皎白にして青藍なる

 チラチラと闇の中に舞っていた雪は、夜明けの少し前に止んだらしい。
 ご来光は望むべくも無かったが、新雪に覆われた正月というのもオツな感じがして、悪くない。その、真っ白な雪の上に踏み出す第一歩が、丁度新しい年を自分で刻むみたいで、それもまた、悪くない。
「んー」
 吸い込んだ息は冷たく、胸を内側から刺す。夜更けまで起きていた疲れは完全に消えていないが、清々しい気持ちで両腕を持ち上げた叶は、首に巻いたマフラーの毛羽立ちの方をむしろ気にして、毛糸と肌の間に手を差し込んだ。
「さっむ」
 一応降り積もってはいるが、アスファルトの上は人通りも激しい為かもう大部分が溶けてなくなっていた。土の上や木の枝、屋根などにはまだ白い塊が鎮座しているものの、全部が溶けてなくなるのは時間の問題かと思われた。
 温暖化の影響だろうか、幼少期の記憶よりもずっと降雪量は減っている気がする。
「ま、いーけどね」
 雪でグラウンドが使えないからといって、屋内での基礎トレーニングばかりだとつまらない。道路にはみ出ている枝を小突いて揺らし、残っていた雪を地面に落として叶はひとり呟いた。
 どうせ野球をやるなら、大空の下で思い切り駆け回りたい。屋根のある、狭苦しい場所は息が詰まって嫌だ。
 指の上に残った雪が体温で解けるのを見送り、水滴を振り払ってコートのポケットに両手を突っ込む。道を行く人の数はそう多くないけれど、皆同じ方向に進んでいるから、目的地は同じに違いない。
 閑静な住宅街を抜けて、駅前の道に入ると少しずつ周囲は賑やかになる。正月早々だというのに暖簾を出している店も多く、電車を利用する人も混ざって狭い石畳の道は段々と人の頭が多くなっていった。
 この地域では一番大きな神社だから、必然的に初詣の人も此処に集まる。派手な飾り付けをした縁起物屋が軒を連ね、滅多に来ない風景に目を細めた叶は物珍しげに左右を見渡し、時折乱暴に道行く人にぶつかられながら、参道をゆっくりと登っていった。
 今日は特に、誰かと会う約束もしていない。けれど学校の仲間も大体、みんなして、これから出向こうとしている神社に初詣に行くから、運がよければそのうちの誰かと遭遇出来るかもしれなかった。
 今年最初に会えた友人次第でこの一年の運勢が決まる気もして、なんだかどきどきする。
「誰が来てっかなー」
 悪戯っぽく歯を見せてひとり笑い、叶は灰色のコートの裾を揺らした。
 斜め上を見上げれば、灰色の雲が多いものの、所々に晴れ空も覗いている。太陽は丁度雲に隠れて眩しくもなく、けれど充分明るくて気分も軽い。風は冷たくてもそう頻度は高くなく、過ごし易い天気といえるだろう。
 小春日和、ぽかぽかとまではいかないが、幾分冷え込みも緩んできている。この分では夕方までに雪も大半が溶けてなくなってしまうに違いない。
 石段下の大鳥居を潜り抜けて、調子よく階段を登っていよいよ境内へと。混雑具合は参道の比ではなく、見渡す限りの人の頭に一瞬立ち眩みを覚えた。
 現地待ち合わせなどしたら、合流できなくて大変なことになりそうだ。迷子も多いだろう、ふと頭に浮かんだ人の姿に叶は苦笑する。
「廉も、来てんのかな」
 未だに友人らしい友人も出来ず、一人ぼっちで殻に引き篭もりがちの友人を思い出す。今でもこの辺りの地理に疎く、学校と居候先との往復くらいしかしていないのではなかろうか。そんな彼がひとりで初詣に来るとはあまり考え難いが、両親もこちらに帰ってきているのであれば、一緒に出向いていても可笑しくは無い。
 それにあの家には、何かと世話を焼きたがる小姑みたいなのもいる。瓜二つとまではいかないものの、顔立ちはさすが血縁とあって良く似ている少女も一緒に想像し、叶は肩を竦めて人ごみに目を向けた。
