天照

「あれ? おーい」
 人ごみの中、何かに気付いた山本が唐突に声を上げ、遠くに向かって手を振った。
 深夜というのに、新年を迎えたばかりの境内は人でごった返している。ざわついた参道は、人いきれの所為もあってか真冬だというのに、暖かい。
「どうした?」
 歩くにも人と人の肩がぶつかり合う、余裕の全くない空間で立ち止まった彼に、先を急ごうとしていた獄寺が振り返って問う。神社へ向かう多くの人よりも頭ひとつ分突き出している山本は、挙げた手を下ろして耳の後ろを掻き、彼方を見詰めたまま首を傾げた。
 置いていかれそうになっている状況に気付いた彼が足早に人波を掻き分けて仲間の元へ戻り、全員が揃ったところでまた歩き出す。ハルが、先ほど獄寺が問うた内容をそっくりそのまま、上背のある彼を見上げて聞き直し、今度は頬を掻いた山本が何故か苦笑した。
「雲雀がさ、いたんだ」
「はあ?」
 暗かったし、人も多くて一瞬しか見えなかったけれど。そう付け足した山本の言葉に、信じがたいと獄寺が素っ頓狂な声を出す。彼の傍らで人にぶつかられてふらついていた綱吉は、また別の意味で転びそうになって寸前で獄寺の袖を掴み、これを回避した。
 いきなり右側から引っ張られた獄寺が、白い息を吐きつつ動揺した様子の綱吉に怪訝な顔を向ける。大丈夫かと尋ねる声にも返事は無く、下を向いたままでいる綱吉は五秒後にやっと我に返り、掴んだままだった彼の袖を慌てて手放した。
「ごめ……」
「いえ」
 多少気まずく感じながら謝罪を口にした綱吉に、獄寺が短く返して眉間に皺を寄せる。具合でも悪いのかと重ねて問いかけてみるが、綱吉はどうにも心此処に在らずの状況で、急に落ち着きを無くして周囲を見回し始めていた。
 獄寺はそんな綱吉を不思議そうに見詰めながら、耳では山本の言葉をしっかり拾っている。
「雲雀さんって、あの雲雀さんですか?」
「だと思うんだけど」
 京子にも目を丸くされており、困惑した様子の山本は段々と自信が無くなっていくのか、声を小さくして腕を下ろした。
「見間違いじゃねーのかよ」
「かもな」
 獄寺のぶっきらぼうな物言いに、ついに彼は自分の間違いを認めた。
 そもそも山本が見かけたという人物は、こういった人間の多い場所を極端に嫌う。たかだか数人集まっているだけでも、群れていると言って容赦なしに蹴散らそうとするような男が、初詣で賑わう神社に自ら足を運ぶとは正直考え難い。
 それに、彼のような外見をしている人は大勢居る。黒髪で吊り目の男性なんて、この世に探せばいくらでも。
 遠目だったし、山本に気付く様子も無く何処かへ行ってしまったから、別人に違いない。そう結論付けた山本に、獄寺も京子も頷いて同意を示す中、綱吉だけが若干顔色を悪くして溜息を零していた。
 ――どうしよう……
 さりげなくポケットの中に差し入れた手で、折り畳んだままの携帯電話に触れる。先ほど一瞬だけ震えた気がしたから、ひょっとしたら着信があったのかもしれない。ただ、この状況で取り出して確認するのは難しそうだった。
 隣には獄寺に山本、京子、それに、何事に対しても興味津々で反応してくるハルがいる。獄寺に知られたらそれこそ大騒ぎになるし、どうしたものかと冷たい機械を指で弄りながら綱吉は深く肩を落とした。
「はぐれるなよ」
「だいじょうぶでーっす」
 返事のお手本になれそうなくらいのハルが威勢良く右手を掲げ、元気いっぱいの彼女の声が雑多に騒がしい参道であっても甲高く響き渡る。
 恥かしさに綱吉は頬を赤く染めたが、山本はこれまた良いお兄さんの典型みたいな笑顔を浮かべて返し、僅かに遅れだしている綱吉を振り返った。
「ツナも、悪かったな。いきなり。寝るとこだったんだろ?」
「あ、いや、うん」
 いきなり話しかけられ、どっちなのか分からない返事をしてしまい、綱吉は首に巻いたマフラーに顎を埋めた。
 煮え切らない態度を取ってしまったのにも、わけがある。除夜の鐘がもうそろそろ終わりを迎える頃、準備をしようと部屋に引きこもっていた綱吉を奈々が階下から呼んだのだ。
 子供たちは眠気に耐えかねて既に就寝しており、起きているのは綱吉に奈々、それにビアンキくらい。年越し蕎麦も既に食べ終えているので、いったいなんだろうかと返事をすると、迎えが来てるわよ、との声。
