魂祭 第一夜(後編)

 裏庭に面した北側の通路は、昨今の炎天下と渇水の影響だろう、乾いた空気に覆われて少し埃っぽかった。
 庭自体が砂を敷いただけの簡素なもので、所々に配置されている植物も降雨の少なさからそれもしな垂れて、頭を重くしている。今は戯れる鳥の姿もなく、砂を巻き上げて過ぎ去る風の音だけが実に物悲しく映った。
 並盛山の斜面を飾る緑の木々にも、若干元気が無い。旱魃の影響は少なからず現れ始めており、水の加護を受けているとはいえ、このままではこの地も他同様、稲の立ち枯れが発生し、冬を越えられない家も出てくるだろう。
 廊下に出て暫くいったところで足を止め、広がる景色を見上げていたディーノに先を行く山本が振り返る。襖を横に引いた手をそのままに、軒に頭がぶつかってしまいそうなディーノを小さく笑って、気づいた彼に首を傾げられてしまった。
「ん?」
「あ、いえ。なんでもないです」
 笑われたことにディーノが気を悪くした様子はないが、慌てて首を振って話を終わらせた山本は、どうぞ、と日が当たらない所為でこちらはかなり暗い室内に掌を向けた。
 促され、ディーノが山本の前を通り抜けて先に敷居を跨ぎ、畳を踏む。素足が受ける感触が一変し、その踏み心地の柔らかさにディーノは目を細め物の少ない室内をぐるりと見回した。
 入って直ぐのところでまた立ち止まったディーノを追い越して、山本が左奥に据えてある行李へと向かう。自分も続くべきか迷ったディーノではあるが、歩くたびに味噌汁を吸った布が脚にまとわりついて気持ちも悪いので、大人しくその場で待つことにした。
 打掛が汚れぬよう注意を払い、左足を持ち上げて濡れ具合を確かめる。その斜め前方では山本が、行李の蓋を持ち上げて中から何着かの折り畳まれた着物を取り出し、畳に並べていった。
 色は、彼の好みなのだろう。落ち着いた風合いのものが多く、好きなものを選んでくれと言われても逆に困ってしまうような選択肢の幅の狭さだった。ついでだから帯も一緒に替えてしまったらどうか、とまで提案されたが、そこまでしてもらうのも申し訳ない気分でディーノは丁重にお断りした。
 山本が取り出したのは三枚ばかりで、左から順に灰汁色、青鈍色、煤竹色。絵柄のない簡素なものであるが、あまり着込んだ感じがしないので本人にとっては大事に扱っているものなのだろう。
「悪いな」
「気にしないでください」
 重ねて礼を告げると、はにかんだ山本が行李の蓋を閉じる。その音が一瞬だけ部屋へ騒音をもたらし、直後に降り注いだ静寂の中、ディーノは並べられた三枚に複雑な表情を浮かべた。
 目の醒めるような鮮やかさは、そこにはない。けれど誰かと重ねてしまいそうになって、彼は首を振り肩に羽織るだけの緋色の打掛を握り締めた。
「しっかし、嫌になる暑さですね」
 ディーノの沈黙を深く受け止めることもなく流した山本が、行李の表面を指でなぞりながら呟く。同意を求める気配は薄く、独り言の部類を出ないものだったが、視線を上げて意識を現実に戻したディーノは曖昧に頷き、軒先へ視線を転じた。
 気勢も弱い木々が、辛そうに日の光を浴びている。緑は濃いが、どこか草臥れた印象は否めない。
 今は植物だけだが、動物にもそろそろ影響は出てくるだろう。人間も、今年の異常ぶりに気づく者は気づいているはずだ。
 並盛に至る前に垣間見た地上では、雨乞いの儀式を執り行う集団にも何度か遭遇した。それがいかに無駄な祈りなのかを知っているだけに、ディーノは見るのも辛くて仕方が無かった。
 それもこれも、自分の不甲斐なさが原因なのだ。まさかあれを狙われる日が来るわけがないと、心のどこかで思っていた自分が悪い。だからなんとしてでも自らの手で再び封じなければならないという意識は強いのだが、現時点で居場所を突き止められていない事実が重く圧し掛かっている。
「そ、だな」
「雲雀の雲読みが外れたのも、初めてだし」
 悔しがっていたな、と何気なく呟いた山本の声にディーノは肩を竦める。雲読みが如何なるものかは想像するしかないが、蛟を食らっている彼は雲ならば呼べただろうから、その応用なのだろう。
 その予想だって、古の封印が破られて彼の鳥が解放されなければ破られることは無かった。
 ディーノは三枚ある長衣のうち、煤竹色のものを借りることにして羽織る打掛に手を置いた。山本は残りの二枚を行李の中にはしまわず、こげ茶色も濃い蓋の上に重ねて置いた。広くなった畳の上に、今度はディーノが下ろした緋色が散りばめられる。
