週末は秋晴れ。その予報通りに朝から青空が覗いた土曜日、気持ちよく眠っていた綱吉はいきなり奈々に叩き起こされた。
曰く、折角天気が良いんだから外へ遊びに行ってらっしゃい。裏を返すと、久しぶりに晴れたんだから布団を干したいの。というわけでまだ早い時間だというのに寝床を放り出された綱吉は、同じく布団を追い出されたバジルと互いに大変だったね、と苦笑しあった。
奈々のエネルギーには時々圧倒させられる。母は強し、とはよく言ったもので、彼女はここ数日の曇り空で溜まっていた洗濯物を両手に抱え、せっせと洗濯機と庭とを往復している。数人分の布団を持ち上げて竿に広げ、飛んでいかないように大型の洗濯バサミで止めると、後は男達の仕事。朝食を終えた彼らには、もれなく奈々から布団叩きが進呈された。
足元では興味津々のランボが綱吉のズボンを引っ張り、鼻水をつけられそうになった綱吉が慌てて逃げると追いかけっこが始まる。イーピンが混じってフゥ太が乱入し、バジルが止める間もなく家の中は一気に騒がしく。無論リボーンが黙っているはずもなく、鶴の一声で騒動は収束に向かう。
怒られたランボが泣くので、彼をあやしつつ抱き上げた綱吉が彼に布団叩きを渡して庭へ下りた。バジルも後ろに続き、幼子を抱いたまま片手で器用に布団を叩いていく綱吉の横で、視様見真似で布団の表面を叩く。しかし加減が分からず、力を入れすぎて、布団ごと細い物干し竿は向こう側へ大きく傾いた。
「うわわっ」
驚いたのはバジルだけではない。綱吉も慌てて止めようとするが、片手で抱いているランボをまさか放り出すわけにもいかない。布団叩きごと握った竿を懸命に引っ張って、どうにか転倒だけは回避させる。横を向くと、同じく両手で敷布団を抱きかかえるバジルと目が合った。
一呼吸置いて、ランボがけたたましく笑い出す。今のが面白かったのか、もう一回とせがまれてしまった。
「今のは、もう無し」
駄々を捏ねる子供を地面に降ろし、ずれてしまった布団を直して綱吉が騒ぐランボに言い聞かせる。その横顔は父親そのもので、眺めていたバジルはつい笑ってしまった。
「なに?」
「いえ」
笑い声を聞きつけて顔を上げた彼に首を振り、誤魔化すように微笑みを深める。気を悪くした様子もない綱吉は、遊び足らないランボを追い払って奈々に任された作業へと戻った。
長閑で暖かな陽射しが降り注いでいる。手入れの行き届いた庭には季節の植物が肩を寄せ合い、ゆっくりと流れる雲が時々太陽を隠して地上に薄い影を落としている。戦闘や騒乱といったものとは無縁の時間が、穏やかに彼らの頭上を通り抜けていた。
マフィアの跡目争いなんて出鱈目な妄想劇だと思えてくる。いつまでもこんなに平和な時間が続かないと知っていても、つい忘れそうになって、バジルは揺れる髪を片手で押さえ額を柔らかな布団に押し付けた。
「なにやってるのさ」
傍らの綱吉がそれを笑う。
在る日突然ボンゴレ十代目に指名され、本人の意思に関係なく巻き込まれてしまっただけの人。とても優しい笑顔をしていて、皆に愛され、大切にされ、また彼も自分を取り巻く人々をとても大事に思っている。
誰かの為に怒れる人。誰かを守るために戦える人。
その優しさは時に非情なまでの危うさを彼の前につきつける諸刃の剣。けれどきっと、彼は守るための力を攻める為には使わないだろう。肌で感じる彼の優しさは、紛れもない本物だとバジルは思う。
「いえ、……気持ちが良いな、と」
