魂迎 第二夜(中編)

 そりゃあ、そうだろう。なにせディーノは生まれからして何もかもが違う。努力して高みを目指すしかない人間とは異なり、彼は生れ落ちた時から既にあらゆるものを持っていた。
 八百万の神々の一員として崇められ、数多の眷属を従えて天を駆る太陽の使者。
 だが雲雀は、決して彼を認めない。
 彼の気まぐれにどれだけ振り回されたか、どれだけ定めを狂わされたか解らないのだ。
 彼が雲雀を拾わなければ、今この場に雲雀はいない。それは痛いくらいに分かっている、綱吉と出会い今こうして一緒に居られることも無かっただろう。
 けれど、たとえそうだとしても。
 昔から雲雀は、ディーノのことが兎も角嫌いだった。魂の段階でお互いに相容れない何かがあるのだと信じて疑わない程に。
 それなのにディーノは根っからの楽天的思考で雲雀の感情の一切を無視し、彼を騒動に巻き込み、黙って付き従ってくれる眷属たちへの迷惑を顧みず、やりたい放題を繰り返した。地上を歩き回って迷子になり、行方を捜して従者たる眷属が大騒ぎしているのを見たのも、一度や二度の事ではない。
 雲雀の性格は、半ばディーノを反面教師にしたものでもある。あんな風にだけはなるまい、と心の誓った結果が今の彼だ。
 苦々しい思いで雲雀は、綱吉ごとディーノを見守った。両手を広げて天に向けた彼は、力の奔流を空へ還し巨大な柱を構築する。ぴしぴしと空間が軋む音がするのは、リボーンが張った結界が少しずつ彼の周りだけに範囲を狭めているからだ。
 そしてある瞬間、前触れも無く雲雀は肩の上にあった荷物が落ちたような、体が軽くなった感覚に見舞われた。
「……――」
 瞬きをして顔を下向ければ、綱吉も似たような顔をして雲雀を見上げていた。
 まるで子泣き爺を下ろした気分だと交互に肩をさする。いつからあんなにも両肩――否、全身に加重があったのか。原因ははっきりとしている、目の前に佇むこの金髪の男以外他に考えられない。
 そのディーノは一仕事終えたという涼しい顔で、袖口に手を通して胸の前で腕を組み直した。その立ち姿は、雲雀からすれば若干彼から感じていた圧力めいたものが減り、綱吉の目には幾分金色の輝きが薄れて映った。
「悪い、待たせた」
「その前に」
 これでもう大丈夫だから、と何のことだか解らないことを告げ、彼は明るい顔をして惚けて立ち尽くしているふたりに近づこうとする。
 だが先に我に返った雲雀が素早く拐を抜き取って構え、ディーノを牽制した。
「ヒバリさん!」
「いったい、どこまでついてくるつもり?」
 切っ先を真っ直ぐディーノに向け、青銀の輝きを放つ拐を握った雲雀が姿勢を低くする。彼に対し体は直角になるよう構え、隙を見せまいと気を張っているのが綱吉にも分かった。
 ちりっ、と首の裏を焼く熱を感じ取る。産毛を撫でる熱波に綱吉は顔を顰め、無意識に指でそこを擦った。
「どこって」
 この先にあるのは沢田家の邸宅。既に屋根は見え始めており、あそこだろう、とディーノは雲雀の問いかけに首を傾げた。
 確かに雲雀と綱吉は、家に帰るという理由で沢田の家に向かっている。けれどディーノには、沢田家を訪れる理由が無い。少なくとも雲雀は、聞いていない。
 そもそも天を統べる神々の末席に名を連ねる彼が、地上にいかなる用があるというのか。基本的に神々は地上に住まう人間その他、数多の生命に対して不干渉を約束付けられている。天空から地上を俯瞰することはあっても、その足を大地に下ろすのは稀だ。規約違反とまではいかないが、今ディーノがこうして此処に居ること自体も、異常と言って過言ではない。