 待ち合わせは家の前ではなく、迎えに来てくれるとも言っていなかった。時間にもまだ早いし、と時計を見上げた綱吉は着ていくものに悩んで広げていた服を置き、スウェットの部屋着のまま、玄関へ、奈々が出迎えだと言う人物を確かめに行った。
 其処に居たのが、山本に始まり、今一緒に居るこのメンバーだ。
 なんでも山本が初詣に行こうと家を出たところ、偶然京子に会い、ハルに会い、獄寺に会い、ならば流れで綱吉も誘ってみんなで行こう、という話になったのだという。
 そんな展開は夢にも考えておらず、呆気にとられた綱吉だったが、用事は無いんだろ? と無邪気に聞かれるとなんと返してよいのか分からず答えに窮してしまった。予定は、実はあるのだが、誰と何処へ出かけるつもりでいるのかを追及されると答えられない。綱吉はどうやって断ろうか懸命に頭を捻って考え込んだのだが、その時間さえ待てなかった獄寺に、行きましょうと強く求められて結局承諾してしまった。
 自分の決断力の無さに嫌気が差す。綱吉は状況を思い出して沈痛な思いで瞼を閉じ、既に参拝を終えて帰路に着こうとしている人とすれ違い様にぶつかってよろめいた。
 彼らを待たせるわけにもいかず、大急ぎで部屋に戻って適当に出していた服を見繕って身に纏い、コートとマフラーと財布、携帯電話だけを持って家を出た。部屋で行けなくなった旨をメールで伝えてはおいたのだが、本当に山本が見た人物がそうであるなら、恐らく彼の出立にメールの到着が間に合わなかったのだろう。
「怒ってるだろうなー……」
 約束は随分前からしていた、多分クリスマスが終わる頃には。
 それなのに後から、押しかけ同然でやって来た山本たちを優先させてしまったわけだから、先約であった彼が怒らないはずがない。
 後でどうやって謝って許してもらおうか。半端な弁明では殴られる可能性も高く、想像するだけでも寒気が襲ってくる。身震いし、自分の身体をコートの上から抱き締めて綱吉は何度目か知れないため息を、周囲に悟られないようにそっと零した。
『初詣、一緒に行けなくなりました』
 珍しく彼から誘ってきてくれたのに、こんな結末になろうとは。
 急いでいたので理由も書けずに送ったメールを見て、彼はどう思っただろう。
 参道の両脇に並ぶ露天は明るく、客寄せの声も絶え間ない。赤い鳥居はもう目の前に迫っており、多分ハルたちは御神籤を引きたがるだろうから、その時にでも携帯電話を確認しよう、と綱吉はポケットの上から形をなぞった。
 獄寺が喋りかけてくるのに曖昧に相槌を返すが、彼らの声は何れも道行く人のざわめきに混じって、綱吉にはただの雑音として処理された。聞こえているけれど聞いていない、右から左に流れて行く音を言葉として受け止めようともせず、綱吉は長い石段を登って巨大な鳥居の下を潜り抜けた。
 混み具合は一層強まり、前から流れてきた集団に押し潰されそうになって我に返る。一瞬見失った仲間の姿を探して視線を巡らせれば、前方に獄寺の銀髪が照明を浴びて一際眩しく見えた。
「うあっ」
 追いかけなければ、そう思うのになかなか身体が動かない。後ろに流されそうになるのを懸命に堪え、足を交互に前へ運ぶが、踏ん張りが悪いのかなかなか進めなかった。もがいている間にもどんどん距離は開いていって、獄寺の姿も、山本の背中も、人波に紛れて消えてしまう。
 手を伸ばしたが届く筈もなくて、気が急いた綱吉は呼びかける、という単純な作業も忘れて必死に前を目指した。
「……すみません、通して。すみませんっ」
 前へ、そして後ろへと殺到する人がまるでマネキン人形のようだ。綱吉の叫びも聞こえていない様子で、我先にと道を行こうとする。小さな子供だっているのに容赦ない、綱吉は息苦しさから喘いで頭を振った。
 遠く小さく、なんとか山本の姿を見つけ出す。手を振ろうとするが肩が上がらず、挙句左足を踏まれて痛さに涙が出た。
「いっ……」
 吸った空気の冷たさに喉が引き攣り、転びそうになったものの横にいた人が壁となって支えられ、体勢を取り戻して前を向く。再び親友の背中を見失って途方に暮れ、綱吉はそれでも合流できる可能性を信じて本殿に向かった。
 巨大な賽銭箱の正面に吊された鈴を鳴らすのは、人だかりが凄すぎてとてもではないが出来そうにない。仕方なくポケットから財布を抜き取った綱吉は、右手に五円玉を一枚だけ握り締めた。
 前に進む間も、綱吉はしつこいくらい周囲に視線を巡らせてハルたちを探す。他にも迷子がいるのだろう、子供が泣き叫ぶ声も聞こえて、綱吉は胸が締め付けられる思いで力いっぱい賽銭を放り投げた。