 立体で見るのと、平面で見るのとでは絵柄もまた違った印象を人の目に与える。羽織られている時は見えづらかった、皺の寄る裾に近い部分にも細かな意匠が施されている図柄に、山本は感嘆の表情を浮かべた。
 金色の馬をやや右よりの斜め下に、大輪の牡丹がそのすぐ左隣に。前脚を高く掲げる馬の周囲にも無数の、それこそ山本が名も知らぬ花々が彩り豊かに散らされている。背面に絵柄が集中しているが、邪魔にならない程度に袖にも薄紅の花びらが舞っていた。
「すごいですね」
「だろ?」
 素直に驚きを表に出した山本に、ディーノもまた褒められたのが嬉しいのか目を細めた。
「これ、でも女物ですよね」
 白い歯を見せて笑うディーノから打掛に視線を戻し、手前に来た左の袖を皺にならぬよう広げ直してやりながら山本が問う。深く考えがあっての問いかけではなかったのだが、直後息を飲んで沈黙したディーノに、ひょっとして聞いてはいけないことだっただろうかと彼は頬を強張らせた。
 薄い光を背負い、薄暗い中でその金髪だけが異様な鮮やかさを放っているディーノの表情は、見えづらくはあったが明らかに沈んでいた。
「ああ、うん。そう、だな」
 言いづらそうにしながらも頷いた彼に、山本は即座に謝罪を口にした。けれど彼は首を横へ振り、気にしなくていいからと小声で告げた。
「あんまり、楽しい話じゃないしな」
「それって……」
「一緒にいられない代わりに、ってな」
 桜色の唇が紡いだ、哀しくて切ない想い。今でも、もし違えてしまった選択肢を戻せるのならば、戻りたいと願ってさえいる。
 手元にはこれだけが残された、これしか遺されなかった。最期の時を傍で見守ってやることは出来なかった、許されなかった。
 言葉少なに淡々と語るディーノの声に耳を傾け、山本もまた複雑な思いを胸に呼び起こして唇を噛んだ。するりと帯を解いて汚れた長衣を脱いだディーノは、手早く山本から借りた煤竹色の長衣に袖を通し、襟を合わせて形を整えた。
「あ、今の話、恭弥には内緒な」
 繊維があまり解れていないので少しごわごわした肌触りだが、動き回るには申し分ないのを確かめ、ディーノは務めて明るい声を出して自分に代わって沈んでしまった山本に言った。しかし彼は何か思いつめた様子で握った手を震わせており、肩にまで伝わる振動具合にディーノが眉を寄せた。
 折り畳もうとしていた、それまで着ていた着物を床へ下ろす。
「おい?」
 呼びかけようとして、そういえば彼の名前はなんだっただろうかと今更なことを考える。昨日に自分が名乗ったとき、一緒に聞いた気もするがよほど印象に残っていなかったのだろう、顔は覚えていても記憶は繋がらなかった。
「あの、ディーノさんって。すみません、変なこと聞いてもいいですか」
「なに?」
「ツナのこと、……好き、とかじゃないですよね」
 俯かせていた顔を持ち上げ、山本が鬼気迫る表情で問いかける。浮かせた膝で畳を叩いた彼の勢いに気圧され、ディーノは座ろうと折り曲げた膝を中途半端な位置で止めたまま、面食らった様子で彼を見詰め返した。
 山本からは、ディーノをからかっている様子は感じられない。至って真剣に、本当のことが知りたいと目で訴えかけている。
「……えーっと」
 けれどいきなりだ、本当に。今までの会話のどこからそんな質問が飛び出してくるのか、ディーノは瞬きを二度素早く繰り返してへら、と笑った。
「なんで?」
「いや、なんつーか、だから」
 質問の意図するところが巧く掴めていないディーノを前に、山本も自分で何故こんなことを聞いてしまったのか混乱しているのか、泳がせた視線が何も無い宙を彷徨った。その間にディーノは今度こそ腰を落とし、雑に胡坐を組んで広げていた打掛の端を持ち上げた。
 一気に引き寄せ、肩に羽織る。山本の視界に赤が踊り、金色の馬が空目掛けて駆け上がっていった。
 再び手元を見下ろした山本が、もごもごと口の中の空気を左右に動かして小さくなる。
「だから、その、ディーノさんが違うなら、いいんです」
「違う?」
「だって、ディーノさんはまだ、これを贈ってくれた人のこと、好きですよね」
 山本のたどたどしい説明の中で漸く繋がるものが見えてきて、ディーノは頭の中を整理しながら顎に指を添えた。目を眇めて考え込んだ彼に、山本は尚も懸命に言葉を捜して慣れない説明に躍起になる。
