カッチ、コッチ。
カッチ、コッチ。
規則正しく、駆け足になったりも、のろのろ運転になったりもしない。
焦ることなく、迷うこともない。
カッチ、コッチ、カッチ、コッチ。
毎日、同じ時間をかけて同じ回数回り続ける。飽きもせず、嫌がりもせず。
ああ、お前はなんて働き者なのだろう。どこぞの誰かを見習わせてやりたいと、心底思ってしまう。
思って、まるでプログラムされた通りに動き回るロボットの如く、生真面目に働いているどこぞの誰かを想像し、気持ちが悪くなった。いや、やはりあれはアレでいいのだろう。
だが、それにしても、やはりお前は働き者だ。
そう改めて感じ取りつつ、ユーリは枕元の棚に行儀よく置かれている目覚まし時計の頭を撫でた。その天頂にある黒い、他よりも若干素材が違っている出っ張りを指で軽く擦る。
スイッチは、入っていた。最初は。
律儀に、目覚まし時計は毎朝、その所有者を眠りから呼び起こす為に働いている。今日もまた、壮大な音を、部屋の外にまで鳴り響かせていた。
ものの五分ほど前迄は。
だが今は静かだ。ただ秒針が、少しばかりいびつな動きでもって時を刻んでいるばかり。
ベル音は、正確に測っていたわけではないので若干の差異はあろうが、十分ばかり鳴っていたように思う。そう感じただけで、実際はもっと短かったかもしれない。
鳴っているなと感じたのが今から十と数分前。音が止まないなと思ったのが、今から五分と少々前。
部屋を尋ね、耳元で大音響を奏でている時計と格闘しているかと思いきや、全く目覚める様子がない男を見つけたのが、それから一分半後。その同時刻に、小刻みに振動して懸命に頑張っている時計を休ませてやった。
夢の中で休暇を楽しんでいる男は、未だ目覚める気配が無い。
あな、なさけなや。
諦めとも落胆とも、それから怒りとも取れない溜息がついこぼれる。あれほどの音を聞きながらぐっすり眠り続けるこの男、果たしてどうしよう。
感心すべきか、怒るべきか。それとも、そこまで深い眠りに落ちるほど疲れているかもしれない彼を慰労すべきか。
悩む。
だが、とユーリは左手の下にある時計を見た。
立っている位置からでは文字盤が斜めになって見えるその針が示す在時刻は、計画では出発予定まであと一時間といくらか。いっそ置いていってやろうかと気持ちよさそうに眠る男の顔を見下ろし、思う。
だがそれでは仕事の予定が大幅に狂う。なんとしても、この短時間に彼を覚醒させなければならない。
時計の針の音が、プレッシャーを与えようとしているわけでもなかろうが、やたら大きく耳元に響いて聞こえる。
二度目の溜息が漏れた。
「起きろ」
肩を掴み、軽く左右に揺すってみるが反応は無い。もとより最初から、あんな騒音を間近にしながら目覚めなかっただけに、効果があると期待していなかったが。
「う~~ん」
むにゃむにゃと、何か言ったようで言葉になっていないことを口にするだけ。高いびきをかいていなかっただけまだマシだったろうか、と思い悩む。もしそんな風だったら、時計の音を止める前にベッドごと蹴り飛ばしていた
かもしれない。
「こら、起きろ」
太陽は既に顔を出して久しい。万人の活動時間帯だ。
自分達が本来夜闇にまぎれて生きる存在だとは重々承知の上で、けれど人と交わりながら生きていくと方向を定めたときから、朝目覚め夜眠る生活に身体も適応できるよう努力してきたではないか。
今彼を起こさなければ、夜まで起きてこないような気がする。彼を仕事に連れていかなかったら、仕事に支障をきたすし、自分達の信頼にも関わる。沽券に関わる。
「起きるんだ、起きろ」
なおも激しく肩を揺さぶるが、効果は芳しくない。いっそ寝かせたまま車に押し込んでやろうか。罰として朝食は抜きで。
聞こえてくる時計の音が、確実に時間が無駄に流れていることを如実に物語る。常に一定感覚で響く音に、気ばかりが焦ってしまいそうだった。
ああ、もう。仕方ない。
ユーリは目覚まし時計を取った。顔の前まで持ち上げ、裏側のねじを回す。刻々と変動する三本の針とは違い、設定された場所から動かない唯一の針を動かして、現在よりも一、二分先に設定しなおした。それから時計の頭のボタンを押し、凹んでいた楕円形を突出させた。
これで準備完了。動き続ける時計の文字盤を満足げに見下ろして頷いたユーリは、ベッドで大の字になって寝転がっている男の、寝入るときとは大分位置がずれてしまっている布団の端を捲った。引っ張り、足の先がはみ出して、頭の先までがすっぽり覆われるくらいに移動させる。
そうしてユーリは、予約時刻を変動させた目覚まし時計を男の、耳元に直接置いた。しかも大音響が直接耳に触れるように、ご丁寧にスピーカー部を顔の向けて。
思わずにやりという笑みがこぼれる。そのまま、身体を引くと同時にユーリは掴んでいた布団を手放した。男の顔が、布団の下に隠れて見えなくなる。不機嫌を誘う時計の秒針も、聞こえなくなった。
「私は忠告したからな」
最初に起きておけばよかったものを。呟き、ユーリは踵を返して部屋を出た。
数分後、甲高い目覚まし時計のベル音と、数秒の間をおいて絶叫が場内に轟いた。
驚いたアッシュが顔を上げて声のした方角を壁越しに見やったが、リビングで優雅にお茶を飲んでいたユーリはいたって平然と、無反応を貫き通した。
少しだけ、楽しそうな顔をしてはいた、が。