空色

 生まれて初めてホームランを打った時の事を、今でもはっきりと覚えている。
 抜けるような青空、雲ひとつ無い中を小さな白球が飛んでいく。吸い込まれていく。
 高々とうち上がったボールを、誰も追いかけようとせず持ち上げた目線でその行方を追うだけ。自分もまた、暫くの間、バッターボックスに立ちつくしていた。バッドを振り抜いた姿勢のまま固まって。
 真っ青な空、飛んでいく白球。鮮やかなまでのコントラストに心が囚われて、目が逸らせない。一塁へ走るのも忘れて、ただ息を呑む。生温い汗が首筋を伝った。
 その時に、思ったのは、自分でもどうしてだか分からないのだけれど。不謹慎すぎて、あまりにも、この、一発逆転のホームランに沸き立つグラウンドで思い描くには不釣り合いだったのだけれど。
 鳥になりたい、だった。
 もし、自分が死ぬならば。その時が来るならば。
 自分は鳥になって、あの白球のように、空の彼方へ、高く、遠く、飛んでいきたい。誰かに聞かせたら似合わない、と笑われてしまいそうな話だけれど。
 あの時は本当に、本気で、そう思ったのだ。

 野球が好きだ。
 きっかけは何であったのか、あまり覚えていないけれど、なんだっただろう。ぼんやりと、記憶に残っているのは商店街の福引き辺りだったと思う、それで一等が当たった。プロ野球の、どこのチームの対戦だったのかは忘れたけれど、その観戦チケットがペアで。
 父親は店があるし、行けないなぁという話をしていて、しょぼくれていたら、近所の野球好きの人がここぞとばかりに話を聞きつけ、俺が連れて行ってやるよ、という話になった。
 その人は父にも信頼されている人だったから、一晩だけど頼むよ、という事で幼い自分は彼の手に引かれ、目出度く野球場というものに出向く事になった。そこで見た光景が忘れられず、興奮さめやらぬまま、自分は家に帰って直ぐに野球をやりたい、と父親に直訴したのだった。
 父親は、一所懸命にやるのであれば構わないという人だったので、中途半端で投げ出さないという約束のもと、自分の野球生活は始まった。あの野球場に連れて行ってくれた人が近所でボーイズリーグの監督もやっていたから、そこに入れて貰って、本格始動。
 最初こそキャッチボールですらまともに出来なくて、幼い自分には大きすぎるグローブを持て余す日々。練習場の草むしり、球拾い、ボール磨き、なんでもやった。年長の練習風景を遠巻きに眺め、そのフォームを盗んで家に帰りこっそり練習もした。自宅の裏庭にあるブロック塀には、今もボールを当て続けた所為で黒ずんだ箇所がある。
 狙って同じ場所に投げ込む練習は日々欠かさず、素振りをするにも筋力が必要という事で、握力トレーニングに早朝の走り込みも始めた。
 寿司屋を継いで欲しいと考えていた――もしかしたら、そうじゃなかったのかもしれないけれど――父親は、殆ど何も言ってこなかった。しかし自分が壁にぶち当たった時なんかは、察するものがあったのだろう、食事の席などで珍しく多弁になりながら助け船やヒントをくれた。
 練習がある週末が待ち遠しく、少しずつでも上達していくのが楽しくてならなかった。毎日が野球に染まって、勉強など二の次。成績は目に見えて下降一直線だったけれど、両親は笑って、将来野球で食わせてくれればいいから、と見のがしてくれた。
 ピッチャーで四番打者。それが目標だった。
 毎年春と夏に繰り広げられる高校野球、いつかあの大舞台に自分も立ちたい。それにはどうすればいいのだろう、野球の強い学校に行くのが手っ取り早い。けれど、それ程強くないチームを自分の力で引っ張って甲子園に苦労しながらはい上がるのも悪くない。
 アニメや漫画で持て囃される話を真に受けて、期間中はそわそわとテレビの前に腰を落ち着けた。そして試合が終わる度に、我慢できなくて庭に飛び出してバットを振り回す繰り返し。
 一日も早く大きくなりたかった。大人になりたかった。
