優渥

優渥(tollerante)

 皆と一頻り笑った後、屋上を後にした綱吉の足は、特に行く当てもないまま校舎内を彷徨い続けた。
 京子やハル、それにビアンキたち。これからの事を考えると若干陰鬱な気持ちになりかけていたところを、彼女らに元気を貰って浮上出来たように思う。負けられないという気負いは、きっと今までの自分であればその気持ちに押し潰されそうになって、尻尾を巻いて逃げ出していただろう。
 けれど今は違う。自分自身強くなったと実感できるだけの確信があるし、何より支えてくれる心強い仲間がいる。彼らの健闘に報いるためにも、何よりもあの男に、皆が守ろうとしている大切なものを奪われ、壊されるのは嫌だった。
 あの人のためにも。最期まで悔い、誤り続けたあの人の為にも、彼の息子の暴走は、止めてみせる。約束したし、思いも託された。あの男を止められるのが自分だけなのだとしたら、この拳は皆を守るために揮おう。
 綱吉は足を止め、瞑目し軽く握った右の拳を胸に押し当てた。吐き出した呼気は熱く、微かな緊張が胸の鼓動を速めている。
 勝てば何かが確実に変わる。負ければ全てが終わる。自分の血の滲む努力も、皆も懸命な頑張りも、助けてくれた人々の思いも、信じて見守ってくれている人たちの気持ちも、全部無駄になってしまう。
 だから負けられない。
 負けたくない。
 瞼を開き、微かに震えている右手の拳を左手で包み込む。そっと息を吹きかけて強張りを解き、綱吉は視線を斜め前方へと流した。気がつかないうちにかなりの距離を歩いていたようで、しかもいつの間にか始業時間を過ぎている。静まり返った廊下に人気は無く、見た目は綺麗なのに本当は壊れてしまっている校舎は、まるで偽りに彩られた廃墟を思わせた。
 ――ダメだ。弱気に考えるな。
 思考が悪い方向へ偏るのは癖で、最早どうしようもない。今の自分はダメツナだった頃に比べれば格段に強く、自信に溢れているというのに、根本的なところは一切変わっていないのだと思い知る。なかなか解けない指先に舌打ちし、綱吉は緩く首を横へ振った。
 気持ちの昂ぶりを忘れて冷静に思い返してしまうと、矢張り戦うのは怖い。
 それでも、目の前で誰かが傷つくのはもう見たくない。
 苦労の末に五本の指を解きほぐせば、汗に濡れた掌が冷たい空気に晒される。上昇していた体温が奪われていく感じがして、綱吉は僅かに身体を揺らした。シャツの上から肘に触れ、上下に擦って摩擦熱を起こす。廊下の窓から見える光景は、今までとなんら代わり映えのしない、当たり前の日常風景。
 この場所と、この時間と、此処に居る自分を、自分を取り巻く世界を、失いたくない。
 ただそれには少しだけ、本当に少しだけ、自分には勇気が足りない。
 思い出せばそれだけで足が震えてくる。怖い、という気持ちはきっと永遠に消えはしないだろう。それを上回るだけの勇気、気力、そう、気持ちが欲しい。自分を奮い立たせ、沢山のものを包み込める柔らかな拳を貫き続けるだけの気持ちが、欲しい。
 絶対に負けられない。負けたくないから、この重圧に押し潰されることのない強い気持ちが欲しい。
 例えるなら、自分は絶対に負けないという傲慢なまでの自信。そう、まるで何処かの誰かのような。
 綱吉は視線を持ち上げた。前方斜め上に向けた瞳には、この学校に君臨する暴君の居室への扉が“応接室”という札を掲げて構えてられている。無意識に足が向く場所が此処なのか、と自分を小さく笑いながら、昨晩の一件で足に傷を負ったはずの相手の顔を思い浮かべる。
 彼がザンザスと戦わなくて良かった、と思う。幾ら彼が強いと分かっていても、恐らくその強さは今まで彼が対戦してきたどの相手とも異なっている。
