双璧(Mordere uccidere)
並盛町は、日本と言う国の、どこにでもあるような住宅地を中心に構成されていて、少し離れれば大型ショッピングセンターが並ぶ繁華街や、緑茂る山があったりもするけれど、やはり目立つようなものが何も無い、小さな町だ。
海はそれほど遠くない。近くも無いが。
山は、先にも言ったように少しきつい坂道を登れば案外近い。バブル絶頂期に開発され、泡が弾けた後は野晒しになってしまった、一部の表面が削られて赤茶色の地肌を晒し、濃い緑とのアンバランスさがおかしいばかりの外観の山、だけれど。
それでも小学校の低学年くらいだった頃は、危ないからあまり近づくなと大人に注意されていても、逆に好奇心旺盛な年頃だったのも手伝って、そういう場所に冒険や探検と偽って潜り込んだりもした。下草が茂る獣道を掻き分け、尖った枝で腕や脚に傷を幾つも作りながらも、上を目指してひたすらに進み続ける。やがて頂上だ、冒険の終着点だと思って辿り着いた先が、実は整備された展望台だったりすると、そりゃあもう、ガッカリしたものだ。
そうやって休みの日を過ごした時はいつの間にか遠ざかり、過去の記憶としてセピア色に染まりだした今、こうやって日々岩肌が目立つ山の中腹に居つき、修行として汗を流しているというのはどうも、妙な気分だ。幼い頃の自分では考えがつかず、また数ヶ月前の自分からも想像してみなかったこと。今となっては、こういう人の寄り付かない広い場所があるというのは、逆にありがたくもあるけれど。
自分は、自分が生まれ育ったこの街が好きだし、ここに暮らす多くの人が好きだ。袖振り合うのも多少の縁と言うけれど、それくらいでしか係わり合いの無い人だって、毎日を楽しく、平凡に暮らしたいと思っている。自分もその一人なのだけれど、そして恐らくは平々凡々とした時間を誰よりも切望しているのだけれど、案外人生とはそう上手くいくものではない。何より今こうして、固い岩盤相手に格闘させられたり、人知を超えたとしか思えない能力を相手に苦戦を強いられたりしているのがいい証拠だ。
けれど、大袈裟になってしまうけれど、自分は、この町に住む人々の平穏を守りたい。それは広義で捉えれば、即ち自分自身の生活と平穏を守ることに繋がっていく。朝目が覚めて、食事をして学校に通い、友人と語らい、勉強に励み、時に落ち込みつつ夕日を見送り家路に着く。テーブルを囲んで一家団欒の夕食をとり、風呂で一日の垢を落とし、暖かな布団に包まれて眠りに就く。そんな、何てこと無い毎日をこの先も繰り返す為に。
強さを。
あとどれくらい、そんな風に絵に描いたような毎日を過ごせるのか、分からないけれど。でも、守りたいのだ。皆の、皆と過ごした時間を。
自分達にはもう後が無くて、切羽詰っている状況に違いは無い。状況は果てしなく相手側が有利だ。とはいえ、本来ただの中学生、もしくは子供だった自分達が、生業として人殺しやそういった技術を身につけている連中を相手にしているのだから、その中で誰一人、傷を負うものは居ても死者が出ていないのは、むしろ幸運であり善戦している方。そうやって自分を慰めながら、果たして勝算はあるのかと聞かれれば首を捻らずにいられない。ただ、何もしないよりはこうやって、勝ち目ないと知りつつも無駄な足掻きと笑われようと、少しでも前に出る力を手に入れたい。
強く、なりたい。
誰かを守れる力を。誰かを支えられる力を。
――違う。誰か、じゃない。
みんなを、だ。
