正した彼を見下ろし、ディーノもまた頷く。だが前に座す綱吉が表情に暗い影を落としているのに首を傾げ、頬杖を崩した。
「どうした?」
「俺、去年も……失敗しちゃったんです」
「…………」
 どうやら聞いてはいけないことだったらしい。
 当時を思い出したのか急に泣きそうに顔を歪めた彼におろおろしてしまって、ディーノは両手を空中に投げると何も無い場所を掴んで腕を引っ込めた。
 こういう時どうすればいいのか分からない。幼い頃の雲雀は殆ど泣きもせず、笑いもせず、感情の起伏に乏しくて何を考えているのかさっぱり不明な子供だった。構って抱き上げれば逃げたがるし、くっつけば矢張り嫌がって離れていく。泣いている子をあやす経験など、ディーノには無いに等しい。
 ――いや、あるか。
 瞬間、脳裏に過ぎった幼い姿に彼は瞼を伏し、戻した手の中に意識を向けた。
 あの子はよく笑って、反面よく泣く子だった。いつだって失敗ばかりで、巧くいかないことがあるたびに大きな目に涙をいっぱいためていたではないか。
 泣き顔も可愛かったけれど、やっぱり笑っている方が好きで、機嫌を取り戻してくれないかとあれこれ試行錯誤していた日々が懐かしい。泣き虫のあの子を笑わせるのは自分の方が得意だったのだと、すっかり忘れていた事まで同時に思い出して、ディーノは含み笑いを零し、丸めた拳を綱吉の前でいきなり広げた。
 ぽんっ、という一瞬の炸裂音。しかし間近過ぎたのか綱吉は涙を浮かべていた目を丸くし、驚きに声を失くして目の前に出現した薄い煙に息を止めた。
 白い靄が晴れ行く中、彼の手の中から現れたのは、鮮やかな黄色い、一輪の花だった。
「あ、れ。駄目?」
 呆然としたまま、ひくっ、と鼻を鳴らしただけの綱吉に、失敗したかとディーノは残る手で頬を引っ掻く。
 予告も無く突然現れた、太陽の色をした花。何処から出したのか、なんて考えるまでもなく、そういえばこの人は人の姿をしているけれど人ではなかったのだった、と今更過ぎて考えるのも忘れていた事を思い出し、綱吉は困った顔をしているディーノを見上げた。
 落ち込んでいる時、雲雀は傍に居て、何も言わずに綱吉が自分で浮上してくるまで辛抱強く待っていてくれる。
 この人は、どうやら気落ちしている綱吉を励まし、笑わせて元気づけようとしてくれているらしい。
 正反対だ、ふたりは。けれどどちらも、綱吉を深く思ってくれていることに変わりは無い。
「……ぷっ」
 むず痒い感覚が胸の中に湧き出でて、綱吉は堪えきれずに喉を鳴らして噴き出した。
 一瞬きょとんとしたディーノが、途端に柔らかく笑みを浮かべて綱吉を見詰め返す。
「笑ったな」
「だって、ディーノさん、そんなの……俺、女の子じゃないのに」
「あれ、そうだっけか」
「そうですよ、もう。ひどいなあ」
 扇を握ったままの手でとぼけてみせるディーノの胸を押し返し、益々声を高くして綱吉が笑う。
 此処のところ気が滅入ることが連続で起こっていて、気分も沈みがちだった。ディーノはそんな綱吉の心を覆う雲間から指した光のように、彼を暖かく包み込んでくれる。
 存在は知っていても、実際に顔を合わせたのは昨日が初めて。だのに不思議なことに、ずっと昔から彼を知っている気がしてならず、懐かしさが胸に沁みて涙が止まらなかった。
 会えて嬉しい、楽しい。
 会えて切ない、心苦しい。
 相反する感情が、綱吉の知らぬところで渦巻こうとしている。
「……笑ったな」
「え?」
「いやー、俺も案外捨てたもんじゃないなって話」
 他の誰でもない、目の前にいる小さな存在が笑ってくれるならそれで良い。心の内で呟いて、ディーノは手にした花を前後に揺らした。
 こんな風に心安らかなる事など、久しぶりだ。訪れて良かったと、今の己を取り巻く環境から考えれば不謹慎極まり無いけれど、思わずにいられなかった。
 穏やかに凪いだ空気を感じ、ディーノは綱吉の頬を指の背で擽って涙を拭ってやる。ついでとばかりにどこぞの花畑から引き寄せた黄色い花を反転させ、短い茎を逆巻く綱吉の髪に挿してやった。
 女扱いされるのを彼は嫌がったが、似合うと言ってやると膨れっ面ながら照れ臭そうに俯く。
「そういう事は、好きな人に言ってあげてください」
「じゃあ問題ないな」
「だから冗談は」
「冗談じゃないって言ったら?」
「え」
 にこりと毒気の抜けた笑顔で言われ、綱吉はどきりと心臓を跳ね上げて目を瞬かせた。
 文字通りにこにこと笑っているディーノの表情からは、内面に隠された感情がまるで読み取れない。冗談とも本気とも、どちらにも取れてどちらでもないような、人を惑わせる顔を向けられて綱吉は返事に窮し、下唇を噛んだ。