 小学校高学年にもなると、中学生に見劣りしない身長と体格を手に入れた。学校でもクラスで整列していると、自分が必ず一番後ろになる。担当教師よりも背が高くなってしまって、見下ろされるのは気にくわないわ、などと軽口をたたき合ったものだ。
 野球活動もいよいよ本格化した。レギュラーは当たり前、背番号一は約束されたようなもの。最後まで争った四番打者の席も、苦労の末獲得。順風満帆に自分の野球人生は進んでいるように思われた。
 リトルリーグ、地区大会は準決勝敗退。全国に行けないまま、小学生時代最後の大会は終わった。
 呆然とマウンドから見上げた空は、憎らしい程に真っ青だった。
 リトルシニアへの誘いは、全く無かったわけではない。自分としても、もっと野球の腕を磨くのならばそちらを選択するべきだろうとは、分かっていた。
 断った理由は、何だったのだろう。準決勝のマウンドで、今までの自分を全部ひっくり返されたような酷い試合を演出してしまった、その気持ちの余波がまだ残っていたからかもしれない。
 投げては打たれ、守っては暴投する。コールドゲーム成立直前に交代させられたマウンド。空っぽになってしまった、自分の心。
 野球は好きだ。けれどこの時は、この時程、野球を好きだと思える自分が分からなかった。
 どうして、野球を選んだのだろう。スポーツなら他にもいくらだってある。小学校の休憩時間、運動場でクラスメイトと駆け回るのは主にサッカーだった。真面目に技術を学んだわけではないけれど、学校のサッカー部に所属している連中よりも上手だったと自負している。そちらを選択する道だって、自分にはあったのに。
 試合終了、整列するように笛が鳴るけれど、ベンチから立ち上がれなくて。
 監督に背中を押され、最後までマスクを被ってミットを構えてくれていた奴に手を引かれ、ファーストから声をかけ続けてくれていた奴が汗くさいタオルを差し出してくれた。
 泣いていたのだと気付いたのは、その瞬間。
 涙の理由は、そりゃ、悔しかったからに他ならない。
「ごめん……オレの所為で…………勝て、なかっ……」
 勝利を手にしたチームは既に一列に並んで自分たちを待っている。早く行かなければならないと分かっているのに脚がもつれて上手く回らない。下ばかり見ていると、自分が零した涙が乾いた土のグラウンドに吸い込まれて行った。
「仕方ないさ。俺たちも、弱かったんだ」
 誰かが言って背中を押した。
 弱かった。そう、負けたのは先取点を奪われた動揺が尾を引いてしまったから。後ろを信頼せず、自分が、封じ込めてやると無駄に力んだのが裏目に出た所為。打たせて取る投球を忘れ、ただがむしゃらに、力任せに、ボールを投げて。
「ごめん……ごめん」
 他に言葉が出てこなくて、一礼後に相手チームからも声をかけられたけれど、何も返せなかったし、何と言われたのかも分からない。
 結局自分たちを負かしたチームは全国まで勝ち進み、それなりに良い成績を残したそうだ。
 脱力感が全身を苛み、何かをする気も起こらなかった日々。活を入れてくれたのは、矢張り父親だった。
 止めるか、続けるか。その選択肢は、最初から自分には無かった。
 続ける、その答えを拾い上げる気持ちに違いはない。だけれど、恐かったのもまた事実。
 マウンドに登る事が。チームの運命を自分ひとりの肩に背負う事の重さが、恐い。シニアへの誘いを断ったのは丁度、そんな中途半端にあやふやな決意しか抱けなかった頃だった。
「オレ、中学で続けるよ、野球」
 リトルでバッテリーを組んでいた相手に電話でそう短く告げた。彼とは、シニアに上がって、一緒の高校に行って、甲子園を目指そうと約束していたのに、反故にしてしまったのは本当に、済まなかったと後から考えても思う。
 彼の落胆は相当なものだっただろう。人づてに、負けたのは自分のリードが悪かったからだと責めている風にも聞いた。違う、そうじゃない、言ってやりたかったけれど、あの試合は自分たちの中でも暗黒部分となってしまっていて、話題に出すのさえ憚られる雰囲気に飲まれ、最後まで言えなかった。