皮がめくれ、血まみれになり、豆も潰れてすっかり硬くなった指先。決して綺麗とはいえない、なんとも無骨な手だろうか。けれどこれはいずれ自分の誇りとなるだろう。硬く握り締め、胸に押し当てる。
「沢田殿、準備は宜しいですか?」
「うん。お願い」
薄茶色の髪を揺らし、バジルが休憩から戻ってくる。綱吉もまた、胸に当てていた腕を下ろして彼を振り返った。
眼下に広がっていた町並みから、土色の空間へと世界が切り替わる。あちこち陥没し、また隆起し、初めて訪れた時に比べ随分と地形が変わってしまった場所で、中断していた修行が再開される。離れた場所に転がる岩の上に腰掛けたリボーンが、空から降り注がれる日差しを気にして帽子の鍔を下ろした。
「良いか?」
真っ直ぐに人を射抜く綱吉の視線を受け、リボーンは左肩に通したホルスターから愛用の拳銃を抜き取った。小さな手に大きすぎるそれを構え、足元で待ち受ける綱吉に標準を定める。
避けはしない。避ける必要がないと知っているから。
癖にならなけりゃいいけどな、そんな事を頭の片隅に考えつつ、リボーンは引き金を引く。ジッと、相手を居竦ませる眼力を秘め、綱吉は無言のうちにそれを受け止めた。奥歯を噛み締め、衝撃に耐えて胸の奥から沸き起こる熱に意識を委ねる。
「俺以外の奴に向けられた時は、ちゃんと逃げろよ」
薄い硝煙を立ち上らせる銃口を顔に寄せ、息吹きかけたリボーンが皮肉に口元を歪めて笑う。その向こう側では、よろめきつつも崩れなかった綱吉が数回肩を上下させて腕を回した。若干俯き加減だったところを、再度顔をあげ、リボーンを、そしてバジルに視線を向けた。
バジルもまた、乳白色の小瓶を傾けて丸薬を取り出し、口に含ませる。一息で飲み込み、矢張り内から湧き上がる熱に全身を総毛立てた。
「いきます」
右足を後方にずらして膝を落とし、身構える。綱吉も同じように構えを取った。
力が欲しい、と思った。自分を、友を、仲間を、大切だと感じる全てを、守り抜ける力が欲しかった。
この街が好きだ。この街に暮らす全ての人が好きだ。自分を育ててくれた街が好きだ。だから守りたい、守り抜くことで、自分を育ててくれた人たちに恩返しをしたい。
それは義務、責務。自分を追い詰め、極限へと至らせる、背後から忍び寄る闇に等しい。油断すればぱっくりと開いたその口に飲まれ、自分を見失い、目的を失い、ただ呆然と立ち尽くす。己の無力さを嘆きながら、自分の限界に絶望して涙を流すだけの、愚か者に成り果てる。
怖いのは、失うこと。
だから綱吉は考えまいと必死に目の前の壁に自分自身をぶつける。額が割れて血が流れようと、拳が砕け散ろうとも、彼はきっと抗うことをやめない。
立ち止まることで自分が弱くなるような気がしていた。振り返ることで、自分が惨めになる気がしていた。ただひたすらに自分を追い込み、仲間のためと偽って、弱い自分から目を逸らして逃げている。立ち止まるのも、自分を慰め、心を休めるのも、強くなるために必要な手段のひとつだというのに、それすら忘れて。
「ふむ」
帽子の鍔を移動するレオンに道を譲ってやり、リボーンはホルスターに戻した拳銃を手探りで触れつつ小さく唸った。やがて彼の手は脇腹を抜け、上着のポケットに押し込まれた小さな端末へ。
「これからが正念場ってんだ、今潰れられても困るしな」
ひとりごち、メモリに登録された番号を押す。視線は乱撃を繰り出す綱吉と、それを受け流すバジルへと。耳に押し当てた端末から呼び出し音が静かに流れ、数コール目に出た不機嫌そうな声に向かいリボーンは含みを持った口調で、もったいぶった台詞を告げ、一方的に電話を切った。
