慶賀

 お正月の恒例物のひとつが、年賀状。
 とはいっても、小学校時代は送る相手も居なくて、当然届く数も片手で足りるほどで、ちっとも楽しくなかった。
 けれど今年は違う。大きく動いた自分の運命、騒々しく翻弄されているけれど、友達が出来て、知り合いが増えて、憧れの子とも沢山喋られるようになった。
 年の瀬に張り切って作った年賀状、下手だと笑われるかもしれないが、要は気持ちだ。受け取ってくれた人が笑顔になるのであれば、自分の下手な絵もそれなりに役に立つのだと思える。
「……届く、よね」
 ポストに入れた後で急に後悔に苛まれたのも過去の記憶。返事は来る、きっと。元旦に、きっと彼らからの年賀状も自分宛に届くはずだ。
 今はメールなんて便利な代物もあるけれど、やっぱり紙で届くのが一番だよな、と山本も言っていたではないか。だから、絶対。
 そうして期待に胸膨らませて待った元日、昼前に漸く届いた束をリビングで慌ただしく広げ、奈々宛や家光宛のものを避けて自分の名前を探して行く。
「あった」
 山本の賀状が真っ先に出てきて、続いてハル、京子からも届いていた。イタリアにいるディーノからも、エアメールで新年の挨拶と思われる文面が書かれた絵葉書がきている。絵柄はクリスマスだが、あちらは聖誕祭と新年を一緒に祝うらしいから、これもありなのだろう。
 他にもちらほらと、交流がある知り合いから何通か届いていた。しかし。
「あれ」
 最後の一枚を分類し終え、何もなくなったコタツの天板を見下ろして綱吉は呟いた。指でなぞるが爪が引っかかるものは何も残されておらず、三等分された葉書の山を再度手で繰って行っても、目当ての名前はどこかにも紛れてはいなかった。
 間違いなく来るだろうと思っていた人物から、届いていない。
「獄寺君から、来てない」
 言葉にしてしまうと余計に強く実感出来て、綱吉は戦慄を覚えて竦みあがった。
 そんな大袈裟なことではないのに、何故か酷く哀しい気分に陥って、綱吉は自分宛の年賀状を胸に抱いて首を振った。
 投函するのが遅かったからではないか、明日になればきっと届くはず。彼はこの冬、イタリアに帰ると言っていたから、海外からだと時間がかかっているのかもしれない。
 色々と考えを巡らせて自分を慰めるが、青褪めた表情の綱吉の気は少しも晴れなかった。
「そっか……」
 忘れているのかな、とぽつり呟いて綱吉は俯いた。
 獄寺はイタリア育ちだから、年賀状なんていう日本の風習を知らない可能性だってある。知っていても馴染みが無いから、自分には関係ないものと捕らえている確率だって、ゼロではない。
 それに綱吉が心待ちにしていることだって、綱吉本人は彼に伝えていなかった。作るよ、送るよ、とは言ったが、くれ、とは言っていない。獄寺も「送ります」と言ってはくれなかった。
 育った環境、文化の違いと言われればそれまで。ショックを受けている綱吉の方が、獄寺からすればお門違いだ。
「なーんだ」
 結構楽しみにしてたのにな、俯いたままそう呟いて綱吉は山本の年賀状を裏返した。
 綱吉に負けず劣らずの下手な絵が描かれている。耳が大きく、鼻だけが黒い。全体的に灰色に塗られているから、干支にちなんだネズミのつもりなのだろう。
 逆に京子やハルからのものは、可愛らしいシールやスタンプで彩られて、目に痛いくらいにカラフルだ。
 学校の担任からのもの、小学校時代の担任から来たものは墨色の濃淡で渋めに仕上がっている。小学校の恩師には出していなかったのを思い出し、葉書はまだ余っていただろうかと綱吉は視線を浮かせ、何も無い天井を見上げた。
「ツっくん、年賀状来たの?」
「あ、うん。来てるよー」
 台所で昼ごはんの雑煮を作っていた奈々が、エプロンで手を拭きつつリビングを覗き込む。彼女の問いかけに姿勢を戻した綱吉は、不自然にならない程度に笑い返し、両親宛に届いた葉書を揃えて彼女に手渡した。
 その場で何枚か表裏を捲って確かめた彼女は、嬉しそうに表情を綻ばせて台所へ戻っていく。綱吉もリビングでの用事は済んでしまって、スリッパで床を踏み鳴らしながら階段を登って自室に向かった。
 重たい溜息を零し、ドアを開けて閉める。
「明日に届く、よな」
 誰も居ない部屋でひとりごちるが、返事などあるわけもなくて。
 そして綱吉が切に願ったものは、二日経っても、三日が経っても、郵便受けに届くことは無かった。