 性格上、明るく振る舞うのに慣れてしまっていた所為で、深刻に悩んでいる素振りなど表に出す事さえ出来ず、ひとり悶々とする日々。やがて季節は流れ、チームを離脱して中学校にあがっても、消えない記憶は傷となって時々胸を甘く抉る。
 楽しかったのに、最後まで楽しめなかったのは何故だろう。
 思いを引きずったままの中学生活。リトルで慣らした技術は即座に役立ち、他をさしおいて一年でありながらレギュラー確定。周囲は「凄い」のひとことで人の努力を顧みない。
 家に帰ればがむしゃらに素振り、ランニング、投球練習。父親から、そのうち庭のブロック塀が崩れるんじゃないかと揶揄されるまで、投げ込んだボールはすり切れて、使い物にならなくなったのが複数個。バッドに巻いた布には血が滲み、黒く変色して端から千切れてしまっている。
 そうまでして、何を求めて望んでいるのか、自分でも分からないまま。
 ただ、白球を追いかけて必死になっていれば、いつか答えは出るんじゃないかと思っていた。そうする事でしか、自分を表現出来なかった。
 正直、マウンドに立つのはまだ恐い。けれど組まれた練習試合、予定された遠征。それらが迫るにつれて、あの試合が鮮やかに甦る。脚が震える、指が絡んで上手くボールが握れない。
 練習では出来る事が、本番では出来ない。自分のダメさが目立って、本領を発揮できない事への不満が募る。周囲の期待、視線、そんなものがちくちくと背中に突き刺さって心がささくれ立つ。
 どうすれば、どうしたら、この暗い場所から抜け出せるのだろう。誰にも相談出来ず、誰かに道を示して貰う事も出来ず、ただ、ひとり。
 今も自分は、あの孤独なマウンドで立ち尽くしている――
 そんな矢先。
 中学入学で割り当てられたクラス、複数の学区が重なり合っているだけあって、小学校が違う連中の顔が大半を占めていた。その中に、一際さえない奴が混じっていた。
 何をやっても失敗ばかり。自分も勉強が出来ないからあまり笑えないけれど、国語の時間では音読に詰まってばかり、数学では簡単な設問ひとつを解くのに二十分とか。運動もてんでダメで、チーム分けをする時なんかは毎回、ひとり取り残される。
 周囲から浮いて、親しい友人も特にいる様子がなく、時折学校を平気でサボる。朝にいたかと思えば昼には居なかったりするのもザラ。大きな会話には混じってくるものの、自分から話題を振るのは苦手な模様。失敗するのではないかといつも怯え、行動に大胆さが感じられない。
 地味なのに目立つのは、その失敗が毎回の事で、彼の周囲にはいつも騒動が絶えないから。下手をすればまだ入学して数ヶ月と経過していないのに、学内にその名前は広く知られてしまっているかもしれない。
 沢田綱吉。
 明るい茶色の髪の毛はボリュームがありすぎて、いつもぼさぼさ。常に誰かに遠慮して、取り繕うような笑みを浮かべている。ひとりの時は物思いに耽る時間が長いようで、生きるのにも憂鬱そうな横顔ばかり。
 対照的に自分は、社交的な性格が表に出すぎて、しかも野球部で早々にレギュラーを手にしてしまったものだからそれが大袈裟に伝わり、クラスの中心的存在にいつの間にか祭り上げられてしまっていた。
 それを悪いとは言わないし、悪い気もしないのだけれど、時折億劫に感じるのは、人の好意というのもが純粋に無碍で無遠慮だからだろう。押しつけがましい、とも言い換えられる。そして人当たりの良い笑顔を振りまいている自分に、吐き気がする。
 本当は、嫌いだったのだ。沢田綱吉。実力も、それに見合う技術も、何一つ持たないくせに、のらりくらりと生きているあいつが、本当は。
 だけど。
 ある日を境に、あいつは急に変わった。行動が大胆になり、それまで大人しかった奴がいきなりキレたかと思えば、数分後に元に戻る。本当、生まれ変わったんじゃないかと、そうとしか思えない急変ぶりに目を見張った。
 あいつの一部を見ていなかった、勝手に見える部分だけを見て評価を下し、決めつけていた自分の心の狭さに辟易する。
 そして思った。こいつなら、と。