僅かに赤い顔を離すに離せず、バジルは広げた両手で布団にしがみついて呟き返す。しゃがみ込んだままだった綱吉が、ふぅんと相槌を打って頬杖をついた。彼の視線もまた、陽光に晒される敷布団を見上げている。
と、唐突に彼の両腕が頭上へと伸ばされた。
まるで空を抱き締めるように真上へと伸びた彼の二本の腕が空気を掴み、風を浴びても揺れることがない厚みのある布地へと吸い込まれていく。立ったままでいるバジルの前で、それは向こう向きに波立った。
「沢田殿?」
「なんとなく」
当然ながら叩き飛ばされた布団は慣性の法則に従い、バジルの顔の前まで戻って跳ねた。痛くは無いが、平らで大きなものが目の前に覆い被さってくるので恐怖心は多少ある。涼やかな瞳を足元に向けると、悪戯の張本人は少しも悪びれた様子もなく、舌を出して笑った。
年相応の、もしくはちょっとだけ幼い印象を与える笑顔。彼はまだ、たったの十四歳なのだ。その現実をバジルは思い出す。
本当はもっと、友人と語らいあい、遊んで、勉強もして、ゲームをしたりテレビを見たり、毎日が平凡で何も事件らしい事件が起こらない日常の中に彼はいるべきなのだろう。遠い遠い祖先、僅かにしか残らない血の繋がりから生まれた自分達の出会いは、あまりにも出来すぎていて、冗談だと知らぬ人は聞こえるかもしれない。
けれどバジルはこの出会いに感謝している。不幸な事件の連続であるけれど、彼とこうやって時を過ごせる奇跡に、眩暈すら覚える。
「良い天気だなー」
のんびりと間延びした声で、改めて空を見やった綱吉が呟いた。飛ばしかけていた意識を引き戻し、バジルもまた青と白のコントラストへと視線を向けた。綿菓子のような大きな白い雲が、ゆったりとした動きで西から東へ進んでいる。
綱吉が今度は右手だけを空に向けた。人差し指を立て、雲ひとつを指し示す。
「あれ、鯨に似てる」
「どれですか?」
「あれあれ。あ、崩れちゃった」
空を見上げたままバジルが、綱吉の言う鯨の形に似た雲を探すけれど、それらしいものはどこにも見つけられない。立ち居地が悪いのだろうかと横向きに脚を動かし、彼の隣まで進んでから再度空を。しかし分からず、重ねて問う間に綱吉が残念そうに呟いた。
力を失った彼の指先が、バジルの胸の高さでしおれていく。反射的に掴んでしまいそうになって、出かかった肩を慌てて反対の腕で押さえ込んだ。そのまま肘の位置までずらし、袖を握る。
平和だった。都会の喧騒もこの小さな庭にまでは届かず、時々廃品回収のトラックの謳い文句が聞こえる程度。咲き誇る花から微かに香る匂いに瞼を閉じ、肌で風を感じ取る。暖かな陽射しに包まれて、自分が日本という小さな島国にいることさえ忘れそうになった。
「平和だね~」
足元から綱吉の声がのびてきて、自分と同じことを考えている彼に驚くと同時に嬉しくなる。
「ツッ君、バジル君、お昼ご飯よ」
そうやってふたり、特に何をするわけでもなく庭でぼんやりと時間を過ごしているうちに、イーピンを抱いた奈々が顔を覗かせてふたりを呼ぶ。振り返って返事をするその声が、示し合わせたわけではないのにふたりとも綺麗に揃っていて、顔を見合わせて声を立てて笑った。
午後からも特別用事は無くて、二人並んで軒下の縁側に腰掛け庭を眺める。おやつを抓んで、お茶を飲んで、まるで還暦を過ぎた年寄りみたいだと綱吉が言うので、それくらいまで一緒に居られたら良いと正直に言えば、彼は少し照れたようだった。
「嫌ですか?」
「先のことは、分からないよ」
聞けばはぐらかされ、答えは見付からない。泳がせた視線の先には真っ白なシーツが陽射しを受けて輝いている。思わず瞳を細めて見詰めていると、そろそろ布団を取り込んでくれという奈々の声が廊下から響いてきた。