 放物線を描いて飛んでいくそれは、直ぐに他の人が投げた分に混ざって分からなくなる。ちゃんと入ったかどうかも確認できなかったが、これ以上もみくちゃにされてはたまらないと、素早く柏手を打った彼は瞑目し、両手を顔の前で合わせた。
 願い事は決めていたのに、頭の中が真っ白になって肝心の時に何も思いつかない。眉間に皺を寄せて祈るが心の中は空っぽで、横の人が手を叩く音で漸く我に返る始末。
 ハッとして顔を上げた彼は、自分が今いる場所が何処であるのかも一瞬忘れており、後ろから押してくる人に慌てて場所を譲って横へと逃げた。
 人の流れに従い、本殿を離れて背中を向ける。
 仲間を探すにはどうしたらよいか考えるが、のぼせたみたいに頭がボーっとして巧く働かない。吐く息の白さに目を細め、破魔矢や札を買い求める人の行列を遠巻きに眺めて綱吉は不意に悲しくなった。
 来るのではなかった、とまでは思わない。折角誘ってくれた山本や獄寺たちを悪いとも思わない。
 悪いのは優柔不断な自分だ、約束ひとつ守り通せない自分が嫌いだった。
「っ……」
 両手で口元を覆い、嗚咽を堪える。気を抜くと泣いてしまいそうで、人に見られるのを嫌って綱吉は白いコートの袖で乱暴に目元を擦った。布目が肌を刺してちくちくと痛んだが構いもせず、唇を噛み締めて彼は今更に神様への願い事を心の中で繰り返した。
「ごめんな、さ……」
 あの人との約束を破った罰か、これが。
 許されるなら会いたい、今すぐにでも。謝りたい、自分の愚かさを。許しを請いたい、また会えるように。
 嫌われたくない、嫌われるのが怖い。何事にも流され易い自分が大嫌いで、綱吉はかぶりを振ると赤くなっている両目を更に強く擦りつけた。
 けれど、その腕を横から掴まれて引っ張られ、綱吉は零した涙を夜の闇に飛ばして目を瞬かせた。
「なにしてるの」
「ふぇっ?」
 真上から降ってくる、低い声。雑踏の中にありながらはっきりと耳が拾い上げた、待ち望み、求め続けていた声が。
 鼻先を黒いコートが滑り抜けていく。独特の匂い、馴染み深いそれを思い切り吸い込んだ綱吉は一瞬にして涙を乾かし、驚きに頬を染めて自分を掴んでいる腕から先へゆっくり視線をずらしていった。
 ウール地の膝下まである黒いダブルのコートに、ダークグレーのマフラーを一重に巻いている。夜の闇に融けてしまいそうな漆黒の髪は前髪が少し長めで、見え隠れする瞳もまた混じりけの無い純粋な黒。切れ長の瞳が綱吉を見下ろすのに余計細められており、普段とあまり変わらない表情だけれど、知らない人ならば不機嫌にしているのだと受け取りかねない。
 実際、多少は不機嫌なのだろう。薄い唇は真一文字に引き結ばれて、顔の中心で形良く鎮座している鼻梁は寒さからか少し赤い。
「ひ、ばり、さん?」
「腫れてる」
 どうしてこの人が此処にいるのか。わけが分からずに狼狽している綱吉を無視し、右腕を取ったままの彼は短く言うと、空いている手を伸ばし、綱吉の目尻を撫でた。
 チリッとした痛みが熱を伴って肌を刺し、擦りすぎていたのだと今頃気付いて綱吉が顔を顰めた。触れられると痛いと悟ったのだろう、雲雀は二度は触れずに右腕も解放した。
「あ……」
 痺れにも似た感覚が上腕部から抜けていくのが分かる。羽織っているコートの凹みが自然と元通りになっていくのを見送り、綱吉は先ほど触れられた目尻に自分でも触れようとして、寸前で堪えた。
 むず痒くて気になるのだが、触れば余計悪化する。夜の冷気も刺さるので痛さは募る一方だったが、どうにか我慢して息を吐き、背景と同化してしまいそうな色彩の雲雀を改めて見上げた。
 時折吹く風に煽られ、長いコートの裾が踊るように揺れている。人を見下ろす瞳は先ほどとあまり色を変えておらず、いつも通りの感情を読み取りづらい能面具合に綱吉は肩を竦めた。
 何故此処に居るのかと端的に問えば、返されたのは、
「メール」
 たったひとこと、それだけだった。
「メール?」
「送っただろう」
「え、嘘」
 そういえば参道を歩いている最中に、一度携帯電話が震えている。後で確認しようと思っていたのでまだ見ていなかったのを思い出し、綱吉は慌ててポケットから自分専用の赤い端末を取り出して、悴む指で縦に広げたそれのボタンを押した。