 吐く息が白い。一瞬で掻き消えるその白さに小さく笑みを零し、叶はゆっくりと人を避けながら本殿へ向かって歩き出した。
 しかし数歩も行かぬうちに、つい今しがた頭に思い描いたばかりの顔を正面に見つけ、思わず出した右足を後ろに引っ込めて立ち止まってしまった。
「うわ……」
 マジかよ、と心の中で冷や汗を垂らし、叶は頬を引き攣らせる。声が聞こえたわけではなかろうが、丁度あちらも叶に気付いて、一瞬きょとんとした顔を作ってから、急に目を見開いて人のことを指差した。
「叶!」
「人を指差しちゃいけないって、教わらなかったのかよ」
 思い切り大声で名前を呼ばれ、恥かしさが先に立つ。だからついムキになって言い返すと、三橋瑠里はしまった、と言わんばかりの顔をして慌てて腕を下ろした。
 彼女の隣にいた妙齢の女性ふたりも揃って振り返って、叶の存在を知覚する。うち片方には見覚えがあって、もう片方はぼんやりとだけ記憶の片隅に引っかかった。
「あら、修ちゃん」
「どうも」
 瑠里の母親が真っ先に名前を呼んで、返事代わりに軽く会釈を返す。もうひとりの女性も、叶の名前に反応して目を細めた。それまでの、どこか困った様子は完全に消えたわけではないが、少しばかり気がまぎれたのか空気が柔らかくなったのを肌で感じる。
「どうかしたのか」
 この女性は誰だっただろう、面識はあっただろうか。思い出そうとするがなかなか該当する人物に行き当たらず、叶は自分の記憶力の曖昧さに舌打ちしながら半歩前に出た。
 ピンク色のコートを羽織った瑠里は、叶の不機嫌な表情に一瞬立ち竦み、それから後方に位置する母親と女性を交互に見上げて、力なく肩を落とした。
 あくまでも仕方ない、という様子を装って、叶に視線を合わせる。
「あのさ、叶。その……レンレン、見なかった?」
「廉?」
 問われ、反射的に問い返す。言われてみればこの場に居ないな、と今更にあの綿毛みたいな茶色い髪をした姿を探して視線を巡らせた叶は、最後に瑠里の後ろに立つ女性に目を留めた。
 そういえば、似ている気がする。髪の色といい、目元といい。
 ならばこの人は三橋の母親だ。然るに、瑠里の言葉から類推するところ、つまりあの馬鹿は。
「なに、はぐれた?」
「う、うん」
 端的に結論を口に出せば、若干いいにくそうにしながらも瑠里は肯定して頷いた。
 後ろの女性が頬に手を当てて苦笑している。まさか自分の息子が初詣に来て迷子になるなんて、夢にも思わなかったという顔だ。
 中学生にもなって、人ごみではぐれるなど。けれど大好きな野球でも、ピッチング以外はまるでダメダメの彼の事だ、そうなっても無理ない人の多さに叶は苦笑し、首を振って返した。
「見てない。俺、今来たばっかり」
「そっか」
 嘘を言っても仕方が無いので、本当のことを言う。明らかに落胆されてしまったが、それも仕方が無い。
「じゃあさ。見かけたら、引っ張って帰ってきてくれるかな。私達、お昼家で食べることになってるから」
「携帯、持たせてないのかよ」
「持ってないから頼んでるんじゃない」
 非常用の連絡手段の有無を問うたのに、胸をふんぞり返して瑠里に威張られてしまった。何故そこで偉そうに言い切るのか、それが人に物を頼む態度か。言いたいことはいろいろあったが、保護者の手前ことばには出来ず、叶は臍を噛んで頭を掻いた。
 三橋が自分で連絡をしてくれば万事解決なのだが、そこまで頭が回るとも思えない。土地勘も無いとあっては、そのうち迷子の案内で名前が呼ばれてしまいそうだ。
「分かったよ。ったく……」
