懐抱

 応接室には暖房がある。
 と言っても、常時稼動しているわけではない。中に誰も居ない時、即ち主たる雲雀が学校内の見回りに出ている場合などは電源を切っているし、晴れた日の昼間で、窓から差し込む熱だけでも事足りると彼が感じた時は、スイッチはオフのままだ。
 だから教室の寒さに震えて、耐えかねた綱吉が暖かな場所を求めて応接室のドアを叩いたところで、彼の希望がいつだって叶うわけではない。
「授業は?」
「自習です」
 失礼します、の一言を添えてドアノブを回す。中の空気をなるべく外へ逃がさぬよう、開けた僅かな隙間へ素早く身を滑らせた綱吉は、背後でドアの閉まる音と一緒に雲雀の冷めた声を聞き流した。
 嘘ではない、一応、本当だ。
 ただ課題のプリントは投げ出してきたから、実質サボりと取られても文句は言えない状況ではある。尤もそれは雲雀の知るところではなく、綱吉が言わなければばれることもない。
 視線を天井付近まで泳がせた彼の返事に、雲雀は執務机の前で椅子を軋ませ頬杖を作り、下手な相槌も返さずに綱吉の若干前傾気味の姿勢に目を細めた。背中に手首から先を隠しているが、指を互いに擦り合わせているのだろう、肩はさっきからずっと動きっ放しだった。
 一見すると挙動不審でしかない綱吉に溜息を零し、雲雀は視線を机上へ戻した。立てていた肘を横に倒し、返した手で大学ノートのページを一枚捲る。ゆったりとした彼の仕草にあわせ、肩に羽織っている学生服の袖が僅かに揺れた。
 臙脂色の腕章を留める安全ピンに光が反射し、綱吉の目を刺す。彼は眩しげに大粒の瞳を眇めると、胸の前に手を移動させて指を捏ねてから、足音を響かせないよう慎重に前へ歩を進めた。
 年末の大掃除でワックスをかけたばかりの床は色が濃く、所々で斑模様が形成されていた。誰かさんが手を抜いた場所が一目瞭然の色具合に、綱吉は心の中で肩を窄めて小さく舌を出した。
 部屋の中心部を占領する応接セットを大回りし、どちらに行こうか迷って結局雲雀の邪魔をせぬようにとソファの前へ移動する。黒光りする革張りのそれに腰を落とすと、柔らかなクッションが綱吉を包み込んだ。
 しかし長らく人のぬくもりを忘れていたそれは表面が冷えており、寒い。ベージュ色のジャケットの上から二の腕を抱いた彼は、掌で布地を擦って摩擦熱を呼び起こしてどうにか堪えた。
 奥歯がカチリと鳴り、表に溢れようとしたのを慌てて唇を閉じて封じ込める。雲雀は一瞬だけ瞳を上向かせたが、直ぐにまた作業に戻ってしまった。
 天井に設置された暖房設備は、無音。雲雀の背後に佇む窓はカーテンが全開にされて、其処から斜めに差し込んだ日射しが彼の背中を照らしていた。
「ああ、そっか」
 顔の前で揃えた手に息を吹きかけた綱吉は、雲雀が暖房なしで平然としている理由を悟った。
 黒は熱を吸収するから、学生服を羽織っている彼はそれだけでも充分暖かいのだ。来訪者があるとは想定していなかったろうから、自分ひとりが暖かければ事足りると、そういう事。
 春の陽気を思わせるぽかぽかとぬくもった応接室を若干なりとも期待していた綱吉は、失意に頭を垂れ、さてどうしよう、と背中を丸めたまま両手で頬杖をついた。
 暖房を入れて良いかどうか聞くのも、それだけが目的だったようでなんだか気まずい。いや、実際に応接室を訪ねたのには、そういう理由が過分に含まれているわけだが。