 着信を示すランプが消え、雲雀の目の前で雲雀が送ってきたと思しき文面が液晶画面に展開される。
『初詣だけ?』
 疑問符つきの文章、だがこれだけでは何のことだかさっぱり分からない。
 綱吉はメール内容に首を傾げ、目の前の雲雀を見上げる。確か彼に送ったのは、初詣に行けなくなった、という内容だったはずだ。他に一緒に何処かへ行く約束はしていない。
 意図が読み取れず、綱吉は黙って画面を閉じる。雲雀もまた何も言わず、微妙な気まずさに綱吉は居た堪れない気持ちに陥り、頬を掻いて彼を上目遣いに見詰めた。
「あの、ヒバリさん?」
「初詣、終わったの?」
 反対側の頬を人差し指の背でなぞられ、喋りかけようとしていた綱吉は逆に問われて口を噤んだ。
 終わったといえば、終わったのだろう。賽銭を投げて、願い事はしなかったが形式通りの参拝は済ませた。破魔矢は頼まれていないし、御神籤はいつでも引ける。神社での用事はもう片付いている、あとははぐれた獄寺たちを探すだけ。
 心配しているだろうか、と手の中の携帯電話を見詰めるが、反応は無い。人が多いから電波状況が悪いのか、未だ参拝者の波が引く様子のない境内を遠目に見渡し、綱吉は鳴らない電話をポケットへ捻じ込んだ。
 今彼らが立っているのは、本殿から東へ若干ずれて奥に入ったところだ。お神酒を配る場所に近いものの、この一画にはテントもなにも設営されていないので、道に迷った人くらいしか来ない。
 照明は遠いものの手元くらいは余裕で確認出来るので特に困ることもなく、綱吉は寒さに震えて首を振り、マフラーに右の頬を押し当てた。
「寒い?」
「そりゃ」
「そう」
 当たり前だ、と膝を擦り合わせて熱を呼んだ綱吉の動きを見下ろし、自分で聞いたくせに興味ない素振りで雲雀が手をコートのポケットへと差し入れる。
 亀みたいに首を窄めた綱吉は、遠くを見ている雲雀の珍しい私服姿をぼんやりと眺めた。いつもは白と黒の組み合わせが多い彼だが、今日は濃い色で統一されており、それがまた違ったイメージを与えてくれて、新鮮だった。
 瞬きも忘れて見上げていると、唐突に視線を戻した雲雀と正面から目が合った。
「うっ」
 しかも無防備に不思議そうに首を傾げられて、まさか見惚れていたとは言えず、綱吉は声を詰まらせると赤い顔を隠して彼に背中を向けた。
「なに」
「なんでもありません!」
 急に怒り出した綱吉に益々首を傾げ、雲雀はポケットから抜いた左手首を返してはめている時計の文字盤を読み取る。綱吉がちらりと振り向いて窺い見ているのを笑い、残り時間を計算した彼は、そろそろ移動した方が良いかと惚けている綱吉の頭を小突いた。
 行くよ、と言われても何のことだか分からない。きょとんとしたまま反応が鈍い彼に、雲雀は白い息を吐き、肩を竦めてみせた。
「ついておいで」
 時計を嵌めている腕を伸ばし、綱吉の前で手を広げる。短時間だったがその手と顔とを交互に見比べていた綱吉は、痺れを切らした雲雀が肘を引いてしまう気配を感じ取り、急ぎポケットの中から右手を引き抜いて彼の指に絡めた。
 人の少ない場所で良かったと思う。赤い顔を俯かせながらも、掌から流れてくる雲雀の体温に綱吉は表情を綻ばせた。
 軽く引っ張られ、綱吉が足を前に繰り出す。斜め前を雲雀が先に行き、ついていく形だ。しかし彼が爪先を向けたのは、人の大勢居る明るい境内ではなく、むしろその逆。本殿裏手に広がる雑木林だった。
「あの、ヒバリさん。何処へ?」
「いいから」
 人気のない、薄暗い場所に近付くにつれ、綱吉の中に不安が渦を巻き始める。月が出ているし星も見えるので真っ暗闇にはならないが、それでも暗いことに違いない。
 綱吉の足取りは段々重くなっていくのに、雲雀のペースは変わらない。次第に引きずられる状態に近くなり、目的地も分からない心許なさに瞳を揺らして、綱吉は前を行く人の背中を見上げた。
 ひょっとしてこの人は、雲雀の皮を被った全くの別人ではないのか。自分を騙して、何処か良くないところへ連れて行こうとしているのではないか。
 ありえないと分かっていても、疑わずにいられず、綱吉は少量の唾を飲むと思い切って彼の腕を引っ張り返した。右足を突っ張らせ、その場で踏ん張る。
「どうしたの」
 反発を感じた雲雀が遅れて足を止め、綱吉を振り返る。声色も変わらない、雲雀に間違いないのに信じられなくなりそうで、綱吉は顔を歪めると押し潰されてしまいそうな心を懸命に奮い立たせ、何処へ行くのか再度彼に問うた。
