恣意

恣意 (Fa schifo)

 空は、雨が降り出しそうな様相を呈していた。
 だからかは分からないけれど、子供達は外で遊ばずに家の中、特に綱吉の部屋の中をどたばたと、部屋の主の迷惑顧みず走り回って遊んでいる。内容は、ランボがイーピンを追い回し、嫌がるイーピンが逃げるので更にランボが追いかける、という悪循環。
 こうも毎日鬼ごっこを狭い空間で続けて、よくぞ飽きが来ないものだと綱吉も呆れを通り越して感心さえ覚えてしまう。今日もまた、悪戯をしかけようとランボがイーピンの背中を追いかけて、すばしっこい彼女が逃げ惑う図式は変わらない。先ほどまではフウ太もいたのだけれど、あまりの騒々しさに辟易して離脱してしまった。今は多分、奈々の手伝いをしているのだろう。
「お前ら、ちょっとは静かにしてくれよ」
 別の、特に家光の部屋は長らく主人不在で物も少なく障害物もなく、広々としているのだから、そちらで遊べばいいものを、何を好き好んでこの子たちは綱吉の部屋に押しかけるのか。冷笑を浮かべ、綱吉は座っている椅子を引いて背後を振り返った。
 直後、思わぬ反撃を食らったランボが目に涙をためながら綱吉の胸に飛び込んできた。ひしっ、と身に着けているシャツにしがみついて、ずり落ちそうなのを懸命に短い足で踏ん張っている。踏まれている綱吉の膝は若干、痛い。
 部屋の中央に置いた座卓の向こう側では、勝ち誇ったイーピンが決めポーズのまま鼻息ひとつ。泣きべそをかいているランボのおでこは赤く腫れあがっていて、それだけで何が起きたのか大体想像がついた。
 女の子を追い回すのも最低だが、その女の子に反撃を食らって泣いているようでは男としてもっと最低のような気がする。せめて十年後にはその辺だけでも克服していてくれよ、と半べそのランボの頭をぐりぐりと撫でて宥めてやるうちに、風が出てきたようだ。窓を叩く音がする。
「雨、降るかな」
 その音につられて、何気ない気持ちのまま壁に目を向けた。喚起の為に鍵を外して半分ほど開けてあった窓も、雨が降り出したら閉めなければならない。そんな事をぼんやりと思い浮かべていたものだから、綱吉はその先に見た光景を咄嗟に、冷静かつ正確に把握することが出来なかった。
 ここは、二階だったような気がするけれど、自分の認識間違いだったのだろうか、などと非常に見当違いな内容が頭の中を過ぎる。
「不愉快だ」
「はいぃ?」
 それまで部屋にいなかった第三者の声に、音程の狂った素っ頓狂な声が頭の上から飛び出した。ランボも驚いて、――どちらかといえば間近で聞いた綱吉の声に驚いて顔をあげる。幼子は鼻水を垂らしていて、あと少し遅ければそれがシャツに擦りつけられていたのかと思うと、正直寒気がした。
 否、それよりも。
 この人は果たして、何をしているのだろう。
「不快だ」
 若干乱れた黒髪、肩に羽織った学生服、黒のスラックス。靴は脱いでください、と冷静な突っ込みが心の中で漏れた。それ以前に言うべきことがあるだろうに、残念ながら綱吉は完全に思考がストップしてしまって、状況把握が出来ないでいる。
 顔を真っ赤にしたイーピンがハッと息を吸い込み、転げるように部屋を出て行った。爆発するなら頼むから家の外でしてくれ、と小さく祈る。だが願い虚しく階段の方から振動と爆音を感じる。間に合わなかったのだろうか。規模が小さくて家が壊れなかっただけ、まだ救いがあると思いたい。
 いや、だから、そうではなく。