 けれどそればかりを目指してきたのではないと、補足説明をするのも気恥ずかしい。結局綱吉は言い出せず、ソファの上で畏まって伸ばした背中を背凭れに埋めた。
 ふわっとした感触に両側から包まれる。若干綱吉自身の体温を吸い込んだ革はさっきよりも冷たさが引いており、心地よさは相変わらずで、うっかり目を閉じたら眠ってしまえそうだ。しかし生憎と足首から登ってくる寒気が邪魔をしてくれるので、睡魔はなかなか落ちてこなかった。
 これなら教室で寒さに震えながら、プリントをやっている方が良かったか。獄寺は自習だと知ると早々に何処かへ行ってしまったし、山本は山本で、クラスメイト何人かと一緒に教室を出て行った。顔ぶれが運動部ばかりだったから、この寒い中、構わずに外で遊んでいるのだろう。
 元気が良くて羨ましい。自分は炬燵と蜜柑があったらばどれだけ幸せかと、年寄り臭いことを考えながら、綱吉は出来るなら猫になりたいと膝を持ち上げ、踵を揺らした。若干サイズが大きい靴が爪先を残して足の裏に別れを告げ、パカパカ空気を吸っては吐く上履きを順に落とした。
 右足分がタイミングを計り損ね、上下を逆にして床に沈む。黒く汚れた裏面が視界に現れ、流線型を組み合わせた滑り止めから素早く顔を逸らした綱吉は、左足を下ろして爪先でひっくり返した。
 ついでに左右の位置を揃えて並べ、再び足をソファに。膝を曲げて三角形を作り出し、足先を丸めて端に引っ掛けた彼は、さながら鍵爪を操って枝に停まる鳥のようでもあった。
 身を縮め寒さに耐えながら、ぼんやりと浮かせた視線で何も考えないにはどうすればいいのかを考えた。
 紙を捲る音だけが断続的に室内に響き、其処に時々雲雀が机を小突く音が混じる。彼は考え事をする時に人差し指の腹で何かを叩く癖があって、仕事に没頭している姿を横目で盗み見た綱吉は、光を浴びて透けて見える黒髪の艶に目を細め、緩んだ頬を膝頭に押し当てた。
 彼を眺めているだけでも、充分過ぎるくらい幸せな気持ちになれる。綺麗な人だから余計に、見ていて飽きない。
 しかしあまりにもじっと見詰めすぎていたようで、流石に雲雀も綱吉の視線に気付いて顔をあげた。正面を向いた彼と瞬間的に目が合って、綱吉は一瞬きょとんとしてから油断しきりだった頭を爆発させた。
「なに?」
「なななななんでもないです!」
 ぼっと首まで真っ赤になった綱吉の瞬間湯沸かし器状態を見、雲雀が怪訝に首を傾げる。綱吉は頭の先から湯気が立っている自分に狼狽しながらも必死に首を振り、お仕事の続きをどうぞ、と彼に掌を向けた。
「そう」
 ならいいんだけど。
 あまり追求せずに雲雀は綱吉から興味を逸らし、机を叩いて神経質な音を奏でてから前髪を梳き上げた。
 視線は伏せられ、ノートに記されている文字を左から右に追っている。会議の議事録だろうか、時々ペンを持って何やら書き込んでいるが、内容までは綱吉の位置からだと全く見えない。
 彼の仕事熱心さには舌を巻く。それはきっと良いことなのだが、放置されっ放しの自分としては面白くなく。綱吉は立てた膝に顎を載せ、正面の壁に置かれた棚に並ぶ金メッキのトロフィーを、何をするでもなくただ眺めた。
 優勝、準優勝、優勝、三位入賞。額縁に入れられた賞状の成績を順番に読んで、顔を下向ける。そのどれにも自分は関与していないわけで、見せ付けられている気分になって彼はひとり勝手に落ち込んだ。