 やがて、綱吉自身も年賀状なんてすっかり忘れた頃。全く終わっていない冬休みの宿題に追われ、カレンダーと徒競走していた彼を呼ぶベルが鳴った。
「ツナー、獄寺君よー?」
「うん?」
 階下から大声で呼ぶ奈々に顔を上げ、握っていたシャープペンシルを置いた綱吉はなんだろう、と椅子から腰を浮かせた。
 弾みで広げていたテキストのページが前に戻ってしまう。元のページに戻そうにも折り癖がついているのか直ぐにまた動いてしまって、仕方なくペンを目印に挟んだ彼は、リボーンの冷たい視線を背中に感じつつ部屋を出た。
 ゆっくりと階段を下るが、其処に獄寺の姿は無い。代わりにドアの磨りガラスに人影が見えた。
 何も寒い外で待っていなくても良いのに、と肩を揺らした彼は、奈々のサンダルを引っ掛けるとドアを押した。
「入ってればいいのに」
 ポーチに立っている人を確かめる前に言い、綱吉もまた外に出る。彼は案の定寒そうに手を擦り合わせていて、綱吉の苦笑を誘った。
「あ、あの。十代目」
「今日帰って来たの? イタリア、どうだった?」
 一週間かそこいら程度会わなかっただけなのに、随分と久しぶりな感じだ。髪の毛が少し伸びただろうか、と妙に落ち着き無くそわそわしている彼に首を傾げ、返事を待つ。しかしもぞもぞと背中に回した手を動かしている彼は、踵の高いブーツで頻りに足元を叩き、人の顔を見たり逸らしたり、忙しない。
 どうかしたのだろうか、と黙って待つ綱吉も次第に不安になる。それに、上着を着ていないので寒い。
「あの、ごくで……」
「すみませんでした!」
 用事は何なのか聞こうとして右手をあげた綱吉だったが、それを塞ぐ格好で獄寺が唐突に叫び、九十度に腰を曲げて頭を下げた。
 前触れもなにもない、あまりにも唐突な彼の行動に驚き、綱吉が半歩後退する。背中がドアに当たって、腰にドアノブがぶつかった。痛い。
 何を、何故謝るのか。脈絡がつかめなくて綱吉は瞬きを繰り返し、依然頭を下げたままでいる獄寺のつむじを見下ろした。そのまま呆然としていると、彼の両手が前に伸びてきて綱吉の胸元で停まる。
 握られていたのは一枚のカードだった。
「なに、これ」
 受け取れという意味だろうと解釈し、綱吉は半端に持ち上げたままだった手でそれを摘んだ。抵抗無く引き抜けたそれを顔の前で表返す。
 小学生の落書きと思しき下手な絵だった。
「……」
 思わず渋い顔をしてしまった綱吉に、獄寺も漸く顔をあげる。沈痛な面持ちで、随分と思いつめた様子だ。
「獄寺君?」
 問えば、低い小さな声で、また謝ってくる。彼らしくない態度に自然と眉間に皺が寄って、カードを前後に揺らした綱吉はいったいなんなのか、とやや語気を荒立てた。
「その、年賀状、を」
「うん?」
「俺、クリスマスカードと別々に必要だと知らなかったんで」
「あ、あー……」
 そういえばクリスマスの時にカードを貰った、プレゼントと一緒に。メリークリスマス、アンド、ハッピーニューイヤーと、そう書かれた。
 故にか、獄寺は年賀状を必要ないと考えていた様子だ。それが、帰国してポストを覗けばクラスメイト達から、そしてなにより綱吉から、賀状が届いていた。目にした獄寺は、さぞかし目を丸くしたに違いない。
 納得がいった、と綱吉はぽんと手を叩く。
「それで、俺、急いでたんでそんなのしか用意出来なかったんですけど」
「有り難う」
 届かないと諦めて、もう忘れかけていた。それなのに思い掛けず、届いた。
 願いは叶った。
 目を細めて礼を言った綱吉に、獄寺はぽかんとする。
「嬉しいよ」
 なによりも彼が、心を込めて自分の為に用意してくれたものだから。絵の下手さとか、そういうものは関係ない。気持ちが、なによりも暖かい。
「十代目」
「あがっていきなよ、お茶くらい出すからさ」
「は、はい!」
 一瞬の間を置いて獄寺が大声で返事をし、大袈裟なくらい背筋をピンと伸ばして居住まいを正した。その威勢の良さを綱吉が笑い、ドアを開けて彼を招く。
「今年もよろしくね」
「もちろんです」
 冬風を遮って呟いた綱吉に、獄寺もまた嬉しそうに、そして力強く、頷いた。

2007/12/23 脱稿