 遠く、開けっ放しの襖越しに奈々の声が聞こえた。獄寺がそれに応えている。他に音は聞こえず、屋敷の中は嫌になるくらい静かだった。
「好きっていうか、そうだな。……うん」
 まだ好きでいるかと問われたら、頷くしかない。忘れようと努力しても結局出来なかった想いだ、打掛を常に羽織り続けているのも、その証拠。
 棄て難い、手放し難い。もう一度見えられるのならば、会いたい。
 会って、抱き締めて、今度こそ自分だけのものにしてしまおう。
 率直な飾らない彼の言葉に、山本は何を想像したのか頬を赤らめ視線を逸らす。畳を掻いた指先が引っかかったところで止まり、拳を作って軽く叩いた。
「でも、なんで?」
 ディーノの思い人が綱吉ではないのなら、山本はそれでいいらしい。広げた手で殴った場所を撫でた彼は安心したのか表情から緊張を取り去り、良かったと音を刻まない唇で呟いている。
「俺、そんな風に見えた?」
「えー……と、はい」
 言い辛そうにしながらも、山本は正直に頷く。
 昨日初めて彼が訪れた時は、そうは強く感じなかった。どちらかと言えばディーノの注意はずっと雲雀に向いていたし、雲雀が去った後の彼も特に目立つ行動は無かった。やたらと綱吉に構いたがる素振りはあったが、それはむしろ小動物や赤ん坊を相手にちょっかいを出して反応を楽しもうとする気色が強かったと山本は感じた。
 ただ、綱吉がどう感じていたのかは分からない。それが山本の胸の内を複雑なもので満たしている。
 綱吉は元々人見知りをする方で、初対面の人間相手にあそこまで気を許す真似はしない。雲雀のあからさまなディーノへの反発を見ていたら、雲雀側に立つはずの綱吉もまた、彼に警戒を抱くのが自然だというのに。
 何が綱吉から警戒心を抜き取っているのか。
 それにあの、幼馴染みとして十年近くを共に過ごしている山本でさえ初めて目にする、露骨なまでの雲雀の態度だ。綱吉を明らかにディーノから遠ざけ、威嚇する姿。兄に対してなにをそこまで敵愾心を剥き出しにする必要があるのかと、山本は不思議でならない。
 雲雀の様子からは、幼い頃の彼を知っているからという照れ隠しめいたものは感じられない。むしろ、彼から大事なものを奪い去ろうとする“敵”としてディーノを捉えている、そんな節さえあった。
 そして今日。一晩明けてやって来たディーノが綱吉に向ける視線は、昨日に山本が見たのとは何処か違う色を持っていた。
 何故そう感じたのかは、解らない。けれど山本は、自分の直感は信じるほうだ。
 何がどう違っていたのか、具体的に説明出来るだけの言葉を山本は持ち合わせていない。しかし彼はディーノへ、なんとか自分が今感じていることを伝えたくて、「雲雀と同じ目で綱吉を見ていた」と言った。
「雲雀だけ、じゃないか。俺や……獄寺の奴とも同じ」
 口元に広げた手を押し付け、自分の言葉に自信なさげにしながら山本は落ち着かない視線を部屋中に走らせて唾を飲んだ。
「お前らと」
「気を悪くされたなら、すみません。謝ります」
 声を潜め、低くしたディーノに山本は正座を作り直し、小さく頭を下げる。けれどディーノはもう彼を見ていなくて、思いがけず受けた指摘にただ驚いていた。
 そんな風に、人が見てわかるほどに、顔に出ていたというのか。
 行き場を失った手で打掛を強く握る。サラサラと指先を流れる絹に似た柔らかな肌触りは、いつもなら彼の心を穏やかにしてくれたのに、今日に限って逆に細波を立てて嵐を呼ぶ勢いだ。
『駄目だぞ』
 昨晩のリボーンの声が彼の中に反響する。頭の上に釣鐘を被せられて、思い切り衝かれたみたいだ。ぐわぁん、ぐわぁんと大きな音が入り乱れてこめかみが強く痛む、歯を食いしばっても堪えきれないくらいに。
 あの時リボーンは、どうしてあんな事を言ったのか。
 雲雀の置かれている状況に思い悩み、雲雀が大切に思っている綱吉とそう長く一緒に居られないだろう現実を憂いた彼に、同情するなという意味ではなかったのか。
 あのふたりがお互いの思いを触れあう事で確かめ合うその行為を覗き見するな、という警句ではなかったのか。
 それとも。
 綱吉が、あの子と同じだと感じつつある自分への警鐘か。
 分からなくなる、本当にそうなのだろうかと胸の中がざわめき立つ。
 期待している、切望している。神たる自分が、小さな存在に醜く縋りつこうとしている。
『駄目だぞ』
 目の前の世界が歪むようだ、自分がちゃんと背筋を真っ直ぐ伸ばせているのかどうかも定かではない。
 ――ツナが、おなじ……?