 もう彼が地面に倒れ伏す姿も見たくなくて、綱吉は心の何処かで安堵している自分に肩を竦めた。
 下手をすれば、今夜地面に伏すのは自分かもしれないのに。
 首を振る、今度はさっきよりも強めに。考えるな、馬鹿なことは。懸命に心の中で大丈夫と呪文のように繰り返し、登校の際校門に立っていなかった雲雀を見舞う為だと自分に言い訳しながら、綱吉は控えめに応接室のドアをノックした。
 続けて二度、間をおいてもう一度。
「だれ?」
 そこから暫く待っても室内から反応がなくて、もうひとつノックするか、出直すかで逡巡していた矢先、微かな声が扉越しに聞こえて来た。怪我が酷くてもしかしたら登校していないのかもしれない、と考えていた矢先だっただけに、どれだけ高熱を出していても、彼はきっと学校に来るのだろうな、などと笑ってしまいそうだった。
 声にはいつものような張りを感じなかったものの、案外しっかりした発音だったので、綱吉は胸を撫で下ろす。一緒に持ち上げていた腕も下ろし、ドアノブに指先を沿わせた。
「俺です」
 真正面を向いて言ってから、これでは名乗ったことにならないと気付いて綱吉は慌てて口元を覆った。
「沢田です」
 言い直す。すぐに返事はなくて、ひょっとして雲雀はまだ自分の名前すら覚えていてくれていないのだろうか、と不安になった。
「開いてるよ」
 素っ気無く放たれた彼の声は、しかし普段通りの雲雀を思わせて綱吉の心を軽くさせた。入るなら入って来いという意思表示に甘え、ドアノブを握って右に回す。押し開いたドアの隙間から涼しい風が吹き抜けて、綱吉の額を軽く擽った。
 秋の陽射しの匂いに混じって、微かに薬品の臭いがする。いつもの応接室には無い空気に眉目を顰めつつ、綱吉は広げたドアと壁との隙間に小柄な身体を滑り込ませ、素早くドアを閉めた。ぱたん、と乾いた音が指先に響き、廊下との空間が遮断された瞬間、綱吉は肩から力を抜いて盛大に息を吐き出す。
 ここに来るのは初めてでないものの、いつだって緊張させられる。静電気ではないだろうがドアノブを掴んでいた指先が悴んで細かく震えているので、慰めるように表面をそっと唇でなぞってから視線を室内の中央へと転じた。
 並べられた応接セット、奥に鎮座する大きな机、壁に並ぶ棚とトロフィーの数々。開け放たれた窓、揺れるカーテン。
 綱吉の知る応接室と何も違わない、至ってごく普通の空間。ただ予測していた場所には部屋の主の姿が無く、綱吉は右側に首を捻って腕を下ろした。
「ヒバリさん?」
 名前を呼んでから二秒遅れて、ソファの背凭れからはみ出ている黒い髪の毛とそれを支える腕、更に丸みを帯びた肘掛から飛び出している上履きの先端に気付く。出しかけていた右足を慌てて引っ込めた綱吉の前方で、非常に緩慢な仕草で、雲雀はソファに横にした頭の枕にしている腕を片方抜き取り、軽く揺らした。
 ひらひらとバランス悪く揺れる手首から先には、力が全くこめられていない。
「あの、ヒバリさん」
「なに」
 一見すればやる気がなさそうな態度を取る彼に若干の困惑を声に滲ませた綱吉だったが、雲雀の変わらない素っ気無い口調に、どうにか引っ込めた足を前に出した。数歩の距離を詰め、ソファの背後に回りこみ上から彼を見下ろす。
 真上を向いていた彼とは、必然的に目が合った。黒い、澄み切った双眸にどきりと胸が跳ねる。
「えと、その、怪我……大丈夫かな、って」
 視線が重なっただけなのに、それだけで心拍数が上昇した上に頬が赤く染まっていくのが分かり、綱吉はそれとなく顔を壁と天井の継ぎ目へと逸らした。胸の前で勝手に合わさった手が、指を交互に弄り回している。