 きっと自分がこの当時の部活に参加していたら、表彰されるような成績を残せていなかったに違いない。個人戦ならば兎も角、団体戦だったなら特に。
 もっともレギュラーが取れるとも思えないので、あまり関係なさそうだ。そう思考を巡らせると余計に暗いオーラが滲み出てしまい、影を背負った綱吉は額を膝に押し当てて巻き込んだ髪の毛ごと首を振った。
 擦ったおでこがひりひりと痛む。
 肌に張り付いた髪の毛を小指の爪でそぎ落とし、口の前に来た人差し指の背を浅く咬む。前歯を立てると骨っぽく硬い感触しかせず、当然美味しくなどない。
 すぐさま吐き出して、綱吉はもう一度柔らかな頬を膝頭に押し当てて踝に腕を回した。
 ソファの上で蹲った彼をちらりと見て、雲雀はページの最後まで読み終えたノートに手を添え、閉じた。ぱたんと空気が紙に押し出される音がして、弾かれたように綱吉が首を持ち上げる。その分かり易い彼の行動に雲雀は手で隠した口元に笑みさえ浮かべ、漆黒の髪を揺らして椅子の上で伸びをした。
 両腕を頭上高く掲げ、後ろへと反らす。自然と背中が伸びて骨が鳴り、姿勢を戻す最中に肩を交互にぐるぐると回した彼は、少しだけ疲れた表情をして眉間を指で揉み解した。
 斜めに伸びる光が、彼の学生服に陰影を刻む。白いシャツの皺までくっきりと浮かんで見えて、綱吉はソファの上でそわそわと落ち着かなく身を揺らした。
「くしゅっ」
 けれど忘れた頃に寒気も戻って来て、むず痒い感覚が鼻を襲った。繊毛に捕らえられた埃が神経を刺激し、くしゃみを誘発させる。反射的に顔の下半分を手で覆った綱吉は、直後に背筋を下から上へ駆け上っていた悪寒に鳥肌を立てた。
 ソファの表面を滑り落ちた足が床に接し、そこからも冷気が駆け上ってくる。飛び上がりたくなるほどに冷たい床を靴下越しに感じ取り、彼は大慌てでソファに全身を投げ出した。
「寒い?」
 ドサッと勢い良くクッションに横倒しになった綱吉を見て、雲雀がずれた学生服を戻しながら聞いた。
「え、あー……ちょっとだけ?」
 瞳だけを天井に向け、綱吉が一瞬躊躇してから控えめな表現で答える。けれど視線を合わせない素振りからして、本心は違うと察した雲雀は、閉じたノートを裏返して表紙を上にし、椅子を引いて立ち上がった。
 綱吉が転がった状態のまま、首を巡らせて彼の動きを追う。
 ソファの後ろを真っ直ぐ進んだ彼は、そのまま部屋を出て行こうとした。いや、部屋の出入り口である扉に向かって歩いていっただけで、外には出ず、ドアにも触れず、ただ照明スイッチ横に設置された空調パネルに並ぶボタンのひとつを押した。
 途端にゴゴ……と低い機械音が頭上から落ちてきて、綱吉は腰を引いて起き上がり、ソファの上で横向きに座り直した。見上げた天井にある四角形の装置、その四辺に設けられた細長い板がゆっくりと動き、外向きに口を開けた。不協和音めいた低音は消えず、気流の変化に頬を撫でられて綱吉は吸い込んだ息を一旦止める。
 雲雀が振り返り、動き出した暖房を確認してから綱吉を見た。
「どうする?」
「なにが、ですか?」
「設定温度」
 指先をまだパネルに添えたままでいる彼に更に問われ、綱吉は一瞬考え込んでから仰け反るように上を向いた。
 排出口から流れ出す暖気で前髪を揺らした彼は、空気の流れに眼球が乾くのを嫌って目を閉じた。頬を撫でる風は少々埃っぽかったが、不快ではない。
「平気です」
「そう」