 ランボが窓辺の人に睨まれて硬直している。ヒク、と新たな涙を流しつつ、しゃっくりをひとつ。
「あのー……」
 この家にも一応、玄関というものが存在して、綱吉の部屋は確かに通りに面してはいるけれど、間違ってもその窓は出入り口の役割を果たすべきものではない。自分の知識は間違っているのだろうか、根本的に覆されるべきなのだろうか。
 冷や汗が滲み出た。
「ヒバリ、さん、そこで、なにを」
 一言一句、確かめるように舌に載せて音に転がす。外側から全開にされた窓に腰掛け、今まさに右膝を持ち上げて室内に入ろうとしている人への問いかけに、聞かれた本人は眉間に皺寄せ不機嫌そうに綱吉を睨んだ。そして返事もせぬまま、右足を内側へ下ろす。
 靴は……脱いでくれていた。
 続けて左足も、室内へ。彼の背後では遠くでゴロゴロと実に不穏な音が鳴り響いている。本格的な雨が降り出すまで、あともう少しという感じだ。
 まさか雨宿りをする為に来たわけではあるまい。さっきから機嫌が悪いと分かるオーラを漂わせている彼にすっかり怯え、がたがたと震えるランボを両腕で抱きしめる。しかしあろう事か雲雀は、綱吉の座る椅子の前まで来ると、すっかり腰が抜けて反抗する気力も萎えている五歳児の襟首を掴んだのだ。しかも猫を抓むように、そのまま持ち上げる。
「あ」
 綱吉が再度両手を伸ばしてランボを奪い返そうとするものの、それを易々とかわした彼は、息が詰まって上手く泣くことさえ封じられた幼子を、ぽい、とドアの外へ放り出した。無言のままに、開けたばかりのドアを閉める。
 ほぼ同じタイミングで、イーピンの爆発よりも小規模の、何か物が落下して床に落ちる音が響いた。その後には、痛そうな悲鳴と泣きじゃくる声。ドタドタと駆けて行く足音が遠ざかっていったから、奈々にでも泣きつきにいったのだろう。ともかく、この部屋に戻って来ようとするのはそれだけで危険度があがるから、悪くない判断である。
 とはいえ。
 綱吉は、ランボが元気そうだというのに一安心した後、未だドアの前でドアノブを掴んでいる背中を見やった。ここからだと後姿しか見えない。
「どうしたんですか、ヒバリさん。いきなり」
 来るなんて。
 ここ数日見かけなかった背中だ。
 並盛町では最近、夜間の引ったくりが急増していた。犯人はどうやらふたり組みらしく、バイクを使用しているので逃げ足も速い。だから余程でない限り夜間の一人歩きはやめておくように、という通達が数日前に出ていた。怪我人も出ており、奈々とも、怖いねと話をしていた。
 その解決に、雲雀が乗り出したという話も、聞いた。この数日も引ったくりの犯行は止まっていなかったから、梃子摺っているのだろうなとは思っていた。しかしだからと言って、いきなり窓から本人が入ってくるのは予想外。
「べつに」
 ふらり、とよろめきながら雲雀が振り返る。顔は相変わらず不機嫌に彩られ、慣れ親しんだ綱吉でさえ臆してしまいそうな迫力だ。ただ、心做し疲れているように見える。錯覚だろうか。
「別に……、って」
 まさか本当に、近くを通り掛ったら雨が降りそうだったので、雨宿りのつもりで乱入して来たのだろうか。雲雀の気まぐれを鑑みれば、その可能性も十分有り得る。綱吉は呆れ半分の面持ちで、ドア前からベッド側へと移動した男を眺めた。
 どさっ、と崩れ落ちるように腰を落とす。朝起きた時そのままでぐしゃぐしゃになっている布団の端が、衝撃で小さく跳ねた。若干俯き加減に、肩幅程度に開いた膝の上に腕を置いて、その様はゴングの合間に短い休息を取るボクサーのようでもある。
