素読

 心地よい静寂が場を支配している。
 時折人が動くときの衣擦れや足音、それから天井に設置されている空調が動く音がするが、話し声は殆ど耳に届かない。
 夏季休暇中とはいえ、平日の昼間。郊外にある図書館を訪れている人の数は、多いのか少ないのか、滅多にこの場に足を向けない綱吉には判断がつかない。けれど書架を囲むようにして配置された椅子や机には人の姿が疎らに見受けられ、決して閑古鳥が鳴いているわけではないのだけは、分かった。
 肩から提げた鞄の向きを調整しつつ、彼はやや腰を前に屈めながら書架の間を移動していく。
 側面には簡単に、その書棚にどんなジャンルの本が納められているのかの説明書きが成されていて、それを頼りに進むものの、なかなかこれだ、と来るものに遭遇できない。
 いや、そもそも読みたい本を予め決めて行動しているわけではないのだけれど。
「参ったな」
 ぽつりと、自分にだけ聞こえる音量で呟き、綱吉は行き先に困ったつま先を止めて頭を掻いた。
 見上げるのは自分の背丈を軽く凌駕する木製の本棚。年季が入っていると分かる表面は、人の爪や本がぶつかって出来たと思われる傷が無数に残り、ニスも剥げて艶の具合もてんでちぐはぐだった。
 そこに押し込められた本もまた、幾人もの人の手に取られ、広げられてきたのだろう。分類用に記号と数字が記された紙を固定しているテープは変色し、角が捲れ上がって今にも剥がれ落ちてしまいそうなものが沢山あった。さらにはその紙に記されている文字さえも、色褪せて読み取るのに苦労しそうな具合だ。
 流石に本屋とは違って、図書館の蔵書は古いものから新しいものまで、千差万別。読みこなされている古びたものもあれば、最近書架に加わったばかりと思われる真新しい本まで、様々な顔が一堂に会している。あまりの数の多さに圧倒されると同時に、これまでいったいどれだけの人がこの場所を訪れたのだろうかと想像して、綱吉は軽い眩暈を覚えた。
 正直な感想を述べるとするならば、広大な本の海に地図も持たずに小舟で漕ぎ出した気分だ。
 軽く額を指で押さえ、溜息を零しながら首を振る。頼りにしようと家から持ってきたプリントを広げてみるが、そこに羅列する文字を読む気にもなれなくて彼は直ぐにそれを鞄へと押し戻した。
 当初目星をつけていた本は、図書館に入って直ぐのところにあった検索端末を調べてみたところ、全て貸し出し中だった。
 考える事は皆同じ、という事だ。
「どうしよう」
 たかだか数枚の読書感想文の為に、読みたくもない本を残高も心細い財布からお金を出して購入したくない。
 しかし夏休み終了後に提出出来なければ、もれなく現代文の評価が下がる。四百字詰め原稿五枚程度で将来が大きく左右されるとは思わないが、九月中に教職員から浴びる視線はもれなく冷たいものとなるだろう。
 ただでさえテストの成績が悪いのだから、夏季休暇中の宿題くらいは時間もあるのだし、しっかりやってこい。終業式に担任にまでそう言われたのを思い出し、思わず肩を竦めて首を引っ込めた綱吉は、利き過ぎている冷房以外の理由で鳥肌を立てて腕を交互にさすった。
「面倒くさいなー」
 家にある本は漫画ばかりで、とてもではないが読書感想文を執筆するに当たっての材料には出来そうにない。奈々が持っていたのは女性向けの恋愛小説ばかりで、しかも赤面もののシーンが連続しており、半分も読めずに奈々につき返したのは昨日の出来事。
 ビアンキに、子供ね、と笑われたのは少し悔しかった。
 打開策を求めて図書館に足を向けては見たものの、話題の本は先にも言った通り貸し出し中で、更に順番待ちの人数が半端ではなかった。予約をしても夏休み中に借りられるかどうかも解らない、とカウンターで対応してくれた女性職員は言いながら笑っていた。