 片方の眉を僅かに持ち上げた雲雀が、俯いている綱吉を窺っている。綱吉は気まずさから居心地悪そうに身体を揺らし、踵で乾いた土が覆う地表を抉った。
 場所はまだ神社の中だろう、一応整備された道の途中だ。
 しかし両翼には雑木林が広がり、鬱屈とした様相を呈している。人の気配は完全に途絶え、獣も寝静まる時間帯故か動くものと言えば綱吉と雲雀と、あとは気まぐれに吹き抜ける風くらいだ。
 煽られた木々が枝を鳴らし、葉を擦り合わせて楽を奏でる。明るい日差しの下であれば健やかなその歌声に心地よさを覚えたかもしれないが、今は明るさとは無縁の夜半過ぎ。不気味さが一層増して、綱吉は背中に走った悪寒に身を竦めた。
 オフホワイトのダッフルコートを抱き締め、綱吉は白い息を零して首を振る。そうやって下を向いたままの彼から目を逸らした雲雀は、同じく煙る吐息を零して闇のトンネルの先に切れ長の目を細めた。
 息を吐いた直後に口を閉ざした彼が、再び音を発しようと唇を開く。しかし喉の奥から声が放たれるより早く、唐突に、おおよそこの場にそぐわない軽快なメロディーが鳴り響いた。
 ぎょっとした雲雀が半歩下がり、顔を上げた綱吉が聞き覚えのある曲調にハッと息を呑む。大急ぎでコートのポケットに手を突っ込んで震えている携帯電話を取り出せば、案の定、獄寺の名前が本体背面の小さな液晶窓に表示されていた。
 連絡ひとつ入れずに場を離れたのだから、彼らは当然心配している筈だ。綱吉は急いで本体を広げると、通話ボタンを押すと同時に右耳に端末を押し当てた。
「もしも……っ」
 しかし応対する間もなく、一方的に通話が途切れる。綱吉の声も最後まで発せられる事無く、途中で沈んだ。
 人の携帯電話を取り上げた男が、不機嫌そうに終話ボタンに指を置いて立っている。一瞬で空っぽになった右手を呆然と見下ろした綱吉は、二秒半後に雲雀を睨み、右足を踏み出して何をするのかと彼に怒鳴りつけた。
 大声が反響しながら闇に吸い込まれていく。興奮したからか、寒さが僅かに弱まった。
 直後にまた先ほどと同じ曲が鳴り響き、三小節分も進まないうちに音は切れた。電源ボタンを長押ししている雲雀が居る、奪い返そうと綱吉は両手を伸ばしたが、届かない位置まで高く腕を掲げられて叶わない。
「ヒバリさん!」
「彼らと、僕と。どっちが優先?」
「それ、は……」
 諦めずに跳び上がって雲雀に突っかかる綱吉だったが、低い声で雲雀に問われて答えに詰まる。着地の反動で一歩と少し彼との距離が開き、視線を泳がせた綱吉の前で、雲雀は頭上に伸ばしていた左腕を下ろした。
 沈黙した携帯電話を閉じ、綱吉へと返す。
 だが彼は受け取らず、下唇に丸めた指を押し当てて浅く噛んだ。
「だって」
「初詣が終わるまでは、待ったよ」
「そんな屁理屈、言われても」
 確かに神社に詣でて賽銭を投げはしたが、そこまでの手順を一区切りにされるのはどうかと思う。言葉を濁しつつ、反論を探して綱吉は脇に視線をずらす。
 爪先が枯れ枝を踏み、乾いた音が小さく響いた。
「君に」
 酷く弱々しい声が耳朶を打ち、綱吉は目線を持ち上げる。薄闇の中に浮き上がる雲雀の表情が、いつに無く頼りない相貌をしていた。
「見せたいものが、あるんだけど」
「俺に?」
「僕と居たくないのなら、帰ってもいいよ」
 淡々と、抑揚に乏しく語られた言葉に綱吉は目を見張り、瞬きを忘れて雲雀の顔を凝視して呼吸を止めた。
 返す言葉を持たずにただ雲雀を見詰め続ける綱吉に赤い携帯電話を握らせ、指の冷たさも一緒に渡し、雲雀はひとり歩き出す。抜きん出るくらいに白い手は黒いコートの中に隠され、彼の背中はあまりにも易々と闇に同化して綱吉の前から消え行こうとした。
「まっ……」
 喉が震え、巧く舌が動かない。寒さからもあるが、理由はそれだけではない筈だ。綱吉は奥歯を噛み締めると、返された携帯端末を壊れそうなくらいに強く握り締め、浮かせた右足で強く地面を蹴りつけた。
 明りさえない前方に向かって、雲雀が去った方角に向かって、わき目も振らずに駆け出す。
「ヒバリさん!」
 やがて背景に紛れながらも他とは違う輪郭線を描き出している存在が視界に飛び込んできて、綱吉は頬を叩く冷風に構わず身を躍らせた。
