a word

 もし、今はいない誰かにひとことだけ、ことばを伝えられるとしたら。
 貴方は誰に、なんと伝えますか?

 陳腐な番組だった。
 よくあるバラエティーのひとつで、他に良い企画が無かったのかと言いたくなるような内容だった。
 こんな番組のゲストに、ただ長い時間を生きているから出会い、別れた人も大勢いるだろうという理由だけで呼ばれて、数時間拘束されて。
 正直退屈でならなかったし、他のゲストも顔どころか名前すら聞いたことのない、お色気というか、そういう分類で売り出し中の若い女性達。冷めた笑いだけならいくらでもしてやれそうなお笑い芸人に、お決まりの言葉しか語らない語彙の少ない司会者。
 何故こんな仕事を請けたのかと、終始リーダーに小一時間問い詰めてやりたい気分のまま収録は終わった。こちらのコメントは適当に、当たり障り無く、嘘ではないが若干記憶を補正した内容を語って手短に終わらせた。他のふたりも、いずれも似たような答えだった。
 仕事を請けたリーダーが途中からかなり投げやりになっていたのだが、表向きの愛想の良さで他のゲストも司会者もスタッフも、誰一人として彼の不機嫌さには気づかなかった。後で確認したのだが、内容を聞いたときにはもっとマシな企画だったらしい。
 どこで何がおかしくなったのか、恐らくは当初の企画への予算が著しくオーバーしてしまったからだろう。もしかしたら自分たちへのゲスト料だけで予算の半分が埋まってしまったのかもしれない。ならば呼ばなければ良いのにと思うのだが、自分たちが出ること自体が番組のメインでもあったらしく、そうも行かなかったというところか。
 普段音楽番組以外のメディアへの露出が少ない自分たちの珍しさも手伝ったのだろう、内容の割に視聴率はそこそこ稼げたらしい。後日番組企画者からお礼の電話があったらしいが、アッシュが受けていたので何といわれたのか分からない。ただ電話を切った後の彼は妙に疲れた顔をしていた。
 もういない、誰か。
 それはつまり、もう死に別れた存在ということだ。
 番組では著名な人物へのインタビューや、視聴者から前もって応募した内容に加え、インターネットで直接、リアルタイムでも募集をかけてそれなりの反応があったようだ。朗々とした声で読み上げられる視聴者からのコメントに涙を流すゲストも多々いたのだが、正直他人の生き死になど自分には興味がない。
 生まれたら死ぬ、死ぬから生まれる。それは万物に共通するルールだ。
 自分たちも、例外ではない。やがて、いつかは分からないが、この身体は朽ち果てる。
 ひとことだけ、伝えたい言葉など。
 スマイルは深々と凭れかかったソファに身を沈め、天井を見上げながらやがて目を閉じた。
 ユーリやアッシュ、それ以外でも親しくしている友と呼んで良い存在は大勢いるし、彼らへ伝えたい言葉や、言いたいことは沢山ある。だが彼らはいずれもまだ生きているが故に今回の対象者とはなりえない。
 目を閉じたままスマイルは過去を反芻し、記憶に残る限りの死に別れた友人.知人を思い出す。
 だけれどこれと言って特徴ある友人が思い浮かばなかった。収録の時もそうだったが、スタッフが期待するような劇的な出会いや別れがあったわけではない。いや、もしかしたらあったかもしれないが、最早それらは思い出せない過去の遺物で、言うなれば記憶の彼方の存在でしかない。
 期待するだけ無駄なのだ。たとえ過ごした年月が大きかろうと、常に思い出せる記憶の引き出しは限られていて、それはどんどん上書きされていく。長く生きている分出会いは確かに多いが、それだけ覚えておくのを放棄した出会いも多いということだ。
「ふぅむ」
 無駄な時間を過ごしたと思う。こうやって過去に思いを馳せている時間も、考えればとても無意味だ。
 記憶が色あせるように、伝えたかった言葉は当時なら確かにあったろうが、それらもすっかり色が抜け切って輪郭もあやふやとなり、掴もうとしたら直前で粉々に砕け散る。
 それに、時々不安になるのだ。
 果たして自分が覚えていると思っている記憶は、本当に自分が過去経験した時間なのか。過去に出会ったと思われる人々は、本当に存在していたのか。
 なまじ身体が透明な上、いつどこで自分がこのような身体となって生まれ出たのか、それさえも不鮮明。透明な身体しか持たない自分と偏見無く親しくしてくれる存在など、思い起こせばそう多くはいなかった。
 ソファから身体を起こし、指折り数えてみる。だが指が四本折れ曲がったところで限界に来てしまった。
 もっといたような気はする、だが思い出せない。
 考えてみれば昔の自分は快楽主義者で、その場限りの楽しみを謳歌していた。出会いと別れは数限りないが、そのどれもが一瞬の時間の共有だけで済まされてばかりだった。安住の地を持たずに各地を放浪していたことからも、それは窺い知れるだろう。
 こんなに長い間、一箇所に留まった記憶は、覚えている限り無い。生まれて来た中で今が一番にぎやかで、充実しているといえるかもしれない。
 そこまで思考を巡らせ、スマイルはふと、あることに気づいた。
 同時に閉まっていたリビングのドアが開く。立て付けの悪いドアを軋ませて入って来たのは、銀髪も鮮やかな端正な顔立ちの青年。しかし見た目に騙されると痛い目を見る、スマイル同様に数百年の年月を生きて、これからも生きるだろう吸血鬼。
「や、ユーリ」
 ソファの上から身体を捻って振り返り、呼びかける。少し眠そうな顔をしている彼は、その通り今の今まで眠っていたのだろう。時刻は昼下がりも良い頃だが、彼は元々夜行タイプだ。余程の事でもなければ、昼間の彼は常にどこか眠そうな顔をしている。
 まだ思考が覚醒しきっていないのか、ぼんやりとした表情でユーリはスマイルを見た。呼ばれて初めて、正面のリビングセットに居座るのがスマイルだと気づいたくらいの顔だ。
 化粧もしていない、とても人前に出せない無防備な顔。こちらまで気が抜けてしまいそうで、知らずスマイルは苦笑していた。
「オハヨウ」
「……お早う」
 そんな時間ではとっくにないのだけれど、その日会う人へ最初に送る挨拶を口にする。やや間をおいてからユーリものそのそと返してきて、それからゆっくり室内を見回した。まるでそこが、リビングであるのを再確認しているようだ。
「ご飯なら、冷蔵庫に入ってると思うよ」
 今日のユーリの朝食は卵サンドとカフェオレ。但しそれはスマイルにとっては、昼食のメニューなのだが。
「ああ……」 
 きちんと理解出来ているのか甚だ疑問な口調でユーリは頷き、またのろのろとキッチンへ向かって歩いて行く。途中で転ばないか心配になる足取りだったが、本能の部分はちゃんと目覚めているのかまっすぐに台所へと進んでいった。
 食べているうちに理性のほうもしっかりと目覚めてくれるだろう。そうである事を期待する。
 再びひとりになり、またしても身を深くソファへと沈めて物思いに耽る。過去の自分ならば考えられないくらい、今の自分がリラックスしているのがスマイルには分かる。安心しているのだ、今の自分とそれを取り巻く環境に。
 昔ならば考えられないほどに。
 陳腐な台詞だが、生きていて良かったと思える。薄く目を閉じて胸の上に両手を重ねて、顔を覚えていないどころか、本当にその存在があるのか知れない相手へと、たったひとことだけ。
 もし、伝えられるのだとしたら、貴女へ。

 母へ。

 産んでくれてありがとう、と――――