 興味を持っていた本は全滅、残るはこの無限に広がる本棚の中に埋もれている、名前も聞いた事がない人の本か、もしくは著名な明治・大正・昭和の文豪の作品か。
 試しに夏目漱石の本を手に取って広げてみたが、画数の多い漢字と現代語とは異なる論調に一発でノックアウトされてしまった。
 そして放浪生活に入って、既に一時間近くが経過している。
 読書感想文を書くに当たって、「これを読んで来い」という指定は特に受けていない。だが教室で渡されたプリントには、「これの中から選ぶといいよ」という一覧が紛れ込んでいた。先ほど鞄に押し込んだのがそれなのだが、項目の半分近くが綱吉の目からすれば古典文学に分類されそうなタイトルだった。
 そもそも漫画は読んでも、小説を読むのは学校の国語の授業で教科書を開いたときくらいだ。文字を目で追う作業にも馴染んでいない彼は、下手をすれば開始五分で熟睡できてしまう。
「なんで感想文なんてあるんだろう」
 こんなことをしても、将来役に立つのだろうか。
 まだ見えない遠い未来の自分を想像し、肩を竦める。少なくとも数学の公式を覚えておくよりは役立つんじゃないか、という認識はあるが、所詮はその程度だ。
 ともあれ、ここでグダグダと文句を言っていても始まらない。折角図書館まで来たのだから、何か一冊くらいは借りて帰らないと本末転倒もいいところ。
 右足の裏を床に押し当てて擦りつけ、視線は斜め上に向ける。後ろを通り過ぎようとした人に場所を譲って壁に寄り、綱吉は現代文学のコーナーの前で背伸びをした。
 重そうなハードカバーが無数に並んでいる。だがどれを選べば良いのか、その基準さえも曖昧な綱吉は左から右へ視線を巡らせるばかりで、背表紙にあるタイトルを読みながら少しずつ姿勢を低くさせていった。
 最終的には完全にその場にしゃがみ込み、膝に両手を置いて背中を丸める。最下段は他よりも背丈がある本が並んでおり、試しにひとつ手に取って広げてみるが、目次を目にした段階で興味が失せてしまった。
 即座に作り出された渋面が、読むことを拒んでいる。苦虫を噛み潰した顔で本をもとあった場所に戻し、肩の力を抜きながら彼は立ち上がるべく、太股に力を込めた。
「よっ」
 けれど掛け声は綱吉の唇ではない場所から吐き出され、彼は変に中腰のまま顔を上げる羽目に陥った。
「こんなとこにいた」
「山本……」
 目を丸くし、瞬きを繰り返す。唖然と開いた口は間抜けとしか言いようがなく、そんな綱吉に相対する彼は片手を書架に預けて身体を若干斜めにしながら、人好きのする笑顔を振り撒いていた。
 何故こんな場所に彼がいるのか分からなくて、綱吉は言葉を失ったまま停止する。けれど元々体力のない彼は、中腰が苦しくなって膝が限界を訴えかけているのを思い出し、慌ててシャンと背筋を伸ばして左足首を回した。
 ただ、慌てすぎたのか立った瞬間のバランスが悪く、右肩が書架の仕切りに当たってしまう。
「ツナ?」
「いたっ……。って、山本。どうしたのさ」
 こんなところに、とは自分の台詞だ。今日遊ぶ約束はしていなかったし、図書館に出かけている旨を教えた覚えもない。それなのに出会う偶然、出来すぎている。
 まだ混乱している頭を抱えている綱吉に、山本は姿勢を真っ直ぐに戻しながら「ああ」と軽い調子で頷いた。数日振りに見る彼は、また背が伸びたのか、綱吉は距離を作って見上げなければならなかった。
「宿題一緒にやろうと思ってお前んち行ったら、おばさんが、此処に居るって」
 愛想が良く、笑顔が絶えず、調子が良くて喋っても楽しい山本は、奈々もお気に入りだった。天然キャラ同士で気が合うのだろう、ふたりの会話は時々突拍子もなくて、綱吉は聞いていてとても疲れるのだが。
 彼女ならば、疑いもせずに綱吉の行き先を彼に教えるだろう。玄関先でにこやかに談笑するふたりの姿が楽に想像できて、綱吉はまたひとつ疲れたため息を吐き出した。