 再び泣きそうに顔を歪めた綱吉に、ディーノは力を抜いた手で頭を撫でてやる。
「ごめん、ごめん。冗談だって」
 綱吉の気持ちはさっき確かめたばかりで、これくらいでディーノに傾いてくれるとは思っていない。
 雲雀から奪うつもりは、毛頭無い。そんな真似をすれば、悲しむのは綱吉だ。
 山本が現状に甘んじ、ふたりの傍に居る事で自分の心を慰めているのだって、綱吉を泣かせない為に他ならない。
 欲を出せば誰かが傷つく、自分自身ですら。それは、痛いくらいに分かっている。
 ただ今のディーノには、心の置き場を決めるだけの時間が無かった。隙間を、入り込む微かな傷を探してしまう。もしくは、自ら作り出そうと。
「悪い奴だな、俺は」
「そんな、こと」
「でも困ってくれるってことは、少しは俺のこと、好き?」
 問われ、綱吉は瞬時に逸らしていた視線を正面に戻し、ディーノを見た。震える唇が音を刻まぬうちに閉ざされ、強く噛み締められる。
「それは……」
 右に泳いだ瞳が、斜め下に落ちて床に沈む。言葉を探し、選び、だが今の感情を的確に言い表せる文言を見出せず、綱吉は床に添えた自分の両手だけを見つめた。
 答えられなかったのは、ディーノの言葉の中に微かな本気を感じ取ったからだ。
 獄寺や山本に思いを告げられても揺らぐことのなかった雲雀への想いが、初めて揺れた。違う、綱吉の心がではない。彼が感知せざる場所にある魂が、ディーノの言葉に反応したのだ。
 綱吉は強まる鼓動を意識し、唾を飲んだ。胸元に手を押し当て、熱を孕む息を吐き出す。
 彼は長い逡巡の末、最後まで視線を合わさぬまま、注意深く観察して居なければ分からないくらいに小さく頷いた。
「ありがとな」
 ディーノがそっと、静かに囁く。彼の声を聞きながら、綱吉は雲雀の背中を脳裏に思い浮かべて睫毛を濡らした。
 ディーノへの思いは、雲雀に向ける思いと同じ位置にある「好き」ではない。
 けれど、山本や獄寺に向けられる「嫌いではない」感情とも違っている。
 分からない、自分の心のはずなのに。
 赤い顔を前髪に隠し、完全に俯いてしまった綱吉の手からディーノは閉じた扇を引き抜いた。
 桜色の唇が音を刻む前に、彼は崩した膝を建て直し、綱吉の項垂れる頭を扇で叩いて立ち上がる。
「……ごめ、な……」
「ツナ、お前さ。集中力足りてないだろ」
「ぐ」
 弱々しく紡がれる謝罪の声を遮り、扇で今度は自分の肩を叩いたディーノが笑う。
 急に変容した調子に綱吉は戸惑いながらも、図星を刺されて言葉を呑んだ。
 横を向いたディーノが、すらりとした腕を真っ直ぐに伸ばして緋色を奏でる。内に着込む長衣は朝食時に見たものとは色が違っており、記憶が確かならばあれは山本の、数年前に亡くなった母親が最後に仕立ててくれたという三枚のうちの一枚の筈だ。
 年に一度くらいしか袖を通さずに、大事に着ていたものを気軽に貸したとは思えない。これも、この時期での来客故の、彼なりのもてなしだったのだろうか。
「だって、あれ、凄く疲れるんですよ。失敗しちゃいけないって思うと、どうしても」
「いいんじゃねー? 失敗しても」
「ディーノさん」
「神楽つっても結局は舞いに違いないんだから、もっと気楽にいけよ」
 手首を強く振り、扇を広げる。表を上向けて風を作った彼の言葉に、綱吉は居住まいを正しながら、一瞬にして場の空気を金色に染め上げてしまったディーノの後ろ姿を見上げた。
 首に掛かる金髪を軽く梳き、再びひとつの動作で扇を閉じた彼は、伸ばした腕を戻して肩越しに綱吉を振り返る。「な?」と片目を閉じて同意を求められても答えられず、綱吉は表情を強張らせて曖昧に笑い返すのが精一杯だった。
「そうは言われても……。それに、俺、あんまり自信ないんです。教えてくれる人は、いないから」
 父親の家光が舞っていたのを見よう見まねで覚えただけなのだ、直接指導を受ける前に家光は出奔してしまったから。そして沢田家の神楽舞は一子相伝なので、雲雀も、リボーンでさえも、綱吉の記憶が不確かな部分を補ってやれないのが実情。
「父さんが帰ってくればなあ」
 そうすれば自分は楽が出来るのに、と本音を零して綱吉は悪戯っぽく舌を出した。
 幼いその態度にディーノは肩を揺らし、手の中で扇を回して自分の顎を下から支えた。こちらも綱吉に負けず劣らずの茶目っ気を含んだ表情を作り、ふふんと鼻を鳴らして少し自慢げに胸を反り返す。
「なら、見せてやろうか」
「はい?」
「お手本」