 自分がダメな人間だと知りながらも、それを打破する力を持っているこいつならば、ひょっとすれば自分の悩みを分かってくれるのではないか、と。
 だから体育の時間、チーム分けであいつを誘った。他のメンバーは渋ったけれど、野球であれば自分の十八番、負ける気はしなかった。
 ……負けたわけだが。
 トンボ掛け、ひとり押しつけられたあいつの助っ人と偽って言葉を掛ける。同じクラスになって久しいのに、考えてみればオレは、こいつと直接言葉を交わすのは初めてだった。
「オレどうすりゃいい?」
 溜息混じりに添えた呟きに、彼は大袈裟に怯えた様子を見せる。ダメなのだろうか、やはり。オレの思い過ごし、買いかぶりすぎだったのだろうか。
 だから調子者の自分を装って、誤魔化す。
「最近のツナ、頼もしーから、ついな……」
 そんな事を言って、困らせる。我ながら最低だな、と。自分が勝手に期待して、それが思いこみだと分かると途端に八つ当たりだ。
「やっぱ……努力、しかないんじゃ……ないか、な……」
 浮いた視線で遠くを見た奴がそう返す。ありきたりで、面白味に欠けるコメント。そんな答えが欲しかったわけじゃないのに、絶望している自分がいる。
 可笑しくて笑えそうだった。
「だよな」
 努力。
 なんて簡単で、難しいことば。
 けれどもう、それ以上問いつめても他に奴から何の答えも導き出せないだろう。あいつが手に入れただろう力も、努力による賜だと言うのであれば、もっと早くから沢田綱吉はダメツナという殻をぶち破っていただろうに。
 嘘をつかれたのだという気持ちが、胸を埋め尽くす。ただ自分はそれを表面に出せるだけの度量もなくて、それしかないよな、と笑いながらあいつの肩を抱いた。
 他にどうしろというのだ。自分の空回りを誤魔化す方法が他にあるのだったら、是非教えて欲しい。
 結局自分はひとりのまま。隠れる場所を持たないマウンドで、照りつける日差しに晒されたまま、汗を拭って喉の渇きを憂いでいる。背中に翼があったなら、空へ逃げる事も出来ただろうに、自分にはそれがない。
 いつまでも動けないまま、あの場所に佇んで。
 努力。努力って、なんだ?
 腕が千切れるまで素振りを続ける事か?
 脚が砕けるまで走り込みを続ける事か?
 肘が壊れるまでボールを投げ込む事か?
 誰か、教えてくれ。オレはどうすればいい、何処へ行けばいい。何をすればいい、何も掴めていないこの手に、何を残せば良い。
 絶賛下降中の打率、伸びない球。迫る登板試合、膨らむ期待の目。無言の圧力、滲む汗。隠しようのない不振、隠し続ける緊張、大丈夫なんていう無責任な声。
 気が付けば周囲は闇。
「山本、いい加減切り上げろよ?」
「あと十球投げたら上がります」
 三年のキャプテンの声に、振り返らずに返事をして額の汗を拭う。使い慣れたグローブにボールを押し込み、握って抜き取ってはまた押し込んで、肩を慣らす。練習時間はとっくに終わっているのに、飽きもせず続けようとする自分に呆れて先輩方はさっさと引き上げていった。
 吐き出す息、熱が籠もる一投。
 違和感は、ずっと、あったのだ。予感は、あったのだ。
 緑色のネット、中央に九等分にされた的。正確に狙った位置に投げ込むのは難しい、けれど技術を磨いて狙った位置に限りなく近づける事は出来るはず。コーナーをついて、ストライクゾーンギリギリに投げ込む球は勝負を有利にしてくれる。だからどうしても習得しておきたい。
 努力、その言葉が頭を過ぎる。そう、これは努力だ。誰にも負けない自分の強みだ。そうなるはずだった。
「シッ!」
 気合いを入れてボールを投げ込む。けれど白球は狙いを大きく逸れた場所に当たって跳ね返った。
 暗いグラウンド、その片隅。自分以外にもう誰も残っていない。校舎の教員室から届く光も薄く、ナイター設備の無いこの場所でこれ以上の練習は、意味を成さない。しかし昼間の出来事がぐるぐると頭の中を巡って、冷静さを失わせていた。