 俺に選択権は無いのか、と鼻息荒くしている瑠里を横目で睨み、見つけたら、の大前提でつれて帰る事を了承した。途端彼女も、その保護者も、更に三橋廉の母親までも、叶が救世主であるが如く表情を明るくして目を輝かせた。
 そういう顔をされると、余計に断りづらい。見付からなかった後のことも併せて考えると憂鬱にもなる。
「だから、見つけたら、な」
 念押しして、叶はどっと押し寄せてきた疲れに前屈みになって歩き出した。まだ本殿に参拝さえしていなかったのを思い出したが、あの人ごみに揉まれるのかと想像するだけで気分が悪くなりそうだった。
「よろしくねー」
 お前、もう自力で見つける気ないだろう。朗らかな声と共に手を振った瑠里を最後に睨みつけ、叶はくしゃくしゃに前髪をかき回して溜息を零した。
 正月早々、ついていない。折角気ままにのんびり過ごそうと思っていたのに、出会いひとつで随分と目的が変わってしまった。しかし頼まれた以上形式だけでも三橋を探さないわけにもいかず、一応神社をぐるっと回ってみようかと、賽銭を投げ終えた叶は少し雲が減った空を見上げて肩を落とした。
 昼飯まではまだ少し時間がある、朝に餅をしこたま食べてきているので空腹感はまだ訪れない。それだけが救いだと舌打ちし、時計を確認した彼はコートの上から腕を交互にさすった。
 探す目処など無い、三橋が何を考えているのかも正直言えばさっぱりだ。しかし今もひとり、どこかで不安に心を揺らしているのかもしれないと考えると、見つけてやらなければとも思う。
 むしろ三橋を探し出すのが自分の役目のように思え、叶はワザとらしく「しょうがないか」と呟き、人の少ない方へ進路を取った。
 どこではぐれたのかくらい、聞いておけばよかった。そうすれば大体の範囲が絞れるのに。
 自分の浅はかさを呪いつつ、木立が茂って日陰が多い空間に足を運ぶ。破魔矢を買い求める人の波は遠退いて、この先ははて、何があっただろうかと古い記憶を引っ張りだした叶は右に首を傾げた。
 神社関係の建物か、勧請された神々の社が並ぶ空間か。周囲に植えられた梅の木にはまだ蕾さえなくて、人気の無い寂しさが全体的に静かに幕を下ろしている。さっきまでの賑わいから五百メートルも離れていないのに酷い落差で、ポケットに両手を突っ込んだ叶は、白い息に目を細めて何も無い空をぼんやりと見上げた。
 こんなところに迷い込む奴がいるのだろうか。いや、いるわけだが。
「……」
 奥に続く細い経路の先には、小さな池があった。
 緑亀が多く生息して、春先には甲羅干しをして親子が重なり合っている光景も見られる場所だ。鯉は餌付けされているので、人の影が水面に落ちれば餌がもらえなくても自然と寄ってくる。
 透明度はそう高くない池の中央に掛かる、古ぼけた橋。それなりに大きな池を跨ぐ途中には、屋根のついた休憩所があった。
 壁は無く、池に落ちぬよう胸元まで柵が設けられているだけの辺鄙な場所。ベンチはあるけれどそれだけで、決して居心地がいいとはいえない場所にひとり、ぽつんと置き去りにされた人形みたいに座り込んでいる人影がある。小麦色の髪、ふわふわと揺れて、黒っぽいコートが重いのか少しだけ前屈みに。
 否、池の中を覗き込んでいるのだ。
「何やってんだ」
 迷子になっていると聞いたから、きっとおろおろしているとばかり思っていたのに、随分と余裕ではないか。
 表向きは平静を装っていても、内心は案外焦っていたらしい自分の落胆ぶりに些かショックを受けた叶は、ぶっきらぼうに言い放って金具が少しさび付いている欄干に寄りかかった。
「うえ、はっ!」