「練習は?」
「今日は休み。先生の子供が熱出したらしくってさ」
 顧問が同席していないと、部活動はしてはならない決まりになっている。それで急に野球部の練習がなくなって、暇を持て余した山本が綱吉に白羽の矢を立てたのだろう。その経緯も想像は容易で、頭が痛くなった綱吉は更にもうひとつ溜息を重ね合わせ、自分の両手で挟み潰した。
 のほほんとした態度を崩さない山本は、綱吉が何故こうも疲れた表情をしているのかも理解しないまま、顎を撫でると居並ぶ書架の群れへと視線を移し変えた。
「そういえば、山本は宿題、進んでる?」
 まだ夏休みも始まったばかりではあるが、八月も末に入った頃に焦るよりは、今のうちから少しずつ進めておく方が気も楽で良い。本当のところ、折角の長期休暇にまで机に向かって勉強などしたくないのだが、義務教育期間中の身分故従うしかない。
 気を取り直して咳払いをした後、顔を上げて問うた綱吉に、山本は視線を引き戻して笑った。
「まさか」
 予想通りの返答に、綱吉も苦笑いを浮かべる。
「で、お前は?」
「俺も、これから」
 話を振り替えされてしまったので、綱吉は正直なところを告白し、さっきまで山本が見ていた方角に今度は自分が視線を投げた。
 面倒くさくて、手間取らされそうなものから先に片付けようと決めたはいいが、出だしから早々に躓いている。これでは八月に入っても何も終わっていないのではないだろうか、近い未来を予想して落ち込みそうになった。
「んじゃ、一緒だな」
 それなのに山本はどこまでもお気楽調子を崩さなくて、彼を見ていると自分の悩みなど全くたいしたものではなく、悲観すべき問題でもないと思えてくるから不思議だった。
 彼と居ればどんな苦難が待ち構えていても、楽々と乗り越えられてしまうような、そんな気持ちにさせられて、クーラーで冷えた心がほんのりと暖かくなった。
「読書感想文、山本はどうするかもう決めた?」
 手近にあった本の背表紙を指でなぞり、尋ねる。だが彼は渋い顔を作り出して肩を竦めたから、綱吉以上に何も考えていなかったようだ。
 奈々に、綱吉が図書館にいると聞いてその足で出向いただけだろう。図書館に用事があったわけではないから、それも当然といえば当然だ。
「ツナは?」
「俺もー……どれ読めばいいのかさっぱり」
 この場に獄寺が居合わせていたなら、適当なアドバイスでももらえたかもしれない。けれど生憎と彼は故郷に帰ってしまっていて、暫く日本を留守にしている。毎日のように国際電話が掛かってくるからあまり離れている気がしないが、彼の電話代が少し心配だ。
 笑いながらそう山本に報告すると、何故か彼は急にむっと頬を膨らませ、上唇を前に突き出した。目に見えて拗ねていると分かる表情に、綱吉は「おや?」と首を傾げる。
「山本?」
「――え? あ、ああ、悪い」
 どうしたのだろう、と彼の袖を掴んで引っ張り注意を自分に向けさせる。何か彼の気に障るようなことを言っただろうか、不安に駆られた綱吉に、我に返った山本はややぎこちない謝罪を早口に告げた。
 白と灰色の縞模様のシャツを揺らし、彼が綱吉の手を解く。大人しく腕を引っ込めた綱吉は、それでもまだ何か言いたげな様子だったが、山本がまた直ぐにいつもの笑顔を浮かべたものだから、今のやり取りは記憶から消してしまうことにした。
 一瞬、山本がとても怖い顔をした気がしたけれど、それも忘れることにする。
「山本は、野球の本とか、いいんじゃない?」
 毎日が楽しそうな彼は、部活動にも非常に熱心であり、真夏の太陽の下元気良く駆け回っているお陰か綱吉より大分日に焼けて、肌の色が黒くなっている。終業式の日の彼とは別人のようであり、言われた山本は自分のむき出しになっている腕を見下ろしてから、既に皮が剥け始めている部分を示して肩を揺らした。
