So Sweet ?

 食堂の経営は昼だけだから、午後も遅い時間になると食堂は人気もなくなり、がらんと静かになる。
 日頃から面倒だと文句を言いつつも、何かと理由をつけて店の手伝いを買って出る仲間たちも、仕事から解放されて思い思いの時間を過ごせる時。町に出て遊び羽を伸ばすもの、剣術の訓練に勤しむもの、読書に耽るものと皆様々に自分の時間を楽しんでいる。
 かくいうセイロンも昼食後直ぐはコーラルを相手に武術の鍛錬に励んでいたが、コーラルが体力の限界を訴えて少し前に終了。汗を掻いたので軽く水を浴び、昼寝の体勢に入っていた竜の子をベッドに寝かせ着替えを済ませたのがつい先ほどだ。
 乾ききっていない髪の毛を掻き回し、セイロンは太陽の高さから凡その時間を計算する。小腹が空いたな、と思うのも仕方の無い時間帯であったので、彼は特に何も考えず台所へと足を向けた。
 昼食の残りがあればそれで良し、無ければ自分で何かを作っても良し。今頃ならばライも夕食の下準備の為に台所に立っているだろうな、と考えながら重みで垂れ落ちてくる前髪を一本指でつまみあげる。視界にぶら下がって左右に揺れる赤い髪に小さく肩を竦め、普段着とは異なる身軽な白と黒を基調とした衣装に身を包んだ彼は、遠慮なしに静まり返る食堂の扉を押し開けた。
「あー、くそっ」
 いきなり聞こえて来たのは、ライの悪態をつく声だ。
 自分が何か彼の気に障ることをしただろうか、と建物の構造上戸口からでは見えない台所に目を向け、それからセイロンは自分自身を見下ろした。
 襟刳りも広く、白の布地を多めに使った、ゆったりとした上着は、腰の位置で組紐を二重に巻いてウェストを絞って裾を出している。袖は肘が隠れる程度で、袖口の幅は着物のように広い。ズボンの色は黒、股下から足首までの幅が一定の筒状で、但し足首の位置に腰に巻かれているのと同じ紐が踊り、裾を絞っていた。
 愛用の扇子は右手に握り、必要ないときは普段同様帯代わりの腰紐に挿し込むことで問題は解決する。素足に黒の布靴で、モノトーンカラーで統一されているからこそ余計に髪と扇子の赤が際立った。
「……っと、もう少し……」
 首を傾げながら自分の格好を再確認していたセイロンの耳に、またしてもライの声が響いてくる。どうやら独り言らしい、自分は関係ないと分かると何故か彼はホッと胸を撫で下ろした。
 それから数歩前に出て、カウンターを覗き見る。やや姿勢を低くした彼の目に、珍しく三角巾を頭に巻いたライの姿が小さく映し出された。
 彼は真剣な顔をして、己の手元に集中している。手にしている物体に覚えは無く、ライが何をしているのかセイロンは直ぐには分からなかった。
 小腹も空いているが、ライが何をしているのかも気に掛かる。どの道用件を済ませるにはキッチンへ出向くしかなく、彼は閉じた扇子を下顎に押し付けると、姿勢を戻して休めた足を前に繰り出した。
 いくら広いとは言え、所詮は屋内。そう時間もかからずにセイロンはカウンターの外側から回り込んでライの背後に迫った。だが足音を消していたわけでも、気配を殺しているわけでもないのに、ライは一向にセイロンの接近に気づかない。
 よほど集中しているのだろう、真剣な眼差しを手元に向けて、彼は時々自分に苛立ちながら手を動かしている。
 作業台の中央には、金網を交互に絡ませて作った円形の土台が置かれ、その上に太い円柱形のものが載せられている。白く塗り固められたそれの上には、色とりどりのフルーツが並べられ、更にライの手に握られた円錐形を逆にしたようなものから、円柱の外側を覆っているものと同じものが搾り出されていた。
 確か、けぇき……とかいう甘いおやつだったか。
 シルターンには無いものだから、どうにもセイロンにはピンと来ない。だがライはそのケーキを前に、悪戦苦闘している様子だ。よく見れば似たようなものが他に二個、三個と作業台の端に並べられている。まだ白く塗られていないものもあった。
「あー、だめだー」
 突然叫び声を上げ、ライは三角巾で覆い隠した頭を横に激しく振り回した。納得がいかないところがあったのだろう、手にしていた生クリームを詰めた袋を下ろし、ちぇ、と舌打ちしながら悔しげに踵で床を叩く。
 セイロンは更に彼との距離を狭め、後ろから背を伸ばして彼の手元を覗きこんだ。彼の背中に胸が接するかという距離になって漸く、間近に人の気配を感じ取ったライが顔を上げて振り返る。下向かせたセイロンの視界に、驚きに目を見開いたライの顔が飛び込んできた。危うく、彼の肘が脇腹を直撃するところだった。
「うわぁ、吃驚した」