 どうにも落ち着かないのは、いつもと少しだけ違う空気をこの場に感じているからだろうか。
「怪我?」
「はい、脚……昨日の」
 衝撃的な事実が明らかになった中で、つい後回しにされてしまった雲雀の傷。掠っただけだと本人は平然を装い、ディーノたちの治療を拒んだ彼は綱吉が気付いた時にはもう姿を消した後だった。
 雲雀の「大丈夫」は案外あてにならないから、ついつい心配になる。自分の身体を省みずに戦うのは彼の性分なのだろうが、傍らに立つ存在の心労具合も時として考えて欲しい。
 右の人差し指と左の中指を突っ張らせた綱吉の呟きに、雲雀はああ、と曖昧に頷いた。後頭部に添えていた腕を解き、片方の肘を背凭れに引っ掛け、明らかに撃たれた脚を庇いながら、上半身だけを起き上がらせる。彼の左足は、未だ肘掛の上。
 痛むのだろうか。こめかみに指をやって首を振った雲雀の黒髪が揺れる様を眺め、綱吉は視線を伏す。
 雲雀が自分を見ているのが分かって、綱吉は益々居心地の悪さを感じた。思えば、自分が巻き込んだようなもの、今までの戦いも、これからの戦いも。
 迷惑に感じているだろうか。この一週間、ずっと慌しくてまともに雲雀と会話をしてこなかった。顔を合わせる暇さえなくて、彼の本心を確かめる術もなかった。
 いや、違う。
 確かめるのが怖かった。
 雲雀の眉間に皺が寄っている。上目遣いに盗み見た彼と瞬間的に目が合って、反射的にまた下を向いた綱吉に対し、彼は微かな息を零した。
「大した事ないよ」
 前よりは、とそう付け足して彼は己の足を見やる。黒い学生ズボンに隠されている為に傷は表からは見えず、よって綱吉には雲雀の言葉が真実なのか否か、判断がつかない。
「前?」
 そもそも彼が引き合いに出した時間軸が思い出せず、今度は左へと首を傾けた綱吉に向け、雲雀は微かな笑みを口元へ浮かべた。皮肉そうに歪む唇に、忘れかけていた引き出しの中の記憶が蘇る。
 骸との戦いで、雲雀は酷い傷を負った。肋骨が数本折れ、数日間の入院生活を過ごさねばならなかった彼を見舞った記憶は、今でも綱吉にとって生々しいものとして刻み込まれている。今回はそこまで酷くなかったと言う彼の言葉はどうやら真実のようで、綱吉が吐き出した息には安堵が過分に含まれていた。
「そう……ですか」
 良かったと心の底から告げれば、雲雀が変な顔をして綱吉を見返す。おかしなことを言っただろうかと数回目を瞬かせていると、彼は肩を竦めて溜息を零し、再びこめかみに指を押し当てた。
「で?」
「え?」
「そんな事を聞きに、わざわざ来たの?」
 どこまでも深く、静かで、そして鋭い瞳が綱吉を真正面から射抜く。ぎゅっ、と胸の前に置いていた手を握り締めた綱吉は、呆気なく見抜かれてしまった自分の心に動揺したまま、唇を窄めて足元に目を落とした。
 少し汚れ、踵が踏み潰された形跡を残す上履き。アイロンが綺麗に当てられている、母親の気配りを感じさせるズボン。ワックスで磨かれて埃ひとつ落ちていない応接室の床、見栄え良く配置された家具。
 日常生活に溶け込んでいる全て。守りたいもの、守らねばならないもの。
 自分が帰るべき場所、帰りたい場所。
「え……と」
 雲雀の問いに答えられない。
 彼に傷の具合を聞きに来たのは本当だ、心配していたのも、平気そうなことに安心したのも嘘じゃない。けれど本当にそれだけが、応接室に足を向けた用件だったのかと問われれば、きっと違う。
 何かをしたかったわけでも、しなければならなかった理由もない。
 そう、単に会いたかった。
 雲雀の姿を見て、雲雀の顔を見て、その眩いばかりの自信と彼の力に触れたかった。自分が今夜、決戦の時を迎えるに当たっての、最後の力を、分けて貰えたら、なんて。