 神降ろしの儀を経ず、彼が此処に居る理由。よほどの事情があるのだろうと綱吉は推察するが、雲雀はどうやら違うらしい。
 きょとんとしたままのディーノに溜息を零した彼は、苛立った様子で乱暴に黒の前髪を梳きあげると横で同じくぼんやりしている綱吉の頭を軽く叩いた。いくよ、という合図であり、綱吉は対照的なふたりを交互にみやって困惑に瞳を揺らした。
 翼を広げた鳥が上空を駆け抜け、黒い影が一瞬だけ地表に落ちる。西へ消えていった姿を無意識に目で追った綱吉は、緋色の打ち掛けを肩に羽織るディーノがどことなく寂しげな瞳をしている様に息を止めた。
「理由……?」
 力は抜きつつも拐は降ろさない雲雀に目を細め、ディーノが鸚鵡返しに呟く。
 頼りげに紡がれた声色に、綱吉は握り締めた拳を胸に置いた。
 理由なんて、そんなもの。
 ひとつしかないではないか。
 神社での顛末を思い返せば、彼が何をしにやってきたのかは明白だった。とても簡単で、雲雀の立場に自分を置き換えたなら、綱吉はもの凄く嬉しく思う理由なのに、どうして雲雀には解らないのだろう。
 十年ぶり、と彼は言っていた。とすれば、雲雀が並盛にやってきて以来のこと。
 長い間会っていなかった。直接の血の繋がりもなく、また神と人という根本的な種の違いもあるけれど、一時とはいえ親子として共に時を過ごした相手を思い、焦がれ、単純に会いたくなっただけだろうに。
 綱吉だってもう随分長い間、実父の家光と顔を合わせていない。連絡も途絶えたままで、今何処で何をしているのかさっぱりだ。いつ帰って来るのか、文のひとつも届かず、奈々だって寂しい思いをしているに違いない。
 その家光が突然帰って来たら、嬉しい。奈々や、息子である自分に会いたいが為に戻って来てくれたのなら、余計に。
 切なさが身に沁みて、心が震える。
 けれど雲雀はディーノをとことん嫌っているから、こんなことを言えばきっと怒るに違いない。ディーノは雲雀を大切に思っているようなのに、いったい何故こうも目の敵にするのか。
 撫でられた髪を手で押さえ、綱吉もまた溜息を零した。
「理由って、お前に会いに」
「もう会った」
「あ、いや話が」
「話す事など何も無いよ」
 宙を彷徨ったディーノの人差し指が雲雀に向けられるが、彼は踵を返して早々に背を向けてしまった。
 あまりに一方的過ぎる物言いに、綱吉は怪訝に顔を潜めて不機嫌なままの雲雀の背中を見据える。寂しがっている様子は無く、苛立ちばかりが漂っていて、あまりに彼らしくない。普段は感情も殆ど表に出さないくせに。
 気を許しているとか、そういう面とも違っていて、どちらかと言えば単に一緒にいたくないだけ、という子供じみた態度にも見える。
「えーっと」
「綱吉、そんな奴放っておいていいから」
「けど」
「恭弥」
 進むことも戻ることも出来ず、おろおろと前後を何度も振り仰ぐ綱吉に、雲雀の声は冷たい。そこまで素っ気無くしなくてもいいではないかと、本来自分が差し出がましく口出しする事ではないのかもしれないが、哀しくなって綱吉はつい口を尖らせて恨めしげに彼を睨みつけてしまった。
 その肩を慰めるようにディーノが抱き寄せ、雲雀を呼ぶ。
 直後。