 空色の瞳が翳る。そんなわけはない、そんな事は起こりえない。
 けれど確かに感じた、同じ匂い。
『一は十に漂い、十は一に還る』
 同じ――魂の匂い。
「ディーノさん?」
 黙り込んでしまったディーノが、気を悪くしたと勘違いしたらしい。山本が不安げに彼を呼び、数秒遅れて我に返った彼は慌てた様子で首を振った。
「ないない、ないって」
 誰に対しての言い訳なのか、これは。自分でさえよく分からないまま彼は首を振り続け、山本を安心させた。
 そうだ、ありえない。
 あって良い事ではない。
 もし本当に、そうだとしたら。
 ――何を考えている、リボーン……?
 ディーノでさえ彼の胸の内を推察する術は無い。朝から姿を現さぬ幼き体躯をした強大な存在に初めて疑念を抱き、ディーノは汚した着物を握って立ち上がった。
 戻った先の居間には既に雲雀と綱吉の姿は無く、綺麗に片付けられた囲炉裏端に獄寺がひとり座っているだけだった。
 朝食の片づけをしていた奈々は、着替えを済ませて戻って来たディーノに味噌汁は冷めてしまったからと、代わりに糒を渡してくれた。汚した着物は洗っておくからと交換でディーノは丸めた布の塊を彼女に託し、小皿に山盛りにされた糒の処分をどうするかで苦慮した。
 折角の好意なのだからありがたく受け取りたいところだが、人の食物はディーノには不要。持て余した皿を手に戻ったディーノは、背中を丸めて懸命に何かを作っている獄寺と、それを横から邪魔している山本に気づいて首を捻った。
「なにやってんだ?」
 棄てるのも勿体無いから彼らにあげてしまおう。そう思いつつ後ろから獄寺の手元を覗き込んだディーノが見たのは、畑で採れたばかりと思しき茄子や胡瓜に麻幹の突き刺した、四本足の奇妙な物体だった。
「へったくそだな~」
「うっせえ、邪魔すんな」
 脚の長さが不揃いで蔕部分が妙に上を向いて傾いている茄子を小突き、山本が笑っている。獄寺は肘で彼を追い払おうとするが、お陰で手にしたままの胡瓜への狙いが逸れて四本目の足が他と比べると随分離れた場所に突き刺さってしまった。
 これではちゃんと立たないかもしれない。麻幹三本で辛うじて踏ん張っている細長い胡瓜に山本がまた笑い、ディーノは見覚えがあるようでないそれらが何だったろうかと考える。
「そんな事言ったって、これじゃ、ツナのご先祖様も乗ってくる途中でおっこっちまうぞ」
 安定感が悪い胡瓜の頭を突っついて揺らし、山本が涙まで浮かべるくらいに笑って言う。嫌なところを指摘された獄寺は途端顔を赤らめ、頬を膨らませてそっぽを向いた。
 彼らのやり取りを聞いて、ディーノは漸く思い出す。
「精霊馬か」
「俺が作ったほうが絶対上手く出来るって」
「いーや! これは俺が、内儀様から任せられた仕事だ!」
 これでは先が思いやられると、代わりに作ろうと手を伸ばした山本の腕を叩き落し、獄寺は野菜が載っている籠を自分の膝に抱え込んだ。卵を抱く親鳥みたいに、腹の下に入れて外敵から守ろうと背を丸める。
 落ちていた麻幹を一本拾い上げたディーノは、ぎゃあぎゃあと喧しく騒ぎ立てるふたりに笑みを浮かべてから、綺麗に段差下で揃えられている下駄に視線を向けた。奈々は洗濯をしに外へ出て行った、開け放たれたままの勝手口からは強い日差しが斜めに流れ込んでいる。
 指で麻幹をぐるぐる回し、下らない理由からついに取っ組み合いの喧嘩に発展しそうになっていた山本へ、彼は声をかけた。
「そういや、やるか? 修練」