 言えるわけが無いけれど。
 雲雀は強い、綱吉が知る誰よりも。それは彼が、決して何者にも屈したりはしないという強い信念と決意を持ち、偽りでない強さが頑強な芯となって彼を支えているからだ。その何に対しても揺るがない心が、正直綱吉には羨ましい。
 それはずっと、日陰に甘んじて陰口に怯え、ダメツナというレッテルを貼られて過ごしてきた綱吉が、憧れて、求め続けてきたものだから。
 勝負は五分五分か、体力的にも、経験ひとつにとっても綱吉が不利。けれど勝ち目薄とは思わないし考えないようにしている。ただ膝は震える、本能的に悟った恐怖は一生拭えない。
 でも負けたくは無いし、負けるつもりもない。気持ちから負けているようでは、決戦のフィールドに自分は立てない。
 組み合わせた手に力をこめる。この数日ですっかり傷だらけになってしまった拳は、他人を殴れば自分も痛いのだといつだって綱吉に教えている。だからこの痛みを、悲しみを、あの男にも伝えたい。仲間の死を嗤い、実の父親を卑劣な罠に掛け、綱吉の大切な仲間を平然と傷つける。あの男に、教えてやりたい。
 他人の痛みというものを。
 握り締めた拳が小さな悲鳴を上げている。噛み締めた奥歯が表面を擦りあい、嫌な音を脳内に響かせた。
「沢田」
 ふっ、と顔の前を流れた空気。弾かれたように視線を上げた綱吉は、透き通った黒水晶の中で逆さまになった自分の顔を見つけた。
 腕の力だけで身体を持ち上げた雲雀は、腰をソファの背凭れに置いて足だけは向こう側に残すという姿勢でそこにいた。身を乗り出して綱吉との距離を大幅に詰めた彼の顔は、互いの吐き出す呼気が鼻先を掠める近さにあって、綱吉を驚かせる。
「つなよし」
 授業開始の点呼で教諭が呼ぶみたいに、名前を読み上げられて、綱吉は目を丸くする。その大きな瞳に映し出された自分自身の顔を満足げに眺め、雲雀は口角を持ち上げて笑った。
 どこまでも意地悪な表情、綱吉の気持ちを簡単に上昇させたり急下降させたりする悪魔みたいな人。
「怖いの?」
 そして、どこまでも人の心を見透かしてしまう、ひと。
 またしても答えられない問いかけに、綱吉はぐっ、と息を呑み、左に逸らした瞳を右に流しながら、拳を解いて居心地悪げにベストの裾を弄った。出来るなら今すぐこの場から背を向けて逃げ出したい衝動に駆られて、でも逃げたら何も始まらないし、終わらないとも気付いているからそれも出来なくて、ベストからずり落ちた左手がズボンに幾つも皺を作るのも構わず、綱吉は赤い顔のまま舌を震わせた。
 消毒薬の匂いが近い。自分の手で傷を治療したのか、雲雀の大きな掌が綱吉の顔左半分を覆い隠す。親指が顎を滑って、強引に上向かせられて視線も正面へと戻された。そのままがっちり固定されて、首を回すのも許してもらえない。
「ヒバリ、さん」
「なに」
「はな、し……て」
「どうして?」
 次第に弱くなる綱吉の声に、一気に畳み掛けて雲雀は瞳を細める。顔を逸らすのも、瞳を逸らすのだけさえも認めてもらえなくて、綱吉は今にも消えてしまいたい気持ちに駆られ、持ち上げた両手で雲雀の手首を掴んだ。それでも何処にこんな力があるのか、雲雀の腕はびくともしない。
 泣きたい。いや、既に綱吉は泣いていた。
「怖いに……こわいに決まってるじゃないですか!」
 搾り出した声は、今まで誰にも言えなかった綱吉の本音。
 誰かを殴ること、倒すこと。戦うこと、傷つくこと――傷つけること。