 彼は背中にも目があるのだろうか、ディーノが自分の側へ綱吉の華奢な体を引き寄せた瞬間、雲雀は振り向き様に拐を繰り出し、ふたりの顔と顔の間に音も無く金属製の硬い棒を突き立てた。
 風圧で綱吉は頬に微かな痛みを感じ、ディーノに至っては艶やかな金髪が何本か千切れて後ろへ流れていった。
「……あぶねぇな」
 一瞬の沈黙の末、にこやかな笑顔を向けて綱吉の肩を解放し、拐を押し返したディーノではあるが、雲雀の怒りは鎮まらない。ディーノも彼の本気を漸く悟ったのか、それとも綱吉を巻き込む雲雀の暴挙に痺れを切らしたのか。不穏な空気が周囲に立ち込め始め、またしても間に挟まれた綱吉は体を小さくし、どうしたら良いのか分からずにおろおろするばかり。
 胸の前で擦り合わせる丸めた拳がそろそろ痛みを発して、一触即発の危険な状況に泣きそうになる。
 どうしてこんなにも仲が悪いのだろう。朝から人の喧嘩に巻き込まれてばかりだと、蚊帳を巡る山本と獄寺の騒動まで思い出して綱吉は心底落ち込んだ。
 敵意むき出しで隠しもしない雲雀の鋭い視線を正面に浴びても、ディーノは臆する事無く受け流している。それどころか不安がる綱吉に、大丈夫だと言わんとしてか、片目を瞑ってみせたりもして余裕を表に出し、雲雀の神経を逆なでする始末。
「ん~……恭弥がこんなに悪い子になってるとは、父親としてちょっと哀しいかも」
 そしてやおら雲雀に向き直ってそんな事を口走るものだから、激昂した雲雀が前触れも無くディーノの顔面目掛けて渾身の一撃を繰り出した。
 鳥が羽音を立てて近くの木から飛び去る。枝が震えた音にびくりと背筋を揺らした綱吉の前で、一瞬立ち上った砂煙は直ぐに消えた。
 風は無い、ただ静寂が耳に痛くて綱吉は自分の肩を抱き締めた。
「くっ……」
「残念」
 心底悔しそうな雲雀と、余裕に満ちた表情のディーノ。彼は右手の人差し指だけで、全力で殴りに行った雲雀の拐を受け止めていた。
 力量差は一目瞭然だった。今も尚、雲雀は渾身の力を込め続けているというのに、ディーノの指先はピクリともしない。
 赤ん坊と大人の戦いに等しい。リボーンを相手にしている時とはまた違う状況に、綱吉は言葉を失う。
 神の一員に名を連ねているのは伊達ではない、そう証明された気がした。竜の力を魂に秘めている雲雀でさえ、全く歯が立たない。これでもディーノは、人界に降りる取り決めとして神の力の大半を封じられている。その上、神気が溢れ出て他に影響を及ぼさないようにと、二重三重の結界を身にまとっているのに。
 今のディーノは、本来の百分の一の力も発揮できない。後から教えられた事だが、雲雀がどんなにか恐ろしい人に喧嘩を売ったかを知って綱吉は肝を冷やした。
「くうっ……!」
「やめとけ」
 本気になればお前など、いつだって握りつぶせるのだ。そう暗に込めた言葉を吐いたディーノに、しかし雲雀は戦意を削られるどころか余計に勢い増して彼に飛びかかるべく距離を取った。
 草鞋の裏で乾いた土を蹴り、両手に握った拐に手加減なしの霊力を注ぎ込む。最早周囲の状況など全く見えておらず、頭に血が上ってただ目の前の存在――ディーノを狩ることだけに集中している。
 指を丸めたディーノが、少し赤くなっている爪先を見下ろして肩を落とした。面倒くさいな、と言わんばかりの態度で首を横に振った彼の耳にも、密度を増して収縮していく雲雀の霊気が反発し合う音は響いていた。
「悪い子に、お仕置きが必要か?」
