魂迎 第三夜(前編)

 好きだよ
 大好きだよ
 だから守るよ
 君を守るよ
 ずっと、ずっと君のそばで
 君を護るよ……――

~魂迎 第三夜(前編)

「へえ。じゃあ、雲雀とは義理の」
 フゥ太が去り、雲雀も山へ入ってしまい、残された面々は場所を座敷へと改めてそれぞれ好きなように座りながら、奈々の煎れてくれた茶を飲みつつ雑談に興じていた。
 話題の中心は専らディーノと雲雀で、リボーンは彼を、雲雀の血の繋がらない義理の兄と説明した。
 綱吉が喋っていては必ずどこかで襤褸が出ると踏んだのだろうリボーンの裁量で、それは賢明な判断だったというほか無い。彼が説明している間、ディーノも釘を刺されていたのか合いの手を挟むことは無く、綱吉も座布団の上に正座という妙に畏まった状態で聞いていた。
 そんなふたりの汗が滲み出るような緊張を知らず、山本と獄寺はリボーンの簡単な説明をそのまま鵜呑みにしてくれた。正直者は馬鹿を見ると言うが、この場合だけは彼らの心の真っ直ぐさに助けられた感じだ。
 嘘をついているという後ろめたさはある。ただ矢張りディーノが、人ではなく神の位に名を列する存在だと彼らに教えるのは憚られた。
「そうそう。んでも、あいつがちっさい時にちょっとごたごたして、こっちへ預けなきゃいけなくなって、それから一度も会ってなかったんだ」
 名前をつけたのは俺なんだぜ、と誇らしげに己を指差して笑うディーノだが、雲雀当人が果たしてその名前を気に入っているかどうかは、甚だ疑問だった。雲雀を下の名前で呼ぶのは、リボーンですら一種の敬意を表する奈々くらいで、綱吉が即座に「恭弥」を誰だか思い出せなかったように、山本も獄寺も、耳慣れない名前に苦笑いを浮かべるばかりだ。
 反応が芳しくないのが不満なのか、ディーノは子供のように唇を尖らせて拗ねる。雲雀があまり表立って感情を露にしない分、義兄弟という名目の彼がこんなにも感情豊かなのが少々信じられないのだろう。山本はさっきから妙に感心頻りで、獄寺に至っては全然似ていないと笑いっぱなしだ。
 確かに金髪碧眼の南蛮人の風貌をしているディーノと、黒髪黒眼の雲雀とはで、ぱっと見た限り共通点が浮かばない。だがそういうところに雲雀が沢田家に預けられた理由があるのだろうと、十年前の雲雀山での顛末を何も知らない彼は勝手な自己解釈に頷き、納得してくれたようだ。
 山本も雲雀が沢田家に預けられた本当の理由は知っているが、それ以前の彼に関しては全く情報を手に入れられなかったようで、何処で生まれ育ったかの境遇は知らないままだ。
 雲雀が何故あの山に居たのか、根本的な理由は彼も問わない。だがディーノの少ない言葉尻から、彼もまた勝手に、雲雀が人柱の贄かなにかに使われたのではないかと判断してくれた。
 ともあれ、ディーノは十年ぶりの再会を喜んだが、雲雀はさして嬉しく無さそうだ。先ほどの庭先で見たやり取りからそれは充分伺えて、山本は彼をからかう格好の材料が増えたと楽しんでいる。
「でも、なんでまた、急に?」
 十年会っていなかったのに、いきなり訪れてきた理由。前触れは無く、予め訪問を告げる文も無かった。
 リボーンを膝に置いた山本の率直な問いに、ディーノは組んでいた胡坐を崩して背中を丸め、肘を立てて頬杖を作った。
「ああ、ちょっと、近くに用事があったんで」
 そう言いながらちらりと山本の膝元を盗み見た彼の動きには誰も気づかず、ただ見られたリボーンだけがほんの少し頬を歪めた。
「用事?」
「そそ。んで、ついでだから」
 ちょっと足を伸ばしてみたんだ、と綱吉の声に言葉を注ぎ足した彼がはにかんで笑う。その穏やかで優しい表情に正面から見つめられ、綱吉は何故かまた顔を赤くして唇を浅く噛み、慌てた様子で視線をそらした。
「……」
 何度されても免疫がつかないな、と自分の頬を手でさすった綱吉を獄寺がじっと見詰め、敵愾心をむき出しに今度はディーノを睨む。だが彼らの感情など元からお構いなしのディーノは、獄寺に向かっても変わらない笑顔を向けて頬杖を解いた。