「へ? はい、是非!」
 昨日交わした約束を思い出し、ディーノは気持ちを切り替えようと山本を誘った。獄寺もどうかと一応聞いてみたが、彼は奈々に頼まれた精霊馬作成に忙しいからと首を横に振る。
「獄寺は体力勝負苦手だもんな~」
「うっせえんだよ、さっさと行け!」
 逐一茶々を入れる山本を足蹴にし、獄寺は一際大きな声で怒鳴って自分の部屋に戻ってしまった。その荒々しく踏み鳴らされる足音に肩を竦め、山本はからかいすぎたと舌を出す。
 ディーノは笑うことしか出来ず、あんまり苛めてやるなと形だけの注意を彼に送って下駄に足を突っ込んだ。
「でも、ディーノさんがいてくれて良かった」
 唐突に言われ、前のめりに姿勢を取ったディーノが後ろに来ていた山本を仰ぎ見る。
「なんでまた」
「退魔師を狙ってる奴らがもし俺の予想通りに進路を取ったら、正直俺たちだけでツナを守れるか、あんまり自信なかったんで」
 だから居てくれると心強いと、山本は笑った。
 そのディーノが殺人犯である可能性は、微塵も考えていないらしい。その素直さがいつか裏目に出やしないか、少しだけ心配になった。
「お前だって、充分強いだろうに」
 確かに雲雀やディーノとは比べるべくもないが、山本自身は人としてならば他の追随を許さない程の霊気を秘めている。獄寺だって、そうだ。荒削りな部分は否めないが、いずれ綱吉を支える良き仲間となるだろう。
 思ったことをそのまま伝えたディーノだが、山本は彼が下駄を履き終えるのを待ってから首を振った。
「駄目ですよ、俺なんか。一寸前だってツナの奴を泣かせたばっかりだし」
 暗く冷たい雨の中、自分の思いを暴走させた末に招いた悲劇を振り返り、彼は唇を噛み締めて苦いだけの血の味に呻いた。
 綱吉が好きだ、今も、昔も、これからも、ずっと。けれどまたあんな事を起こさない保証は何処にも無いのだというのも、山本は知っている。綱吉だって分かっているだろう。それでも傍に置いて、笑いかけてくれる。自分には彼に優しくしてもらえるだけの資格はないのに、綱吉は気にしない素振りを見せて。
 そして山本は、彼のそんな優しさに甘えている。
 叶わないと思い知らされても、傍を離れることが出来ない。思いは届かないと知りながらも、未だ諦めることが出来ない。見苦しいと笑われても構わない、一緒に居たい。
「一番じゃなくてもいいんです」
 はっきりと言い切った山本が、動けないディーノを置いて草履を履き、土間に下りていった。
「先、行ってますね」
 木刀を取ってこないと、と言い残して山本はそそくさと台所を出て行く。姿はじきに見えなくなり、取り残されたディーノは重い気持ちを抱えたまま天を仰いだ。
 鈍い足取りで土間を抜け、陽射しが眩い外へと出る。玄関先では昨晩焚いたのであろう、迎え火の残骸が黒く光っていた。
 何処からともなく笛の音が聞こえる。強すぎる陽光を避け、ディーノは精霊馬に乗って還ってくるだろう相手を思い、瞼を閉ざした。

「ふっ」
 屋根の上、真夏のそれよりも厳しさを増す日光をものともせず、リボーンは黄色い頭巾に手を置いて意味ありげに笑った。
 見上げた先、黒目がちの瞳の先には南にゆっくりと移動しつつある太陽が。灼熱の炎がふたつ、朧な輪郭線を描きながら重なり合って地表を余す事無く照らしていた。
 彼は目深に頭巾を被り直し、口元の笑みを隠して更に呟く。その声は誰の耳にも届くことは無い。
「やっと、始まるな」

2007/11/24  脱稿