 クツリ、喉を鳴らし楽しげにディーノが呟く。
 ――あいつにとっての判断基準は、面白いか、そうでないか……
 雲雀から聞かされた時はそんな事はありえないと笑ったのに、今の綱吉は笑えなかった。
 凝縮された霊気と神気がぶつかり合って、小規模の竜巻が足元で幾つもの渦を作り出している。立っているのがやっとで、支えが欲しいのに手を伸ばせばこちらが砕かれそうだ。こんな怖い顔をしている雲雀の顔を見た事もなくて、瞬間的に背中を登った寒気に綱吉は内股の姿勢を作って衝動を堪える。
 息苦しい。どうしてこの人たちは平気なのかと、濃い神気に当てられすぎていい加減熱が出そうだった。
 喉に手を置いて咳き込むが、楽にならない。額の汗に張り付いた前髪が気持ち悪く、払いのけようにも腕を持ち上げるだけの気力が沸かない。
 雲雀の挑発を正面から受けて立ち、迎え撃とうとしているディーノを視界の片隅に置く。低い姿勢で拐を構え、一瞬の隙を狙ってディーノの喉を咬み切ろうとしている雲雀を、その反対側に。
 けほっ、と綱吉はもうひとつ咳込んだ。
 心臓の辺りがざわざわと波を立てる。首の裏側を焦がす感覚はまだ消えなくて、苛立ちが苛立ちを募らせた。
 ぐっ、と奥歯を強く噛み締める。噛み鳴らす音が響いたわけではあるまいが、その瞬間、雲雀が強く、地を――
「こーーーーーらーーーーーーーーーー!!!!!!!!」
 蹴らなかった。
 怒髪天の叫びが周辺の空気を激震させ、地鳴りを起こし暴風さえ呼び起こした。
 ぐっと拳を着ている着物ごと握り締めた綱吉が、顔を真っ赤にしてふたりを睨んでいる。危うく転びかけた雲雀が、右手を地面につけたまま呆然と綱吉を振り返った。ディーノもまた、目を見開いてすっかり忘れていた小さな存在を視野に納めた。
 ふっ、ふっ、と鼻で吐く息は細切れで短い。そうでなければ興奮しきった身体に酸素を送り出せなくて、綱吉はこめかみの血管さえはっきり分かるくらいに浮き上がらせて暫くの間そのままふたりを睨んだ。
 元々可愛らしい顔立ちをしているので、迫力には乏しい。しかし。
「う……」
「ぐっ」
 何故か彼の後ろに血濡れた般若の面が見えて、雲雀もディーノも声を詰まらせ尻込んだ。
 一度俯き顔を伏せ、時間をかけて長い息を吐き出した綱吉が、再び顔を上げる。にこりと満面の笑顔を浮かべた彼に、雲雀は硬く握り締めていた筈の拐をその場に落とした。
「つ、な……よし?」
「ふたりとも、そろそろ、いい加減にしないと、俺、怒りますよ?」
 目を糸のように細め、少しだけ首を左に傾けて笑顔は決して崩さず。解いた拳は背中に回り、腰の後ろで結ばれる。ほんの少し膝を曲げて右足を後ろに引き、爪先で地面を捏ねる仕草は愛らしいの一言に尽きた。
 しかし。
「や、あの」
 本日が綱吉と初対面であるディーノもまた、雲雀同様にただならぬ気配を綱吉から感じ取って一歩半、後ろへと下がった。
 ずい、と綱吉が二歩前に出る。
 雲雀は三歩下がった、綱吉は更に二歩、前に出た。
 目の前、見上げる姿勢で。
 毒気など何処にあるのかと言わんばかりの笑顔で。
「もう喧嘩、しない?」
 濁りの無い澄み切った笑顔で綱吉が問う。ディーノは首が抜けそうなくらいコクコクと激しく頷き、雲雀もまた全身にじっとりと脂汗を浮かべた状態でひとつ頷いた。
「そっか。よかった」
 前に戻した手を一度叩き、綱吉が嬉しそうに声を弾ませる。
 蛙の子は、どこまでも蛙だった。