いつだって、それが当たり前のように貴方は隣に居た。
それなのに、ある日突然いなくなってしまった。
それまで僕がいた場所には、知らない奴がいた。
許せるわけ、ないでしょう?
不思議そうな目をする貴方には、一生解らないかもしれませんけれど。
僕は、ね。
……ずっと、貴方を――
轟音と地鳴りと共に、巨大な伽藍が熱風を巻き上げながら崩れ落ちていく。
あちこちで悲鳴と怒号があがり、状況を把握できないまま炎から逃れようと人々は、それこそ蟻の子を散らすが如く逃げ惑い駆け回る。消火活動に勤しもうとする勇敢なる愚か者の姿は、最早この段階にまで陥ってはひとりとして残っていない。皆が皆、己の身可愛さに我先に燃え盛る炎から逃れようと躍起だ。
故に誰一人として、人の流れに従って山門へ下るのではなく、奥の院へ向かい行く背中を見咎めることは無かった。
混乱に乗じ、一見華奢とも思える青年が闇色の髪を熱に煽らせながら進んでいく。
時折陽炎のように景色が揺らぐ。その度に青年の背中が人々から遠ざかる。確かに其処に在る筈なのに、誰の目にも彼の姿は見えていなかった。
世間一般に向けるべき建前を飾る伽藍は、轟々と深紅の炎に包まれて月の無い夜空を焦がす。逃げ惑う人の声もまた次第に静かになり、気まぐれに振り返れば遥か彼方に小さく、赤い点が疎らに散っているのが見て取れた。
随分と奥まで登ったらしい。苔生し、長く人が歩いた形跡の無い朽ちかけた石段を下駄の歯で削って彼はひっそりと微笑んだ。
だがその裏側では、心の中でふつふつと沸き上がる憎悪と憤怒の感情が互いに互いを食らいあい、爛々と地獄の獣が目を輝かせ、鋭い牙が今か、今かと獲物を追い求めている。
長かった、と彼は思った。
此処に至るまで、実に無駄で、しかし有益な時を過ごすことが出来た。あの頃と今と、奴らは何一つ変わっていない。所詮は夢物語、寝物語の一幕でしかなかったのだ。嘲笑が腹の底から沸きあがってきて、彼は今も眼下で繰り広げられているだろう阿鼻叫喚図を想像し、背を丸めて楽しげに嗤い声を立てた。
何処へ逃げるというのだろう、彼らは。逃げ場などない、全て根絶やしに。生かしておく必要は何処にも無い、むしろ下界に報告されては厄介なだけ。
なにより、今は寝静まっているあの男に悟られるのは得策ではない。
「クフフ……」
あと少し、もう少しで悲願は達せられる。
彼は堪え切れない愉悦を押し留め、広げた掌で右目を覆い隠し、断末魔の叫びを放ち続ける眼下から視線をそらした。
あの場所は、もう自分の手を離れても問題なかろう。信頼に足る、そして実に使い勝手の良い駒を今回は手に入れておいた。以前のような失敗はしない、そしてなにより、あの男に劣らぬ為の力を。
この地で、手に入れる。
力には、力を。人の身で手に入らないのであれば、人を超越するまでのこと。
何故こんなにも簡単な事に気づけなかったのだろう。蘇る忌々しい記憶に奥歯を噛み締め、煮え滾る憎悪に身を焦がし、彼は一段ずつ、今にも崩れ落ちそうな石段を登っていく。
周囲には蛍火が。夏の始まりを思わせる温い風が彼を取り巻き、ねっとりと肌に絡み付いて進路を塞ごうと蠢いているようでもあった。けれど彼は構いもせず、むしろそういったささやかな抵抗を一笑に伏し、鬱陶しげに右手で前方を払いのけることで呆気なく断ち切ってしまった。
光が爆ぜ、霧散する。虚ろな魂が声もなく消え失せて行く、助けを求めて天に昇ろうとしたものにさえ彼は容赦を与えなかった。
「あの男に出てこられるのは、厄介ですからねぇ」
本意ではないのですよ、と決して謝罪とは取れない口調で告げて、彼は淡々と道を行く。
遅かれ早かれ、この地が襲撃にあった事実は各方面に伝わるだろう。けれどあの男の耳に入った頃にはもう、自分たちは行方を眩ませた後だ。
慌てふためく奴を思い浮かべ、堪えきれない笑みを口元に浮かべた彼は喉を鳴らし愉悦に浸る。人間を見下した目をするあの男を見返してやれる、宿願を果たす前の格好の憂さ晴らしだ。
「さあ……ご対面と行きましょうか」