 ならこのままで、と雲雀がパネルから踵を返して机に戻っていく。一仕事終えて、漸く構ってくれるのかと思えばそうではなかった。目に見えてガッカリした綱吉の態度を笑い、彼は椅子には座らずに窓辺へ寄った。
 右半身に陽射しを浴び、眩しげに細い目をもっと細くして斜めに凭れ掛かる。そうやって外の様子を眺める彼に、綱吉は無言のまま見入った。
 暖房を受けて細かく揺れる学生服の裾、その下に着込むのは薄手のシャツ一枚だけ。あれでよく寒がらずに過ごせるものだ、自分では絶対に無理だろう、と己の手元に目を落とした彼は、学校指定のブレザーの下に、更に藍色のベストを着込んでいる自分の格好を思い出して苦笑した。
 ベストの下は雲雀と同じく白いシャツだが、綱吉は更にその下にもう一枚、長袖を着ている。着膨れで若干体格が丸みを帯びている綱吉が、それでもまだ寒いと感じているのに、雲雀の薄着具合はとてもふたりが同じ環境下にいると思えない。
 寒くないのだろうか。表情がまるで変わらない彼が、実は謎の生命体だったらどうしよう。突飛な方向に思考が飛んで、そんなわけが無いと自分の空想を笑い飛ばした綱吉は、くしゅん、という小さなくしゃみを危うく聞き逃すところだった。
「ほえ?」
 意表を衝かれた所為で、こちらも変な声が出た。
 なにか聞こえた、と挙動不審に首を振っていた綱吉が動きを止めて横を向く。窓辺に佇む雲雀はさっきと同じ姿勢を保っていたが、唯一左手首だけが位置を変え、彼の口元を覆い隠していた。
 壁際の天井を見上げている視線が、どうにも不自然だ。
「ヒバリさん?」
「……なに」
 返事に一瞬の間があった。
 聞き間違い、空耳の類かと最初は思ったが、違う。雲雀は膝を揃えてソファの上で向き直った綱吉を、さっきからまるで見ようとしない。泳がせた視線は上ばかりを見ていて、左手も長いこと彼の顔半分を隠していた。
 小さくて可愛らしい声だった。ひょっとしなくても照れているのか、くしゃみなど誰にでも起こりうる生理現象なのに。
 けれどそういうところが彼らしくもあって、綱吉は妙に微笑ましい気持ちになってソファから脚を下ろした。
 揃えておいた上履きに爪先を押し込み、踵は行儀悪く踏み潰して立ち上がる。歩けばパカパカ鳴る上履きを引きずるようにして執務机の横を大回りで通り過ぎれば、雲雀はやっと手を下ろして綱吉に向き直った。
 久方ぶりにまともに視線が重なって、それだけで嬉しくなる。
「えーっと」
 ただ何か用か、と言わんばかりの目つきには困らされて、思い描いていた行動を実行する前に口に出すのも気恥ずかしく、綱吉ははにかんではぐらかし、腰で結んでいた両手を左右に広げた。
 深呼吸する動きで両腕を同時に後ろへ流し、前に。間には正面向きあわせた雲雀が立っていて、綱吉の手首が無遠慮に彼の腰骨を叩いた。
 目測を見誤っていて、何をするのかと雲雀が片方の眉を持ち上げる。初手を失敗させた綱吉は、しかし引っ込みが利かない状況に苦笑し、右足を前にずらして彼の胸に自分から飛び込んで行った。
 雲雀の背中に回した手で、彼の学生服を握り締める。ごつごつした布地が乾燥して荒れた指に引っかかり、痛んだ。
「綱吉?」
 名前を呼ばれる。だが顔を上げるには少々勇気と時間が必要で、綱吉は彼の肩に載せた額を押し付け、薄い肉の下にある骨の感触を頭蓋骨で受け止めた。
 ぎゅうっと腕に力を込めて雲雀を抱き締める、というよりはむしろしがみつく、と表現した方が的確かもしれない。ものも言わずに急に身体を密着させて来た彼に、雲雀はどうしたのだろうかと拍動を強めた心臓を悟られぬよう、平静を装って綱吉の頭を頭で小突いた。