 そのどれもが、綱吉にとって、選ばなくて済むならば避けて通りたい道。話し合って、言葉でお互いが理解し合えるなら、当たり前のようにその選択肢を選び取る。自分が傷つくのも、自分の為に誰かが傷つくのも、自分の所為で誰かが倒れるのも、もう嫌なのに。
 それでも決めたのだ、あの男だけは許せない。あの男だけは許してはいけない、あの男のやり方を認めてはいけない。
「でも、俺がやるしかない、っから」
 あふれ出した涙が雲雀の指先を濡らしていく。堪えきれない嗚咽が言葉を奪う。京子の前で誓った決意は呆気なく崩れていく。自分は弱い、どうしようもなく、こんなにも小さい。
 雲雀はそれを、簡単に笑い飛ばす。
「やらなくていいんじゃない?」
 へ? と綱吉の目が真ん丸に。一瞬で止まった涙の残りを雲雀の指先が掬い取っていく。悪巧みをしていると隠さない雲雀の一言が理解できなくて、綱吉の思考もまた同じく停止した。
「替わってあげようか」
 泣いて怖がるくらいなら、ザンザスを少しも恐れない自分が戦った方が良い。そう臆面も無く言い放った彼に、耳を疑った綱吉はきょとんとしたまま数秒置いて、握っていた雲雀の手を慌てて振り解いた。
 頬に添えられていた指先が、雫と共に離れていく。
「だ、だ……ダメ、ダメ! 絶対ダメ!」
 何をそこまで狼狽する必要があるのか、雲雀が呆れる前で綱吉は大仰に両手を振り回し力説する。但し理解がついて回らないようで、理由も告げずにただ「ダメ」を連呼するばかり。だがそうやっているうちに平静さが若干戻ったようで、深呼吸を数回した後、彼は耳まで真っ赤になったまま、握り固めた拳を胸に押し当てた。
 吸った息を、ぎゅっと肺に押し留める。何処かへ飛び去っていた思考力が舞い戻ってきて、綱吉の胸にストンと納まった。
 嗚呼、本当に、この人には敵わない。認めてしまうと、楽になる。
「これは、俺の戦い、だから」
 改めた誓いは、ずっしりと腹の底に響き綱吉の心臓を力強く押し上げた。
 戦うと決めたのは、他でもない自分自身。誰かに頼まれたり、求められたり、強制されたわけでなく、自分で選び取った道。
「ヒバリさんは、見ていて」
 怖いという気持ちは変わらない、しかし恐怖は越えていける。
「そう?」
「です」
「残念」
 本能的に強い者と戦いたがる雲雀は、本気で残念がっているようにも見えて、肩を竦める彼に綱吉は苦笑した。表情が少しだけ和らぎ、気持ちも軽くなる。
「まぁ、でも、そうだね」
 昨晩一瞬ではあったものの、ザンザスと一戦交えた雲雀だからこそ、言えた言葉なのかもしれない。
 あの男の強さを肌で感じ取った上で、彼は。
「君がどこまで強くなるのか、楽しみだ」
 綱吉が勝つのを、疑わない。
 人差し指の腹で喉仏から顎の裏にかけてを擽られ、身を捩らせた綱吉が逃げる。雲雀が笑い、綱吉が拗ねる。一瞬だったけれど真剣な目で見詰められたのに、直ぐにはぐらかされてしまった気がする。納得がいかない表情をしていたのが伝わったのか、雲雀は握っていた残りの指も広げて、そのまま綱吉を手招いた。
 さっきと同じ場所に、雲雀の手が伸ばされる。乾いた涙の筋をなぞった指から、彼の体温を感じ取る。
 暖かく、優しい。
「まだ怖い?」
「はい。でも、平気」
 自分の後ろには皆がいる。獄寺が、山本が、了平が、髑髏が、リボーンが。
 なにより、雲雀が。
 見ていてくれるから、もう、怖くない。
「負けません」
 この温もりを失いたくない。
 あの人にも伝えたい、人の手は、本当に暖かいのだと。
 だから、負けない。絶対に。
「そう」
「はい」
 雲雀の細められた瞳に映る自分は、ちゃんと笑えているだろうか。確かめる前に閉じた瞼に降り立った暖かさに笑みを零すと、少し拗ねた雲雀は意地悪く口の端にしかキスをくれなかった。