 矢張り疲れている風に見えて、綱吉までもが眉間に皺寄せて彼を見詰める。会話がないので、どうにも部屋の空気が重苦しくてたまらない。参ったな、とこの先どうしようか考えているうちに、ふと、雲雀の袖から覗く手首に青赤い痣が出来ているのに気付いた。
 手首だけではない、よくよく注視すれば彼の口元にも殴られた形跡がある。前髪に隠れ気味の額にも、だ。
「ヒバリさん、そのまま、動かないでくださいね」
 この人は、傷の手当てもせずにここに来たのだろうか。瞬時に理解した綱吉は、呆れた気分になって息を吐き、立ち上がった。視線だけを持ち上げて応じる雲雀を置いて、足早に部屋を出て行く。そして階下で探し物と、茶を入れたコップを盆に載せて戻ってきた。
 両手が塞がっている為行儀悪いと思いつつも足でドアを開けると、雲雀は変わらずベッドの上にいた。物音に反応したのか、ジッと綱吉が入ってくるのを凄む目つきで見ている。
 最初はドキリとしたものの、いい加減慣れてしまって次の瞬間には呼吸を整え、心臓も平常に。綱吉は持って上がってきたものをまず座卓に置き、それから取っ手の付いている白い箱の蓋を開けた。乳白色の小瓶と、袋に入った脱脂綿を引っ張り出す。
 雲雀の目の色が明らかに変わった。
「必要ない」
「ダメです。黴菌が入ったら困るでしょう」
 素っ気無く拒否を示す雲雀が逃れようと動くのを水際で阻止し、綱吉は強引に、雲雀の足元に膝をついて彼の腕を取った。手首のボタンを外し、袖を引っ張り上げる。
 どこで、誰と、大立ち回りを演じたのかは知らないが、表向き見えないように隠された場所は案の定傷だらけだった。
 引ったくり犯はふたり組みだった。けれどもしかしたらもっと大勢居て、ふたり一組で動いていただけなのかもしれない。だとしたら、多勢に無勢ではないか。それでも構わず突っ込んでいくのが、今目の前にいる、雲雀恭弥という男なのだけれど。
 綱吉は口元に薄く笑みを浮かべ、脱脂綿に消毒薬を浸すと素早い動きで赤く腫れている箇所を撫でた。傷に染みるのか、頭上では息を呑む気配がする。
「痛いですか? 痛かったら、言ってくださいね」
「……痛くないよ」
 丁寧に傷を消毒し、次いで反対の腕も。学生服を脱いで服の下も見せるように頼んだけれど、それは拒否されてしまった。ちゃんと動けているのだから、傷もそう大したものではないのだろうが、心配ではある。人の気も知らないで、と綱吉は新しいガーゼにたっぷり消毒薬を染みこませて、まだ手付かずだった雲雀の口元を覗き込んだ。
 そっと、人差し指に添えた綿で擦り切れてしまっている部分を撫でる。
 雲雀の顔が、目に見えて痛みを堪えているそれに変わった。ざまあみろ、と心の中で舌を出して、綱吉は空いている手で彼の前髪を梳きあげる。
 治りかけの傷と、真新しい傷。それから、治っているけれど痕が残ってしまっている傷。
 彼の、暴力に囲まれた日々を思い、憂う。
「あんまり、無茶しないでくださいね」
「してない」
「嘘」
 即座に否定されて、即座に否定し返していた。つい指に力が入ってしまって、傷を擦られた雲雀が少し大きめに息を呑む声が耳に届く。
「あ、……すみません」
 肘ごと身体を引いて謝ると、雲雀もまたばつが悪そうに視線を逸らし、壁を向いた。
 窓の外では鉛色をした雲が地表近くまで降りてきていた。いつ雨が来てもおかしくない空模様に、窓を閉めておこうと綱吉は腰を浮かせる。
 しかし、叶わなかった。