やがて道は途切れ、薮と深い緑に覆われた玉砂利の空間が目の前に現れる。山の中、水辺も遠い場所でありながら凍えて清涼な空気が漂い、下界のあらゆる汚泥から切り離された霊域。
最早大伽藍の崩壊の音など聞こえず、虫の声さえも響かない。己が吐き、吸い込むその息音だけが静寂を破る唯一であり、驚愕に見開かれた瞳は徐々に落ち着きを取り戻して冷笑さえも浮かべた。
目の前に佇むは、予想していたものとは大きく違う、巨大な岩を組み合わせて作られた粗雑な霊廟だった。
外側をぐるりと一周、古びて今にも千切れてしまいそうな太い注連縄が巻き付けられている。その表面は岩にこびり付いた無数の苔と同化しており、注連縄自体が岩のようでもあった。木の根が表面の一部に食い込み、大地とさえ一体化しようとしている。むしろそうなるべく仕向けられたかのようであり、この中に封じられたものがいかに人々から畏怖され、記憶から忘れ去るべく努力されてきたのかを象徴していた。
堪えきれない笑みが溢れ出して、漸く見つけ出し、辿り着いた霊廟を前に彼は歓喜に打ち震えた。
「……お目にかかれて光栄ですよ」
貴方もさぞかし、気も遠くなるような年月をこの場で、誰からも崇められることなく押し込められ続けた憎悪に怒り狂っていることでしょう。
ぞわりと寒気を呼び起こす冷ややかな言葉に呼応するかのように、周辺を埋め尽くす闇が震えた。地底から地上へ、そして天空へ向かい、届かないと知りながら押し殺しきれない厖大な怒りを放たずにはいられないのか、彼を足元から包み込む巨大な悪意に、青年は口元を歪め、実に愉しげに隻眼を細めた。
目に見えない触手が、器を欲して彼に絡みつく。石段を登っている時に感じたものよりももっと醜悪で、密度が濃いそれを一瞥し、彼は左手を持ち上げると面倒くさそうに左右へ揺らした。
しかしその手首にも目に見えぬ瘴気を伴った触手は絡みつき、彼の動きを封じ込めようと蠢く。触れられた場所に黒い痣が浮かんで骨が締め付けられる痛みに、初めて彼は険しい表情を作り、眉間に皺寄せた。
肉が焦げる不快な臭いが鼻腔を走り、どうやら自分は望まれぬ来客だったらしいと嘲笑を浮かべる。
「良い取引だと、おもうのですがね」
交渉は決裂か、と彼は嗤う。胸を反り返し、立ち上り視界を覆い尽くさんとする深淵の闇に、或いは微笑みに見える表情を浮かべて瞳を細めやる。
そうして彼は簡単に、自分を拘束せんとする虚無の腕を薙ぎ払った。
「ですが、貴方のその力。このまま放っておくのは非常に惜しい。貴方だって使ってみたいでしょう?」
世界はいつしか人間に溢れ、何も知らない愚か者がぬくぬくと育つようになっていた。歴史の影に葬られた数多の憎悪を知りもせず、安寧とした日々を送っている。
復讐したくはないか。
問いかけに闇は答えない。
青年は笑む。
「僕が使ってあげますよ。貴方よりもっと……上手に、ね」
深く闇い世界の底へ。
残酷な微笑みを浮かべ、青年は炎に包まれた。
鳥の囀る長閑な空気に、ハッとする。
「ひとりで、歩けますから!」
前方で甲高い少年の声が響き、足元に向けていた視線を持ち上げてディーノは苦笑した。
「いいから」
「けど、何処も怪我したわけじゃないのに」
彼の目には少し先を行く二人連れの姿が映し出される。ひとりは黒髪の青年で、もうひとりは甘茶っぽい柔らかな髪色をした少年だ。年齢差は言うほどありはしないだろうに、少年が兎も角華奢で小柄の所為で、実年齢以上に幼く見えてしまっていた。
彼らはさっきから、ずっと同じ押し問答を続けている。後ろを振り返ると結構な距離を歩いているというのに、まだやり取りは終わりそうになくてディーノは肩を竦めた。
うざったい前髪が流れてきた風に掬われ、視界が開ける。同じく風の行方を目で追ったらしい少年と偶然視線がぶつかり合って、にこりと笑いかけてやったら顔を真っ赤にして俯かれてしまった。
彼は今現在、青年の腕の中にいる。いや、腕に抱えられて胸の中で小さくなっている、という方が正しいかもしれない。
ディーノは身に纏った渋色の着物の袖口へ交互に手首を差し入れて腕を組み、可愛らしいやり取りを繰り返しているふたりをのんびりとした気分で眺めていた。