賽は投げられた。あとの判断は各自に任せる。要は好きにしろ、と。
不思議そうにしているレオンを他所に、リボーンは携帯電話をしまうと帽子を深く被り直して平らな岩に寝転がった。彼の頬を、頭上高く流れる雲の影が通り過ぎていく。間もなく、大きな鼻ちょうちんが膨らんで、そして弾けた。
この街が好きだ。
この街に暮らす全ての人が好きだ。
だから守る。守り抜く。何人であろうと、その鉄則を覆すことは許さない。例え相手が、神であろうと悪魔であろうと、許しはしない。
間もなく日が暮れる。結局今日も一日学校をサボってしまった。
汗と埃にまみれてしまっているし、小腹も空いている。今日の夜は山本のバトルが予定されているし、その前に一度家に帰って食事を取り、服も着替えて後シャワーも浴びたいところ。妙に落ち着いている自分を感じるのは、今回の出番が山本だから、だろう。
彼ならば、或いは。
いや、違う。もう後が無い今、彼を信じるしかないのだ。そして彼が敗れれば、自分が求めて止まない力を手にしたところで、全て無駄になってしまう可能性も秘めている。
そんな事にはならない、なるものか。考えれば考えるほど焦燥感が募って落ち着かなくなる。だから無理やりに自分を信じ込ませる、山本ならば大丈夫だ、と。
無意識のうちにその葛藤が表面に出ていたのだろうか。いつの間にか並んで歩いていたはずのバジルが後方に遠くなっていた。リボーンと歩調を合わせていた彼は、険しい表情を崩さない綱吉に遠慮してか距離を置き、長く伸びた彼の影を踏む格好で同じ道を進んでいた。
立ち止まり、振り返る。ごめん、と謝るとあちらも察してくれたのか、黙ったまま首を横に振られてしまう。今は大事な時なのだから、というバジルの心遣いが嬉しくて、綱吉は漸く強張ったままだった頬の筋肉を緩めた。
「なんだ。余裕そうじゃない」
一緒に張り詰めていた神経も緩んでしまったのだろう。不意に真横から響いた声に、即座に反応できず綱吉はそのまま硬直してしまった。ぴしっ、と何かにヒビが入る音も一緒に響く。
何故だ。何故この人が此処に居る。怖くて横を向けない綱吉は、冷や汗がだらだら流れ落ちる自分に更に冷や汗をかきつつ、ぐるぐる回る思考に目が回りそうだった。聞き覚えがあり、更に昨夜久方ぶりに聞いて顔も合わせた相手である。傍に行くにも緊張して、言葉を交わすのにも常に気を配らなければならない相手。
雲雀恭弥。
「あれは確か、雲のリングの……」
「俺が呼んだ」
「え?」
綱吉の後方から闖入者を目撃したバジルの呟きに、リボーンがあっさりと肯定を示す。聞こえていた綱吉は、肩を震わせながら余計なことを、と赤ん坊を恨まずにいられない。しかし飄々とした風情のリボーンは綱吉の動揺など全く気にする様子無く、帽子に手を置いてほくそ笑んだ。
横でバジルが不思議そうに首を捻る。
「先に戻るぞ、バジル」
「良いんですか?」
「ああ」
動けないで居る綱吉の背中をもう一度見たバジル。彼のズボンの裾を抓んで引っ張るリボーン。ふたりの影が綱吉の影を大きく迂回して遠ざかる。それでもまだ心配そうにして時折振り返るバジルに、引きつった笑みを浮かべて返すのが精一杯の綱吉は、彼らが大分遠ざかってからやっと、両肩の力を抜いて息を吐いた。
雲雀もまた、夕日に溶けるようにふたりの背中が去るのを待って腕組みを解いた。肩に羽織った学生服の袖が揺れている。
「それで……なんでヒバリさんが、ここに?」
「さあ」
「さあ、って」
呼ばれたのでしょう、と目で問い返す。高い位置にある彼の瞳は、暫くぶりに見る闇の色。