 両腕を伸ばし、広げ、急激な足音の接近に驚いた雲雀が振り返る姿をスローモーションで見下ろす。空中に投げ放たれた綱吉の身体を受け止めるべく、雲雀の両手がコートを揺らして取り出され、直後ドスンと凄まじい衝撃が両者の胸から全身を貫いていった。
 助走があった分、綱吉の勢いを殺しきれなかった雲雀が彼を抱えたまま後ろ向きによろめく。
 堪え切れずに雲雀の身体が二度、三度前後に傾ぎ、やがてのし掛かる綱吉本人の重みに潰されて背中から崩れ落ちた。
 受身を取ろうにも、綱吉が上に乗っているのでそれも不可能。辛うじて首を庇って身を縮めこませるのだけは確認が取れたが、完全に無防備状態で突っ込んだために綱吉だってどうにもしてやれない。肩から地面へと倒れこんだ雲雀が苦しげに表情を歪めるのが視界の端に走り、やりすぎだったと後悔したところでこれもまた、どうにもならない。
「……っつう……」
 向かうところ敵なし、どんな重傷であろうともそれをおくびにも出さない彼にしては珍しく、雲雀は苦痛に声を漏らして息を吐いた。
 柔らかなクッションの上に沈み込んだ綱吉が、伏せていた顔を上げて正面を向く。その綱吉の背中から上を流れて行った彼の左手が、転倒の際に打ったのだろう、後頭部に添えられた。
「ヒバリさん!」
「響く……」
「え?」
「頭に」
 雲雀の胸の上で匍匐前進した綱吉が大声で彼を呼ぶが、眉間に皺を寄せた彼に唸られて首を傾げる。ゆっくりと頭を撫でる彼の隻眼に睨まれ、何を指して言っているのかを悟った綱吉は慌てて自分の口を両手で塞いだ。
 大声が頭に響くのだろう、彼は苦しげに何度か咳き込み、右手で綱吉を横へ押し出した。
 促されるままに彼から退き、その場に座り込む。枯れ草が太股の下に潜り込み、カサカサと音を立てた。
「……ごめんなさい」
「いや」
 消え入りそうな声で謝れば、即座に首を横に振られる。もしかしたらそれは、上半身を起こす際の仕草のひとつだったのかもしれないが、余計に居た堪れなくなって綱吉は揃えた膝の上に置いた手を握り締めた。
 一緒に居たいだけなのに、巧くいかない。本当は今日一日、彼と過ごすつもりでいた。だのに予定は大きく崩されてしまった。
 もっとも、獄寺たちを責めるのも筋違いであり、結局は決断力が足りなかった自分が一番悪いのだ。
 ごめんなさい、と重ねて言えば雲雀の指が伸びてきて、俯いた綱吉の頬を撫でる。
「僕も、すまなかった」
「そんな」
「正直言えば、腹立たしくてね」
 顔を上げれば正面に雲雀が居る。穏やかに、優しく、綱吉の良く知る雲雀が。
 ゆっくりと顎までのラインをなぞられて、その指の感覚を意識して追いつつ綱吉は首を傾げた。なにが、と聞き返そうとして彼の手が落ちていった先に慌てて質問を飲み込んだ。
 あのどさくさの最中でも落とさなかった携帯電話を小突かれ、表情が緩まる。そういえば山本が、神社へ向かう参道で雲雀を見たと言っていた。
 獄寺たちと一緒に居るところを見られたのだとしたら、彼の怒りも頷ける。
「ごめん、なさい」
「もういいよ」
 さっきから謝ってばかりだと揶揄されて、綱吉は小さくはにかんだ。
 雲雀との約束を反故にしてまで、獄寺たちと出かけるのを優先したと思われていたようだ。実際その通りなのだが、彼らと一緒にいる綱吉が、雲雀の目には楽しげに映ったのだろう。
 怒った、というよりは、拗ねた、だろうか。
 こんな風に直接的に感情を彼にぶつけられたのは初めてかもしれないと、不謹慎だけれど胸が温かくなる思いがして、綱吉は表情を綻ばせた。
 笑っている綱吉に雲雀も怜悧な顔立ちを緩め、曲げた膝に添えていた左手を下に下ろすと背中を斜め前に伸ばした。
「君は、今はこうして此処に居る」
 囁かれ、言葉の意味を噛み砕いて飲み込む前に、触れるだけのキスを送られて綱吉は目を瞬かせた。
「ひ、ばりさん!」
「おいで。あと少しだから」
 直ぐに離れていった彼の不意打ちに抗議したかったのに、さっさと表情をいつも通りに戻してしまった彼はコートの土を払い落としながら立ち上がって手を伸ばした。
 差し出された掌に手を重ね、引っ張り挙げてもらう。ズボンの汚れはお節介を焼こうとする雲雀から逃げて自分で叩き落して、思い出したように寒さに震えた。
 もうじき、と雲雀は言ったが、目的地になりそうな場所は見当たらない。両側を埋める雑木林は相変わらず遠くまで続いているし、行く手に光は見えず、振り返っても境内の賑わいさえ遠く、静謐さは元のままだ。