ただ、赤くなって俯いた少年――沢田綱吉の態度を敏感に察知した黒髪の青年こと雲雀恭弥は、鋭い目つきで不機嫌を隠しもせず振り返り、親の敵と言わんばかりにディーノを睨んで来たのだけれど。
綱吉の体を横向きに倒した状態で抱えている雲雀は充分歩き難いはずなのだが、そんな様子はおくびにも出さずに彼は黙々と前に進み続けている。さっきから下ろす、下ろさないのやりとりを続けている彼らだが、実際、本人の言葉にもあった通り、綱吉は別段歩けないような傷を負ったわけではなかった。
ただ単純に、
「ヒバリさん、歩けるから下ろして」
「ダメ」
「でも」
「あいつと同じ地面なんか歩かせられない」
ちらりと後ろを窺い見て言い放った彼の言葉に心の底から苦笑が漏れて、ディーノは困ったな、と首を軽く右に傾がせた。
「ひでーな、恭弥。俺は害虫か何かかよ」
「その通りじゃないか」
あまりに酷い言われように、訂正して欲しくて後ろから声をかけるが取り付く島も無い。すっぱり断言されてしまって、益々苦笑を深めたディーノに綱吉も困惑気味だ。
綱吉が動いたので支えの均衡が若干崩れたのか、雲雀は足を止めると肩を上下に揺らして綱吉を抱え直した。一瞬だけ身体が浮き沈みし、落ちるかもしれない恐怖から雲雀の首に腕を絡ませ、綱吉はぎゅっと彼に抱きつく。
雲雀の肩に顎を預けて耳同士が潰しあうくらいまで顔を寄せる様には、あまり照れ臭さがない。普段からああやって密着する機会が多いのだろうか。
「いいなー、仲良しで」
俺も混ぜて、と自分を指差したディーノではあるが、向けられた雲雀の目は至って冷淡で、綱吉も返事に苦慮してやや引き攣った笑みを頬に浮かべた。
どうにも綱吉の笑みには微妙にディーノが考えている「仲良し」と異なるものが含まれているようで、変な感じだと彼は更に首を傾けた。
姿勢上どうしても上か後ろかしか見えない綱吉は、ディーノにばかり気を取られるなと雲雀からお叱りの言葉を貰ったようで、唇を窄めて頭を彼の肩から引っ込めて行った。
明るい茶色の髪が、やや強い日差しの下で薄らと輝いている。
妙に警戒されているな、とは感じている。ディーノが知る雲雀は、まだよちよち歩きもいいところの幼い頃だけだ。
雲雀山で姿を見失い、見つけた時にはもう状況は取り返しの着かないところにまで進んでしまっていた。ディーノは立場上、下界の理へ絶対の不可侵を言い渡されている。手を出す事は許されなかった。
「……」
二度目は無い、と警告を受けていた。だから躊躇した。自力で出来ないのならばと他へ助けを求めた、自分の勝手な都合だと分かっていても、他に術がなかった。
今度は失いたくなかったのだ、同じ思いはしたくなかった。
「元気そうだ」
正直、ディーノは人間たちの生活というものがよく分からない。自分の好奇心だけで彼をこちら側へ引き込んでしまった件は、少し後ろめたさと申し訳なさがあった。あのままリボーンの庇護下に置くのは、本音を言えば反対だったのだけれど、彼の言葉に従ったのは正解だったろうか。
「なー、恭弥」
「その名前で呼ぶな」
折角つけてやった名前をこんなに毛嫌いされているのは、予想外だったけれど。
険のある目でぎょろりと睨まれ、凄まれてディーノは降参とばかりに両手を胸の前で広げた。呼びかけただけなのにこの態度では、ろくに話を聞いてくれそうにもない。近づけば敵意むき出しに殺気を放たれるし、触れれば遠慮も手加減もなしに殴り飛ばされる。避けるのは容易だがやり過ぎると向こうが躍起になって絡んでくるので、それはそれで面倒だ。
そうでなくとも――
「……」
ちりっとした痛みが繰り出した右の爪先に生じ、ディーノは足を引っ込めて立ち止まった。
先を行っていた雲雀と綱吉もまた、足を止めて怪訝な顔で互いを見合う。
「今、なにか」
「ああ」
何も無い空間なのに、何かに引っかかった感じがした。
綱吉を抱えたまま振り向いた雲雀と目が合い、ディーノはお手上げという様子で肩を竦めた。