その常に揺るがず、透き通る程に深い色を見ていると、自分もまた凪いだ清流に身を委ねて沈んでいく気分になる。落ち着く、と言い換えるべきか。彼の鋭い剣先ほどの視線は、直視に耐え難い場合も多いけれど、穏やかな風に包まれてこんな風に佇んでいる彼を見るのは、とても好きだった。
綱吉の視線を受け、雲雀が少し身体を揺らした。そして解いたばかりの右腕を持ち上げ、指を伸ばす。綱吉が構えるより先に、彼の、僅かに傷が残る指先が茶色の髪の毛をすくい上げた。
「っ」
瞬間、触れられた赤みを帯びた皮膚にチリッとした痛みが走る。声には出さなかったが表情には出てしまって、雲雀は眉間の皺を深くさせた。反対の手が、脇に垂れ下がるだけだった綱吉の右手を取る。手首を捕まれて胸の高さまで持ち上げられて、掌同士を重ね合って、その指が綱吉の甲を覆う。
目の前の男が、小さな溜息を吐いた。
「痩せた?」
たった数日、だ。離れていたのは。
雲雀にはディーノがついている。彼らは強い、だからもっと強くなって戻ってくる。確信に近い思いは、昨晩のディーノの言葉で裏打ちされた。雲雀は強い、誰よりも。綱吉が知るひとの中で、一番に。
単刀直入で至極明朗な雲雀の問いかけに、綱吉は視線を落とした。勝手に目が雲雀と、彼の手に抱かれている自分の手に落ちる。言われてみれば確かに、最近は食事を摂ってゆっくり休む、という生活の基本スタイルを守れていなかった。栄養補給はしているけれど、それは食事ではない。食事とは、リラックスして味を楽しむ事を言うのだから。
胸がドキリとして、綱吉は返す言葉を見失う。雲雀の親指は綱吉の手の上を彷徨い、同年代の男子のそれよりも一回り小さい、それでいて人一倍傷だらけの肌を慈しんでいた。
「ヒバリさんだって……ちゃんと、食べてました?」
「君に心配されるような事は、ひとつも無いよ」
これまた、あっさりと否定されてしまった。ちらりと盗み見た彼の顔はまだ不機嫌で、そして彼の右手はまだ綱吉の頭の上だ。髪の毛を撫で、絡み合っている毛先を解きほぐし、優しく、何度も撫でてくれる。
些細な仕草なのだと思う。だけれど、それだけでとても気持ちが静まっていく。
「ヒバリさん、あの」
「赤ん坊が、電話で」
もう大丈夫だから、そう言おうとしたのに、先手を打って雲雀の声が綱吉を遮った。彼の手は休まらない。優しく、飽きもせずに、優しく、綱吉の頭を抱く。
「君が、崩れそうだから、って」
「俺が?」
リボーンが、そう言ったのだろうか。雲雀に。修行の旅で疲れているだろう彼を呼び出す為に、そんな嘘を。
嘘?
本当に?
「俺は平気ですよ?」
言い返す顔は、取り繕った風の笑顔。わざとらしく、そしてとても自然に。
仮面のような、貼り付いた笑顔。
雲雀が無言で綱吉を見つめる。否、睨む。細められた、元から細い瞳が綱吉の目を、心を、射抜いて深い部分をあっさりと抉って隠してあるものを掘り返す。目を逸らす事も出来ず、綱吉は頬を硬直させた。じわりと目尻が熱くなるのは、彼の本意ではないのに。
本音ではずっと、泣きたかった。
ランボが負けた。
獄寺も負けた。
大空のリングは既に手元にない。
後は無い。大切なものを守る為の余裕が、自分ひとり分のスペースしか残されていない。こういうのって、中国の故事でなんて言うんだっけ? ああ、背水の陣……で、正しい?
山本が負けると終わり。全部、終わり。彼ならば大丈夫と信じているけれど、不安も残る。山本が大丈夫でも、その後は? 霧のリングの持ち主はまだ現れない。それに。
目の前にいる男が、万が一負けたりでもしたら?