 闇の所為で距離感が掴みにくい。気が付けば投球ネットに思いの外近付きすぎていた。跳ね返ったボールを拾い上げ、表面にこびりついた土を指で削り落とす。そしてそれを再度構え、勢いをつけて投げ放つ。
 だが、蓄積された疲れと麻痺した距離感、きちんと握れていなかったボールはすっぽ抜けて飛んでいく。
「あ……っ」
 その行方を追いかけて顔を上げたその先には、元から不安定に設置されていたのだろう。そこへ何度もボールを当てられ、更に不安定さが増していたところに、トドメの一発。投げ放ったボールが縁の、不安定な場所にぶつかった影響が、如実に目の前に現れる。
 ゆっくりと傾き、倒れ込むネット。自分の身長よりも遙かに大きく、金属フレームも使用しているので重さも相当あるネットが、自分の方へ傾いてくる。
 避けなければ、それが分かるのに身体が動かない。咄嗟に利き腕を、頭を庇うように持ち上げていた。しまった、と直後に思うと同時にズン、と地響きに似た衝撃に襲われた。
 めき、と何かが軋む音がする。
「う……あぁぁぁぁ!」
 一秒後、神経を通じて脳に到達する痛み。吠えるような悲鳴。押しのけるには重すぎるネット、右腕にめり込む金属柱。
 痛いというよりは、熱い。呼吸が苦しい、腕が、身体が押しつぶされる恐怖。何故、自分ばかりがこんな目に。
 悲鳴を聞きつけたであろう人の声がする。救急車と叫ぶ声が聞こえる。絶望が視界を覆い尽くす。
 不思議と、涙は出てこなかった。

 いつからだろう、空を見上げるのを忘れてしまったのは。
 野球を始めた頃は、白球を追いかけて空の果てまで行けると思っていた。それがいつしか、足下の土を踏み固めるのに躍起になっていて、上を見るのを忘れていた。
 空は、逃げ場所になっていた。空に逃げるのは格好悪いと、見上げるのをやめてしまっていた。
 庇われて見上げた空は、吸い込まれそうなまでの蒼。
 青。
 アオ。
 どこまでも遠く、高く、尊大で。
 手を伸ばせば、すぐ、そこに。
 オレは、何を期待していたのだろう。何を欲しがっていたのだろう。何を、失ったつもりでいたのだろう。
 何も変わっていない、求めるものと願うものと。
 見えていなかっただけではないか、見ようとしなかっただけではないか。あの空の青さを、忘れてしまう程に。
 野球はひとりじゃ出来ない、ひとりでするものじゃない。
 振り返り、そこに待つ仲間の顔を見ようとしなかった自分。
「あん時はマジびびったぜ~。ふたり揃ってもうダメだって、本気で思ったもんな」
 今でも時々、ツナとはあの日の事を話す。その度にツナは、必死だったからとかと言って照れくさそうに鼻の頭をくすぐる。
「だって、友達じゃないか。守りたいって思うの、当たり前だよ」
 そして必ず、そう言って笑うのだ。
 空よりも澄み渡る、綺麗な笑顔で。
「なら、次はオレがツナの事守るな」
「えー、なんだよそれ」
 腕を広げてツナの肩を抱く。華奢な身体が片腕ですっぽりと納まり、自分を抱えて宙を舞ったあの時の力強さがどこから出てくるものなのか、不思議に思える。
 けれど、それが彼の強さなのかもしれない。例え小さくひ弱であっても、何ものにも負けない、屈しない強靱な心があれば。
 腕の中で暫くは藻掻いていたツナも、こちらは放す気が無いと知ると途端に大人しくなる。やや恨めしげな視線を向けて唇を尖らせている。膨らんでいる頬を指で小突いてやると、ますます拗ねてそっぽを向かれた。
 声を立てて笑う。あの奇跡の出来事から、自分は畏れる事をやめた。
 マウンドに立つ時の孤独感は否めない。けれど、振り返り、前を向けば、確かにそこには一緒に戦う仲間がいるのだ。彼らと勝ちたい、勝ち残りたい。だから自分は戦える。
 見上げた空、その青さ。
 羽ばたく鳥が風を切り駆け抜けていく。
 空に抱かれ、果てしなく、どこまでも。

 お前となら、地の果てにだって行けると思うんだ。
 お前に救われた、オレの命、だからいつでもお前にくれてやる。
 お前の流す涙、オレの雨で全部洗い流してやるから。
 お前の空は、誰にも汚させやしない。