於戯

 カーテンの隙間から差し込む薄明かりが眩しい。
「ん~……」
 起きなければならないのは、分かっている。だが昨晩なかなか寝付けなかったのもあり、頭の中は濃い闇がまだ残っていて思考回路はストップしたまま。体は怠く、光を避けるべく布団を持ち上げて顔を隠すだけで手一杯。
 チチチ、という微かな鳥の声が心地よさを倍増させる。きっと外は快晴なんだろうな、と思いこそすれ、起き上がって見に行こうとは思わない。まだ誰も起こしに来ないならば、もう一眠りして自堕落に時間を過ごしたい。
 一度として瞼は開かれず、瞳に感じる薄い光をも布団で遮って闇に落とす。直ぐにまどろみに包まれて、綱吉は気持ち良さそうに絹の枕に頬を寄せた。
 滑らかな肌触りに、仄かな良い香りが鼻腔を擽る。ラベンダーの香りなのだと、これをプレゼントしてくれた人は言っていた。正直、そんなものに気を遣うような性格をしているとは思ってもみなかったから渡された時は随分と意外だったが、今となっては大のお気に入りだ。
 ベッドの上で膝を寄せ、背中を丸めて掛け布団を巻き込んで小さくなる。枕を頭の下にしたまま両腕で抱き込んでしがみつき、もぞりと動けば伸び気味の後ろ髪が項を撫でた。そろそろ散髪しないといけないな、と言っていた人の姿が思い浮かんで、今度は心がくすぐったくなる。
 口ではそういいながらも、彼は人の後ろ髪を弄るのが好きなのだ。手持ち無沙汰になった時など、よく意地悪く引っ張られたりする。珠に知らない間に編みこまれて、悪戯に気づかないまま外出して赤っ恥をかいた日もあった。
 その時は怒って数日触らせなかったのだけれど、結局寂しくなって自分から彼に擦り寄っていってしまった。なんだかんだで、自分も彼に甘えている。
「ん……」
 肌の上をサラサラと流れて行く髪の毛がくすぐったくて、身を捩りながら吐息を零す。右を上にして横になっていた身体を上向かせ、寝返りを打って反対向きへ。背中を反らして骨を鳴らし、鼻から抜けて行った呼気の甘さに自分で笑いがこみ上げてきた。
 窓に背を向けたからか、瞼越しに感じていた光は薄まり、闇の帳が色を濃くする。完全に寝入ってしまわずに、半分覚醒した状態でうとうとと時間を過ごす。だらだらと無為にこうやって過ごすのが至福で、いつもなら誰か必ず起こしに来るのに、今日は珍しいなと鼻を鳴らしながら顎を引いた。
 布団からはみ出た爪先が空を蹴る。クッションの利いたスプリングの上で跳ねた踵が深く沈み、宙を泳いだ足の指があまり柔らかくないものに触れた。
 否、触れられた。
「ふっ……ぅ?」
 足元に何か置いていただろうか、と目を閉じたまま考える。はみ出た足がベッドサイドに置いてあるチェストにぶつかったのかと最初は思ったが、それにしても形が妙だし、なにより勝手に動いている。
 細い指の括れを摘み、付け根を擽られる。思わず膝が跳ねて布団の中に足を引きずりこむと、払い除けられたものが布団の上から後を追いかけて触れてきた。
 流線型の足の形に添わせ、優しく撫でながら薄い筋肉を揉むように上を目指してくる。くすぐったいような、むず痒いような感覚に綱吉は背筋を震わせ、これは夢なのか現実なのかの判断もつかぬまま顔の右半分を枕に押し付けた。
 そうしなければ恥かしい声をあげてしまいそうで、呼吸が少し辛くなるのを我慢して上唇も噛み締める。だがそんな綱吉の抵抗を嘲笑うかのように、蠢くものはどんどんと上に向かっていき、太股の柔らかな肉を布団ごと撫であげた。
 パジャマの布地が皮膚に食い込み、巻き込まれた布団が撓んで内腿を押し上げる。