 落ち着きを取り戻した呼吸に胸を撫で下ろし、準備が整うのを待っていた雲雀が歩き出すのを受けて綱吉も後ろに従う。今度は手を握ってもらえないのか、と前後にリズム良く揺れる彼の左手をじっと見ていたら、視線に気付いた彼が歩きながら振り向いた。
「なに」
 心の声が外に漏れてしまったのかと一瞬吃驚したが、そうではなかったようだ。ホッとしたような、がっかりしたような、実に微妙な感情に苛まれ、綱吉は唇を尖らせて背中に両手を隠した。
 そっぽを向いてしまった綱吉に対し、疑問符を頭に浮かべて雲雀が表情を曇らせる。だが前に進めばちゃんとついてくるので、深く気にする様子もなく彼は残る道筋を急いだ。
 自分から手を伸ばせば、きっと彼は嫌がらずに握り返してくれるだろう。でもそれはなんだか悔しい気がして、綱吉は背中で結び合わせた指を弄りながら、足元ばかりを見て周囲への注意を疎かにした。
 いつの間にか道の両側を覆っていた樹林が途切れ、目の前を風が駆け抜けていく。
「うっ」
 前髪を煽って吹き荒れる北風につんのめり、綱吉は咄嗟に解いた手で顔を覆って目に飛び込んできた砂粒を避けた。
「危ないよ」
 横から言われ、気付かぬうちに雲雀を追い越していた自分を意識する。
「うぁぅお!?」
 慌てて足元を見れば、なだらかな斜面が広がっていて視界は唐突に開けた。前方には空が広がり、雲の隙間から淡く輝く月も見える。
 転びそうになったのを、両手を広げてバランスを取って耐え、どうにか無事に着地する。冷や汗を拭っていると後ろで笑う気配がして、それが誰なのかは確認するまでもなく、綱吉は頬を膨らませて彼に拳を振り上げた。
 ただ殴るまではせず、胸を叩く程度に済ませる。しかし余計に笑われて、綱吉は顔を真っ赤にして雲雀の胸元に頭を突っ込んだ。
「まだ、時間はあるね。此処にいて」
「ヒバリさんは?」
「暖かい飲み物でも買って来るよ」
 指差された先には、座るのに丁度良さそうな台がある。近付けばそれは倒れた木の幹で、表面を軽く払ってから綱吉は言われた通り其処に腰掛けた。
 動いている間は忘れていた寒さが舞い戻り、障害物が無い開けた空間というのも手伝って綱吉はマフラーを首にしっかり巻きつけた。手袋をしてくればよかったと柔らかな布地に指を絡ませていると、考えを読み取ったらしい雲雀が解いた己のマフラーをその上に被せてきた。
「いいですよ」
 これでは彼が寒いだろうに。申し出を断ろうとしたのに、彼はその前に三歩も距離を広げていて、もう一度大人しく待っているように言い残して今来た雑木林へと姿を消した。
 素早い。あっという間に背中は闇に紛れて見えなくなり、残された雲雀の体温が仄かに宿るダークグレーのマフラーを両手に巻きつけた綱吉は、それを膝の上に置いて軽く擦って熱を呼びながら、遠く眼下に広がる寝静まった町並みを見下ろした。
 神社の裏手に、こんな場所があったとは知らなかった。いつも見える範囲しか見ていないのだな、と自分の視野の狭さに舌を出して、雲雀が此処に自分を連れてきた意味を考える。
 見せたいものがあるといっていたが、まさかこの暗闇に落ちた並盛の街を見せたかったわけではあるまい。
 道路を走る車のライトが、蛇行しながら流れて行く。これはこれで綺麗だが、量が少ないので迫力にも乏しく、半端な感じがする。では他に何があるのだろうかと思いを馳せるが、寒さで頭が凍りついたのか、思考回路は次第に能力を低下させていった。
 物音もせず、ひとりきり。此処が安全だとは限らないのに、瞼が勝手に重くなっていく。
 ここで寝たら凍死するだろうか、そうなったら格好悪いな、なんてぼんやり考えても襲い来る睡魔に抗いきれない。せめて雲雀が戻るまでは、と懸命に耐えるが、いつもならとっくに夢の中に居る時間、ついに瞼は閉ざされた。
 それでも暫くは、カクンと首が折れるたびにハッとして、頭を振って意識を保とうと努力したのだ。けれど、気疲れもあったのだろう。腰を落ち着けられたという安心感が先に立ち、うつらうつら、夢と現実の狭間を心が漂い、流されていく。
 遠く、微かに。
 名前を呼ばれた気がしたけれど、返事は出来なかった。

「ぅん……?」
 ふわふわと気持ちよく波に揺られていたのが、急に水面深く頭を沈められた気分に陥り、綱吉は肩を震わせて押し寄せてきた寒気を堪えた。