 ギシ、と木造のそれが嫌な音を立てる。構わずに体重を預けて凭れた叶に、下ばかりを見ていた存在は不意に顔を上げ、遠からず、また近からぬ場所に立つ彼にやっと気付いて、慌てた様子で腰を浮かせた。
 毎度おなじみの挙動不審具合で両手を持ち上げたり、下ろしたり、目を瞬かせて口も一緒に開閉させて、実に忙しいことこの上ない。何をひとり百面相しているのかと呆れた声で言ってやれば、やっとこ三橋は万歳していた両手を下ろし、胸の前で人差し指を付き合わせた。
「面白いものでも見えるのか?」
 騒々しかったと思えば急に大人しくなる。落差が大きすぎるんだよな、と諦めにも似た境地で溜息を零し、叶は欄干を離れて六角形の休憩所に足を踏み込んだ。
 ふたり並んでも充分に余裕があるが、片側に集まると矢張り少し手狭だ。先ほど三橋が座っていた場所に立ち池を覗き込んだ叶だったが、白と紅色の鯉が悠然と泳いでいるだけで、他に目新しいものはなにもない。
 ただ、それは叶にとってだけで。
「廉は、ひょっとして此処来るの、初めて?」
 幼少期からこの場所に慣れ親しんでいる叶とは違い、三橋は此処に来てから一年と経っていない。出不精で人見知りで、土地勘も無い三橋が、ひとりで家から歩いて三十分程度掛かるこの神社まで出向いた経験があるとは、とても考えられなかった。
 間を置いた三橋が小さく頷き返すのを見て、叶はやっぱり、と天を仰いで肩の力を抜いた。
「ココ、結構古くなってるから注意な」
 色も抜けて白い粉が浮いている柵を小突き、背凭れの無いベンチの前で畏まっている三橋に言い聞かせる。コクコクとしつこいくらい首を縦に振るのが、水飲み鳥の玩具に似ていてなんだか面白い。声を立てて笑うと、三橋は不思議そうに首を傾げて目を丸くした。
「俺、お前が迷子になってるって聞いてたから、てっきりどっかで泣いてんのかと思ってたけど」
「はっ、母さん!」
「お前、……ひょっとして、迷子になってる自覚無かった?」
 言われて初めて、一緒に神社に来た人が傍に居ないのに気付いたらしい。三橋が急にスクッと背筋を伸ばして叫ぶのを聞き、表情を強張らせた叶が重ねて聞き返した。
 途端に迷子とはなんぞや、という顔で見詰め返され、冷や汗が流れた。
「お、俺?」
「そう」
 首を傾げたまま自分を指差した三橋に、叶は鷹揚に頷いて後頭部を掻いた。
 三橋はまだ不思議そうに自分の人差し指を見詰め、いつまでも倒したままでいた首を真っ直ぐに戻して丸い目を平たく伸ばした。
 多分頭の中で色々なことを、ぐちゃぐちゃに混ぜながら考えている最中なのだろう。そのうち耳から黒い煙がぷすぷすあふれ出して、ショートするかな、と身構えていたところで予想通り、プシューっという音と共に三橋は回線をパンクさせて頭から湯気を立てた。
「ご、ご……お、おれ……まい、ま、ま……」
 薬缶みたいだ、という感想はひとまず横に置いて、叶は右耳に小指を差し込んで軽く中を穿った。三橋はといえば、途端に涙目になって口を間抜けに開き、よろよろと危なっかしい足取りで数歩近付いたかと思うと、途中で力尽きて膝から崩れていった。
 他の事――恐らくは神社の奥に広がる緑豊かな敷地に気を取られて、自分の現状を正しく理解できていなかったのだろう。
「まったく」
 面倒くさい奴だな、と肩を竦めて叶は苦笑し、しゃがみ込んでしまった三橋の前まで進み出て右手をポケットから抜き取った。
 掌を上にして差し出すと、素早く瞬きを繰り返した三橋が、不思議そうに叶の顔を見つめる。
「ほら」
 何をしているのか、と揺らして促すが、三橋は動かない。何を催促されているのかも分かっていない目をしていて、ひょっとして今までこうやって、誰かに手を差し伸べられた経験すら彼にはないのだろうかと疑ってしまった。