 立ち上がろうとした瞬間、雲雀の腕が綱吉のそれを掴む。強く、やや乱暴に。引き倒されるかと身構えたけれどそうはならず、ただ動きを止められただけ。綱吉の視線を受け、彼は慌てて手を離した。
「ヒバリさん?」
「……べつに」
 名前を呼ぶと、目線を合わせてもらえないまま、さっきから繰り返される素っ気無い台詞。どう考えても「べつに」と言える顔をしていない。顔が赤く見えるのは、殴られた部分が腫れているだけが理由ではないはずだ。
 違ったとしても、綱吉は勝手にそう思い込むことにする。
「窓閉めるだけですよ。降りそうだし」
 靴も中に入れておきますね、と断ると、今度は雲雀もとめなかった。綱吉は腕を伸ばし、屋根の上で行儀良く鎮座している雲雀のローファーを取ると、靴裏に付着していた土を軽く叩いて落とした。丁度そのタイミングでぽとり、と雨の雫が屋根に落ちてくる。
 それは見る間にバケツをひっくり返した勢いに変わり、遠くでは稲光も輝いた。顔に雨がかかり、急いで身を引いて窓を閉める。すぐに透明なガラスは雨で視界が塞がれ、一気に部屋の中も暗くなった。
 要らない紙を敷き、その上に雲雀の靴を並べる。窓ガラスを五月蝿く叩く雨音に、心音が重なって不思議な気分になる。
「雨、降り始める前でよかったですね」
 僅かに雨を受けた髪の毛を撫で、窓辺から離れる。ゆっくりと雲雀のいるベッドサイドへ戻ると、彼の視線が面白いように綱吉を追いかけてきた。間際で立ち止まると、漸く今になって正面から視線がぶつかり合う。
 笑みを浮かべたのは、自然だった。
「怪我、本当に平気ですか?」
 再びベッド脇に膝を付いて身を低くする。雲雀は見下ろしているより見上げている方が、どうしてだか安心できた。普段から身長差があるからだろうか。
 置きっ放しにしていた消毒薬の小瓶を箱に戻し、絆創膏を取り出す。本当はガーゼを宛てて包帯を巻いた方が良いのだろうが、行動を制限されるのを嫌がる雲雀は許してくれないだろう。だからせめてと、見るからに痛そうな口元の傷だけは覆ってしまいたかった。
 しかし包装を剥いで糊面を彼に向けたところで、ふいっと顔を逸らされる。追いかけて貼ろうとしたら、今度は反対向きにして避けられた。
「む~~~」
 嫌がらせなのか。それとも本当に嫌なのか。綱吉が唇を尖らせて頬を膨らませても、雲雀は瞳だけしか動かさず、それもすぐに逸らして横を向いたまま。それが尚更悔しくて、綱吉は半ばムキになって絆創膏を構え、前に突き出す。
 しかし逐一雲雀は避けてくれるので、上手くいかない。完全に遊ばれているのだが、雲雀自身もどこかムキになっている傾向が感じられた。
「もう!」
 最後は綱吉が痺れを切らし、地団太を踏んで短く叫んだ。雲雀が横目で彼を見る。その瞳には、折り畳んでいた足を縦に真っ直ぐにして伸び上がる綱吉の姿が影を伴い、映し出されたことだろう。
 結局怒ったところでやることは同じ。そう安直に考えていた雲雀は、先ほどまでと同じように首の角度を変えて綱吉の手から逃れようと動いた。しかし、彼の手はいつまで待っても伸びてこない。代わりに、大きめの影が雲雀の視界を覆い隠す。
 突き出した側の頬に触れた、柔らかく暖かい感触に、目を見張って。
「つなよ……っ」
 反射的に名前を口ずさみ、真正面から見据えようとした矢先に伸ばされる手。瞬間技というべきか、見事なまでに鮮やかな早業。
「隙あり」
 にこやかに笑った綱吉の、勝ち誇った声が部屋に響く。唇の左下、赤くなった箇所を半分ほど覆い隠す絆創膏を指で小突かれ、呆然と、雲雀はしてやったり顔の恋人を見詰めた。