 背筋が伸びて、頭が持ち上がる。耳の横にはみ出た髪の毛が何かを擦って、反らそうとした体も壁にぶつかりそれ以上進まない。しかも身動ぎすると一緒に揺れて、自分は確かベッドで寝ていたはずなのに、と不可思議な現象に彼は瞬きを繰り返した。
「目が覚めた?」
 耳元に吹きかけられる息に、囁く甘い声。胸を擽る低音に綱吉は再び身震いし、あれ? と覚醒に至らない意識で懸命に、何がどうなっているのかを考えた。
 さっきよりも幾分クリアになった視界は、下半分が黒に埋まっている。身をくねらせると酷く狭い場所に閉じ込められているのが分かって、腕を広げたくて肩を揺さぶると真上から苦笑が落ちてきた。
「ダブルのコートにしておいて、正解だったみたいだね」
 そう言って彼は閉ざしていた両腕を広げ、間に抱えていた綱吉を解放する。鳥の翼の如く開かれた黒のコートの端を見送り、綱吉は体の節々が変に凝っているのに首を捻りながら、漸く自由に動く肩を回して後ろを向いた。
 雲雀が、目の前。
「う、わああぁっ」
 彼も彼で、疲れた様子で首を回している。その近さに驚いて飛び跳ねると、腰が滑って綱吉の体は斜めに傾いた。
 そのまま止める間もなく横倒しに段差の下へ転がり落ちる。
 両手で空を掻くが全くの無駄で、左肩から落ちた綱吉は痛みに顔を歪めた。しかしお陰ですっかり眠気は吹き飛び、目の前に星を散らしてぶつけた頭を撫でながら起き上がる。
 向き合う形で雲雀が倒木に腰を落とし、頬杖をついて綱吉を見ていた。黒いコートはボタンが全開にされ、長い裾が丸太の表面を覆い隠している。
 さっきまでそこに自分が座っていたのだと悟ると、顔が自然と赤くなって身体が熱くなる。いつの間に眠ってしまったのか、綱吉はうろたえて落ち着き無く視線を周囲へ巡らせ、意味も無く両手を振り回して雲雀の苦笑を誘った。
「じきだよ」
「え?」
「日の出」
 ほら、と促されて綱吉は雲雀が指差す方角、つまりは綱吉が現在背中を向けている東の空に顔を向けた。
 遥か遠く、街を囲む山の輪郭をなぞり、白い光が筋を無数に描き出している。闇の中にあった雲が浮き上がり、輝きを増す。気の早い鳥の囀りが何処からか流れてきて、眠りから目覚めた大地が鮮やかに色を取り戻す。
 綱吉は目を見張り、一秒刻みで変化していく景色に息を呑んだ。
 やがて輪郭だけでなく姿自体を現した太陽が、今年最初の朝を人々へ告げる。おはよう。そんな言葉が聞こえて、彼は雲雀を振り返った。
「え、と」
 咄嗟にことばが思い浮かばず、どもりながら綱吉は彼に一歩近付いた。
 手を伸ばされる、迷わずに握り締める。引き寄せられる、膝を折って彼の胸に滑り込む。
「お、おはようございます。じゃなくって、えっと」
 一年のうち、最初の一日。そのあいさつ文が咄嗟に思い浮かばなくて、綱吉は落ちてくる彼のキスを浴びながら必死に思い出そうとした。けれど次第に深くなる口付けに、考えがまとまらない。
 両頬を手で塞がれて、身動きもままならない。熱を帯びていく身体に首を振り、舌を出して呼吸を整えた彼は自分から雲雀へも負けじとキスを送りつけてその肩に寄りかかった。
「だから、えーっと」
「あけましておめでとう」
「そう、それ!」
 思わず手を叩いて叫んだ跳ね上がった綱吉に、一瞬面食らった雲雀は直後、堪えきれずに盛大に噴出して顔を俯かせた。
 小刻みに肩を震わせ、笑っている顔を綱吉から隠し、けれど殺しきれない笑い声を時折漏らして人を赤くさせる。
「そんなに笑わないでくださいってば!」
「君は、まったく……本当に……」
 雲雀の膝を叩いて抗議し、むすっと頬を丸く膨らませて息を吐く。漸く笑い止んだ彼に、やっと思い出せた時節の挨拶を送ると、雲雀は若干不満げにしゃがみ込んでいる綱吉の額を小突いた。
「今年だけ?」
 あけましておめでとうございます、今年もよろしくおねがいします。
 年賀状にも書くありきたりの定型文。まさかそこに文句を言われるとは思わず、突かれた箇所を撫でて綱吉は前髪を梳き上げた。
 明るい太陽が空を遍く照らし、これから幾度となく繰り返される朝が訪れる。眩い輝きに目を細め、東の空を仰ぎ見た綱吉は掌を庇にして唇を舐めた。
「つなよし?」
「えーっと、……これからも、末永く?」
 確かこんな言葉だったかな、と思い返しながら首を捻って呟けば。
「よろしく」
 陽射しを浴びた雲雀が、照れ臭そうに笑った。

2007/12/22 脱稿