 半身を翻したライの腰が作業テーブルにぶつかり、細い脚が揺れる。ひっくり返りそうだった台を慌てて両手で押さえ込んだ彼に、セイロンもまた数歩下がって胸の上に心臓を置いた。一瞬跳ね上がった鼓動に眼の奥がチカチカとして、彼はそれが顔の前に垂れ下がる前髪の所為だと数秒後気づいた。
「なんだよ、いるなら声掛けてくれればいいのに」
「いや、すまぬ。集中しておるようだったのでな」
 素早く気持ちを切り替えたライの言葉に苦笑し、セイロンが肩を竦める。それから気を取り直して何をしていたのか、と台の上に並ぶ甘い匂いを放つものに目を向ければ、振り向いたライがああ、と頷いた。
「もうじきリシェルの誕生日だから、それの試作品」
「けぇき……をか」
「あいつ、毎年違うの作らないと怒るんだよ」
 去年と同じものは嫌だ、必ず新作を自分が一番に食べるのだ、と言い張って憚らない幼馴染の我が儘に、結局は毎年付き合っているライは相当のお人よしだ。
 去年はスポンジにもチョコレートを練りこんで、外側にもたっぷりとコーティングした甘いものを用意した。そうしたら甘すぎる、と怒られた。だから今年は果物をふんだんに使った、さっぱり目のものを用意するつもりでいる。だが、どうも巧くいかない。
 それが先ほどからの悪態の理由だろう。
 ライは被っていた三角巾を外すと、指で手前にあるケーキのクリームを掬い取った。そのまま口に運び、指ごと舐める。表情は依然渋いままで、首を捻る様は真剣そのものだ。
「なんか違うんだよなー」
 指を引き抜いてぽつりと呟く。への字に曲げられたライの唇に視線を落としたセイロンは、赤い表面に僅かに残った白いクリームに卑猥なものを想像して慌てて顔を逸らした。
「どう違うのだ?」
「えっと、何ていうのかな。バランスが悪いんだよ、微妙に。酸っぱいのと甘いのとの」
 果物の組み合わせが悪いのだろうか、と表層を飾っているフルーツを小突いたライの横に立ったセイロンは、自分にはよく分からない事だと苦笑しつつ、ライを真似て角立ったクリームのひとつを指で掬い取った。気まぐれに舐めてみると、見た目以上に甘い。思わずうっ、と唸ってしまうほどに。
「セイロンには甘すぎるかもな。一応、これでも控えめにしたんだけど」
「……この大量の失敗作は、どうするのだ」
「捨てるのは勿体無いから、暫くおやつはこれだな」
 屈託無く笑うライの一言に絶望を見て、セイロンはまだ指に残っている白いクリームに溜息を零す。
 リビエルやコーラル辺りは喜びそうだが、自分にはきつい。この指のクリームでさえ舐めきるのは辛いというのに。
 セイロンの落胆振りを一頻り笑ったライは、気持ちが晴れたのかさっきまでよりもずっと明るい顔をしている。もうちょっと頑張ってみるか、と腕まくりをした彼に、セイロンは何かを考え込んで指を向けた。
「店主、ついておるぞ」
「え?」
 何もついていない部分を指差し、告げる。驚いた顔をしたライは、持ち上げた右手で言われた場所を探ったが、無論そこには何もついていないので探し出せるはずも無い。
 どこだよ、と険の入った目線を受けて、セイロンはクリームがついたままだった指をライの頬に押し当てた。
「ここに」
「え、あ、本当……って、これ、今お前がつけたんだろ!」
 セイロンに触れられた場所に指を這わせたライが、柔らかなクリームの感触を見つける。危うく信じ込みそうになった彼だったが、寸前でセイロンの企みを看破した。
 ばれたか、と悪びれもせずセイロンが笑う。渋い顔をしたライは唇を尖らせて彼をねめつけた。
「だが、今はついておろう?」
「だからそれは……」
 お前が付けたんじゃないか、とぶつぶつと文句を言いたげにしているライの顎に指を添え、上向かせる。意図を察したライのアメジスト色の瞳が僅かに翳り、拗ねた色合いを横に流した彼はそのまま目を閉じた。
 自分から爪先立ちになり、右手で彼の袖を握る。腕を掴むのはまだ照れ臭いのか、彼はいつだって人の袖口ばかり引っ張ってくるのだ。
 瞳を細め、セイロンが微笑む。赤い唇から僅かに舌を覗かせてやると、薄目を開けて様子を窺っていたライはまた慌てて瞼を下ろした。
 舌先に人肌に温められた生クリームが触れる。柔らかすぎて直ぐに溶けてしまって、ざらついた感触だけがセイロンの舌の表面に残された。
 ライが首の筋を伸ばし、そのまま頭からセイロンの胸に顔を沈めた。今度は両手で彼の服を握り締め、首の裏まで赤く染まった自分を隠してしまう。
「ふむ……確かに、甘い」
「……バカ」
 ぼす、と一度胸を強く叩かれるが、痛くない。そのままセイロンはライの背中に腕を回すと、無理やり上向かせた彼の鼻筋にもキスを落とした。
 顔を埋めた彼の髪からは、甘い、甘い匂いがした。

2007/4/24 脱稿