 僅かな痛みは、傷のものか。それとも。
「不快だ」
 ぽつり、吐き捨てる。
「え?」
 目を丸くした綱吉の両脇を、彼の両腕が包み込んだ。背中に回された手が互い違いに指を絡ませ、易々と逃れられないように縄の役目を果たす。明らかに動揺している綱吉を無視し、彼は強引に、腕の力だけで膝を床についている相手を引き上げた。
 綱吉の膝頭がベッドの角に当たって、彼の口から小さな呻きが漏れる。痛みを堪えて片目を閉じている間に、小さくて軽い綱吉の身体は雲雀の腕に拘束されたまま、ベッドに投げ出されてしまった。雲雀もまた、彼の重みを受けて背中からベッドのクッションに身を沈める。
 即座に横向きに。綱吉の眼前には、僅かに鉄錆の臭いがする雲雀のシャツと、襟元から僅かに覗く鎖骨と、均整取れた肉体が。瞬間的に頭に血が上って耳の先まで赤くなり、逃れようともがくけれど、綱吉を留めようとする力は相変わらず身勝手に強引で、許しは与えられそうもない。
「ヒバリさん……っ」
「不快、だ……」
 黙れ、ということらしい。不条理だと奥歯を噛んで、綱吉は仕方なく行き場のない手を彼の背に回した。どうとでもなれ、と自分もまた彼を抱きしめる。雲雀の指が解かれ、片腕が綱吉の頭を抱いた。上向いている右耳を撫でる指は、傷だらけの所為でガサガサしているけれど、心地よい。
 目を閉じた。雲雀の心音が近すぎて、落ち着かない。
「ヒバリさん?」
 すう、と息を吸って吐く音。妙に大人しいと思い、雲雀の手を邪魔せぬように少しだけ動いて視線を上向ける。彼もまた目を閉じていた。赤みが増している唇の隙間から、乱れのない呼気が漏れている。気がつかなかったが、彼の目には薄らと隈があった。
 怪我、睡眠不足。
 雨は、言い訳。
 不愉快なのは、照れ隠し。
 実に、貴方らしい。
 綱吉は微笑んだ。そしてあまりじろじろと見ているのも失礼だろうからと、顎を引いてもとの姿勢に戻ると、彼の胸に額を埋める。本当は自分が彼を抱きしめてあげたいのだけれど、眠った彼の手を解いて、起こす原因になったら可哀想だから諦める。
 代わりに、腰に回した手できつく彼のシャツを握った。
「おやすみなさい」
 お疲れ様。どうぞ、良い夢を。

 気がつけば雨はあがっていて、嘘のように晴れていた。
 気配自体が希薄な雲雀が居た形跡はベッドの上には残っていなくて、ひとり転がっている状態で眼を覚ました綱吉は、最初こそ全て自分の夢だったのではないかと勘繰った。
 しかし振り返り、部屋の中央に置かれた卓袱台の上に、半端に片付けられた救急キット、それに空っぽになっているグラスを見つけ、夢ではなかったのだと知る。そしてなにやら顔に違和感を覚え、指で口元を探ると、何かが貼り付けられているようで凹凸があった。
 唇の左下、なんだろうと怪訝に思いつつ鏡を覗き込む。貼られていたのは、絆創膏。ご丁寧に、グラスの横には、新しいものを開けたと分かるように絆創膏の包装が捨てずに残されていた。
「……もう」
 ゴミを抓んで屑篭に捨て、傷もないのに同じ場所に貼られてしまった絆創膏を撫でる。それから、中身が綺麗になくなって、窓から差し込む夕焼けでキラキラ輝いているグラスを目の高さまで持ち上げた。
 彼が触れたであろう場所に、唇を寄せて目を閉ざす。
「次は、怪我をしてない時に、玄関から来てください」
 ああ。でも、やっぱり。
 あの靴を置くのに使った紙は、捨てずに残しておこう、と思う。