 抱き締め返してよいものかも分からず、綱吉の意図がまるでつかめなくて困ってしまう。一応綱吉の背中で両手を浮かせてはみるものの、決心がつきかねていた雲雀は、窓越しに響いた誰かの歓声に背中を押されて漸く彼の骨ばった身体を抱え返した。
 歓声は一度では終わらず、複数人の声が重なり合って聞こえて来たので、間違っても自分たちの姿を外から見上げてからかいの声をあげているのではなさそうだ。それに安堵しながら、案外小心者の自分に驚いて雲雀は苦笑する。 
 綱吉はといえばもっと露骨にホッとしていて、力んだ肩から力が抜けるのが、直接触れ合っている分、いつもよりはっきりと分かった。
「どうしたの」
 あやす仕草で彼の背中の低い位置を撫でてやると、呼吸を整えた綱吉が一度鼻を鳴らして雲雀の鎖骨に頬を移動させた。心臓の音を聞きたがっている動きに雲雀は立ち位置を僅かにずらし、綱吉は彼の押さえ込んでいた二の腕を解放した。学生服から指を外し、遠慮がちに彼の細い腰に腕を回しなおす。
 今度はぽんぽんと背骨の上を叩かれ、綱吉は赤い顔を隠して彼にしな垂れかかった。
「えと、その……なんか、寒そうだったから」
「うん?」
「こうすればちょっとは、なんていうかその、暖かいかなー……とか思ったり」
 短絡的な思考回路を公表して、綱吉は恥かしさに声を潜めた。もごもごと聞き取りづらい声で告げ、耳の裏まで真っ赤に染める。
 雲雀はちょっと吃驚した様子で胸元から顔を上げ、今一度自分たちの状況を冷静に眺めてから、やっと綱吉の言いたいことが理解出来たようで緩慢に頷いた。ああ、と納得した声を出され、益々居た堪れない気分に陥った綱吉が彼の胸に顔を押し込む。
 シャツ越しに、鼻呼吸をする綱吉の吐いた熱が感じられて、くすぐったかった。
「けれど、君、結構冷たいよ」
「え、嘘」
「本当」
 日向にいた雲雀と、日陰に居た綱吉。今は部屋に暖房が入ったが、少し前まで綱吉はガクガクと膝を抱えて震えていたのだ。むしろ雲雀の方が身体は温まっており、綱吉の計画は最初の段階で躓いていた。
 暖かくない、と言われて自分の平熱の高さには自信があった綱吉は些かショックを受け、くらりと頭を揺らす。試しに差し出された雲雀の手を握り締めれば、確かに彼の方が若干だが熱を持っていた。
「そんなあ」
 折角恥かしさに打ち勝って、雲雀を暖めてやろうと思ったのに。
 言葉にしたら別の意味で恥かしくなって、綱吉はしょんぼりと項垂れ、改めて雲雀に寄りかかった。
 ならば今度は自分が雲雀に温めてもらおう。そんな思惑が見え隠れして、雲雀は綱吉の癖毛をゆっくり撫でて笑った。
「あったかい?」
「ちょっとだけ」
 甘える声を出して頬擦りし、腕の位置を持ち上げて肩にしがみつく。外から丸見えなのはもう気にしないことにして、綱吉は指に触れた雲雀の襟足を擽った。
 彼の吐いた息が首筋に触れ、背筋が粟立つ。雲雀に抱きかかえられると身長差からどうしても踵が浮いて、脱げかけた上履きから流れ込む冷えた空気が綱吉の脛を撫でた。
 足元が寒い。
「人間懐炉だ」
 膝も寄せて脚までぴったりとくっつき合わせ、綱吉が喉を震わせて笑う。
 けれど懐炉ならば、もっと暖かいもののはずだ。それに大きすぎて持ち運びに不便、しかも自分で動くので欲しい時に傍にいなくなっていることだって。