「んぅ……」
 堪え切れなかった吐息が鼻から零れ、乾いていた口腔に唾液が溢れた。覚醒しきれていなかった身体が勝手に反応を開始して、もどかしさに腰が揺れる。だけれど流されてはダメだという警告が頭の端から鈍い音を響かせて、綱吉は唇を一層強く噛み締めると、それまで持ち上げるのも億劫だった瞼を懸命に開いた。
 朝の眩しさが部屋中を包み込んでいて、瞳が焼ける。反射的に怯んでしまったところを、宥めるようにして何かが背中を撫でた。左肩が押され、上向かされる。
 陰が落ちて、暗くなった視界に安堵していたら、柔らかなものが噛み締めて痛んでいた唇に触れた。
 軽く啄ばまれ、濡れた音が間近から聞こえて顔が自然と赤くなる。
「ん……」
 折角目を開けたのにまた直ぐ閉じてしまって、けれど顎を突き出すように離れていこうとしたものに追い縋った綱吉に、近づいていた気配はどうやら笑ったようだ。睫にかかる前髪を払い除けられ、そこにも同じように口付けが落とされる。
 朝っぱらからこんな手酷い悪戯を仕掛けてくる人物はひとりしか知らなくて、綱吉は浅い呼吸を数回に分けて繰り返し、恨みがましく目の前の存在をねめつけた。眠気はすっかり遠くへと旅立ってしまって、代わりに違うものが綱吉の体を飲み込もうとしている。
 彼の視界を覆い隠している存在が、綱吉の両肩すぐ外側に手をついて薄い笑みを浮かべていた。綱吉と違って余裕に溢れた表情で、右半分に日の光を受けて黒髪の艶を際立たせている。長い前髪が地面に対して垂直に垂れ下がっていて、普段は隠れている額が露になっていた。そのまま肘を曲げて近づいて来たので、目を閉じると唇と右の瞼にキスが落ちた。
 触れるだけの軽いキスに、音だけが異様に大きく耳に響く。
「起きた?」
「……起こされました」
 薄く開いた唇を下から舐められ、鼻の頭をも擽って彼が遠ざかる。細められた瞳に見下ろされて、綱吉は濡れた唇を手の甲で覆い隠し言い返した。
 綱吉の物言いに、一瞬だけ目を見開いた彼は、次の瞬間にはもう元に戻っていて、少しだけ口角を持ち上げて笑い、まだ睨んでいる綱吉の鼻を指で摘んだ。
 当然呼吸が出来なくて、おまけに痛い。生意気な事を言ったその仕返しにしてはやり方があまりにも子供染みていて、おかしいのだけれど痛いから笑えない。
「ヒバリひゃ……いたっ」
 そのまま上に持ち上げようとするものだから、あまりの痛みに涙が浮かぶ。止めてください、と言おうとしたのに舌が回りきらなくて、呼びかけで既に変な発音になっていた彼は、次の瞬間いきなり鼻を解放された。後頭部が音を立てて枕に沈む。
 いきなり酷い、と綱吉は抓まれた鼻を撫でて抗議の視線を送りつけた。だが何が気に入らなかったのか、雲雀は綱吉の視線を無視して身体を起こすと、背中を向けてしまった。
 中途半端な状態で放り出され、綱吉は目尻の涙を拭うと口腔内に残っていた唾を飲みこんだ。起きるかどうかで逡巡するが、雲雀のお陰で体のだるさが最高潮に達してしまった、このまま熱が引くまで放っておくか、と右肘を立てて布団の傘を作る。
「起きないの」
「起きなくても良さそうなので、もうちょっと寝ます」
 そのまま膝を横倒しにして布団を肩まで被り直す。目も閉じて明るい世界をシャットアウトしてぶっきらぼうに言い放った綱吉は、足音が戻ってくるのを聞いても顔を上げようとしなかった。ひんやりとした手が額に触れて、薄茶色の髪を擽っても無視を貫く。
 こっちだって安眠を妨げられて迷惑をしているのだ、と態度で示して顔を伏す。弾かれた雲雀の手はそのまま後ろへと流れていった。