「不愉快だ」
縋る目を向けたら、考えが読まれたのか雲雀がひとこと、今までで一番恐い顔をして吐き捨てた。頭に置かれていた彼の右手が耳元を、頬を、そして喉元を滑り落ちていく。捕まれたシャツの胸倉、強引に引き上げられて息が詰まった。
目尻から、堪えていた涙が一粒こぼれていく。
「だって……俺、はっ」
皆を守りたい。この場所を、自分が生きる、生きてきた町を、守りたい。
けれどそれはあまりにも大きすぎて、自分の気持ちひとつでは到底足りなくて、庇いきれない。
「綱吉」
名前を、間近で。
目を開ければ、そこには漆黒。
「俺は……みんなを、守りたい。だから強くなりたい。ここで崩れるわけに行かないんです。この町も、全部、守りたい」
喉が吐き出す言葉で擦れて痛い。あふれ出す気持ちは、止め処が無い。全てを見透かす闇の前では、強がりさえ役に立たない。気丈に振る舞ったところで、雲雀には通じない。彼は、綱吉よりも強いから。
綱吉が知る中で、最も強いから。
雲雀が吐く息が頬を掠める。呆れた風の、冷たい息に心が一瞬だけ凍った。
「君に守られるようじゃ、僕もお終いだね」
さらりと、綱吉の庇護は要らないとはね除け、彼は皮肉に口元を歪めて嗤った。綱吉の涙が止まる。瞬きさえ忘れた瞳が、大きく震えていた。
守りたいものに、拒絶された。要らないと、そう笑う雲雀。彼の手が綱吉を解放する。浮いていた踵を着地させ、綱吉はそのまま地面に座り込んでしまいたい気持ちにさせられた。事実、心は沈んでいく。雲雀の声はその頭上に降り注がれる。
「この町を守るのは僕の役目だよ。例え神であろうと、悪魔であろうと、この町を汚す輩は、僕が認めない」
神も仏も信じず、魔王にだって喧嘩を売りそうな男が、あっさりとそう断言した。一瞬虚を突かれ、間の抜けた顔になった綱吉が雲雀を見返す。
不遜に、根拠の無い――いや、根拠ある自信に溢れた男の顔に、無意識に笑みが浮かんだ。
なんだ、馬鹿らしい。
結局、独り相撲ではないか、自分の。それをあっさりと看破されて、引くに引けない涙をまた零す。綱吉は乾いた笑いを口元に、左手の人差し指で目尻を擦った。
重なり合った右手の、雲雀の左手が、暖かい。
「じゃあ、聞きますけど」
「なに」
「ヒバリさんが守るものの中に、俺は、入ってますか?」
少し、意地悪だろうか。
長旅、修行、疲れているのはお互い様。それをおくびにも出さずに平然を装って、本人からではない電話一本で駆けつけてくる相手に対して、多少失礼かと思いつつも、綱吉は敢えて問う。
雲雀が返事をするまで、少しだけ間があった。
「それ以上言うと、咬み殺すよ?」
誤魔化された。
綱吉は笑う、声を立てて。随分と、久しぶりに。
雲雀も笑う。穏やかに、少し困った風に表情を崩して、首を傾けて綱吉を見下ろす。
揺らいでいた足下が、固まった気がした。肩に重かった気持ちに、風船が幾つかつけられた感じだ。
「ひとりより、ふたりの方が良いですよね、やっぱり」
そんな事を言って、雲雀の顔をまた不機嫌に彩らせて、それを声に出して笑って、一緒に、蓄積されていた不安を吐き出す。黒い息は夕焼けの空に流され、昨日の夜に吸い込まれていった。
重なり合った手の温もりが、綱吉の心のヒビを埋めていく。緩やかに、柔らかく、静かに、岩に染みこむ水のように。
「兎も角。僕は僕で守りたいものを勝手に守らせて貰う」
君が背負う必要はない、そう言外に告げて。
離れて行きそうだった手を、綱吉は握りしめる。雲雀の目が僅かに開き、それから仕方ないな、という溜息が聞こえた。
「それで、満足?」
繋がったままの手を上下に揺すり、問いかける雲雀の声に黙って頷く。
「泣き虫」
「夕日が、眩しかっただけですっ」
言い返したら、傷を避けて額を小突かれた。
守る。守り抜く。例えこの身がふたつに裂けようとも。
守る。守り通す。例えこの心が千々に砕けようとも。
この手の温もりを、この夕日の暖かさを。
決して、決して。
失わせたりしない。
だから君もどうか。どうか。