 山本の膝でえんこ座りをしているリボーンが、ぶらぶらと爪先を当て所なく揺らす。落差は少ないとはいえ下に落ちないよう彼の肩を支えてやりながら、山本はそういえば、と話の矛先を変えた。
「ディーノさんは、こっちにどれくらい滞在するんです?」
「俺?」
 若干身を乗り出す形で、上座に在るディーノに山本が問うた。
 その質問の意図を掴みきれず、彼は自分自身を指差して左向かいに座っている山本に首を傾げる。興味津々の様子で目を輝かせている彼に綱吉も首を左に泳がせて、右側に座っているディーノを振り返った。
 彼は眉間に指を置き、少し考え込む素振りを見せている。神族の一員である彼は、望めばいつでも何処へでもいける。滞在期間をどうするかなど、考えてもみなかったのだろう。困惑に揺れる瞳を差し向けられ、綱吉はどきりとしながら再び山本に向き直った。
「えーっと……なんで?」
「いや、だってよ。ほら、フゥ太も言ってたけど」
 ディーノに代わって理由を問うた綱吉に、山本は何故解らないのかと拳を縦に振り回す。危うく殴られかけた獄寺が体を反対に倒して避け、彼の粗忽ぶりを罵る声を上げた。
「てめっ」
「折角旅芸人の一座が巡業に来るってのに、見ていかないのは勿体無いですよ」
 しかし山本は怒る獄寺など眼中に無い様子で、ディーノへ更に詰め寄って説得を試みる。姿勢を前に倒して動いた山本の胸板に挟み潰されそうになったリボーンは、それより早く煙となって姿を消し、直後綱吉の膝に現れた。
「わっ」
 いきなり出現するものだから綱吉は両手を広げて驚き、一方のリボーンはしたり顔。膝の重みを失った山本は勢い余って畳に膝を立ててしまい、腕を下ろす綱吉を見て微妙に気まずい顔をして頬を掻いた。苦笑する口元は、悪い、と呟いている。
「おーい、リボーン」
 その、膝に幼子を抱きかかえるのが羨ましいのか。綱吉とリボーンをじっと見据えたディーノが急に猫なで声を出してリボーンを手招いた。しかしつんと鼻筋を立ててそっぽを向くリボーンはディーノを相手する気など更々無くて、円らで大きな黒目を天井に向けて聞く耳も持たない。
 姿勢を戻して自分の座布団へと戻った山本は、冷めかけた茶をひとくち啜って気を取り直し、折角だから、と繰り返す。
「ん~、そうだな」
「でも、山本。ディーノさんだって忙しいだろうし」
「いや? 暇だけど」
 しつこく食い下がる山本に、いい加減ディーノも困っているからと助け舟を出そうとした綱吉だが、その本人からあっさり否定されてしまって綱吉はがっくり頭を垂らす。自分で用事があると言っておきながら、本末転倒甚だしい。
「だったら」
 だが気にした様子もなく、表情を綻ばせた山本がディーノにもう一度並盛への滞在を促した。
 丸めた拳を畳に押し当て座を改めた山本の真剣な訴えに、茶々を入れるつもりはなかろうが、それまで大人しくしていたリボーンが唐突に横から話に割り込む。
「山本、本当の事言った方がいいぞ」
 何のことだか解らない綱吉と獄寺は目を丸くし、指摘された山本も間の抜けた表情を作っている。ただリボーンだけが綱吉の膝上で余裕を醸し出しており、彼の茶を啜る音だけが座敷に低く響いた。
 問う視線をディーノから送られ、山本は考えを見抜かれていたことが恥かしいのか俯き加減で後頭部を掻き回した。
「いや、なんていうか……雲雀とのやり取り見てたら結構な使い手っぽいなーて思ったんで。暇だったらちょっと、手合わせをお願いしたいな、とか……思ったりしたんだけど」
 並盛の里に戻ってからの山本の修練の相手は、リボーンか雲雀のみ。彼本人としては実父にも頼みたいのだろうが、今はまだ勘当の身の為彼は実家の敷居を跨ぐことが出来ないのだ。
 持田も剣術に磨きをかけていると言うが、本気になった山本の攻撃を凌げるだけの力量には達していない。獄寺はそもそも接近戦が苦手だから山本が満足できる相手でもなく、綱吉に至っては論外。
 家光がいたならば、と言い出したらきりがないところに現れた突然の来訪者。