 長く伸びた後ろ髪を梳いて、襟足を擽り、項に指を絡ませて浅く爪を立てる。思わず喉が引き攣り、綱吉はくぐもった声を零して枕を握り締めた。勝手に背筋が反り返っていく、膝が震えてパジャマの生地が内腿に絡まり、微かに痛んだ。
「ヒバ、りさ、っん」
 鼻の頭を舐めた舌が強張った頬を辿り、迂回して顎のラインをなぞっていく。
 ぬるっとした感触の後、なぞられた場所から体温が奪われていくのが分かる。綱吉が苦しげに顔を歪めるが雲雀は見向きもせず、顎の裏にも舌を這わせて唾液の雫を飛ばし、歳の割に目立たない喉仏に咬み付いた。喉の窪みを舐めて、薄い皮膚に口付けて遠慮なしに吸い付く。
 綱吉は抗議の声を上げて、突き上げた両手で彼を押し退けようと藻掻くが巧く行かない。寝起きであるのと、身体から力が抜けるように巧みに指を這わされるお陰で、意識とは裏腹に鼻からは甘い声が抜けていくばかり。
「や、め……んぅ」
 大体この人はいつから部屋にいたのかと、彼のきちんとアイロンがけされたシャツに皺を作りながら睨み付ける。すると部屋の片隅から黄色い翼の鳥が舞い降りてきて、雲雀の肩を経由しベッドサイドのテーブルへと移動していった。勝手に人のクッキーを啄み、飛び去っていく。
 羽音が耳朶を掠め、其処にも舌を絡められて息があがり、綱吉は雲雀の腕を掴もうと懸命に指に力を込めた。だけれど表面を滑った指先が頼りなく布を引っ掻いただけで、手首ごとベッドに沈んだ。
 チチチ、という鳥の声が霞かかった頭に遠く響いてくる。
 雲雀の腕が背中に回され、彼の膝がベッドに乗り上げた。ふたり分の重みを受けてスプリングが鈍い音で軋む、思わず居竦んだ綱吉の緊張を解すべく、彼の手は二度、三度と綱吉の背中をさすった。
 落ちていた手を拾い上げられ、だらしなく垂れ下がっている其処も舐められる。
「ぅ……」
 反対の手は明確な意思を持って綱吉の胸を探り、パジャマの裾をズボンから引きずりだしている。慌てて止めるべく右手を下に突き出したが、簡単に避けられてしまい逆に封じ込まれてしまった。
「ヒバリさんっ」
「なに?」
「ちょ、待って、まだ……あふっ」
 直接肌に触れた彼の手の冷たさに鳥肌が立ち、背筋が泡立って予期していない声が溢れた。
 人にのし掛かっている男が、一瞬目を見開いてから意地悪く微笑む。嬉しそうに瞳を細め、拘束から逃れた手で口を覆おうとしている綱吉の腕を払い除けた。
 僅かに湿った色を放つ唇に顔を寄せ、蛇の如く舌を伸ばして綱吉の唇を擽る。
「ン……ふぁっ、ひゃっ!」
 ぞくりと全身を走り抜けた感覚に、布の中に潜り込んだ雲雀が何を摘んでいるのか一瞬で理解して綱吉は喉を仰け反らせた。膝が浮き上がって震えている、このままだと本当に歯止めが利かなくなりそうで、涙目で目の前の男に首を振った。
 だが雲雀は構うことなく綱吉の小さな突起に爪を立て、指の先で転がし続ける。
「や、め……ヒバリさ、……んっ」
「起きる気になった?」
 伸び上がった彼が耳元で甘く囁く。一瞬何を言われたのか分からなかった綱吉は、直後顔を赤くして大粒の涙を瞳に浮かべた。
「お、起きられなくなりました!」
 すっかり反応しきっている自分を持て余し、綱吉は自棄気味に雲雀の背中へと腕を回した。首の後ろで指を結んで、自分の側へと引き込む。
「だから! ……責任取って、一緒に寝てください」
 そう告げて、自分から彼に口付ける。
 雲雀は何も言わず、ただ笑っていた。

2007/4/29 最終アップ