「はーい」
バジルの前で立ち上がり、大声で返した綱吉がサンダルを引っ掛けて庭へ降りて行く。背伸びをして干した布団のひとつを抱えた彼は、後に続こうとしたバジルの上に構わずそれを放り投げた。
「わっ」
受け取ろうとしたものの、片足が置石の上に降りていたバジルは支えきれず、布団で胸から上を完全に潰された。後頭部から転倒する直前に身体を捻り、両手で掴んだ布団を下敷きにして倒れこむ。ぼふっ、という音を立て、空気を含んで膨らんでいた布団が凹んだ。
ホッとしたのも束の間、追加でもうひとつ布団が降って来た。これは避けきれず、綱吉の悪戯にバジルは布団にサンドイッチされた状態で彼を睨む。
彼は笑っていた。どこまでも無邪気で、楽しそうに。
「ランボさんもやるー!」
遊んでいると勘違いしたランボが駆け寄ってきて、バジルの上の布団に思い切りジャンプ。一瞬息が詰まった彼がそれを跳ね退けると、体重の軽いランボは空中で一回転して畳の上に転がった。
「俺もやろーっと!」
「沢田殿!?」
きゃっきゃと楽しそうに笑っているランボを見て、彼に怪我がないのを確認した綱吉までもが腕まくりをして縁側に戻ってくる。聞いたバジルが信じられない、と声を荒立てて逃げようともがいたが、それなりに重みのある敷布団、そう簡単に彼を逃がさない。
解放された窓から差し込む逆光に、綱吉の黒い影が覆いかぶさる。咄嗟に布団ごと身体を引いたバジルの真横に重みが加わった。空気が渦を巻き、彼の前髪を掻き乱す。
「こらー、逃げるなってば」
「普通逃げます!」
両手を床について顔を上げた綱吉に間近で怒られるが、バジルも負けじと反論する。綱吉も軽いけれど、勢いつけて飛び掛られたら痛いに決まっている、いくら布団が間にあるとはいえ。けれど彼は全く構おうとせず、バジルを一方的に非難してはもう一度やるから今度は逃げるな、なんて不条理なことを言い出す始末。
ムッと顔を険しくしたバジルは、だから綱吉が身を引いた瞬間を狙って被さっている布団を彼の方へ押し出した。突然襲ってきた白い綿入りの布に足を掬われ、綱吉が尻餅をつく。すかさず追加で、頭にも布団が。
「ぶはっ」
肩を起こして息を吐き、咄嗟に閉じた目を開けた綱吉の前には、キラキラと瞳を輝かせたランボが。今にも飛びかかろうと胸の前で手をうずうずさせていて、綱吉の背中にツーっと冷たい汗が伝った。
「それ!」
しかも既に脱出を果たしていたバジルが、下の方で余っている布団の端を捲り上げて綱吉に被せにかかる。綱吉は両手を突っぱねて押し返したが、飛び込んできたランボが腹部を直撃して目の前に星が散った。ドサッと真横に落ちてきた空気は、バジルだろう。ふたりの楽しそうな笑い声が座敷に響き渡る。
「重、い……」
天井を仰いで指先を痙攣させた綱吉の喘ぎに、バジルは一度顔を上げてから身体を横にした。布団の端へ頭を預け、ランボと敷布団を腹に乗せたままの綱吉の方へ手を伸ばす。続けて視線を向けると、呼吸を整えていた綱吉と目が合った。笑みかけられる。
縁側から差し込む光は柔らかく、暖かい。丁度頭を付き合わせる格好で身体は直角になっている綱吉とバジルの手が、その中間地点で繋がりあった。指先に力をこめると、同じ強さで握り返される。
「暖かいですね」
「うん」
果たして彼の言う温もりが、綱吉の掌か、陽射しなのか。答えを告げる事もなく、彼らは静かに目を閉じた。
2006/10/30 脱稿