 幾ら神気を封じ込めているとはいえ、滲み出る清涼で濃い気配までは消せない。雲雀の殺気を前にしてまるで動じなかった強い精神力にも、山本は感服したようだ。
「俺ってそんなに、強く見える?」
「見えますよ!」
 握り締めた拳をまた振り回し、山本が力説する。実際ディーノの強さは折り紙つきなのだが、雲雀は彼を蔑ろにするから実感が薄れていただけに、言われた本人はかなり嬉しげだ。きらきらと目を輝かせ、自分の強さに磨きをかけたい山本の言葉に逐一頷いて返している。
「いいの? あれ」
 もっともそれは、山本がディーノの正体を知らないから言えることであり、知っている綱吉は内心落ち着かない。もし下手をすれば山本の身が危ないと思うのだが、問われたリボーンは平然とした様子で、「いいんじゃねーか」と素っ気無い。
「いいのかなぁ……」
 あまりディーノに長居されると、雲雀の機嫌はどんどん悪くなっていく気がする。何をそんなに反発するところがあるのだろうかと、誰にでも気さくで懐の広い面を見せる彼の横顔を眺め、綱吉は肩を落とした。
 思い浮かべるのは、不機嫌に去っていった雲雀の背中だ。
 彼のディーノに対するむき出しの敵意は、何が理由なのだろう。彼と一緒に居た頃に酷い目に遭わされたとか、本当にそれだけの理由なのだろうか。もっと根本的に何か、本人でさえ意識していないものが関わっているような気がする。
 何気なくリボーンの白い腕を取り、彼が抵抗しないのを良いことに柔らかなその肌を押したり撫でたり、上下に動かして綱吉は目を閉じた。
「ツナ、どうかしたか?」
「え?」
 気持ちも落ち込んで、沈みかけていたところに唐突に山本が名前を呼んで、はっと我に返った彼は慌てて背筋を伸ばした。
 リボーン以外の全員が自分を見ている。山本とディーノで会話が盛り上がっていたはずなのに、いつの間に。
「え。あ、いや、なんでも」
「そうか~?」
 ぼんやり考え事をしていただけで、別段体調が優れないとか、そういう事ではないのだと首を振る。しかし怪訝にしたままの山本に詰め寄られ、綱吉は本当に大丈夫だから、と何度となく繰り返した。
 その横で、再び横に広げた膝に肘を置いたディーノが珍妙な間合いで相槌を打つ。
「ツナ、か」
「はい?」
 緩く曲げた手首に顎を置いた彼に名前を呼ばれ、綱吉は顔を彼に向ける。だがにっこり毒気の抜かれる笑顔で返されて、気恥ずかしさばかりが募って落ち着かない。思わず持っていたリボーンの腕を思い切り抓ってしまって、直後背後に瞬間移動した彼に手加減なしの撥で後頭部を殴られた。
「いっ……!」
 構える暇さえなく、綱吉は額から畳に落ちた。
 これは痛い。背中を丸めて打たれた場所を両手で抱え込み、苦悶の声を漏らした綱吉に、反射的に怒りを爆発させた獄寺が腰を上げて山本との間に割り込んだ。
「リボーンさん、ひどいですよ」
「今のはツナが悪いんだぞ」
「あ、リボーンもツナなんだ」
「いってぇ……」
 互いの会話が巧くかみ合っていない。涙目で奥歯を噛み、痛みを堪えた綱吉に、心配げに獄寺が手を伸ばす。だがそれより早く。
 獄寺の目の前で、ディーノが綱吉の小さな体を掻っ攫っていった。
「なあ、俺もお前の事、ツナって呼んでいいか?」
「はい?」
 右肩を掴まれて斜めに引っ張られ、傾いた肘が畳を擦る。耳元で囁かれた問いかけに、綱吉は即座に判断が下せなくて素っ頓狂な声をあげてしまった。
 視線を持ち上げれば、そこには人懐っこい笑みを浮かべたディーノの顔が。至近距離で見詰められたことにまた顔を赤くして、綱吉は大慌てで両手を振り回し、彼から距離を取って自分の座布団に戻っていった。
 さっきからなんなのだろう、自分でも胸の動悸が分からなくて綱吉は混乱する。
「駄目、か?」
 心臓がずっと落ち着かないままで、呼吸の間隔も短い。息苦しさに顔を顰めていた綱吉を、彼は嫌がっていると勘違いしたらしい。声を潜めたディーノの、縋りつく小動物の瞳に見上げられ綱吉は息を詰まらせた。