 色々と想像を巡らせる綱吉の勝手な物言いに、雲雀は途中から顔を顰めて唇を尖らせた。自分を無生物と同じに扱われるのは、少々気に食わない。だったら自分だって、と彼は抱えていた綱吉を強引に自分から引き剥がし、距離を作った。
「わっ」
 いきなり肩を掴んで動かされ、上半身だけを斜めに傾けた綱吉が脚をもつれさせた。右足から上履きが外れ、こげ茶色の床を靴下が滑る。急に空気を変容させた雲雀に瞬きし、どうしたのだろうかと怪訝に眉を顰めた。
 いい事を思いついた、と雲雀が嘯く。
「いいこと?」
 鸚鵡返しに綱吉が聞き、肩から外れた雲雀の手を追いかけて琥珀色の瞳を揺らした。
 右手が近くに残され、人差し指以外は折り畳まれる。指の腹を上にした彼は、その先端で綱吉の顎を下から掬い上げた。
 楽しげに笑う目に、綱吉が吸い込まれる。
「んっ」
 寸前で閉ざされた彼の瞼に吃驚して、ワンテンポ遅れて綱吉も目を閉じた。睫が震えて喉が鳴り、触れていた雲雀に喉仏を上下させるところを知られて顔が熱くなった。
 肩を滑り落ちた彼の手が、綱吉の逃げようとする腰を捕まえて引き寄せる。自分で広げておいた距離を今度は詰めて、挙句広げた掌でジャケットの裾に隠れていた臀部を鷲掴んだ。
 指を包む柔らかい肉の感触に、唇を触れ合わせたまま雲雀が低く笑った。
「やっ、んん!」
 揉みしだかれ、撫でられる。布の上から割れ目をなぞられて、沸き上がる期待感に綱吉は身を震わせた。
 切なく睫を揺らして薄目を開けると、今度も先に雲雀は目を開けていて、間近から綱吉を見下ろしていた。
 黒水晶に映し出される赤い顔をした自分の姿に、綱吉は慌ててきつく瞼を閉ざす。
 舌の根を擽られ、絡め取られて息が自然と上がる。鼻から吐く息には本人の意思に関係なく甘い声が混じり、聞きたくなくて綱吉は首を振り、必死に彼から逃げようと足掻いた。
 靴下の裏で床を叩き、腿で彼の脚を蹴る。けれどたいしたダメージも与えられなくて、逆に自分の体勢がバランスを崩しただけだった。
 雲雀に縋りつき、支えられ、浮いた左足からも上履きが脱げ落ちた。
 押し当てられた熱に熱が煽られる。身体中で沸騰した血液が駆け巡り、体温が急上昇する感覚に見舞われて綱吉は眩暈さえ覚えた。
 透明な雫を滴らせて、雲雀が息継ぎに顔の位置をずらす。糸を引く混ざり合った唾液が陽射しの中で輝いて見え、綱吉は真っ赤になった顔を俯かせて彼の胸を押した。
「ヒバリさんっ」
 いきなり何をするのか、と怒鳴れば、雲雀は綱吉の濡れた唇を指でなぞり、湿り気を拭って婀娜に笑んだ。
「ほら、暖かくなった」
「っ!」
 ホカホカの懐炉として不満ないくらいに、温かい。
 言いながら綱吉の襟足を手で浚った彼に、綱吉は絶句した。
「な……もー、やだ」
 人で遊ばないでください。彼の白いシャツに爪を立て、綱吉は一瞬期待した自分を消してしまいたくなって顔を伏した。
 その少しだけ熱が下がった体躯を、雲雀が掬い上げる。
「わっ」
「する?」
 尻の下に腕を差し入れ、綱吉を抱き上げた雲雀が下から意地悪に問いかける。綱吉は返事に窮し、不安定な身体を持て余して胸元に来た彼の頭を抱きしめた
 柔らかい髪の毛を握り締め、ぼそぼそと彼にだけ聞こえる声で返事をする。
 雲雀は想像通りのその台詞に満足げに笑み、綱吉のお陰で不要になった陽射しを遮るべく、カーテンを引いた。

2008/02/17 脱稿