「そうかー?」
「最近流行ってた奴、あれとか」
 タイトルがすぐに思い出せないけれど、映画にもなった野球小説があったはずだ。
 巧く説明できない自分にもどかしさを抱きつつ、本から離した指をぶつけ合わせて綱吉は踵を何度も浮かせて身体を動かした。落ち着きを失っている彼をまた一頻り笑った山本は、夏に合わせて短く切った髪を掻き回しつつ、多分あれのことだろうな、と視線を遠くに向けた。
 部が同じ連中が何人か、連れ立って映画を見に行っていたはずだ。小説はマネージャーが読んでいた気がする、結構面白いという感想は彼女の弁だったか。そういえば映画の感想は聞かなかったな、と長い間記憶に埋没して、綱吉に言われるまで全く思い返しもしなかった出来事を振り返り、今度は頬を引っ掻いた彼は、落ち着け、と目の前にいる綱吉の肩を叩いた。
「あれ、図書館に置いてあるのか?」
「あるよ。さっき調べたし」
 山本の認識では、図書館とはとても高価だったり、貴重だったりする本が並べられていて、本屋で気軽に手に入るものは扱っていないという場所という思い込みがあった。文庫サイズのあれが並んでいるとは考えてもみなかったようで、若干裏返り気味の高い声に、綱吉はあの辺、と壁に埋め込まれている本棚の一画を指差した。
 彼らが立っている場所を囲む書架よりも、一段の高さが随分と狭い。並んでいる本は似た色の表紙ばかりで、文庫本や新書本を並べているコーナーなのだと綱吉に説明されても、ピンとこないのか山本の頭にはクエスチョンマークが浮かんだままだ。
 どうやら彼は、綱吉以上にこの場所にとんと縁がないらしい。
「今は貸し出し中だけど、予約しておけば返却された時に連絡くれるってさ」
 夏休み期間中に順番が回ってくるかどうかは解らないけれど、と自分がカウンターで受けた説明をそのまま山本にも展開し、綱吉は小さく舌を出す。
「へ~」
 そういうものなのか、と図書館の仕組みを全く知らなかったらしい山本が、向こうの方に見えるカウンターに顔を向けて相槌を返した。今は男女ひとりずつが内側に立ち、大学生らしき女性が貸し出し手続きを受けている最中だった。
 だが、姿勢を戻した山本は、
「でも、やっぱいいや」
「え?」
 まさか断るとは思っていなくて、綱吉は目を瞬かせながら彼を凝視する。真っ直ぐに向けられる綱吉の大きな瞳に、彼ははにかんだ笑みを浮かべたままカウンターとは反対側の窓に視線を流した。
 無味乾燥な壁とは違い、建物を囲む形で植えられた植物の姿が前面に映し出される窓は大きく、開放感に溢れている。外の陽射しは厳しいだろうに、緑の樹木が壁となって防いでくれているので直射日光は屋内にまで飛び込んでは来ず、幾分和らげられた優しい光に満ちていた。
 綱吉も遅れて同じ方向に顔を向け、肩の力を抜く。
「やっぱ、野球は読むよりもやる方が面白いからな」
「あー」
 それもそうだ、と振り返って山本の胸板を間近に見た綱吉が納得顔で頷いた。
 確かに、彼はじっとしているよりも動き回っていた方が性に合っている。野球小説など読んでいたら、我慢出来なくなって途中で本も放り出し、外に駆け出して行ってしまいそうな雰囲気だ。
 思い浮かべると可笑しくて、綱吉は肩を小刻みに震わせて笑う。口元に丸めた手を押し当てて必死に笑いを噛み殺そうとするのだが、なかなかどうして、巧くいかない。
 図書館で騒ぐのは禁じられている。本当は腹を抱えて笑いたいのだけれど、どうにか我慢して懸命に声だけは封じ込めていたら、上から軽く右のこめかみを小突かれてしまった。涙目で仰ぎ見れば、やや不機嫌そうに、けれど笑っている山本がいる。
「ツナ、笑いすぎ」
「ごめんごめん」
 口ではそう言いながら、続けて綱吉の頬を擽ってくる彼の指の動きは優しい。