 いくらなんでも、そんなわけはあるまい。脳裏に浮かんだ疑念に首を振り、叶は若干の苛立ちを込めた声で「手」とだけ告げた。
 自分の左手を見下ろした三橋が、やっと合点がいった表情でそれを差し出し、掌を重ね合わせる。けれど叶はそこから更に下へ指先をずらし、彼の手首を取って強引に引き上げた。
「う、あ」
「っと」
 予想していたよりも強い力で引きずりあげられ、三橋が浮ついた声を出してよろめく。
 転びそうになった彼を身体全体で受け止め、叶は右手を咄嗟に放して三橋の背中へ回した。コートの上からでは分からなかった、細く華奢な体のラインが感じられ、力を入れすぎると容易く折れてしまいそうな衝動にどきりとする。
 小学校時代から野球を通じて身体を鍛えていた叶とは違い、中学から本格的に野球を始めた三橋は、基本的に体が出来ていない。叶だってまだまだだけれど、そこから比べても、触れたら呆気なく壊れてしまいそうで怖くなる程だった。
 シャンプーの匂いだろうか、花にも似た甘い香りが鼻腔を刺激して、三橋を抱き締めたままでいる自分にハッと我に返った叶は、慌てて彼を引き剥がし、ぼやっとしている彼をひとりで立たせた。
「うお、しゅ……修ちゃん……?」
「ほら、帰るぞ」
 手を放せば、触れっていた場所から体温が逃げていく。
 ふたりの間に割って入った冷風に火照った顔を冷やし、叶は赤い顔を誤魔化して三橋に背を向けた。つっけんどんに言い放ち、両手をポケットに押し込んで三橋の返事を待つ。
 けれどなかなか三橋はうんと言わない。いったい何をしているのだといい加減腹立ちが募り、右足で苛立ちを蹴り飛ばして振り向いた彼は、目の前で今にも泣きそうな顔をして瞳を揺らしている三橋に気付いて純粋に驚いた。
 また、いつものようにぐだぐだと自分の中で色々と考え込み、勝手に結論を出して落ち込んでいるのだろう。
 何を想像したのか、彼は。
「置いていったりしねーって」
 きっと、多分だけれど。
 何を怖がっているのかは予想がついて、叶は勤めて穏和な表情を作って言った。
 ピクリと肩を痙攣させた三橋が、恐る恐るそんな叶を窺って視線を持ち上げる。
「……ほら」
「う、あ」
「帰るぞ?」
 ポケットから抜き取った右の掌を再び差し出せば、人の顔と交互に見比べて彼は僅かに頬を上気させた。照れ臭そうに、そして嬉しそうに口元をだらしなく緩め、おまけに目元まで緊張とは縁遠い弛緩しきった色に染めて、笑いかけてくる。
 なんだってそんなに嬉しそうなのか。聞いてみたいが、恥かしくて聞けなくて、叶はまだ戸惑っている彼の手を無理矢理捕まえると、今度は指を絡めてしっかりと握り締めた。
 触れ合った掌から伝わる体温が、いやに熱い。
「ふへ、へへ」
「気持ち悪いぞ、その笑い方」
「ふえっ、ご、ごめ」
「お前らしくていいけど」
 わざと意地悪なことを言うと、途端に三橋は声を潜めて謝ろうとする。叶はそれを、顔を背けながら声を重ねて掻き消してやった。
 聞こえていなかったかもしれないけれど、聞こえなかったのならそれでいい。そう思いつつ、握った手に力を込める。
「修ちゃん……?」
「ほら、いくぞ」
 ぼさっとするな、と乱暴に腕を引いて叶が一方的に歩き出した。
 引きずられ、三橋の右足が先に前に出る。
「帰って、さっさと昼飯食って。そんで」
 キャッチボールでもしよう。
 道の傍らに聳える木の枝が揺れ、残っていた雪が地上へと落ちる音がする。
 耳朶まで真っ赤になった叶の声に、一瞬きょとんとした三橋は直ぐに目を瞬かせ、
「うん!」
 今年最初の、一番の元気な声で頷いた。

2007/12/25 脱稿