 いい年をした、それこそ人に崇め奉る立場にある神が、たかだか齢十四を数える程度の人間の男子に、名前の呼び方程度で許可を求めるなど。
「だめ、じゃないです、よ?」
 それくらいいちいち承認を得ずとも、好きなように呼んでくれて構わないのに。
 ぎこちなく笑みを返した綱吉のたどたどしい言葉に、途端ぱっと牡丹の花を満開にさせてディーノが顔を輝かせる。
 たかだが名前程度でそんなに喜ぶことがあるのだろうか、不思議でならないのだが神様と人間とでは考え方そのものが根本的に違うのだろう、と綱吉はひとりで結論付けて頷く。ただ直ぐに感極まって人に抱きつくのは、やめてほしいかもしれないと思った。
「てめっ、十代目から離れろ!」
「ツナはいい子だな~、本当、いい子だな~。恭弥の奴と大違いだ」
 感激が勢い余ったディーノが、姿勢を立て直したばかりだった綱吉の肩を強引に抱き寄せ、勢い任せに膝の上にまで引っ張りあげたのだ。
 跳ね上げられた踵が畳の目地を擦り、跳ね上がって踝が宙を舞う。背中に弾力を感じた瞬間にはもう綱吉はディーノの両腕に抱きかかえられており、そう言えばこんな体勢はさっきもあったな、と蘇った境内の出来事に意識が飛んだ。
 あの時と体勢が逆向きではあるけれど、抱きかかえられていることに違いは無い。背が高く肩幅の広い彼の腕に包まれると、小柄な綱吉はすっぽりと覆われてしまう。雲雀に抱えられるよりもずっと安定感があり、力強くて暖かい。
「ディーノさん!」
「やっぱいい匂いする、お前」
 ふざけるのも大概にして欲しいと憤慨しても、聞いていない彼はまた人の肩口に鼻先を埋めてぼそりと呟く。耳朶に彼の柔らかな髪が触れて、くすぐったさに身を捩った綱吉を前に、獄寺は顔を赤くし、青くした後、土気色になってそのまま後ろへ倒れてしまった。
 なにやら人の耳では聞き取れない奇声も発していたように思う。
「あ、死んだ」
 縁起でもないことを山本が口走り、綱吉はなんとか逃れようと身動ぎを繰り返す。だが腰をがっちり両側から掴まれてまるで動けず、挙句伸ばしっ放しだった足を登ってリボーンが太股の上に座り込んできた。
 お陰で余計動くに動けず、綱吉は最終的に諦めの境地に陥って溜息と共に無駄な抵抗の一切を放棄した。
 向こうで魂が抜け出ている獄寺が気になるが、山本などはからからと笑いながらディーノに向かって、
「ツナって抱き心地いいでしょー」
「だなー。すっげー柔らかい」
「ちっさいし、丁度良いんですよね。ここんとこ雲雀の奴に占有されっ放しだったから、後で代わってくれません?」
 俺は抱き枕か何かか、と遠い目をした綱吉を他所に、ふたり好き勝手な会話を継続させていた。
 頭上を飛び交うふたりの会話を聞くとも聞かず、綱吉は投げ出した自分のつま先をただ見詰める。細い足首、おまけみたいについているだけの五本の指。草履の鼻緒の痕が薄ら浮かんでいるくらいで、山本のように黒く健康的な色に日焼けすることもない。
 健康でも不健康でもなく、曖昧に生かされている存在。
 ――ヒバリさん、まだ機嫌直らないのかな……
 呼びかけても反応がないのは、綱吉の傍にディーノがいるからだろうか。こちらは心を全開にしているのに、雲雀は窓を閉めてしまってうんともすんとも言わなかった。
 機嫌よく足をぶらつかせているリボーンが恨めしく思える。再び沈みだした気持ちに溜息が零れ、同時に明後日の事も思い出してしまい憂鬱な気持ちのまま綱吉は頭を後ろへ倒した。
 ディーノの胸板に後頭部が当たって止まる。気が重いとすっかり忘れていた大事な神事に思いを馳せていると、彼を慰める掌がそっと綱吉の左頬を撫でた。
 動きが誰かに似ている。妙な懐かしさに胸が高鳴って、その心地よさについ瞼を下ろした綱吉は、無意識に甘える動きで自分から掌に頬を押し付けていった。
 ――誰だったろう……
 遠い昔、こんな風に頬を撫でてくれた人がいる。曖昧で朧な記憶が急に蓋を開けて現れて、しかもそれを不思議と思う事無く綱吉は夢うつつのまま薄ら瞼と唇を開いた。
 誰かの、名前を。
 呼ぼうとした。