 これ以上笑わされてなるものか、と綱吉は身体を後ろに引いて彼から逃げようと動いた。だけれど此処が書架と書架の間で、細い通路は人がやっとすれ違えるくらいの幅しかないことをすっかり忘れていた。
 肩が両方揃って本の角にぶつかり、跳ね上がった髪の毛が居並ぶ背表紙を撫でた。軽くぶつかった程度だったので本棚はびくともしないが、前に迫る山本が綱吉の顔に影を落とすものだから、薄ら寒い恐怖心が彼の胸にざわざわと波風を呼び起こし、幼い喉仏が唾を飲んで僅かに上下した。
 距離を詰めてくる山本の表情が見えなくて、綱吉は背中をもっと本棚に押し当てながら距離を稼ごうとするが巧くいかない。ピクリともしない棚の存在が重すぎて、仕切り板が柔らかな身体に食い込んで痛む。けれど前は完全に塞がれて逃げ道はなく、徐々に薄暗くなっていく視界に恐怖感を募らせて綱吉はきつく目を閉じた。
 顎も引き、唇も咬んで下を向く。山本が身動ぎして、綱吉が凭れかかっている本棚に腕を置く気配が伝わった。
 密度が濃くなり、彼の吐く息を前髪に感じ取る。
 彼が顔を寄せて来るのが視界を闇で覆っていても分かって、綱吉はこんな場所で、と心の中で彼を罵りそうになった。
 いつ誰と遭遇するかも解らない、一般にも開放された公共施設の片隅で、何を、自分たちは。
 けれど想像した感触はいつまで待っても何処にも落ちてこなくて、様子が変だと綱吉も流石に気付く。まだ警戒は怠らないものの、完全に寄りかかっていた本棚から僅かに腰を浮かせ、彼は左目だけを僅かに持ち上げた。
 瞬間、額に痛みが走った。
「いだっ」
「ツナのスケベ。何、期待した?」
 顔を上げればすぐ其処に、意地悪く微笑む山本が。
 額を打ったのは彼の人差し指で、デコピンの要領ではじき出されたのだと直ぐに分かった。それを証拠に、彼の利き腕はひらひらと胸の高さで揺れている。
「山本!」
「お、ツナ。顔が赤いぞ~、どうした?」
 思わず此処が何処なのかも忘れて怒鳴りつけると、余計に調子に乗った山本が人を茶化して頬を小突いて来る。膨らませた頬を潰されて、綱吉はもうひとつ声を張り上げると右足を大きく前に踏み出した。
 だが背後から、妙に大きな咳払いが聞こえてきて、ほぼふたり同時に動きが止まった。綱吉の右手など、山本の胸を叩こうと振り上げられたところであり、行き場を失った指先が虚しく空を掻く。
 振り返ればそこには、定年退職を迎えて数年は経過しているだろう、けれど矍鑠とした男性が、非常に厳しい顔をしてふたりを睨んでいた。田舎の頑固親父ってこういう人の事を言うんだろうな、なんて暢気に思っている余裕は、ない。
 ゴホン、ともうひとつ低い咳払いが男性から放たれた。明らかに騒いだふたりを怒っている態度に、綱吉は冷や汗を拭って大慌てで前を塞いでいる山本を押し返す。そしてそのまま転がるようにして書架の隙間を抜け、図書館の出入り口目掛けて一目散に逃げ出した。
「あ、ツナ!」
遠ざかる背中に呼びかけるが綱吉は止まらず、山本はひからびた梅干しのような頭をしている男性に軽く頭を下げると、自分も彼を追い、図書館を飛び出す。
 自動ドアを抜けた空は、一直線に走る飛行機雲くらいしか残らない快晴だった。
「山本の馬鹿!」
 やっと追いついたかと思えば、綱吉は今度こそ張り裂けんばかりの大声で山本に怒鳴りつける。
「俺の所為かよ、先に怒鳴ったのはツナだろー」
 一方的に悪者にされてはたまらない。状況を思い出し、お互いに悪かったのだと訂正を求めても綱吉は聞かなかった。
「それでも! 山本の馬鹿! 大馬鹿!」
 癇癪持ちみたいに叫び、彼は山本を置いて炎天下を走り出す。
「え、あ、おい! ツナ!」
 後ろから山本が更に呼ぶが、彼は振り返らない。
 結局そのまま家に帰り着いた綱吉は、玄関を開けてから何をしに図書館に行ったのかを思い出し、愕然としたのだった。

2007/7/2 脱稿