ふたり同時に透明な蜘蛛の巣に絡め取られたように感じ取ったのだから、錯覚だとは考え難い。更にはディーノも、彼らが感じ取った違和感の手前で歩みを止めてしまっている。おまけにその態度。
これがなんであるのか分かっている素振りに、雲雀は顔を顰めた。
恐らく結界だとは思うのだが、以前通った時にこんなものはなかった。試しに綱吉に伺う視線を向ければ、彼も知らないと首を振る。
この道は綱吉が神社へ向かう時にも通っているが、その時にはなにもなかった。だから綱吉が神社へ出向き、今こうして雲雀に抱えられて戻って来るまでの短時間で設けられたものに違いない。
では、何の為に。
ふたり分合計四つの瞳に見詰められ、ディーノは覚えがあるのか、返答に窮して頬を引っ掻いた。
「いや、まー……そりゃまぁ、そうだよな」
視線は宙を泳ぐ、何かを警戒して探している風でもある。
「なにがですか?」
「うーん、だからその。お前らが平然と俺の傍にいるから、うっかり忘れてたなー、って思って」
「?」
雲雀が口を噤んだままなので、代わりに綱吉が問いかける。いい加減腕が痺れてきているようで、肘で彼の胸を押すと雲雀は今度こそ素直に綱吉を地面に下ろした。但しディーノが飛び込んでこないよう、注意は怠らない。
巻き込まれて捲れた裾を直し、胸元の布の緩みも整えて綱吉は変な風に捻っていた所為で凝った背中をゆっくり後ろへ反らした。
雲雀に抱き上げられるのは好きだが、人前でされるのは本音を言えば恥かしい。雲雀もそれが分かっているから滅多に公の場でこんなことはしないのに、今日は珍しいことだらけだ。
傍に佇む彼の顔を下からじっと見詰めていたら、視線に気づいた彼が瞳だけ動かして綱吉を見返す。
「なに」
「いえ?」
顰められた眉とまだ不機嫌さが残る声で聞かれるが、綱吉は後ろで手を結び笑いながら横を向いた。
これが悋気という奴かと、滅多に味わえないものを体感した嬉しさで変に胸が弾んでいる。普段は余裕な態度で綱吉を振り回してばかりの雲雀が、こんなにも綱吉の独占を態度で主張するなんて、一年に一度あるかないかだ。
「ふふ」
意味ありげに笑みを零し、瞳を細めた綱吉に益々雲雀は口をへの字に曲げる。それから思い出したかのように立ち止まったままのディーノを振り返り、彼に向かってはしっしっ、と犬猫を追い払うような仕草で手を振った。
しかしディーノは見ていない。何処を向いているのか解らない視線を彷徨わせ、横に流した手で若干苛立ちながら緋色の打ち掛けを羽織り直している。いったい誰と会話しているのか、さっきからなにやらぶつぶつ言いっ放しだ。
「だーかーらー。反省してるし、ちゃんと抑えるから。分かってるよ、気をつける」
激しくその場で足を踏み鳴らした彼の台詞は、明らかに雲雀や綱吉に向けられたものではない。彼らが一様に感じ取った境界線を作り出した存在に、だろうか。視線を上げて宙を見た綱吉ではあるが、彼の目にも特に目立つものは何も映らなかった。
首を傾げたままでいると、視界が不意に遮られる。
いや、違う。一瞬だけ目の前が暗くなった気がしただけだ。
「あれ?」
眼の奥がちかちかして、光の残滓が瞼にこびり付く。それが特別何かあるというわけではないが、微妙な空気と圧力の変化に綱吉は自分の額に指を置いて何度も瞬きを繰り返した。
頻りに首を捻り続ける綱吉に、雲雀も一瞬感じ取った空気の変化に顔を顰める。発生源は紛れも無くディーノで、自然険しい表情を作って彼を睨みつけると向こうは慌てた様子で首を振った。
「だっ、別に忘れてたわけじゃ」
言い訳がましく彼は声を荒立てたが、雲雀は聞く耳を持たない。ディーノから綱吉、そして彼らの進行方向に見えている瓦屋根の奥座敷を順に視界に収めていく。
ここからでは分からないが、あちらもちょっとした騒動になっているのではないかと懸念が先立った。
獄寺は半魔だが、山本と奈々はただの人間だ。雲雀は平気だけれど、綱吉にさえ若干の影響が出ているくらいで。
「童か」
魔を弾く結界ではなく、その逆を行く結界を張るなんて、雲雀には出来ない。
思い当たる節はひとりしか思い浮かばず、こんなことまで出来てしまう彼の存在が益々深い闇に覆われて行く。先ほどのディーノの言葉も、リボーンと会話をしていたと考えるのが妥当だ、彼らは綱吉と雲雀のように伝心で会話をすることが出来ないから。
神族であるディーノの神気は、巨大だ。雲雀でさえ一寸でも油断すれば圧倒されてしまいかねない。多少免疫がある故にどうにかなっているような状態で、神社での出来事もあと少し対処が遅れていたら綱吉は神気に蝕まれて精神を崩壊させていた可能性が高い。
強すぎる力は、時に毒だ。微細な霊力しか持たないただの人間ならば、ディーノが近くに来るだけで発狂してしまうかもしれない。綱吉が持ち堪えられたのも、ひとえに彼の並々ならざる霊力の強さのお陰だ。
ただそれでも、雲雀の援護なしでは最後まで己を保ちきれなかったろう。
己の左胸に掌を押し当てた綱吉は、まだ微かに残っている雲雀の気配に顔をあげた。
すぐ隣に居るのに、胸の中にも存在を感じる。不思議な気分だと心の中で呟くと、疼くような甘い熱が内側から彼を撫でる感覚に襲われて、綱吉は咄嗟に顔を赤くした。
「っ」
「……悪い」
どうやら雲雀も同じ事を考えていたようで、見事に思考が重なり合って雲雀の感情が丸ごと綱吉に直接流れ込んできてしまったのだ。
何の防御策も講じず、心構えもしないままに、綱吉を守る為に意識だけを飛ばして綱吉を抱き締めた画が雲雀視点で見てしまって、普段彼の目に自分がどう映っているかが分かってしまい、無性に恥かしくなる。
抱き締められているのに、抱き締めている二重の感覚。
「う……わぁ」
油断していたとはいえ、まさか深層意識の下部にまで潜り込んでしまうとは。顔をあげていられなくて、綱吉は雲雀に背中を向けるとその場に蹲った。
空中に向かって一頻り反省の弁を述べたディーノも、様子が可笑しいふたりに気づいて首を傾げる。
「どーした?」
「……いや」
聞かれても到底他人に語って聞かせられる内容ではなく、雲雀もどこか気まずげに視線を横へ逸らしながら曖昧に言葉を濁した。
口元を覆って表情さえ隠そうとしている雲雀に、ディーノは益々怪訝な顔を作る。だがいつまでも気にしてはいられず、彼は一旦両腕を斜め下へと広げ、深呼吸する姿勢で両手を体の前で重ね合わせた。
「……?」
ざわ、と風もないのに空気が流れる。姿勢を低くしたままの綱吉も、顔を押さえていた手を開いて視線を持ち上げた。足元にあった枯葉が一枚、勝手に動き出し、吸い込まれるようにしてディーノの足元へ流れて行った。
彼を中心に、見えない何かが渦を巻いて空へと登っている。陽光できらきらと輝いているそれは、温かな黄金色を綱吉の中に刻み込んだ。
雲雀の目には何も映らない、ただ凶悪なまでの強大な神気がとぐろを巻いてディーノの中に吸い込まれていくのを感じ取るだけだ。垂れ流し状態で彼から溢れ出ていたものが、彼の中に還っていく。今の自分ではこの半分も受け入れることは出来ないと分かる、その実力の違いが無性に腹立たしかった。
外見はちゃらんぽらんしていて、ちっとも強そうに見えないくせに。
蛟を食らい、竜に昇華させてもまだ、届かない。それどころか余計遠ざかった気がするのは錯覚か。
底が知れない、頂上が見えないというのは恐ろしい。自分が我武者羅に闘って漸く手に入れた力を簡単に凌駕してしまえる存在が、高い壁として目の前に聳えている。
無意識に歯軋りをしていて、雲雀は綱吉が立ち上がっているのに気づくのが遅れた。彼はまるで魅入られたかのように、ディーノから溢れ、そして吸い込まれていく黄金色の渦に瞳を凝らしている。瞬きを忘れ、傍らに立つ雲雀の存在さえも忘れて。
「……っ!」
ディーノの足元に絡みつく枯葉になろうとしている綱吉に、雲雀は目を剥いた。
いくな、という叫びは声にならなくて、彼は必死に腕を伸ばし綱吉を後ろから捕まえた。
通い合わせたはずの心が遠くて、不意に泣きそうになる。
「――」
綱吉が何かを呟いて唇を開く。音は聞き取れなかったが、心でも同時に発していたことばに雲雀は唇を噛んだ。
綺麗、と。